道ゆく先々での、木々草々花々などさまざまの出会いとその後を、一筆箋に綴るつもりで。
From the Wayside: about my acquaintances of trees, flowers, weeds and others (written in Japanese)
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※ 現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)
2016年11月28日
道の記
お家の前で、土がぜんぜんない様子なのにケイトウが1本花を咲かせていた。コンクリートの隙間に種子を蒔いてあったのだろうか、と思いながら通り過ぎた。そのすぐ近くの植樹帯で小さなひまわりが花を咲かそうとしていた。きっとそこのお家だと直観した。
公園のキツネノマゴはふたまわりほど小さくなっていた。刈られたのだろう。でも花を咲かせていた。近くにはエノキグサが1本だけ残っていた。ずいぶん色褪せて、葉に触れるとかさかさして破れそうだった。それでもほのかに緑色を残して、まっすぐ立っていた。
イチョウの切り株のひこばえはすでに落葉していた。ほかのイチョウの木から落ちた葉になかば埋もれていた。下校途中のこどもたちが歩道の落ち葉を軽く踏み歩いていた。
ラベル:
イチョウ,
エノキグサ,
キツネノマゴ,
ケイトウ,
ヒマワリ,
街中公園のキツネノマゴ,
伐株の街路樹イチョウ
2016年11月26日
2016年11月24日
道の記
小さな赤い実がなる木々の種類がどうも覚えられない。よく通る小路の舗装の割れ目から幼木が出てきて、秋にそういう実がなった。何だろうなと思いながら調べもせず通っていたのだが、先ごろ切られてしまった。いまも通るたびにその幼木を思い出す。種類はわからないままだけれど立ち姿を覚えた。
みごとに紅葉した柿の木を見た。実もなっていた。奥には保育園が見えた。こどもたちも見ているだろうな。
ちょっとした林に囲まれた古いお家があったのだが、しばらく前に取り壊されて木々も伐られた。この前そこの横を通った。草々のすみかになっていた。ヤブガラシがいっぱいに絡み付いた腰ぐらいの高さの何かから、柿の小枝が伸び出て数枚の葉を広げていた。
ラベル:
カキノキ,
ヤブガラシ,
赤い実のなる木,
林に囲まれた家の跡地
2016年11月23日
道の記(五ヶ山・小川内)
五ヶ山・小川内に行って雨の紅葉を見てきた。東小河内のもみじは1本はほぼ落葉、その手前の木に色付いた葉が残っていた。小さな木々の紅葉も美しかった。
小川内と東小河内とを結ぶ小橋のあたりに、もみじの木が多く生えていて、この季節に小川内を通ることがあるといつも橋の上から眺めていた。今日見たら橋が撤去されていた。橋のすぐそばのもみじの木もなくなっていた。川辺に残っているもみじが色あざやかだった。
旧小川内小学校から佐賀橋方向に少し下ったあたりに、桜のような木があるのに気付いた。その木も桜色に染まっているように見え、花が咲いているのかと思って双眼鏡で見てみたが、遠くてはっきりわからなかった。試験湛水の水がその木の少し下まで来ていた。
東小河内の桜には花がわずかに残っているのが見えた。春の花は見られるだろうか。
旧小川内小学校の桜の木は落葉していた。雨に濡れて黒々とした幹と枝が空へすっと伸びていた。もう空しかないと思い定めたかのようだった。
小川内の杉は現在のところ順調というお話を伺った。
いまも雨が降っているだろう。
2016年11月19日
道の記
草刈り直後だったようで、下見のときにたくさん生えていてこれを見たいと思っていた草がすっかり減らされてしまっていた。それでも草刈り機が届かなかったところでいくらかの穂を色付けていた。
セイヨウタンポポが刈られた後オヒシバが生えていた電柱下の隙間、いまはスズメノカタビラが穂を付けている。このまま春になるだろうか。
ラベル:
スズメノカタビラ,
セイヨウタンポポの電柱,
小さな草
2016年11月13日
道の記
