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現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)

2018年10月31日

道の記


山里へ向かうバスから見える山も空も美しかった。道沿いのポケットパークに桜が5本並んでいる。紅葉していた。その桜の上に、底が平らな雲が山のほうからこちらへと並んでいた。


きょうはいつもより切なくならないでいると思っていたが、遠くの山を見ていると切なくなってきた。自分は誰を探しているのだろう。


棚田が見える直売所はみなさん変わらずお元気だった。先週刈り取ったとおっしゃる稲が棚田の下のほうに干されていた。清掃の寄り合いから降りてこられた方々が新米の銘柄を尋ねておられた。


林に囲まれた広場の樺の木も元気だった。来たときには山のほうにだけ陽が当たっていた。降りる頃には空はうすむらさきになって、樺の木やそのまわりの木々やその奥の深い林といっしょになって、暮れ色を見せてくれていた。


帰り道には火星が見えていた。バスを待つ間、夏の大三角やそのあたりの星々を眺めた。イリジウム衛星だと思う明るい人工衛星が、ヴェガのそばをすっと通って消えていった。

2018年10月30日

道の記


小さな川の河原にはオギのように見える白穂や高い草が立ち並んでいた。その1か所が赤かった。どうもケイトウがそこだけで咲いているようだった。こどもたちが自転車で川の向こうからやってきた。


何年ぶりかでこの街のこの道を歩く。そういえばここにガザニアが咲いていた、と、咲いているガザニアを見て思い出す。建物も空き地もあまり大きく変わっていないようで、以前歩いていた頃と同じように歩くことができた。


いちょうがとりたいの、おかあさん、と、男の子がいちょうの木の下でわざと甘えた感じの声をあげていた。男の子が走り去った後、そのいちょうの木を見上げた。実を取りたいのかと思っていたが、実は見当たらなかった。いちょうは色づき始めていた。

道の記


駅の旧出口の解体が進んで、以前キュウリグサなどが出ていた花壇が取り壊されていた。キカラスウリのつるが少しだけ鉄柱に絡まっているのが見えた。

2018年10月27日

道の記


カラスが空の駐車場に集まっていた。そこで食事をしている様子。何を食べているか見えなかったが、少しぎんなんの香りがした。道の対岸に渡ると、ぎんなんの香りが強くした。スダジイの実がたくさん路面に散らばっていた。


ランタナ電柱のねこじゃらしと新しく芽を出し始めていたランタナはどちらも姿がなくなっていた。


けっきょく、人間とは生えてくる草をなくすだけのための存在なのかもしれない、と悲観的なことを思いながら、植え込みにたくさん生えているコメヒシバの穂を1本、手に取った。すでに実が実って散ってもいる。軸をさすって、ああたしかにコメヒシバだと指先で思った。こうしていることが人間として何であるのか私は知らない。知らないままでじゅうぶんしあわせだ。


植え込みの木はクロガネモチだった。離れて見ると、小さな世界の傘のようだった。


2018年10月26日

道の記


夕刊を配達する方のバイクの後をホタルガがついていった。


空き地のまんなかあたりのセイタカアワダチソウの花のところだけ陽が当たっていた。


ホタルガが歩道に伏せていた。踏まれた様子がある。近くの土の上に移そうと思って取り上げたが、近くに土が見当たらない。少し歩いて、ふつう私有地には虫を置いたりしないのだが、教会の敷地の隅の植え込みの土にホタルガを安置した。ホタルガにも救いを与えてあげてほしい。

2018年10月24日

道の記


すっかり日が暮れた。東の空に大きな月が昇っていた。大きな道から小さな道へ入り、たしかこの角の右はお家の大きな木が道へ迫り出している場所だと思いながらその角に差し掛かった。右を見ると、大きな月が大きな木を影にしていた。そこだけ別の時代の景色のようだった。


2018年10月23日

道の記


まもなく閉店と伝えられている少し変わった形の食事の店。自分は前を通るだけだったが、この場所のちょっとした特徴のように感じていた。2階入口へ昇る階段のふもとに、ヒメクグが少し大きめに茂っていた。帰りに通ったときには駐車場がいっぱいになっていた。


青空にそびえるイチョウを見て、ああそう言えばこの美術館が市に移管されてからきょう初めて訪ねるのだったと気付いた。前の美術館が閉じられたあの日もこのイチョウを見たのだった。イチョウの上の空が奇跡のように晴れたのだった。

(そのときには、奇跡でなくふつうのことのようだったと書いていた。)

その美術館の館内から裏手の丘が見える。木々が茂って散策コースになっている。その丘の上で、こどもさんと大人の方々が何か下のほうをのぞき込んでいるのがこちらから見えた。木の実を拾っている様子にも見えた。この景色が変わらず残っていることがありがたかった。


***

コスモスの道へ出る小さな坂で、以前訪ねていたお家の方とたまたま出会った。手仕事をなさる方で、その展示を拝見しに毎年のようにお訪ねしていたのだった。すぐわかったとおっしゃってくださった。お元気そうでなによりだった。すぐ上でコスモスがいつものように陽を浴びて咲いていた。


この夏、浸水した様子がテレビに映し出された公園。たくさんのこどもたちが遊んでいた。川では何か生き物を探している親子連れの方々も見かけた。芝生広場に出ると、向こうの連山の上に、上がってきたばかりの十三夜の月が雲の遠い仲間のように空に浮かんでいた。


