道ゆく先々での、木々草々花々などさまざまの出会いとその後を、一筆箋に綴るつもりで。
From the Wayside: about my acquaintances of trees, flowers, weeds and others (written in Japanese)
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※ 現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)
2020年9月11日
道の記
民芸風だった昔ながらの居酒屋さんが解体工事されていた。台風のせいだったかわからない。
スーパーマーケット跡地は杭が取り払われていた。丈の高い草たちはやや傾げている。ヒロハホウキギクがところどころ花を咲かせていた。
クサギのトンネルだった場所の近くのクサギが実をみのらせていた。
気にしていた木々は無事のようだった。街角の大きなくすのきの下の円形ベンチに、おそらくゲームを楽しんでいるのだろう人たちがぐるりと掛けていた。傾いてきた日があざやかだった。
2020年9月5日
2020年8月27日
2020年8月12日
道の記
スーパーマーケット跡地はアキノエノコログサがたくさん生えていた。ヒロハホウキギクも高くなって、いくらかの株は花を咲かせていた。アキノノゲシは数は少ないが大きくなりつつあった。
クサギのトンネルに花がいっぱい咲いていた。クサギはだいぶ伸びて、一帯は以前のようなトンネルに戻った。マスクを外すと花の香りがした。足元に落ちているクサギの花をひとつ拾って、香りを嗅いだ。季節はめぐるのだと思った。
そしてこの前までヒメウズがいた場所にはヒメウズの姿はなかった。
2020年6月25日
道の記
クサギのトンネルは、クサギの枝に絡んだクズが伸びてきて、それでトンネルになってきた。クサギも成長中だが、しばらくはクサギとクズのトンネルと呼ぶのがよいのだろう。
道のこちら側はところどころでチシャノキの幼木が出ていた。向こう側ではイヌビワが多く出ているのでイヌビワ通りと呼んでいたのだった。こちら側をチシャノキ通りと呼ぶかどうか考えようと思う。
道路拡幅が着工される様子。街路樹のクロガネモチが1本残っているが、その位置も車道になりそうだ。クロガネモチのそばに寄ってみた。若い芽が出ていた。近くにはアカメガシワの幼木もいた。ねこじゃらしも生えていた。
道端のヒメウズは茎の上半分ほどが枯れているようだった。緑の葉も見えた。夕方になって人通りが増え、立ち止まれない。視線を送った。
2020年5月18日
道の記
気が変わって別の方向へ歩くことにした。細い道を行く。以前通ったときこの道にはいろいろな草がいた。きょうも草に囲まれて行く。さいごに、枇杷の木がいくらか色づいた実をたくわえていた。
スーパーマーケット跡地の空き地では、ヒエガエリとセイタカハハコグサが多く出ていた。ナズナが枯れていた。春が遠ざかっていく。
クサギのトンネルの場所は、木の種類がよくわからないけれど白い花でいっぱいだった。クサギは若葉がしおれていたが、それ以前の葉がすでに大きく茂っていた。
接ぎ木の桜は花を少し残していた。ありがたかった。
2020年4月10日
道の記
※ 当分のあいだ、数日〜十数日分をまとめて投稿しようと思います。最新の(いちばん上の)投稿でも少し前のことを載せている場合がありえます。
***
スーパーマーケット跡地はノボロギクやオランダミミナグサなど春の草が枯れていた。冬を越えた秋の草たちと並んで。この春になって気づいたヒロハホウキギクに少しだけ緑味が残っていた。手を触れて立ち去った。
クサギのトンネルもさまざまな若葉が。実を空へ差し上げていた株も新しい芽を吹いていた。
挿し木の桜も、残された桜も、この春を咲いていた。ところどころだけ、ビルのはざまから差す日に照らされて。
まだ新しい街路樹のふもとで、とても小さな丈で、菜の花が咲いていた。すぐそばの大通りは歩く人も走る車もたくさん行き交っていた。
2020年2月13日
道の記
