※ ページの下のほうにこのブログの説明・過去記事カレンダー・タグクラウドなどがあります

現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)

2020年10月9日

道の記


緑に囲まれた喫茶店はなくなったのだった。それを忘れてこの道に入った。喫茶店の場所もよく覚えていなかった。ここではないかと思う場所は駐車場だったが、しかし舗装が少し古い。奥のほうでヒメムカシヨモギらしき草が1本、高く伸びていた。
 

すみれのプランターに復活したすみれは、つぼみと花のあとがあった。ガザニアやなでしこの仲間かと思う花やハハコグサの園芸種みたいな草(シロタエギク?)やメヒシバに囲まれていた。
 

覚えられないくらいいろいろな種類の草が生えている。文字どおり建物の裏道で歩く人もほとんどいない。何年か後にはこの一帯も工事が入るだろう。ここに生えている草たちがその工事を体験するかどうかはわからないが、草たちはいまこのときをにぎやかに生きていた。
 

2020 10/9
喫茶店 ヒメムカシヨモギ すみれのプランター スミレ ガザニア シロタエギク メヒシバ ナデシコ

2020年10月7日

道の記


植え込みのキツネノマゴは高さがそろっていて、世話をされているように見えた。
 

あてにしていた食べ物屋さんが、時間の関係もあるのかことごとく閉まっていた。パン屋さんも開いていず、道を曲がった。遠くに学校の緑が見えた。
 

伐られた街路樹いちょうの切り株。最初の切り株にはホトケノザが生えていた。花が咲いていた。次の切り株はオヒシバやコニシキソウやエノコログサに囲まれていた。その次の切り株はひこばえを少し伸ばしていた。その次の切り株はひこばえが林のようになっていた。その次の植え枡は舗装されていた。
 

抜かれた様子のキツネノマゴの場所、ほかのキツネノマゴは無事に花を咲かせていた。
 

線路際の小さな場所は薬が撒かれたあと草があまり出てこない。そう思っていたら、角にノゲシが育っていた。ひざ丈ほどあった。奥のほうにはエノコログサの仲間のように見える葉が見えた。
 

2020 10/7
キツネノマゴ パン屋さん イチョウ 街路樹いちょうの切り株 ホトケノザ オヒシバ コニシキソウ エノコログサ ひこばえ ノゲシ 線路際の小さな場所

2020年10月5日

道の記


スーパーマーケット跡地のアキノノゲシが咲いているのを見た。やさしいクリーム色の花。狭い歩道だが少しのあいだ立ち止まって見た。
 

丘の斜面のアキノノゲシはよく見ると丈が2、3メートルありそうだった。1本こちらへ倒れていて、その倒れている茎がたくさんのつぼみをつけていた。
 

伐られた桜の切り株の横で彼岸花が一輪咲いていた。 
 

ビルの谷間のヨウシュヤマゴボウは実をみのらせつつあった。
 

2020 10/5
スーパーマーケット跡地 アキノノゲシ サクラ 彼岸花 ビルの谷間のヨウシュヤマゴボウ ヨウシュヤマゴボウ

2020年10月4日

道の記


クワクサの手前のハゼランの、花の茎がなくなっていた。根元の葉は残っているので、花をどなたかが摘んでいったのだろうか。
 

ノボロギクとヒメムカシヨモギの角に出ていたコスズメガヤがすっかり穂を枯らしていた。ハマスゲとクグガヤツリが元気に穂を掲げていた。
 

帰りは雨になった。傘をささずに歩いていたが、車のライトに照らされる雨が本降りの勢いで、もうこれは仕方がないと折り畳み傘を開いた。その直後に、傘もささず合羽も着ていない自転車の方が後ろから私を抜いていった。そのあとからもう一台、息子さんらしき方がパーカーのフードだけかぶって追っていった。
 

2020 10/4
クワクサ ハゼラン ノボロギクとヒメムカシヨモギの角 コスズメガヤ ハマスゲ クグガヤツリ 自転車の方

2020年10月2日

道の記


モウコタンポポが花を1つ咲かせていた。ほかにも咲いた後の茎があった。


***
 

ノゲシからコミカンソウに主が替わっていたお店の前、コミカンソウがなくなっていた。
 

マンション建設現場の桜の切り株はひこばえが残っているようだった。工事の物がいろいろ置かれている脇からそれらしき姿が見えていた。
 

キツネノマゴはむしりとられたような跡があった。その奥でほかの株が元気にしていた。
 

イヌビユの角はイヌビユが復活しつつあった。すみれも小さく葉を広げていた。
 

2020 10/2
コミカンソウ モウコタンポポ サクラ キツネノマゴ イヌビユ

2020年10月1日

道の記


クワクサの手前でハゼランが大きく伸びて咲いていた。
 

2020 10/1
クワクサ ハゼラン

2020年9月30日

道の記

スーパーマーケット跡地はヒロハホウキギクがたくさん咲いていた。オオアレチノギク、ヒメムカシヨモギがそこに混じってそれぞれに花を咲かせていた。
 
クサギのトンネルだった場所の少し先の斜面のクサギに実らしきものが見えた。
 
ツルボはさらに咲き進んだ。花の穂の見た目の重心がだいぶ上になった。
 
とても大きく幹回りも太かった、公園のイヌマキが伐られていた。切り株にビニルシートがかぶせられていた。ビニルシートがかぶっていないところの幹に手を触れた。少し温かく感じた。
 
むかしからの公営アパートが解体撤去されて更地になった。砂利敷にアキノエノコログサなどの草が生えている。がらんと白い土地にぽつぽつと生きている草たちの景色が、この街の中にあたらしい場所を作っているように見えた。 
 
2020 9/30 スーパーマーケット跡地 ヒロハホウキギク オオアレチノギク ヒメムカシヨモギ クサギのトンネル クサギ ツルボ イヌマキ アキノエノコログサ 公営アパート跡地

2020年9月27日

道の記

美術館へ行くのに公園の草地にできた近道を歩いていたら、小さなこどもさんが木の枝を持ってこちらを見てにこにこしている。足元を見ると、地面に線で絵が描いてある。ジャムおじさんとバタコさん。わあ、きれいに描けてるね、と話して通り過ぎたのだが、立ち止まって絵を見ていたらよかった。
 

美術館の帰りにその絵のところへ戻った。他にもいろんな絵が描いてあったのだった。ケーキ、たくさんの果物、そしてこどもさんらしき笑顔。こどもさんはもういなかった。

 
公園の林のところどころに人が座っていた。この場所のこういう景色をあまり見たことがない。明るい休日の午後。

 
近寄らないでと札が掛けられていた桜は伐られていた。切り株は乾いていて、伐られてから少し時間が経ったようだった。ひこばえが出ていないか見てみたが、切り株も根も茂る草たちに囲まれていて、ひこばえはわからなかった。

 
丘の陰の斜面でアキノノゲシが咲いていた。

 
ツルボはさらに少し咲き進んでいた。日がちらちら当たっていた。
 

大きな公園は人がたくさん。自分の居所がなかった。大きなケヤキの下のベンチが空いたので掛けた。カリンバをぽつぽつ鳴らした。日が傾いていた。
 

十月桜がちらほらと咲いていた。そのとなりでオカリナを吹いた。日が暮れた広場では、向こうのほうから、遊び続けている人たちの声がしていた。こどもたちが歌っている声がかすかに聞こえた。
 

2020 9/27 地面に描いた絵 サクラ アキノノゲシ ツルボ ケヤキ 十月桜

2020年9月26日

道の記

2つ信号のオニタビラコは出ているかわからなかった。エノコログサが穂を1本立てていた。
 
スーパーマーケット跡地は、アキノエノコログサがたくさん穂をなびかせていた。アキノノゲシにたくさんのつぼみ。咲いたあともあった。
 
ツルボが咲き始めていた。穂の下のほう。これからだ。
 
2020 9/26 2つ信号のオニタビラコ エノコログサ スーパーマーケット跡地 アキノエノコログサ アキノノゲシ ツルボ

2020年9月24日

道の記

丈の小さなヤナギバルイラソウが、雨のためか花を一輪落としていた。
 
2020 9/24 ヤナギバルイラソウ

2020年9月22日

道の記

公園は広すぎて寄る辺なく感じた。川土手に出て、橋を渡って中洲へ向かった。橋から中洲へ降りる階段で、おひとりが段に掛けて、もうおひとりがカメラを構えている。さっと行こうとしたら、こんにちは、と、少し外国語の雰囲気がある調子で挨拶していただいた。
 
中洲は大きなくすのきの林。砂が積もっていた。以前来たときもその前の水害で中洲が水に浸ったが、それ以降、たぶん今年も、水をかぶったのだろう。
 
砂が積もった道を、傾いた日に照らされながら、蝉の幼虫が歩いていた。小さい。たぶんつくつくぼうしだろう。見ていて同じところを回っているようだったので、考えた末、葉っぱに載せてくすのきの根元に渡した。
 
ひかげちょうの仲間の蝶が、砂が少し水を吸った様子の地面に降りていた。
 
中洲の突端まで歩いた。砂が厚く積もっている。セイバンモロコシやオオブタクサが立ち並ぶその向こうに、川の土手と夕日。左手には川の対岸の土手。後ろを向くと、なにか南国の木のように大きな枝をたくさんくねらせて立ち上げている、くすのきがそびえていた。足跡もあり、人が来ないではなさそうだったが、誰か居る様子ではなかった。
 
夕日と空を眺めているうち、あちこちで夕方の音楽が流れ始めた。曲はばらばらだった。その最後のひとつに押されるように、突端を立ち去った。
 
ひかげちょうはそのまま同じ場所に居た。つくつくぼうしの幼虫はいなくなっていた。
 
公園で日暮れを待って星空を見た。夏の星々。少し満ちてきた上弦前の月が、アンタレスと斜めに並んでいる。いるか座の星々がかろうじて見える。天の川は見えるようで見えないようで、うっすら見えているのも気のせいかもしれなかった。それでも大きな星空だった。持って来たカリンバを星を写し取るようにして鳴らした。これでいよいよ夏が終わりそうだ。
 
2020 9/22 クスノキ 蝉の幼虫 ツクツクボウシ ヒカゲチョウ セイバンモロコシ オオブタクサ 夕日 月 アンタレス さそり座 いるか座

2020年9月21日

道の記

参道は人でいっぱいだった。なにかはじけたようだった。
 
山へ上がっていく道。5年ぶりに歩く。家が高いところにかけて増えたような気がするが、道沿いのくすのきはあまり変わりなさそうに見えた。
 
中腹の小山に立ち寄った。桜がすでに葉を落としていた。わずかにだけ咲いているアキノノゲシの花に、キアゲハがとまっていた。
 
明るい林の中の道を行く。途中、道を間違えて降りてきた様子のおばあさんとお孫さんらしき方々が、詳しそうな方に案内されて道を戻り始めた。その方々の後を私は登っていった。お孫さんたちがいっぱいおしゃべりしながらおばあさんの後を追っていた。
お孫さんたちが休みたいということで皆さん休憩を取られた。先へ行かせてもらった。しばらく行った先で私も休んだが、ご一行は分岐で別の道へ向かわれたようで、現れなかった。
 
山からの眺めは懐かしかった。青かった。もうひとまわり高い向こうの山は、ここよりももっと何年も登っていない。眺めていると、遠くにも近くにも感じられた。
 
坂道の途中の、登るときには気づかなかったところに白彼岸花が一輪、咲いていた。
 
2020 9/21 クスノキ アキノノゲシ キアゲハ 白彼岸花

2020年9月20日

道の記

聖夜の木は冬芽を用意していた。ふもとにはオヒシバやコメヒシバが茂っていた。


ビルの谷間のヨウシュヤマゴボウは元気そうに見えた。タピオカらしきものを飲んでいる方が手前におられて近づくのは遠慮した。


お屋敷跡のいちょうも元気そう。


公園はにぎわっていた。水路でヨシノボリを見つけた。


カゼクサが生えている場所を通り過ぎて引き返した。カゼクサは今年もぱらぱらと穂を付けていた。こどもたちが小さな自転車で行ったり来たりしていた。


この前も通った道だが、きょうは白い彼岸花が咲いていた。


この前この道を歩いたときより少し遅い時間になった。この前もすれちがったお歳の御夫婦がきょうは少し手前ですれちがった。道を向こう側へお渡りになろうとしている様子だった。車が来るのが続いていた。


暮れていく見晴らしの丘は虫の声がいっぱい。水平線の上が夕焼け色。空の下に広がる草原。この景色が大好きだと思った。草も木もほのかに夕焼け色をしていた。


公園の高台。さそり座が大きく横倒しになっていた。


2020 9/20 聖夜の木 コブシ オヒシバ コメヒシバ ビルの谷間のヨウシュヤマゴボウ ヨウシュヤマゴボウ  飯田屋敷跡のイチョウ ヨシノボリ カゼクサ 白彼岸花 さそり座

2020年9月17日

道の記

 

何年ぶりに通るかわからない小道。畑があった。そうだったか。少し先で猫が誰かを待っていた。

 

桜は台風で倒れたのではなくもともと中が腐っていて台風の前に伐ったという。まだ回収されていない幹が置かれている横で、ご近所の方らしき年配の方が草を取っていた。

 

この路地でも猫が誰かを待っていた。私が行くと逃げようとしたが、逃げなくていいよと私のからだから信号が出ていたか、私が通り過ぎるあいだ、道の脇で私の顔をうかがいながらじっとしていた。

 

2020 9/17 猫 サクラ 

2020年9月16日

道の記

 

公園が明るくなっていた。木々に囲まれていたのだがその木々がなくなっていた。昼間なのに人は誰もいず、ただ明るかった。切り株のそばに花のないハゼランが寄り添っていた。

 

歩道を行くお母さんのとなりで、こどもさんが踊るように歩いている。道はまだ工事の最中で、歩道の横の大きな土のうの脇に小さな草むらができていた。

 

角のイヌビユが生えていたあたりに小さな緑が見えていた。

 

2020 9/16 イヌビユとムラサキカタバミの角 ハゼラン 土のう イヌビユ

2020年9月14日

道の記


地図で見ると左の新しく整備された道のほうが早く着けそうだったが、これまでよく通ってきた右の道を行くことにした。歩道脇からタチスズメノヒエが伸び出していて、穂に当たりながら歩いた。こちらの道でよかったと思った。


前を行く人が神社の鳥居の前で一礼して歩いて行った。


新しい道ができつつあった。そこは通れないので以前の道へ入ったら、その新しい道に出た。このあたりのお家が立ち退いたということだろう。以前はここは小さな路地だった。新しい道の未開通部分で地元のこどもさんたちが遊んでいた。


ひさしぶりに親水公園に入る。もう暗いので歩くだけ。道の片側はマンションだが、もう片側に小川が流れる。木々が深くてそちらだけ見ると渓谷のようだった。


大くすのきの林だった場所のマンションの前にさしかかる。もうその敷地のほうを見ることはないだろうと思いながらそちらの方向を眺めた。暗い空にまだ入居が始まっていないマンションがそびえる。その向こうでアークトゥルスが低く輝いていた。


振り返ると木星と土星。アンタレスが見えるはずと思って探すが、雲が多くてわからない。もう見られないかと思って歩き出そうとしたときに、そのあたりに星明かりが見えた。赤い星。来年また見られることを願った。

道の記


交差点角のオヒシバは枯れていた。


伐採木置き場のいちょうは他の木や草に埋もれていた。ちらっといちょうの葉が見えたので元気にしてはいるのだろう。


ヒサカキの駐車場は完全に舗装されていた。ヒサカキのいたあたりもアスファルトの下になっていた。駐車場の端に小さな花壇があった。コスモスのような花が見えていた。

2020年9月13日

道の記


マンション建設予定地の桜の切り株はひこばえを出していた。


お店の前の植え込みにいろいろなマスコットが置いてあるのだが、きょうは幟の重しの上にキャラクターの小さなぬいぐるみが置かれていた。落とし物をそうして置いてあるようだった。


丁字路のエノコログサはなくなっていた。


草刈りに遭ったキツネノマゴは花を咲かせていた。


細い道の端を下校中のこどもたちが大声を上げながら通って行く。その手前の駐車場の塀沿いにセイタカアワダチソウが立ち並んでいる。どの茎も頂があおあおしていた。

道の記


イヌノフグリの場所に出ていたヤナギバルイラソウは姿がなくなっていた。まわりの草が枯れていた。

2020年9月11日

道の記


民芸風だった昔ながらの居酒屋さんが解体工事されていた。台風のせいだったかわからない。


スーパーマーケット跡地は杭が取り払われていた。丈の高い草たちはやや傾げている。ヒロハホウキギクがところどころ花を咲かせていた。


クサギのトンネルだった場所の近くのクサギが実をみのらせていた。


気にしていた木々は無事のようだった。街角の大きなくすのきの下の円形ベンチに、おそらくゲームを楽しんでいるのだろう人たちがぐるりと掛けていた。傾いてきた日があざやかだった。

