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現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)
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2020年7月27日

道の記


この前は彼岸花をたくさん見た土手。日差しが強い。少し背丈が低く感じるヒメジョオンたちがたくさん花を咲かせていた。山が青かった。


川が海へそそいでいく。向こう岸は深い林のよう。鷺が水に立ち、飛んでいく。街の近くの穏やかな時間。


夕日はさまざまの彩りを海にも空にも添えながら、水平線上のほんのわずかな雲の厚みに消えた。消える前に少し緑だったようでもあった。


彗星はだいぶ暗くなってからわかった。眼鏡を新しくしてよかったと思った。ひさしぶりにたくさんの星を見た。さそり座もこれから昇っていくところだった。なんだかきょうで夏休みが終わった気もしているが、これからが夏なのだ。


2020年7月4日

道の記


川は水が多かった。ここのもう少し下でむかし堤防が決壊したということだった。河原は葦で覆われていた。いくらか倒れてもいた。


ヤマモモの実がたくさん落ちていた。見上げると、赤緑いろとりどりの実がなっている。黒っぽく熟した実をひとついただいた。すっぱかった。


春の小径は何かのイネ科の草がたくさん茂っているほか、ウラジロチチコグサやホソムギ、そしてイヌガラシが出ていた。春の草という感じの草はちょっと見えない。そう思いながら歩いていて、草の陰にムラサキサギゴケの花を少し見つけた。


ここの梅の木や桃の木の花を今年は見なかった。そう思って、通り過ぎて振り返った。いますれちがった親子連れがこちらのほうを見ている。私の向こうの、高架を行く列車を見ていたのだった。


小さな山の上で平野を眺めた。むかし堤防が切れて大きな被害が出たその一帯の景色。数日前にも大雨が降って、見えている景色のどこかでも冠水したと聞いていた。桜の向こうの川は河原が荒れているようにも見えたが、そのまわりは水を湛えた水田が広がっている。水があふれたのか水を張ったのかわからなかった。おだやかな景色だった。


降りてからあらためて、登り口の大きな木に気づいた。けやきだろうと思うが、葉が高く、よくはわからない。返り見て見上げた。そこでずっと待っているようだった。


2020年5月30日

道の記


裏通り。古くからのお家の前にタツナミソウが生えていた。お家の周囲にいろいろな草が生えている。残してあるような気がなんとなくした。いちばん端にハゼランが大きく育っていた。花はまだのようだった。


ひさしぶりに川の道を通る。カワヂシャがいる道。見回して、かろうじて数株出ているのを見つけた。もう花はなく、小さなからだに実をたくさんつけていた。


しだれざくらも陽光桜もちょっと調子がよくないようだった。どちらもひこばえを多く出していた。ひこばえを育ててくれたらと思う。


広い施設の跡地。側溝でエノキがふたたび育っていた。工事は夏から始まる予定だと書いてある。敷地の中ではたくさんのチガヤの穂が夕暮れの風に揺れていた。


2020年2月13日

道の記


煉瓦塀のお家は塀も完全に撤去されていた。一帯は広い空き地になっていた。礫が地面に散らばる中、ホトケノザがところどころぽつんぽつんと葉を広げていた。向こうに見える敷地界の隣地の塀の下は緑に見える。きっとそのあたりに、以前からここにいた草たちが、以前とは変わってしまった土地でどのようにか、暮らしを続けているのだろう。


階段のある元飲食店の建物は何かの事務所が入っていた。階段の下はオニタビラコらしきロゼットがいくつか開いていた。


橋から見下ろす川は、空を映しているのかそれともいくらか濁っているのか、にぶい色をしていた。空を見上げると、ほんの1か所だけ、雲が夕焼け色に染まっていた。


神社は梅が香っていた。梅をご覧になりに来られた様子の御夫婦がゆっくりと境内を回っておられる。私も同じようにして別のルートで境内を回る。ひとつひとつの木の花の香りを嗅ぐ。甘い香り、きつい香り、遠い香り。


いつも電車から見ていた境内の公園では、若い人がひとりボールで遊んでいた。大きな大きなくすのきが彼の守護をしているようだった。


しばらく前にスケッチを描いた河川敷の1本の木。そのときは近くに寄らずじまいだった。近くに寄った。小枝に丸い実が残っていた。ふもとはナズナの畑になっていた。ホトケノザ、オオイヌノフグリ。寒く見える日暮れの河川敷だったが、きっともう春だったのだ。


2019年11月16日

道の記


ひさしぶりに降りた駅は建て替えられて駅前も大きく変わっていた。むかし立ち寄った駅前食堂は看板を下ろしていた。


そして初めて来た駅は小ぢんまりとしていた。入口のロータリーにくすのきが大きく立っていた。これから少し遠くまで行くらしき方々が地元の方らしき方に見送られていた。


大きな公園を歩いた。空も地面も広かった。公園を通り抜けて川に出ると、オギが穂を立てて並んでいる川岸の向こうの、くすのきの林の向こうに、日が降りていくところだった。山は斜めから陽を浴びて、その光と稜線とで、ひかりとかげを作り出していた。自転車に乗ったこどもたちが、残りわずかな一日を遊ぶのだろう、土手を公園のほうへと走っていった。


