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現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)

2016年12月31日

道の記


ヤブガラシに取り囲まれていた柿の切り株から伸びていた枝はすっかり落葉し、冬芽がついていた。わずかなひこばえを切られた桜の切り株のほんのわずかに残った小枝も落葉し、次の春のための芽をつけていた。

2016年12月30日

道の記


春の雲を冬の日差しが射ている。

2016年12月26日

道の記


そういえば、行き道沿いのお家の梅が咲きかけていた。いまはもう咲いているのではと思う。

2016年12月25日

道の記


暑いクリスマスになった。ジャケットだけはおって外出したが、汗が流れる。モンシロチョウが飛んでいた。

道の記


こういう日は風に吹かれるのがしあわせな気がして、川の土手を行った。秋の草刈りからなんとか膝丈まで伸びたセイタカアワダチソウがその高さで咲き揃っていた。さらに少し行くと、もっと小さい10数センチくらいのセイタカアワダチソウがちょこんと咲いていた。


今年の心のクリスマスツリーはそのセイタカアワダチソウ。


10年ぐらい前だったか、空き地にクリスマスツリーみたいな形にヨモギが茂っていた。その頃は、そのヨモギが心のクリスマスツリーだった。同じ空き地に1本のエノコログサが生えていて、そのエノコログサにもなぐさめられた。

2016年12月22日

道の記


今年見たいちばんのイチョウ黄葉は1本の街路樹だった。ほかの木々が葉を落とし終わりつつあるなか、その木だけが全身を黄色にして青空に照っていた。学校帰りの中学生たちが、私が見上げているその木を一瞬見上げて行った。

2016年12月18日

道の記


眼鏡を壊した。歩いていて足元の草の種類がぎりぎりわかるかどうか。タチスズメノヒエとかエノコログサなど伸び上がる草はわかる。地面に近いものでもタンポポなどはわかる。でも葉が小さい草はきびしい。


それでも、イヌノフグリが毎年出る場所で、ここにいそうだと思って顔を近付けたらイヌノフグリの本葉が出ていたので、なんとはなしに「見えて」いるのだろう。


川沿いに何か気になる草が見えて、近付いて見たら、ミゾソバだった。花が咲いていた。むかしある機会にこどもたちと一緒に摘み集めて、調理して食べたのを思い出した。


草を食べる話を書くのはちょっと用心したほうがよいのかもしれない。


けっきょく眼鏡は今日新調した。修理は時間もお金も掛かると言われ、やむなく。ひさしぶりに眼鏡なしで歩いて、草や木やいろいろのものものを生身の目で見る見方をあらためて思い起こすきっかけになった。

2016年12月17日

道の記


セイヨウタンポポからオヒシバへと主が変わった電柱下の舗装の隙間、しばらく前にスズメノカタビラが生えてきて、いまは穂を出している。そこから少し離れたブロック塀の下でセイヨウタンポポが花をひとつ咲かせていた。


この時期、イルミネーションのために電線をぐるぐる巻かれている木を見ると、実害があるのかどうか定かに知らないが、なんとも苦しげに見える。今日通った小道から見えた昔ながらのお家では、庭先の小さな裸の木に小さなモールとクリスマスの星飾りが、その木をお祝いするように掛けてあった。

2016年12月14日

道の記


公園で、足元にもみじの実がたくさん落ちていた。あたりを見回すと、すっかり落葉したもみじの木がそばにあった。風が吹いて、実がいっぱい、くるくる回りながら飛び離れていく。実のひとつが私の胸に当たって落ちた。実の飛んでいく合間に、葉がひとつ落ちていった。


風草をひさしぶりに見た。町外れの旧道の道端にまとまって生えていた。白くなっていた。晴れた空に山の木々が色あざやかだった。


風草は漢字で書くのが好き。

2016年12月10日

道の記


ねこじゃらし電柱もランタナ電柱も変わらずだった。ねこじゃらしはここでは元気にしていた。

2016年12月8日

思い出



以前、空き地の脇で草を見ていたときに声を掛けてこられたお歳の男性の方のことをこのごろ思い出している。入院中の奥様に近くの草花を持っていくのだとおっしゃっていた。草が好きそうな人に見えたからこの話をした、そういう人でないとわかってもらえんからね、と、にこやかにお立ち去りになった。

道の記


もみじの実が歩道に落ちていた。近くにはもみじが見当たらない。翼が半分になって、実もかなり乾いている様子だった。どこかに置こうかと一瞬思ったが、そのままにしておいた。

2016年12月5日

道の記


今年になってクスノキだとわかった小さな切り株、あおあおと茂っていた。この夏に弱った近くのツツジもどうやら復活できたようで、ぱらぱらと葉を出していた。


切り株のクスノキをあちこちで見ているので、後で自分で読み返してわかるかどうかわからないが、小さな公園の切り株クスノキもたくさんの枝を勢いよく伸ばしていた。こちらはエノキの枝も伸び出して、にぎやかになっていた。

2016年12月4日

道の記


桜の切り株から出ていたひこばえが切られていた。一帯の草が刈られていたので、たぶん一緒に切られたのだろう。伐採されて3年になり、切り株そのものもかなり朽ちてきたが、芽を出して伸ばして、切られてもまた芽を吹くことを繰り返して頑張ってきた。


近くに、切られた小枝が放置してあった。緑の葉が残っていた。切り株のところに戻した。次に芽を出すのは春になるだろうか。


ムラサキシジミが路上にいた。拾い上げると足をゆっくり動かした。近くにイヌタデやヘビイチゴが低く咲いていた。そこに移した。さっきは閉じていた翅を小さく広げていた。

道の記


田んぼの脇に小さなフラワーポットがあって、いつも何かの花が咲いている。稲穂が実る時期はその花との競演がすてきだが、収穫が終わったいまはその花が一点をあざやかに彩っている。と思っていたら、ポットの近くの畔でノースポールに似た花が一輪咲いていた。


ニチニチソウに似た花も咲いていた。園芸の花は種類がよくわからない。

2016年12月3日

道の記


出先で少し体調がすぐれなくなり、K公園で休んだ。先日ここでラクウショウの紅葉を見たが、きょうはメタセコイアも紅葉していた。歩くといろんな楽器の音が聞こえてきた。

2016年11月28日

道の記


お家の前で、土がぜんぜんない様子なのにケイトウが1本花を咲かせていた。コンクリートの隙間に種子を蒔いてあったのだろうか、と思いながら通り過ぎた。そのすぐ近くの植樹帯で小さなひまわりが花を咲かそうとしていた。きっとそこのお家だと直観した。


公園のキツネノマゴはふたまわりほど小さくなっていた。刈られたのだろう。でも花を咲かせていた。近くにはエノキグサが1本だけ残っていた。ずいぶん色褪せて、葉に触れるとかさかさして破れそうだった。それでもほのかに緑色を残して、まっすぐ立っていた。


イチョウの切り株のひこばえはすでに落葉していた。ほかのイチョウの木から落ちた葉になかば埋もれていた。下校途中のこどもたちが歩道の落ち葉を軽く踏み歩いていた。

2016年11月26日

道の記


ひとかたまりだけコスモスが残されて咲いていた。オニタビラコがその前にならんで咲いていた。

2016年11月24日

道の記


小さな赤い実がなる木々の種類がどうも覚えられない。よく通る小路の舗装の割れ目から幼木が出てきて、秋にそういう実がなった。何だろうなと思いながら調べもせず通っていたのだが、先ごろ切られてしまった。いまも通るたびにその幼木を思い出す。種類はわからないままだけれど立ち姿を覚えた。


みごとに紅葉した柿の木を見た。実もなっていた。奥には保育園が見えた。こどもたちも見ているだろうな。


ちょっとした林に囲まれた古いお家があったのだが、しばらく前に取り壊されて木々も伐られた。この前そこの横を通った。草々のすみかになっていた。ヤブガラシがいっぱいに絡み付いた腰ぐらいの高さの何かから、柿の小枝が伸び出て数枚の葉を広げていた。

2016年11月23日

道の記(五ヶ山・小川内)


五ヶ山・小川内に行って雨の紅葉を見てきた。東小河内のもみじは1本はほぼ落葉、その手前の木に色付いた葉が残っていた。小さな木々の紅葉も美しかった。


小川内と東小河内とを結ぶ小橋のあたりに、もみじの木が多く生えていて、この季節に小川内を通ることがあるといつも橋の上から眺めていた。今日見たら橋が撤去されていた。橋のすぐそばのもみじの木もなくなっていた。川辺に残っているもみじが色あざやかだった。


旧小川内小学校から佐賀橋方向に少し下ったあたりに、桜のような木があるのに気付いた。その木も桜色に染まっているように見え、花が咲いているのかと思って双眼鏡で見てみたが、遠くてはっきりわからなかった。試験湛水の水がその木の少し下まで来ていた。


