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現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)
ラベル エノキ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
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2020年8月27日

道の記


中心街の交差点。横断歩道を渡りきったところのポールの下に、エノキの幼木が居着いていた。アレチノギクやオッタチカタバミらしき草たちが脇を固めていた。


このまえイノシシが走り回ったという城跡。ここもイノシシが通っただろうか。カラスたちが金網の向こうで逃げもしないでたたずんでいた。


林の中でキツネノマゴの花が咲いていた。花を今季初めて見る。トウバナのように見える葉も出ていた。ここにこうした草たちがいたのか、と思いながら、近くでキツネノマゴがいる場所をいくつか思い起こした。


目の前の橋の上でどなたかカラスに餌をやっているらしく、カラスが集まっていた。私が橋に差し掛かるとその方がさっと自転車で去っていった。残されたカラスたちがその方をぼうぜんとした様子で見送っていた。

2020年7月27日

道の記


街中の公園でおとなさんとこどもさんと集まってけん玉を楽しんでいた。公園の端でアレチノギクが大きく育っていた。


スズメノコビエだと思う草が生えていた一帯は芝生に変わった。残された木のふもとに以前からの草が出てくるかもしれない。


街路樹ケヤキのふもとのエノキは元気だった。高い草に囲まれていた。


公園の撤去工事の最中だった。以前はオフィス街の森のような場所だった。端に大きないちょうの木が残されていた。公園の札が隣り合っていた。


くすのきのポケットパークは以前はくすのきのこどもたちがたくさん出ていたが、すっかり花壇になっていた。保育園の札が小さく立っていた。パンジーやナデシコや、紫蘇やなすのような葉も見えた。


2020年7月17日

道の記


路地のような細い道を横断し始めた蝉の幼虫に出会った。行く手にはマンションしかない。後ろに別のマンションの植え込みがある。ケヤキのような若い木が立っている。そのあたりからやってきたのだろう。細い道だけれどさっきは車が通った。心配になって見ていた。何人かの方が通って行った。蝉は無事に道を渡り終えた。そこから先はマンションの壁だが、もう手出しはしない。先を行くことにした。


飴屋さんは閉まっていた。営業なさっているのかどうかもちょっとわからなかった。


こんどは、仰向けになっているクマゼミと出会った。近くのくすのきへ連れて行った。幹を弱々しく掴んで、ゆっくりと登っていった。


公園の人の少なさ。


林の中でまた蝉に出会うかもと思っていたが、出会わなかった。


ツクシオオガヤツリはすでに穂が茶色になっていた。


旧学校のエノキは、建物の工事がそのエノキが寄り掛かっている所だけ未着工な様子だった。また来るからと言った。


2020年5月30日

道の記


裏通り。古くからのお家の前にタツナミソウが生えていた。お家の周囲にいろいろな草が生えている。残してあるような気がなんとなくした。いちばん端にハゼランが大きく育っていた。花はまだのようだった。


ひさしぶりに川の道を通る。カワヂシャがいる道。見回して、かろうじて数株出ているのを見つけた。もう花はなく、小さなからだに実をたくさんつけていた。


しだれざくらも陽光桜もちょっと調子がよくないようだった。どちらもひこばえを多く出していた。ひこばえを育ててくれたらと思う。


広い施設の跡地。側溝でエノキがふたたび育っていた。工事は夏から始まる予定だと書いてある。敷地の中ではたくさんのチガヤの穂が夕暮れの風に揺れていた。


2020年3月8日

道の記


さっきカモジグサの穂を見かけたけれど今度はイヌムギの穂。寄って確かめた。後ろの、小さな自転車にまたがって止まっているこどもさんから見られている感じがした。


小さなエノキの切り株にいつもと違う様子が見えたので、立ち止まってしゃがんで見た。薬の注入穴に苔が生えてきたのか、緑色になっていた。切り株の脇にきのこが出ていた。その反対側の脇でフラサバソウが芽生えていた。


ロウバイの花が残っていた。花に自分の鼻を寄せて香りを嗅いだ。今季ロウバイの香りを嗅ぐのはこれが最後になるかもしれない。はっきりした香りだった。ロウバイの花は強い逆光に透き通っていた。春だと思った。