2年ぶりぐらいに通った道でシロバナタンポポが咲いていた。私がふだん見ているあたりではあまり見ない、角状突起がめだたないやさしい感じのシロバナタンポポだった。ホトケノザはのびのび咲いていた。
去年見たときに傾いて倒れかけていた木は、立て直されて支えがしてあった。去年はそこでひとりでたっぷりとオカリナを吹いたのだった。今年はひとくちだけ吹いた。がさっという音がして、鳥の声がして色付いた木の葉が落ちてきた。
2016年11月12日
道の記(五ヶ山・小川内 新聞を読んで)
五ケ山ダム 元住民ら、水没前に見学|佐賀新聞LiVE http://www.saga-s.co.jp/news/saga/10105/375947 … を読んだ。11月3日のときのことだろうか。
11月3日のとき、ダムサイト(というのか)から、旧倉谷のあたりのコンクリートが広く敷き詰められた場所にバスが長く停まっているのが見えた。記事の写真はその場所で撮られたもののように見える。
まだ小川内を通ることができていた頃、もう家が無くなった敷地の石垣まわりに、なでしこのような花が咲いていた。お家で育てておられた花の名残りなのだろうと思った。その後立入禁止になってから、草が刈られたり木が切られたり土が掘り返されたりしていた。いまもあの花はいるだろうか。
九千部山に歩いて登ったことがまだ1度しかない。その1度が倉谷からだった。何十年前だろう。佐賀橋までバスで行き、倉谷を通って行った。祖父と一緒だった。祖父に山登りを教えてもらい、やがて祖父とは別に自分の行きたい山に行くようになったが、いま思えばもっと祖父と一緒に山に行きたかった。
祖父があのダムの光景を見たらなんと思っただろう。怒るよりは泣く人だった。
見に行くことはしなかったかもしれない。
2016年11月9日
道の記(はかた駅前通りの街路樹)
陥没でニュースに出ているはかた駅前通りは、車線を減らして歩行空間のにぎわいを創出する再整備計画が今年の7月に発表され、関連工事が進められている。計画を聞いたとき、歩行者中心の道というのはよさそうに思ったが、もともと街路樹の緑が豊かな通りで、木々が残されるのか気になっていた。
しばらく前、別の場所の樹木伐採のことをウェブ検索で調べていて、この通りの街路樹が伐採されたと書かれてあるブログ記事を見つけた。
現地を見に行った。片側の歩道では植樹帯の中に点々とケヤキの切り株が残っていた。浸出液が切り口を浸している株もあった。もう片側の歩道は植樹帯自体がなくなり、仮に舗装された感じになっていた。排水溝の網にケヤキの葉がついた小枝が絡まっていた。痛々しい思いで現地を離れたのを覚えている。
今回陥没したのはその一角にあたる。報道の映像で、片側に残っていた植樹帯の一部が陥落しているのが見えた。小枝が残っていた排水溝の位置も陥没の範囲に入っているように見える。
検索で、いろんな方がこの通りの街路樹のことに触れておられるのを読んだ。伐採を惜しむ声もあり、親しまれていた緑だったことが伝わってきた。さきほどテレビのニュースで現地のストリートビューが流れたが、木々がまだ伐られずにいた頃の映像だった。緑のケヤキの、枝の1本1本があざやかだった。
2016年11月8日
2016年11月5日
2016年11月3日
道の記(五ヶ山・小川内 見学会)
東小河内の桜はわずかに花が残っていた。枝全体が桜色に見え、蕊が残っているのか花芽が残っているのか。
旧佐賀橋をバスが通って行くのがダムの上から見えた(私は乗れなかった)。脊振の行き帰りに佐賀橋バス停をたびたび利用した。あの道をふたたびバスが通る景色を見ることができた、でもこんなかたちで見ることになるとは思わなかった。
試験湛水についても尋ねたのだけれど、早く水位が上がるのが見たいという印象を与えてしまったような気がしている。
試験湛水で水位が上がるまで時間は相当に掛かると思うが、それでも時間の問題ではあるだろう。旧小川内小学校の桜など比較的標高が低い位置の木はあまり遠くないうちに水がやってくることになるのではないかと思う。
堤体(と呼ぶのか)の上で眼下の光景を見ていたその時間にバスが締め切りになったらしい。長い列だった。下の光景をバスで間近に見た人たちが「ダムすごい」だけでない何かをそれぞれなりに感じ取ったのだったら、乗れなかったこともあきらめられる気がする。
