道ゆく先々での、木々草々花々などさまざまの出会いとその後を、一筆箋に綴るつもりで。
From the Wayside: about my acquaintances of trees, flowers, weeds and others (written in Japanese)
※ ページの下のほうにこのブログの説明・過去記事カレンダー・タグクラウドなどがあります
※ 現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)
2018年10月23日
道の記
まもなく閉店と伝えられている少し変わった形の食事の店。自分は前を通るだけだったが、この場所のちょっとした特徴のように感じていた。2階入口へ昇る階段のふもとに、ヒメクグが少し大きめに茂っていた。帰りに通ったときには駐車場がいっぱいになっていた。
青空にそびえるイチョウを見て、ああそう言えばこの美術館が市に移管されてからきょう初めて訪ねるのだったと気付いた。前の美術館が閉じられたあの日もこのイチョウを見たのだった。イチョウの上の空が奇跡のように晴れたのだった。
(そのときには、奇跡でなくふつうのことのようだったと書いていた。)
その美術館の館内から裏手の丘が見える。木々が茂って散策コースになっている。その丘の上で、こどもさんと大人の方々が何か下のほうをのぞき込んでいるのがこちらから見えた。木の実を拾っている様子にも見えた。この景色が変わらず残っていることがありがたかった。
***
コスモスの道へ出る小さな坂で、以前訪ねていたお家の方とたまたま出会った。手仕事をなさる方で、その展示を拝見しに毎年のようにお訪ねしていたのだった。すぐわかったとおっしゃってくださった。お元気そうでなによりだった。すぐ上でコスモスがいつものように陽を浴びて咲いていた。
この夏、浸水した様子がテレビに映し出された公園。たくさんのこどもたちが遊んでいた。川では何か生き物を探している親子連れの方々も見かけた。芝生広場に出ると、向こうの連山の上に、上がってきたばかりの十三夜の月が雲の遠い仲間のように空に浮かんでいた。
***
その道の先では、川に小さな橋が掛かっている。だいぶ前にその橋の上で、欄干に腰掛けてゆっくりしておられたお歳の方と出会った。むかしの大水の話をゆっくりとしてくださった。その橋が遠くに見えた。その方の優しいお姿が橋の景色に重なって見えた。夕日はその先の山々を照らしていた。
2016年8月30日
道の記(石橋美術館閉館の日)
日曜は大雨の中、最終日の石橋美術館に(なんとか)行くことができた。夕方だったので特別展を急いで見て回った。たくさんの方がそれぞれに何かの絵の前で立ち止まっておられた。
黒田清輝の鉄砲百合や坂本繁二郎の植木鉢の絵もよかったが、金山平三の「石母田の堤」という風景画になぜか惹かれた。大きな斜面が左に広がる独特な構図なのだが、たまたまなのか色使いがモランディの静物画みたいで、とても不思議な落ち着きがあった。
閉館時間を過ぎ、来館者がひとりまたひとり外に出て、かなりの数の方が帰らずに入り口の階段の下でそのときを待っていた。雨は小雨ながらも降っていたが、急に館の向こうのほうから日が差してきて、雨の中、そこだけの青空が館の上に広がった。偶然とか奇跡とかでなくふつうのことのようだった。
私も当時いた研究室の事業でお世話になったり、久留米の草木の写真をちょっとだけ展示していただいたこともあった。久留米の方々のような深いつながり関わりではなかったけれど、最後の時間に立ち会うことができてよかった。市立美術館になったらまたおりおり足を運びたいと思う。
明日は福岡市美か…。
登録:
投稿 (Atom)