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現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)
ラベル アレチハナガサ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
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2020年7月11日

道の記


空き地が点々とある。アレチハナガサらしき丈の高い草が、葉を歩道へ差し伸べていた。ちょっと触れて行った。


お濠を御家族連れらしき方々がのぞきこんでいる。鯉を見ているのか、何か鳥がいるのか。その少し先で総苞外片があまり反っていないタンポポを見つけた。そのタンポポを私がのぞきこんでいるあいだに、御家族連れは私の後ろを通り過ぎて行った。


敷地隅の物置がなくなっていた。物置の裏のイヌビワもどこにも見つからなかった。


2019年11月6日

道の記


幹が枯れた桜はひこばえをいくつか出していた。まわりの桜はあざやかに色づいていたが、ひこばえはやっと伸び出した様子で、あおあおしていた。


道端で御高齢の方が立ち止まって、何か草を手に取っている。それを手折って去って行く。その場所に通りかかる。アレチハナガサの茎の上のほうが無くなっていた。その方の手にはきっと花があるのだろう。


畑だった場所が幼稚園のようなものになるようだ。重機が整地に入っていた。ここではトゲミノキツネノボタンがよく咲いていた。わずかに草が残っている敷地の端で、それらしき葉が地面を覆っていた。ホトケノザがぴょんと伸びて花を咲かせていた。


***

帰りに振り返ると、山はあざやかに陽を浴びていた。でも山の呼び声は聞こえなかった。景色をしばらく眺めて、行こうと山を背にしたとき、山の声が聞こえた気がした。いまは来なくていい、そこですべきことをしなさい、と言っているようだった。
1度だけ振り返って、山を見た。帰り道は行き道になった。


ジュズダマの空き地はジュズダマがだいぶ刈られていた。端のあたりに残っていた。ジュズダマの実が歩道の路面に落ちていた。七転び八起き、と思いながら、実を八つだけ拾って、手に握った。路面に残るジュズダマの実はまた誰かが拾うだろうか。


道の記


いつもススキやキツネノマゴが出ていた街路樹の植え枡、どうも薬が使われたようで、枯れた草が少し残っていた。


中央分離帯を通る長い横断歩道。一昨年そこでヒロハホウキギクを見た。去年は出ていなかったと思う。今年も出ていないだろうと思って急ぎ足で通っていたら、ヒロハホウキギクが咲いていた。2株出ていた。


キツネノマゴが出る斜面は今年は草刈りがあって、今季はもう難しいのではと思っていたが、キツネノマゴが小さく咲いていた。来年もまた出てくることだろう。


***

山が見えるほうの大くすのきの林だった場所は、大きな建物が完成していた。以前ボタンクサギがいた位置にかろうじて地面を残していたファサードの隙間は、セメントで埋められていた。その建物の手前、残る半分の敷地では、以前から咲いていたアレチハナガサやヤナギハナガサにくわえて、アキノノゲシも咲いていた。

くすのきの若木が、刈り込まれた歩道の植え込みで、植えられた木々と同じようにして居続けていた。彼らが、大くすのきの林を継いでいくだろう。
頭を下げて立ち去った。


2019年9月9日

道の記


もうひとつの大くすのきの林だった場所は、どうも2つの敷地で運命が異なったようだ。片方は管理地の札が立ち、手つかずになっている。横の歩道を歩いているとヤナギハナガサの花が歩道に出てきていた。敷地内にはアレチハナガサとヤナギハナガサがめずらしく並んで咲いていた。もう一方の敷地は建造物の工事が進んでいる。その隅っこに、以前ここで咲いていたボタンクサギのように見える大きな葉の幼木が出ていた。キカラスウリのつるが下を這っていた。


その先のお家が取り壊されていた場所は土地が掘り下げられていた。崖はほぼなくなっていた。以前は崖の上から何かの実が落ちていて、しかし何の実だったか思い出せずにいた。歩道の植え込みから柿の葉が伸び出ていたのを見つけた。


交差点のホリホックは葉だけになった。となりで白彼岸花と鶏頭が咲き始めていた。草取りをしている途中らしく、取られた草がひとつかみになって歩道に放ってあった。


2019年5月28日

道の記


光化学オキシダント注意報が発令されている中での外出。空がぜんたい薄白く照っていた。遠くの山が見えているからだいじょうぶ、と自分に言い聞かせて歩いた。歩いているうち、だんだんと空の青が戻ってきた。橋の上は風が流れていた。川をのぞき込みながら歩く人とすれ違った。


