道ゆく先々での、木々草々花々などさまざまの出会いとその後を、一筆箋に綴るつもりで。
From the Wayside: about my acquaintances of trees, flowers, weeds and others (written in Japanese)
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※ 現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)
2020年3月25日
道の記
スーパーマーケット跡地の空き地は草が抜かれたような跡があちこちにあった。アキノノゲシは枯れていた。ヒロハホウキギクも枯れていた。綿毛がいくらか残っていた。枯れてからも綿毛を空へ差し出していた。
斜面のヒメウズはつぼみをつけていた。その下に別のヒメウズが花を咲かせていた。
イヌビワの植木鉢のお店跡地はオランダミミナグサやキュウリグサやノゲシやオオキバナカタバミなど、いろいろな草が出てきている。隣の駐車場は建物が建ちつつある。お店跡地のほうに先に何か建つと思っていたが、しばらくは草たちが息づく場所でいられそうだ。
2020年3月2日
道の記
水路が埋められた歩道はスズメノカタビラがたくさん出ていた。キュウリグサのロゼットも。水路だった位置ではノゲシなどの草がまばらに出ていた。
その少し先で、ヒメムカシヨモギが傾げていた。茎や葉は緑で、他の場所で見る秋の草たちと同じく、冬を越したのだろう。花も綿毛もたくさんつけている。この春の景色がどう見えているだろう。
あそこの木蓮はどうだろう、いやさすがにまだ咲いていないだろうな、と思いながらそちらへと歩きかけて、昨年その木蓮が切られていたことを思い出した。そばのベンチに人が見えたので少し待って、あとから木蓮の様子を見に行った。木蓮の小さな切り株はスズメノカタビラに囲まれていた。動きはまだ見えなかった。
お家の塀を越えて唐実桜の枝が迫り出している。せっかくだからとここでもマスクを外して香りを嗅いだ。甘い香り。私がいくつかの場所で毎年見てきた唐実桜はみななくなってしまった。ここの唐実桜は遠い親戚だろうかと、よるべなく思った。満開の花が春の開始を告げていた。
2020年2月18日
道の記
建物の脇の、切られてその切り株に薬の注入痕があった小さなエノキはそれから芽を出さない。そのエノキの切り株のそばに、キュウリグサが出てきた。とても狭い地面に切り株と並んで、切り株に緑のいのちを添えるようにしている。
スーパーマーケット跡地の空き地に細い葉で少し丈がある草がたくさん出ていることに気づいた。あおあおしている。見ていて、昨年秋に切られたヒロハホウキギクだろうと思い至った。花を付けるほどには伸びなかったけれど、いまこうして復活して時を待っているのだろう。ずっと見てきているヒロハホウキギクは咲いている株もあったが、ひとつ、小さな株が枯れていた。この前は生きていたのだった。
そしてアキノノゲシのつぼみはさらに固く閉じているようだった※。
※ このアキノノゲシの「つぼみ」は花が咲き終わった後の状態だった。次の記事に注を書いている。
https://michinohata.blogspot.com/2020/03/blog-post_43.html
ラベル:
アキノノゲシ,
エノキ,
キュウリグサ,
スーパーマーケット跡地,
ヒロハホウキギク
2019年4月16日
道の記
公園へ続く歩道の脇を通っている浅い水路が、アスファルトで埋められていた。ふだんは水が無く、たしかカヤツリグサの仲間などがいた。歩道ではマンテマやキュウリグサの花がいつもの春のとおりに咲いていた。
公園のベンチに掛けて茫然と広場の木々を眺めていた。桜が、いくらか残った花を風に落とし続けていた。自分にいま夢があるだろうかと考えながら、ふと、いま世話をしている幼い木々が大きくなった姿は見てみたいと思った。見られるのならば。意識なく軽く指だけ組んでいた手の中に、後ろから葉っぱが落ちてきた。
2019年3月22日
道の記
アレチノギクが毎年出ていた道の脇のすぐとなりが駐車場だったのだが、そこに何か建つ様子だった。道も舗装し直されていて、アレチノギクが出てきそうな隙間はなくなっていた。敷地の隅でキュウリグサが1株、花を付けていた。
