道ゆく先々での、木々草々花々などさまざまの出会いとその後を、一筆箋に綴るつもりで。
From the Wayside: about my acquaintances of trees, flowers, weeds and others (written in Japanese)
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※ 現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)
2020年8月16日
道の記
ヒメジョオンの交差点角はヒメジョオンがまったく見当たらなかった。オヒシバがいくつも穂をかかげていた。
路面のツマグロヒョウモンを草地に横たえた。
春にナズナやホトケノザが出ていた住宅裏手の小さな畑が、整地されていた。何かが建ちそうだった。
あぶらぜみが指を差し出したら生きていた。近くに木がなく、道を変えてポケットパークまで歩いた。
2020年8月12日
2020年7月27日
道の記
この前は彼岸花をたくさん見た土手。日差しが強い。少し背丈が低く感じるヒメジョオンたちがたくさん花を咲かせていた。山が青かった。
川が海へそそいでいく。向こう岸は深い林のよう。鷺が水に立ち、飛んでいく。街の近くの穏やかな時間。
夕日はさまざまの彩りを海にも空にも添えながら、水平線上のほんのわずかな雲の厚みに消えた。消える前に少し緑だったようでもあった。
彗星はだいぶ暗くなってからわかった。眼鏡を新しくしてよかったと思った。ひさしぶりにたくさんの星を見た。さそり座もこれから昇っていくところだった。なんだかきょうで夏休みが終わった気もしているが、これからが夏なのだ。
2020年7月26日
道の記
ヒメジョオンが出ていた交差点はオヒシバが穂を立てていた。
柿の木や椎の木がいた場所は、ヤブガラシがあたりを覆っていた。花が咲いていた。
伐採木置き場はイチョウの枝が他の草たちに隠されながら伸びていた。ヌルデらしき枝も伸び出していた。
昨年アキノノゲシが出ていた駐車場の端では、アキノノゲシの葉が刈り取られて横たえられていた。アキノノゲシはこれから復活するだろう。
以前ヒサカキが隅にいた駐車場が舗装されているのが道の対岸から見えた。
2020年5月28日
道の記
この前は気づかなかったが、ねこじゃらしの穂が並んでいた。
広い駐車場に車がいない。契約車がまだないのだろうか。おとうさんとこどもさんが、各種のボードに乗って遊んでいた。その端でナギナタガヤがゆったり揺れていた。
長く感じる道だけれど、脇の草を見ながらだと長さを少し忘れる。チガヤが揺れる。ブタナがけっこう出ている。そうこうしていると、行く手に枇杷の実が落ちていた。
この歩道でいつかのとき、倒れたヒメジョオンを見たのだった。そのあたりの位置で、ヒメジョオンが高く伸びて、咲いていた。
2020年5月26日
道の記
大くすのきの林だった場所はマンションの工事がかなり進んでいた。道の対岸を歩いた。以前見たと思ったくすのきの幼木はあのあと見つからない。幼木を見たと思った位置に、すみれの葉が茂っていた。
たしかここに何かの木の切り株があったと思っていた建物の隅が、舗装されていた。草の双葉らしきものが舗装面の所々から生えていた。
少し遠回りになるが公園の横を通る道を選んだ。チチコグサやヒメコバンソウがたくさん出ている。長い公園の端に近づくと、地面がなにか霞のようにぼおっと明るい。近づいて見てみた。ヌカススキの仲間の草が群生していた。
ハルジオンとヒメジョオンが同時に花を咲かせていたと覚えていた場所。ヒメジョオンだけが咲いていた。
ここの街路樹いちょうも切られたのだった。残っている切り株をしゃがんで見た。芽がないようだったが、よく見ると、切られたひこばえの脇に小さな緑色が見えた。そっと触れて立ち去った。
2020年5月22日
2020年5月16日
道の記
神社の桜はみずみずしい緑。その下で、ヒメジョオンのように見える草がゆっくりと伸び始めていた。
神社の境内に立ち入った。くすのきの花がひさしぶりの青空にちらちらしている。境内の奥は踏み入る人も少ないらしく、たくさんの草が茂る。その草むらの少し脇で、クサイチゴが実をつけていた。
メリケンカルカヤの枯れた茎は1本だけ残っていた。以前メリケンカルカヤが茂っていたときにその中にいたオランダミミナグサは、支えを失ってなかば倒れながら残り続けていた。
