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現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)
ラベル クワクサ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
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2020年10月4日

道の記


クワクサの手前のハゼランの、花の茎がなくなっていた。根元の葉は残っているので、花をどなたかが摘んでいったのだろうか。
 

ノボロギクとヒメムカシヨモギの角に出ていたコスズメガヤがすっかり穂を枯らしていた。ハマスゲとクグガヤツリが元気に穂を掲げていた。
 

帰りは雨になった。傘をささずに歩いていたが、車のライトに照らされる雨が本降りの勢いで、もうこれは仕方がないと折り畳み傘を開いた。その直後に、傘もささず合羽も着ていない自転車の方が後ろから私を抜いていった。そのあとからもう一台、息子さんらしき方がパーカーのフードだけかぶって追っていった。
 

2020 10/4
クワクサ ハゼラン ノボロギクとヒメムカシヨモギの角 コスズメガヤ ハマスゲ クグガヤツリ 自転車の方

2020年10月1日

道の記


クワクサの手前でハゼランが大きく伸びて咲いていた。
 

2020 10/1
クワクサ ハゼラン

2020年9月10日

道の記



ノゲシの場所、そこをまた通ったのでわかった。花のそばにつぼみができていた。


塀際にクワクサが並んでいる場所にさしかかる前、落ち葉が積もっていた。クワクサはどうだろうかと思いながらさしかかった。クワクサは変わりなく並んでいた。


角のヒメムカシヨモギは、残っていた茎も折れていた。いずれ次の芽をどこからか吹くだろう。


満開のオニタビラコそばのオニタビラコは、こころもち茎を道のほうへ傾げていた。

2019年12月4日

道の記


中心市街地の交差点の柿の木はみごとに紅葉していた。実もなっていた。今年も元気に過ごしたのだろう。実と葉との違いは日の当たるほうでないとわからないほどだった。


更地にハハコグサが生えていたそのあたりの位置が掘削された。歩道が拡幅されることになる様子。その奥の更地になっている所にハハコグサが生えていた。


街中のクワクサはだいぶ色が褪せていた。葉も少なくなったようだった。人が近くにいたけれど、小さくクワクサに声を掛けてから先を行った。


各所のキツネノマゴも花をほぼ見なくなってきた。三叉路のキツネノマゴも花が終わったかと思って見ていたら、1つだけ穂のてっぺんに花が咲いていた。あいさつをして立ち去った。


2019年11月13日

道の記


バス待合所前の切り株は変わらずそこにいた。


桜が並ぶ高台のポケットパーク。きょうはベンチに掛けている人がいた。景色に向かって何かお弁当みたいなものを食べている。眼前は大きなショッピングセンターだが、その向こうには遠い山並みが見えていた。


ここを通るときにはたびたび、山から呼ばれている気がしたのだった。きょうはそこまでせつなくない。淡々と向かおう。


バス路線は途中から不通だった。車止めの向こうの道は川に向かってまるごと崩落していた。その手前でなごりのコスモスがけなげに咲いていた。


春の花も秋の花も咲いていた。ここではクワクサをよく見る。かと思うとヒメウズも花を咲かせていた。


棚田は一部だけ作付けされたらしい。畦に草の緑があざやかだった。今年も日曜市のお米と野菜を買った。みなさんにお目にかかれて今年も訪ねた甲斐があった。


通り過ぎたばかりのお寺の、鐘の音が響いてきた。この谷のいつもの景色なのだろう。雲は少し紅に染まり始めていた。道路を直そうとしている重機が、いまはしずかに休んで、明日からに備えていた。


2019年10月16日

道の記


治療を受けている大銀杏が先日の新聞記事に登場した。新聞にはひこばえを育てているとだけ書いてあったが、いくつかの手法が使われている。いまどんなだろうと、通りすがりに様子を見た。高い所に残されている本体の枝に、ぎんなんが生っていた。


三叉路の脇に小さな草地がある。この時期キツネノマゴがときどき出ている。今年も咲いていた。場所一帯はコツブキンエノコロがたくさん出ていて、そのところどころに他の草がいる感じになっていた。エノキグサも、クワクサもいた。ツユクサも小さく咲いていた。


