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現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)
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2020年3月2日

道の記


水路が埋められた歩道はスズメノカタビラがたくさん出ていた。キュウリグサのロゼットも。水路だった位置ではノゲシなどの草がまばらに出ていた。


その少し先で、ヒメムカシヨモギが傾げていた。茎や葉は緑で、他の場所で見る秋の草たちと同じく、冬を越したのだろう。花も綿毛もたくさんつけている。この春の景色がどう見えているだろう。


あそこの木蓮はどうだろう、いやさすがにまだ咲いていないだろうな、と思いながらそちらへと歩きかけて、昨年その木蓮が切られていたことを思い出した。そばのベンチに人が見えたので少し待って、あとから木蓮の様子を見に行った。木蓮の小さな切り株はスズメノカタビラに囲まれていた。動きはまだ見えなかった。


お家の塀を越えて唐実桜の枝が迫り出している。せっかくだからとここでもマスクを外して香りを嗅いだ。甘い香り。私がいくつかの場所で毎年見てきた唐実桜はみななくなってしまった。ここの唐実桜は遠い親戚だろうかと、よるべなく思った。満開の花が春の開始を告げていた。


2019年5月11日

道の記


夕空では雲が段々畑になっていた。


歩道を歩いていて、どこかからカネタタキの鳴き声がした。もう鳴き始めたのか、と思った。高いところから、チッ、チッと声がする。街路樹の背の高いモミジバフウか、隣のアパートのどこかだろう。アパートをじろじろ見回すわけにはいかないので、モミジバフウを少し仰いで、先へと歩いた。


唐実桜や柿の木がいた線路際の一帯は新しい土砂が入れられ、以前の様子はほとんどなくなった。敷地の端にぱらぱらと、花を終えたナガミヒナゲシが頭を並べていた。


2017年12月24日

道の記



唐実桜の場所は鋼板が敷いてあるなどかなり手が入っていた。その隅から桜と思われる根が何本か地上に出ていた。水仙の葉が泥にまみれながら伸びていた。


排水溝のくすのきは元気にしていた。最初に見たときのように網から伸び出てしっかり茂っていた。


神社の伐られたくすのきは、この前あらたに伐られた(か、薬を注入する穴が新規に開けられていたので、この前見た木の粉はそのときに出たのかもしれない)ときにはだいじょうぶだった脇の芽が、どうも枯れているように見えた。確かめたかったが、私が近くで見て調べていると周囲の家からその様子を見て、生きている芽も摘みにくるのではないかと思い、近づくのをやめた。


まもなく取り壊されるのではないかと思われる、ついこのあいだまでお店があった旧商店街のひさしの柱の下で、ツタバウンランが地面に小さな緑色を広げていた。


いつもクリスマスの前に街角のある木を見に行く。今年も、クリスマスツリーの明るく大きなイルミネーションを背景に、葉を落としてしずかにしていた。雨滴が小枝のところどころに残っていて、街灯の光で輝いていた。


その幹の、通る人からは見えない側に、うっすらと苔を宿していた。苔も照らされていた。

2017年10月28日

道の記


乗っていた電車から、沿線の唐実桜の伐り株が掘り起こされているのが見えた。回り道をして現場に行った。撤去作業の最中だった。重機を操作しているのが以前お世話になった方で、私に気付いたか気付かなかったかわからなかったが、険しい顔つきで作業を続けておられた。


通学路で通っていたころから林だった道沿いの土地に、しばらく前に大きく手が入った。そのあと、枝がほぼすべて落とされた高木の幹が何本か立ったまま残されていた。幹は伐られる様子がなく、やがて幹の上や横から芽吹き始めて、このごろはふたたび木らしい姿に戻りつつあった。その木々がなくなっていた。土地は広く明るくなっていた。


工事が進む踏切のそばで、セイタカアワダチソウがこまやかに咲いていた。その向こうの遠くに、山並みが見えていた。帰りはいつもあの山並みに向かって帰ってきたのだった。山は、そろそろこっちへ戻ってこいと言っているような気がした。