東小河内の桜には花がわずかに残っているのが見えた。春の花は見られるだろうか。


旧小川内小学校の桜の木は落葉していた。雨に濡れて黒々とした幹と枝が空へすっと伸びていた。もう空しかないと思い定めたかのようだった。


小川内の杉は現在のところ順調というお話を伺った。


いまも雨が降っているだろう。

2016年11月19日

道の記


草刈り直後だったようで、下見のときにたくさん生えていてこれを見たいと思っていた草がすっかり減らされてしまっていた。それでも草刈り機が届かなかったところでいくらかの穂を色付けていた。


セイヨウタンポポが刈られた後オヒシバが生えていた電柱下の隙間、いまはスズメノカタビラが穂を付けている。このまま春になるだろうか。

2016年11月13日

道の記


2年ぶりぐらいに通った道でシロバナタンポポが咲いていた。私がふだん見ているあたりではあまり見ない、角状突起がめだたないやさしい感じのシロバナタンポポだった。ホトケノザはのびのび咲いていた。


去年見たときに傾いて倒れかけていた木は、立て直されて支えがしてあった。去年はそこでひとりでたっぷりとオカリナを吹いたのだった。今年はひとくちだけ吹いた。がさっという音がして、鳥の声がして色付いた木の葉が落ちてきた。

2016年11月12日

道の記(五ヶ山・小川内 新聞を読んで)


五ケ山ダム 元住民ら、水没前に見学|佐賀新聞LiVE http://www.saga-s.co.jp/news/saga/10105/375947 … を読んだ。11月3日のときのことだろうか。

11月3日のとき、ダムサイト(というのか)から、旧倉谷のあたりのコンクリートが広く敷き詰められた場所にバスが長く停まっているのが見えた。記事の写真はその場所で撮られたもののように見える。

まだ小川内を通ることができていた頃、もう家が無くなった敷地の石垣まわりに、なでしこのような花が咲いていた。お家で育てておられた花の名残りなのだろうと思った。その後立入禁止になってから、草が刈られたり木が切られたり土が掘り返されたりしていた。いまもあの花はいるだろうか。

九千部山に歩いて登ったことがまだ1度しかない。その1度が倉谷からだった。何十年前だろう。佐賀橋までバスで行き、倉谷を通って行った。祖父と一緒だった。祖父に山登りを教えてもらい、やがて祖父とは別に自分の行きたい山に行くようになったが、いま思えばもっと祖父と一緒に山に行きたかった。


祖父があのダムの光景を見たらなんと思っただろう。怒るよりは泣く人だった。

見に行くことはしなかったかもしれない。

2016年11月9日

道の記(はかた駅前通りの街路樹)


陥没でニュースに出ているはかた駅前通りは、車線を減らして歩行空間のにぎわいを創出する再整備計画が今年の7月に発表され、関連工事が進められている。計画を聞いたとき、歩行者中心の道というのはよさそうに思ったが、もともと街路樹の緑が豊かな通りで、木々が残されるのか気になっていた。

しばらく前、別の場所の樹木伐採のことをウェブ検索で調べていて、この通りの街路樹が伐採されたと書かれてあるブログ記事を見つけた。

現地を見に行った。片側の歩道では植樹帯の中に点々とケヤキの切り株が残っていた。浸出液が切り口を浸している株もあった。もう片側の歩道は植樹帯自体がなくなり、仮に舗装された感じになっていた。排水溝の網にケヤキの葉がついた小枝が絡まっていた。痛々しい思いで現地を離れたのを覚えている。

今回陥没したのはその一角にあたる。報道の映像で、片側に残っていた植樹帯の一部が陥落しているのが見えた。小枝が残っていた排水溝の位置も陥没の範囲に入っているように見える。

検索で、いろんな方がこの通りの街路樹のことに触れておられるのを読んだ。伐採を惜しむ声もあり、親しまれていた緑だったことが伝わってきた。さきほどテレビのニュースで現地のストリートビューが流れたが、木々がまだ伐られずにいた頃の映像だった。緑のケヤキの、枝の1本1本があざやかだった。

2016年11月8日

道の記


春にトウバナを見ていてこどもたちと出会った空き地、秋草の中でトウバナが元気だった。遠くではコスモスが咲いていた。

2016年11月5日

道の記


出先の古民家で童謡「虫のこえ」をオカリナで吹いたのだがまるっきり音程がとれなかった。

それで、海の見える誰も通らない小径で思いっきり吹いてきた。とんびがときどき横切って行った。

いのししと出会ったのはその後だった。

2016年11月3日

道の記(五ヶ山・小川内 見学会)


東小河内の桜はわずかに花が残っていた。枝全体が桜色に見え、蕊が残っているのか花芽が残っているのか。

旧佐賀橋をバスが通って行くのがダムの上から見えた(私は乗れなかった)。脊振の行き帰りに佐賀橋バス停をたびたび利用した。あの道をふたたびバスが通る景色を見ることができた、でもこんなかたちで見ることになるとは思わなかった。

試験湛水についても尋ねたのだけれど、早く水位が上がるのが見たいという印象を与えてしまったような気がしている。

試験湛水で水位が上がるまで時間は相当に掛かると思うが、それでも時間の問題ではあるだろう。旧小川内小学校の桜など比較的標高が低い位置の木はあまり遠くないうちに水がやってくることになるのではないかと思う。

堤体(と呼ぶのか)の上で眼下の光景を見ていたその時間にバスが締め切りになったらしい。長い列だった。下の光景をバスで間近に見た人たちが「ダムすごい」だけでない何かをそれぞれなりに感じ取ったのだったら、乗れなかったこともあきらめられる気がする。

いやそういうことじゃない。

小川内の杉も見てきた。まわりのほかの杉にも同程度の黄変が見られ、そのことから考えて、だいじょうぶではあるのかな…と思っている。

東小河内のもみじの木が紅葉する今月の中旬から下旬のどこかで行ってみたいと思っている。

2016年10月27日

道の記


まちを歩いていて植え込みのガザニアが目に入り、ふいに、ラザニアとガザニアがカタカナ1字違いだと気付いた。


まちはキンモクセイの香りからヒイラギモクセイの香りに移り変わっていた。キンモクセイの香りは昔の思い出を強くかき立てられるような感じがする。ヒイラギモクセイの香りは安心する。


とても背の低いセイタカアワダチソウを見た。歩道の縁石の隙間からなんとか伸び出ていて、たしかにこれ以上伸びるには栄養も時間も足りなそうに見えた。蝶が舞っていた。

2016年10月26日

道の記


去年は軒下で何かもろこしの仲間のような草を育てておられるお家があったが、今年はジュズダマをひと株育てておられるお家があった。じゃらじゃら実っていた。


排水溝からジュズダマが伸び出ていた場所は道路工事ですっかり様子が変わった。この前に通ったときは道の対岸にひと株だけジュズダマが残っていた。なかなか大きく育っていた。そこに暮らしていたたくさんのジュズダマの影が、そのひと株の向こうに見えていた気がする。

その道では以前、どういういきさつでかそこで出会ったご年配の方と立ち話になり、隣の公園の桜はむかしある方が植えられた木だと伺った。更地になる前にその桜を植えた方の御子息と連絡がとれ、桜の伐採前に花を見ていただくことができた、とお話しになっていた。

ああ。その道沿いにいろいろな木が植えてあるお家があったのだが、解体されて、更地になった土地からいろいろな木や草の芽が出ていたのだった。たぶんそれを写真に撮っていたときに声を掛けられたのだと思う。その出ている芽を指してこれは何々これは何々とお話しした覚えがある。

そういう立ち話をたくさんさせていただき、いろんなお話を聞かせていただいた。その思い出が、あちこちの道端、あちこちの木や草にある。

五ヶ山・小川内の桜のこと


『筑前国続風土記』巻之六に、五ヶ山各所のことが書かれているのを知った。大野・東小河内・西小河内(小川内:「西小河内」という表記は筑前の側からの表記だろうか)には桜が多いという話が書いてある。

いまは杉林が山を広く覆っているが、ところどころに山桜が咲いているのを見かける。小川内の杉が移設された場所の近くにも山桜の木が何本か生えている。東小河内の桜はそうした昔からの山の桜の子孫だろうか。

しばらく前に、少し関心があって『風土記』(の現代語訳)を少し読んだところだった。『筑前国続風土記』は時代がぜんぜん違うが、こうしたものを読むと、いまの土地のありさまやあり方について考えさせられる。

※ 大野は「櫻有」だった。網取にも桜が多いと書いてある。

2016年10月24日

道の記



まちで柿の木に実がなっているのを見かけると、3秒ぐらいは柿を食べておいしいという気分になる。どうかすると3分ぐらいは気力が持続する。

(買ったりいただいたりした柿を食べているからこその反応ではあるだろう)

道の記


町内清掃期間に刈られていた秋咲きの在来形状タンポポ、花をそこそこつけていた。花の数を数えて記録した。この場所がずっとこのままでいられるかわからないが、(その場所か私かの)最後のときが来るとしても、そのときまでずっと花を数えているような気がする。

2016年10月22日

思うこと(マスコット・守り神)


少し前にたまたま見ていたテレビで、沖縄のどこか道際の塀からパパイヤが出てきて実がなっているという話題が取り上げられていた。近くの方が、見ていて拝みたくなるとおっしゃっていた。その言葉を聞いて、自分が思ってきたことが自分で腑に落ちた気がした。

