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現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)

2018年8月31日

道の記

以前は歩道に大きく育ったケヤキが木陰を作っている緑の道路だったが、あるときケヤキが伐採された。そのスペースで何かまちづくり的なことをするのだと言われていた。そのあと道路が陥没したのだった。ひさしぶりにその道を歩いたら、植え枡が出来ていて細長く仕立てられたケヤキが植えてあった。陰は作れそうにないけれど青い実をつけていた。


2018年8月29日

道の記


ホリホックが切られて丈が低くなっていた。こんどはケイトウが花の用意をしていた。ホリホック今年も花を見せてくれてありがとう。ケイトウ今年もよろしく。


稲穂の香りがした。昨年この香りがしていた頃は自分にはたいへんな時期だった。1年が経って、今年もいくらかたいへんだったけれどもなんとか乗り越えられそうだと感じた。稲穂はすでに色づいていた。


遠くに山が見えるほうの大クスノキ林だった場所は、このまえ横を通ったときからさらに丘が削られていた。ボタンクサギの花は終わりつつあった。横を歩いていて一瞬だけ1か所で、樟の香りがかすかにした。あいさつをもらったと思った。


道の記


むかしよく歩いていた道の、アレチハナガサが出ていたあたりからだいぶ手前の場所で、アレチハナガサの低い株を見つけた。歩道の車道寄りに、アレチハナガサとわからない感じでひっそりといた。あの場所にいたアレチハナガサと関係があるだろうかとちらっと考えたけれど、こちらはこちらで暮らしているのだろう。


この道を通ることもさらに少なくなりそうだ。むかし自分のクリスマスツリーだと思ってヨモギを見ていた駐車場は、変わらずヨモギが出ていた。どんどん姿を変えてきた街だけれど、私がここを通らなくなってもヨモギはきっと代替わりしながら暮らしていくだろう。そう思えた。


2018年8月25日

道の記


蝉を拾い上げるのはその日3度目だった。最初は駅のホームの点字ブロックの上にいた。手に掴まらせたものの近くに緑がなく、駅を出て木々を探しているうちに自分から飛び立って行った。その次は歩道の上だった。蝉はもう乾いていた。すぐ近くに街路樹が立っていたがそのふもとは裸の地面だった。暑そうだったがそこに安置した。3度目は、歩道の排水溝の網に挟まっていた。自分から入れるような隙間ではなく、力で押し込まれたようでもあった。そこから取り上げて近くの草の茂みに移した。

そのようすを横で御婦人がご覧になっていたようで、声を掛けてこられた。その方は、私も虫を見つけたらそうしている、とおっしゃった。中にはわざわざ踏んでいったりする人もいるけれど、あなたが蝉を移してくれてうれしい、そうおっしゃってくださった。私からはあまり言葉が出てこず、失礼してしまった。


街路樹のクロガネモチがいた植え枡は、かわりにアキノエノコログサとオヒシバが小さな緑をつくっていた。一帯の工事は止まっているように見えた。


2018年8月16日

道の記


オヒシバが生えていた道路際は舗装し直されて草がまったくいなくなった。少し離れた所にノゲシがいて、ひとつだけ花を付けていた。


道の記


クサギのトンネルでは花が咲いていた。香りで気が付いた。


そのトンネルを抜けたところの斜面でツワブキが咲いていた。綿毛になっている花もあり、しばらく続けて咲いたのだろう。そうこうして見ていると、斜面をすうっとハンミョウが降りてきた。


ビルの前のやや傾いていたケヤキがいつのまにか他の木に植え替えられていた。木の植え枡にはたくさんの草が茂っていて、だいぶ前に植え替えられたのだろう。よく通る道なのに自分がそれに気付かなかったことが残念だった。新しい木は種類がわからない。私にはまだ以前の木の景色が見えるようだった。



