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現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)
ラベル サザンカ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
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2020年1月16日

道の記


よく通る道に沿って高いビルが建っているのだが、その中腹というか中程のところに、さざんかの木が植えられているのに気づいた。ぱらぱらと咲いている。咲いていたので気づけたのだろう。


空き地のアキノノゲシは綿毛が散った跡があった。ヒロハホウキギクはさらにたくさんの花を咲かせていた。


イヌビワの植木鉢があったお店の跡地の奥の駐車場が、舗装が剥がされて更地になっていた。その隅に出ていたイヌビワの幼木は見当たらなかった。


中心街へ出向くのをあきらめて進路を変えた。古い町中の小径。道が暗い。小公園のところだけ少し明るくなっていた。自転車が1台停まっていたが、誰もいないようだった。どこかのお家からなのだろう、何かのおいしそうな香りがした。


2019年12月18日

道の記


クロガネモチが伐られていた歩道は植え枡が無くされて舗装されていた。歩道は広くなった。もとの歩道の幅だったところを通った。


秋に草が刈られた空き地はノゲシが咲いていた。ヒロハホウキギクも小さな丈で咲いていた。


クサギのトンネルだった場所はツワブキがたくさん咲いた。空に実を差し上げているクサギは葉を落としてなお実を差し上げていた。


ここに白いさざんかが咲く、と教えてくださったのはどなただったろうか。どなたであってもだいぶむかしのことになる。さざんかは暗がりを白で埋めるほどに咲いていた。


2019年11月27日

道の記


モミジバフウの色とりどりの落ち葉が歩道を埋めていた。西日に光ってきれいだ。私はしあわせに歩いたが、こちら側でも向こう側でも、ご近所の方々だろう、箒で無言で掃き集めておられた。

だからと言って、つらく思いながら掃いておられたともかぎらない。そこはこちらで勝手に考えすぎないことにした。


この前ここに来たときにヒイラギの花が咲いていた。香りが強く、その香りで上を見上げてわかったのだった。きょうもよく香っていた。そしてこの前は気づかなかったが、何本も並んでいる。全部見てみようと思って行きかけて、ふと、ここが公衆トイレの裏だと気づいて、それ以上進むのをやめた。公衆トイレにあわせて植栽したのでは、と思ったが、これも考えすぎないことにしよう。美しく香っていた。


ベンチに掛けようとやってきたが、ここに生えていた小さな木がなくなっているのに気づいた。切り株があった。見ると、これまでに何度も何度も伐られた跡がある。私がこれまで見ていたのもその何度も何度も伐られた後に伸びていた幹だったのだろう。細かった。木蓮の木だった。切り株に芽らしきものは見えなかった。次の春の花は無理かもしれない。でも春を待とう。


けやきの葉もたくさん散って路面に積もっていた。きょうはこどもたちはいない。道の先では、この前からいっぱい咲いているさざんかの花が、街灯の灯りだけで照らされていた。


2019年11月10日

道の記


以前スダジイの実を拾う方に出会った、そのスダジイの木の下でどんぐりを拾い集めた。マテバシイの実はけっこう落ちているが、スダジイは思ったほど落ちていない。今年も拾いに来られたのだろう。


サザンカの花の下で、幼稚園帰りらしいこどもたちが腹這いになって地面で何かをしていた。興味があったけれど、サザンカの花のほうを見て行き過ぎた。


伐採撤去された桜の代わりに新しい桜が植えられてこの冬で5年になる。新しい木は思いのほか大きくなっていた。そこにはもう新しい時間があった。


いちょうの並木が立っていた場所に寄った。いまは別の構造物がそびえている。あの秋はたくさんの葉が風に舞っていたのだった。いま思うと、自分の種子のように風に放ったのかもしれない。いま砂利が敷かれているこの場所の土は、あのいちょうたちを覚えているだろうと思った。


2019年2月13日

道の記


桜の向かいのお家は空き地になっていた。工事予定の告知が立てられていた。敷地の奥には草が見えたが、路地を入っていくのは控えた。お話をさせていただいていた方を思い起こしながら、空き地に頭を下げた。

***

構内の建物が少なくなっていた。木々が伐採されて切り株が残っていた。

むかし自分たちがいろいろな行事で動き回っていたその傍らに蔦が生えていた。そこへ回り込んでみた。蔦は変わらず植え込みを埋めていた。その植え込みの木はいま見たらクスノキだった。幹は蔦の葉に覆われていた。