まちなかの植物を見始める少し前、私は「マスコット(守り神)」的なものに関心を持っていた。暮らしのそばにそうしたマスコット的な存在の何かがいて(何かをそのように思って)、人は日々そうした存在と(あまり意識しないままに)関わりを持って暮らしているのでは、ということを考えていた。

別に顕著なご加護があるのでなくとも、人とは違う何か(しかし「ただのモノ」ではない何か)を身近に見出だしたり思いなしたりして、そうしたものものとの関わりを持ちながら暮らしている、そういうことへの関心があった。研究テーマになるかなと考えたこともある。

まちの植物をことさらそうした関心から見るようになったわけではないけれど、しばらく経って振り返ったとき、自分はまちの植物をある意味「マスコット」のように思いながら見ていた気がした。道端から道を行く人々を見守っているのではないとしても、そこに鎮座して日々の道行きに隣り合う「誰か」。

道の辺のパパイヤを拝む、と聞いて、そんなふうに考えたり思ったり感じたりしてきたことごとがさっと一列に並んだように思った。

東小河内の桜に花が咲いているのを見て、思わず手を合わせた。そうせずにいられなかった。


調べたら、桜の場所はやはり神社の境内だった。神社はどうも近くに移転しているらしく、おそらく地元の方々がお世話を続けていらっしゃることと思う。その行き帰りに桜もきっと見えていることだろう。

2016年10月17日

道の記


市街中心近く、初めて通る細道の細い犬走りにいろいろな幼木が生えていた。けっこう丈が伸びていて、生えてきたのを育てているように見えた。塀の中からはイチジクが枝を伸ばして実をみのらせていた。


毎年クリスマスにまちなかのある辛夷の木の写真を撮っている。近くに派手なツリー形イルミネーションがあって名物になっているのだが、辛夷の木のほうも街灯に照らされてほのかに輝いている。花がぱらぱらしか咲かない。きょう近くまで来たので見てみたら、粒のような小さな実がいくつかみのっていた。


ある公園がクリスマスイルミネーションを始めたとき、クリスマスはほのかな明かりを灯せばいい、と旧アカウントで書いた覚えがある。ぎらぎらしてにぎにぎしいクリスマスよりほのかに照らされるおだやかなクリスマスのほうがクリスマスらしく感じる。


公園の中の島から、宵の明星が見えた。湖面に明るい星が映っていて、それに気付いて木陰を出て空を見たら、金星だった。ああ宵の空にやってきていたのか、と思った。そのすぐ近くにアンタレスが見えていた。いて座の星々もかすかに。ここでは夏は終わっていなかった。

2016年10月15日

道の記(五ヶ山・小川内)


五ケ山ダム水没予定地の桜(やはり山桜だと思う)、さらに開花が進んでいた。遠目でしか見られないため何分咲きとも言えないけれど、樹冠全体が華やいでいる。双眼鏡では(花かつぼみか見分けられないが)たくさんの白い点が枝いっぱいに。

不時咲きでも満開になることがあるのだろうか。

秋にも咲く品種の桜なのだろうかとも考えている。十月桜は知っているけれど、春も秋も花がまばらな印象があり、違うように思う。秋から冬にかけて咲く品種がけっこういろいろあるようで、近くで花を見られたなら見分けができるのかもしれないが。

ともあれ花であるには違いない。


小川内の杉がもともといた場所の近くで別の木の移植作業(に見えた)が進められていた。以前、アカガシを移植するという工事予告が出ていたので、そのアカガシではなかろうか。


桑の河内の(新しい)お堂の横の大いちょうは1か所だけがあざやかに色付いていた。まだ調べていないけれど、このいちょうもたぶん、お堂と同じく現在地に移されてきたのだと思う。


五ケ山・小川内の杉の所へ行く途中に、南畑ダムに沈んだ集落、道十里の碑がある。「垂乳根の大銀杏」という木があったそうで、ウェブなどでその名を見る。いまもダム湖に沈んだままらしい。以前、地元の方からだいたいの場所を教わって行ってみたが、何のよすがもなかった。湖面が静かに広がっていた。
※ 後日、湖面に出ている枯れた大きな木が「垂乳根の大銀杏」だとわかった。https://michinohata.blogspot.jp/2017/06/blog-post_21.html

2016年10月13日

道の記(防災植物に思う)


どういう流れか忘れたが、公園の植物を採っていけないのだとなると、草笛もできないのか、ヨモギなど摘んで食べてもいけないのか…などと今朝ぼんやり考えていた。どうもちょうどその時間ごろにテレビで防災植物?の話をしていたらしい。

しばらく前に歩道でぎんなんを拾っていた方がおられたのを思い出した。私がそこに差し掛かる前にほかの通行人の方から何か言われていて、そのためか私が差し掛かったときにはちょっと御機嫌がよろしくなさげだったので、黙って通り過ぎた。しかし私も冷たい視線を向けていたと思われたなら残念。

きょうひさびさにツイート検索ができていて、防災植物の件もちょっと見てみたが、その結果にいろいろ思う前に、竹西寛子さんの「早蕨」という随筆を思い出した。むかし毎年春に、東京の家の近くの野原でツクシやヨメナなどを摘んでいて、そこでいろいろな人たちと出会ったという話。

また、多田智満子さんの「木の実をひろう」も思い出した。木の実を拾うとき人は大地を拝んで木々の恵みをいただいているのだ、と。農耕でなく(そして購入するのでもなく)、採集していただくことの心が書かれていたように覚えている。

2016年10月12日

道の記


しばらく前に書いた夜の道で見たユッカの花、先日その道を通った時にはもう残っていなかった。花の枝だけが暗闇の中に見えた。誰もいない場所なので、ありがとうと声に出して通った。


行く時にはびっくりするぐらい咲いていた丘の斜面のアキノノゲシが、帰る時にはすっかり花を閉じていた。山並みが文字どおり見る見るうちに色合いを変えていった。この景色のなかにもう少しゆっくり居たいと思った。

2016年10月9日

道の記(五ヶ山・小川内)


まもなく試験湛水が始まると聞いている、五ケ山ダム水没予定地の桜(写真中央)。今日見てきた。携帯写真ではよくわからないけれど、咲いていた。



前に書いたことがあるけれど、旧東小河内の桜やその隣の木々は、何かわけがあって残されているのだろうと思う。寺社や民家の木で土地の人たちが伐らないでおいてほしいと要望したなどの経緯があったのでは。その残してくれた人たちを、桜が花を咲かせて待っているような気がする。

カメラで撮った写真はもうちょっとだけ写りがはっきりしている。載せ方がまだわからないができれば載せたい。

こちらは小川内の杉。水没予定地からもっと高い場所に移設された。いまはおだやかに養生している様子。



双眼鏡だと花が見えるので、一眼レフに望遠レンズ(と言うのか正しく知らない)だとはっきり写せるのではないかと思う。できれば花が見られるうちに再訪したいけれど、いつまで咲いているだろう。

手持ちの地図にはほぼその位置に「大山神社」の記載がある。いくつかのウェブページに神社のことが書かれていて、木々はおそらく境内の樹木だったのではと思う。

4月の満開のときもそうだったけれど、桜はいまこのときを咲いていた。水に沈む前にもう一度咲いたとも思えるし、いや何度でも咲くつもりだとも思う。見てほしいかもしれないし、静かに咲いていたいかもしれない。そうしたいろいろ思われる意味意味の向こうで、桜はいまこのときを咲いていた。

(この項、10月9日から10月12日にかけてツイッターに投稿したものをまとめました)

2016年10月8日

道の記


公園のナンキンハゼの葉も雨にしなだれていた。でも、元気をなくしてしなだれているのではないのだな。

2016年10月5日

道の記


少し前に書いた、ある施設の切り株になったチャンチン、そばの植え込みの中に幹が横たえられていた。根元近くから折れていて、伐られたのではなく倒れた様子だった。根元近くは雨水を吸ったのか樹皮が湿っているように見えた。


台風がチェジュ島を直撃したと聞いて、チェジュに行ったのも秋だったと思い出した。9月だったかと思う。野菊が咲いていた。まだ草の種類をそんなに知らなかった頃だった。

2016年10月3日

道の記


建物解体と整地のあとエノコログサがいっぱいに茂っていた土地、マンションの大きな看板が出ていた。草は刈られて、敷地の縁石の外側にエノコログサが数株、名残のように生えていた。今日もその名残のエノコログサが、夕焼けに照らされていたのではと思う。

道の記


空の高いところに、光の角度によっては彩雲になりそうな、細かいさざなみのような雲が出ていた。あの雲を見ると、何を思い出すでもなくなにか懐かしくなる。

2016年10月2日

道の記


ときどき夜に歩いて通るある道から、山の裾野に一軒の大きな建物の明かりが見える。高層マンションではないかと思う。暗がりの中にそこだけぽつんとたくさんの細かな明かりが並んで見えていて、そこを遠く眺めているとなぜだか胸に来るものがある。


