道ゆく先々での、木々草々花々などさまざまの出会いとその後を、一筆箋に綴るつもりで。
From the Wayside: about my acquaintances of trees, flowers, weeds and others (written in Japanese)
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※ 現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)
2018年3月31日
道の記
土手のヒメオドリコソウは今年も出ていた。ここでもホトケノザと並んで咲いていた。
むかし通っていた桜を訪ねた。散り始めだったがみごとだった。若い桜の木の下でおかあさんたちが花見をしておられた。若い女性の方々もやってこられた。あのころお会いしていた方々にはこの数年はお目にかかれていないが、この桜をごらんになりながらつつがなくお過ごしのことと信じている。
母校の桜もみごとに咲いていた。キャンパスの移転が迫っていて、花姿を見ることができるのは今年が最後になるのではないかと思う。春休みで学生が少ないキャンパスを花がしずかににぎわわせていた。
2018年3月30日
道の記
中心街の放置されていた植え込みは花が植えられていた。
花壇の下に、なにかトウダイグサの仲間のように見える花の茎が切られたかちぎられたかして落ちていた。花壇にはそれらしき花はなかった。花壇の隅に差してその場を立ち去った。
あまり見ないヒメオドリコソウ、今年もこれまでの場所に出ていた。ホトケノザと並んで咲いていた。
桜並木の下に、手押し車の女性の方がやってこられた。オオシマザクラの下で、鳥がつついて落ちた花をひとつひとつ拾い上げて手押し車の中に入れておられた。
公園の端の桜の伐り株は芯が腐朽して穴があいていたのだったが、そこになにか球根が植えられていた。球根は短い葉を伸ばし始めていた。
2018年3月26日
道の記
お家の横の小さな犬走りに季節おりおりにいろいろなものが植えてある。きょうはハナダイコンがいっぱい咲いていた。そこに差し掛かって小さく手を振ると、ちょうど風が吹いたのか、ハナダイコンもいっせいに揺れた。私に手を振ってくれたと思ってにわかにうれしくなった。私が優勝パレードしていて沿道へ手を振ってハナダイコンが応えてくれたり、ハナダイコンが優勝パレードしていて私が沿道から手を振ったりしている絵を思い浮かべた。
遠く夕日を撮影している人が見えた。飛行機雲はめいめいの方向へ伸びていた。
道の記
宅地になると聞いていたくすのき林だが工事の札には違うことが書いてあった。手前の丘はしだいに削られてきて、すぐ前の斜面に見えていたくすのきの伐り株はまったくなくなった。丘の上に小さな伐り株があるようにも見えるが、よくわからない。遠くの山はきょうは霞んでかすかに見えるだけだった。
その山のほうに向かって歩きながら、なにかよくわからないせつない心持ちがずっとしていた。あたりにただよう花の香りのせいかもしれず、その花の香りと結びついたむかしの思い出のせいかもしれず、その山のふもとに結びついたもっとむかしの思い出のせいかもしれない。山まで歩いてもその答えにはならなさそうだった。
道の記
高熱を出し、ひさしぶりに車で送られるという体験をした。いつだったかの夏に歩いた道、街路樹の根元のすみれ、大通りに出る手前の草むら、そういえばそこのお家の道側は小さな畑だった…、と、見ていて涙が出てきた。今度は歩いてここを通ろうと思った。
2018年3月14日
道の記
旧い建物が解体されてねこじゃらし畑になり、そのあとマンションになった土地。敷地の隅に残っていたヒメウズが今年は出ていなかった。植え込みの端にカタバミの葉が見えていた。
電柱ランタナの伐り株は動きがない。その横から、ナガミヒナゲシのロゼットとアカカタバミが出ていた。
早めに咲くソメイヨシノの木は、つぼみが出ていたがまだ花の柄があまり伸びていなかった。それでもこの暖かさなので、明日明後日にも咲き始めておかしくない。その咲き始めには立ち会えなさそうだ。
数日前にはじめて水星を見た。日没後の西の低い空、金星がいくらか明るく輝いているその右上に、金星よりはやや暗く輝いている。きょう公園で双眼鏡で見てみた。金星と同じ金色に見えた。
公園のケヤキの樹冠の向こうを、さっきまで飛行機雲だっただろう長い雲がななめに横切っていた。
2018年3月12日
