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2019年11月5日

道の記


大くすのきの林だった場所は、くすのきの切り株はなくなって、フェンスの向こうに鉄筋が並んでいた。


柿の木や樫の木の残っていた切り株が撤去された場所は、以前から出ていたヤブガラシが地表を覆っていた。ひこばえらしきものは見えなかった。敷地を越えて出ていた柿の木の芽もなかった。


田んぼだった場所の横の花壇は、ルピナスに似たあざやかな花が穂を立てて咲いていた。ポーチュラカがその下を彩っていた。


桃が1つ花を咲かせていた。その下ではホトケノザがいっぱい咲いていた。


大くすのきの林だった場所の横を帰りにも通った。鉄筋群はそこに新しく生えてきた植物のようにも見えた。彼らもあと50年くらい経ったら、くすのきたちと同じようにここを取り払われるのだろう。人の営みも人の力によって壊されていく。
鉄筋たちがめざす天は曇っていた。ただ土が積まれただけの、以前のものとは違う小高い丘の、その上ではなくはるか離れたところで、満ち始めた月が雲の向こうから照っていた。


2019年8月31日

道の記


お地蔵さんは変わりなかった。いや、お社が新しくなっているような気がした。大きな木々が小さな森をなしている、その崖の真下。頭を下げて立ち去る。おとなりのお家の方が車の中からこちらを見ていたように思い、車にも小さく会釈して。


この道は帰りには通らないだろうと思いながら、切り立った崖の中を通る小さな国道を歩く。思いがけず、沿道の草はペラペラヨメナだった。ヨモギもとうを立てていた。


雨がひどくなる。列車の出る時刻までだいぶある。川土手のあずまやに入って腰掛けるとすぐ、猫がやってきた。猫が食べそうな食べ物はない。さかんに声を掛けてくるが食べ物はないと返事をするだけ。そのうち、なかばあきらめたように私のそばで座り込んで、それでもときどきにゃあと声を上げる。もう、何かねだっているのとは違うようだった。


雨の中、記念碑の場所にたどりつく。もう夜で足元もよく見えない。それでもそこに生えている草が気になってしゃがむ。ヒエガエリだと思う穂の草と、あまり見た覚えがないへら状の葉をした草。ここでも草はいつも歩く街と違うようだった。そこを離れて駅へ向かう繁華街の花壇で、同じへら状の葉の草を見た。花として育てられているようだった。


2019年7月29日

道の記


花壇の田んぼは舗装されて駐車場になっていた。花壇はそのまま残った。マリーゴールドやポーチュラカや種類を知らない花が可憐に咲いていた。コモチマンネングサは花は見えず、ただ緑にしていた。


山には横から陽があたっていた。彫りの深いあざやかな緑。あの稜線まで駆け上がることはいまの自分には無理だ。でも、いつかもういちど登りたいという気持ちもわずかに残っているようだった。


桃には実がなっていた。そこまで来ると山は遠くも近くもない、いつものそこにある景色だった。


2019年7月14日

道の記



住宅地の中の田んぼの脇に台付きの小さな花壇が作ってあり、いろいろな花が植え替わりながら咲いている。秋には実った稲の穂と花壇の花が競演していた。その田んぼが埋め立てられていた。花壇はポーチュラカやゼラニウムが咲いていた。花壇の下で、以前から田んぼの畦にいたコモチマンネングサが花を咲かせていた。


伐採木置き場のいちょうの切り株は、たくさん出ていた芽が刈り込まれたようで、数本のひこばえが伸びていた。切り株は草たちに取り囲まれていた。タチスズメノヒエが早くも穂を高く伸ばしていた。