夜、ほかにだれも歩いていない、横を車が次々飛ばしていく道をとぼとぼ歩いていると、ときどき自分が情けなくなる。そんなふうに道を歩いていて、いまは使われていない施設の前庭の茂みからユッカが花をあたま一つだけ高く差し上げているのが見えた。真っ暗な中で白い明かりのようだった。

2016年10月1日

道の記


通る予定でなかった道を歩いていたら、航空安全の祈念碑があった。20年前の航空機事故の現場のようで、田んぼの広がる一角が小さな緑地になっている。緑地はセイバンモロコシが茂り、碑のとなりでは紫陽花が花の跡を掲げていた。

2016年9月29日

道の記


まちなかの公園にキツネノマゴが咲いていた。しゃがんで見ていると鳩が来た。私の顔を覗き込むので、餌はないよと断った。少し残念そうだった。キツネノマゴの葉に落ちる雨音は、消え入るようにかすかな、白っぽい音だった。


別の公園では、メヒシバやタチスズメノヒエが茂る中に種類がわからないひざ丈ぐらいの草が数多く生えていた。花が雨で閉じている。その閉じた花の1つに、ヤマトシジミ(蝶)がとまっていた。よく見るとあちこちでその同じ種類の花に同じようにヤマトシジミがとまって、雨の中じっとしていた。


別の草にはバッタがしがみついていた。

2016年9月27日

思うこと(テレビを見て)


朝のテレビで、賑わってないまちを訪ねてそのまちの魅力を見つけるみたいなコーナーをちらっと見た。商店街の昔からのお店で、レポーターの若者が陳列品のこども用自転車が色褪せていると言ったきり言葉をなくしたり、置物のビクター犬に向かってウェルカムムードぜんぜん出してないとか言っていた。

ビクター犬の首には、どなたかの手仕事に見える、バラの絵とWelcomeの文字とお店の名前が描かれた小さなボードが掛かっていた。ウェルカムムードがなんとかという話は、そのボードが目に入ってのことだったろう。

自転車もビクター犬も、長い時間そこにい続けてきたのだろう。それだからこそ色褪せてくたびれて見えたのだろう。西日を浴びたり、雨や土埃を浴びたりしながらそこにい続け、だれかを待ち続けているのだったかもしれない。

まちかどのものものは、いったんそこに設置されたときから、作った人設置した人があずかり知らない時間を生き始める。誰かに見られ知られてその人の世界を生き、誰が見なくともそれ自身から広がる1つの世界を抱えている。そこにい続けるものにはその世界を朽ちながら堪えながら生きてきた歴史がある。


こういう語り口とは違う書き方話し方がいつかできるようになりたい。

2016年9月26日

道の記


川の向こうからキンモクセイの香りが漂ってきた。橋の上から見渡したが、どこからかわからなかった。もうそんな季節になったのか。


新しい大きな道路に囲まれた古い町で、路地とも言えなさそうなほどの小道にタツナミソウが並んでいた。これからその道を呼ぶときはタツナミソウの小径。


福岡のこのあたりでは、辻の神様はほとんどが猿田彦さま。今日歩いた道の猿田彦さまの前に、目立たない感じの花が供えてあった。野辺の花を供える、だろうかと思って立ち止まって見たら、アレチハナガサの花の穂が1本、瓶に活けてあった。ほんとうに野辺の花。暑い日差しの下で心あたたかくなった。


ビルの谷間の小さな公園で日差しに並び咲く彼岸花を見ていたら、どこからかラーメンの香りが漂ってきた。

道の記


草も苔も生えていない民家の石垣の手前にぽつんとひとつだけ、アゼナの仲間のように見える小さな草が花を咲かせていた。


町内一斉清掃の時期にあわせて庭木の剪定をされるお家がけっこうある。実がついた椿の枝がごみ集積所に積んであった。別の通りではきのうきょう伐られたように見える柿の枝にやはり実がいくつもなっていた。


あちこちの塀の下できのうきょう草を抜いたと見える土の荒れ方をしていた。どこかでは草を燃す匂いもしていた。


いまこのまちなかで生き継いでいる草は、長年にわたる3月と9月の町内清掃のサイクルを生き延びてきているものと思う。でもこの時期が自分のライフサイクルの中で重要な時期に当たるような種類の草は、長年のうちになくなったかもしれない。そのようにしてこのまちで見られなくなった草もあるのかも。

※ 定期的な草刈りによって、その時点まで旺盛に茂っていた草に圧されていた草がのびのび育つようになる、という面もある。それは書いておかないと。
(ただそれは、「いいわるい両面がある」という話に落ち着くものではなかろうと思う)


一度倒れたと見える土手のセンダンの切り株から、ひこばえが伸びてたくさんの葉が茂っていた。これからもう一度伸びていこうとする木の力と、それを見守ろうというどなたかの思いが感じられた。


2016年9月22日

道の記


町内一斉清掃のシーズン。秋咲きの在来形状タンポポ(最近モウコタンポポと呼ばれている種類と思う)が自生している場所を訪ねたら、やはり刈られていた。ちぎれた花茎がいくつか散らばっていて、なかには花を開いているものもあった。草刈り機の刃にかからず残ったつぼみが、次の花を用意していた。

その場所では、いつかの春だったと思うがやはりタンポポの花の時期に、Love Earthと印刷されたごみ袋が山のように並んでいたことがあった。刈られた草がいっぱいに詰め込んであった。

草刈りはいまに始まったことではなく、これまでも同様の時期に同程度の頻度でなされてきていることだろう。タンポポもその草刈りペースのなかでこれまで生き続けてきていることと思う。なのでことさら心配はしていない。ただ、ラブアースのごみ袋を見たときは少しばかり思うところもあった。

道の記


そのハクモクレンが実をつけているのをまだ見たことがなかった。コブシのように赤くふくれるようにしていた。葉に当たる雨の音は少し深みある音だった。

2016年9月21日

道の記(五ヶ山・小川内)


五ケ山ダムの湖底予定地の木のことをときどき考える。4月に見た桜やその横のもみじと大きな広葉樹。そのまわりはすでに広々としていて、たぶんその木々は残されたのだろうと思う。民家の庭木だったのか寺社だったのか。いまどうしているだろう。

4月の見学時にはその近くでシロバナタンポポやいろんな草花が咲いていた。10月から試験湛水が始まると聞いているが、10月のいつからかは細かく知らない。その前に、道からあらためて一帯の様子を見たいと思っているが、行けるかどうか。

道の記


しばらく前にオヒシバが生えていて刈られた、その前にセイヨウタンポポが生えていた電柱のふもと、なにかの葉が生えていた。イネ科のような葉と、なんともわからない小さな葉。秋がこれからしばらく続くあいだ、(また)伸びてくることだろう。

思うこと(テレビを見て)


そういえば先日、地元テレビの環境特集みたいな番組で大木(巨樹)が好きな方が出演されていて、私も知っている大きな木が何か所か取り上げられていた。保存樹の話につなげられていて、環境番組らしいまとめ方だった。

いまの時点で樹齢が100年何百年千何百年の木は手厚く保護されたり見守られたりすることも多かろうと思う。いっぽうで身近な木々がけっこうな大木も含めて伐られていくのを幾度も見てきた。草を見ているときに幼木を見つけることも多いのだが、その木々が草と同じに刈られていくのもたびたび見る。

いまから100年後に、樹齢100年の木、150年の木が、このまちにどのくらい残っているだろう。

道の記


カリンではないかと思うのだが、最近までお家があったように見える空地の隅で、たくさんの実をつけていた。その下で、ムクゲの花がその木を守るようにかその木から守られるようにかして咲いていた。


小雨の中を歩いていたら、エノキグサがまとまって生えていた。ああこのあたりはエノキグサ天国だな、と思いながら歩いていたら、その先がキツネノマゴ天国、そしてイヌコウジュ天国だった。

イヌコウジュ天国は以前から知っていたのだが、一昨年だったか徹底的に刈り尽くされてそれからふた秋ほどまったく出ていなかった。今年も出ていないかなと思いながら通ったのだった。花を見ることができて喜んでいる。

2016年9月17日

道の記


春の終わりにナガミヒナゲシレポートを書いていた頃ナガミヒナゲシを見た土手が重機で崩されていた。崩していたのが以前お世話になった方だったので、あいさつをして通った。


通りから木々が茂った中庭のようなところが見えるお家のその中庭から、つくつくぼうしの鳴き声がたくさん聞こえてきた。ほかではもう聞かない。以前もこのくらいの時期につくつくぼうしが1か所に集まって鳴いていたのを聞いた。


最後のひと鳴きまでは夏


ずぶぬれになって草を見た。今年もツルボが咲いていた。公園への移植後にふつうに草刈りされることが続いて、1か所では出なくなってしまった。もう1か所のほうで咲いていた。咲き始めたばかりのようで、まだつぼみだけの小さな穂がまわりにいくつか控えていた。