2018年8月10日

道の記


昔、春の浅い頃、木を見上げながら、欅の細枝が好きというつぶやきを聞いた。十何年ぶりにその木に近寄って見上げた。榎の木だった。解き放たれた気がした。


道の先に、シャボン玉を吹きながら歩いている人が見えた。シャボン玉がここまで流れてくる。同じ方向へ歩いていてその人はときどき立ち止まってシャボン玉を吹くのだけれども私は追いつけず、だんだんとその人が遠くなり、シャボン玉もここまで届かなくなった。その人は突き当たりを右へ曲がっていった。私はいちど立ち止まって左へ曲がった。


大きなショッピングモールが立ち並ぶ郊外型道路の真似をしようとしている昔からの道路。信号待ちをしていたら、横のほうのアキノエノコログサの茂みにすずめが一羽とりついて穂を引き下ろしていた。その様子を見ながら歩き出そうとしたら、足元にエノコログサが小さく生えていた。車が止まって待っていた。


この景色は私が死んだ後も残っていそうだと思いながら、都市高速の大きな高架の下を歩いた。川を見下ろして比較的大きなセンダンの木が生えている。そのセンダンの木までヨモギやエノコログサが立ち並んでいて、その手前に若いセンダンの木が小振りに茂っていた。夕日は見えなくなっていた。

2018年8月5日

道の記


街路樹いちょうの伐り株の場所は、いちょうのひこばえと立ち並んでいたオオアレチノギクが立ち姿のまま枯れていた。いちょうのひこばえもしおれていた。その横を車がぎらぎらと走っていった。


大くすのき林だった場所では残っていたくすのきの伐り株のひとつが掘り出されて土むき出しの斜面に置かれていた。ひこばえがまだあおあおとしていた。


帰りにもその横を通った。飛行機雲が短くちぎれて夕焼け雲になっていた。



道の記


ビルの谷間に山のように育ったヨウシュヤマゴボウを見つけた。剪定の跡があった。


街路樹が並ぶ道路の植え枡に1か所夾竹桃が植えてあるが、そこから少し離れた花壇の下から夾竹桃の若い枝が伸び出ていた。


ひまわりが踏み倒されたと聞いたひまわり畑を訪ねた。倒れたひまわりはすでに撤去されていた。根が抜かれてぼこぼこになっている地面を蟻や小さな黒い虫がいそがしく這っていた。残ったひまわりは夕日にうなだれて種子を育てていた。


取り壊されつつある建物の工事防音幕に、以前からそこにいたキカラスウリが登っていた。白い花のいくつかはちょうど咲いたばかりに見えた。夜間灯がその花を向こうから照らしていた。

2018年8月3日

道の記


セイヨウタンポポ電柱のネズミムギは緑味を残していた最後の茎も色褪せていた。


大通り沿いの伐られた桜の根から出ている枝は変わらず茂っていた。イノコヅチも元気にしていた。


ランタナの電柱は緑のものはいなかった。ねこじゃらし電柱も、以前自分が置いていた抜かれたねこじゃらしがそのまま横たわっているだけだった。


カヤツリグサの仲間の草をしゃがんで見て立ち上がってくらくらっとした。夕方の空は薄く煙って、遠くの山には紫色の雨が降っているように見えた。


2018年7月30日

道の記


アキノノゲシの空き地のところまでやってきて、そういえば工事をしていたのだったと思い出した。現在はマンションショールームになっている。種類がわからなかった小さな花も出ていたのだったが、そのあたりはショールームの中になっていた。歩道との隙間にアキノエノコログサが少しだけ居着いていた。


1号札のいちょう若木は葉の端から茶色になっていた。ほかのいちょうは緑のまま。今年の夏もそうやって越えていくのだろう。


比較的新しく更地になったように見える空き地の歩道際で、いろいろの草と同じほどの丈のさるすべりが花を咲かせていた。

2018年7月28日

道の記


この春に公園再整備工事は終わったはずだが、昨年秋を最後にその公園にまったく行っていなかった。もとは大きな木々があった公園だったが、トウカエデ1本を残して細い新樹がところどころ植えてある、広く見渡しのよい公園になっていた。誰もいなかった。とても暑かった。

以前ポプラがそびえていたあたりはもとは斜面だったが、高さが変えられて歩道になっていた。ポプラが地中から出ているのではないかとほんのわずかに思っていたのだけれど、草刈りが入ったばかりのようで、新しく植えてあるもの以外には何も伸びていなかった。ポプラの木の香りがかすかにするような気がしたが、植え込みに敷いてある木材チップの香りかもしれなかった。