2020年9月10日

道の記



ノゲシの場所、そこをまた通ったのでわかった。花のそばにつぼみができていた。


塀際にクワクサが並んでいる場所にさしかかる前、落ち葉が積もっていた。クワクサはどうだろうかと思いながらさしかかった。クワクサは変わりなく並んでいた。


角のヒメムカシヨモギは、残っていた茎も折れていた。いずれ次の芽をどこからか吹くだろう。


満開のオニタビラコそばのオニタビラコは、こころもち茎を道のほうへ傾げていた。

2020年9月9日

道の記


場所がどこだったかもう思い出せないが、行き道と帰り道の道沿いで、同じノゲシを見た。茎の先にひとつだけ、少し黄味のうすい花を咲かせていた。いま思うとからだ全体もこころもち色が薄かった気がする。

道の記


角のヒメムカシヨモギは、倒れているうちの綿毛のないほうの株は上のほうの花の枝が枯れたようにしていた。この前もそうだったのかもしれない。

2020年9月6日

道の記



角のイヌビユが切り株になっていた。


角のヒメムカシヨモギが倒れていた。その1本はまだ全体青く見え、もう1本はたくさんの綿毛をつけていた。

道の記


歩道に木の端切れといっしょにツクツクボウシが落ちていたのが見えた。後ろから人が来ていたので拾えなかった。


マンションの前に桜の木が植えられていたのがなくなっていた。切り株もなく、植え枡には青石の砂利が敷き詰められていた。


スーパーマーケット跡地の草たちは敷地内の方向へ傾いていた。杭も倒れ込んでいた。


イヌビワの植木鉢を置いていたお店の跡地では、草がめいめいの方向へ傾いていた。折れた草も。折れてもまた芽を高く伸ばしていくだろう。

2020年9月5日

道の記


スーパーマーケット跡地ではヒロハホウキギクやヒメムカシヨモギの小さな花がたくさん咲いていた。


クサギのトンネルのクサギが伐られて、ことごとく切り株になっていた。少し先に出ているクサギは無事のようだった。花も咲いているのが見えた。

道の記


お店の横に何年も出ているヨウシュヤマゴボウがすっかり枯れていた。根がどうなっているかはわからない。そのかたわらから、オニタビラコが花の茎を1本立てていた。


大くすのきの林だった場所のマンションは内覧が始まったようすだった。


つまぐろひょうもんも、あぶらぜみも、姿がなくなっていた。この前のときには気づかなかったけれどメリケンカルカヤが穂を立ち上げていた。

道の記


満開だったオニタビラコの場所に出てきているオニタビラコは、満開だったオニタビラコとは別の株のようだ。すぐそばに、たくさんの花の茎が枯れて横たわっていた。


公園のグラウンドで、ユニフォームを着たこどもさんが1人、どうも自分の家族ではなさそうな家族連れの方々に、空のどこかを指差しながら話していた。その方向を私も歩きながら見てみた。夕焼け雲が煙になってヴェールを掛けているようだったが、その雲を差しているのかどうかわからない。振り返ると、こどもさんは話し終えたようで公園を立ち去って行くところだった。

2020年8月30日

道の記


満開のオニタビラコがいた場所で、小さなオニタビラコが短く茎を立てているのが道の対岸から見えた。花も綿毛もあるようだった。

2020年8月28日

道の記


ひさしぶりに通る道だけれど、マスクのせいか暑いせいか、まわりの草が見えてこない。やまいものようなつるの草が見え、何か小さい花のようなものも見えたけれど、引き返してよく見てみようとまで思うことができなかった。


キツネノマゴの場所が草刈りされていた。キツネノマゴも刈られていたが、敷地の端の株が少し茎を残していた。花の穂が伸びつつあった。


ひまわりの花壇のそばにトキワハゼの花が低く咲いているのが見えた。


行きがけ、幼稚園のそばの塀際にキバナコスモスが並んで咲いているのが見えていた。その横を通って帰った。


西空に月。少し満ちてきた。

道の記


ひこばえが出ている桜の切り株の一帯が草刈りされていた。ひこばえは残されていた。今回はかろうじて残ったというより、残された、という感じがただよっていた。切り株の空洞に出ているくすのきの幼木も切られずにいた。


マンションの看板が立てられている桜の切り株の敷地では、切り株の上にパイロンコーンが載せられていた。


丁字路のねこじゃらしには穂が4つついていた。行き交う人と車とをここでずっと見送っているのだと思った。



2020年8月27日

道の記


クサギのトンネルは、もう暗くなったので香りだけを受け取って行った。


夜のスーパーマーケット跡地。このまえは夕日の逆光にアキノエノコログサの穂がきれいだった。いまは街灯などまわりの灯りが穂をうすぐらく照らし出していた。

道の記


中心街の交差点。横断歩道を渡りきったところのポールの下に、エノキの幼木が居着いていた。アレチノギクやオッタチカタバミらしき草たちが脇を固めていた。


このまえイノシシが走り回ったという城跡。ここもイノシシが通っただろうか。カラスたちが金網の向こうで逃げもしないでたたずんでいた。


林の中でキツネノマゴの花が咲いていた。花を今季初めて見る。トウバナのように見える葉も出ていた。ここにこうした草たちがいたのか、と思いながら、近くでキツネノマゴがいる場所をいくつか思い起こした。


目の前の橋の上でどなたかカラスに餌をやっているらしく、カラスが集まっていた。私が橋に差し掛かるとその方がさっと自転車で去っていった。残されたカラスたちがその方をぼうぜんとした様子で見送っていた。

2020年8月23日

道の記


ノボロギクやツメクサを見てきた角に出ていたのはヒメムカシヨモギだった。学校帰りらしき若い人たちが角を曲がり、そのときに裾が触れて揺れていた。

2020年8月21日

道の記


角のイヌビユが大きく育っていた。高くはならず、横に広がっていた。


小さな公園はオヒシバなどの草が茂っていた。ここからは何の草かわからない高い草に囲まれるようにして、ベンチで御仕事の服装の方が休んでおられた。


伐られた桜の敷地では、ヒメムカシヨモギかオオアレチノギクだと思う、丈がまだ小さな草が道際に生えている。その草がこの前も目に留まって、ふと立ち止まって触れたのだった。その隣にマンションの看板が立っている。看板が告げる未来にこの草がいるかどうかではなく、いまこの草が生きている。葉の緑は深く、縁にはぽつぽつと短毛を宿していた。


桐の木の切り株は今度は完全にゴムシートに覆われた。こちらも敷地内に重機が入っていた。


山は夕方色に霞んで見えた。

2020年8月20日

道の記


集団感染が発生したと伝えられた施設にも明るい声が戻ってきたようだ。手前で、コメヒシバがいくつかの小さな穂を広げていた。


2020年8月19日

道の記


数日前にはこのすぐ近くで蝉を拾ったその場所を、きょうはバスの車内から見る。1枚の葉っぱが歩道を風に吹かれていった。何か鳥のような影がやはり歩道を過ぎていった。この短い停車のあいだにここではそんなことが起きている。蝉がいたのもそんなできごとの1つだったのだ。


ランタナの交差点の花はハナカタバミだった。それからランタナも咲いていた。


田んぼだった駐車場の端の花壇はパンジーの仲間のような花が1種類いっぱい咲いていた。


見晴らしの丘から見る景色はいま思うと晩夏の景色だった。すぐ手前の道路脇からシナダレスズメガヤが1株、穂を掲げていた。丘の景色のなかにはシナダレスズメガヤは見えない。シナダレスズメガヤはどこから来たのだろう。どこから来たのであれ、他の仲間からどれだけ離れているのであれ、いまここで1株のいのちを生きている。そう思いながらその場を離れようとして振り返ると、そこより車道側にもう1株、大きなシナダレスズメガヤが立っていた。


ムクゲに添えた蝉は見当たらなかった。


あぶらぜみはそのままいたが、つまぐろひょうもんは何かに食べられたように翅が欠けていた。頭を下げて立ち去った。


山が見える道を通ることにして帰った。空だけは秋を告げ始めた。

2020年8月18日

道の記


イヌビワ通りと名前をつけたことがある通りだけれど、だいぶ手前のここからもうイヌビワが生えているのは知らなかった。植え込みの中で大きく育っていた。


いつもの道だけれど夏の山を歩くような道のりだった。


アキノエノコログサが逆光に美しかった。


この場所はヨモギがたくさん出ていたのだった。刈られて積まれていた。すでに乾いているようだった。


西の空は青いとも白いともつかない光で輝いていた。そろそろ日が沈んだだろう。

2020年8月17日

道の記


夕方の空はとても澄んでいたような気がしていたが、夜空はそこまで透明に感じなかった。それでも、さそり座の姿を追い、かんむり座やへび座やへびつかい座の星々を見ることができた。

***

夏を取り戻したいという気持ちがあったが、取り戻したのかどうかはわからない。それでも、こうして草を見て、星を見て、自分の夏らしく生きていたなら、あとからこの夏も夏だったと思えるかもしれない。

道の記


線路際は薬が撒かれたように見えた。アキノエノコログサが立ち枯れていた。


草の続く道のさいごにハゼランがまとまって咲いていた。


桜が伐られたその切り株の脇から、ひこばえが出ていた。敷地前にはマンションの看板が立てられていた。看板にはファサードに桜の立ち木が描かれていた。この桜にチャンスをあげてほしいと思った。


桐の木もひこばえを伸ばしていた。葉に触った。湿ってぬめりがあった。

2020年8月16日

道の記


畑の端にオオイヌノフグリらしき葉が茂っていた。さすがに花はないようだったが、いまの時期からこれだけ茂っているのなら、秋の早いうちには咲き始めそうだ。先日は他の所でホトケノザを見かけたのだった。


今度はくまぜみを指につかまらせた。やはり近くに木がなく、しばらく歩いてようやくムクゲの木にたどりついた。ムクゲが好きかどうかはまったくわからないまま、木の幹にくまぜみをとりつかせた。


ツマグロヒョウモンがそのまま横たわっていた。近くにあぶらぜみが横たえられていた。


山が青かった。夏の終わりがけのような空だった。

道の記


だいぶ前に立ち寄った神社のところまで来たので立ち寄った。たしかこの前の時も切り株だった大きな木の脇に小さな芽が出ていた。


交差点のランタナは緑で、その茂みの中からムラサキカタバミが1つ花を出していた。


桃の実が落ちていた。

道の記


ヒメジョオンの交差点角はヒメジョオンがまったく見当たらなかった。オヒシバがいくつも穂をかかげていた。


路面のツマグロヒョウモンを草地に横たえた。


春にナズナやホトケノザが出ていた住宅裏手の小さな畑が、整地されていた。何かが建ちそうだった。


あぶらぜみが指を差し出したら生きていた。近くに木がなく、道を変えてポケットパークまで歩いた。



2020年8月15日

道の記


丁字路には1本だけエノコログサが立っていた。


すみれのプランターの並びの、以前はたしかすみれが出ていなかったのではと思うプランターにすみれが出ていた。花が咲いた跡があった。


少しやせている感じの猫が、飲食店の前のほうからやってきた。餌がほしかったのだろうかと思って通り過ぎながら様子を見ていたら、お店の前の砂利敷に座り込もうとしていた。


枯れていた桜の木が伐られて切り株が残っていた。公園には誰もいず、街灯が切り株をとてもしずかに照らしていた。


満開だったオニタビラコが枯れた場所で、オニタビラコが少し花をつけていた。満開だったオニタビラコの位置なのかどうかは暗くてわからなかった。

道の記


横断歩道を渡っていて、向こうからやってきた蝉に衝突した。蝉はすぐ後ろのポールに止まった。アブラゼミだった。引き返して、人にぶつからないようにと苦情を言った。しかしアブラゼミのほうも、私が近づいても逃げもしなかったところをみると、ぶつかってショックだったのかもしれない。


伐られた桜の木の切り株のとなりに、地鎮の札が立っていた。タチスズメノヒエが穂を開き始めていた。


売り地の桐の木はまた伐られていた。こんどは地面にゴムシートが敷かれていた。何か工事が始まるのだろう。ゴムシートは桐の木の切り株に接するように敷かれていて、切り株とシートのあいだから桐の芽らしき葉が見えていた。


2020年8月12日

道の記


スイバが出ていた土手はスイバがわからなくなっていた。ヒメジョオンが咲き、ユウゲショウのように見える草が花を閉じて立っていた。

道の記


スーパーマーケット跡地はアキノエノコログサがたくさん生えていた。ヒロハホウキギクも高くなって、いくらかの株は花を咲かせていた。アキノノゲシは数は少ないが大きくなりつつあった。


クサギのトンネルに花がいっぱい咲いていた。クサギはだいぶ伸びて、一帯は以前のようなトンネルに戻った。マスクを外すと花の香りがした。足元に落ちているクサギの花をひとつ拾って、香りを嗅いだ。季節はめぐるのだと思った。


そしてこの前までヒメウズがいた場所にはヒメウズの姿はなかった。

2020年8月6日

道の記


ツメクサの角の草はクグガヤツリではなくコゴメガヤツリだった。別の場所でクグガヤツリを見たのとこんがらかったのだろう。アレチノギクだと思っていた草はずいぶん丈が高くなった。


公園の小さなグラウンドのまんなかで空を仰いだ。少し霞んだ、春のような空。巻雲が出ている。振り向くと、まだ夕日と言うに少し早い太陽が赤かった。


メリケンカルカヤのプランターは何かニラの仲間のような花が咲いていた。


さっき公園の芝生で仰向けに寝ていた方が自転車で遠く去っていく。桜の木々に蝉の声が鈴なり。ハナカタバミが花を閉じている。公園はぱらぱらと人が居て、少し涼しい時間をめいめい過ごしておられるようだった。


もう夏も終わるのだろうか。入道雲にまではならなかった積雲がうっすらと染まっていた。

2020年7月31日

道の記


種類がわからなかった角の植物はどうもイヌビユのようだ。穂を伸ばし始めていた。スミレは咲いたあとがあった。

道の記


イヌノフグリがいた道端には小さなヤナギバルイラソウが出ていた。そのまわりにクグガヤツリらしき草が、やはり小さく茂っていた。

2020年7月29日

道の記


ノボロギクやツメクサの出ていた角は、いまはクグガヤツリやコスズメガヤが穂を付けている。アレチノギクだと思う草は、だいぶ伸びてきたけれどまだ花はない。


その角を過ぎて少し角度のちがう道に差し掛かると、さあっと風が吹いてきた。風が通っていく。わずかな角度のちがいだけれど、それだけで風の通り道になるのだなと思った。


桜の切り株のひこばえは、他の草たちに隠れて無事に育っていた。切り株のうろからは、クスノキらしき幼木が育ちつつあった。


小さな坂の上の桜は伐られていた。工事フェンスの内側に切り株が見えた。イネ科らしき何かの草の葉が切り株をしずかに囲んでいた。


売り地の桐の木はひこばえを茂らせていた。この様子だと、今度はいくつもの幹を伸ばしていくだろう。葉ざわりが優しかった。


道の記


丁字路は草が抜かれたようで、おそらくエノコログサだと思う小さな葉と、まだよくわからない小さな葉とが出ていた。


キツネノマゴも抜かれたようだった。人目にもつかない位置の草をわざわざ抜く意味は、抜く人の人生のなかでいったいどういうものなのだろう。


ヤナギバルイラソウの花が一輪、排水溝の網にさかさに引っ掛かっていた。


芋虫が路側の暗渠の穴のそばをうろうろしていた。手に乗せて、何か食べ物になりそうな草がある場所を探した。見つからなかった。もとの場所近くに戻した。


塀の下ではエノキグサが、大きく育ちつつあった。


2020年7月28日

道の記


クマゼミを路上で見つけた。手につかまらせて見ると、翅が片方縮まっている。羽化のときに落ちたのだろうか。私の手をがっしり掴む。近くの神社へ連れて行って、桜の木に這わせた。クマゼミは桜の幹を、ゆっくりと登っていった。



2020年7月27日

道の記


この前は彼岸花をたくさん見た土手。日差しが強い。少し背丈が低く感じるヒメジョオンたちがたくさん花を咲かせていた。山が青かった。


川が海へそそいでいく。向こう岸は深い林のよう。鷺が水に立ち、飛んでいく。街の近くの穏やかな時間。


夕日はさまざまの彩りを海にも空にも添えながら、水平線上のほんのわずかな雲の厚みに消えた。消える前に少し緑だったようでもあった。


彗星はだいぶ暗くなってからわかった。眼鏡を新しくしてよかったと思った。ひさしぶりにたくさんの星を見た。さそり座もこれから昇っていくところだった。なんだかきょうで夏休みが終わった気もしているが、これからが夏なのだ。