道の記
ホルトノキの植樹帯がなくなっていた。ところどころにほかの植物が植えられたり鉢が置かれたりもしていたのだった。横のお店に小さな鉢植えがいくつか置かれていた。
路地に面した大きなお屋敷が更地になっていた。地面から抜かれた木々が山積みにされていた。山茶花の花が見えた。敷地の端に槙の木の伐り株があった。まだ若く、根元から出ているのか伐られたのが落ちているのかわからなかったが根元で青々とした小枝が開いていた。
四つ角のひとつの角のお店の前に以前からヒメツルソバが出ていた。わずかな隙間からいきおいよく茂っていて、ある冬に寒さでやられてしまっていたのだが復活してまた茂っていた。その一帯が、舗装し直されていた。近くに来てみると隙間無く舗装されていて、ヒメツルソバが出てくる余地はなさそうに見えた。心惜しく立ち去ろうとしたとき、敷地の隅の隅にヒメツルソバの葉が少しだけ出ているのが見えた。
そのときが震災の時刻だった。遠くに雲の頂が見えていた。
道の記
唐実桜がなくなった線路脇には、柿の木の線路脇と同じように砂利が敷かれていた。大きなちぎれ根が1本、地面からうねり出ていた。そのまわりでオオイヌノフグリとフラサバソウがこまかな花を咲かせていた。
そこからあまり遠くない小さな場所で実桜が咲いていた。小さな木で、近くに寄ってみると若い頃にいちど伐られた跡があった。たぶん意図して植えられたものではなかったのだろう。いまの幹はその伐られ跡と同じくらいの太さになっている。花はなつかしく香っていた。
境内の再度伐られたくすのきは伐り株の断面がすっかり黒ずんでいた。芽が動き出している様子は見えなかった。
公園のヒマラヤスギは中程から上がなくなってしまったが、中程から下は変わらず葉を元気に茂らせていた。公園いっぱいにこどもたちが遊んでいた。
2018年3月11日
道の記
ずっと開いていないお店の前の放置されているプランターにいろいろな草がおりおり出ていたのだけれど、そのプランターがなくなった。お店の看板もなくなっていた。プランターの陰だったあたりから、ノゲシが伸び出て咲いていた。
ヒロハホウキギクが咲いていた大通りの中央分離帯をひさしぶりに渡った。ヒロハホウキギクは茎だけになって乾いて立っていた。となりのセイタカアワダチソウはかすかに緑味を残しているようだった。
坂を降りる途中、ソメイヨシノの枝が私の頭のすぐ上に伸び出していた。花芽の殻が割れていた。今年はどこで最初に花を見ることになるだろう。
宅地になることになったくすのきの林は、造成が始まっていた。手前に見えていたいくつかの大きな伐り株はどれもなくなっていた。丘の頂のあたりにいくつかの伐り株が残っているように見えたが、そこを残すという様子には見えなかった。色が変わった地面のところどころからちぎれ根が見えていた。
立ち去り際に立ち止まって振り返ると、遠くの山がくすのき林の丘と並んで見えた。山は青空の下で夕日に照らされて染まっていた。ふと、山が悲しんでいる、と思った。立ち去るとき、後ろからなにか鳥の鳴き声のような音がふたつ、きん、きん、と聞こえた。もう一度振り返ったけれど鳥は見えなかった。
ラベル:
クスノキ,
セイタカアワダチソウ,
ソメイヨシノ,
ノゲシ,
ヒロハホウキギク,
プランター,
山,
宅地開発中のくすのき林,
中央分離帯
2018年3月9日
道の記
もとセイヨウタンポポの電柱下は、スズメノカタビラの脇からホトケノザが出てきた。少し離れたところにセイヨウタンポポがいたのだけれど、そこもホトケノザが出ている。
柿の木の線路脇は砂利が入れられていた。すぐ隣には鋼板が立てられていて、遠からず大きな工事が始まりそうだった。
ラベル:
スズメノカタビラ,
セイヨウタンポポの電柱,
ホトケノザ,
線路横の柿の木
2018年3月7日
道の記
アキノノゲシがいた空き地はマンションショールームになっていた。地面は見えなくなっていた。
町は梅の香りが漂っていた。
遊歩道でご年配の方がベンチに腰掛けておられた。すぐ前のコンクリートにルリタテハがとまっていた。今年ルリタテハを見るのは初めてで、しゃがみこんで見ていたら、こどもさんが見つけて寄って来た。ときどき翅を開いて瑠璃色の模様が見えて、きれい、と言っていた。お母さんもやってきてひとしきり話した。そのあいだにご年配の方が立ち去っていかれた。みな立ち去ってルリタテハが最後までいた。
飛行機雲は雨になるよ、と、遊歩道を歩いていた方から教わった。
2018年2月26日
2018年2月22日