2020年2月26日

道の記


外に出て、景色が強く見えることに驚いた。快晴。この光は冬の光だろうか、春が来たあかしだろうか。


2つ信号のオニタビラコは花が開きかかっていた。4株が計8つの花茎を立てていた。


エノキの切り株の脇にキュウリグサが出ているが、そのもうひとつ脇にムラサキカタバミの葉が出ていた。


空き地のヒロハホウキギクは花がだいぶ少なくなってきたけれど咲いている。この季節を、ふたたび来た秋として生きているのかもしれない。


2020年2月18日

道の記


建物の脇の、切られてその切り株に薬の注入痕があった小さなエノキはそれから芽を出さない。そのエノキの切り株のそばに、キュウリグサが出てきた。とても狭い地面に切り株と並んで、切り株に緑のいのちを添えるようにしている。


スーパーマーケット跡地の空き地に細い葉で少し丈がある草がたくさん出ていることに気づいた。あおあおしている。見ていて、昨年秋に切られたヒロハホウキギクだろうと思い至った。花を付けるほどには伸びなかったけれど、いまこうして復活して時を待っているのだろう。ずっと見てきているヒロハホウキギクは咲いている株もあったが、ひとつ、小さな株が枯れていた。この前は生きていたのだった。


そしてアキノノゲシのつぼみはさらに固く閉じているようだった※。


※ このアキノノゲシの「つぼみ」は花が咲き終わった後の状態だった。次の記事に注を書いている。
https://michinohata.blogspot.com/2020/03/blog-post_43.html


2019年12月31日

道の記


市街地のイヌノフグリは今年も芽を出していた。街を行き交う人の波から少し離れて、イヌノフグリは春がそっと来るのを待っているようだった。


サーカスのテントが建った。ほぼ裏口に当たるここからは動物の気配がする。フェンスの隙間を家族連れのこどもさんがのぞき込んでいた。何か見える、と声があがった。


小学校跡地のエノキはさらに枝を落とされていたように見えたが、もう暗く、そして工事の方がそこで着替えておられたのでよくは見えなかった。エノキの姿を目に映してその場を離れた。


2019年12月4日

道の記


いちょう並木が市道の歩道と公開の私有地緑道に挟まれている。市道のほうは落ち葉がそこここに集められていた。公開緑道のほうは路面に葉が散らばったままだった。おかあさんとこどもさんが公開緑道を向こうからやってきた。こどもさんは落ち葉が積もっているところを選ぶようにして歩いてきた。


小学校跡地のエノキはボーリングか何かのような大きな重機を背後にしていた。枝はだいぶ落とされたが、すぐに撤去されるという様子には見えなかった。暗がりの中でしずかに立っていた。


街の大通りに面して、クリスマスマーケット風の小さな出店が出ていて、その前で、特にイベントのようでもなかったのだが、サックスを吹いている方がおられた。信号待ちの人たちが後ろを振り返って見ていた。演奏が終わると、出店の前の立ち飲みのテーブルに1人ついていた御年配の方が、大きな拍手をなさった。サックスは続いて聖者の行進を奏で始めた。信号が変わった。


2019年11月20日

道の記


草が刈られた空き地ではアキノノゲシが復活していた。アキノノゲシとしてはとても低い丈で、花を咲かせ、つぼみをたくさん付けていた※。

※ このアキノノゲシの「つぼみ」は花が咲き終わった後の状態だったかもしれない(つぼみだったかもしれない)。次の記事に注を書いている。
https://michinohata.blogspot.com/2020/03/blog-post_43.html


交差点角に以前ヒメツルソバが出ていたのが、舗装工事でその位置が埋められてしまった。しばらくぶりに通ったが、ヒメツルソバは出ていない。しかしすぐそばの植木鉢の中に、1株小さく生えていた。


オナモミらしい。とてもひさしぶりに見た。背丈が小さい。たびたび刈られるのだろう。実はしっかりと付けていた。


工場近くのくすのき切り株は、ひこばえが最近切られたように見えた。そこから新しい芽が出始めていた。


このエノキだったか覚えていない。でもこのあたりの位置だったような記憶がある。水路脇の小さな切り株から横方向に枝を短く伸ばしていた。解体された施設の敷地は手つかずのまま広がっていた。


2019年10月28日

道の記


遠目に見た学校の榎の木は、枝が落とされていた。校庭の工事はさらに進められているようで、土が掘り返されている地点もあった。


ヒイラギモクセイが香る。見ている中でいちばん花が遅かった木もだいぶ咲き始めてきた。その場所を後にして少し歩くと、また香りが。風でここまで流れてくるのか、それにしても…と思い、ひょっとして近くに別の木が?と思って見回すと、見回すまでもなく隣の木がヒイラギモクセイだった。


カゼクサの場所は草刈りがあったようだ。草の丈がずいぶん低くなった。斜めになっているカゼクサの穂を見つけた。少し歩くと、そのあたりまでは手が回らなかったのか、カゼクサの穂が立ち並んでいた。