道の記


街中の公園でおとなさんとこどもさんと集まってけん玉を楽しんでいた。公園の端でアレチノギクが大きく育っていた。


スズメノコビエだと思う草が生えていた一帯は芝生に変わった。残された木のふもとに以前からの草が出てくるかもしれない。


街路樹ケヤキのふもとのエノキは元気だった。高い草に囲まれていた。


公園の撤去工事の最中だった。以前はオフィス街の森のような場所だった。端に大きないちょうの木が残されていた。公園の札が隣り合っていた。


くすのきのポケットパークは以前はくすのきのこどもたちがたくさん出ていたが、すっかり花壇になっていた。保育園の札が小さく立っていた。パンジーやナデシコや、紫蘇やなすのような葉も見えた。


2020年7月26日

道の記


大くすのきの林はマンションに変わった。建物は完成しているように見えるがまだ工事が続いているようで、敷地の端で作業をしておられた。奥に残ったお家の、たぶん桜だと思う大きな木が、一瞬小さく見えた。


道の記


ヒメジョオンが出ていた交差点はオヒシバが穂を立てていた。


柿の木や椎の木がいた場所は、ヤブガラシがあたりを覆っていた。花が咲いていた。


伐採木置き場はイチョウの枝が他の草たちに隠されながら伸びていた。ヌルデらしき枝も伸び出していた。


昨年アキノノゲシが出ていた駐車場の端では、アキノノゲシの葉が刈り取られて横たえられていた。アキノノゲシはこれから復活するだろう。


以前ヒサカキが隅にいた駐車場が舗装されているのが道の対岸から見えた。


2020年7月21日

道の記


ビルの谷間のヨウシュヤマゴボウはとても元気そうだった。


ヒカゲチョウの仲間らしき蝶が林から車道へ出てきた。たくさんの車にあおられるようにして、すぐに林へ戻っていった。


立ち止まって昨季ここで見たキツネノマゴを探しているうちに私を追い越していった、その方がはるか遠くに見える。自分の人生はこういうものだと思った。


スーパーマーケット跡地は夏の草たちが背伸びを続けていた。


フウセンカズラだったと思う道端の草が、ガードレールにひもで結わえてあった。


2020年7月19日

道の記


いつもとは一筋ちがう道を歩く。道沿いのお家の塀からタツナミソウが出ていた。タツナミソウはこの近くにあったお家のまわりに出ていたのだった。そのお家が無くなってから見なかった。ここで生き継いでいたのかと思うと感慨が胸を走った。


フェンスの中の大きく育ったノゲシは立ち枯れていた。元気だったときのまま、高くそびえていた。


ナズナが生えていた線路際ではアキノエノコログサが穂を掲げていた。


2020年7月18日

道の記


だいぶひさしぶりに通る小道。草が茂るお家。その向かいのお家もまあまあ草が茂っている。見ると、ナガミヒナゲシの茎が枯れてそれぞればらばらに斜めに立っている。その脇で、ヒメヒオウギズイセンがきままな風情の花を咲かせていた。


歩道から車道に出るところで立ち往生している蝉の幼虫に出会った。さすがにこれは切り抜けられないかと思い、指先に這わせた。近くの緑道に入り、蝉を腕に這わせたまま、よさそうな木を探した。ケヤキは幹がつるつるして登りにくそうだったので、モミジバスズカケノキだと思う木に這わせた。幼虫は登っていったが、すぐに下に垂れる枝に取り付いてまた立ち往生していた。ケヤキの木に移してみたがやはり足が滑って困っている。今度は古いケヤキの木に這わせた。苔むしていて今度は登れた。腕を見たら幼虫の足跡がいっぱいだった。ここから先は幼虫に任せることにした。


何か白いものが強い風にあおられて勢いよく飛んでいった。あまりに勢いがあって、鳥が決意して飛び立ったように見えた。


きょうは大くすのきの公園には立ち寄らない。道からはくすのきや桜やホルトノキだと思う木々の樹冠だけが見えていた。また、と声を掛けて帰り道を急いだ。


2020年7月17日

道の記


路地のような細い道を横断し始めた蝉の幼虫に出会った。行く手にはマンションしかない。後ろに別のマンションの植え込みがある。ケヤキのような若い木が立っている。そのあたりからやってきたのだろう。細い道だけれどさっきは車が通った。心配になって見ていた。何人かの方が通って行った。蝉は無事に道を渡り終えた。そこから先はマンションの壁だが、もう手出しはしない。先を行くことにした。


飴屋さんは閉まっていた。営業なさっているのかどうかもちょっとわからなかった。


こんどは、仰向けになっているクマゼミと出会った。近くのくすのきへ連れて行った。幹を弱々しく掴んで、ゆっくりと登っていった。


公園の人の少なさ。


林の中でまた蝉に出会うかもと思っていたが、出会わなかった。


ツクシオオガヤツリはすでに穂が茶色になっていた。


旧学校のエノキは、建物の工事がそのエノキが寄り掛かっている所だけ未着工な様子だった。また来るからと言った。


道の記


公園だった場所のフェンス脇で、伸び上がったトキワハゼを見た。


何か別の葉が出てきていた街路樹の切り株は、きのこが生えていた。


歩いていて疲れた。浅い林の中のベンチでしばらく休んだ。ぽつぽつと雨が降っていたが、少しだけ勢いが増した。きょうは雨に当たりたいと思っていたのだった。鳴いているのはニイニイゼミのようだった。


浅い林だからか、ネジバナが咲いていた。歩いていくと、どうも踏まれたらしいネジバナも見た。だいぶ斜めになって咲き続けている。


この木に近づかないで、という札が掛けられていた。大きな桜の木。すみませんが伐採します、という意味のことが書かれていた。


2020年7月14日

道の記


ねこ!と言う声が響いた。学校帰りのこどもさん2人が、行く手の道を渡ろうとしている猫を見ていた。猫はその渡ろうとしている姿勢のまま固まってしまっていた。


裏道を蛇行しながら歩いていくこどもさん。かたわらにヒメツルソバが少しだけ咲いていた。


マンションの工事現場のフェンスの隅から、なにかの園芸品種だと思う草の葉がのぞいていた。


メリケンカルカヤの茂みの中でオランダミミナグサが生えていた場所は、イネ科ふうの草の葉が茂っていた。


2020年7月11日

道の記


スーパーマーケット跡地にはいろいろな丈の高い草が並び始めた。ヒロハホウキギクらしき草がたくさん伸びていた。


花壇の横のイヌビワは復活してきた。


道端のヒメウズはだいぶ弱ってきたようだった。そう思いながら見ていると、エノコログサの陰で、緑のヒメウズを見つけた。夏の草の陰でいまも春が息づいていた。


道の記


空き地が点々とある。アレチハナガサらしき丈の高い草が、葉を歩道へ差し伸べていた。ちょっと触れて行った。


お濠を御家族連れらしき方々がのぞきこんでいる。鯉を見ているのか、何か鳥がいるのか。その少し先で総苞外片があまり反っていないタンポポを見つけた。そのタンポポを私がのぞきこんでいるあいだに、御家族連れは私の後ろを通り過ぎて行った。


敷地隅の物置がなくなっていた。物置の裏のイヌビワもどこにも見つからなかった。


道の記


中心街の小道。ビルが建ち並ぶ中、道に面した大きくないお家の正面にいろいろな植物が育っている。以前通ったときに見かけて覚えていた。その道なのかどうかもわからなかったがその道だった。種類を知らないいろいろな花。ランタナだけわかった。


工事事務所の横の、やはり種類がわからない幼木は、伐られたようで、排水溝から少しだけ枝葉を出していた。排水溝から出ていたのは知らなかった。少し鋸葉のあるてかてかした複葉。また大きくなるだろう。


ビルの横の歩道の脇に小さな花が並んでいた。トキワハゼだった。その先では、駐車スペースの杭の下でオッタチカタバミらしきカタバミが、花を閉じて立ち並んでいた。


2020年7月10日

道の記


丁字路はねこじゃらしが2本、穂を立てていた。もう1か所草が出ているがそちらは種類がまだわからない。


すみれのプランターのすみれは成長していなかった。


大きなみみずを、もう動いていなかったけれど、林のなかに逃がした。


このマンションの前の歩道の縁石に、すみれが以前たくさん出ていた。その後草取りに遭ったりしていたが、たぶん出ているだろうと思って通った。たくさんの株が縁石の車道側に立ち並んでいた。これだけ多ければツマグロヒョウモンの幼虫もいそうだと思ったが、わずかに食害があったほかにはそのような痕跡はわからなかった。


アリを連れてきてしまったので、そのアリをビニール袋に入れてとって返した。公園のベンチのところでアリを放した。もう暗くてあたりはよくわからなかった。


道の記


桜の木の場所は広く囲われた。桜は囲いの端で元気にしていた。


売り地の桐の木は伐られていた。草も刈り取られ、敷地のなかほどに積まれていた。桐の木らしき葉もそこにあった。売り地の立て札は無くなっていた。一時駐車の車がいたので近づけなかった。


2020年7月4日

道の記


川は水が多かった。ここのもう少し下でむかし堤防が決壊したということだった。河原は葦で覆われていた。いくらか倒れてもいた。


ヤマモモの実がたくさん落ちていた。見上げると、赤緑いろとりどりの実がなっている。黒っぽく熟した実をひとついただいた。すっぱかった。


春の小径は何かのイネ科の草がたくさん茂っているほか、ウラジロチチコグサやホソムギ、そしてイヌガラシが出ていた。春の草という感じの草はちょっと見えない。そう思いながら歩いていて、草の陰にムラサキサギゴケの花を少し見つけた。


ここの梅の木や桃の木の花を今年は見なかった。そう思って、通り過ぎて振り返った。いますれちがった親子連れがこちらのほうを見ている。私の向こうの、高架を行く列車を見ていたのだった。


小さな山の上で平野を眺めた。むかし堤防が切れて大きな被害が出たその一帯の景色。数日前にも大雨が降って、見えている景色のどこかでも冠水したと聞いていた。桜の向こうの川は河原が荒れているようにも見えたが、そのまわりは水を湛えた水田が広がっている。水があふれたのか水を張ったのかわからなかった。おだやかな景色だった。


降りてからあらためて、登り口の大きな木に気づいた。けやきだろうと思うが、葉が高く、よくはわからない。返り見て見上げた。そこでずっと待っているようだった。


道の記


以前はこのあたりにガザニアが…と思っていたが、たんぽぽのロゼットがたくさん。はっと気づいて道路の向こう側を見たら、向こう側の植え込みにガザニアがたくさん咲いているのが見えた。


もう何年も前に通った道に入る。空き地にはクズとセイタカアワダチソウと何かのギシギシが見える。手前のクズが茂るその下にわずかにヨモギが葉をのぞかせていた。


おとうさんの合図で、こどもさんたちが列車と競走していた。速い、と言ってこどもたちが負けていた。その傍らで、ヒナギキョウがやさしく咲いていた。


そのもうひとつ傍らで、ヌカススキかハナヌカススキかもうわからないヌカススキの仲間の草が、すっかり白くなってやはりやさしく立っていた。


2020年7月3日

道の記


満開の花を見せてくれたオニタビラコは根生葉も枯れた。全体、赤茶色になって、満開だったときと同じようにたくさんの茎を立てて道端に居る。


街路樹のモミジバフウがこの通りのどこでも、たくさんのひこばえを茂らせている。そういう草のようでもあった。


ムラサキカタバミの角はムラサキカタバミが姿を消した。何の葉かわからない葉が変わらず茂り、その横にすみれの葉が出ていた。


道の記


公園のイヌノフグリは姿がなくなっていた。


2020年6月25日

道の記


クサギのトンネルは、クサギの枝に絡んだクズが伸びてきて、それでトンネルになってきた。クサギも成長中だが、しばらくはクサギとクズのトンネルと呼ぶのがよいのだろう。


道のこちら側はところどころでチシャノキの幼木が出ていた。向こう側ではイヌビワが多く出ているのでイヌビワ通りと呼んでいたのだった。こちら側をチシャノキ通りと呼ぶかどうか考えようと思う。


道路拡幅が着工される様子。街路樹のクロガネモチが1本残っているが、その位置も車道になりそうだ。クロガネモチのそばに寄ってみた。若い芽が出ていた。近くにはアカメガシワの幼木もいた。ねこじゃらしも生えていた。


道端のヒメウズは茎の上半分ほどが枯れているようだった。緑の葉も見えた。夕方になって人通りが増え、立ち止まれない。視線を送った。


2020年6月22日

道の記


路地のマンホールを少し色の褪せたツメクサが縁取っていた。そばではランタナの仲間のような黄色の花が鉢で咲いていた。


2020年6月20日

道の記


ムラサキカタバミと何かほかの草が出ていた角は、どうも草ではなさそうな葉が出ていた。まだ小さい。


2020年6月18日

道の記


オオキンケイギクを見た場所がもう1か所あったのだった。きょうはオオキンケイギクのほうではなくユッカの花が見えていたほうへ橋を渡った。ユッカの花は散り終えていた。花びらが葉の間に積もっていた。こちらでもオオキンケイギクがいくらか咲いていた。学校帰りのこどもたちが楽しそうに通り過ぎた。


その先は梅の木ややまももの木が並んでいた。梅の実もやまももの実も落ちていた。


保育園の隣の公園。サツキも花を終えようとしているようだった。


花1つだけ咲かせていた角の小さなアメリカフウロは、枯れ色をした茎だけになっていた。そっと声を掛けた。


道の記


売り地の桐の木は背丈をはるかに超える高さになっていた。近くに寄ると葉もとても大きい。あまりの成長ぶりに、私のことを覚えているだろうかという気持ちになった。


丁字路は小さな草が3株出ていた。


すみれのプランターに再度出てきたすみれは、前に見たときから成長していないように見えた。乾燥をやり過ごそうとしているのだろうか。


電柱ランタナのランタナが出てこなくなってしばらく経つ。その場所から少し離れた所の道沿いに、かなり大きく育ったランタナがいた。このランタナが親だったのだろうか。こちらのランタナはのびのびとしていて、花をたくさん咲かせていた。


2020年6月11日

道の記


ノゲシの道と呼ぶことにしようと思っている大通り。その道沿いのある場所でノゲシが1本抜かれていた。コマツヨイグサとノゲシが一緒に生えている場所で、コマツヨイグサと他のノゲシが残っている。抜かれたのは誰かの気まぐれのようなことだったのだろう。抜かれたノゲシはすでに色を変えていた。


道沿いに出ていた小さなくすのきは、切り株の脇に新しい芽が出ていた。切られて長く動きがなく、もう枯れたと思っていた。その芽の横で、どうもケヤキらしい芽と、もみじの仲間のように見える芽が出ていた。とても狭い一角だけれど、にぎやかになりそうだ。


畑の横を夜に通ったとき、作物はなさそうだったけれどたくさんの草が生えているように見えた。もう枯れているようだったけれど、ちらりとホトケノザのような形が見えた。その場所をこの前明るいうちに通ったら、ナズナがたくさん生えて枯れていた。そのなかにところどころ、ホトケノザが同じく枯れていた。その先にイヌビユの仲間の草が生えていた。タチイヌノフグリも緑のまま立っていた。1株だけ、ホトケノザが花を咲かせていた。畑の端から夕日を見た。春の終わりが過ぎていた。


道の記(喫茶店の前の松の木)


ある喫茶店の前の歩道の、その縁石の脇に松の木の幼木がいた。

まだその木がだいぶ小さな頃から気に掛けて見ていたが、縁石より大きくなった頃から、松の木はひもで支持されるようになった。たぶんその喫茶店の方か、近くの方がなさっていたのだろうと思う。

少し前、その喫茶店が無くなった。道路拡張で立ち退きとなったらしい。松の木はお店が閉じられた後もひもで結わえられたままそこにいた。

その喫茶店の建物が取り壊されて、更地になった。松の木がいた場所のあたりは、その取り壊しに伴ってか、縁石が撤去されて舗装し直されていた。松の木はいなくなった。

道にはたくさんの車が行き交うけれど、その場所はがらんとしてしまった。喫茶店もさまざまな方に親しまれていたお店だった。松の木も、歩道の脇で、どなたかの心に宿りながらたしかに、ひとときを生きた。


