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現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)
ラベル ポプラ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
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2020年5月8日

道の記


キャンパス跡地はこの前来たときには残っていた木々がさらに無くなっていた。松の木は残っていたが、その隣の桑の木は伐られていた。高かったポプラの木も無くされた。カイノキのあたりも完全に更地になって、そのまわりに伐採されて細かく伐られた木々が積まれていた。


ふと、門のすぐ向こうに、キョウチクトウらしき幼木が出ているのに気づいた。ホソムギの仲間のような草が並ぶ中、1本だけ。壊されていくキャンパスの中で、新しく生き始めた木。右と左の大きなクスノキが、夕方の青空にあざやかだった。


2019年6月23日

道の記


大くすのきの林だった場所は、土がもとの丘の高さよりもさらに高く盛り上げられていた。その土の向こうに、木の太い根が宙へ向かって伸びているのが見えた。くすのきの切り株が横になっているのだろう。ショベルカーが作業を続けていた。くすのきの香りはわからなかった。


1本だけ出ていたひこばえが刈られた桜の切り株は、新しい葉を1か所からたくさん出していた。枝を高く伸ばすより横に広げる様子だった。


ポプラの木が並んでいた公園にひさしぶりに立ち寄った。再整備されて、以前の姿はトウカエデ1本だけがとどめている。ポプラがいたあたりでまわりを眺めた。おたふくがたくさん植えられている。ポプラの姿はまったくなかった。公園はこどもたちや家族連れの方々でにぎわっていた。ボールが飛んできたので、投げて渡した。

公園を出た所に以前から小さなエノキとセンダンがいる。彼らは元気でいる様子だった。挨拶をして立ち去った。


ビル街のただなかの小さな野草ガーデン。ホタルブクロの白い花が細々と咲いていた。きょうはこれ以上歩けなさそうだった。ホタルブクロのつぼみにそっと触って、街を離れた。


2018年7月28日

道の記


この春に公園再整備工事は終わったはずだが、昨年秋を最後にその公園にまったく行っていなかった。もとは大きな木々があった公園だったが、トウカエデ1本を残して細い新樹がところどころ植えてある、広く見渡しのよい公園になっていた。誰もいなかった。とても暑かった。

以前ポプラがそびえていたあたりはもとは斜面だったが、高さが変えられて歩道になっていた。ポプラが地中から出ているのではないかとほんのわずかに思っていたのだけれど、草刈りが入ったばかりのようで、新しく植えてあるもの以外には何も伸びていなかった。ポプラの木の香りがかすかにするような気がしたが、植え込みに敷いてある木材チップの香りかもしれなかった。

残されたトウカエデもだいぶ枝を落とされたように見えた。以前の公園には大きなクスノキがまんなかに鎮座していて、こどもたちがその木陰で遊んでいた。あのときの景色のほうが、いまの無人の光景よりも自分の近くにあるように思えた。


2018年4月30日

道の記


大きな道に面したアパートか社員寮だったような建物が空になっていて、その建物の下にヒルザキツキミソウがたくさん咲いていた。


坂の上が開けているように見えたので上がってみた。小さな公園があった。できたばかりのように見える。木は小さくてまだ陰がない。誰もいない。となりは造成工事の途中だった。一帯が再開発かなにかでフェンスに囲われたり更地になっていたりして、それで開けて見えたのだった。そこに人がふたたび住むようになるというのは、いまの景色からはずいぶん遠いことのように感じられた。

フェンスに開いている窓の向こうに、あまり高くないポプラの木が細々と立っていた。1度伐られてそれからふたたび伸びたようにも見えた。次の建物が建つときにはどうしているだろう。

2017年10月28日

道の記


ポプラの公園は工事が進んで再整備後の姿がうかがわれるようになってきた。ポプラの場所も桜の場所も柳の場所も掘削され、新しい土が入っていた。公園と歩道との隙間にいくらかの草が残っていた。ポプラの根がおそらくその歩道の舗装の下に残っているはずだが、ポプラをうかがわせるものは何も見えなかった。公園の木々のうちでただ1本残されたトウカエデが公園の向こうの隅に見えていた。

2017年10月15日

思うこと

このごろ、草を見ていて草の種類を勘違いすることが多くなってきた。あとからわかったり、あとで気になって図鑑に当たると違うことが書いてあったりする。以前は「体得」していた草の違いが、細部にいちいち当たらないと(そうやってもいまひとつ)わからないということが多くなってきた。