いやそういうことじゃない。
小川内の杉も見てきた。まわりのほかの杉にも同程度の黄変が見られ、そのことから考えて、だいじょうぶではあるのかな…と思っている。
東小河内のもみじの木が紅葉する今月の中旬から下旬のどこかで行ってみたいと思っている。
2016年10月27日
2016年10月26日
道の記
去年は軒下で何かもろこしの仲間のような草を育てておられるお家があったが、今年はジュズダマをひと株育てておられるお家があった。じゃらじゃら実っていた。
排水溝からジュズダマが伸び出ていた場所は道路工事ですっかり様子が変わった。この前に通ったときは道の対岸にひと株だけジュズダマが残っていた。なかなか大きく育っていた。そこに暮らしていたたくさんのジュズダマの影が、そのひと株の向こうに見えていた気がする。
その道では以前、どういういきさつでかそこで出会ったご年配の方と立ち話になり、隣の公園の桜はむかしある方が植えられた木だと伺った。更地になる前にその桜を植えた方の御子息と連絡がとれ、桜の伐採前に花を見ていただくことができた、とお話しになっていた。
ああ。その道沿いにいろいろな木が植えてあるお家があったのだが、解体されて、更地になった土地からいろいろな木や草の芽が出ていたのだった。たぶんそれを写真に撮っていたときに声を掛けられたのだと思う。その出ている芽を指してこれは何々これは何々とお話しした覚えがある。
そういう立ち話をたくさんさせていただき、いろんなお話を聞かせていただいた。その思い出が、あちこちの道端、あちこちの木や草にある。
五ヶ山・小川内の桜のこと
『筑前国続風土記』巻之六に、五ヶ山各所のことが書かれているのを知った。大野・東小河内・西小河内(小川内:「西小河内」という表記は筑前の側からの表記だろうか)には桜が多いという話が書いてある。
いまは杉林が山を広く覆っているが、ところどころに山桜が咲いているのを見かける。小川内の杉が移設された場所の近くにも山桜の木が何本か生えている。東小河内の桜はそうした昔からの山の桜の子孫だろうか。
しばらく前に、少し関心があって『風土記』(の現代語訳)を少し読んだところだった。『筑前国続風土記』は時代がぜんぜん違うが、こうしたものを読むと、いまの土地のありさまやあり方について考えさせられる。
※ 大野は「櫻有」だった。網取にも桜が多いと書いてある。
2016年10月24日
2016年10月22日
思うこと(マスコット・守り神)
少し前にたまたま見ていたテレビで、沖縄のどこか道際の塀からパパイヤが出てきて実がなっているという話題が取り上げられていた。近くの方が、見ていて拝みたくなるとおっしゃっていた。その言葉を聞いて、自分が思ってきたことが自分で腑に落ちた気がした。
まちなかの植物を見始める少し前、私は「マスコット(守り神)」的なものに関心を持っていた。暮らしのそばにそうしたマスコット的な存在の何かがいて(何かをそのように思って)、人は日々そうした存在と(あまり意識しないままに)関わりを持って暮らしているのでは、ということを考えていた。
別に顕著なご加護があるのでなくとも、人とは違う何か(しかし「ただのモノ」ではない何か)を身近に見出だしたり思いなしたりして、そうしたものものとの関わりを持ちながら暮らしている、そういうことへの関心があった。研究テーマになるかなと考えたこともある。
まちの植物をことさらそうした関心から見るようになったわけではないけれど、しばらく経って振り返ったとき、自分はまちの植物をある意味「マスコット」のように思いながら見ていた気がした。道端から道を行く人々を見守っているのではないとしても、そこに鎮座して日々の道行きに隣り合う「誰か」。
道の辺のパパイヤを拝む、と聞いて、そんなふうに考えたり思ったり感じたりしてきたことごとがさっと一列に並んだように思った。
東小河内の桜に花が咲いているのを見て、思わず手を合わせた。そうせずにいられなかった。
調べたら、桜の場所はやはり神社の境内だった。神社はどうも近くに移転しているらしく、おそらく地元の方々がお世話を続けていらっしゃることと思う。その行き帰りに桜もきっと見えていることだろう。