道の記


閉じたお店の前のコミカンソウは抜かれてその場に放置されていた。抜かれて少し時間が経ったように見えた。


たしかこの木のふもとにナズナがいた、その街路樹の植え枡は、草がなくなっていた。


ヒメウズがいる道端ではヒメウズが咲いていた。小さな春が残っているようだった。


花壇の脇のイヌビワは切られていた。切られた枝葉が放置してあった。切り口はまだ新しかった。


スーパーマーケット跡地ではこんどはイヌホオズキらしき草が育ちつつあった。


クサギのトンネルのツワブキは小さな葉が出てきた。ツワブキたちはきっと何事もなく復活するだろう。


2020年6月7日

道の記


公園の桜の枝が折れかけて垂れ下がっている。こどもたちが触って揺らしていた。何かお化けのようなものになぞらえているらしく、こわがって歓声を上げていた。


ウメエダシャクが飛んでいた。梅の木が見当たらない。あちらだろうか、と、診療所の裏手のお家の庭をちらりと見る。少し歩いた先のお家にウメエダシャクが集まっていた。大きな梅の木が立っていた。


見たことがないような草が地下道の出口に生えていた。葉の縁が少し変色しているのか、もともとの形がわかりづらい。この近くの場所で以前ヨツバハコベを見たのを思い出し、たぶんヨツバハコベだろうと見当をつける。つぼみらしきものも見えたが、狭い道で自転車も来るので長くは見ていられなかった。気持ちにけりをつけて立ち去った。


菜の花とムラサキカタバミの角のあたりはあらためて見るともっといろいろな草が生えていた。種類を覚えられそうにないほど。煉瓦塀が古くからのもののようで、その塀と一緒にいろいろな草が入れ替わり立ち替わり、長いこと暮らしてきたのだろう。


ついこの前小さなスイバを見た土手の道が舗装されていた。舗装面は以前の路面より少し高く、その際の草が生えていた部分が舗装に埋まったようだった。スイバは残っていたが、道からは少し下になって、遠くなってしまった。そばのお家から広がっていた芝が削り取られて道の脇に積まれていた。


道の記


閉じたお店の前に出てきているコミカンソウは一段高くなったようだった。


雨がぽつぽつからぼたぼたになってきた。道沿いの小さな林地みたいなお庭から、あまがえるの声が響いた。すぐそこの木のほうから聞こえる。姿は見つけられない。道を挟んだ建物の向こう側のほうから、別のあまがえるの声が重なってきた。


桜の下でムラサキカタバミが雨にあざやかに咲いていた。


満開だったオニタビラコがだいぶ疲れたようで、花の茎が枯れ色になっていた。緑の時を過ぎた小さな森のようだった。


2020年6月3日

道の記


オオキンケイギクが生えている所は私の行動範囲の中では1か所しか知らない。以前はもう1か所、1株だけ、歩道の脇に出ていた。しばらく前に駆除されたようで姿が無くなった。どうなっているかその場所に立ち寄ってみた。ノゲシとコメツブツメクサがその位置を占めていた。


メリケンカルカヤが取り払われた後、その茂みの中にいたオランダミミナグサが倒れ込んでいたのだった。そのオランダミミナグサが、背丈をずいぶん低くして残っていた。生きているのかどうかは確かめなかった。


小さな神社の角の石の向こうからオニタビラコの花茎が伸び出ていた。なぜか気に留まって、顔を寄せて見た。蜘蛛の糸が絡んでいた。


公園の階段を下りるところだったか、たくさん咲いているサツキの下に、ドクダミの花が一輪いた。


路地の中ほどでしゃがんで何かをご覧になっている様子の方を見かけた。私がそちらのほうへ歩いているとお立ち去りになった。猫だったのかなと思っていたがわからなかった。のぞいておられたあたりに、マリーゴールドの花が並んでいた。


2020年6月1日

道の記


自動販売機裏の柿の木が小さな実を付けていた。


三叉路のベニバナトチノキに花の穂の跡が残っていた。実があるかまでは見えなかった。そのベニバナトチノキが見えるか見えないかくらいの位置の道端で、小さなハハコグサが黄色い花を街灯に差し出していた。


大きな芭蕉の葉が、少し離れた所から見えていた。近くまで来るととても大きい。大きいなあと思いながら立ち止まってしばし見ていた。後ろをどなたかがすーっと通り過ぎていった。


何か白い花が垣根一面に咲いている。香りが立っている。名札でもないだろうかとぐるりと回ったら、札があった。駐車場の契約社名だった。


道の記


イヌビワの植木鉢のお店の跡地で、オオアレチノギクとヒメムカシヨモギがどちらも出ていたので、見比べた。むかし取り違えて覚えてしまったようで、いまもときどき要所要所を見ていないとどちらがどちらか忘れてしまう。そうしたこちらの都合と関係なく、オオアレチノギクとヒメムカシヨモギは隣り合って、どちらがどちらとつかないくらいに似て、立ち並んでいた。


道の記


2つ信号のオニタビラコのそばに、ねこじゃらしの穂が見えた。


スーパーマーケット跡地では、街路樹の植え枡に生えていた草が抜かれて置かれていた。カモジグサやセイタカハハコグサや、オオアレチノギクだろうと思うまだ茎葉だけの草。跡地に生えているセイタカハハコグサやヒエガエリはそのままのよう。跡地の端で、ペラペラヨメナが地を這うようにして咲いていた。


クサギのトンネルの場所ではツワブキの葉がちぎられていた。ツワブキは植えられているのだとばかり思っていた。何かを収穫したその取り残しのように、街路樹のふもとに積まれていた。


2020年5月31日

道の記


先日自動車を避けて取り付いた角の草はムラサキカタバミしかわからなかった。


この前ここで南天の花を見た。きょうはモチノキの仲間らしき花が咲いていた。


2020年5月30日

道の記


裏通り。古くからのお家の前にタツナミソウが生えていた。お家の周囲にいろいろな草が生えている。残してあるような気がなんとなくした。いちばん端にハゼランが大きく育っていた。花はまだのようだった。


ひさしぶりに川の道を通る。カワヂシャがいる道。見回して、かろうじて数株出ているのを見つけた。もう花はなく、小さなからだに実をたくさんつけていた。


しだれざくらも陽光桜もちょっと調子がよくないようだった。どちらもひこばえを多く出していた。ひこばえを育ててくれたらと思う。


広い施設の跡地。側溝でエノキがふたたび育っていた。工事は夏から始まる予定だと書いてある。敷地の中ではたくさんのチガヤの穂が夕暮れの風に揺れていた。


道の記


猫に餌をやらないでと書いてあったその少し先で猫たちがものうげに待機していた。


どこかの道端で、たぶん1株だと思うけれど、すみれがたくさん葉を茂らせていて、こんなに茂るものなのかと驚いた。あまりに驚いたためか、場所をまったく覚えていない。


以前は小さな町工場のような建物があったが、しゃれたレストランみたいな建物に変わっていた。犬走りが造ってあって、アオイゴケのような草が一面に生えていた。グラウンドカバーの草なのかもしれない。その中からオッタチカタバミがちらっと見えた。


公園の道にたんぽぽの花が落ちていた。おそらくあのたんぽぽだろうと思って花をそこへ持っていった。花がちぎられた跡が残っていた。


2020年5月29日

道の記


スーパーマーケット跡地はヒエガエリがたくさん出てきた。よく見ると、アキノノゲシも葉を広げている。いまの時点ではヒロハホウキギクか他の草かわからないけれどそのような草も伸びつつあった。


いつもとは一筋違う道に入る。診療所の前に差し掛かる。閉鎖されているようだ。入口の植え込みに、オッタチカタバミやキキョウソウが立ち並んでいた。何かを検知しようとするアンテナのように見えた。


以前、街灯の下で見たノゲシはやはりどこだったかわからない。その道に沿ってところどころにいるノゲシを見て行く。ある所ではノゲシはコマツヨイグサの花に囲まれて街灯に照らされていた。ある所では照らされずに建物の陰で、あちこちへ伸びたそうにしていた。


数年前にナガミヒナゲシがたくさん並んでいた狭い土の場所は、1株だけ大きく育ったナガミヒナゲシが見えた。ほかは暗くてわからなかった。


おぼえがき


道の記はそのときにメモするのではなくあとで思い出しながら書いているが、だんだん、見た草をあとから思い出すことが難しくなってきた。ひとつの場所で3種類を超えるともう思い出すのが難しい。ひとつの草を思い出してその草のことを書いていくだけなら引き続きやっていけそうな気がする。


2020年5月28日

道の記


この前は気づかなかったが、ねこじゃらしの穂が並んでいた。


広い駐車場に車がいない。契約車がまだないのだろうか。おとうさんとこどもさんが、各種のボードに乗って遊んでいた。その端でナギナタガヤがゆったり揺れていた。


長く感じる道だけれど、脇の草を見ながらだと長さを少し忘れる。チガヤが揺れる。ブタナがけっこう出ている。そうこうしていると、行く手に枇杷の実が落ちていた。


この歩道でいつかのとき、倒れたヒメジョオンを見たのだった。そのあたりの位置で、ヒメジョオンが高く伸びて、咲いていた。


道の記


壁のムラサキカタバミはこのまえ見たときよりさらに明るく日差しを受けていた。


車を避けて急いで取り付いた角に何か大きめの草がいた。種類はぱっと見ただけでわからなかった。その脇でムラサキカタバミが、このまえ別の場所で見た菜の花の脇のムラサキカタバミと同じように、花を1輪咲かせていた。


2020年5月27日

道の記


公園の縁の金網の向こう側に花が植えてある、そこをゆっくりと、お歳の方が歩いておられた。金網から出ている花を触っておいでのようにも見えた。


菜の花だろう。歩道のない道の路側帯の横から、実のさやを道に向かってたくさんかざしている。その小脇でムラサキカタバミが1つだけ花を咲かせていた。


土手の道に自転車の若い人が停まって、なにか携帯的なものを操作していた。その人の隣を通り過ぎ、その少し先で、あまり見た覚えがないとても小さな花を見つけた。しゃがんでよく見てみるとスイバのよう。こんなに小さくてもスイバは咲くのか、と感心して見ていると、自転車の人が隣を通り過ぎていった。


植え込みの陰で横倒しになっていたチャンチンがなくなっていた。撤去されたのだろう。プランター類が少しかしげたままになっていた。


2020年5月26日

道の記


ここも以前はいちょうが立ち並んでいたが、いまは路面になった。道の脇からシナダレスズメガヤが手を差し伸べるように穂を垂らしていた。


行きかけたお店への道をあきらめて別の道から戻る。公園で若い人たちがボール遊びをしている。公園の向かい側の駐車場の際で、ノゲシが夕日に照らされていた。


川の向こう側にユッカが咲いているのが見える。以前見た施設のユッカの花を思い出した。


さつきの花だけが見えた公園。草を見ればスズメノカタビラも穂を付けていて、よく見て歩くとコナスビも花を咲かせていた。


ノミノツヅリを見た建物の裏。ノミノツヅリはきのう見たときより色が褪せているように見えた。いろいろな草が生えていた場所は丈の高い草が切られて放置されていた。ハゼランやイヌムギが横になっていた。


線路脇は薬が撒かれたようだった。ナズナはナズナとわかるだけのかたちを残して枯れていた。


道の記


大くすのきの林だった場所はマンションの工事がかなり進んでいた。道の対岸を歩いた。以前見たと思ったくすのきの幼木はあのあと見つからない。幼木を見たと思った位置に、すみれの葉が茂っていた。


たしかここに何かの木の切り株があったと思っていた建物の隅が、舗装されていた。草の双葉らしきものが舗装面の所々から生えていた。


少し遠回りになるが公園の横を通る道を選んだ。チチコグサやヒメコバンソウがたくさん出ている。長い公園の端に近づくと、地面がなにか霞のようにぼおっと明るい。近づいて見てみた。ヌカススキの仲間の草が群生していた。


ハルジオンとヒメジョオンが同時に花を咲かせていたと覚えていた場所。ヒメジョオンだけが咲いていた。


ここの街路樹いちょうも切られたのだった。残っている切り株をしゃがんで見た。芽がないようだったが、よく見ると、切られたひこばえの脇に小さな緑色が見えた。そっと触れて立ち去った。


2020年5月22日

道の記


モウコタンポポが出ていた場所は他の園芸の草花が植えられていた。端のほうにたんぽぽのロゼットがいくらか見えた。

***

満開だったオニタビラコはいまも少し花をつけているようだった。開いてはいなかった。


道の記


昨年見た場所でキツネノマゴが出ていた。種子をこの場所に残していたのだ。


すみれのプランターだったガザニアのプランターにすみれが復活していた。小さな葉を土から立ち上げていた。葉は少し赤みを帯びているように見えた。これから緑になっていくのだろうか。


公園の木蓮はひこばえがだいぶ大きくなっていた。


風が渡る。柳と楓とくすのきの下に立って、葉のざわめきを聴く。柳がさらさらとした音、くすのきがもう少し芯のあるはらはらという音、楓はざらざらというリップル音が聞こえた。地上に目を戻すと、近くのベンチに掛けている方々が私のほうを見ていたらしく、ちょっと目を外された。


保育園の近くの公園。誰もいない。1株のサツキだけがみごとに咲いていた。


道の記


電柱のふもとのランタナはもう芽を出すことはないようだった。切り株は少し小さくなったようだった。


丁字路の角はヒエガエリが出ていた。斜めに穂を掲げている。そのそばにはヒメジョオンのように見える葉。茎を伸ばし始めたところのようだった。


道の記


桜の切り株はひこばえを数本伸ばして葉を茂らせていた。


立ち寄った公園の地面が白かった。近づいて見てみると、キヌゲチチコグサの綿毛。それがマンテマの茎や葉に絡み付いて、マンテマまで綿毛をまとった格好になっている。マンテマもたいへんそうだった。すぐとなりで、小さな丈でオオニワゼキショウが咲いていた。私のあとを歩いていた小さなこどもさんの御家族が公園に懐かしそうに入ってきた。


空き地の桜はふもとにナガミヒナゲシを従えて茂っていた。掲示には今年の夏に着工すると書いてあった。


売り地の桐の木は大きな葉を傘のように茂らせていた。売り地の看板の隣で、こちらもこの場所の看板のようだった。




道の記


角に見慣れない小さな花が見えて立ち止まった。しゃがんで見ると、アメリカフウロの花だった。全体が赤黒く枯れたようになっていて、葉はかたちがない。ただ花だけが咲いていた。この花にすべてを懸けて咲いているのだと思った。


工事フェンスの向こうのノゲシは私の背丈をはるかに超えていた。下のほうはもう葉が枯れ落ちて、高い所に花を付けていた。


建物裏手の道。いろいろな草がまとまって生えている。端の道沿いにノミノツヅリが小さく茂っていた。立ち止まってしゃがんで指先で少し触れる。そしてまた歩き出す。ふと、もし草を見ていなかったらいまごろ私はどうしていただろう、と思った。


草を見ていたからここまで生きて来れた気がする。


植え込みのイヌノフグリは思いのほか大きく育ったようで、長い茎に実をいっぱいつけて枯れていた。今季はここでは数が少なかったけれど、きっと来季はたくさん芽が出てくることだろう。おつかれさま、と声を掛けた。


2020年5月20日

道の記


道沿いのオオキンケイギクが雨に傾げていた。


きょうもいちょうのひこばえを見た。ひこばえを育てているその気持ちを思った。少し歩くとこんどは、切り株の上にパイロンコーンが乗せてあった。ひこばえがその脇に見えていた。


以前はヒメオドリコソウをこの壁で見かけた。でも雨が激しくなり靴に水が溜まって石も入って歩きづらく、草がなんだか目に入ってこなくなってきた。ムラサキカタバミが少ししおれた様子で、ヒメオドリコソウが出ていたのと同じような排水口から姿を見せていた。


イヌノフグリが出ている場所。今年はイヌノフグリはちらほらだった。ナガミヒナゲシがイヌノフグリと同じようにしてブロック塀の中途から伸び出ていた。この雨はどちらの草にとっても、きっといい雨だろう。


道の記


タンポポが雨に濡れて花を閉じてそれでも上を向いていた。


右の小さな道に入ってもよさそうだったが、信号がついたのでこのまま正面方向へ行くことにした。右の道から出てきた方はつっかけだった。そのつっかけが、何に引っ掛かったのか路面に取り残されて、その方があわてて立ち戻った。


令和になった日に富士山の初日を黒板に描いていたお店。黒板はお店の新型コロナ対策が描いてあった。


大雨の中をほうほうのていで歩く。だいぶ前に通った商店街の道。花屋さんの花が目に入るが、名前があたまに入ってこない。さいごに目に入ったサルビアだけ覚えられた気がする。


誰もいない公園。無人のベンチ。ベニバナトチノキが咲いていた。


いつかの夏に、葉を枯れ色にして立っていた公園の大きないちょう。雨の中であおあおと葉を茂らせていた。


(1話削除しました 2020年5月21日)