2016年9月15日

道の記


この木は何だったのだろう、また芽を出すだろうか、と思いながら、たまに通る道のお店の脇の小さな切り株を見ていたのだが、この春に芽が出た。クスノキだった。おお生きてたか、と思った。先頃その道を通ったら、腰ほどの高さまで枝を伸ばして茂っていた。時間を取り返そうとしているかのようだった。


駐車場端のアレチノギクは今年も枯れていた。今年は道端の草にはとりわけ厳しい夏だったと思う。


自分の文章力のなさもあるとは思うが、どの木どの草のことを書いても同じような文面になってしまう。でも無理して書き分けることなく、しばらく書き連ねていきたい。

2016年9月12日

道の記


今年はコミカンソウをあちこちでたくさん見かける。これまでもこんなにたくさん出ていたかなあと思いながら見ている。この仲間の見分けがいまひとつ自信がなかったので、帰化植物図鑑などの記述を頭に入れて(でも忘れる)歩く先々で見ている。


病院の小さな植え込みがブラジルコミカンソウでいっぱいだった。さすがに植えておられるわけではないのだろうけれど、生えてきたものを残して育てておられるような感じには見えた。コミカンソウもだけれど葉の並びが整って見えて、空き地ならぬ空き植え込みの緑にちょうどよかったのかもしれない。


古くからの町のとても小さな公園の隅で、オオニシキソウが1本だけ茎を立てていた。いま思うと、草取りを1本だけ生き延びたような様子だった。実が熟しつつあるように見えた。お母さんと小さなこどもさんが公園を通り道にしてそのそばを抜けていった。

2016年9月10日

思うこと(旅ノートから)


旅ノートを読み返すと、帰りの列車の車窓から見える山肌のゴルフコースの芝生を、それも「自然」だと思うようになった、と書いていた。旅先で見た畑の景色が人の営為で作られていて、そのなりゆきを含めて「自然(なこと)」なのだと思った、そのことの反映なのだろう。

そのことから連想して思い出したのだが、だいぶ前に集中豪雨があって、そのあと家から見える山脈がところどころ山崩れで削られているのを見た母が、山が痛がっていると言ったことがある。そのことをいま少し考えている。

怪我をしたのが何のせいだろうと、それを「自然(ななりゆき)」と考えるのであろうと、痛いのは痛い。

そして、人の営為や社会的な経緯まで含めて「自然(なこと)」と捉えるなら、削れた山を見て「痛い」と感じることは少なくともそうしたことよりもっと「自然(なこと)」に思える。

というより、山が痛がっているというのは「ほんとう」なのではと思う。

それを「そのようにその人が感じた」ことだとして、あれやこれやの知識や理論で説明し、別の事柄に変換し、ときに抹消しようとしたりすることがあるとしても、その感じが起きた事実は揺るがない。そしてその事実が指し示しているのは山が痛がっていたその痛さ。

その「感じ」を、いやそれは違いますと言って是正を求めることができるのは、山それ自身だろうし、そのほかにはいなさそうに思う。

(山が痛がっている、だからどうしよう、こうしよう、という問題はその先のことだと思う。いや痛がったりしませんよ、と言って諭すのも同様に「その先のこと」でしかない)

(痛さがあるときに、それが「誰の」痛さかを見極めたり決定したりする作業がなされる、ということについて考える)

思うこと(旅ノートから)


20年前の旅で夕張に行った。廃校を転用した宿の窓から炭住が見えていた。高い所に上がりたくて歩いていた道で、近くのおばあさんや炭住にお住まいの元坑夫さんと出会って立ち話をした。いつまでもその方々が暮らしていける夕張であってほしい、と、そのときの旅ノートに書いていた。

その後10年ぐらい経ってからだろうか、たまたま父がスポーツの大会で夕張に行くことがあり、帰ってきてからそのときの街の様子を尋ねた。炭住は見なかったと聞いた。調べたらどうもなくなった様子だった。父は炭住に住んでいたので、そのときに炭住がまだあったなら、懐かしく見たことだろう。

この前書いた花巻や渋民や美馬牛や、いろんな場所のことをときどき思い出す。夕張も。そこからの照り返しでいまの暮らしを振り返り見ていたりもする。

2016年9月9日

思うこと(渋民マップ)


いつも目にしている冊子類の山積みの中から、十数年前にいただいた渋民の啄木マップが出てきた。渋民公園の売店でいろいろお話を聞かせてくださったお店の方が送ってくださったもの。これを持ってまた渋民を歩いてくださいとお手紙に書かれてあった。雪の岩手山の写真が載っている。

呼ばれているのだろうか。

2016年9月7日

道の記


たまに行く公共施設にチャンチンの木が植えてあって、春は若葉がきれいだった。警備員の方と話をしながら見たのを覚えている。この前見たらキノコが出ていて、調子がよくなさげだった。今日は切り株になっていた。

ひこばえを出そうとしているにちがいない。

思うこと(旅ノートから)


20年前の今日、美馬牛から美瑛へと歩いた。丘のあいだを巡り、広い道や細い道をてくてく歩いた。哲学の木を見たのもこのときだった。そのときのノートに、畑の中なので近くまでは行けなかったと書いてある。


やはり北海道のことだけれど、なにげなく見た道沿いの木に何か惹かれてちょっと立ち止まった。観光地図には載っていない目立つところのない木だったが、もしかしたら自分はこの木を探していたのかもしれない、と、ちらっと思った。ここにまた来ることがあるかなと思いながら立ち去ったような覚えがある。


あの頃、私は写真をあまり撮らなかった。その木も、撮ろうかとかなり考えたのだけれど、けっきょく撮らなかった。大事に感じたものは撮らない、というか撮れなかったりした。いまでは場所も立ち姿もおぼろげにしか覚えていないけれど、元気にしてるかな、と、その木のことをときどき思い出す。

2016年9月5日

道の記


街角の駐車場の隅にアケビが生えていた(植えてあったのだろう)のだけれど、久しぶりに通ったら隅々まで舗装されていた。最後に花を見たのがいつだっただろう。

2016年8月30日

思い出すこと(旅ノート)


20年前のノートに、花巻のある温泉(自炊部)に泊まったとき「みず」をいただいた話が書いてあった。炊事場で、元気な宿泊客の方から、露天風呂のそばに生えていたからと「みず」をたくさんいただいた。私はその「みず」というものを見た覚えがなく、おそるおそるいただいた。ふつうにおいしかった。

いま思うとそれは水菜だった。私は水菜はふつうにおいしく食べるがあの頃はまだ食べたことがなかったのではないかと思う。さきごろ賢治の詩を読み返して、その中に「みづ」と書いてあるのを見つけ、20年経ってやっと言葉の意味がつながったような気がした。

自炊部ではいろんな宿泊客の方やスタッフの方に出会った。「みず」をくださった元気な方と同じ方かもしれず記憶が定かでないが、体を大事にしろ野菜を食べろとさかんに説教してくださる宿泊客の方もおられた。毎朝、廊下まで牛乳を配達して来られる方もおられた。みなさんどうしておられるだろう。

その自炊部で、吉里吉里にお住まいの方と部屋が隣り合った。私は町にひんぱんに出ていたのだが、1日だけゆっくりして、そのときに少しお話しした。従軍していたときに熊本に行かされて、こんな遠くまで来てしまったと思った、と、宿の外の谷あいの景色を眺めながら九州の思い出を語ってくださった。

震災の後しばらくしてから手紙を出したけれど、返信がなかった。お名前を見かけることはこれまでになく、いまもどこかであのときのようにゆったりと過ごしておられると信じている。


旅ノートを読み返していたら、よく覚えていることもあるいっぽうで、多くのことを忘れているのに気付かされる。ノートに書いていなければ一生思い出さなかったかもというようなことも。思い出せなくてもその出来事がいまの自分を作っているのだろうとは思うけれども、書いておいてよかったとも思う。

道の記(石橋美術館閉館の日)


日曜は大雨の中、最終日の石橋美術館に(なんとか)行くことができた。夕方だったので特別展を急いで見て回った。たくさんの方がそれぞれに何かの絵の前で立ち止まっておられた。

黒田清輝の鉄砲百合や坂本繁二郎の植木鉢の絵もよかったが、金山平三の「石母田の堤」という風景画になぜか惹かれた。大きな斜面が左に広がる独特な構図なのだが、たまたまなのか色使いがモランディの静物画みたいで、とても不思議な落ち着きがあった。

閉館時間を過ぎ、来館者がひとりまたひとり外に出て、かなりの数の方が帰らずに入り口の階段の下でそのときを待っていた。雨は小雨ながらも降っていたが、急に館の向こうのほうから日が差してきて、雨の中、そこだけの青空が館の上に広がった。偶然とか奇跡とかでなくふつうのことのようだった。

私も当時いた研究室の事業でお世話になったり、久留米の草木の写真をちょっとだけ展示していただいたこともあった。久留米の方々のような深いつながり関わりではなかったけれど、最後の時間に立ち会うことができてよかった。市立美術館になったらまたおりおり足を運びたいと思う。

明日は福岡市美か…。

2016年8月27日

思い出すこと(旅ノート:花巻)