2016年10月17日
道の記
市街中心近く、初めて通る細道の細い犬走りにいろいろな幼木が生えていた。けっこう丈が伸びていて、生えてきたのを育てているように見えた。塀の中からはイチジクが枝を伸ばして実をみのらせていた。
毎年クリスマスにまちなかのある辛夷の木の写真を撮っている。近くに派手なツリー形イルミネーションがあって名物になっているのだが、辛夷の木のほうも街灯に照らされてほのかに輝いている。花がぱらぱらしか咲かない。きょう近くまで来たので見てみたら、粒のような小さな実がいくつかみのっていた。
ある公園がクリスマスイルミネーションを始めたとき、クリスマスはほのかな明かりを灯せばいい、と旧アカウントで書いた覚えがある。ぎらぎらしてにぎにぎしいクリスマスよりほのかに照らされるおだやかなクリスマスのほうがクリスマスらしく感じる。
公園の中の島から、宵の明星が見えた。湖面に明るい星が映っていて、それに気付いて木陰を出て空を見たら、金星だった。ああ宵の空にやってきていたのか、と思った。そのすぐ近くにアンタレスが見えていた。いて座の星々もかすかに。ここでは夏は終わっていなかった。
2016年10月15日
道の記(五ヶ山・小川内)
五ケ山ダム水没予定地の桜(やはり山桜だと思う)、さらに開花が進んでいた。遠目でしか見られないため何分咲きとも言えないけれど、樹冠全体が華やいでいる。双眼鏡では(花かつぼみか見分けられないが)たくさんの白い点が枝いっぱいに。
不時咲きでも満開になることがあるのだろうか。
秋にも咲く品種の桜なのだろうかとも考えている。十月桜は知っているけれど、春も秋も花がまばらな印象があり、違うように思う。秋から冬にかけて咲く品種がけっこういろいろあるようで、近くで花を見られたなら見分けができるのかもしれないが。
ともあれ花であるには違いない。
小川内の杉がもともといた場所の近くで別の木の移植作業(に見えた)が進められていた。以前、アカガシを移植するという工事予告が出ていたので、そのアカガシではなかろうか。
桑の河内の(新しい)お堂の横の大いちょうは1か所だけがあざやかに色付いていた。まだ調べていないけれど、このいちょうもたぶん、お堂と同じく現在地に移されてきたのだと思う。
五ケ山・小川内の杉の所へ行く途中に、南畑ダムに沈んだ集落、道十里の碑がある。「垂乳根の大銀杏」という木があったそうで、ウェブなどでその名を見る。いまもダム湖に沈んだままらしい。以前、地元の方からだいたいの場所を教わって行ってみたが、何のよすがもなかった。湖面が静かに広がっていた。
※ 後日、湖面に出ている枯れた大きな木が「垂乳根の大銀杏」だとわかった。https://michinohata.blogspot.jp/2017/06/blog-post_21.html
2016年10月13日
道の記(防災植物に思う)
どういう流れか忘れたが、公園の植物を採っていけないのだとなると、草笛もできないのか、ヨモギなど摘んで食べてもいけないのか…などと今朝ぼんやり考えていた。どうもちょうどその時間ごろにテレビで防災植物?の話をしていたらしい。
しばらく前に歩道でぎんなんを拾っていた方がおられたのを思い出した。私がそこに差し掛かる前にほかの通行人の方から何か言われていて、そのためか私が差し掛かったときにはちょっと御機嫌がよろしくなさげだったので、黙って通り過ぎた。しかし私も冷たい視線を向けていたと思われたなら残念。
きょうひさびさにツイート検索ができていて、防災植物の件もちょっと見てみたが、その結果にいろいろ思う前に、竹西寛子さんの「早蕨」という随筆を思い出した。むかし毎年春に、東京の家の近くの野原でツクシやヨメナなどを摘んでいて、そこでいろいろな人たちと出会ったという話。
また、多田智満子さんの「木の実をひろう」も思い出した。木の実を拾うとき人は大地を拝んで木々の恵みをいただいているのだ、と。農耕でなく(そして購入するのでもなく)、採集していただくことの心が書かれていたように覚えている。
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