2020年5月18日

道の記


ホタルブクロが白くまちを彩っていた。


ビルの横の犬走りがいろいろな草の集会場になっていた。ハルジオンがやさしくたくさん咲いていた。


路地のバラも明るく咲いていた。


以前、この植え込みではたしか小さな木を囲っていた。木は見当たらず、オレンジ色の花がいちめんに植えられていた。


ヒメツルソバは道と建物とのあいだでわずかながら復活していた。


神社と緑地のあいだの細い道にさしかかる。マスクを外してみた。緑の香りがいっぱいだった。


踏まれそうな位置に出ている歩道のすみれも、もう暗くて花はわからなかったが、元気そうだった。


街路樹いちょうの切り株から出たひこばえ。植え込みの他の低木と丈を揃えて剪定されていた。これからは植え込みの木として暮らしていくのだろう。カットされてできた角がなにか新しい髪型のようだった。


道の記


公園のイヌノフグリは1株生きていた。わずかな茎で横向きの土に繋がっていた。


道の記


気が変わって別の方向へ歩くことにした。細い道を行く。以前通ったときこの道にはいろいろな草がいた。きょうも草に囲まれて行く。さいごに、枇杷の木がいくらか色づいた実をたくわえていた。


スーパーマーケット跡地の空き地では、ヒエガエリとセイタカハハコグサが多く出ていた。ナズナが枯れていた。春が遠ざかっていく。


クサギのトンネルの場所は、木の種類がよくわからないけれど白い花でいっぱいだった。クサギは若葉がしおれていたが、それ以前の葉がすでに大きく茂っていた。


接ぎ木の桜は花を少し残していた。ありがたかった。


道の記


ノゲシが出ていた閉店中のお店の前はコミカンソウの仲間のように見える草が出ていた。次のお店が何になるのかはまだわからない。ノゲシやコミカンソウの位置がどうなるのかもわからない感じを受けた。


2020年5月16日

道の記


神社の桜はみずみずしい緑。その下で、ヒメジョオンのように見える草がゆっくりと伸び始めていた。


神社の境内に立ち入った。くすのきの花がひさしぶりの青空にちらちらしている。境内の奥は踏み入る人も少ないらしく、たくさんの草が茂る。その草むらの少し脇で、クサイチゴが実をつけていた。


メリケンカルカヤの枯れた茎は1本だけ残っていた。以前メリケンカルカヤが茂っていたときにその中にいたオランダミミナグサは、支えを失ってなかば倒れながら残り続けていた。


見た覚えがあまりない草が、街路樹のふもとに少しまとまった感じで生えていた。写真を撮りたかったが車道の側で、次々にくるまが来る。目で収めた。


まちは少しずつ動きを取り戻そうとしているようだった。


今年は花のときに通らなかった、坂道の梅。若葉をたくさん茂らせていた。そのひとつ向こうで、柿の木がさらに大きな葉をいっぱい、空のほうまで茂らせていた。


道の記


むかし、草を見始めた頃に最初に写真を撮った場所。そのときもムラサキカタバミが咲いていた。きょうもムラサキカタバミは明るく照らされて咲いていた。

***

アパートの入口に、お住まいの方かお近くの方らしき方が腰を下ろしている。お食事をなさっている様子。少し離れた所で、猫がコンクリートの上に横にねそべって手足を伸ばしていた。


角のノボロギクは姿が無くなっていた。取り払われたのだろう。すぐそばのコンクリートとアスファルトの隙間にツメクサがいた。花はなく、カップの中に種子をたくさん用意していた。


ホトケノザの向こうでヒメオドリコソウが出ていた場所は、草が茶色に枯れて倒れていた。


お家の跡地の桜はあおあおと茂っていた。桜にとってはいまがいちばん羽を伸ばせるときかもしれない、と思った。


道の記


道端のイヌノフグリは姿がなくなっていた。頭を下げて立ち去った。


2020年5月8日

道の記


キャンパス跡地はこの前来たときには残っていた木々がさらに無くなっていた。松の木は残っていたが、その隣の桑の木は伐られていた。高かったポプラの木も無くされた。カイノキのあたりも完全に更地になって、そのまわりに伐採されて細かく伐られた木々が積まれていた。


ふと、門のすぐ向こうに、キョウチクトウらしき幼木が出ているのに気づいた。ホソムギの仲間のような草が並ぶ中、1本だけ。壊されていくキャンパスの中で、新しく生き始めた木。右と左の大きなクスノキが、夕方の青空にあざやかだった。


道の記


むかし歩いていた道。新しいマンションの犬走りにすみれの葉が見えた。以前この道で出会った方が、この道ですみれをごらんになったことをお話しになっていたのを思い出した。道は拡幅されて以前の道ではなくなったが、すみれがこうして生き延びている。すみれの姿にその方の姿が浮かんだ。


立ち寄った小公園のオオシマザクラはわずかに花を残していた。おとうさんとこどもさんがブランコで遊び、若い人たちが藤の下で語らっていた。


道の記


イヌノフグリが今年も出ていた。道の向こう側は草が取られたようで、イヌノフグリが出ていたかどうかわからない。こちら側では、日差しをまともに浴びながら、それでもまあまあ元気そうに、茎を伸ばして実を下げていた。


2020年4月30日

道の記


前に街灯に照らされたノゲシを見たのはやはりどこだったか定かに思い出せない。ここではなかったかと思う場所は、工事が始まっていた。ノゲシのような大きな草はもう生えていなかった。その先を歩くと、同じような景色の場所で、それぞれの場所の街灯に、いろいろなノゲシが照らされていた。


建物の脇の小さなくすのきの切り株は、動きがなかった。


先日夜桜を見た公園の桜も葉桜になっていた。この桜も数輪、花が残っていた。手を振って別れた。


陸橋をめずらしく人が降りてくる。おとうさんらしき方とこどもさん2人。年上に見えるこどもさんはすたすたと降りてきた。降りるのを遊んでいる様子。もう1人のこどもさんが上で慎重に動かずにいた。おとうさんが少し下で見守っている。私が昇っていくと、入れ替わりに降りていった。


隅の電柱のふもとにアレチノギクが出ていた駐車場は、マンションになっていた。アレチノギクが出ていたあたりは、オタフクらしき低木の植え込みになっていた。マンションの前を通り過ぎると道は暗かった。その先も駐車場だが、そこではアレチノギクを見たことはまだない。


そしてどこかの道端で、小さくこんもりとしたオランダミミナグサがやはり街灯に照らされているのを一瞬見た。ちらちらと美しかったが、そこもどこだったかもう思い出せない。


道の記


猫がやってきたけれど餌をやらないのでほどなく去っていった。去る前に私の脚にからだを寄せていった。


公園のトランぺッターは音を出すのにだいぶ苦労している様子だった。でも苦しい苦労ではなさそうだった。


接ぎ木の桜は花が思いのほか残っていた。しあわせが続いているみたいだった。


ひょっとしたらあの桜も、あの桜も、まだ少し花があるかもしれない。そう思って、帰り道を寄り道して桜を回った。桜はそれぞれに数輪を残していた。あいさつをしながら桜のあいだを歩いた。


くるみの木に花が咲いていた。


白木蓮や蝋梅が雑木林のように茂っていた角地が切り開かれていた。白木蓮が1本、つつじが1本、種類がわからない木が1本、残されてテープが幹に巻かれていた。


道の記


訪ねたイヌノフグリの場所ではイヌノフグリを見つけることがほとんどできなかった。ただ1か所、大きな木の根元にやや大きな株が生えていた。花は見当たらず、茎の下に実の房をいくつかつけていた。ここだけで生き繋いでいるのか。次は秋のうちに来てみないといけない。


道の記


藤棚の藤の花が刈り取られた報道を聞いたのだった。ここの藤棚では、たくさんの房が下がっていた。いまが盛りのよう。手入れなさっているらしき方が、建物の向こうへと回り込んで行った。


やはり藤棚がある高台のシロバナタンポポの場所は草刈りの後だった。シロバナタンポポらしきロゼットがぽつぽつと地面に残っていた。


目の前に、何か細々した花が咲いている木の枝が伸びていた。葉を見ると楡の仲間のようで、ムクノキかと思って振り返ってみたら、道の脇に大きく朽ちた木の幹が立っていた。掛けられた札にムクノキとあった。花を見ると小さな手のひらというか星のように、5つに開いている。花をよく見たいと触っていたら数個まとめて取れてしまった。しばらく花を見て、その花を枝に返した。明るい日差しのなかだった。


おおむね毎年訪ねていると思う、ひと気のない土の道沿いにいる山桜。花はないけれど春に来れてよかった。葉が空の光を通してあざやかだった。ぽつんぽつんと、実ができつつあった。


道の記


交差点のチャンチンは赤と緑がそれぞれ薄く交じり合ういちばん不思議な色合いの時だった。私がそこに着く前に若い方が木のほうを見ておられた。


ビルの谷間のヨウシュヤマゴボウは去年の茎葉が枯れたまま残っている。その向こうで大きな葉が低くみずみずしく茂り始めていた。


道を歩いているとおたがいに避け合うこともある。


坂道を降りたところの角のシロバナタンポポは咲いていた。


1株だけ出ていたイヌノフグリは枯れてわからなくなっていた。わからないことが申し訳なかった。イヌノフグリとおぼしい茎をひとつひとつ見た。しかしイヌノフグリだけが生えていたのでも枯れたのでもなかったのだった。


道の記


キャンパス跡地は建物もほとんどがなくなり、立ち木がところどころだけ残っていた。私が通っていた道沿いでは、松の木が1本残っていた。その脇に、あまり高くない桑の木がいた。花がたくさん咲いている。実ができるだろうか。


以前通ったとき、柵の向こう側のカンナの葉に触れた覚えがあった。カンナの葉にもういちど触れた。カンナは少し狭そうにしていたけれど、葉をまっすぐ上に立てていた。


移植されるはずだったカイノキが枯れたまま残されていた。


門のところのプランターは時を越えて残り続けていくようだった。何かの菊の仲間だったと思う葉も、幼木も、生きていた。


道の記


以前、ここの擁壁から何か出ていたのだったと思いながら差し掛かり、振り返ると、何かの幼木が大きく枝をこちらへ差し出していた。いちど折られたような様子だった。


川沿いを行くと小さな神社があった。その手前で1株、コスモスが咲いている。うれしくも不思議な気持ちになった。もう日がだいぶ傾いていた。コスモスも横から陽を受けていた。


その先では道の川の側にルピナスがぽつぽつ咲いていた。植えられたというより、以前植えられていたその子孫のように見えた。


モウコタンポポは1か所ではやはり今年も出ていなかった。もう1か所では綿毛をだいぶ放ったようだった。いまも作っている。


残された桜はあおあおと茂っていた。上のほうにちらほら花が残っている。よく見ると、歩道側に伸びた枝の下に、ちょうど頭の上になるあたりに、3輪、花が咲いていた。花が照らしてくれていると感じた。幹に触れた。きょうのあたたかさを蓄えていた。


その桜の下でお話しした方のお宅はもうない。空き地にいろいろな草がぱらぱらと茂っていた。手前で、ヒメジョオンが咲いていた。


ヒトツバタゴは花を咲かせていた。街灯に薄く花が照らされていた。白とは違う、少し紫を含んだ色合いで、暗い空に細かく咲いていた。ちょっとだけマスクを外した。香りはわからなかった。

道の記


お家の跡地は家ではなさそうな建造物が造られつつあった。隅のホトケノザたちは数を減らしていた。


横断歩道が中央分離帯を横切るところに以前ヒロハホウキギクなどの秋の草を見た。そこを急いで渡っていると、アキノノゲシを見つけた。緑で、つぼみがついている。この株はきっと冬を越えたのだろう。花がいつか見られるだろうか。


シロバナタンポポが出ている小さな場所に立ち寄った。シロバナタンポポは花が終わっていた。これから綿毛を開きそうな株がいた。近くですみれが大きな花を咲かせていた。


俯いて歩いていたら、目の前に桜の花びらがひらひら降りてきた。見上げると八重桜が立ち並んでいた。いまが満開のようだった。俯いて歩かないでいようと思った。


土手のシロバナタンポポは花が少し咲いていた。他の丈の高い草たちに囲まれながら、花の茎を高く伸ばしていた。


少し向こうの原っぱが一面むらさきに見える。何が咲いているのかここからではわからない。少し先へ行くと、セイヨウヒキヨモギの黄色の花が一面に咲いていた。


シロバナタンポポが出てくる小さな公園の入口で、ここでもアキノノゲシを見つけた。ひとつ、花が咲いたあとがあった。そっと触った。


2020年4月24日

道の記


神社の桜はひとつひとつの木にそれぞれ数輪ずつ、花が残っていた。短い時間、ありがたく眺めた。


とうとう立ち飲み酒屋さんもお休みになった。脇で、今年初めて見る気がするマメカミツレが茂っていた。すでに種子を作っている様子だった。


保育園のこどもたちが帰るところらしい。この角に以前、このあたりではそんなに見なかったオヒシバが出ていたのだった。いまはかわって、ツメクサが小さくぺたっと路面に這うようにして茂っていた。


道の記


道端のイヌノフグリは残った株がしっかり生きている。しゃがんで見ることが難しい位置に残っているが、花のような色も見えた。


道の記


以前セイヨウタンポポが出ていた電柱跡。現在はスズメノカタビラが居着いている。あまり大きく伸びないけれどいまも出ている。セイヨウタンポポのこどもらしき株がいたすぐ近くのブロック塀の下では、タチイヌノフグリが昨年も出ていたが、今年は加えてムシクサが出ている。どちらでもタンポポはもういないようだ。


道の記


公園の桜も椿も木蓮も、以前赤テープが巻かれていたけれど、無事のようだった。木蓮がいくらか花を残していた。


小さな切り株の木蓮は芽をいくつか出していた。何度目の再生かわからないけれど、しっかり、と、声を掛けた。


ひさしぶりに飛行機雲を見た気がする。西へ伸びていくところ。ちょうど低い山辺に夕日が降りていく。飛行機はほんのひととききらりと光って、そのまま飛行機雲を伸ばしていった。


工事のフェンスが一部透明になっていて、その向こうがとても狭そうなのだが、先日そこでノゲシが私の背丈近くに伸びているのを見た。きょうもノゲシはそこで街灯に照らされていた。


小公園のコブシはやはり咲いているのだった。あおあおとした葉の合間合間に、ここでも街灯に照らされて白い花が開いている。足元にはここでもウラジロチチコグサが、穂を長く立てていた。


道の記


桜の花が残っているのはやはりうれしい。お家の跡地の桜はもうしばらく咲いていてくれそうだ。


蝋梅のお家は駐車場になっていた。


小さな神社の境内入口にとても小さなナガミヒナゲシがぽつぽつと並んでいた。それぞれとても小さなつぼみをつけていた。


くすのきの公園に立ち寄った。小さな公園だけれどいつものように遊ぶ人でにぎわっていた。山桜だと思う桜はほぼ花を終えていた。若い人たちがボールでサッカーともバスケットボールともつかないゲームを楽しんでいた。


そこまでの道のどこかで何かのわけでチチコグサモドキを見たような覚えがあるが、なぜそのチチコグサモドキが目に留まったのか思い出せない。場所もわからない。


踏切を渡ろうとして脇のみどりに目が行った。くぬぎの幼木。近くの公園から誰かがどんぐりを持ち出して、ここに落としたのだろうか。そのそばでウラジロチチコグサが穂を長く伸ばしていた。


2020年4月17日

道の記


事業所の前のいちごが植えてある小さなプランターに、ハハコグサが出ていた。プランターの中でいちばん丈が高い。そのまわりを、ツメクサが囲んでいた。ツメクサはもう種子をたくわえているようだった。


道の記


昨秋はエノキグサが並んでいたブロック塀の道。いまはノボロギクが並んで、頭を垂れている。夕日はいまぐらいの時間ならまだ、ここに日差しを届けてくれるようだった。


線路際ではナズナが枯れていた。少し傾いていたけれどナズナの姿をしっかりとどめて立っていた。


小公園のこぶしはあおあおとしていたが、ところどころに白が見えた。いま花が残っているとは思わなかった。その手前でお母さんとこどもさんがふたりきりで遊んでいた。こぶしを見遣って、そのまま道を行った。


町はいつものように見えた。お店の1つ1つは閉じているところも多かったが、それでも人は行き交っていた。帰り道の人も多かったのだろう。


道の記


坂道の歩道にはマンテマが咲き並んでいた。ヒメコバンソウも穂を掲げて立っていた。


草が抜かれて路面に放置してあった。いちょうの切り株からひこばえがたくさん直立して林を作っていた。


枇杷の木がここにいたとは知らないでいた。上から見下ろす枝々に青い実が見えた。


ここの桜はたくさん花が残っている。ここでも梢のあたりはまだ花だけだ。空が薄く青かった。桜となじんでいるようだった。


池のほとりではイヌガラシの仲間の草が立ち並んでいた。桜の花びらがこちら岸へ流れ着いていた。湿地になっているだろうに、ハハコグサが1本、イヌガラシたちのなかに交じって立っていた。すっと立っていた。