スーパーマーケット跡地の空き地は暖かな日差しだった。ノボロギクが躍進した。ヒロハホウキギクは全体がすっかり紫色になって、いくらかの花を咲かせていた。アキノノゲシは花こそ咲かせていなかったが、ヒロハホウキギクと同じく紫になって、暖かな冬を生き延びていた。
この冬は、秋の草たちにこれまでの秋の草たちが体験しなかったような気候を体験させているのかもしれない。そうだとしても、いまを生きているそれぞれの秋の草にとっては、その暮らしがただひとつの暮らしで、ただこの気候を暮らしていく。私はそうした自身の人生の突端を生きていく彼らを道の端から見ているほかない。
自身の人生の突端を生きていく、その事情は誰もがそうなのだろう。
クサギのトンネルのクサギは細い枝の姿になっていた。実を差し上げていた株はその格好で、なおいくらかの実をその枝に残していた。
いろいろな草が壁面に小さく生えている、そのなかに、ヒメウズを見つけた。つい最近どこかでヒメウズが咲いているのを見かけたが、ここでは咲いてはいない。つぼみもできていない。やがて茎を伸ばして、花を咲かせるのだろう。
見守っているのではなく見守られている。そう思った。
2020年1月6日
道の記
クサギのトンネルだった場所はクサギがすっかり落葉していた。実を輪のようにして差し上げていたクサギも、わずかに実を残して冬姿をしていた。ふもとのツワブキは花をひとまず終えて綿毛を作っているところのようだった。
スーパーマーケット跡地の空き地はノボロギクが咲いていた。ヒロハホウキギクもたくさん花を咲かせている。丈の低いアキノノゲシがつぼみをたくさんつけていた※。いや咲かずに残しているのかもしれない。つぼみははっきりとした紫色を帯びていた。
※ このアキノノゲシの「つぼみ」は花が咲き終わった後の状態だったと思う。次の記事に注を書いている。
https://michinohata.blogspot.com/2020/03/blog-post_43.html
このごろ本をほとんど読んでいなかった。そのことをふと思い出して歩いていて、こうして歩く先々で草や木を見るのが、いまの自分にとっては本を読むのと同じことなのだ、本を読むように草や木からたくさんのことを学んでいるのだ、という気がした。
マンションの前の桜の植え込みにイヌビワの幼木が出ていたのだが、見当たらなくなっていた。抜かれたのでなければまた生えてくることだろう。
イヌビワの植木鉢がいたお店の跡地では、オニタビラコが高く伸びて花をいっぱい咲かせていた。その向こうの駐車場のイヌビワは、落葉を終えたようだった。
2019年12月18日
道の記
クロガネモチが伐られていた歩道は植え枡が無くされて舗装されていた。歩道は広くなった。もとの歩道の幅だったところを通った。
秋に草が刈られた空き地はノゲシが咲いていた。ヒロハホウキギクも小さな丈で咲いていた。
クサギのトンネルだった場所はツワブキがたくさん咲いた。空に実を差し上げているクサギは葉を落としてなお実を差し上げていた。
ここに白いさざんかが咲く、と教えてくださったのはどなただったろうか。どなたであってもだいぶむかしのことになる。さざんかは暗がりを白で埋めるほどに咲いていた。
2019年11月20日
2019年10月31日
道の記
2つ信号のオニタビラコの場所に、ヒメムカシヨモギが低く出ていた。低いけれどもつぼみをたくさんつけている。秋がしだいに深まってきて、急いだのだろう。
旧クサギのトンネルではクサギの花が少しだけ咲き残っていた。前にぐるっと輪のように咲いていた株は、ぐるっと輪のように実を高く差し上げていた。
思いがけない所でキツネノマゴとイヌコウジュを見て、おかげで少し元気に歩けた。しかし休憩のつもりでベンチや石に座るとそこから動けない。立ち上がると右のほうへからだが動いていく。以前そんなふうにからだが自然と動いたときはそちらのほうに何かあるのかもと思ってそのまま歩いた。きょうもそうしてみたら、からだが右へ右へと旋回して同じ場所をぐるぐる回り始める。広い場所でよかった。もう帰ると決めて帰るしかなかった。
街は仮装の人たちでにぎわい始めていた。いま思うと自分の格好も、その街からしてみたら仮装みたいなものだった。西日は高いビルの窓に跳ね返されて、そちらも太陽と同じくらいまぶしく輝いて道を照らしていた。