十月桜の季節にこの十月桜の場所に来ると、ここの桜を教えてくださった方のことを思い出す。桜は香りなく白く咲いていた。大きく広がる夕暮れの空に桜の色を探した。


帰りに学校の榎を近くで見られる場所へ立ち寄った。すっかり暮れて、榎は影になって立っていた。校舎に寄り掛かるように伸びた榎を支えている大きな支柱。守られながら、守られながらも、榎はいまこのときを高くそびえて生きていた。


2019年8月14日

道の記


ビルの谷間のヨウシュヤマゴボウはビルの谷間に小さな山を作っていた。実が半分ほど熟しているようだった。


校舎の解体工事が始まるように聞いていた。全体の三分の二ほどに網が掛けられていた。校舎の横に大きな榎の木が立っている。大切にされてきた木だが校舎解体に伴って撤去されるという話を聞いている。校庭のフェニックスなどの木々は早くに無くされた。榎はきょうも変わらずに立っていた。


2019年7月26日

道の記


以前マンションの植え込みにたくさんのすみれを見つけたその通りは、歩いていると道端のあちこちにすみれが出ていて、すみれ通りだったのだとだんだんわかってきた。きょうもすみれをたくさん見た。花は咲いていない。それからヨツバハコベも少し出ていた。


以前ポプラが並んでいた再整備公園の外れに残っているエノキとセンダンの小さな木の下で、芙蓉が花を咲かせていた。


疲れていたが、少し遠回りをして、マンション前の電柱のところを通った。あさがおがいるはずだった。以前あさがおを見た電柱のふもとには出ていなかった。そのすぐそばの、ガードレール支柱の脇から、つるが伸び出ていた。つるは短くて花はしぼんでいたが、元気そうだった。



小さな交差点の角に、手向け花を見つけたのは何年前だったか。名前がひらがなで書かれた小さな石と、小さな花瓶が置かれていて、そこに花があげてあった。通るたびに新しい花があげてあるのを見ていた。この1年ほど、花を見なくなった。何かの周年が過ぎたのだろう。きょうも花瓶は空いていた。交差点を渡ると、そこの電柱のふもとで、すみれが花を終えていた。


2019年6月23日

道の記


大くすのきの林だった場所は、土がもとの丘の高さよりもさらに高く盛り上げられていた。その土の向こうに、木の太い根が宙へ向かって伸びているのが見えた。くすのきの切り株が横になっているのだろう。ショベルカーが作業を続けていた。くすのきの香りはわからなかった。


1本だけ出ていたひこばえが刈られた桜の切り株は、新しい葉を1か所からたくさん出していた。枝を高く伸ばすより横に広げる様子だった。


ポプラの木が並んでいた公園にひさしぶりに立ち寄った。再整備されて、以前の姿はトウカエデ1本だけがとどめている。ポプラがいたあたりでまわりを眺めた。おたふくがたくさん植えられている。ポプラの姿はまったくなかった。公園はこどもたちや家族連れの方々でにぎわっていた。ボールが飛んできたので、投げて渡した。

公園を出た所に以前から小さなエノキとセンダンがいる。彼らは元気でいる様子だった。挨拶をして立ち去った。


ビル街のただなかの小さな野草ガーデン。ホタルブクロの白い花が細々と咲いていた。きょうはこれ以上歩けなさそうだった。ホタルブクロのつぼみにそっと触って、街を離れた。


2019年6月17日

道の記


建物の基礎工事らしきものが進められていた大くすのきの林は、思いのほか大きな構造物が建てられつつあった。脇の歩道の植え込みは剪定されていた。先日見た、くすのきやえのきの幼木も切られていた。ひざ丈くらいになったえのきのそばに、同じ丈のマメグンバイナズナが寄り添っていた。


通りかかった公園に桜の木が並んでいた。1本、葉をつけていない木がいた。冬芽のまま止まっている。幹の表面に白い斑が出ていた。頭を下げて立ち去ろうとすると、幹の反対側のふもとから、たくさんのひこばえが伸びていた。私は元気だ、と、訴えかけてくるように感じた。


山は呼んでいるようだった。苦しかったらこちらへおいで、と、こちら側にいるすべてのいのちに優しく呼びかけているような気がした。登ろうとすれば険しいはずなのに、そこで生きていけるのもすべてのいのちがそうではないはずなのに、そう聞こえたのはどうしてだったろう。