残されたトウカエデもだいぶ枝を落とされたように見えた。以前の公園には大きなクスノキがまんなかに鎮座していて、こどもたちがその木陰で遊んでいた。あのときの景色のほうが、いまの無人の光景よりも自分の近くにあるように思えた。


2018年7月25日

道の記


隙間から出てきたヨウシュヤマゴボウを大きく育てているお店があるのだが、この暑さのためか枯れていた。根元に新しい葉が出ているようだった。


ばら色の雲と青白い月。引き返す頃には雲の形は無くなって月だけが青白く輝いていた。

2018年7月24日

道の記


たまに訪ねる、むかし風の欄干の橋を訪ねた。来てみてそういえば欄干が最近新しくなったのだったと思い出した。橋のたもとの大きなセンダンの木も伐られてだいぶ経つ。低い樹冠が出来ていた。近くに寄ると樹冠にキカラスウリやヤブガラシが少し絡み付いていた。どちらも花が咲いていた。


十何年ぶりかに通る小道。強い西日に向かって歩いていてほとんど景色がわからない。林だったあたりに新しい家が建っていたが、林はその先に残っていた。夏休みの格好のこどもたちが追い越していった。

2018年7月21日

道の記(久留米)


久留米の筑後川を訪ねた。昨年の水害の後も行ったけれど今年も河川敷が水没したようで、粒子の細かい土が積もり、竹や材木やあまり大きくない生木が流れのよどみだったらしき場所に溜まっていた。


以前ときどき河川敷の公園に寄り、けやきの下で少し時間を過ごしていた。けやきはその後調子が悪くなっていたが、ひさしぶりに行ってみたら葉が出ていなかった。根元に川草が土塊ごと絡んで枯れていた。その土から何かの草の双葉と何かの草の一枚子葉が芽生えていた。


河川敷の遊歩道を歩いていると、手のひらを広げたぐらいの大きさの丸い物が乾いた泥の路面にあった。そっとつつくとゴムボールだった。青地で土にまみれて少し空気が抜けていた。どこのこどもさんと遊んでいたボールだろう。ボールはそれ以上何も語らなかった。そこにあったままにした。


水害の前に薬品流入か何かで魚が死んだと聞いた池町川も訪ねた。まちは夜市でにぎわっていた。そのまちのあまりにぎやかではない側を池町川は流れる。川をのぞきながら歩いた。ハヤがちらっと見えた。その先に鯉がいた。魚はだいぶ少ない印象を受けた。川を見ながら歩く大人の方やこどもさんを見かけた。


公園にある昭和28年水害の碑も訪ねた。近くの水場ではこどもたちの歓声がしていた。やがて日が傾いて公園が静かになった。いろいろな種類の雲がいかにも夏色な空にそれぞれに陣取っていた。碑はいつもと変わらずに、そのときの水位の高さを自分の丈で示しながら空にそびえていた。

2018年7月19日

道の記


開発中の大くすのき林の場所は多くの重機が出て丘の掘削が進められていた。以前手前に見えていたくすのきの伐り株のあたりはすでに平らになっていた。丘の最上部だけが残っていてそこに伐り株や草がわずかに見えた。


歩道との境に、以前大きく茂っていたボタンクサギが小さくなって花を咲かせていた。離れたところにくすのきだと思う枝や根が少し集められていた。そこからなのかわからなかったがかすかに、くすのきの香りがした。呼ばれたのだと思った。


田んぼで稲が風にさやさや鳴っていた。それを聞いて先へ歩くと、隣のお家の前になぜか稲が1本、根から抜かれて横たわっていて、そのお家の車がその稲を踏んで出かけていった。抜かれた理由があったのかもしれないがと思いつつ、田んぼの畦に稲を安置した。


行きも帰りも行く手の信号が次々赤になるので、道のあちら側から何かが呼んでいるのか、と思い、道の反対側へ渡った。何か見られるのだろうかと思いながら歩道を歩き出してすぐ、路面にアゲハを見つけた。乾いて路面に張り付いていた。ていねいに剥がして植え込みの下へ移した。


