道ゆく先々での、木々草々花々などさまざまの出会いとその後を、一筆箋に綴るつもりで。
From the Wayside: about my acquaintances of trees, flowers, weeds and others (written in Japanese)
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※ 現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)
2020年4月30日
道の記
キャンパス跡地は建物もほとんどがなくなり、立ち木がところどころだけ残っていた。私が通っていた道沿いでは、松の木が1本残っていた。その脇に、あまり高くない桑の木がいた。花がたくさん咲いている。実ができるだろうか。
以前通ったとき、柵の向こう側のカンナの葉に触れた覚えがあった。カンナの葉にもういちど触れた。カンナは少し狭そうにしていたけれど、葉をまっすぐ上に立てていた。
移植されるはずだったカイノキが枯れたまま残されていた。
門のところのプランターは時を越えて残り続けていくようだった。何かの菊の仲間だったと思う葉も、幼木も、生きていた。
2019年12月4日
道の記
犬のお散歩をなさってよくお目にかかっていた方のお住まいの跡地。いろいろな草が出ていた。いちばん向こうには花が集まっているのが見える。ハナカタバミのような色だった。その手前にオレンジ色のカンナが見えた。
キャンパス跡地は建物の解体が更に進んだ。木々も少なくなっていた。他所に移植されると聞いていた松の木も伐られていた。敷地をのぞき込むと、切り株が残っていた。その上に手鎌のようなものが見えた。雨はもう止みそうになかった。
メタセコイアも、桜も、姿はなかった。
キャンパス外周を歩いた。フェンスの向こう側から小さな菊の種類の花が咲いていた。カンナらしき葉も出ていた。フェンスの向こうはシートで隠されていた。
やはり移植される予定だったのがその前に立ち枯れてしまったカイノキが、その枯れた姿のまま残っていた。
いつも通っていた門の脇になぜか以前からプランターが残されていた。そのプランターの下から、何かの種類の菊が伸び出て、一輪咲いていた。
2019年11月6日
道の記
遠くの山にだけ陽が当たっていた。遠くを目指せ、ということなのかと思った。
交差点の鶏頭は、新しく植えられたらしいビオラの花々に囲まれていた。
道端のカンナは丈は小さくなったが元気なようだった。
田んぼはコスモス畑になっていた。まだつぼみが多い。畦にはたくさんのヨメナが咲いていた。歩道脇に逸出したコスモスは出てきていなかった。
いつも通るときに山を眺める橋。山は今度は陽を浴びつつあった。谷と尾根の陰影。美しかった。橋を渡ると、川の土手の道を向こうから自転車の人がやってくるところだった。かごに犬がいるのが見えた。
2019年10月17日
道の記
サクラタデという名前は知っていたが、こんなに桜だとは思っていなかった。
山が見えるほうの大くすのきの林だった場所は、片側は事業所の建物の工事が終わりに近づいていた。ボタンクサギが出ていた場所は塀が建っていた。塀にスリットがあり、そのスリットの所は地面があるようだった。砂利が見えていた。
山の呼び声は聞こえなかった。
交差点の角では鶏頭が1株、赤く咲いていた。彼岸花は花を終えた茎がしんと立っていた。
お家の前の道端のカンナは葉が出ていた。カンナを育てているのかどうかはわからなくなってしまったが、葉はあおあおとして元気そうだった。
田んぼを望む道端のコスモスはなくなっていた。田んぼは半分ほどがコスモスの葉でいっぱいになっていた。残る半分では刈られた稲が次の穂を実らせていた。
2019年9月30日
道の記
街道のようなむかしながらの町並みのすぐ外側は田んぼが広がっているようで、建物の隙間隙間からちらちら明るい緑が見えた。その向こうは低い山が幾重か連なる。知らない山だけれど、なにかの懐かしさを覚えた。
うちと同じように庭先にたくさんの草が生えているお家の前を通った。ああ、やっぱりこういうほうがいい、と思った。きっと、見たことがないような草も何か生えていることだろう。
そう思って歩いているうちに、駐車場の端で見たことがない草を見た。
赤いカンナと黄色のカンナが小川の縁を彩っていた。カラムシも緑をたくさん添えていた。
2019年9月9日
道の記
山の向こうに入道雲。夏が山の向こうに去って行くよう。
道端のかんなは無くなっていた。かんなだけでなく、まわりの草が枯れたようにしていた。この前はかんなが咲いていた。このかんなはやっぱり育てられていたのだと思って安心したばかりだった。
田んぼは刈り取りが済んでいた。鳩や雀が集まっていた。道端のコスモスはさすがに花はなく、いまは他の草たちと並んで秋の深まりを待っているようだった。