しばらく前に、小径でポプラの幼木を見た。それが、そのあとあらためて見たらナンキンハゼだった。そばまで寄って見ていたのにまちがえていた。

説明するときには図鑑で示すようにしようと思う。また、わかっているつもりの草でもときどき現地で図鑑に当たって区別点を確認するようにした。ただ、なにかそういう話の前に、(草や木の)「種類」という事柄自体が自分にはぼんやりしてきたような気がする。

ふだんナンキンハゼよりはポプラを気にしているので、小径の木もナンキンハゼだったら記憶に残らなかったのではと思う。最初ポプラと思って目を留めたのでも、そのことでそのナンキンハゼの木を自分は知っていま覚えている。もしナンキンハゼですらなかったとしても、その木をしばらくは忘れないだろう。

現実に「種類」に依拠して進めないといけない諸々の事々のいっぽうで、「種類」にとらわれながら草を木を見ているその見方は絶対か、ということを、自分の認知能力の側から問いかけられている気もなんとなくする。

それも「種類」から始まった話ではある。

草を見るのを始めたときにはたんぽぽだと思ってノースポールを見ていた。それをただの「まちがい」として正して通り過ぎてきたのだったけれども、いまはそこからいろいろと考えてみたくなる。

2017年10月13日

道の記



ポプラのひこばえの森はなくなっていた。薄く掘削された地面に残り根がいくつか見えていた。



空が高かった。



ぎんなんを拾う人を見かけるようになった。きょうの方は自転車で乗り付けてさっと拾い集めておられた。



アキノノゲシの空き地は建設工事が始まっていた。その隣の空き地に出てきたアキノノゲシがひときわ大きく育っていた。てんとう虫がとまっていた。



街中公園のキツネノマゴは今年も咲いていた。近くではヒナギキョウが風に揺られていた。屈んで写真を撮る私を見ていたらしく、私が立ち上がるとまわりの人たちがさっと視線をそらした。

2017年8月20日

道の記


公園再整備工事はそれほど進んでいなかった。ポプラや桜のひこばえはあまり違わないぐらいの丈のアキノエノコログサに取り囲まれていた。


手当てしていた草は地上部がなくなった。これまでの経験から、しばらくは出ないのではないかと思う。まちがえて草刈りに遭うおそれは逆になくなった。これからは多少の実働をしながら、ほかのアプローチを考える。

2017年7月31日

道の記


ポプラのひこばえの森のそばまで盛り土が来ていた。桜の新芽はいくらか地表に見えているほかは埋められているように見えた。


今日までに撤去するようにという札が掛けられている道ばたの柑橘の木は今日も変わらずに立っていた。ところどころの黄緑の新葉がみずみずしかった。あちこちに蝉の抜け殻が付いていた。私の頭上をぶんっとクマゼミが飛んで逃げて行こうとしたが、すぐに旋回してこの木に戻ってきた。

やっぱりこの木がいいのだな、と思った。


柳絮の木を確かめに行った。写真を探したら、いまカメラに入れているカードのいちばん最初にその木の柳絮の写真を撮っていたのだった。カメラで画像を見ながら探していくと、やはり今月撤去の札が掛けられている木だった。春のときにくらべてこころもち枝が短くなっているように見えた。

日の暮れかけで、アブラゼミの鳴き声が上から降っていた。しゃがんで幹に手を当てた。立ち上がると頭に何かさわった。幹から伸びた若い枝葉だった。しなやかというよりとてもやわらかかった。見上げると、アブラゼミの声はどこからするのかわからないぐらい高かった。

2017年7月15日

道の記



歩き疲れた。1年前はまだ歩けていたのだが。


再整備工事の公園は整地中のようだった。ポプラや桜の場所はフェンスが立てられて近づけなくなっていた。一度草刈りされたようで、ポプラも桜も短い芽をところどころから伸ばしていた。


今年1号の札が付けられている新木の街路樹いちょう、具合がよくないように見える。新しい葉が大きくなっていない。とある公園のいちょうの大木も葉が茶色くなりかかっていた。今年も木々に厳しい夏になるのだろうか。


歩道の上でみみずがどうも踏まれたらしく、下半身がややこしい形で固まって上半身だけで動こうとしていたが動けていなかった。拾い上げて植え込みに移した。後ろから「こんにちは」と言われたので振り返ると、通りかかったこどもさんが声を掛けてくれたのだった。


トウバナやトキワハゼに混ざって何かシソ科の小さな草が足元で小さな花を咲かせていた。向かい側の園芸の木や草がいろいろ植えてある植え込みから出てきたのか、それとも私が知らない野草なのか。少し離れた所で公園清掃の方がていねいにごみを拾っておられた。