20年前のきょう、花巻にいた。賢治百年祭の会場ロビーで、ご年配の方に「どちらから?」と尋ねられて福岡からですとお答えしたら、そんな遠くから…と感慨深げなご様子。お話をすると花巻市役所の方とのことで、御礼の言葉をいただいて花巻の街のことを教えていただき、こちらこそありがたかった。

賢治百年祭のときのいろんなことをノートを見て思い出した。盛岡や網張温泉に滞在したときのことも書いてあってひととき懐かしんだ。再録してみたい話もあるけれど、機械の調子が戻ってきたときにしようと思う。

2016年8月26日

道の記


ようやく秋を感じさせる風が吹きはじめた。おりおり見ていた道端の隙間のアキノノゲシやヒメムカシヨモギは枯れてしまった。エノキ(幼木)もだいぶ葉を落とした。雨らしい雨が降らない日がずいぶん長く続いた。土がわずかな場所に生えた木や草にはきびしい夏だったことと思う。


埋立地の街で見つけたキツネノマゴはなくなっていた。建物まわりがぐるっと草がなくなっていて、たぶん草取りされたのだろう。キツネノマゴは在来種で、このあたりだと昔の土があるような場所でしか見かけない。この埋立地にキツネノマゴがふたたびやってくるまでまた何年か十何年か掛かるのだろうか。

と思って、しかし念のためまわりをよく見て歩いていたら、近くの道際にキツネノマゴが数株いた。とても小さく育っていた。この様子だと、どこか遠くない所にもう少し数多く出ているのかもしれない。なんにしても彼らがキツネノマゴ界で言う開拓者であることはまちがいなかろうと思う。

なくなっていた1株のキツネノマゴの跡には何の緑も見えなかった。見つけたときのその小さな花姿をその場所に思い浮かべて、立ち去った。

そういえば、その埋立地の別の場所で、見た覚えのない草を見かけた。そのとき図鑑をイネ科しか持っていず(不覚)、もう少し季節が進んだら花でも咲きそうな雰囲気があったので再訪したときに調べたい。でも帰化植物図鑑が必要そう。

(見た覚えのない草を見かけることは街中でもそこそこあり、たいていは自分が覚えていないだけでハンディタイプの図鑑にも載っている。たまに山手のほうに行くと知らない草がいろいろいて、歩いて見ていて目が回る)

2016年8月23日

道の記


中心街のお洒落なテナントが入っているビルの植え込みには知らない木がいろいろ植えてあったりするが、中心街の排水溝の中にあまり見た覚えがないハイカラな感じの木が育っているのを見つけた。急いでいたのでよく見ていないが、近くのビルからやってきたのだろうかと思う。親の木を探してみたい。

2016年8月22日

道の記


公園にわずかに生えているイヌコウジュが芝に圧されている。もともと芝がないところだったのだがどこからか。なぜか芳香もなくなっていて、この秋がちょっと心配。

2016年8月20日

道の記


先日書いたセイヨウタンポポがオヒシバにとってかわられた道端の隙間、草が完全に刈られていた。緑めいたものは何も見えなかった。


ジュズダマがいた側溝が埋められた道の、反対側の土手でも草がみな枯らされた様子だったとこの前書いたが、枯らされていた範囲が思っていたより狭く、そのまわりでいろいろと草が生き残っていた。大きなジュズダマもいた。

もっとも、その近辺でジュズダマがいるのはもうその一帯だけだ。このあと続く工事でその一帯も埋められることになるだろうと思う。


用事があって出かけたのに、目的地にたどり着かないまま疲れて引き返すことが多くなってきた。もう少し涼しくなったらだいじょうぶだろうか。

2016年8月18日

思うこと


小学校のメタセコイアや桜は最新の記事によると昨日伐られたらしい。ネットで何人かの方が木々のことを書いておられたのを拝読した。親しまれていたのがひしと伝わってきた。

挿し木で後継樹を残すということらしい。最近は自分の知っている木々でもそのような方策が採られることが増えてきた。それはそれでありがたいことだと思ういっぽうで、その方策が平常化すると、もとの木を手を尽くして残すという方向性が検討されにくくなってくるのではないかという懸念も若干ある。

この前一度ちらっと書いたけれど、木を植えるとき、木に自分(たち)の人生を見届けてもらいたい、看取ってもらいたいという思いがあることもあるだろう。自分(たち)より長く生きていってほしい、と願って、植えることもあるだろう。

木が老いてきたときには労りたいと思いもするだろうし、病めば手当をしたいしてほしいとも思うだろうし、木を看取らなければならなくなったときには、その最後まで見届けたい、看取りたい、と思うこともまたあるだろうと思う。

2016年8月17日

道の記


以前歩いていて見かけた植木鉢のタツナミソウが枯れていて、ああ育てられていたわけではないのかと思った。


小道の側溝蓋の穴にずいぶん前からジュズダマがいて、丈をごく短く刈られてもしっかりと実をつけていたのだが、道の拡幅工事で側溝が埋められていた。道の対岸は小さな土手でそこにもいろいろと丈の大きな草がいたのだが、そちらは薬かなにか使われた様子でみな枯れていた。


ビルの壁際に、ツタバウンランに似た、でも葉の形が違うようななにかの草がぽつんとまとまって、小さな白い花をぱらぱら咲かせていた。そこにクマゼミが眠るように横たわっていた。


排水溝の中のクスノキは、やはり横から新しい芽が出ているように見える。なにかの草も出ていて、どちらも排水溝の網を越え出るにはもうしばらくかかりそう。

2016年8月16日

道の記


今年はウリクサをところどころで見かける。よく通るその場所もまもなく工事が始まる場所で、どなたかが植えておられたミントとか、たぶん植えられたのではないキュウリグサとか、ほかの草々と並んで、ウリクサがいま小さく花を咲かせている。


2016年8月15日

思うこと


直接知らない場所だけれども県内のある小学校で校庭のメタセコイアと桜が伐採されるという話が以前ツイッターのタイムラインに乗ってきて、その推移を気に掛けながら読んでいる。

道の記


マンション工事の告知が出されている空き地。草で満ちあふれている。エノコログサやエノキグサやメヒシバ(種類は細かく見ていない)のなかに、名前を知らない園芸品種らしき花が何種類か見えた。もとのお家で育てていたものだろう。お家がなくなったいまも、そこは草たちの「庭」であり続けている。

日野啓三さんの短編「神の小さな庭で」を思い出している。だれかあの「庭」で遊んでいるのではなかろうか。

道の記


あるところでは一帯の草刈りでカンナが切られていた。赤い花がみんな横になっていた。


またあるところではカンナがずらっと並んで空にそびえ立っていた。その場所の主のようにしていた。


リュウゼツランが畑の真ん中のようなところで茎を高く伸ばしていた。知識がなくてよくわからないが、花の後のように見えた。夏はもうしばらく続きそう。

2016年8月8日

道の記


ひまわりにあさがおが絡まっていて、どちらもしゅんとしていた。

2016年8月6日

道の記


駅ホームの階段にアブラゼミが転がっていた。踏まれずにいたのが奇跡。指に掴まらせて駅を出た。さんざん指を口吻で刺されながら(樹液を吸おうとする)、最寄りの公園まで歩く。セミがとまりそうな木を探していたら、「この木(私)は駄目だ」と言わんばかりに自分からぱっと近くの木へ飛んでいった。

2016年8月5日

道の記


先日は道端にカンナが並んで咲いていた。お家の敷地にあたる位置なのか道にあたるのか、対岸から見ただけなのでちょっとわからなかった。ときどき思うが、道端とはどこのことだろう。カンナは大きく茂って美しく咲いていた。

2016年8月4日

道の記


道を歩いていると、草をあえて残してあるように見えるお家や事業所がときどきある。きのう前を通ったお家は、入り口にエノキグサが横一列にきれいに並んでいた。また昨年道沿いにもろこしをずらっと植えてあったお家では、今年はそこにノゲシが等間隔で並んでいた。


コインパーク(だったかちょっと記憶があやふや)の隅ではムラサキカタバミがまとまって花を咲かせていた。ムラサキカタバミの花はひさしぶりに見たような気がする。

道の記


排水溝の枯れたクスノキ、あらためて見てみたが、下から出ている草みたいに見えたものがひょっとしたらクスノキの芽かもしれない。枯れた幹のちょうど根元から出ている。網の下が暗くて見づらいが、もう少し経って伸び上がってきたらはっきりわかりそう。

2016年7月30日

道の記


前に書いた場所とは別の道で、やはりクスノキの若木が排水溝の網から伸び出ているのを見つけた。排水溝はいろんな草が生えているのをあちこちで見かけるし、どこかでアカメガシワを見たような覚えもある。新しく見つけたクスノキの場所も土が薄そうな場所だが、どうあれクスノキは生きていくだろう。


道端というか交差点の一角にランタナが大きく茂っているちょっとしたスポットがある。といってそこでランタナを眺める人をこれまで見かけたわけでもなかったが、きょうは一眼のカメラを構えて熱心にランタナの花をのぞきこんでいる方がおられた。その方の様子を自転車を止めて見ている方もおられた。