建物の裏側では、サザンカが咲いていた。その隣はフェンスで、いまここを通る人がどのくらいいるのかわからない雰囲気だった。それでも工事関係者の方々の何人かはこの花を目に留めておられるだろう。

私が生きているか、木々草々が生きているか。どちらも生きてさえいればいつかまた会える日があるだろう。


2018年12月12日

道の記


通りかかったお家の正面のサザンカが見事だった。建物が道に直に面していて庭や生垣などはないけれど、その木を大事にしておられる様子が伝わってきた。そのお家の敷地の端にも大きな木がいた。行きのときは急いでいて何の木かわからなかったが帰りにクロガネモチだとわかった。


公園のくすのきも桜もこの前と変わりなく過ごしているようだった。きょうはたくさんのこどもたちや大人たちを見守っていた。

2018年3月12日

道の記


ホルトノキの植樹帯がなくなっていた。ところどころにほかの植物が植えられたり鉢が置かれたりもしていたのだった。横のお店に小さな鉢植えがいくつか置かれていた。


路地に面した大きなお屋敷が更地になっていた。地面から抜かれた木々が山積みにされていた。山茶花の花が見えた。敷地の端に槙の木の伐り株があった。まだ若く、根元から出ているのか伐られたのが落ちているのかわからなかったが根元で青々とした小枝が開いていた。


四つ角のひとつの角のお店の前に以前からヒメツルソバが出ていた。わずかな隙間からいきおいよく茂っていて、ある冬に寒さでやられてしまっていたのだが復活してまた茂っていた。その一帯が、舗装し直されていた。近くに来てみると隙間無く舗装されていて、ヒメツルソバが出てくる余地はなさそうに見えた。心惜しく立ち去ろうとしたとき、敷地の隅の隅にヒメツルソバの葉が少しだけ出ているのが見えた。


そのときが震災の時刻だった。遠くに雲の頂が見えていた。

2018年2月20日

道の記



治療を受けている古木いちょうがいる屋敷跡は、いまマンションの建設工事をしている。対岸から見たらすでに高い建物ができていて、正面横のいちょうが建物の下で小さく見えた。絵本『ちいさいおうち』の絵のようだった。


中心街の大通りに面していた桜がなくなっていた。いま一帯が造り替えられようとしているところで、隣の建物も解体されて広々としていた。春、花の散る頃に通ると、人通りの多い歩道の上を花が舞っていた。その景色が、いま目の前にあるがらんとした広がりよりも自分の手前にあるように思えた。


咲きかけのさざんかの木が置かれていた更地は駐車場になるようだった。工事が進められているその奥に、色の褪せたさざんかの木とほかの木々がまとめて横たえられていた。

2018年1月29日

道の記


以前はお家があったのか駐車場だったかはっきり思い出せない、ある場所が掘削されていた。その敷地の端に山茶花の木が横たえられていた。根は切り詰めてあった。いくらかの花が咲いていていくらかのつぼみが見えた。敷地界に沿うようにそっと置かれたような感じだった。手向けられているようにも思った。


道沿いの花壇のあざやかな花をかがみ込んで写している方がおられた。ほかのところでは夕月を見上げて写している方もおられた。

2018年1月7日

道の記


喫茶店はやはりなくなっている。更地になっている場所は見た目その喫茶店があった場所より狭い感じがするが、木々がなくなっているためかもしれない。地面にはフラサバソウの双葉がかたまって出ていた。


排水溝からくすのきが出ているのをまた見つけた。こちらもこんもりと茂っている。くすのきのふもとには、くすのきではなさそうな落ち葉が積もっていて、道の真中でそこだけ小さな林の風情を見せていた。


向こうから歩いてこられた方が、歩きながらちらっとさざんかの花を仰ぎ見ておられた。直後にその方と目が合った。「こんにちは」と声を掛けてくださった。私もさざんかを仰ぎ見て、その先を歩いた。

2017年12月30日

道の記


春に薬が使われてナガミヒナゲシなどの草が枯らされた場所、ホトケノザなどの草に混じってナガミヒナゲシも出ていた。ロゼットを小さく広げていた。風は冷たかったけれども日がほのかに差していた。


エノキグサの次にカタバミが出ていた新しいマンションの敷地の隅、その近くに細かくちぎられた草が散乱していた。しかしカタバミはどうもなっていなかった。まだ種類がよくわからない草の葉も隣に見えた。


モウコタンポポが少し咲いていた。綿毛をほぼ放ち終えた茎が、その手をまだ空に広げていた。


日が暮れてうつむいて歩いていてふと顔を上げると、さざんかの花がいっぱいに咲いていた。