道ゆく先々での、木々草々花々などさまざまの出会いとその後を、一筆箋に綴るつもりで。
From the Wayside: about my acquaintances of trees, flowers, weeds and others (written in Japanese)
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※ 現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)
2020年8月18日
道の記
イヌビワ通りと名前をつけたことがある通りだけれど、だいぶ手前のここからもうイヌビワが生えているのは知らなかった。植え込みの中で大きく育っていた。
いつもの道だけれど夏の山を歩くような道のりだった。
アキノエノコログサが逆光に美しかった。
この場所はヨモギがたくさん出ていたのだった。刈られて積まれていた。すでに乾いているようだった。
西の空は青いとも白いともつかない光で輝いていた。そろそろ日が沈んだだろう。
2020年7月4日
道の記
以前はこのあたりにガザニアが…と思っていたが、たんぽぽのロゼットがたくさん。はっと気づいて道路の向こう側を見たら、向こう側の植え込みにガザニアがたくさん咲いているのが見えた。
もう何年も前に通った道に入る。空き地にはクズとセイタカアワダチソウと何かのギシギシが見える。手前のクズが茂るその下にわずかにヨモギが葉をのぞかせていた。
おとうさんの合図で、こどもさんたちが列車と競走していた。速い、と言ってこどもたちが負けていた。その傍らで、ヒナギキョウがやさしく咲いていた。
そのもうひとつ傍らで、ヌカススキかハナヌカススキかもうわからないヌカススキの仲間の草が、すっかり白くなってやはりやさしく立っていた。
2020年1月23日
道の記
春が来たからこの道を行くのではない。そう思っていても春を探している。
沿線の椿は咲いていた。つぼみをたくさん用意していた。となりではヨモギが茂り、そのなかでヤブランがいくらか実を残していた。工事はすぐ隣で続いているが、この場所がどうなるのかはまだわからなかった。
公園があった場所に立った。いま立っている場所は公園内にあたるはずだと高架橋の位置を見ながら思う。工事途上の道の横に積まれた土のうの下から、ミズヒキが出ていた。つぼみがあった。
以前ナガミヒナゲシが出ていたわずかばかりの土手では、コセンダングサが花を付けていた。
振り返ってもういちど、公園だったあたりを見た。むかしはここになかった踏切の音が響いていた。
2019年8月31日
道の記
お地蔵さんは変わりなかった。いや、お社が新しくなっているような気がした。大きな木々が小さな森をなしている、その崖の真下。頭を下げて立ち去る。おとなりのお家の方が車の中からこちらを見ていたように思い、車にも小さく会釈して。
この道は帰りには通らないだろうと思いながら、切り立った崖の中を通る小さな国道を歩く。思いがけず、沿道の草はペラペラヨメナだった。ヨモギもとうを立てていた。
雨がひどくなる。列車の出る時刻までだいぶある。川土手のあずまやに入って腰掛けるとすぐ、猫がやってきた。猫が食べそうな食べ物はない。さかんに声を掛けてくるが食べ物はないと返事をするだけ。そのうち、なかばあきらめたように私のそばで座り込んで、それでもときどきにゃあと声を上げる。もう、何かねだっているのとは違うようだった。
雨の中、記念碑の場所にたどりつく。もう夜で足元もよく見えない。それでもそこに生えている草が気になってしゃがむ。ヒエガエリだと思う穂の草と、あまり見た覚えがないへら状の葉をした草。ここでも草はいつも歩く街と違うようだった。そこを離れて駅へ向かう繁華街の花壇で、同じへら状の葉の草を見た。花として育てられているようだった。
2018年8月29日
道の記
むかしよく歩いていた道の、アレチハナガサが出ていたあたりからだいぶ手前の場所で、アレチハナガサの低い株を見つけた。歩道の車道寄りに、アレチハナガサとわからない感じでひっそりといた。あの場所にいたアレチハナガサと関係があるだろうかとちらっと考えたけれど、こちらはこちらで暮らしているのだろう。
この道を通ることもさらに少なくなりそうだ。むかし自分のクリスマスツリーだと思ってヨモギを見ていた駐車場は、変わらずヨモギが出ていた。どんどん姿を変えてきた街だけれど、私がここを通らなくなってもヨモギはきっと代替わりしながら暮らしていくだろう。そう思えた。
ラベル:
アレチハナガサ,
むかしよく歩いた道,
ヨモギ,
駐車場のアレチハナガサ
2018年8月10日
道の記
昔、春の浅い頃、木を見上げながら、欅の細枝が好きというつぶやきを聞いた。十何年ぶりにその木に近寄って見上げた。榎の木だった。解き放たれた気がした。
道の先に、シャボン玉を吹きながら歩いている人が見えた。シャボン玉がここまで流れてくる。同じ方向へ歩いていてその人はときどき立ち止まってシャボン玉を吹くのだけれども私は追いつけず、だんだんとその人が遠くなり、シャボン玉もここまで届かなくなった。その人は突き当たりを右へ曲がっていった。私はいちど立ち止まって左へ曲がった。
大きなショッピングモールが立ち並ぶ郊外型道路の真似をしようとしている昔からの道路。信号待ちをしていたら、横のほうのアキノエノコログサの茂みにすずめが一羽とりついて穂を引き下ろしていた。その様子を見ながら歩き出そうとしたら、足元にエノコログサが小さく生えていた。車が止まって待っていた。
この景色は私が死んだ後も残っていそうだと思いながら、都市高速の大きな高架の下を歩いた。川を見下ろして比較的大きなセンダンの木が生えている。そのセンダンの木までヨモギやエノコログサが立ち並んでいて、その手前に若いセンダンの木が小振りに茂っていた。夕日は見えなくなっていた。
2018年5月22日
道の記
飲食店跡地は更地になっていた。木のちぎれ根が地面から少し出ていた。アスファルト舗装が一部残っていた。その土地の以前を思わせるものはほかに何も見当たらなかった。歩道との境界にヨモギが小さく生えていた。
2016年12月25日
道の記
こういう日は風に吹かれるのがしあわせな気がして、川の土手を行った。秋の草刈りからなんとか膝丈まで伸びたセイタカアワダチソウがその高さで咲き揃っていた。さらに少し行くと、もっと小さい10数センチくらいのセイタカアワダチソウがちょこんと咲いていた。
今年の心のクリスマスツリーはそのセイタカアワダチソウ。
10年ぐらい前だったか、空き地にクリスマスツリーみたいな形にヨモギが茂っていた。その頃は、そのヨモギが心のクリスマスツリーだった。同じ空き地に1本のエノコログサが生えていて、そのエノコログサにもなぐさめられた。
ラベル:
エノコログサ,
クリスマスツリー,
セイタカアワダチソウ,
ヨモギ
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