(この日はほかにも歩道を横断中の芋虫や、乾いたミミズ、そして最後にはアブラゼミを場所移しした。アブラゼミは生きていて、近くの公園の桜に移した)


帰りにも大くすのき林の横を通った。ボタンクサギとアレチハナガサとヤナギハナガサの花々が同じ色合いの夕空に並んでいた。くすのきの香りはもうしなかった。

2018年7月15日

道の記


オフィス街にあった公園が再整備されたという話を聞いていた。以前通ったときはたくさんの木が茂っていて、街の中の森だった。たまたま近くまで来たので、再整備後を見てみようと思い、足を向けた。がらんとしたグラウンド状の空間になっていた。どうも観光バスの駐車場みたいなものになったらしい。その周囲に、ぱらぱらと若い木々が植えられ、片隅に以前からの木らしきケヤキが樹冠を広げていた。

グラウンドは陽に照らしつけられていた。アレチノギクやチチコグサモドキがぽつぽつと生えていた。


草を見始めた道をひさしぶりに歩いた。当時のなごりはほんとうに少なくなった。ツイッターのアイコンに使っている広い空き地の草を写した写真の場所は、その後しばらく空き地が続き、アレチハナガサが咲いていたが、やがて駐車場になり、いまはマンションが建っている。写真に写っている草も、アレチハナガサも、その子孫は近くに見当たらない。

ちょうどその場所でむかし、写真を撮っていて通りがかりのご高齢の方から声を掛けていただいた。楽しく話をしてくださり、パンまでいただいた。その方とはそこで二三度お会いした。そこに長く立ち止まっていたらいつかまたお目にかかれるのではとも思うが、いまでは立ち止まっていたら通報されそうな場所になってしまった。

ほんのすこし立ち止まって、アイコン写真のように空を見上げた。マンションの黒っぽい壁が一面に広がっていた。

道の記


砂利敷の広い空き地にヒメヒオウギズイセンがぽつんと咲いていた。


この前取り壊された旧家の跡地の横を通りかかったとき、その敷地の向こうのほうに猫が入ってきたのが見えた。この前はここにカラスがいたのだった。猫はここで何をするのだろうと思っていたら、すぐに腹を上に向けてごろごろと寝転がり始めた。


公園の入口で蝉の幼虫が踏まれたらしく路面で動かなくなっていた。そのそばにも同じように動かない幼虫がいた。近くに、木の幹を見ているこどもさんとお母さんの姿が見えた。蝉の幼虫を探しているのではと思った。路面の幼虫を植え込みの茂みの下に移してさっと立ち去った。


繁華街の狭い通りはいつものように人が行き交っていた。あかあかと店の照明や看板が光る中、小さな植え込みで丈の低いサルスベリがほの赤く咲いていた。

2018年7月14日

道の記


学校の隅に大きな桐の木が立っていた。そこから少し離れた道のそばに、どこから出ているのかよくわからない若い桐の木が張り出していた。そこから見える学校の桐の木と呼び交っているようだった。


この雲はうろこ雲だろうかそれともひつじ雲だろうか…と思いながら歩いていて、作業姿の方々が塀に絵を描いているところに行き合わせた。こどもたちがいろいろな乗り物に乗っている絵。幼稚園の塀だった。園のこどもたちがきょう帰るとき、わあ、と声を上げて通っていくだろうなと思った。


あちこちでオオアレチノギクやセイタカアワダチソウなどの草たちがしおれていた。しばらく前から街路樹のいちょうの伐採が進められている道で、いちょうの伐り株の脇から伸び出たひこばえとそのまわりのオオアレチノギクが、同じように丸まっていっしょに雨を待っていた。

2018年7月13日

道の記


セイヨウタンポポがいた電柱のふもとには、いまは春の草が枯れて残っているけれども新しい草は出てきていない。少し離れた位置にしばらく前からネズミムギが1株いて、穂をいくつか立ち上げている。その穂も少し枯れ色が見えてきた。