見た覚えがあまりない草が、街路樹のふもとに少しまとまった感じで生えていた。写真を撮りたかったが車道の側で、次々にくるまが来る。目で収めた。
まちは少しずつ動きを取り戻そうとしているようだった。
今年は花のときに通らなかった、坂道の梅。若葉をたくさん茂らせていた。そのひとつ向こうで、柿の木がさらに大きな葉をいっぱい、空のほうまで茂らせていた。
2020年4月30日
道の記
以前、ここの擁壁から何か出ていたのだったと思いながら差し掛かり、振り返ると、何かの幼木が大きく枝をこちらへ差し出していた。いちど折られたような様子だった。
川沿いを行くと小さな神社があった。その手前で1株、コスモスが咲いている。うれしくも不思議な気持ちになった。もう日がだいぶ傾いていた。コスモスも横から陽を受けていた。
その先では道の川の側にルピナスがぽつぽつ咲いていた。植えられたというより、以前植えられていたその子孫のように見えた。
モウコタンポポは1か所ではやはり今年も出ていなかった。もう1か所では綿毛をだいぶ放ったようだった。いまも作っている。
残された桜はあおあおと茂っていた。上のほうにちらほら花が残っている。よく見ると、歩道側に伸びた枝の下に、ちょうど頭の上になるあたりに、3輪、花が咲いていた。花が照らしてくれていると感じた。幹に触れた。きょうのあたたかさを蓄えていた。
その桜の下でお話しした方のお宅はもうない。空き地にいろいろな草がぱらぱらと茂っていた。手前で、ヒメジョオンが咲いていた。
ヒトツバタゴは花を咲かせていた。街灯に薄く花が照らされていた。白とは違う、少し紫を含んだ色合いで、暗い空に細かく咲いていた。ちょっとだけマスクを外した。香りはわからなかった。
2020年2月4日
道の記
建物が取り壊された跡地のほうから、梅の花の香りのような匂いがした。信号を渡るつもりだったがあの跡地に梅が残っていたのかと気になって、渡らずに跡地のほうへ歩いた。跡地に梅はなかった。近くにも見当たらなかった。ホトケノザが咲いていた。
交差点のヒメジョオンは咲いていた。つかれた様子だったが枯れてはいない。すぐとなりにノゲシが出ているのに気づいた。ノゲシはだいぶ傷んでいたが、ノゲシも枯れてはいなかった。
大くすのきの林だった場所は建物が建ちつつある。以前の場所の面影は見つからない。ふと後ろを向くと梅が咲いていた。道を挟んだこちら側の丘にはくすのきはいないようだが、小さなお社があり、桜の木々が植えられている。梅の花は私の背が届かない高さで、大くすのきの林の丘を見つめるように咲いていた。
2019年12月27日
2019年12月9日
道の記
いつもと一筋だけ違う道を行く。タチスズメノヒエが並んでいた。もう少し歩くと、今度はすみれが並んでいた。
ここの交差点の角にはヒメジョオンが咲いていた、と思って渡りながら振り返った。ヒメジョオンは少ししおれながら咲いていた。
田んぼだった場所の横の花壇は花がパンジーに変わっていた。下のマンネングサはそのまま、苔のようになって冬越しをしようとしていた。
伐採木置き場のイチョウも色づいてきた。すぐとなりでセイタカアワダチソウの花が白い泡に変わりつつあった。
ラベル:
イチョウ,
コモチマンネングサ,
スミレ,
セイタカアワダチソウ,
タチスズメノヒエ,
パンジー,
ヒメジョオン,
樹木置き場のイチョウ,
田んぼの脇の花壇
2019年8月15日
道の記
交差点の電柱の影にヒメジョオンの花が見えた。のぞき込むと、オヒシバと並んでいた。きょうも日差しはすさまじかった。
大くすのきの林だった場所は、この前通ったときには土が積まれて上が平らにならされていたが、その上に、くすのきらしき切り株が置かれていた。ここはやっぱり、くすのきの場所なのだ。切り株は切り株の形をしていなかったが、空に向かっていた。
丘のはずれの切り株は小さな緑を従えていた。その切り株の芽も出ているのかもしれなかった。
柿の木の切り株から少しだけ離れた位置に、柿の芽が出ていた。切り株の芽なのか、切り株の柿の木のこどもなのかはわからなかった。
2019年6月9日
道の記
宅地になるほうの大くすのきの林だった場所は工事が進められていた。きょうは道の対岸のほうを歩いた。対岸には濃い緑が残り、足元にはキカラスウリらしき花が咲いていた。以前はひとつにつながっていた林なのだろう。しかし向こう側にいたボタンクサギはこちらでは見つけられなかった。