2019年6月3日

道の記


大くすのきの林だった場所は、重機でさかんに丘が切り崩されていた。大くすのきの切り株は見えなくなっていた。ただ、くすのきの香りだけがしていた。

ふと足元を見たら、排水溝の網からくすのきの幼木が葉を出していた。若葉を広げつつあった。大くすのきの林のどれかのくすのきの、こどもにちがいないと直観した。そっと手を触れた。


***

もう1か所の大くすのきの林は、宅地の基礎を造っていた。敷地の中のほうはもう緑色はなく、敷地の端にいたボタンクサギなどの植物も見当たらなかった。しかし歩道の植え込みに、くすのきや、えのきの幼木が育っていた。かれらも、林の木々のこどもにちがいなかった。

すべてを見てきたはずの山々が、遠く、ただただ青かった。


2018年9月22日

道の記


再整備計画が報道された公園を訪ねた。計画の一帯は木々が多く、その計画では木々が取り払われて広場風になり建物も新設される。たしかに木陰が少し深い印象が以前からあったのだが、訪ねたときには日が明るく、木陰は適度のように見えた。絵を描く人がたくさんいた。

木はエノキやクスノキやクロガネモチなどで、かなり高い木も多く、都市部の林としての貫禄のようなものも感じた。絵を描いている人が木陰で談笑していた。これはこれでこの街の景色だ。


2018年8月10日

道の記


昔、春の浅い頃、木を見上げながら、欅の細枝が好きというつぶやきを聞いた。十何年ぶりにその木に近寄って見上げた。榎の木だった。解き放たれた気がした。


道の先に、シャボン玉を吹きながら歩いている人が見えた。シャボン玉がここまで流れてくる。同じ方向へ歩いていてその人はときどき立ち止まってシャボン玉を吹くのだけれども私は追いつけず、だんだんとその人が遠くなり、シャボン玉もここまで届かなくなった。その人は突き当たりを右へ曲がっていった。私はいちど立ち止まって左へ曲がった。


大きなショッピングモールが立ち並ぶ郊外型道路の真似をしようとしている昔からの道路。信号待ちをしていたら、横のほうのアキノエノコログサの茂みにすずめが一羽とりついて穂を引き下ろしていた。その様子を見ながら歩き出そうとしたら、足元にエノコログサが小さく生えていた。車が止まって待っていた。


この景色は私が死んだ後も残っていそうだと思いながら、都市高速の大きな高架の下を歩いた。川を見下ろして比較的大きなセンダンの木が生えている。そのセンダンの木までヨモギやエノコログサが立ち並んでいて、その手前に若いセンダンの木が小振りに茂っていた。夕日は見えなくなっていた。

2018年5月26日

道の記


マンションの正面脇にイヌビワの幼木が出ていた。もう少し先の、新しく出来た花壇の脇にもイヌビワがいる。ここはイヌビワ通りだったのだと気付いた。幼木は丈は低いながらも立派な葉を広げていた。


しばらく前に街路樹のクロガネモチが伐られた。そのときは建設工事で車両の出入りの邪魔になるからだったようなのだが、いまそのときの場所の隣で伐採工事が行われていて、それは理由がわからない。クロガネモチが大人の胸の丈ほどで伐られていて、私が通ったときは地中の根を伐っているところだった。

そこに差し掛かる前に見たクロガネモチは、ふもとにエノキの幼木やナガミヒナゲシを従えて、樹冠をやや道路に傾けながらもすこやかに立っていた。


亀が歩いていた。人に踏まれそうに思えたので気を付けるように言うと、私を嫌そうにして、すたすた歩いて近くの茂みにたどりついた。近くの水際でもう一頭の亀が関係なさげに陽を浴びていた。

2017年5月22日

道の記


だいぶ前に、施設が移転したあと敷地内の解体工事が始まり、外周部の木々が伐られてエノキが1本残されていたことを書いたように覚えている。その敷地が整地されていた。新しく入れられた砂が地面を覆っていた。エノキもまったく見えなかった。


エノキから声を掛けられたような気がした。立ち止まって少しのあいだ言葉を交わした。白い砂の地面のどこか向こう側にエノキがいまも立っているかのように思った。景色を目にとどめて立ち去ろうとして、自分のすぐそば、歩道の隅からエノキの幼木が出ているのに気がついた。あおあおとしていた。


街路樹イチョウの切り株の空洞から今年も芽が出ていたのだったが、新しい木に取り替えられていた。木に添えられた工事関係の表示だと思う小さな札に、第1号と印字してあった。


電柱のふもとから一昨年昨年と朝顔が出ていた場所、まだ出ていないように見えたけれども、しゃがんでよく見たら小さな葉が開いていた。今年はどのくらい育つだろう。