道ゆく先々での、木々草々花々などさまざまの出会いとその後を、一筆箋に綴るつもりで。
From the Wayside: about my acquaintances of trees, flowers, weeds and others (written in Japanese)
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※ 現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)
2020年7月4日
道の記
川は水が多かった。ここのもう少し下でむかし堤防が決壊したということだった。河原は葦で覆われていた。いくらか倒れてもいた。
ヤマモモの実がたくさん落ちていた。見上げると、赤緑いろとりどりの実がなっている。黒っぽく熟した実をひとついただいた。すっぱかった。
春の小径は何かのイネ科の草がたくさん茂っているほか、ウラジロチチコグサやホソムギ、そしてイヌガラシが出ていた。春の草という感じの草はちょっと見えない。そう思いながら歩いていて、草の陰にムラサキサギゴケの花を少し見つけた。
ここの梅の木や桃の木の花を今年は見なかった。そう思って、通り過ぎて振り返った。いますれちがった親子連れがこちらのほうを見ている。私の向こうの、高架を行く列車を見ていたのだった。
小さな山の上で平野を眺めた。むかし堤防が切れて大きな被害が出たその一帯の景色。数日前にも大雨が降って、見えている景色のどこかでも冠水したと聞いていた。桜の向こうの川は河原が荒れているようにも見えたが、そのまわりは水を湛えた水田が広がっている。水があふれたのか水を張ったのかわからなかった。おだやかな景色だった。
降りてからあらためて、登り口の大きな木に気づいた。けやきだろうと思うが、葉が高く、よくはわからない。返り見て見上げた。そこでずっと待っているようだった。
2019年11月20日
道の記
田んぼの景色が自分のいつも歩いている範囲の景色と違う。田んぼと家々との境がゆるやかな感じがする。刈り穫られた稲は今年のものではないようだった。ホトケノザが一面に生えていた。
街路樹に1本1本オーナーの方の名前の札が付けられている。その街路樹の1本が切り株になっていた。切られてしばらく経つように見えた。支え木がそのまま残されていた。
先日初めて来た小さな駅。きょうは日暮れになった。駅前のくすのきが道路の明かりを後ろに、シルエットになっていた。
2019年10月17日
道の記
サクラタデという名前は知っていたが、こんなに桜だとは思っていなかった。
山が見えるほうの大くすのきの林だった場所は、片側は事業所の建物の工事が終わりに近づいていた。ボタンクサギが出ていた場所は塀が建っていた。塀にスリットがあり、そのスリットの所は地面があるようだった。砂利が見えていた。
山の呼び声は聞こえなかった。
交差点の角では鶏頭が1株、赤く咲いていた。彼岸花は花を終えた茎がしんと立っていた。
お家の前の道端のカンナは葉が出ていた。カンナを育てているのかどうかはわからなくなってしまったが、葉はあおあおとして元気そうだった。
田んぼを望む道端のコスモスはなくなっていた。田んぼは半分ほどがコスモスの葉でいっぱいになっていた。残る半分では刈られた稲が次の穂を実らせていた。
2019年9月30日
道の記
街道のようなむかしながらの町並みのすぐ外側は田んぼが広がっているようで、建物の隙間隙間からちらちら明るい緑が見えた。その向こうは低い山が幾重か連なる。知らない山だけれど、なにかの懐かしさを覚えた。
うちと同じように庭先にたくさんの草が生えているお家の前を通った。ああ、やっぱりこういうほうがいい、と思った。きっと、見たことがないような草も何か生えていることだろう。
そう思って歩いているうちに、駐車場の端で見たことがない草を見た。
赤いカンナと黄色のカンナが小川の縁を彩っていた。カラムシも緑をたくさん添えていた。
道の記
排水溝のクスノキは排水溝の網から外へ伸び出ていた。元気そうだった。すぐ下にイヌビワらしき葉も見えた。
道の向こう側のほうが緑豊かに見える。ここでは道路は横断できない。さっきの信号を渡っておけばよかった。でも、こちらの道にも、数は少ないけれどいろいろと草が生えている。こちらはこちらで見て歩こう。チチコグサがのんびりと生えていた。