2019年9月30日

道の記


交差点のこぶしは、実も残っていた。花芽も出来ていた。

その近くの大きな柿の木は、実をつけていた。まだだいぶ青かった。


草も木もいないので地下通路のことを書くことがあまりない。ここもひさしぶりに通る通路だが、書くことはないだろう…と思いながら歩いた。出口近くになって、けやきの葉が通路の端に落ちていた。


ここにエノキグサが生えていたか、街中には出てこないとこの前お話ししたのは訂正しないといけない、と思った。

しばらく行くとクワクサも生えていた。この街にもクワクサがいることがうれしかった。


2019年9月23日

道の記


畜魂碑というものを初めて見た気がする。どこかできっと見ていただろうと思うのだが。すぐ近くではたくさんの方が畑作業をしていた。オクラらしき花が咲いていた。


歩く予定のなかった町の道を歩く。クワクサがところどころに生えていた。去年もここから遠くない町でたくさんのクワクサに出会って喜んだのだった。

母が通っていたという学校は木々の向こうで静かだった。その木々のふもとにもクワクサがいた。


ひさしぶりに歩く春の小径。トキワハゼが咲いていた。ほかの花はあまり見えない。キツネノマゴが出ていないと思いながら歩く。小径が終わるころにようやく見つけた。去年とは違う場所に出ている。稲穂は刈られるまでもう少しのようだった。


キバナコスモスは出ていなかった。その近くに赤白の彼岸花がたくさん並んで咲いていた。


ふと横を見たら、建物と建物のあいだでボタンクサギが咲いていた。大くすのきの林のボタンクサギを思い出した。ここのボタンクサギにしあわせが続きますように。


2018年11月14日

道の記


すみれのプランターの近くに出ていたキツネノマゴがおそらく草取りに遭っていなくなり、このあたりではキツネノマゴはもう見られないのかと気になって、信号待ちの間に探してみた。すみれのプランターから少し離れた別のプランターで、キツネノマゴが少し出ていた。花を終えた穂が立ち並んでいた。


クワクサもいた。葉が色褪せていた。おつかれさまと声を掛けた。その言葉でよかったのか今もわからないでいる。


道でなにかを拾っている様子の方をお見かけした。以前からスダジイの実が落ちている場所なので尋ねたらやはりそうだった。かんたんな調理方法を教えてくださった。もうすぐ100歳になりますよと、つやつやのお肌の笑顔でおっしゃった。


空は青かった。高い雲が形を崩しながら空に並んでいた。

2018年11月7日

道の記


クサギのトンネルの伐られたクサギはさかんに芽を出しつつあった。


花壇にボランティアの方々が新しい花の苗を植えておられる隣で申し訳ない気もしたのだが、この街でなかなか見かけないクワクサを見つけて喜んだ。その隣でホトケノザが閉鎖花を付けていた。

2018年9月28日

道の記


クワクサが石塀の下に並んでいた。私が住む町ではクワクサをあまり見ないが、この町はクワクサ人口が多いようだ。うれしくなって写真を撮った。クワクサは終始しずかにしていた。

町は祭りの日だった。演舞台のまわりは人と屋台とでにぎわっていた。広場の隅でこどもたちがエノコログサやメヒシバとじゃれあっていた。

その町を訪ねたのはたぶん10年ぶりぐらい。以前立ち寄った場所に行ってみた。清水が流れる水路のそばが遊歩道になっていて、そのところどころに河童の像がいる。河童はそれぞれ思い思いの格好でそのときを楽しんでいた。祭りから帰ってくるこどもたちとすれ違い、これから祭りへ向かうこどもたちが向こう岸の道を駆けていった。

* * *

水路の辺の古いお宅が取り壊されている途中だった。まだ形が残っている裏手にまわると、土壁が半ば崩れて穴が開いていた。その壁を蔦が昇っていた。いろいろ思いながらその場を後にして水路の橋に差し掛かると、その家の敷地の枇杷の木が枝を水路へと迫り出していた。

雨になったが、めったに来ない町にせっかく来たので隣りの駅まで歩くことにした。道は長かった。なにか食べておけばよかった。日暮れも近づき、帰りはその隣り駅から列車に乗ろうと思った。小さな駅はご近所の方が管理している様子だったがもう窓口のカーテンが閉まっていた。時刻表を見ると私が思っていた時刻に列車がなく、1時間ほど間が空いていた。これはだめだ、と声が出た。窓口のカーテンの向こうに灯りが点いているのにその後で気付いた。

