道ゆく先々での、木々草々花々などさまざまの出会いとその後を、一筆箋に綴るつもりで。
From the Wayside: about my acquaintances of trees, flowers, weeds and others (written in Japanese)
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※ 現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)
2019年7月26日
道の記
以前マンションの植え込みにたくさんのすみれを見つけたその通りは、歩いていると道端のあちこちにすみれが出ていて、すみれ通りだったのだとだんだんわかってきた。きょうもすみれをたくさん見た。花は咲いていない。それからヨツバハコベも少し出ていた。
以前ポプラが並んでいた再整備公園の外れに残っているエノキとセンダンの小さな木の下で、芙蓉が花を咲かせていた。
疲れていたが、少し遠回りをして、マンション前の電柱のところを通った。あさがおがいるはずだった。以前あさがおを見た電柱のふもとには出ていなかった。そのすぐそばの、ガードレール支柱の脇から、つるが伸び出ていた。つるは短くて花はしぼんでいたが、元気そうだった。
小さな交差点の角に、手向け花を見つけたのは何年前だったか。名前がひらがなで書かれた小さな石と、小さな花瓶が置かれていて、そこに花があげてあった。通るたびに新しい花があげてあるのを見ていた。この1年ほど、花を見なくなった。何かの周年が過ぎたのだろう。きょうも花瓶は空いていた。交差点を渡ると、そこの電柱のふもとで、すみれが花を終えていた。
2019年6月23日
道の記
大くすのきの林だった場所は、土がもとの丘の高さよりもさらに高く盛り上げられていた。その土の向こうに、木の太い根が宙へ向かって伸びているのが見えた。くすのきの切り株が横になっているのだろう。ショベルカーが作業を続けていた。くすのきの香りはわからなかった。
1本だけ出ていたひこばえが刈られた桜の切り株は、新しい葉を1か所からたくさん出していた。枝を高く伸ばすより横に広げる様子だった。
ポプラの木が並んでいた公園にひさしぶりに立ち寄った。再整備されて、以前の姿はトウカエデ1本だけがとどめている。ポプラがいたあたりでまわりを眺めた。おたふくがたくさん植えられている。ポプラの姿はまったくなかった。公園はこどもたちや家族連れの方々でにぎわっていた。ボールが飛んできたので、投げて渡した。
公園を出た所に以前から小さなエノキとセンダンがいる。彼らは元気でいる様子だった。挨拶をして立ち去った。
ビル街のただなかの小さな野草ガーデン。ホタルブクロの白い花が細々と咲いていた。きょうはこれ以上歩けなさそうだった。ホタルブクロのつぼみにそっと触って、街を離れた。
2019年5月31日
道の記
昨日歩いた道をまた歩く。交差点の向こうの角にカラムシなどの草が茂っていて、そちらへ渡ろうかと思ったが、信号が点いているほうを渡った。正面ではコンクリート擁壁の高い位置から、イヌビワの幼木が待っていたかのように迫り出していた。
この方向へ行くと近道ではないかと、小さな路地に入った。どこへ出るか出ないか歩いてみないとわからない。道はくねってさらに狭くなった。古い煉瓦塀のあいだを歩いていくと、中庭のありそうな大きなお宅の門構えがあり、その脇にナデシコの仲間の花がずらりと並んでいた。道はほどなく知っている場所へ出そうだった。
だいぶ前に訪ねた、小さな川のほとりに立ち寄った。そこは大きなセンダンの木がいたのだが、川岸を歩道にする工事で伐採されたのだった。前に訪ねたときにその向かいのお店に寄って、センダンの話を伺った。お店には在りし日のセンダンの姿が飾られていた。そのお店は閉じられているようだった。川岸の歩道の柵に、センダンの写真札が前の時と変わらず掛けてあった。
2018年8月10日
道の記
昔、春の浅い頃、木を見上げながら、欅の細枝が好きというつぶやきを聞いた。十何年ぶりにその木に近寄って見上げた。榎の木だった。解き放たれた気がした。