2017年5月16日

道の記


唐実桜はがんばっていた。切り株がたくさんのひこばえに埋もれていた。

近くの柿の木は伐られていない。花が咲いていた。となりの梅の木では、葉の上でたくさんのてんとう虫がさなぎになっていた。


去年ナガミヒナゲシがやや多く出ていた土手は工事ですっかり切り崩され、鋼板が打ち込まれている。もとの土がわずかに残っていて、小さな株が1株だけいて、花を終えた茎を1つ立てていた。


こどもたちもおとなたちも、一面に広がるクローバーのまっただなかで、四つ葉を探し、花の輪を編んでいた。その隅のほうでカンサイタンポポが、この春の最後になるだろう花を1株ひとつふたつ咲かせていた。

2017年4月23日

道の記


毎年(毎シーズン)イヌノフグリの記録を取っている場所が数か所あり、そのうちの1か所に今シーズンまだ行けてなかったので、行ってきた。例年数10株は出てくるのだけれど、どうも最近草刈りが入った様子で、7株だけ見つけられた。

残っていた茎に実が鈴生りになっていて、たぶん今シーズンの種子はこれまでにしっかり作れていることと思う。2月や3月に草刈りが入るよりはよかったとも思う。それでも、いまの時期は枯れる前に最後のがんばりをしている時期で、刈られなければもう少し子孫を残せただろう。


唐実桜の場所も行ってみた。やはり近くには寄れず、年輪が部分的にしか読めなかったが、30年前後ではないかと思う。以前近くに別の唐実桜が生えていたが、その木はだいぶ若かった。ひょっとしてその木の親なのではなかろうかと思う。

2017年4月22日

道の記


ごみ袋に草を詰め込んで表に置いてあるお家の正面道際に、トウバナがひとやま並んでいた。これから取られるのか、それとも残されているのか、そろそろと花の穂が出始めていた。

トウバナはどこにでも生えている、と書いてあったのを何で読んだかよく覚えていない。街中を歩いていてトウバナがいたら、私はちょっと幸せがある。この前は今年初めて花を見つけて喜んだ。いるところにはいるのだけれど、どこにでもはいない。このまちではトウバナはそういう草である。

チチコグサやスズメノヤリも場所によってはたくさんいるけれど、概して言うとトウバナと同じくらいの頻度でしか見かけない感じ。ヒメウズはそれよりも見かけることが少ない。コナスビは見つけたらけっこう嬉しくなる。


線路際の唐実桜が伐られた。今年これまでに何度か訪ねて、花も見た。香りが高くて、あたりが春の兆しに満ちていた。そんな何事も起きていなかったかのように、線路際の一帯ががらんとなっていた。桜の場所を見ると、切り株がみずみずしくしていた。

抜根の工事が行われる日までは桜はそこにいる。ひょっとしたら、抜根された後も、そこにいるのかもしれない。

2017年3月15日

道の記


線路脇の実桜はもう九分ほど咲いていた。横の線路はこれから撤去されることになる。桜の場所のこれからもよくわからない。今年の花の香りをしっかりと受け取った。

2016年7月26日

道の記


柿と梅と桜といちじくが植えてあった線路端の小さな緑地が工事でなくなって1年が過ぎた。いまはこの先の工事を控えて砂利が敷いてあるが、そこからぽつんぽつんと柿が芽を出している。地中のちぎれ根から伸び出したのだろう。まわりの草とともに青々としている。

知っている方がこの緑地の木々を以前から見ておられて、そのときどきの花を教えてくださっていた。先日その方からも、あそこに柿の葉っぱが出ている、とお話をうかがった。がんばってるよ、と。

柿の木は伸び放題に大きかった。手入れをなさる方々も代が替わっていったのだろう。実はいつも収穫されずに道に落ちたり鳥のえさになったりしていた。それでも道を通る人たちのなかに、その木の1年1年を見守っていた方がきっと(ほかにも)いらっしゃっただろうと思う。梅も桜もいちじくも。

金網の向こうで伸びゆく柿の芽も、道からご覧になっているどなたかがいらっしゃることだろう。