高速道路のガード下の植え込みにはどうも何も植えられていないようで、かわりにチガヤがたくさん穂を立てていた。あるところからチガヤの穂がさらに増えて、一面チガヤの穂の白になっていた。私の頭の中もチガヤの穂の姿でいっぱいになりかけていたところ、アレチハナガサが1株、大きく育って紫の花の穂を掲げていた。



2019年1月14日

道の記


歩道の車止めのところでアレチハナガサが咲いていた。アキノエノコログサらしき草が、穂をこれから伸ばそうとしていた。その少し先ではヒメジョオンが咲いていた。春でも夏でも秋でもあるようだった。しかしほんとうはいまの季節を耐えて暮らしているのだろう。


宅地開発の大クスノキの林は完全に造成されて、建物が建つ前で工事が止まっている状態だった。クスノキを思わせる何物もなかった。道の際に何か輪生している葉があった。この葉がきっとこのあと、何かを伝えてくれると思った。


道に面しているお家の梅の木が伐られていた。庭木をすべて伐った様子だった。駐車スペースに蝋梅の幹や枝が、花を咲かせたまま横たわっていた。


鶏頭の花はしおれていた。風に、きっと音叉の棒が揺れるのはこんなふうにだという感じで、はじかれるように小さく揺れていた。


田んぼのコスモスが一輪だけ咲いていた。というより、花を残して枯れているようだった。田んぼには小さく穂を実らせた刈り跡の稲の株が白く並んでいた。


遠くの山を見ていると祖父を思う。山を教えてくれたのは祖父だった。何も変わらずに暮れ色をしている山並みを見ていて、山に行かないと、と思った。でもその前に、この果てなく変えられてゆく道を行かなければいけない。

2018年8月29日

道の記


むかしよく歩いていた道の、アレチハナガサが出ていたあたりからだいぶ手前の場所で、アレチハナガサの低い株を見つけた。歩道の車道寄りに、アレチハナガサとわからない感じでひっそりといた。あの場所にいたアレチハナガサと関係があるだろうかとちらっと考えたけれど、こちらはこちらで暮らしているのだろう。


この道を通ることもさらに少なくなりそうだ。むかし自分のクリスマスツリーだと思ってヨモギを見ていた駐車場は、変わらずヨモギが出ていた。どんどん姿を変えてきた街だけれど、私がここを通らなくなってもヨモギはきっと代替わりしながら暮らしていくだろう。そう思えた。


2018年7月19日

道の記


開発中の大くすのき林の場所は多くの重機が出て丘の掘削が進められていた。以前手前に見えていたくすのきの伐り株のあたりはすでに平らになっていた。丘の最上部だけが残っていてそこに伐り株や草がわずかに見えた。


歩道との境に、以前大きく茂っていたボタンクサギが小さくなって花を咲かせていた。離れたところにくすのきだと思う枝や根が少し集められていた。そこからなのかわからなかったがかすかに、くすのきの香りがした。呼ばれたのだと思った。


田んぼで稲が風にさやさや鳴っていた。それを聞いて先へ歩くと、隣のお家の前になぜか稲が1本、根から抜かれて横たわっていて、そのお家の車がその稲を踏んで出かけていった。抜かれた理由があったのかもしれないがと思いつつ、田んぼの畦に稲を安置した。


行きも帰りも行く手の信号が次々赤になるので、道のあちら側から何かが呼んでいるのか、と思い、道の反対側へ渡った。何か見られるのだろうかと思いながら歩道を歩き出してすぐ、路面にアゲハを見つけた。乾いて路面に張り付いていた。ていねいに剥がして植え込みの下へ移した。


(この日はほかにも歩道を横断中の芋虫や、乾いたミミズ、そして最後にはアブラゼミを場所移しした。アブラゼミは生きていて、近くの公園の桜に移した)