道の記


お家の跡地の工事は日中だったが誰もいなかった。敷地の端にはホトケノザがいまも線状に残っていた。


角のノボロギクは枯れていた。綿毛を残したまま頭を垂らしていた。


お家の跡地の桜は花が多く残っていた。残っていてありがたかった。


今年一番に咲き始めたソメイヨシノはだいぶ葉桜になった。梢というか、上のほうの枝では花がいっぱい咲いていた。


枯れたメリケンカルカヤに囲まれたオランダミミナグサはあおあおしていた。他の場所ではオランダミミナグサは色褪せてきている。メリケンカルカヤがずっと守ってくれていたのかもしれない。


ヒメオドリコソウは色褪せていた。咲いているのかどうか道からではわからなかった。


小学校の桜もだいぶ葉桜になっていた。グラウンドの向こうからこどもたちのにぎやかな声が聞こえる。集まっているようだった。グラウンドのこちら側にあるブランコが誰もいないまま4つみんな揺れていた。


道の記


道端のイヌノフグリは残った株が花を咲かせていた。葉の色が薄くなっていたが、暑さのせいなのか、泥汚れなのかはわからなかった。


道の記


柿の木の駐車場がどの駐車場だったかわからなくなってしまった。少なくともここの駐車場には、奥に木が居る。若葉が出ていた。


マスクをして歩くと集中ができないのか、草木が目に入りづらい。この前の夜にノゲシを見た場所を通り過ぎたかもしれない。それでも歩いていくとたびたび、あのときのノゲシのようなノゲシを道端に見る。このノゲシも同じく生きているのだ。


この時間にこの道を通るのもこの方向へ通るのも初めてかもしれない。公園を突っ切って、ふと気がつくと夜桜だった。葉桜気味だけれど、夜桜。ありがとうと口にしていた。


排水溝のくすのきは無事。


桜の公園が廃止されて5年。残っていたならいまごろは落花さかんだろう。立ち止まって公園のあったあたりを眺めた。いまも桜が見える。夜桜だった。


道の記


中心街の公園は人影がまばら。草を見ていると鳩がやってきた。次々来る。たぶん餌をやる人が来ないのだろう。申し訳ないけれど、両手を広げて何もないのを見せる。続いてすずめがやってきた。


交差点のチャンチンは紅からほんのりと緑に色変わりしつつあるところだった。近年はまわりに人が多くて写真を撮るのも難しかったが、いくらか落ち着いて撮ることができた。


小学校跡は工事がさかんに進められていた。もう桜の位置を思い出すことが難しかった。


坂道のシロバナタンポポはこのごろまで咲いていた様子があった。曇っているためか、花を終えたのか、くしゃっと花を閉じていた。


2世桜は今年はぱらぱらと咲いている。まだつぼみもいくらか残していた。このつぼみが咲くのは見られないだろう。次に来るときには青葉の姿を見せてくれることだろう。


2020年4月10日

道の記


※ 当分のあいだ、数日〜十数日分をまとめて投稿しようと思います。最新の(いちばん上の)投稿でも少し前のことを載せている場合がありえます。


***

スーパーマーケット跡地はノボロギクやオランダミミナグサなど春の草が枯れていた。冬を越えた秋の草たちと並んで。この春になって気づいたヒロハホウキギクに少しだけ緑味が残っていた。手を触れて立ち去った。


クサギのトンネルもさまざまな若葉が。実を空へ差し上げていた株も新しい芽を吹いていた。


挿し木の桜も、残された桜も、この春を咲いていた。ところどころだけ、ビルのはざまから差す日に照らされて。


まだ新しい街路樹のふもとで、とても小さな丈で、菜の花が咲いていた。すぐそばの大通りは歩く人も走る車もたくさん行き交っていた。


道の記


すみれがたくさん咲いていた。声がするようだった。


2つ信号のオニタビラコはよく咲いていた。花がすこし穫られたようなあとがあった。


花壇の脇のイヌビワも、桜の下のイヌビワも、新しい葉を広げつつあった。


道の記


公園の十月桜は細かな葉をたくさん出していた。ソメイヨシノも咲きそろった。そして今年いちばん早く花を見せてくれたソメイヨシノは、幹のまわりで若葉を茂らせつつあった。


枯れたメリケンカルカヤの茂りのなかでオランダミミナグサがまっすぐに茎を立てていた。


桜並木は少しばかり人々が行き交っていた。ご親戚一同のように見えるこどもさんを含んだ一団の方々が、桜の1本1本で立ち止まっては枝に触れ、花を横に後ろに写真を撮っておられた。


線路際の工事現場は夜で静かになっていた。もう草の種類が見分けられないが、ナズナのいるあたりに少し疲れたような丈の高い草が見えていた。


閉じたお店はシャッターが新しくなっていた。正面にいたノゲシはなくなっていた。ノゲシが出ていたあたりは隙間があったが、そこにいまも根がいるのかどうかはわからなかった。


道の記


神社の桜は盛りを少し過ぎていた。マスクを外すとほのかに桜の花の香りがした。後ろを行く方々も私のことを放っておいてくれた。


角のノボロギクは少しやつれているように見えた。


満開だったオニタビラコは綿毛のほうが目立つようになっていた。


お家の跡に残されている桜が美しく咲いていた。マスクを外すとはっきりと、桜の香りがした。


道の記


道端のイヌノフグリはいちばん大きかった株が他の草とともに引き抜かれていた。少し時間が経っていたようだが、実が一房青かった。


道の記


わずかな時間の必要外出。路地のカタバミが陽を浴びていた。帰り道には別の場所でアカカタバミが陽を浴びていた。


2020年3月26日

道の記


お店の前のノゲシの位置に建材が置かれていたのを先日見たが、きょうは建材が無くなっていた。ノゲシは丈が低くなってしまったが、そこにいた。


こんなところからスギナが出ている、と、駐車場の角の舗装の割れ目に目が留まった。つくしも出たのだろうか。隣でアカカタバミが仲間のように茂っていた。


そして以前教えていただいたつくしが出てくる植え込みは、スギナが1本だけ見えた。


ユキヤナギとムラサキカタバミが出ているブロック塀。ムラサキカタバミの花は閉じていた。道の向こうは橙の雲。きれいだった。ブロック塀からヤブガラシの若い芽がひょんと伸び出ていた。


道の記


道端のイヌノフグリは枯れ始めていた。雨が降らないせいもあるだろうけれど、もう暑くなってきたのだ。様子を見続けようと思う。


2020年3月25日

道の記(この春)


私が草の世話をしている場所で、いろいろな方がやってきて声を掛けてくださった。こうしてお話しできるような日がこの春この先いつまで続くのか、それどころかまたもう一日あるのか、わからない。

でも、わからないことはわからない。ここでも桜がぽつぽつと咲き出した。こぶしが木いっぱいに咲いていた。



道の記


スーパーマーケット跡地の空き地は草が抜かれたような跡があちこちにあった。アキノノゲシは枯れていた。ヒロハホウキギクも枯れていた。綿毛がいくらか残っていた。枯れてからも綿毛を空へ差し出していた。


斜面のヒメウズはつぼみをつけていた。その下に別のヒメウズが花を咲かせていた。


イヌビワの植木鉢のお店跡地はオランダミミナグサやキュウリグサやノゲシやオオキバナカタバミなど、いろいろな草が出てきている。隣の駐車場は建物が建ちつつある。お店跡地のほうに先に何か建つと思っていたが、しばらくは草たちが息づく場所でいられそうだ。


道の記


お家の跡地は手が入り始めた。ホトケノザやフキが出ていた位置の土も取り崩されていた。敷地の端にホトケノザが咲いているのが見えた。


公園の桜はちらほら。どの木にも咲いている花が見える。いちばん初めに咲き出した木では、花が赤みを帯びていた。上のほうですずめらしき声がさかんにする。見上げたが鳥の姿は見えなかった。


ヒメオドリコソウが以前出ていて、去年はたしか見つけられなかった場所。今年もホトケノザは出ているがヒメオドリコソウは見当たらない。もう出てこないのかもしれない。そう思いながら目を動かすと、一段奥にヒメオドリコソウが小さく出ていた。


ノゲシが正面に出ているお店が工事中だった。ノゲシの位置に建材が置いてある。ノゲシがどうなっているかはわからなかった。


2020年3月24日

道の記


菜の花よりは大根の花のほうが多く咲いていた。遠くの土手の木々は冬姿だが、芽がたくさんあるのか、うっすらと紫色を帯びて見えた。土手の小径をときどき人が通って行く。日が傾いてきた空では、そちらのほうから筋雲が放射状に伸びていた。


河川敷の木はまだ芽吹いていない。ふもとにムラサキサギゴケがたくさん咲いていた。遠くから犬を連れた人がやってくるのが見えた。何かの大きな鳥が勢いよく、陸地のほうへと飛んで行った。


道の記


パン屋さんの前にトゲミノキツネノボタンがぴかぴか咲いて並んでいた。


古い煉瓦塀のお家の跡地では、敷地の中心近くに菜の花が1株出て咲いていた。ところどころホトケノザが放射状に広がって咲いていた。道際に、煉瓦の欠片が落ちていた。そっと触った。


事務所になった階段の建物。階段の昇り口にはオニタビラコのほかに数種類の草が出ていた。でもいま思い出そうとしても種類をはっきり思い出せない。


丘を立ち去るとき、どこかから桜の花の香りがした。どこだろうと香りのするほうをなんとなく探す。ほどなく、木立のなかに咲いているのを見つけた。山桜だった。


そして丘を降りると、植樹されたばかりに見える若い桜がそれぞれに咲いていた。


2020年3月23日

道の記


売り地の桐の木は葉を落としてそのままだった。芽が出ていた。


丁字路はチチコグサモドキがなくなっていた。根元の苔がめくれていて、おそらく抜かれたのだろう。隣のスズメノカタビラも抜かれかけた様子がある。苔をもとの隙間に埋めた。


ナガミヒナゲシは小さな花を咲かせていた。咲きそうにしていたつぼみはまだ開いていなかった。


コブシの小公園ではきょうはコブシの下で犬を連れた方が犬を遊ばせているようだった。遠くから、コブシの花が残っているのが見えた。


道の記


お家の跡地は土砂が均された。ホトケノザやフキは敷地の端に線状に残っていた。


公園の香りは十月桜の香りのようだ。ソメイヨシノはぽつぽつとだけ咲いている。


まだ咲いていない桜の下はスズメノヤリがたくさん出ていた。イチゴツナギの仲間の草も。後ろのほうではお母さんとこどもさんらしき方々が草を抜いていた。もういちどイチゴツナギを見て立ち去った。


歩いて行く御高齢の方と追い越し追い越されしながら桜の下を歩く。ちらほらと咲いているヤマザクラやオオシマザクラを見ているあいだにその方は道を越えてお家へ戻って行かれた。


振り返ると遠くで、さっきすれ違った方がそこにおられた方といっしょに、小さなこどもさんを抱きかかえて、さっき1つだけ咲いていたさくらの所で写真を撮っておられるご様子が見えた。


※ サクラの種名を訂正しました。2020年3月26日

2020年3月16日

道の記


ホウキギクが出ていた丁字路の角、1本ぽつんと伸びていたチチコグサモドキの横に、スズメノカタビラの穂が出てきていた。


建物の裏側で生け垣のようにいろいろな植物が植えてある場所。何桜かわからないけれど細い幹で何本も立ち、紅色の花が満開になっていた。若い方がひとり、スマートフォンらしき物を花に向けてじっと立ち止まっておられた。


教会入口の植え込みでクリスマスローズが、少しうつむき加減に咲いていた。


2020年3月15日

道の記


日の当たる道端にナズナが咲いて並んでいた。


歩いていてふと横を向くと、ここではノゲシが立ち並んでいた。駐車場の塀の際が花畑のようだった。


ナガミヒナゲシはつぼみを立ち上げていた。うっすらと橙色が見える。暖かい日が来るのを待っているだろう。


逆光の冬姿の高い木々のなか、1本の木にちらほらと小さなみどりが見えた。近くに寄ってみた。葉を見るとフウの木だった。まだ小さな葉。隣の柳もぽつぽつみどりが見える。この景色はいまだけだ。もういちど立ち止まって眺めた。空がほんとうにあおかった。


小公園のコブシは咲いていた。行きがけに見たときはまわりに誰もいなかった。花はすでに散り始めていて、砂場にいくつかの花びらが降りていた。帰りに通ったときは夜だった。コブシの下でお母さんとこどもさんが遊んでいた。


道の記


植え込みのイヌノフグリは今季も出ていた。数は少ない。どこか近くに仲間がたくさんいるのかもしれないが、そうであればここのイヌノフグリはその突端でいのちを継いでいるのだろう。イヌノフグリの小さな株が、植え込みの端から広い道路を見るみたいにして、少しだけ伸び出していた。



2020年3月12日

道の記


桜が咲いていると聞き、公園に立ち寄った。少し離れた所からすぐにわかった。数十輪咲いている。かなり古くからのように見える2本の木。いっぽうの木の、菌がとりついている枝にたくさんの花が咲き、それに呼応するように、隣のもういっぽうの木から伸びてきた枝に花が咲いている。

見ていて涙と元気と出てきた。こどもたちのにぎやかな声が背後でずっとしていた。


むかしながらのお店の脇のプランターの隣で、メリケンカルカヤが枯れて立っていた。秋を残しながら春が進んでいく。


道の記


ユキヤナギの枝がブロック塀から飛び出しているお家。先日夜に通ったときにユキヤナギが咲いていた。同じようにムラサキカタバミも飛び出ているが、そちらは花はあったけれど夜のためしぼんでいた。きょうはムラサキカタバミのほうも咲いていた。


やはり先日夜通ったときに、角の大きなケヤキが金星に向かってそびえて、その下の道端にノボロギクが同じような逆さ箒の形で生えているのを見た。ノボロギクとしてはけっこう大きく育っている。ここのノボロギクもきょうまた見た。葉を茂らせて花もたくさん咲かせていた。1株だけれど、ノボロギクの森みたいだった。


そしてこのまえ満開だったオニタビラコはきょうも満開だった。少し綿毛ができていた。


2020年3月8日

道の記


行く手に菜の花がいっぱい咲いている花壇が見える。その手前で、ノボロギクがやや傾きながら花を咲かせていた。


その少し先では、街路樹の下で、何本ものノボロギクが、だいたい同じ方向に傾げながら花を咲かせていた。


ヒメウズが、ここではいっぱい出ていた。ここも道端だけれど、ここのヒメウズはきっと無くならずに生き継いでいけるだろう。花が1つだけ咲いていた。


美容室だったか、その跡地が更地になっていたのだが、今度は深く掘り返されていた。その敷地内には緑は見えなかった。1枚、街路樹のクロガネモチのものらしき落ち葉が、隅に落ちていた。


小さな石橋のたもとにふと目が行った。スゲの仲間のような葉が出ていた。ここも人が多くて立ち止まれない。次にここを通るときに思い出すかどうかわからないけれど、このことを書いておこうと思った。


道の記


スーパーマーケット跡地の空き地はセイタカハハコグサらしき草が増えてきた。ノボロギク、それからたぶんイヌコハコベだと思う草も茂ってきた。ヒロハホウキギクはだいぶ綿毛が多くなったが、花も少し咲いている。そして枯れたと思っていた株も、低い位置で花を咲かせていた。アキノノゲシはつぼみが残っていたはずが綿毛になっていた。やはり低い位置で、つぼみが閉じたまま、中からはみ出ている花弁がしおれていた※。このまま綿毛になることがあるのかわからないが、つぼみも茎もつややかにしていた。

※ この状態は下部がふくれた花瓶のようなかたちをしているが、調べたところ、つぼみではなく花が咲いた後の状態(総苞が閉じている)らしい。これまでつぼみとこの状態を区別していたか自信がなくなった。過去の投稿でアキノノゲシの「つぼみ」と書いていたもののうちどのくらいかは、この花後のかたちだったように思う。わかる範囲で過去投稿に補注をつけることにする。


道の記


さっきカモジグサの穂を見かけたけれど今度はイヌムギの穂。寄って確かめた。後ろの、小さな自転車にまたがって止まっているこどもさんから見られている感じがした。


小さなエノキの切り株にいつもと違う様子が見えたので、立ち止まってしゃがんで見た。薬の注入穴に苔が生えてきたのか、緑色になっていた。切り株の脇にきのこが出ていた。その反対側の脇でフラサバソウが芽生えていた。