道の記


"What a wonderful world"を小さく口ずさみながら歩いていたら、商店街のお店から"What a wonderful world"が流れてきた。

聴け、ということだったのだろう。

2016年7月29日

道の記


オヒシバが出てきたセイヨウタンポポの場所(道端の舗装隙間)をのぞいてみたが、セイヨウタンポポの葉はまったく出ていない感じ。引き続き様子を見ようと思う。


思いがけない場所でキツネノマゴを見かけた。たしか埋め立て地のはずで、近くを見回したがほかにキツネノマゴも出ていないし、ほかの在来の草もぱっと見では見当たらない。歩道の隅にぽつんといて、3つほど花を咲かせていた。暑いけれども西日は当たってこない。元気で、と念じてその場所を離れた。

2016年7月28日

道の記


ある道端の舗装の隙間にもう何年も前からセイヨウタンポポがいて、おりおり地上から姿を消しながら復活を繰り返している。そのタンポポもなぜか目にとまって見続けている草のひとつ。今年の春も花を見たと思うのだけれど、きょう見たらオヒシバがとってかわっていた。狭い隙間から旺盛に伸びていた。


この近辺ではオヒシバはあまり見ないけれど…と思って歩いていたら、その先の道端にまたオヒシバが生えていた。そこも隙間しかない場所で、やはり旺盛に茂っていた。オヒシバの前に別の草がいたのかもしれないが、思い出せない。次に通るときには、ああここはオヒシバの場所だと思い出すかもしれない。

2016年7月27日

道の記


ある町のある通りの、私が出歩く時間帯だと開いていないお店の前に、たぶん放置されているのだと思う小さなプラスチックの植木鉢があり、そこに草が生えている。交通量が多く路側帯しかない道なので急いで横目に見るだけだが、なぜか覚えていて、その通りを歩くたびにちらっと見ている。

先日見たときはカタバミが生えていた。少し伸び上がっていたが、オッタチカタバミではなく在来のものではないかと(なんとなく)思う。


別の町の別の通りの、やはりなぜか私が通るときには開いていないお店の前に、大きなプランターが置いてある。ここもたぶん何か花を植えておられたのだと思うが、いまはオニタビラコが居着いていて、ときどき花を咲かせている。ここも通るたびに思い出して横目で見ていく。

先日も花を咲かせていた。あたりにほかの花は見当たらず、オニタビラコのその花がその通りをちいさく彩っていた。

2016年7月26日

道の記


柿と梅と桜といちじくが植えてあった線路端の小さな緑地が工事でなくなって1年が過ぎた。いまはこの先の工事を控えて砂利が敷いてあるが、そこからぽつんぽつんと柿が芽を出している。地中のちぎれ根から伸び出したのだろう。まわりの草とともに青々としている。

知っている方がこの緑地の木々を以前から見ておられて、そのときどきの花を教えてくださっていた。先日その方からも、あそこに柿の葉っぱが出ている、とお話をうかがった。がんばってるよ、と。

柿の木は伸び放題に大きかった。手入れをなさる方々も代が替わっていったのだろう。実はいつも収穫されずに道に落ちたり鳥のえさになったりしていた。それでも道を通る人たちのなかに、その木の1年1年を見守っていた方がきっと(ほかにも)いらっしゃっただろうと思う。梅も桜もいちじくも。

金網の向こうで伸びゆく柿の芽も、道からご覧になっているどなたかがいらっしゃることだろう。

2016年7月25日

道の記


駐車場のすみっこに在来イヌノフグリが出てくる所があったのだが、先日通ったらすみずみまで舗装されていた。アスファルトの隙間から出てくる可能性もあるとは思うけれど、とても厳しい状況に見える。イヌノフグリはその近くの場所にも出ていたのだが、そちらは早くに舗装されてしまった。


やはりイヌノフグリが毎年出てくる別の場所を通った。エノキグサが生えていた。最近あちこちでエノキグサが目にとまるようになり、ああエノキグサの季節だな、と、あらためて思った。春の草が留守のあいだ、自分たちがこの土地を守る、と、エノキグサが宣言しているような気がちらっとした。


丘陵住宅地にぽつんとある公園。遊具はなく、林と草地が広がる。その町に来るとちょっと立ち寄って、そのときどきの草を見たくなる。きのうはイヌビエやタチスズメノヒエがなびくかたわらで、ヒメクグやテンツキの仲間が穂をつけていた。栗の実が落ちていた。この夏初めてのツクツクボウシを聞いた。


暑いけれどもかすかに秋の呼び声が。あとひと月もすればイヌノフグリの発芽が始まる。

2016年7月24日

道の記


道路脇の排水溝のようなところからクスノキの若木が伸びているのを昨年見つけた。ときどき通る道なのでときどき寄って見て挨拶していた。いつも元気だった。1か月ぶりぐらいだと思うが、きょう通ったら枯れていた。底に溜まっている土が乾いていた。その土から何か草が小さく生えつつあった。


伐られて切り株だけ残っている神社のクスノキはまた芽を出していた。これで何度目になるだろう。芽を出すたびに摘まれているがあきらめない。しばらく動きがなかった隣のムクノキ(だと思う)の切り株も、そっと芽を伸ばしていた。


比較的最近知ったまちの小径の道端にタツナミソウやトウバナがいる。タツナミソウは植えてあるものが増えたような雰囲気もあるが、トウバナはそうではなさそうで、ほかのいろいろな草が生えているふもとでしっかり花を咲かせている。たびたび通る道ではないが、通ると少し元気が出る。


道端の木が大切にされている小径や、草々に寛容な小径を歩いていると、しあわせな気持ちになってくる。

2016年7月23日

道の記


新聞の電話投稿欄に、大通りの中央分離帯に草が茂っていてみっともないみたいな趣旨の声が掲載されていた。見てきたが、クロガネモチみたいに見える樹木の下にアベリアやよくわからない低木が連ねて植えてあり、そのところどころからオオアレチノギク・ヒメムカシヨモギらしき草が伸び出している感じ。

中央分離帯をすみずみ見て歩くわけにいかず、沿道と横断歩道から見るだけだったが、カラスウリやメヒシバやケヤキの幼木なども生えていて、沿道の植え込みよりも多様な印象を受けた。手入れが行き届きにくいのかもしれないが、それがむしろさまざまな草が生き延びるのに好都合なのかもしれない。

2016年7月20日

道の記


歩いていて突然となりにバナナ(芭蕉)が現れた。こんなところにバナナ!と辺りをよく見たらポケットパークみたいな小さな公園だった。公園にバナナが植えてあるのも珍しいように思う。人は誰もいず、バナナが夏の訪れを歓迎するかのようにしずかに茂っていた。


公園のバナナと言えば、むかしよく遊んでいた公園に、いつごろからかバナナが植えてあった。桜がきれいな公園だった。公園が駐輪場に変わってからもバナナや桜は敷地の隅に残っていた。その駐輪場がまた緑地になると聞いて喜んだのだが、桜もバナナも伐られてなくなり、いまは空地のままになっている。

バナナが伐られたその日にちょうどそこを通った。花が転がっていた。現場の方に頼んで花をいただいて帰った。どうかしたら実らないかと思って水差しにしたりした覚えがある。バナナは根が残っていて、しだいに復活していたが、整地工事の際に完全になくなった。緑地ができるのはまだ先のことのようだ。


保存を望む声も上がっていたのではと思われる、ちょっと珍しい様式の住宅が取り壊された。以前からそこにいろいろな草が生えていて道から見ていた。敷地内の起伏を残して更地になった。ほどなくエノコログサが生えてきて、あっというまにねこじゃらしの段々畑になった。きょうは夕陽に照らされていた。

エノコログサももとからそこにいた草だった。

2016年7月19日

道の記


イチョウやモミジバフウを撤去していた歩道は舗装(ブロック舗装だった)もすべて剥がしていた。完全に舗装をやり直す様子。貼り紙によると街路樹もあらたに植えるというが、10年20年経つと根が大きくなって、ゆくゆくまた同じことになるだろう。

2016年7月14日

道の記


そのお家はみどりがお好きな方が住んでおられて、道からも植木のほかカンナの花などが見えていた。そこの敷地境界のブロック塀の隙間からタツナミソウが生えていた。たぶんお庭に植えておられたものが出てきたのだろう。まちなかでタツナミソウを見ることもほかになく、花の頃など気に掛けて見ていた。

その方がしばらく前に亡くなられ、お家にご親戚かどなたかが入っておられたようだったのだが、植木がばっさり伐られ、それからしばらく経って更地になった。ほどなくマンションの建設工事が始まった。ブロック塀は敷地境界の部分だけ残されていた。

タツナミソウもそのまま生えていたが、あるとき姿がなくなった。ブロック塀の内側に残っていた土が削られた様子で、タツナミソウはその土に根ざしていたのだろう。しばらくはブロック塀の下にドクダミも生えていたが、とうとう塀も撤去され、草もなくなり、新しい塀ができた。