春の小径はこの前通ったときは暗くなっていて草花がわからなかった。きょうはすぐにキツネノマゴが咲いているのがわかった。丈が低く、1度刈られたのだろう。かたまって咲いている。イヌタデ、コツブキンエノコロ、チカラシバ。そしてホトケノザもナズナも咲いている。にぎやかだった。春を湛えた秋の小径。少し暮れ始めていた。


2019年5月28日

道の記


光化学オキシダント注意報が発令されている中での外出。空がぜんたい薄白く照っていた。遠くの山が見えているからだいじょうぶ、と自分に言い聞かせて歩いた。歩いているうち、だんだんと空の青が戻ってきた。橋の上は風が流れていた。川をのぞき込みながら歩く人とすれ違った。


高速道路のガード下の植え込みにはどうも何も植えられていないようで、かわりにチガヤがたくさん穂を立てていた。あるところからチガヤの穂がさらに増えて、一面チガヤの穂の白になっていた。私の頭の中もチガヤの穂の姿でいっぱいになりかけていたところ、アレチハナガサが1株、大きく育って紫の花の穂を掲げていた。



2019年5月6日

道の記


春の小径は草が刈られていた。次の春が来る前にきっと別の季節が来るのだろう。


こんなにまっすぐ続く道をひさしぶりに見た。あの果てまでこの暑さの中、歩けるのだろうか、とにかく一歩一歩だ、と思って歩いて、15分で果てにたどり着いた。麦の穂がさらさら音をたてて揺れていた。


この小径を歩くのもたぶん10年ぶりだ、と思いながら、むかしながらの家々に囲まれた小径を歩く。途中、イチイガシの大木がいる。よく茂っていて元気そうだった。この道を歩かなかったこの10年のことを思った。


絵を見た帰り、川土手を歩いた。広々と景色が広がる。向こうの山のふもとまで歩く。風がだいぶ涼しくなっていた。風に吹かれて、むかしこんなふうに見晴らしのよい丘を風に吹かれながら通ったのを思い出した。河川敷でこどもたちが遊び、おとなたちが走っていた。山と空はさっき見た絵に似て淡い色あいになっていた。


2019年5月3日

道の記


川の、ふだん通る側とは違う側の岸を歩いた。こちらのほうが歩く人が少ないようだ。白花のユウゲショウを見つけた。川を向いて崖の擁壁にもたれている方がおられた。何か物思いをしておられる様子に見えた。前を通り過ぎるときに目が合った。こんにちは、と声を掛けると、こんにちは、と思いのほか笑顔で言葉を返してくださった。


日が傾いた商店街はお店もそれなりに開いていて、ふだんのこの日の暮らしの景色のようでもあった。角の小さなお店の前にチョークボードが出されていて、富士山から日が昇る絵と、令和の文字が描いてあった。


2018年10月23日

道の記


まもなく閉店と伝えられている少し変わった形の食事の店。自分は前を通るだけだったが、この場所のちょっとした特徴のように感じていた。2階入口へ昇る階段のふもとに、ヒメクグが少し大きめに茂っていた。帰りに通ったときには駐車場がいっぱいになっていた。


青空にそびえるイチョウを見て、ああそう言えばこの美術館が市に移管されてからきょう初めて訪ねるのだったと気付いた。前の美術館が閉じられたあの日もこのイチョウを見たのだった。イチョウの上の空が奇跡のように晴れたのだった。

(そのときには、奇跡でなくふつうのことのようだったと書いていた。)

その美術館の館内から裏手の丘が見える。木々が茂って散策コースになっている。その丘の上で、こどもさんと大人の方々が何か下のほうをのぞき込んでいるのがこちらから見えた。木の実を拾っている様子にも見えた。この景色が変わらず残っていることがありがたかった。


***

コスモスの道へ出る小さな坂で、以前訪ねていたお家の方とたまたま出会った。手仕事をなさる方で、その展示を拝見しに毎年のようにお訪ねしていたのだった。すぐわかったとおっしゃってくださった。お元気そうでなによりだった。すぐ上でコスモスがいつものように陽を浴びて咲いていた。


この夏、浸水した様子がテレビに映し出された公園。たくさんのこどもたちが遊んでいた。川では何か生き物を探している親子連れの方々も見かけた。芝生広場に出ると、向こうの連山の上に、上がってきたばかりの十三夜の月が雲の遠い仲間のように空に浮かんでいた。


***


その道の先では、川に小さな橋が掛かっている。だいぶ前にその橋の上で、欄干に腰掛けてゆっくりしておられたお歳の方と出会った。むかしの大水の話をゆっくりとしてくださった。その橋が遠くに見えた。その方の優しいお姿が橋の景色に重なって見えた。夕日はその先の山々を照らしていた。