ロウバイの花が残っていた。花に自分の鼻を寄せて香りを嗅いだ。今季ロウバイの香りを嗅ぐのはこれが最後になるかもしれない。はっきりした香りだった。ロウバイの花は強い逆光に透き通っていた。春だと思った。


道の記


ああ、ここにはナズナがいたのか、と思った。市街地の大通りの道沿い。歩道が狭く人が多くて立ち止まれない。一目見て過ぎ去った。


この道はふだんは信号で止められたらそのときに対岸に渡ることにしているが、対岸の2つ信号のオニタビラコの様子を見ようと思って横の信号を待った。しかし対岸に渡らないでそのまま歩いたら歩いたで、見えるものがあるかもしれない。思い直して信号を渡らずに先へ歩いた。街路樹の根元の低いところで、あざやかな紫の花が咲いていた。ハナダイコンだった。


2つ信号のオニタビラコもやはり見たくて、けっきょくもとの信号に戻った。戻る途中、ナガミヒナゲシのロゼットや、ツメクサの葉を見た。2つ信号のオニタビラコは花をいっぱいつけていた。


水を飲もうと思ってひこばえくすのきの小公園に立ち寄った。こどもたちと親御さんでいっぱい。ベンチも物が置いてあり、親御さんから警戒の雰囲気を感じながら、立ったまま水を飲む。飲んでいるあいだ、くすのきを見た。1度切られた後、ひこばえが育てられている。だいぶ大きくなった。丈も大きいが幹も太くなった。その手前に、細い新しいひこばえが出ていた。明るい気持ちになって公園を後にした。坂の通りには日が差していた。


2020年3月7日

道の記


先日立ち寄った公園で今年初めてヒメウズの花を見たと思い、ここでもそのように書いたが、今年の過去投稿を読み返していてヒメウズが咲いているのを見たと書いていたのを見つけた。場所はそのときは忘れていたようだが、たしかあの道沿いだったと思い、その場所に寄ってみた。どこにもヒメウズは見当たらなかった。


大きな木々に囲まれたお屋敷の敷地を、歩道からのぞき込んでいる親御さんとこどもさん。「たしか1つ咲いていたと…」と親御さんがおっしゃっている。私もちょっと横目で見てみたが、どの木のことかわからなかった。親御さんと目が合っておたがい少し笑って会釈した。私だけ歩き出して、お屋敷の敷地の端で振り返ると、大きな梅の木の枝先に数輪、薄紅の花が咲いていた。


小公園のコブシは先日近くを通ったときには咲いていなかった。きょうも咲いていないようだ。公園に小さなこどもさんと親御さんがいらっしゃったが、きょうはコブシの様子を見に公園に入った。コブシはどうも花芽の枝を剪定されたらしく、花芽自体が数少なかった。そして開花はまだ先のようだった。公園を出るときにこどもさんと目が合った。少し笑顔で公園を出た。


お家の跡地はどこかから土砂が入れられた。ホトケノザやフキの出ているあたりは入れられた土砂の小山の裾野でそのままになっていた。ホトケノザがたくさん咲いていた。


このまえ梅の香りがした更地は掲示によるとそろそろ工事が始まる。奥のほうでオオキバナカタバミがちらほらと咲いている。オシロイバナのように見える大きな丈の草が色褪せながら立っている。ねぎのような葉も見えた。すぐ手前にすいせんのような葉が出ていた。葉に少し触れた。隣地の建物の際で、ホトケノザが合図をしているように花を放射状に掲げていた。


2020年3月2日

道の記


水路が埋められた歩道はスズメノカタビラがたくさん出ていた。キュウリグサのロゼットも。水路だった位置ではノゲシなどの草がまばらに出ていた。


その少し先で、ヒメムカシヨモギが傾げていた。茎や葉は緑で、他の場所で見る秋の草たちと同じく、冬を越したのだろう。花も綿毛もたくさんつけている。この春の景色がどう見えているだろう。


あそこの木蓮はどうだろう、いやさすがにまだ咲いていないだろうな、と思いながらそちらへと歩きかけて、昨年その木蓮が切られていたことを思い出した。そばのベンチに人が見えたので少し待って、あとから木蓮の様子を見に行った。木蓮の小さな切り株はスズメノカタビラに囲まれていた。動きはまだ見えなかった。


お家の塀を越えて唐実桜の枝が迫り出している。せっかくだからとここでもマスクを外して香りを嗅いだ。甘い香り。私がいくつかの場所で毎年見てきた唐実桜はみななくなってしまった。ここの唐実桜は遠い親戚だろうかと、よるべなく思った。満開の花が春の開始を告げていた。


道の記


こどもたちの歌声が聞こえてきた。電子オルガンのような音に合わせて、私が知らない童謡のような歌を大きく歌いあげている。春の声だと思った。


ナガミヒナゲシのロゼットが出ているな、と思いながら歩いていて、その先で今度は大きく育ったナガミヒナゲシがつぼみをつけているのを見つけた。まだ花の茎は伸びていず、つぼみは自分の細かな毛にうずまるようにして時を待っている様子だった。


ホウキギクの三叉路にはチチコグサモドキが1株出ていた。ひょろ長く伸びて、すでに花をつけていた。そばには丈の低い緑がぽつぽつ出ていたが、伸び上がっているのはチチコグサモドキだけだった。茎にそっと触れて、信号を渡った。


2020年2月29日

道の記


お店のシャッター前のノゲシは花が増えていた。


中心街交差点のこぶしが咲いていた。この一日二日くらいに咲き始めた感じで、いくつかの花がきれいに開き、たくさんのつぼみが開きかかっていた。雨の街はふだんより少ない人通りで、傘をさしていてもあまり気兼ねせずにこぶしを見ていられた。


チャンチンのひこばえが今年の新芽を出していた。すでに紅から白っぽく色変わりしていた。


振り返って道路脇のノボロギクを見たのを覚えているのだがなぜ振り返ったのか忘れてしまった。その先に見えていた色あざやかな花壇に目移りしたのが申し訳なかったのだったか。ノボロギクは雨に打たれてまっすぐ立っていた。


きょうはお休みらしい小さなお店。角に沈丁花の鉢植えが置いてある。香りを嗅ぎたいと思ってマスクを外して顔を寄せてみたが、香りはわからなかった。後ろをいささかけげんそうに若い方が通り過ぎていった。


2020年2月26日

道の記


魚を捕る簗が立てられている。その上の橋を行く。欄干の下にはすみれが並んで、ぽつぽつと咲いていた。


ヒナギキョウは枯れた花茎をたくさん立てていた。しゃがんでみると、茎の根元に小さな葉がびっしり茂っている。そして、つぼみを見つけた。


ひさしぶりの公園。ヒメオドリコソウ、ヒメウズ、ムラサキケマン、コナスビ、そしてノアザミの花。いずれも今年初めて花を見る。去年見たツワブキの花茎が、綿毛をところどころ残して斜面一面に立ち並んで夕日を浴びていた。知らない鳥のさえずりが聞こえていた。


道の記


カンヒザクラは満開になった。隣の建物が暗い色で、透き通った空とのあいだで明るく明るく咲いている。


道路を広い空き地の側に渡った。最近空き地になったのか、草が少ない。土留め代わりに残されているらしい低いブロック積みに沿って歩いていると、ブロックの向こう側にスノードロップが咲いていた。ちょうど隠れるようにして。


同じ空き地でトキワハゼが少し咲いていた。今年初めて花を見る。


その少し先の小さな空き地では今度はノースポールらしき花が一輪咲いていた。株も小さい。ここが空き地になる前のお家で育てていたのだろう、と思って歩き出すと、隣の区画の建物の前のプランターでノースポールが咲いていた。


道の記


外に出て、景色が強く見えることに驚いた。快晴。この光は冬の光だろうか、春が来たあかしだろうか。


2つ信号のオニタビラコは花が開きかかっていた。4株が計8つの花茎を立てていた。


エノキの切り株の脇にキュウリグサが出ているが、そのもうひとつ脇にムラサキカタバミの葉が出ていた。


空き地のヒロハホウキギクは花がだいぶ少なくなってきたけれど咲いている。この季節を、ふたたび来た秋として生きているのかもしれない。


2020年2月25日

道の記


人通りの多い小径を、小さな猫が渡って行った。あまりあせっているふうでもない。その猫が出てきた建物の隙間のところに、餌やりは迷惑ですという大きな立て札が立ててあった。


朽ちたチャンチンの木が安置してある植え込みを見てみた。さっきの猫にとてもよく似たおとなの猫が、横たえられているチャンチンの脇でゆっくりしていた。


濃い紫の葉だけれどオニタビラコの葉の形をしている。新しい葉は緑でオニタビラコだ。こういう色になって冬を越えたのか。オニタビラコの知らない姿を知った気がした。長い植え込みのその先へ歩くと、濃い紫の葉をしたアカカタバミらしきカタバミがいっぱい葉を茂らせていた。


工事現場のフェンス下ではイタドリが大きな葉を並べていた。少し先ではイヌビワの幼木がすっかり葉を落として、いくつかの実を残して日差しを浴びていた。芽もしっかり用意しているようだった。


道の記


オニタビラコが満開だった。そう書きたくなるくらい、1株でたくさんの花を咲かせていた。


この前に見た十月桜は引き続き咲いていた。開きかけているつぼみもあった。少し離れたベンチでお休みになっている御年配の方が、桜に近づく私をちらっと見ておられるのが横目に見えた。


オオキバナカタバミが出ていたアパートが無くなっていた。更地に重機のタイヤの跡がいちめん残っていた。


柿の木や唐実桜や梅の木がいた工事中の線路際はとても背の高いナズナが咲いていた。ノボロギクも大きい。そこが日陰になっているせいもあるだろう。少し歩くと、小さなナズナがぽつぽつと咲いていた。


歩いていて風になにかの綿毛が乗ってやってきた。私のブルゾンにまとわりつき、また風で離れていった。なんの綿毛だろう、と考えて、ここはシャッターの前にノゲシがいる閉じたお店の近くだと気づいた。この近くにほかに綿毛を作る草は思い当たらなかった。お店の前に行ってみると、ノゲシは咲いていた。綿毛が少し残っていた。


2020年2月19日

道の記


道路の再整備で街路樹のケヤキが植え替えられてしばらく経つ。しばらく経つけれどもケヤキは以前この街路の上に茂っていた大きなケヤキのようにはまだまだならない。冬姿のケヤキの下にさらに小さなケヤキらしき幼木が出ていた。実から生えてきたのだろうか、と思ってしゃがんで見ていると、そのそばにエノキグサがいた。エノキグサはもう他所では見なくなっている。冬を生き延びているのだ。エノキグサは数株いたが、どの株も小さく、新しい芽は無く、葉は緑を濃くして、こころなしか固くなっているように見えた。


Y字路の右のほうの道が狭くてしあわせそうだったが、行く方向のどのあたりに出るかわからず、左の大きな道を行った。工事中で道端には草もなかった。しばらく歩くと右のほうへ抜ける小径があった。ビルの脇で、立派なプランターにコニファーのような木が小さく立っていた。でももうすぐ信号だった。


その信号手前、工事詰所の脇に、私の腰くらいまで伸びている何かの木がいた。葉があるが種類がわからない。この丈になっているということは、見逃されてきたのだろう。信号が変わる。葉に触れて、そこを立ち去った。日差しがあたたかかった。


再整備された公園の再整備後にまだ行っていないと思い出し、公園に回った。木々が減らされ、がらんとしていた。残されたいくらかの木々のまわりは裸地で、そこに芝生を張ると告知が出ていた。地面にはオランダミミナグサやハコベや、スズメノカタビラだと思う小さな細い葉がところどころに出ていた。以前はそうした草たちが地面に茂っていたのだった。振り返っていまいる草をもういちど見て、公園を後にした。


2020年2月18日

道の記


カンヒザクラが咲いていた。咲くには咲いたものの、この急な冷え込みで咲きかけて止まっているようにも見えた。


古いお屋敷を無くして建てられた低層の高級マンションの外周に、クスノキが植えられていた。ひょっとして以前に敷地内にいた木なのだろうかと思った。クスノキはそこそこ高いけれどもそう太くはなく、まっすぐしていて、幹の中途に忍草が生えていた。クスノキのほかに、樫の木が外周を囲んでいる。そういえばお屋敷の外周も樫の木だった。


切られる予告が出ているイヌマキの木々。切られるというのが信じがたいほど太くそびえ立っている。同じく大きく育ったツバキが高い所で花を咲かせている。イヌマキもツバキも、私の手が届くあたりに枝を下ろしていた。イヌマキの葉に触れた。その感触にイヌマキの全身が籠っている気がした。


道の記


建物の脇の、切られてその切り株に薬の注入痕があった小さなエノキはそれから芽を出さない。そのエノキの切り株のそばに、キュウリグサが出てきた。とても狭い地面に切り株と並んで、切り株に緑のいのちを添えるようにしている。


スーパーマーケット跡地の空き地に細い葉で少し丈がある草がたくさん出ていることに気づいた。あおあおしている。見ていて、昨年秋に切られたヒロハホウキギクだろうと思い至った。花を付けるほどには伸びなかったけれど、いまこうして復活して時を待っているのだろう。ずっと見てきているヒロハホウキギクは咲いている株もあったが、ひとつ、小さな株が枯れていた。この前は生きていたのだった。


そしてアキノノゲシのつぼみはさらに固く閉じているようだった※。


※ このアキノノゲシの「つぼみ」は花が咲き終わった後の状態だった。次の記事に注を書いている。
https://michinohata.blogspot.com/2020/03/blog-post_43.html


道の記


ビル前の植え込みにいろいろな草花が植えてあり、小さな木も多少植えてある。そのなかに1本、クスノキの幼木がいた。クスノキを植えて育てているようには見えなかった。おそらくほかの草や木にまぎれてここまで生長したのだろう。このくらいの丈のまま、ほかの草や木と同じように世話を受けて生きていくのかもしれない。


2つ信号のオニタビラコは花の茎を高く伸ばしていた。咲く準備はできている様子に見えた。


その2つ信号の手前にすみれがたくさん出ている場所があるが、これまでそこの場所のことをあまり書いていない気がする。バス停があって待つ人が多く、立ち止まりづらいのだ。なので通るときにはたいてい歩きながら横目で様子を見る。すみれはいまは葉だけで過ごしている。たぶんバスを待つ人のなかに、すみれを見ている人もいることだろう。


2020年2月13日

道の記


煉瓦塀のお家は塀も完全に撤去されていた。一帯は広い空き地になっていた。礫が地面に散らばる中、ホトケノザがところどころぽつんぽつんと葉を広げていた。向こうに見える敷地界の隣地の塀の下は緑に見える。きっとそのあたりに、以前からここにいた草たちが、以前とは変わってしまった土地でどのようにか、暮らしを続けているのだろう。


階段のある元飲食店の建物は何かの事務所が入っていた。階段の下はオニタビラコらしきロゼットがいくつか開いていた。


橋から見下ろす川は、空を映しているのかそれともいくらか濁っているのか、にぶい色をしていた。空を見上げると、ほんの1か所だけ、雲が夕焼け色に染まっていた。


神社は梅が香っていた。梅をご覧になりに来られた様子の御夫婦がゆっくりと境内を回っておられる。私も同じようにして別のルートで境内を回る。ひとつひとつの木の花の香りを嗅ぐ。甘い香り、きつい香り、遠い香り。


いつも電車から見ていた境内の公園では、若い人がひとりボールで遊んでいた。大きな大きなくすのきが彼の守護をしているようだった。


しばらく前にスケッチを描いた河川敷の1本の木。そのときは近くに寄らずじまいだった。近くに寄った。小枝に丸い実が残っていた。ふもとはナズナの畑になっていた。ホトケノザ、オオイヌノフグリ。寒く見える日暮れの河川敷だったが、きっともう春だったのだ。


道の記


イヌコウジュは株ごと無くなっていた。根が土から抜けた跡があり、引き抜かれたのだろう。この前に見たときの様子からして、そのあと寒い日が続いたので、引き抜かれたときにはおそらく草のほぼ全体が枯れたようになっていただろうと想像されるけれど、それでも生きていたのではないかと思う。


そして、別の場所では、おそらく昨年花を咲かせることがなかっただろう小さな丈のイヌコウジュが、すべての葉を枯らして細い茎だけになって立っていた。


道の記


スーパーマーケット跡地の空き地は暖かな日差しだった。ノボロギクが躍進した。ヒロハホウキギクは全体がすっかり紫色になって、いくらかの花を咲かせていた。アキノノゲシは花こそ咲かせていなかったが、ヒロハホウキギクと同じく紫になって、暖かな冬を生き延びていた。