事業所の前の植え込みの淵に、まだだいぶ小さな猫のこどもがいた。こちらをおびえて見ている。寄って見ることはせず、そのまま歩いた。頭だけを動かして私のほうをさいごまで見やっていた。道の行く手にはいつものホリホックが静かな花を咲かせていた。
夕日を真っ向から受けている山並みを背に、反対方向の山並みを見ながら帰り道を歩く。飛行機雲が何本も流れて、いくつかはもうただの雲になっていた。ヒメジョオンや、たぶんヒメムカシヨモギだと思う草や、ヘラオオバコの大きな株が、歩道の脇にめいめい暮らしていた。
疲れてこの景色のなかに座りたいと思い、疲れたけれどこの景色をどこまでも歩きたいと思った。山も空も遠いままここにあった。
2019年5月31日
道の記
いま横を追い抜いていったこどもさんが、角を曲がったらはるか彼方に見えた。もし追いつこうと思って走ったとしても、もう追いつかない。その彼方までのあいだの舗道の上に、何本ものケヤキの影が斜めに差していた。
水路が埋められてしまったのだと、その場所に差し掛かって思い出した。舗装を免れたマンテマは花を終えていた。ヒメジョオンがたくさん花をつけていた。しゃがんでヒメジョオンの花を見ているあいだに横を通り過ぎていった人が、立ち上がったときにははるか彼方にいた。
桜の切り株の場所は草刈りが入った様子だった。切り株が1本伸ばしていた小枝が切られて地面に横になっていた。その小枝が出ていた切り株の脇のところに、葉が1枚、切られずに残っていた。
ここからまた、始めるだろう。
2019年1月14日
道の記
歩道の車止めのところでアレチハナガサが咲いていた。アキノエノコログサらしき草が、穂をこれから伸ばそうとしていた。その少し先ではヒメジョオンが咲いていた。春でも夏でも秋でもあるようだった。しかしほんとうはいまの季節を耐えて暮らしているのだろう。
宅地開発の大クスノキの林は完全に造成されて、建物が建つ前で工事が止まっている状態だった。クスノキを思わせる何物もなかった。道の際に何か輪生している葉があった。この葉がきっとこのあと、何かを伝えてくれると思った。
道に面しているお家の梅の木が伐られていた。庭木をすべて伐った様子だった。駐車スペースに蝋梅の幹や枝が、花を咲かせたまま横たわっていた。
鶏頭の花はしおれていた。風に、きっと音叉の棒が揺れるのはこんなふうにだという感じで、はじかれるように小さく揺れていた。
田んぼのコスモスが一輪だけ咲いていた。というより、花を残して枯れているようだった。田んぼには小さく穂を実らせた刈り跡の稲の株が白く並んでいた。
遠くの山を見ていると祖父を思う。山を教えてくれたのは祖父だった。何も変わらずに暮れ色をしている山並みを見ていて、山に行かないと、と思った。でもその前に、この果てなく変えられてゆく道を行かなければいけない。
2018年5月21日
道の記
公園の入り口にハハコグサが咲いて並んでいた。
電柱ねこじゃらしは早くも穂をのぞかせていた。
タイル舗装の隙間から、となりのツメクサとあまり変わらないくらいの丈で、キュウリグサが短く伸びていた。1度刈られたのかもしれない。その少し先で、そのキュウリグサより少しだけ高いほどの丈のヒメジョオンが花を咲かせていた。
大きな飲食店の建物が解体工事を受けている。手前の植え込みでサツキが咲いていた。植え込みはもっとにぎやかだったはずで、そのサツキは植え込みに残されるのかもしれないと思った。敷地の横が見える位置まで来ると、その植え込みも壊されている途中だった。
2017年8月13日
道の記
たんぽぽがいる道を歩いていて、たんぽぽにしてはずいぶん小さな花だと思って近づいてみたら、茎の丈が手の小指ぐらいしかないオニタビラコの花だった。真夏はオニタビラコの花をあまり見ない気がする。その道を行くとそんな小振りなオニタビラコがぽつぽつと花を咲かせていた。
その次の道にはやはり茎の丈が手の小指ぐらいの、小振りなヒメジョオンが咲いていた。
カニクサが、道の脇のコンクリートの隙間から、小さくまとまってぽつんぽつんと並んで出ていた。コンクリートの隙間を使って鉢植えにしているかのようだった。
そうしたことを見ながら歩いていられたのも道のりの半分ぐらいだった。暑さにやられて、ほうほうのていで戻ってきた。
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