※ ページの下のほうにこのブログの説明・過去記事カレンダー・タグクラウドなどがあります

現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)
ラベル アブラゼミ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル アブラゼミ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2020年9月5日

道の記


お店の横に何年も出ているヨウシュヤマゴボウがすっかり枯れていた。根がどうなっているかはわからない。そのかたわらから、オニタビラコが花の茎を1本立てていた。


大くすのきの林だった場所のマンションは内覧が始まったようすだった。


つまぐろひょうもんも、あぶらぜみも、姿がなくなっていた。この前のときには気づかなかったけれどメリケンカルカヤが穂を立ち上げていた。

2020年8月19日

道の記


数日前にはこのすぐ近くで蝉を拾ったその場所を、きょうはバスの車内から見る。1枚の葉っぱが歩道を風に吹かれていった。何か鳥のような影がやはり歩道を過ぎていった。この短い停車のあいだにここではそんなことが起きている。蝉がいたのもそんなできごとの1つだったのだ。


ランタナの交差点の花はハナカタバミだった。それからランタナも咲いていた。


田んぼだった駐車場の端の花壇はパンジーの仲間のような花が1種類いっぱい咲いていた。


見晴らしの丘から見る景色はいま思うと晩夏の景色だった。すぐ手前の道路脇からシナダレスズメガヤが1株、穂を掲げていた。丘の景色のなかにはシナダレスズメガヤは見えない。シナダレスズメガヤはどこから来たのだろう。どこから来たのであれ、他の仲間からどれだけ離れているのであれ、いまここで1株のいのちを生きている。そう思いながらその場を離れようとして振り返ると、そこより車道側にもう1株、大きなシナダレスズメガヤが立っていた。


ムクゲに添えた蝉は見当たらなかった。


あぶらぜみはそのままいたが、つまぐろひょうもんは何かに食べられたように翅が欠けていた。頭を下げて立ち去った。


山が見える道を通ることにして帰った。空だけは秋を告げ始めた。

2020年8月16日

道の記


畑の端にオオイヌノフグリらしき葉が茂っていた。さすがに花はないようだったが、いまの時期からこれだけ茂っているのなら、秋の早いうちには咲き始めそうだ。先日は他の所でホトケノザを見かけたのだった。


今度はくまぜみを指につかまらせた。やはり近くに木がなく、しばらく歩いてようやくムクゲの木にたどりついた。ムクゲが好きかどうかはまったくわからないまま、木の幹にくまぜみをとりつかせた。


ツマグロヒョウモンがそのまま横たわっていた。近くにあぶらぜみが横たえられていた。


山が青かった。夏の終わりがけのような空だった。

道の記


ヒメジョオンの交差点角はヒメジョオンがまったく見当たらなかった。オヒシバがいくつも穂をかかげていた。


路面のツマグロヒョウモンを草地に横たえた。


春にナズナやホトケノザが出ていた住宅裏手の小さな畑が、整地されていた。何かが建ちそうだった。


あぶらぜみが指を差し出したら生きていた。近くに木がなく、道を変えてポケットパークまで歩いた。



2020年8月15日

道の記


横断歩道を渡っていて、向こうからやってきた蝉に衝突した。蝉はすぐ後ろのポールに止まった。アブラゼミだった。引き返して、人にぶつからないようにと苦情を言った。しかしアブラゼミのほうも、私が近づいても逃げもしなかったところをみると、ぶつかってショックだったのかもしれない。


伐られた桜の木の切り株のとなりに、地鎮の札が立っていた。タチスズメノヒエが穂を開き始めていた。


売り地の桐の木はまた伐られていた。こんどは地面にゴムシートが敷かれていた。何か工事が始まるのだろう。ゴムシートは桐の木の切り株に接するように敷かれていて、切り株とシートのあいだから桐の芽らしき葉が見えていた。