この冬は、秋の草たちにこれまでの秋の草たちが体験しなかったような気候を体験させているのかもしれない。そうだとしても、いまを生きているそれぞれの秋の草にとっては、その暮らしがただひとつの暮らしで、ただこの気候を暮らしていく。私はそうした自身の人生の突端を生きていく彼らを道の端から見ているほかない。


自身の人生の突端を生きていく、その事情は誰もがそうなのだろう。


クサギのトンネルのクサギは細い枝の姿になっていた。実を差し上げていた株はその格好で、なおいくらかの実をその枝に残していた。


いろいろな草が壁面に小さく生えている、そのなかに、ヒメウズを見つけた。つい最近どこかでヒメウズが咲いているのを見かけたが、ここでは咲いてはいない。つぼみもできていない。やがて茎を伸ばして、花を咲かせるのだろう。


見守っているのではなく見守られている。そう思った。


2020年2月11日

道の記


きょうは人につられてではなく振り返りながら歩いた。傾いた日が明るくまぶしく照っている。雲がたなびく冬の空だけれど、この冬初めて青い冬空を見た気がした。


その夕日をまぶしそうに、目の上に手をかざして通る方とすれちがった。街路樹のやまぼうしが手のひらを空に差し上げるようにして、小さな丸い芽を空に並べていた。


道の記


このあたりは工事が多い。ときどき立ち寄っていたスーパーマーケットも工事のフェンスに囲われていた。このマーケットの裏手にはスノーフレークだったか何かの花が植えてある小さな植え込みがあった。そこに通りかかると、植え込みは半分ほどがフェンスの中だった。フェンスの外では、おそらくトゲミノキツネノボタンだと思う小さな葉が土を覆っていた。


畑の中の畝と畝とのあいだで猫がこちらをうかがっている。ちょっと目が合ったけれど、見ていないふりをして行くことにした。


この道にも小さなノゲシがぽつんと出ている。きょうも咲いていた。お家の垣根から伸び出た花木や植えられた花々が美しい道だけれど、小さなすみれもいる。草たちが暮らしている、そのとなりを通って行く道。


道の記


バスから見たくぬぎ坂の場所では何か大きな柑橘の実が成っていた。


畑に敷かれたマルチというのか、黒いシートに雨がばさばさ落ちる音がする。畑は作物はなく、いまはマルチが覆っていない所でナズナが作物のように生えて咲いていた。


いつも通る道と一筋だけ違う道に入るとお家の梅が見えた。見事に仕立ててある。その向こうに知らない公園が広がっていた。雨で誰もいなかったが、こどもたちが遊ぶ声が聞こえてきそうな公園だった。公園を横に知らない道を歩いた。知っている道が目の前に見えていた。


2020年2月6日

道の記


陥没から復旧した道路は植樹帯が少なくなった。以前からの植樹帯はヤブランの実がいくらか残っていた。ヤエムグラらしき草も見えた。伐採されたケヤキも切り株のまま残っていた。


お店に入る前、お店の向かいの小公園には猫がいた。人は誰もいず、猫はあくびをしているようだった。お店から出たとき、公園は遊ぶこどもたちでいっぱいだった。猫は見当たらなかった。


舗装し直された歩道のヒメツルソバは見当たらなかった。でもどこか隅のあたりにいるのではないかと思う。


排水溝のくすのきは大過なく過ごしているようだった。もう暗かったので姿だけ見た。


道端に見たことのない葉が見えたので立ち止まってよく見たらノゲシだった。葉がちぢれたようになっていたのだった。ああなんだノゲシか、と思ったのだが、そう思うのでは失礼な気がした。ノゲシは何も言わずに街灯に照らされていた。


2020年2月4日

道の記


ランタナの交差点はオオキバナカタバミがいっぱいだった。フラサバソウも咲いている。ランタナは小さく枝を伸ばし始めていた。


以前田んぼだった駐車場の脇にある花壇は、プリムラが咲いていた。パンジーは少しつかれている様子だった。下のマンネングサは葉がとても小さくなっていた。その姿であと少し、冬をやりすごすのだろう。


伐採木置き場の、横倒しになっているいちょうの切り株から伸びている枝はかなりしっかりしているように見えた。タチスズメノヒエがだいぶ色褪せながら、それでも穂を掲げて立っていた。


行く人の動きにつられて後ろを振り向いた。夕日が山の少し上で大きく光っていた。


道の記


むかしであれば峠だっただろう丘の上の畑の脇にオオイヌノフグリがたくさん咲いていた。丘から眺めると道の先は薄く日が差していた。


また別の畑ではホトケノザとナズナが咲いていた。カラスノエンドウもだいぶ茂っていた。


柿の木と樫の木の跡地はホトケノザなど春の草にまじってイヌホオズキが咲いていた。敷地を出たところではノミノツヅリが花をちらほらと咲かせていた。


アキノノゲシが出ていた小さな駐車場の端の空き地。アキノノゲシはやつれていた。綿毛が残っていて、このごろまで咲いていたのだろう。アキノノゲシのふもとではカラスノエンドウが咲いていた。トゲミノキツネノボタンも明るい花をたくさん咲かせていた。


道の記


建物が取り壊された跡地のほうから、梅の花の香りのような匂いがした。信号を渡るつもりだったがあの跡地に梅が残っていたのかと気になって、渡らずに跡地のほうへ歩いた。跡地に梅はなかった。近くにも見当たらなかった。ホトケノザが咲いていた。


交差点のヒメジョオンは咲いていた。つかれた様子だったが枯れてはいない。すぐとなりにノゲシが出ているのに気づいた。ノゲシはだいぶ傷んでいたが、ノゲシも枯れてはいなかった。


大くすのきの林だった場所は建物が建ちつつある。以前の場所の面影は見つからない。ふと後ろを向くと梅が咲いていた。道を挟んだこちら側の丘にはくすのきはいないようだが、小さなお社があり、桜の木々が植えられている。梅の花は私の背が届かない高さで、大くすのきの林の丘を見つめるように咲いていた。


2020年2月3日

道の記


スーパーマーケット跡地の空き地は、ノボロギクが咲き、ハハコグサらしき葉があちこちから出始めて、春を感じさせるようになってきた。ヒロハホウキギクは全体がすっかり赤みを増して咲き続けていた。アキノノゲシは綿毛をいっぱい作ったようだった。残ったつぼみは固く閉じているように見えた※。

※ このアキノノゲシの「つぼみ」は花が咲き終わった後の状態だったと思う。次の記事に注を書いている。
https://michinohata.blogspot.com/2020/03/blog-post_43.html


イヌコウジュは小さな花を数輪残していた。


民芸風の飲食店の跡地は更地になった。以前は草がいろいろ生えていたけれど、いまは端のあたりでノボロギクやハコベが少し出ていた。ノゲシが咲いていた。ホトケノザに見送られて立ち去った。


建物の工事にあわせて街路樹のクロガネモチが幹の途中で切られていた場所では、歩道部分の舗装が直され、クロガネモチの切り株が撤去されたらしく無くなっていた。ちょうどそこの工事の人たちが集まって帰っていくところだった。私はその後ろになった。舗装面だけになっているクロガネモチのいた場所に頭を下げて、私も帰り道を歩いた。


道の記


草を気に掛けて見るようになって今年20年になる。その20年前に草を見始めた頃、ムラサキカタバミが出ていた小さな石垣の場所は、いまもムラサキカタバミがいる。ひさしぶりに通った。この季節なので花は出ていなかったが、葉は石垣の隙間を埋めるように広げていた。


キツネノマゴがいる中心街の公園に立ち寄った。キツネノマゴはもう去年の株が枯れてしまっている時季だが、2株、穂を見つけた。ひとつは色褪せて、もうひとつは赤みを帯びて冬を耐えていた。1株のすぐそばに、ヒナギキョウの小さな株がよれて立っていた。よれてはいたが緑だった。ここに立ち寄ってよかったと思った。


街路樹の切り株の上に工事のコーンが載せてあり、その脇でひこばえが数本伸びていた。ひこばえは芽を付けていて元気そうだった。何の木だろうと思いながら少し歩くと、路面にモミジバフウの葉が落ちていた。


2020年1月31日

道の記


たしかむかしクラスメイトが住んでいたと思う古いお家が無くなっていた。大きな桜が残されていた。徒長枝がたくさん、空に向かって伸びている。敷地の中はセイタカアワダチソウが枯れて並んで白い穂を掲げていた。残っている門柱の表札には、知らない苗字が書いてあった。


アパートの階段入口で、ひとかたまりのオオキバナカタバミが花の茎だけを高く伸ばしてしゅんとしていた。少し歩くとアカカタバミが路傍の隙間を葉だけで彩っていた。


道の記


通りかかった道沿いにイヌノフグリが出ていた。むかしからのお家が多い場所。おそらく古いお庭の隅などでイヌノフグリが生き延びているのだろう。花は見えなかったが、大きめに育っていたので暖かい日には咲くことだろう。


道の記


更地になったお家の土にホトケノザやフキの葉が出ているのを、以前通ったときに見た。その土地に工事が入っていた。敷地の外周に塀が造られる様子。まだ土は手が付けられていず、ホトケノザもフキも葉を広げていた。


小さな公園。若いお母さんがひとり、赤ちゃんを抱いてあやしている。公園の外を行くことにした。いちょうが冬空にぽつぽつと冬芽を並べていた。


梅とは枝振りが違う、桜だろうか、と思いながら近づくと、十月桜と書いてあった。花は赤みがかっている。すでにだいぶ散っていた。ふつうだと真冬までは咲かないのかもしれない。花を見ていると春が遠くに感じられた。見ている花の向こうだけ空が青かった。


2020年1月25日

道の記


クサギのトンネルだった場所ではツワブキが綿毛を空に掲げていた。


お濠まわりは今日はのんびりしている人が多い。自転車を止めて横になっている人たち、自転車で数人で乗り付けて階段に腰掛けて話をする人たち、鳥に餌をやっている人。たんぽぽが一輪、歩道の電柱の下からそちらのほうへ、明るい花を差し向けていた。


ビルの谷間のヨウシュヤマゴボウはすっかり枯れていた。おそらく根は生きている。谷間を成す片方のビルは取り壊されるらしいが、どうあれヨウシュヤマゴボウはきっと、次の夏を目指しているにちがいない。


道の記


2つ信号の場所ではオニタビラコのロゼットがいくつも出ていた。1つは花茎の芽を用意していた。まわりにハコベの仲間の葉がちらほら出ていた。


花壇の脇になったイヌビワの幼木は、枝が切られたというか手でちぎられたように見えた。


スーパーマーケット跡地の空き地は陽に照らされて地面があたたかそうだった。この前たくさん花を咲かせていたヒロハホウキギクは綿毛を作っていた。アキノノゲシは花を1つ咲かせようとしていた。しゃがんで見ているとまわりの小さな草もいろいろ見えてきた。スズメノカタビラがもう穂を立てていた。ハハコグサらしき葉が地面から優しく立ちのぼっていた。


2020年1月23日

道の記


中心街の木々は、落葉し終えていない木も含めてそれぞれの冬姿だった。信号待ちで街路樹の植え枡をしゃがんで見た。フラサバソウやオランダミミナグサが春に向けて葉を茂らせていた。


ひさしぶりに通る広い公園は、あまり天気もよくなく暖かくもなかったけれど、こどもたちが遊び回っていた。しろはらが鳴き声を立てて飛び去っていくのが聞こえた。


道の記


春が来たからこの道を行くのではない。そう思っていても春を探している。


沿線の椿は咲いていた。つぼみをたくさん用意していた。となりではヨモギが茂り、そのなかでヤブランがいくらか実を残していた。工事はすぐ隣で続いているが、この場所がどうなるのかはまだわからなかった。


公園があった場所に立った。いま立っている場所は公園内にあたるはずだと高架橋の位置を見ながら思う。工事途上の道の横に積まれた土のうの下から、ミズヒキが出ていた。つぼみがあった。


以前ナガミヒナゲシが出ていたわずかばかりの土手では、コセンダングサが花を付けていた。


振り返ってもういちど、公園だったあたりを見た。むかしはここになかった踏切の音が響いていた。


2020年1月16日

道の記


よく通る道に沿って高いビルが建っているのだが、その中腹というか中程のところに、さざんかの木が植えられているのに気づいた。ぱらぱらと咲いている。咲いていたので気づけたのだろう。


空き地のアキノノゲシは綿毛が散った跡があった。ヒロハホウキギクはさらにたくさんの花を咲かせていた。


イヌビワの植木鉢があったお店の跡地の奥の駐車場が、舗装が剥がされて更地になっていた。その隅に出ていたイヌビワの幼木は見当たらなかった。


中心街へ出向くのをあきらめて進路を変えた。古い町中の小径。道が暗い。小公園のところだけ少し明るくなっていた。自転車が1台停まっていたが、誰もいないようだった。どこかのお家からなのだろう、何かのおいしそうな香りがした。


2020年1月11日

道の記


明るい日差し。閉まっているお店の前のノゲシはきょうは元気そうに咲いていた。


そのお店の近辺はけっこう草が多いと気づいた。ノボロギクの葉やたんぽぽのロゼットが出ている。となりのお店の前に出してあるベンチの下では、イノコヅチがやや色褪せながら短い丈で立っていた。


長い距離はしばらく歩けなさそう。生活をととのえながら、いくらか歩く暮らしをゆっくり取り戻していきたい。

2020年1月6日

道の記


クサギのトンネルだった場所はクサギがすっかり落葉していた。実を輪のようにして差し上げていたクサギも、わずかに実を残して冬姿をしていた。ふもとのツワブキは花をひとまず終えて綿毛を作っているところのようだった。


スーパーマーケット跡地の空き地はノボロギクが咲いていた。ヒロハホウキギクもたくさん花を咲かせている。丈の低いアキノノゲシがつぼみをたくさんつけていた※。いや咲かずに残しているのかもしれない。つぼみははっきりとした紫色を帯びていた。

※ このアキノノゲシの「つぼみ」は花が咲き終わった後の状態だったと思う。次の記事に注を書いている。
https://michinohata.blogspot.com/2020/03/blog-post_43.html


このごろ本をほとんど読んでいなかった。そのことをふと思い出して歩いていて、こうして歩く先々で草や木を見るのが、いまの自分にとっては本を読むのと同じことなのだ、本を読むように草や木からたくさんのことを学んでいるのだ、という気がした。


マンションの前の桜の植え込みにイヌビワの幼木が出ていたのだが、見当たらなくなっていた。抜かれたのでなければまた生えてくることだろう。


イヌビワの植木鉢がいたお店の跡地では、オニタビラコが高く伸びて花をいっぱい咲かせていた。その向こうの駐車場のイヌビワは、落葉を終えたようだった。


道の記


このごろところどころでバラの花を見かける。バラに詳しくないのだが季節なのだろうか。繁華街の路地を歩いていて、道沿いのお家の犬走りにホトケノザなどの草が出ていて、ああこういうところでも春の草がいきづいているのだなと思って、その先を行こうとするとバラが咲いていた。花は目の高さくらいのところで、路地の隅に路地の主が居るかのようだった。


切られてからかなり経つはずの街路樹の切り株の中心付近から、見慣れない葉が開いていた。この木の葉とは違うようだがと思いながら全体を見ていると、切り株のあちこちから同じ種類の葉が出ていた。喜んでいいのかどうかわからなくなった。


道を変えて歩いているうち、教えていただいた桑の木の方向へ行く道に出くわした。後日と考えていたが、せっかくなので行こうと考え直した。坂を上ると少し広い緑地。こどもさんがお父さんらしき人と緑地を出てきた。帰っていくようだった。


少し歩いて、たくさんの住宅に囲まれた桑の木の小さな場所に着く。桑の木は大きかった。何度か根元近くで切られたのか、幹が錯綜していたが、上ではほうき上に樹冠が広がり、どうどうとしていた。葉がかなり残っている。幹を見ているとすぐに頭にぱさっと葉が落ちてきた。あいさつしてくれたのだろう。


カンサイタンポポも咲いていた。イヌコウジュも花を開いていた。あたたかな年初め。



2020年1月4日

道の記


閉まっているお店の前のノゲシは変わらず元気にしていた。


ガザニアが一面に植えてある花壇の中から、水仙が花の茎をひとつだけ立てていた。


病み上がりというのか、歩いていてからだが安定しない。あまり人に近づきたくない。踏切待ちでも隅のほうで待った。エノコログサがいっぱいだった。緑の穂をたくさん立てていた。電車が通過し、穂がいっせいにめいめいに揺れた。


線路際の工事中の場所へ回った。足元に白い小さな花が見えた。しゃがんで見るとナズナだった。隣でオランダミミナグサも花を用意していた。もう唐実桜や梅や柿の木がいた頃とはすっかり景色が変わってしまったが、草たちは今年もそれぞれの暮らしを続けて継いでいくだろう。