人が造ったものがすべて解体された跡地の隅に立っている草を歩道からしゃがんで見ていて、角を曲がってこられた方から、暑いですねと声を掛けられた。暑いですねとお返事した。おっしゃりたかった意味はきっと別だったのだろうけれど、どちらのほうだったかはもうわからない。
ひさしぶりに立ち寄った公園では陽光桜が咲いていた。元気をなくしていた枝垂桜は、花芽はなさそうだったが葉の芽が動き始めていた。そのそばで、おかあさんが草を摘むこどもさんを見守っていた。
交差点のコブシは花をそろそろ終えそうだった。街の人の様子はようやく春らしくなってきた感じで、コブシはその少し先を生きているようだった。
2019年2月5日
道の記
15年前にその土地を訪ねたときにたまたま見かけた大きな木を、その土地をあらためて訪ねる機会にできればまた訪ねたいと思っていた。時間を作って行くことにした。坂を下ったところにその木が見えるはずだが見えなかった。あたりを歩いて回ったが見つけられず、その木がいたはずの道を歩いていると、千年銀杏の碑と、大きな切り株があった。切り株は朽ちて白くなっていた。ひこばえが出た跡があった。まわりをナズナやホトケノザやキュウリグサなどの花が囲んでいた。
当時、こんなところにすみれが生えているのか、どこから種子が来たのだろう、と思っていた場所も訪ねてみた。すみれが咲いていた。15年のあいだに代替わりしたのだろうけれど、ずっとそこに生きていたようでもあった。そっと触れて立ち去った。空が青かった。
このあたりの小道に緑が豊かだった記憶があったが、その道へ入っていく入口がわからなかった。しばらく歩いていると、古いお家のトタンの壁が見えた。直観的にここだと思って入っていくと、あのときに見た辻に出た。少し放置加減なお家の緑が小道をなつかしく彩っていた。
その先には大きなサボテンがいた。駐車場の守護をしているようだった。横でサボテンより少し高く育った木が赤い実をたくさんつけていた。
むかし、ここで人を待ったことがあった。木々に囲まれていた記憶があったのだが、囲まれているというわけではなく、正面に大きな木々がいるのだった。その木の向こうの芝生の広場から、オカリナの音が聞こえてきた。吹いておられる曲は緑が豊かに出てくるアニメーションの主題歌だった。むかしのことがどうこうでなく、このごろがどうこうでもなく、いまのしあわせをだいじにしたらいい、と自分に思った。
2018年11月29日
道の記
線路を挟んで向かい合っている上りホームと下りホームに分かれて、鳩が路面をつつきながら下り方向へ歩いていた。道は果てしなく続くようだった。
ひさしぶりに訪ねる街の初めて訪ねる公園は大きな池だった。中の島に1本のアオギリが生えていた。一度幹の途中で切られた様子があり、そこから枝が放射状に出ていた。足元にはキュウリグサが同じように放射状のロゼットを作って春待ちをしていた。
その池のまわりの土手を歩いていて、水際に茂っているランタナを上からのぞいて見ようとしたら、ひぴいっと言ってその下からカワセミが飛び出した。ランタナの下にもう1羽いるようで、しばらくその2羽で鳴き交わしていた。申し訳ないのでその場を離れた。そのもう1羽がランタナの下に居続けているのが見えた。
ナガミヒナゲシとトウバナが共存していたお家の裏手の小さな空地はどうやら車の駐車スペースだったようだ。いまは車のそばにチドメグサの仲間の草が生えていた。
2018年10月30日
2018年5月21日
道の記
公園の入り口にハハコグサが咲いて並んでいた。
電柱ねこじゃらしは早くも穂をのぞかせていた。
タイル舗装の隙間から、となりのツメクサとあまり変わらないくらいの丈で、キュウリグサが短く伸びていた。1度刈られたのかもしれない。その少し先で、そのキュウリグサより少しだけ高いほどの丈のヒメジョオンが花を咲かせていた。
大きな飲食店の建物が解体工事を受けている。手前の植え込みでサツキが咲いていた。植え込みはもっとにぎやかだったはずで、そのサツキは植え込みに残されるのかもしれないと思った。敷地の横が見える位置まで来ると、その植え込みも壊されている途中だった。
2018年4月10日
2017年2月18日
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