帰りにも大くすのき林の横を通った。ボタンクサギとアレチハナガサとヤナギハナガサの花々が同じ色合いの夕空に並んでいた。くすのきの香りはもうしなかった。

2018年7月15日

道の記


オフィス街にあった公園が再整備されたという話を聞いていた。以前通ったときはたくさんの木が茂っていて、街の中の森だった。たまたま近くまで来たので、再整備後を見てみようと思い、足を向けた。がらんとしたグラウンド状の空間になっていた。どうも観光バスの駐車場みたいなものになったらしい。その周囲に、ぱらぱらと若い木々が植えられ、片隅に以前からの木らしきケヤキが樹冠を広げていた。

グラウンドは陽に照らしつけられていた。アレチノギクやチチコグサモドキがぽつぽつと生えていた。


草を見始めた道をひさしぶりに歩いた。当時のなごりはほんとうに少なくなった。ツイッターのアイコンに使っている広い空き地の草を写した写真の場所は、その後しばらく空き地が続き、アレチハナガサが咲いていたが、やがて駐車場になり、いまはマンションが建っている。写真に写っている草も、アレチハナガサも、その子孫は近くに見当たらない。

ちょうどその場所でむかし、写真を撮っていて通りがかりのご高齢の方から声を掛けていただいた。楽しく話をしてくださり、パンまでいただいた。その方とはそこで二三度お会いした。そこに長く立ち止まっていたらいつかまたお目にかかれるのではとも思うが、いまでは立ち止まっていたら通報されそうな場所になってしまった。

ほんのすこし立ち止まって、アイコン写真のように空を見上げた。マンションの黒っぽい壁が一面に広がっていた。

2017年6月22日

道の記


公園再整備工事はまだ始まっていないようだった。切り株のまわりにできたポプラのひこばえの森はますます高く深くなっていた。葉の脇に樹液というのかなんというのか水っぽいものが溜まっていた。指に付けて匂いをかぐと、すっと芳香がした。ときおり雲が薄くなって、若葉がきらきら輝いていた。


高い土手の上の道沿いにアレチハナガサが群生している。ちらちらと小さな紫の花がたくさん。そこから少し離れたところに1株ぽつんといる。そちらのほうは人の手近にあたるところで、どうも茎が真ん中で折られたようで、そこから真下に垂れ下がっている。下のほうで花が咲いていた。


去年アレチノギクが出ていた駐車場端の電柱のふもとに今年もアレチノギクが出ていた。今年もすでに綿毛を出していた。

2016年9月26日

道の記


川の向こうからキンモクセイの香りが漂ってきた。橋の上から見渡したが、どこからかわからなかった。もうそんな季節になったのか。


新しい大きな道路に囲まれた古い町で、路地とも言えなさそうなほどの小道にタツナミソウが並んでいた。これからその道を呼ぶときはタツナミソウの小径。


福岡のこのあたりでは、辻の神様はほとんどが猿田彦さま。今日歩いた道の猿田彦さまの前に、目立たない感じの花が供えてあった。野辺の花を供える、だろうかと思って立ち止まって見たら、アレチハナガサの花の穂が1本、瓶に活けてあった。ほんとうに野辺の花。暑い日差しの下で心あたたかくなった。


ビルの谷間の小さな公園で日差しに並び咲く彼岸花を見ていたら、どこからかラーメンの香りが漂ってきた。

2016年7月2日

道の記


ひさしぶりにこの道を通ってみようと思って通った道で、街路樹が伐採工事を受けている途中のことがしばしばある。きょうはイチョウとモミジバフウが伐られていた。1本だけさっと年輪を数えてみたが40年ほどになる木だった。


別の道では、ひこばえが出始めていた切り株のセンダンもまた伐られていた。よく見ると株がぼこぼこしている。幹まわりが小さく、あまり大きく育ったことがないのだと思うが、これまでに何度も何度も伐られた様子。


コインパークになって5年6年ほどになる空き地。以前はアレチハナガサが丈を伸ばしてたくさん咲いていた。駐車場になってからはほんのわずかな隙間から小さく生えている。ときどき刈られて姿がなくなる。今年はどうかと思っていたが、10cmになるかならないかぐらいの丈で花を咲かせていた。


桜が見事だったお家の跡地は何かが建てられる様子。打ち込まれた鋼板のそばで、ケヤキらしき幼木が数枚の葉を広げていた。