帰り道も長かった。向こうのほうだけ雲が薄くなったようで、地平線の上が赤く染まっていた。

* * *

その町へ通う最後の日に、道を変えて川沿いを歩いた。大水のときには恐ろしかったことだろうが、朝の小川は美しかった。曲がらなければいけない角を忘れて1つ先まで歩いてしまった。

初日に来たときに、駅前の道沿いで大きなクスノキを見かけた。むかしながらの工場の敷地ぎりぎりに立っている。その景色に見覚えがあって、ああこの町に自分はむかしたしかに来たのだと思ったのだった。最終日の空はこれまでになく晴れていて、クスノキもいっそうりんと立っていた。あいさつをして駅へ向かった。




2018年7月9日

道の記


長かった雨が終わったと思った。歩くとあたりをまだ細かい雨粒が満たしていた。


中心街の交差点で信号を待っているあいだ、横にある花壇とその下を見ていた。花壇と路面との隙間にクワクサのような草やカタバミなどが出ていたが、その中のいくらかが引き抜かれて散らばっていた。背後で何人も信号を待っている様子で、さすがにここで屈み込むのはおかしいかと思ったが、気が付くと屈み込んで、抜かれた草を拾っていた。もともとその草たちが生えていただろう隙間のところにひとつひとつ寄せた。花壇の中にもクワクサのような草がいて、小さな花を付けていた。


また降り出した雨のしぶきの下で、カンサイタンポポが花を開いていた。春の夢を見ているようだった。


そして雨が終わった。

2017年12月2日

道の記


ムラサキカタバミの花盛りを見た。


ナガミヒナゲシとクワクサとホトケノザの場所をあらためて見てみた。生えている小さな草はつぼみをつけていて、キク科の頭花のように見えた。ホトケノザはたしかに本葉が出始めた幼苗もいたが、きのう目に留まったのは幼苗のほうではなく、ちぎられた茎から葉が出てきたところだった。クワクサもちぎられた様子で葉がほぼなくなっていたが、小さな桑の実のような実が茎に少し残っていた。


ひいらぎもくせいの花に似た香りがどこかからした。すぐ横の垣根がひいらぎだった。


エノキグサがいたマンション敷地のはじっこに、カタバミの花がひとつ咲いていた。


2017年11月30日

道の記


ナガミヒナゲシとクワクサとホトケノザが出ていた道の脇は草が取られていた。上の花壇も花がすっかり抜き取られて裸になっていた。上の花壇から種子が落ちた何かの花のように見える小さな草と、本葉が出始めたばかりのホトケノザがいた。


遠く火山が噴火したと聞いた。この青空はいつまで続くだろう。

2017年11月9日

道の記


同じ歩道で、カマキリが踏まれているのとバッタが踏まれているのとに相次いで行き合わせた。どちらもあまり時間が経っていないようで、その場から動かせなかった。バッタは雌と雄がともに踏まれていた。いっしょにいたのだろう。


マンション敷地の隅に出ていたエノキグサは幻だったかのようにいなくなった。


ナガミヒナゲシとほかの草とがいっしょに出ていた隙間に、ナガミヒナゲシの葉が出ていた。すぐとなりにクワクサとホトケノザがいた。クワクサは色褪せかけていた。ホトケノザは花を咲かせていた。次の春にはナガミヒナゲシが咲き出すのだろう。


歩道のすみれのプランターにいたキツネノマゴがいなくなっていた。キツネノマゴが生えていたあたりが土が軽く荒れていて、抜かれたのだと思った。下に、引き抜かれたキツネノマゴが1本放置されていた。だいぶ時間が経っていたようだった。土の上に安置した。


どこもみんな秋の陽に照らされていた。

2017年11月4日

道の記


ホウキギクが生えていた場所のあたりに少し太めの草の伐り株があった。一年草のホウキギクがこの秋のうちに芽を出せるのかどうかわからないが、伐り株は力を秘めているようにも見えた。そこにいたクワクサやメヒシバやたくさんの草も、もういちど芽を出そうとしているかもしれない。


クサギのトンネルにはツワブキの花が咲いていた。クサギの葉には枯れ色が入り始めていた。