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現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)
ラベル ヤナギバルイラソウ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
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2020年9月13日

道の記


イヌノフグリの場所に出ていたヤナギバルイラソウは姿がなくなっていた。まわりの草が枯れていた。

2020年7月31日

道の記


イヌノフグリがいた道端には小さなヤナギバルイラソウが出ていた。そのまわりにクグガヤツリらしき草が、やはり小さく茂っていた。

2020年7月29日

道の記


丁字路は草が抜かれたようで、おそらくエノコログサだと思う小さな葉と、まだよくわからない小さな葉とが出ていた。


キツネノマゴも抜かれたようだった。人目にもつかない位置の草をわざわざ抜く意味は、抜く人の人生のなかでいったいどういうものなのだろう。


ヤナギバルイラソウの花が一輪、排水溝の網にさかさに引っ掛かっていた。


芋虫が路側の暗渠の穴のそばをうろうろしていた。手に乗せて、何か食べ物になりそうな草がある場所を探した。見つからなかった。もとの場所近くに戻した。


塀の下ではエノキグサが、大きく育ちつつあった。


2019年9月26日

道の記


雨がありがたい、というふうに、建物の脇でヤナギバルイラソウが咲きそろっていた。


2019年6月30日

道の記


目が疲れていたので、眼鏡を外して歩いた。足元の草は種類が見て取れるものもわからないものもある。でも、草のほうでは自分の「種類」をいちいち気にしていないにちがいなく、そうであれば私のほうでも過度に気遣う必要はないのだろう。


そう思いながら眼鏡無しで歩いていて、植木鉢のイヌビワが枯れていたお店の前を通りかかった。鉢がどうなっているか見たかったので眼鏡を掛けたが、鉢は無くなっていた。引き取られたのだろう。よく見るとそのお店の壁に、解体工事の告知札が掛けてあった。


まだ新しい道のまだ新しい街路樹に、細かな白い花がたくさん咲いていた。歩いていると雨のように花が落ちてきた。すでにたくさん降り積もっていた。工事中の道の対岸には、同じ種類のように見えるさらに新しい木々が植えられていた。


よく通る道のクロガネモチの街路樹が並んでいるなかに、空いている植え枡があった。土が掘り返されて均された後のように見えた。1本1本の木を見ていなかったのだと気づかされた。


以前手入れをしている人を見かけた歩道の植え込みのヤナギバルイラソウは、すでに花が咲き始めていたようだった。いまはしぼんでいるが、この雨が上がったら、花もまた開くことだろう。


2019年1月27日

道の記


前にどなたかが手入れをしていた街路樹ふもとのヤナギバルイラソウは、色は褪せたように見えたものの、枯れずにいた。


風鈴のように歩けばいい、と思った。風に吹かれて鳴りながら。考えながらではなく、鳴りながら。


傾いてきた日差しが明るかった。


古いお屋敷の跡地は掘削のような工事が進んでいた。敷地に緑はいっさい見えなかった。


月が明るかった。街の明かりの抜きん出たひとつのように照っていた。

2018年12月16日

道の記


先日、街路樹の下のヤナギバルイラソウを剪定している方を見かけた。市が植えているものではなさそうで、おそらく近くの方だったのだろう。きょう通った同じ道の少し手前の場所で、ヤナギバルイラソウが寒さのためか少し色を変えてしなだれていた。