少し歩いているうちにキツネノマゴが咲いていた。この道中、キツネノマゴを見たのはあとから思えばここだけだった。
列車で少し遠出するときにいつも眺める、開けた風景。いつかそこに立ってみたいという気持ちもあったけれど、実際にそこを歩く日が来るとは思っていなかった。田んぼと畑の中に小川が流れ、その脇に小径が通っていた。彼岸花がどこまでも並んでいた。白いサギがこちらを見て、ゆっくり去っていった。もっと遠い所にいるサギたちはそのままでいた。
以前、この町の病院に入院した親戚の方をお見舞いに、この道を通った。少し先にポケットパークがあるはずだった。ポケットパークはそのままだった。その方にはピアノを弾いたテープをお送りする約束をしていたが、お送りしたのはその方が亡くなる直前だった。そのことを苦く思い出しながら、病院の建物のほうを見た。このさきは行ったことのない道を行く。
2019年9月9日
道の記
山の向こうに入道雲。夏が山の向こうに去って行くよう。
道端のかんなは無くなっていた。かんなだけでなく、まわりの草が枯れたようにしていた。この前はかんなが咲いていた。このかんなはやっぱり育てられていたのだと思って安心したばかりだった。
田んぼは刈り取りが済んでいた。鳩や雀が集まっていた。道端のコスモスはさすがに花はなく、いまは他の草たちと並んで秋の深まりを待っているようだった。
ひこばえが伐られた桜の木は、もう枝からは芽は出てこないようすに見えた。わずかに残った数枚のひこばえの葉がこの木のいのちをつないでいるようだった。
2019年7月30日
道の記
ホリホックは花が終わっていた。ありがとう、と言いながら花を咲かせていた茎にさわった。そうしていたら、低い茎にひとつ花が咲いていた。電柱のアース線というのか、その陰になっていて気づくのが遅れた。花は陰に向かって咲いていた。
山はやっぱり呼んでいるようだった。あの懐かしく見える山はしかしまだ3回しか登ったことがないと、思い出を数えて思った。思い出はぜんぶこどものころの遠い思い出だったが、きょうもあのころの自分のような誰かがその山に登っているという気がした。
道の脇のカンナは咲いていた。もうこのお家はカンナを咲かせるつもりがないのかと心配していた。カンナの花を見られて、ここまで歩いた甲斐があったと感じた。
ときどき花畑になる田んぼは今年は田んぼになっている。その田んぼの手前の歩道脇に、低い丈のコスモスが2輪咲いていた。田んぼの稲はまだこれからだった。
2019年7月14日
道の記
住宅地の中の田んぼの脇に台付きの小さな花壇が作ってあり、いろいろな花が植え替わりながら咲いている。秋には実った稲の穂と花壇の花が競演していた。その田んぼが埋め立てられていた。花壇はポーチュラカやゼラニウムが咲いていた。花壇の下で、以前から田んぼの畦にいたコモチマンネングサが花を咲かせていた。
伐採木置き場のいちょうの切り株は、たくさん出ていた芽が刈り込まれたようで、数本のひこばえが伸びていた。切り株は草たちに取り囲まれていた。タチスズメノヒエが早くも穂を高く伸ばしていた。
2019年7月10日
道の記
はじめて通った去年の秋にキバナコスモスが咲いていた土の駐車場の土手で、ネジバナが数株咲いていた。ああ、ここはそういう花々の場所だったのだなと思った。ネジバナはいまだけの花穂をういういしく上へ伸ばしていた。
ふだん歩く街ではあまり見ないコスズメガヤが道沿いにぱらぱらと立っていた。隣を大きな車がときどき通って行く。道のりはまだ長かった。
畑だと思っていたけれど田んぼになっていた。空はいろいろな雲が並んでいた。春に見た道端の菜の花はもうどこから生えていたかわからなかった。
2018年11月24日
道の記
ジョロウグモを路上から街路樹の根元に移した。土が入れ替えられたばかりで草が生えていない。少し歩いたら草が生えている所もあった。そこのほうがよかったのか、わからない。
いまは空いている田んぼの向こうに、満月が出ていた。満月はまっすぐこちらを向いていた。
道の端の黄色のコスモスをつい先日写真に撮った、その場所に差し掛かる橋の上で、満月に向かって国際宇宙ステーションの点光が飛んでいくのを見た。コスモスがこの光景を見せてくれたような気がして、ありがとうと伝えた。
2018年10月13日
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