ひこばえが伐られた桜の木は、もう枝からは芽は出てこないようすに見えた。わずかに残った数枚のひこばえの葉がこの木のいのちをつないでいるようだった。
2019年7月30日
道の記
ホリホックは花が終わっていた。ありがとう、と言いながら花を咲かせていた茎にさわった。そうしていたら、低い茎にひとつ花が咲いていた。電柱のアース線というのか、その陰になっていて気づくのが遅れた。花は陰に向かって咲いていた。
山はやっぱり呼んでいるようだった。あの懐かしく見える山はしかしまだ3回しか登ったことがないと、思い出を数えて思った。思い出はぜんぶこどものころの遠い思い出だったが、きょうもあのころの自分のような誰かがその山に登っているという気がした。
道の脇のカンナは咲いていた。もうこのお家はカンナを咲かせるつもりがないのかと心配していた。カンナの花を見られて、ここまで歩いた甲斐があったと感じた。
ときどき花畑になる田んぼは今年は田んぼになっている。その田んぼの手前の歩道脇に、低い丈のコスモスが2輪咲いていた。田んぼの稲はまだこれからだった。
2018年10月13日
道の記
今日は、みみず、種類を知らない芋虫、小さなカメムシのような虫、こおろぎ、そして小さな哺乳類の動物を舗道の上から土の上に移した。生きていたのはそのうちの半数ほどだった。
切り開かれた大クスノキ林では、ボタンクサギの花がまた咲いていた。そのうちの1つの株が高く伸び上がっていた。その向こう、掘削された丘の手前に、複葉のように見える幼木と、フヨウのような葉をした幼木が伸びていた。工事はあれからあまり進んでいないように見えた。そのあいだに土地が林に戻ろうとしているようだった。
カンナは倒れたまま咲いていた。
少し前に、クサギのトンネルのクサギが伐採されてなくなっていたのをバスの車窓から見た。そこを歩いた。斜面に伐り株がぽつんぽつんと見えていた。台風が来ていたのに、切り落とされたクサギの枝が歩道の隅に残っていた。
2018年9月27日
道の記
遠くに山が見えるほうの大くすのきの林だった場所では、ボタンクサギの花が少しだけ残っていた。香りを嗅いだ。切り開かれた丘はビニルシートで覆われていた。くすのきの香りはしなかった。
交差点のケイトウのそばに白い彼岸花が咲いていた。モデルルームの看板を掲げた人が手元のスマートフォンか何かを操作していた。
ときどき通る道沿いのお家の前のカンナが、咲いているのに草刈りに遭ったようで倒れ気味になっていた。花はだいじょうぶそうに見えたが、もうしばらく咲いていてくれるとうれしい。
クサギのトンネルは花が少なくなってきた。落ちている花を拾って香りを嗅ごうかと思ったが、大くすのきの林のボタンクサギを思い出して、ここの香りを嗅ぐのは今日はやめた。
ラベル:
カンナ,
クサギ,
クサギのトンネル,
ケイトウ,
ボタンクサギ,
モデルルーム案内の人,
宅地開発中のくすのき林
2017年7月17日
2016年8月15日
道の記
あるところでは一帯の草刈りでカンナが切られていた。赤い花がみんな横になっていた。
またあるところではカンナがずらっと並んで空にそびえ立っていた。その場所の主のようにしていた。
リュウゼツランが畑の真ん中のようなところで茎を高く伸ばしていた。知識がなくてよくわからないが、花の後のように見えた。夏はもうしばらく続きそう。
2016年8月5日
道の記
先日は道端にカンナが並んで咲いていた。お家の敷地にあたる位置なのか道にあたるのか、対岸から見ただけなのでちょっとわからなかった。ときどき思うが、道端とはどこのことだろう。カンナは大きく茂って美しく咲いていた。
2016年7月14日
道の記
そのお家はみどりがお好きな方が住んでおられて、道からも植木のほかカンナの花などが見えていた。そこの敷地境界のブロック塀の隙間からタツナミソウが生えていた。たぶんお庭に植えておられたものが出てきたのだろう。まちなかでタツナミソウを見ることもほかになく、花の頃など気に掛けて見ていた。
その方がしばらく前に亡くなられ、お家にご親戚かどなたかが入っておられたようだったのだが、植木がばっさり伐られ、それからしばらく経って更地になった。ほどなくマンションの建設工事が始まった。ブロック塀は敷地境界の部分だけ残されていた。
タツナミソウもそのまま生えていたが、あるとき姿がなくなった。ブロック塀の内側に残っていた土が削られた様子で、タツナミソウはその土に根ざしていたのだろう。しばらくはブロック塀の下にドクダミも生えていたが、とうとう塀も撤去され、草もなくなり、新しい塀ができた。
すぐ近くに、やはり草花がお好きな方のお宅がある。そこにタツナミソウやドクダミやほかの草花たちが逃げ込んでいって、かくまってもらっているのではないだろうかと、少し思っている。道から見えなくても、草のこどもたちがまちなかのどこかで生き延びて、世代をつないでいってくれたらと思う。
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