2018年8月25日

道の記


蝉を拾い上げるのはその日3度目だった。最初は駅のホームの点字ブロックの上にいた。手に掴まらせたものの近くに緑がなく、駅を出て木々を探しているうちに自分から飛び立って行った。その次は歩道の上だった。蝉はもう乾いていた。すぐ近くに街路樹が立っていたがそのふもとは裸の地面だった。暑そうだったがそこに安置した。3度目は、歩道の排水溝の網に挟まっていた。自分から入れるような隙間ではなく、力で押し込まれたようでもあった。そこから取り上げて近くの草の茂みに移した。

そのようすを横で御婦人がご覧になっていたようで、声を掛けてこられた。その方は、私も虫を見つけたらそうしている、とおっしゃった。中にはわざわざ踏んでいったりする人もいるけれど、あなたが蝉を移してくれてうれしい、そうおっしゃってくださった。私からはあまり言葉が出てこず、失礼してしまった。


街路樹のクロガネモチがいた植え枡は、かわりにアキノエノコログサとオヒシバが小さな緑をつくっていた。一帯の工事は止まっているように見えた。


2018年7月19日

道の記


開発中の大くすのき林の場所は多くの重機が出て丘の掘削が進められていた。以前手前に見えていたくすのきの伐り株のあたりはすでに平らになっていた。丘の最上部だけが残っていてそこに伐り株や草がわずかに見えた。


歩道との境に、以前大きく茂っていたボタンクサギが小さくなって花を咲かせていた。離れたところにくすのきだと思う枝や根が少し集められていた。そこからなのかわからなかったがかすかに、くすのきの香りがした。呼ばれたのだと思った。


田んぼで稲が風にさやさや鳴っていた。それを聞いて先へ歩くと、隣のお家の前になぜか稲が1本、根から抜かれて横たわっていて、そのお家の車がその稲を踏んで出かけていった。抜かれた理由があったのかもしれないがと思いつつ、田んぼの畦に稲を安置した。


行きも帰りも行く手の信号が次々赤になるので、道のあちら側から何かが呼んでいるのか、と思い、道の反対側へ渡った。何か見られるのだろうかと思いながら歩道を歩き出してすぐ、路面にアゲハを見つけた。乾いて路面に張り付いていた。ていねいに剥がして植え込みの下へ移した。


(この日はほかにも歩道を横断中の芋虫や、乾いたミミズ、そして最後にはアブラゼミを場所移しした。アブラゼミは生きていて、近くの公園の桜に移した)


帰りにも大くすのき林の横を通った。ボタンクサギとアレチハナガサとヤナギハナガサの花々が同じ色合いの夕空に並んでいた。くすのきの香りはもうしなかった。

2017年7月31日

道の記


ポプラのひこばえの森のそばまで盛り土が来ていた。桜の新芽はいくらか地表に見えているほかは埋められているように見えた。


今日までに撤去するようにという札が掛けられている道ばたの柑橘の木は今日も変わらずに立っていた。ところどころの黄緑の新葉がみずみずしかった。あちこちに蝉の抜け殻が付いていた。私の頭上をぶんっとクマゼミが飛んで逃げて行こうとしたが、すぐに旋回してこの木に戻ってきた。

やっぱりこの木がいいのだな、と思った。


柳絮の木を確かめに行った。写真を探したら、いまカメラに入れているカードのいちばん最初にその木の柳絮の写真を撮っていたのだった。カメラで画像を見ながら探していくと、やはり今月撤去の札が掛けられている木だった。春のときにくらべてこころもち枝が短くなっているように見えた。

日の暮れかけで、アブラゼミの鳴き声が上から降っていた。しゃがんで幹に手を当てた。立ち上がると頭に何かさわった。幹から伸びた若い枝葉だった。しなやかというよりとてもやわらかかった。見上げると、アブラゼミの声はどこからするのかわからないぐらい高かった。

2016年8月6日

道の記


駅ホームの階段にアブラゼミが転がっていた。踏まれずにいたのが奇跡。指に掴まらせて駅を出た。さんざん指を口吻で刺されながら(樹液を吸おうとする)、最寄りの公園まで歩く。セミがとまりそうな木を探していたら、「この木(私)は駄目だ」と言わんばかりに自分からぱっと近くの木へ飛んでいった。