道の記
もう何年も歩いている大通りの歩道の脇に、気付かなかった伐り株があった。はこべの花に囲まれていた。
やはりよく通る道から見える公共施設の小さな倉庫の裏側から、いぬびわの木が大きく伸び出しているのに初めて気付いた。枝先にぱらぱらと実が見えた。
駐輪場の柵に赤いマフラーが結んであった。けやきの木がぜんぶ見ていたみたいにそびえていた。
交差点のこぶしの木にはたくさんの花芽がついていた。風が冷たくなっていて、ふかふかの花芽が少し暖かそうにも見えた。満ち始めたばかりの月が梢の向こうに見えた。
2018年2月20日
道の記
治療を受けている古木いちょうがいる屋敷跡は、いまマンションの建設工事をしている。対岸から見たらすでに高い建物ができていて、正面横のいちょうが建物の下で小さく見えた。絵本『ちいさいおうち』の絵のようだった。
中心街の大通りに面していた桜がなくなっていた。いま一帯が造り替えられようとしているところで、隣の建物も解体されて広々としていた。春、花の散る頃に通ると、人通りの多い歩道の上を花が舞っていた。その景色が、いま目の前にあるがらんとした広がりよりも自分の手前にあるように思えた。
咲きかけのさざんかの木が置かれていた更地は駐車場になるようだった。工事が進められているその奥に、色の褪せたさざんかの木とほかの木々がまとめて横たえられていた。
ラベル:
イチョウ,
サクラ,
サザンカ,
旧小学校の桜,
飯田屋敷跡のイチョウ
2018年2月13日
道の記
10年ぐらい前にこの橋を歩いたときもやっぱり冬の最中で、手すりの下にすみれがいた。きょうもすみれはいた。たもとに雪を溜めていた。河原では鴨たちがじっとしていた。
夜の道で、雪があられになった。あられは路面に降りても留まるところがなく、荒波のように、いや荒波でさえこんなに荒れてはいないと思うほど荒々しく路面の上を吹き流れていた。
吹き荒れる夜の大くすのき林を横に歩き過ぎながら、自分は明るくにぎやかな場所にいるよりもここで吹雪を受けながらずっと伐り株の木々を見ていたいと思った。手前の伐り株から伸び出ている短いひこばえがほの暗い雲にそびえ立っていた。
2018年2月12日
道の記
高い建物の上の給水塔のようなところから、からすが飛び立った。あとに何か鳥のようにも見える黒いものが残っている。からすだろうかと思ってしばらく見ていたが、遠くて、動いているのかどうかもよくわからなかった。幼木かもしれない。さっきのからすはそこで何をしていたのだろう。気が付くと、給水塔の真下に別のからすが1羽、ずっと留まっていた。
震える寒さになった。自動販売機でココアを買って飲んでいて、そこの庇の上からスズメノカタビラが出ているのが見えた。穂も出ていた。
公園で草探しをしていてこどもたちから声を掛けられた。近くの草を差して、こっちはアメリカフウロ、そっちはオランダミミナグサ…と話したら、すかさず、こんなにいろいろ名前を知っているなんてすごい、と言われた。ひさしぶりにこどもさんから誉められてうれしかった。
この前ここを訪ねたのは何年前だったか、そのときには伐られてまもなかったように覚えている大きな伐り株。時が経って、すっかりしずかになっていた。あちらの伐り株には小さな荷物が置かれて、おとうさんと女の子がゆっくりとおにごっこをしていた。
小学校は広々とした空き地になっていた。真ん中あたりに地面をそのまま活かした花壇が造られているほかは、あまり手を入れられていないように見えた。菜の花のように見える小さな葉が1列2列並んでいた。いろいろないろいろな春の草がところどころで同じく小さな葉を広げていた。さっきまでちらついていた小雪は、日差しにかわっていた。
2018年2月7日
2018年2月5日
道の記
雪ひらが次々と道路に当たってひとつひとつ砕けた。
車のいない大通りに横殴りに吹き荒れながら降りてくる雪ひらの中をなにか小さなビニール袋のようなものが翔け上がっていった。吹き荒れていても上がってゆくのはそのビニール袋だけのようだった。
耕作地が広がるその彼方の山を見ていたら、西の谷から吹雪がやってくるのが見えた。とんでもなく大きなものが襲ってきたように見えた。みるみるうちに山の景色は吹雪の煙に埋められた。それからほどなくここも吹雪になった。
道端でオニノゲシが花を開こうとしていた。春はここからはずいぶん遠くに思えた。
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