道の先に、シャボン玉を吹きながら歩いている人が見えた。シャボン玉がここまで流れてくる。同じ方向へ歩いていてその人はときどき立ち止まってシャボン玉を吹くのだけれども私は追いつけず、だんだんとその人が遠くなり、シャボン玉もここまで届かなくなった。その人は突き当たりを右へ曲がっていった。私はいちど立ち止まって左へ曲がった。
大きなショッピングモールが立ち並ぶ郊外型道路の真似をしようとしている昔からの道路。信号待ちをしていたら、横のほうのアキノエノコログサの茂みにすずめが一羽とりついて穂を引き下ろしていた。その様子を見ながら歩き出そうとしたら、足元にエノコログサが小さく生えていた。車が止まって待っていた。
この景色は私が死んだ後も残っていそうだと思いながら、都市高速の大きな高架の下を歩いた。川を見下ろして比較的大きなセンダンの木が生えている。そのセンダンの木までヨモギやエノコログサが立ち並んでいて、その手前に若いセンダンの木が小振りに茂っていた。夕日は見えなくなっていた。
2018年7月24日
道の記
たまに訪ねる、むかし風の欄干の橋を訪ねた。来てみてそういえば欄干が最近新しくなったのだったと思い出した。橋のたもとの大きなセンダンの木も伐られてだいぶ経つ。低い樹冠が出来ていた。近くに寄ると樹冠にキカラスウリやヤブガラシが少し絡み付いていた。どちらも花が咲いていた。
十何年ぶりかに通る小道。強い西日に向かって歩いていてほとんど景色がわからない。林だったあたりに新しい家が建っていたが、林はその先に残っていた。夏休みの格好のこどもたちが追い越していった。
2018年6月27日
道の記
何年か前に、道のガードレール脇にセンダンの木の伐り株を見つけた。ひこばえが出ていてわかったのだった。その後、ひこばえも伐られたけれど、その後にまたひこばえが出ていたのも見た。しばらくぶりにその道を通った。ひこばえはたぶんあの後にも何度か伐られたのだろう。小さく葉を茂らせていた。
2016年9月26日
道の記
草も苔も生えていない民家の石垣の手前にぽつんとひとつだけ、アゼナの仲間のように見える小さな草が花を咲かせていた。
町内一斉清掃の時期にあわせて庭木の剪定をされるお家がけっこうある。実がついた椿の枝がごみ集積所に積んであった。別の通りではきのうきょう伐られたように見える柿の枝にやはり実がいくつもなっていた。
あちこちの塀の下できのうきょう草を抜いたと見える土の荒れ方をしていた。どこかでは草を燃す匂いもしていた。
いまこのまちなかで生き継いでいる草は、長年にわたる3月と9月の町内清掃のサイクルを生き延びてきているものと思う。でもこの時期が自分のライフサイクルの中で重要な時期に当たるような種類の草は、長年のうちになくなったかもしれない。そのようにしてこのまちで見られなくなった草もあるのかも。
※ 定期的な草刈りによって、その時点まで旺盛に茂っていた草に圧されていた草がのびのび育つようになる、という面もある。それは書いておかないと。
(ただそれは、「いいわるい両面がある」という話に落ち着くものではなかろうと思う)
一度倒れたと見える土手のセンダンの切り株から、ひこばえが伸びてたくさんの葉が茂っていた。これからもう一度伸びていこうとする木の力と、それを見守ろうというどなたかの思いが感じられた。
2016年7月2日
道の記
ひさしぶりにこの道を通ってみようと思って通った道で、街路樹が伐採工事を受けている途中のことがしばしばある。きょうはイチョウとモミジバフウが伐られていた。1本だけさっと年輪を数えてみたが40年ほどになる木だった。
別の道では、ひこばえが出始めていた切り株のセンダンもまた伐られていた。よく見ると株がぼこぼこしている。幹まわりが小さく、あまり大きく育ったことがないのだと思うが、これまでに何度も何度も伐られた様子。
コインパークになって5年6年ほどになる空き地。以前はアレチハナガサが丈を伸ばしてたくさん咲いていた。駐車場になってからはほんのわずかな隙間から小さく生えている。ときどき刈られて姿がなくなる。今年はどうかと思っていたが、10cmになるかならないかぐらいの丈で花を咲かせていた。
桜が見事だったお家の跡地は何かが建てられる様子。打ち込まれた鋼板のそばで、ケヤキらしき幼木が数枚の葉を広げていた。
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