道ゆく先々での、木々草々花々などさまざまの出会いとその後を、一筆箋に綴るつもりで。
From the Wayside: about my acquaintances of trees, flowers, weeds and others (written in Japanese)
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※ 現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)
2020年7月31日
2020年7月3日
2020年5月22日
道の記
角に見慣れない小さな花が見えて立ち止まった。しゃがんで見ると、アメリカフウロの花だった。全体が赤黒く枯れたようになっていて、葉はかたちがない。ただ花だけが咲いていた。この花にすべてを懸けて咲いているのだと思った。
工事フェンスの向こうのノゲシは私の背丈をはるかに超えていた。下のほうはもう葉が枯れ落ちて、高い所に花を付けていた。
建物裏手の道。いろいろな草がまとまって生えている。端の道沿いにノミノツヅリが小さく茂っていた。立ち止まってしゃがんで指先で少し触れる。そしてまた歩き出す。ふと、もし草を見ていなかったらいまごろ私はどうしていただろう、と思った。
草を見ていたからここまで生きて来れた気がする。
植え込みのイヌノフグリは思いのほか大きく育ったようで、長い茎に実をいっぱいつけて枯れていた。今季はここでは数が少なかったけれど、きっと来季はたくさん芽が出てくることだろう。おつかれさま、と声を掛けた。
2020年5月20日
道の記
道沿いのオオキンケイギクが雨に傾げていた。
きょうもいちょうのひこばえを見た。ひこばえを育てているその気持ちを思った。少し歩くとこんどは、切り株の上にパイロンコーンが乗せてあった。ひこばえがその脇に見えていた。
以前はヒメオドリコソウをこの壁で見かけた。でも雨が激しくなり靴に水が溜まって石も入って歩きづらく、草がなんだか目に入ってこなくなってきた。ムラサキカタバミが少ししおれた様子で、ヒメオドリコソウが出ていたのと同じような排水口から姿を見せていた。
イヌノフグリが出ている場所。今年はイヌノフグリはちらほらだった。ナガミヒナゲシがイヌノフグリと同じようにしてブロック塀の中途から伸び出ていた。この雨はどちらの草にとっても、きっといい雨だろう。
2020年5月18日
2020年5月16日
2020年5月8日
道の記
イヌノフグリが今年も出ていた。道の向こう側は草が取られたようで、イヌノフグリが出ていたかどうかわからない。こちら側では、日差しをまともに浴びながら、それでもまあまあ元気そうに、茎を伸ばして実を下げていた。
2020年4月30日
道の記
訪ねたイヌノフグリの場所ではイヌノフグリを見つけることがほとんどできなかった。ただ1か所、大きな木の根元にやや大きな株が生えていた。花は見当たらず、茎の下に実の房をいくつかつけていた。ここだけで生き繋いでいるのか。次は秋のうちに来てみないといけない。
道の記
交差点のチャンチンは赤と緑がそれぞれ薄く交じり合ういちばん不思議な色合いの時だった。私がそこに着く前に若い方が木のほうを見ておられた。
ビルの谷間のヨウシュヤマゴボウは去年の茎葉が枯れたまま残っている。その向こうで大きな葉が低くみずみずしく茂り始めていた。
道を歩いているとおたがいに避け合うこともある。
坂道を降りたところの角のシロバナタンポポは咲いていた。
1株だけ出ていたイヌノフグリは枯れてわからなくなっていた。わからないことが申し訳なかった。イヌノフグリとおぼしい茎をひとつひとつ見た。しかしイヌノフグリだけが生えていたのでも枯れたのでもなかったのだった。
ラベル:
イヌノフグリ,
シロバナタンポポ,
ビルの谷間のヨウシュヤマゴボウ,
ヨウシュヤマゴボウ
2020年4月24日
2020年4月17日
2020年4月10日
2020年3月26日
2020年3月15日
道の記
植え込みのイヌノフグリは今季も出ていた。数は少ない。どこか近くに仲間がたくさんいるのかもしれないが、そうであればここのイヌノフグリはその突端でいのちを継いでいるのだろう。イヌノフグリの小さな株が、植え込みの端から広い道路を見るみたいにして、少しだけ伸び出していた。
2020年1月31日
道の記