2019年10月9日
2019年9月18日
道の記
通るときにいつも道端の花壇を手入れしている方がおられる。きょうは声を掛けた。話し好きな方だった。約束の時間があったので声を掛けておきながら失礼した。
だいぶ一帯の工事が進んだが、物置はそのままで、物置の裏のイヌビワもそのままだった。
クサギのトンネルはトンネルとしての復活は遠い感じだが、花はよく咲いた。トンネルの端だった位置の、切られてから再度伸び出したクサギの幹がまっすぐ立っていて、ぐるっと輪のように咲かせた花を空へ差し上げていた。
2019年8月28日
道の記
斜面の樹木をいくらか伐採すると告知が出ていた。跡地全体の工事に先立ってのことだろう。もともとふつうに立ち入ることができる場所ではなかったが、工事後は一般の人たちが利用可能になると聞いている。緑も、生かしてほしい。
からすやすずめが倉庫の上にたくさんいた。たぶん猫の餌を待っているのだろう。猫はいなかった。
クサギのトンネルだった場所のクサギも咲き出した。暗闇の中に薄白く花が見えた。今年はトンネルには戻らなかった。それでもしばらくはトンネルと呼び続けようと思う。いつか、戻る日も来るかもしれない。
2019年8月15日
道の記
クサギのトンネルだった場所でもクサギの花が咲き始めた。しかし香りはわからなかった。通る人の香水のにおいのほうが強かった。
その先のクサギの花がたくさん咲いている場所では香りが立っていた。クサギとは言うが臭いというよりは香ばしい。でもそれは私がここを通り過ぎる人間だからだろう。近くに住む人や働く人はつらいかもしれない。そう思ってあたりを見回したが、クサギよりはるかに高い所にそびえ立つマンション群へは、香りはいつもいつも届かないだろうと思い直した。
空き地はヒロハホウキギクが高くなり始めた。アキノエノコログサも多い。このごろは草を見ると反射的に手を小さく振っている。その振っているところを向こうから歩いてきた人に見られた。見られたと言ってもすぐに視線を外されたようだった。すれちがうまでは私も手を振らないでいたが、すれちがった後には気がついたらもう手を振っていた。
イヌビワのいたお店の跡地は整地が始まっていた。重機がすみずみまで手を入れていた。
2019年7月30日
道の記
クサギのトンネルだった場所に差し掛かる直前に、クサギの香りがした。もう夜だったので灯りを付けていたが、その灯りでクサギの花が歩道の路面脇に落ちているのが見えた。見上げると、高いコンクリート擁壁の上に、伐採を免れたクサギらしき木々が並んでいて、花を付けているのが暗がりの中ぼんやりと見えた。その視野の中で、空を明るい点光がかすめた。イリジウム人工衛星のようだった。
猫が有料駐車場のまんなかで向こうを向いてべたっとしていた。茶色の猫で、白色の灯りに照らされて、駐車場の黄色の線とほとんど区別がつかなかった。
ほかの場所ではオニタビラコを見かけたが、2つ信号のオニタビラコの場所ではオニタビラコは出ていないようだった。エノコログサが車のライトや街の灯りを受けていた。
2019年5月17日
道の記
アキノノゲシなどの草が生えていた空き地にマンションのショールームが造られていたが、そのショールームがなくなっていた。空き地は一部の舗装を除いて更地になっていた。敷地のまわりにコマツヨイグサなどの草が小さく生えていたが、アキノノゲシは出ていないようだった。
幹を半分伐られた公園のヒマラヤスギは、樹冠が茂っていた。ちょっと見たところではそういう木だと見えるようになった。たくさんのこどもたちが遊んでいた。公園の端でおとなの方がひとり、鳩と話しておられた。
クサギが伐られたクサギのトンネルは、クサギが復活しつつあった。伐られたところから枝を数十センチ程度伸ばして葉を付けていた。トンネルにはまだまだならなさそうだ。トンネルだった一帯の端で、同じく枝を数十センチ伸ばした種類のよくわからない木が、小さな白い花を咲かせていた。
2018年11月7日
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