2017年6月22日

道の記


公園再整備工事はまだ始まっていないようだった。切り株のまわりにできたポプラのひこばえの森はますます高く深くなっていた。葉の脇に樹液というのかなんというのか水っぽいものが溜まっていた。指に付けて匂いをかぐと、すっと芳香がした。ときおり雲が薄くなって、若葉がきらきら輝いていた。


高い土手の上の道沿いにアレチハナガサが群生している。ちらちらと小さな紫の花がたくさん。そこから少し離れたところに1株ぽつんといる。そちらのほうは人の手近にあたるところで、どうも茎が真ん中で折られたようで、そこから真下に垂れ下がっている。下のほうで花が咲いていた。


去年アレチノギクが出ていた駐車場端の電柱のふもとに今年もアレチノギクが出ていた。今年もすでに綿毛を出していた。

2017年6月11日

道の記


第1号の札が掛けられた新樹のいちょうは、すっくと立っている。葉が少しずつ増えてきた。私には以前の切り株いちょうのひこばえの小枝がまだ見えるけれど、この歩道を通るそのたびに少しずつ、自分で気づかないくらいずつ見えなくなっていくのだろう。


いったいどちらの木の根かわからないほど離れたところの地面に桜の根が走っていた。ゴム舗装の歩行者レーンにぶつかってそこからはその端に沿って走っていた。


ポプラの切り株は森になっていた。6月下旬から公園整備工事再開との掲示が近くに出ていた。


桜も、切り株はないのに残り根からあちこちたくさんの芽を突き上げていた。いまは雨を浴びていることだろう。

2017年4月14日

道の記


ポプラはひこばえが芽吹いていた。ちいさな葉がしっかりとポプラの葉の形をしていた。桜のちぎれ根からも新芽が伸び出ていた。

幹がなくなっても木々のいのちが続いていく。

2017年3月11日

道の記


その道のそちらの片側はめったに歩かないのだけれど、信号の流れでひさしぶりにそちらへ渡った。しばらく歩いていると、水気のない排水口からヒメオドリコソウがちょっと伸び出て花を咲かせていた。


ヒメオドリコソウは自分の生活範囲ではなかなか見かけない。あまりに見ないので希少な在来種だと思い込んでいた頃もあった。最近はいろいろな道を歩いていることもあってか、何か所かで見た。それぞれ、そこだけにかたまって生えている。


ポプラの伐り株のところにときどき立ち寄っている。次の工事が来年度のどこかで入るのだろうと思うが、なんにしてもときどき立ち寄ろうと思っている。


桜がいたあの場所にもときどき足を運んでいる。

2017年1月29日

道の記


山に日が沈んだ後、太陽柱が見えた。太陽柱はこれまで何度か見たことがあるのだが、今日はその横の少し離れたところにこれまでに見た覚えがない虹色の光が見えた。幻日に似ているが、すでに日が沈んでいたので別の現象だと思う。そのうちどこかで調べてみたい。


あの青空に鮮烈なほどに白くポプラの梢がかがやいていたのは、私のこの高さを覚えていてほしい、ということだったのだろうといま思う。

2017年1月23日

道の記


きょうもポプラは風に鳴っていた。雪が舞っていた。

2017年1月14日

道の記


先だって、福岡ではあまり見ないポプラを見つけて喜んでいたのだが、その公園に再整備工事で樹木を撤去するという札が出ていた。3本あるポプラの幹にはテープが巻かれていた。うち1本はたくさんのひこばえを出していて、そのひこばえにテープが巻かれてあった。

毎年この時期にどこかの公園が再整備工事になる。たいていは遊具も樹木も更新されて、まったく新しい公園に造り替えられる。以前からの木々をいくらか残していることもあるけれど、大きく育った木ほど無くされる傾向にあるように思う。

たまたまだったが、そのポプラの公園に立ち寄る前に、私がこどもの頃に遊んだ公園に立ち寄った。最近再整備された様子で、大きな木はケヤキが2、30年になったかどうかという感じだった。ただ場所(位置)と名前だけが変わらない、私の知らない公園だった。

ポプラのところに行く予定はなかった。歩いていて、まだ歩いたことがない道へ寄り道して入っていったら、戻れなくなって、思いがけずその場所に出たのだった。見上げたら、冬の青空のなかでポプラの梢が寒風にぴゅうぴゅうと鳴った。そのひとときだけだった。