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現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)
ラベル ポケットパーク の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
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2020年8月16日

道の記


ヒメジョオンの交差点角はヒメジョオンがまったく見当たらなかった。オヒシバがいくつも穂をかかげていた。


路面のツマグロヒョウモンを草地に横たえた。


春にナズナやホトケノザが出ていた住宅裏手の小さな畑が、整地されていた。何かが建ちそうだった。


あぶらぜみが指を差し出したら生きていた。近くに木がなく、道を変えてポケットパークまで歩いた。



2019年11月13日

道の記


バス待合所前の切り株は変わらずそこにいた。


桜が並ぶ高台のポケットパーク。きょうはベンチに掛けている人がいた。景色に向かって何かお弁当みたいなものを食べている。眼前は大きなショッピングセンターだが、その向こうには遠い山並みが見えていた。


ここを通るときにはたびたび、山から呼ばれている気がしたのだった。きょうはそこまでせつなくない。淡々と向かおう。


バス路線は途中から不通だった。車止めの向こうの道は川に向かってまるごと崩落していた。その手前でなごりのコスモスがけなげに咲いていた。


春の花も秋の花も咲いていた。ここではクワクサをよく見る。かと思うとヒメウズも花を咲かせていた。


棚田は一部だけ作付けされたらしい。畦に草の緑があざやかだった。今年も日曜市のお米と野菜を買った。みなさんにお目にかかれて今年も訪ねた甲斐があった。


通り過ぎたばかりのお寺の、鐘の音が響いてきた。この谷のいつもの景色なのだろう。雲は少し紅に染まり始めていた。道路を直そうとしている重機が、いまはしずかに休んで、明日からに備えていた。


道の記


以前柿の木がいたポケットパーク。伐採されてしばらく経つ。通りかかってふと気になって、柿の木がいた位置に寄ってみたら、柿のひこばえが出ていた。いくつか出ている。元気をもらって帰り道に戻った。


2019年9月30日

道の記


排水溝のクスノキは排水溝の網から外へ伸び出ていた。元気そうだった。すぐ下にイヌビワらしき葉も見えた。


道の向こう側のほうが緑豊かに見える。ここでは道路は横断できない。さっきの信号を渡っておけばよかった。でも、こちらの道にも、数は少ないけれどいろいろと草が生えている。こちらはこちらで見て歩こう。チチコグサがのんびりと生えていた。


少し歩いているうちにキツネノマゴが咲いていた。この道中、キツネノマゴを見たのはあとから思えばここだけだった。


列車で少し遠出するときにいつも眺める、開けた風景。いつかそこに立ってみたいという気持ちもあったけれど、実際にそこを歩く日が来るとは思っていなかった。田んぼと畑の中に小川が流れ、その脇に小径が通っていた。彼岸花がどこまでも並んでいた。白いサギがこちらを見て、ゆっくり去っていった。もっと遠い所にいるサギたちはそのままでいた。


以前、この町の病院に入院した親戚の方をお見舞いに、この道を通った。少し先にポケットパークがあるはずだった。ポケットパークはそのままだった。その方にはピアノを弾いたテープをお送りする約束をしていたが、お送りしたのはその方が亡くなる直前だった。そのことを苦く思い出しながら、病院の建物のほうを見た。このさきは行ったことのない道を行く。


2019年9月23日

道の記


ポケットパークはブタナが咲いていた。角の向こうには白彼岸花が並んでいた。お世話している方の姿は見えなかった。頭を下げて先を歩いた。


神社にお参りし、その神社の高齢のくすのきのまわりをまわった。威容だけれど、この姿はひとときひとときの小さな活動の長い長い積み重ねで出来ているはずだった。そのいまのひととき。

こどもさんがひとりで、その木のまわりに敷かれている木のデッキの上で、木の足音をたしかめるように鳴らして遊んでいた。


2019年4月6日

道の記


交差点のホリホックが新しい葉を用意していた。たんぽぽが先に花を咲かせていた。


この道はしばらく通らないだろうと思いながら歩いているといろいろなものがいとおしく思えた。


もう長く開かないお店の前。以前はオニタビラコがいたのだが、プランターごといなくなってしまった。わずかな隙間からノゲシが咲いていた。


畑は一面、キツネノボタンの仲間だと思う黄色の花がぴかぴかしていた。自転車に乗った若い人が、狭い歩道をゆっくりと、ふらつきながら通って行った。


山際のバス停はポケットパークになっていて、通るといつも何かの花が咲いている。きょうはどなたかが枯れた草を抜いておられた。目が合うと、にこっとなさった。こんにちは、と挨拶を交わした。桜の次に木蓮が咲き始めていた。


春の小径は深まる夜に眠っているようだった。寒かったあいだ、春をくれてありがとう。


2018年10月31日

道の記


山里へ向かうバスから見える山も空も美しかった。道沿いのポケットパークに桜が5本並んでいる。紅葉していた。その桜の上に、底が平らな雲が山のほうからこちらへと並んでいた。


きょうはいつもより切なくならないでいると思っていたが、遠くの山を見ていると切なくなってきた。自分は誰を探しているのだろう。


棚田が見える直売所はみなさん変わらずお元気だった。先週刈り取ったとおっしゃる稲が棚田の下のほうに干されていた。清掃の寄り合いから降りてこられた方々が新米の銘柄を尋ねておられた。


林に囲まれた広場の樺の木も元気だった。来たときには山のほうにだけ陽が当たっていた。降りる頃には空はうすむらさきになって、樺の木やそのまわりの木々やその奥の深い林といっしょになって、暮れ色を見せてくれていた。


帰り道には火星が見えていた。バスを待つ間、夏の大三角やそのあたりの星々を眺めた。イリジウム衛星だと思う明るい人工衛星が、ヴェガのそばをすっと通って消えていった。

2018年9月2日

道の記


林に囲まれた旧家の跡地は新しい建物の建築工事が始まっていた。泥の地面にアゲハチョウが降りてきて水を飲もうとしている様子だったが、飲めないのか、ひとところに留まらずにあちこちを渡っていた。


国際団体さんの寄付のお願いに応えられずにその場を通り過ぎて、花がたくさん植えてあるポケットパークで信号を待った。後ろを向いて見上げたら、さるすべりの花が深い青空にあざやかだった。人通りが途切れて団体の方が1人、ひと休みされる様子でこちらへやってきた。