通りかかった道沿いにイヌノフグリが出ていた。むかしからのお家が多い場所。おそらく古いお庭の隅などでイヌノフグリが生き延びているのだろう。花は見えなかったが、大きめに育っていたので暖かい日には咲くことだろう。
2019年12月31日
道の記
市街地のイヌノフグリは今年も芽を出していた。街を行き交う人の波から少し離れて、イヌノフグリは春がそっと来るのを待っているようだった。
サーカスのテントが建った。ほぼ裏口に当たるここからは動物の気配がする。フェンスの隙間を家族連れのこどもさんがのぞき込んでいた。何か見える、と声があがった。
小学校跡地のエノキはさらに枝を落とされていたように見えたが、もう暗く、そして工事の方がそこで着替えておられたのでよくは見えなかった。エノキの姿を目に映してその場を離れた。
2019年4月21日
道の記
イヌノフグリを継続観察している場所のうちの1か所では、イヌノフグリはすっかり枯れていた。もう枯れていく時期にはなっている。実のさやが割れていて、次の世代を送り出した後だった。おつかれさま、と声を掛けた。
もう1か所では、まわりにたくさん生えていたフラサバソウが枯れて、イヌノフグリがわずかに茎の先で生きていた。下のコンクリートに種子が撒かれていた。この場所でもきっと秋には、次の世代が芽を出すことだろう。フラサバソウたちも力を使い果たしたように伸びきって倒れていた。ここでは春は終わりを迎えようとしていた。
2019年4月8日
道の記
たんぽぽのロゼットの写真を撮り忘れたと気づいて、さっきまでいた小公園に戻った。ブランコに若いお母さんと小さなこどもさんが掛けていた。私が地面にうずくまってたんぽぽの写真を撮っていると、お母さんとこどもさんは帰り始めた。お母さんと目が合って会釈をしたけれども即座に目を離された。こどもさんは私を少しのあいだ見ていた。
桜の花びらが風に吹かれて、私を追い抜いていく。車も追い抜いていった。駆けていく花びらを踏まないように歩いたが、1枚を踏んでしまった。その1枚と並んで駆けていたもう1枚の花びらが、さっと飛んでいって道の外れに降りた。
イヌノフグリはやはり桜の花びらに埋もれていて見つけられなかった。そういえばこの前は花びらに埋もれていて乾燥を免れていたのだったと思い出し、花びらを掘り返すのをやめた。今季はもうこの道は通らないと思う。元気で、と心で声を掛けて、先へ歩いた。
山は霞んでほの青かった。ほぼ、空の色だった。何かむしょうに懐かしい気持ちになったが、何が懐かしいのか思い出せなかった。
2018年4月30日
道の記
春に通っていた公園。再整備工事の際にカンサイタンポポをプランターに移植して土手に再移植した公園。毎年カンサイタンポポがかなりの数咲き、土手やその下でこどもたちが草や虫と遊んでいた場所だった。その土手が杭とロープで囲われていた。カンサイタンポポは咲いてはいたが、草遊びをしているようなこどもはいなかった。ボールがロープを越えて土手を転げ落ちていき、男の子が1人、ロープを越えて土手を駆け下りてボールを取って駆け上がってきた。
その公園に次に行くのは3年ぐらい経ってからにしようと思った。
イヌノフグリをときどき見に行っていた場所、道路の両側に薬が使われた形跡があり、イヌノフグリも何ももうわからないほど枯れていた。フラサバソウがいくらか形を残していた。1株、タツナミソウのように見える草がかろうじて生きていて、その姿が、何かを証言してくれているかのようだった。
2018年4月23日
道の記
イヌノフグリがいる場所をいくつか訪ねてまわった。うち1か所の道端では花が咲いていた。他の各所で見るイヌノフグリはもう花の季節が終わりかけている様子だったので、花が見られてうれしかった。
別の場所のイヌノフグリは、昨年この時期は桜蕊に埋もれていたのだったが、今年は草取りが入ったようだった。ひっくり返された土の上に桜蕊が積もっていた。屈んでよく見てみると、ほぼ枯れきった短い草の茎が1本あった。手に取って見るとイヌノフグリの茎だった。種子が入っているさやが割れていた。枯れる前に種子を撒くことができたのだろう。
丁字路のホウキギクは花が咲いていた。それも2つ。冬を越すことができたのだ。強い日差しが、まわりの若い草ともども、ホウキギクを照らし返していた。
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