すぐ近くに、やはり草花がお好きな方のお宅がある。そこにタツナミソウやドクダミやほかの草花たちが逃げ込んでいって、かくまってもらっているのではないだろうかと、少し思っている。道から見えなくても、草のこどもたちがまちなかのどこかで生き延びて、世代をつないでいってくれたらと思う。

2016年7月13日

道の記


昨年のいまの時期、とおりみちの駐車場脇に1本のアレチノギクが生えていた。なぜそのアレチノギクに目が留まったのかわからないが、その道を通るときにいつも見ていた。夏に入って乾燥が続き、しだいに枯れ始め、やがてすっかり枯れ切った。

枯れ切ってからもアレチノギクはそこに立ち続けていた。綿毛が茎に残っていた。立ち枯れたままアレチノギクは時を経て、大風の吹いた夜のあとだったように覚えているが、姿がなくなった。

その道を通ることが少なくなって、しばらく前、ひさしぶりに通った。そこにアレチノギクが生えていた。こどもかどうかわからない。駐車場の脇で、丈を伸ばさずに、去年の景色とそっくり同じようにしていた。

そして次の夏が来る。

思うこと


自分は、亡くなったひとのかわりにこの世界を見ている、と思ったことが何度かあった。この景色をあのひとは見たかったに違いない、それなのにあのひとではなく自分が見ている、そんなふうに思って。

いまではそういう「かわりに」はできない、と思っている。自分は自分しか体験していないしかたで「この世界」を生きている、ほかのひとはそのひとの「この世界」を。そして、

もし死んだあとにすでに亡くなったひとたちと会うということがあるなら、私が体験した「この世界」を、私が見た「この世界」のさまざま、出会ったいろんなひとやものやものごとを、そのひとたちに話したり聞いてもらったりできるだろうか、と思っている。

そういう意味で言えば会いたい木も会いたい草もいる。

道の記


たぶんむかし線路が通っていたのだと思うが、ほぼ崖と言ってよさそうな最大何メートルかある段差の下に住宅が並んでいて、法面の真下にいろいろな木や花が植えてある。先日通ったとき、その隅にセイバンモロコシが群れて生えていた。そのなかの1本が高々と伸び上がってここまで届きそうに揺れていた。

セイバンモロコシの穂はこれからの季節の空にはよく合うだろう。

2016年7月11日

道の記


ひさしぶりに通った住宅街がところどころ空き地になっていた。1箇所、更地になってそう経たないように見える区画で、ほかの草に混じって、紫の葉のオキザリスがぽつぽつと生えていた。お住まいだった方が植えておられたのだろう。ひとつの草になったオキザリスは、小雨のなか、清楚に咲いていた。

2016年7月10日

道の記


きょうは路上のもう動き出すことがなくなった虫たちを土に移した。これからの季節そうした虫たちにつぎつぎと出会うことになると思う。


道端のアキノノゲシはみどりを吹き返していた。

道の記


虫が路上を這っていると土の場所に移したくなって移すことがある。きょうはたてつづけにみみず3匹(単位は匹でいいのかわからない..)と出会って、3匹とも近くの茂みの下に移した。どのみみずも落葉の下に潜っていったが、みみずとしては不本意だったかもしれず、申し訳なさもある。

2016年7月9日

思うこと


ひとり、ひとつ、これ、それ、あれ、あなた、…と思うそのひとつよりも大きな何かの肩を持ったりしない。そのひとつを囲い込もうとしたり組み替えようとしたりする大きな何かのほうを大事にしたりしない。

私は、これ、あれ、それ、あなた、…と呼ぶことができるひとつひとつがあるひとりひとりがいるそのあいだに生まれて育ってきた。何を聞かされ何を読んで何を知って何を考えるようになっても、ひとつひとつひとりひとりのそのあいだにいつも帰っていく。

2016年7月8日

道の記


この聞こえる雨音は木の葉の音でもある、と思ったら、どの木の音なのか聞き分けられるのではないかと思えてきた。それで雨のなか少し立ってみた。たしかにそれぞれの木から聞こえる雨音はそれぞれに違って聞こえるが、そのなかで聞き分けることができそうに思えたのはカンナの葉音ぐらいだった。

でもときどき草木の雨音(葉音)を近くで聴いてみようと思う。

根だけになった木々にも、きのう書いたすみれにもこの雨が降りていると思う。


たぶんアキノノゲシだと思うのだが、道路のアスファルトと縁石との隙間から10cmほど伸びている草があり、先日の晴天続きのときに見たらしおれていた。以前にも同じ草(株)かどうかわからないが同じ位置で同じように伸びてしおれて枯れた草がいた。あの草にこの雨が間に合ったかどうか。

2016年7月7日

道の記


撤去工事中の街路樹の根元にすみれの葉が出ているのを見つけた。土というより、植え枡いっぱいに広がっている木の根の隙間から生えている感じ。いくつか先の植え枡では、背丈ほどの高さで伐られた木が抜かれている途中だった。すみれも、たぶんきょうのうちに、木と同じところへ運ばれて行っただろう。

その同じ通りで、10年ほど前のある夜更け、街路樹の採掘工事に遭遇した。撤去のための工事のようではなく、少し手空きに見えた方にお尋ねすると、他の場所へ持って行くとのこと。いまは木も大切だから、と。これから旅をするその木は、大きな荷台の上で街灯に照らされてしずかにしていた。

教えていただいた移植先の場所は私もよく知っている町の大きな公園だった。しばらく経って、その公園を訪ねてみた。たぶんこの木じゃないかな、と思ったその木は、枝をずいぶん落とされていながら、あの通りにいたときのように、すっくと空に立っていた。

2016年7月6日

道の記


その場所を通り過ぎ終えるときに、ああここはこの前イチョウを伐採していた道だ、と思い出した。路面の凹凸をなくす工事の一環だった。振り返ると、まだ新しく見えるアスファルト舗装の平かな歩道が向こうのほうまで続いていた。そこをなにごともなく歩いてきたのだった。木はひとつも見えなかった。


前に近くを通ったとき桜のような大木がちらっと見えた市街地の小道に入ってみた。その桜は、まだ新しい福祉施設の正面植え込みからそびえていた。まちの公園で見る古い桜よりも幹周りが大きく、この一角を残して施設が建てられたように見えた。桜のとなりには別の木が寄り添うようにそびえていた。

2016年7月4日

道の記


柿の木とちいさな畑があったはずで、地図にも書き込んであったのに、舗装されていた。照らされていたためかアスファルトの匂いがかすかにした。


ある大規模な再開発が行われた一帯、以前はすみれをぽつぽつ見かけた。先日通ったとき、わりと最近建てられたマンションの正面植え込みに、すみれが生えているのを見つけた。近くに残っていたのがやってきたのか、どなたかが採っておいておられたのか、新しく植えられたのか。


あ、ここにもすみれが、ここにも、…ということがこのところ多い。すみれはぜんぜんくわしくなく、「すみれ」と呼んですませてしまっているが、そろそろ種類を覚えていこうかと思う。

2016年7月2日

道の記


ひさしぶりにこの道を通ってみようと思って通った道で、街路樹が伐採工事を受けている途中のことがしばしばある。きょうはイチョウとモミジバフウが伐られていた。1本だけさっと年輪を数えてみたが40年ほどになる木だった。


別の道では、ひこばえが出始めていた切り株のセンダンもまた伐られていた。よく見ると株がぼこぼこしている。幹まわりが小さく、あまり大きく育ったことがないのだと思うが、これまでに何度も何度も伐られた様子。


コインパークになって5年6年ほどになる空き地。以前はアレチハナガサが丈を伸ばしてたくさん咲いていた。駐車場になってからはほんのわずかな隙間から小さく生えている。ときどき刈られて姿がなくなる。今年はどうかと思っていたが、10cmになるかならないかぐらいの丈で花を咲かせていた。


桜が見事だったお家の跡地は何かが建てられる様子。打ち込まれた鋼板のそばで、ケヤキらしき幼木が数枚の葉を広げていた。

思うこと(木の杭・まもりがみ)


むかし、北海道(道東)のどこかの道を歩いていて、路傍に古い木の杭が立っているのを見た。近くに民家など人が暮らしている様子がない所で、道標かとも思ったがなにか碑のようにも見えて、とても厳かだった。

カメラを持っていて、写真に撮りたいと思ったのだが、どうしても撮ることができなかった。杭にはなにか字が書いてあったように思うが、それを読んだかどうか思い出せない。もうどこだったかも、なんだったのかも、わからない。

でも、いまときどき思い出す。

しずかに道端に立っているものものが、なにか「まもりがみ」のように思えることがある。たぶんそのころから。木を見始めたのもそのころからで、草を見始めたのはそれからしばらくして。

(その「まもりがみ」おのおのが「まもっている」なにか(だれか)が、おのおのある(いる)のだろうと思う)

2016年7月1日

道の記


その桜は切り株になっておおよそ2年半になる。ひこばえを伸ばしては切られ伸ばしては切られしてきた。しだいに腐朽も進み、いまはたくさんの草たちに埋もれて、短いひこばえを草のように伸ばしている。