***


その道の先では、川に小さな橋が掛かっている。だいぶ前にその橋の上で、欄干に腰掛けてゆっくりしておられたお歳の方と出会った。むかしの大水の話をゆっくりとしてくださった。その橋が遠くに見えた。その方の優しいお姿が橋の景色に重なって見えた。夕日はその先の山々を照らしていた。

2018年10月20日

道の記


クサギのトンネルだった場所では、木や草が伐られてなくなった斜面から少しずつ芽が出始めていた。ツワブキの葉が多かった。


林に囲まれていた旧家の跡地は全面何メートルぐらいか深く掘り下げてあった。もう猫も烏もいない。隣の敷地ではセイタカアワダチソウが1本、その跡地のほうへ傾げて咲いていた。



道の記


柿の木や唐実桜が植えてあった線路際の小さな緑地跡の真向かいのお家に柿の木があったのを先日見た。柿の木の緑地ではもっと以前にどなたかお近くの方のように見える方が手入れをしておられて、きっとその方のお宅なのだとひらめいたのだった。しかしそのお家は何か工事を始める様子に見えた。きょう通ったら、駐車場になっていた。一面アスファルトが敷かれていた。柿の木の緑地跡はすでに掘削されて鋼板が入れてあった。

2018年10月15日

道の記(五ヶ山・小川内)


五ヶ山・小川内を訪ねた。試験湛水中の五ケ山ダムの水位はこの夏に常時満水位に達していて、それ以降初めて訪ねた。

東小河内の桜は上部の数メートルを残して水没していた。水面上に残っている枝は遠目にはほのかに紅色に見えたが、双眼鏡では冬枯れのような白さにも見えた。隣のモッコクは梢の小枝が水面上に出ているだけだった。モッコクの小枝は上を向くと聞いているが、ちょうどそのようにたくさんの細かな枝がまっすぐに上を指していた。

小川内の側の、もともと小川内の杉がいた神社境内まわりだと思われるあたりで、杉の梢が湖面の上に残っていた。いちばん高さがあった木だろう。赤色をしていた。また、東小河内のより上流のほうの湖面に、あざやかな緑色の木の梢が見えた。若い木のように見えた。そして湖岸近くの下部が水没した木々は、ことごとく葉が落ち、もしくは変色していた。

ダムの試験湛水はまだ途中で、水位はこれからさらに数メートル上昇するらしい。

移設された小川内の杉は大過なく過ごしているようだった。短い間だけしかいなかったのでこの日全体のことはわからないが、訪れる人はまばらだった。

水面上にわずかだけ見えている桜は、冷たく眠っているようにも見えた。この眠りを来年覚ますのかどうか、いま私にはわからない。


道の記


ランタナ電柱のふもとに出てきたねこじゃらしは1株に穂を7つ付けていた。それから、ランタナが復活を始めたようで、枯れた小さな切り株の根元から新しい葉が出ていた。


小さな川を見下ろす道の端に、フジバカマの仲間の花が咲いていた。そこへアサギマダラがやってきた。2匹いる。近くへ寄っていったら、2匹とも去っていった。取り残されてそのフジバカマの仲間の花をひとり見た。花にも悪いことをした。

2018年10月13日

道の記


交差点の辛夷の実が赤くなっていた。しばらく前に元のように復帰したお地蔵さんは、今日ははっきりとした色合いに装っておられた。


ツクシオオガヤツリは秋に入ってからも新しく穂を付けていたようだ。まだ緑色が見える。だいぶ傾いた日差しに、そのいくらかが照らされていた。岸に立つ方々は鳥をご覧になっているようだった。


道の記


クサギのトンネルだった場所の舗道の上にクサギの花を一輪見つけた。すでに乾いているようだったが、咲いていた。


道の記


古木の金木犀が今年も花を咲かせたが、きょうはもう香りがしなくなっていた。おつかれさまと声を掛けた。花の時が過ぎていくのを感じながら、少し離れたところの柊木犀に近づくと、こちらは花が開き始めたところだった。香りはどうだろう、と、自分の鼻を花に近づけながら木の周りをぐるりと回った。香りはまだみたいだと思ったとき、ふわっと、鼻の中に甘い香りがした。


こどもさんを周りに従えた街角のクスノキの、そのこどもさんの周りで、イモカタバミがたくさん花を咲かせていた。


道の記


きのう見た田んぼはコスモスがたくさん生えていた。きのうは一輪二輪しか咲いていなかったけれども、あ、咲いている、と思った。きょう通ったらその三倍くらい咲いていた。田んぼの端ではハナイバナがたくさん咲いていた。

すでに一度刈られた稲がたくさん穂を実らせていた。空が深く青かった。


道の記


今日は、みみず、種類を知らない芋虫、小さなカメムシのような虫、こおろぎ、そして小さな哺乳類の動物を舗道の上から土の上に移した。生きていたのはそのうちの半数ほどだった。


切り開かれた大クスノキ林では、ボタンクサギの花がまた咲いていた。そのうちの1つの株が高く伸び上がっていた。その向こう、掘削された丘の手前に、複葉のように見える幼木と、フヨウのような葉をした幼木が伸びていた。工事はあれからあまり進んでいないように見えた。そのあいだに土地が林に戻ろうとしているようだった。


カンナは倒れたまま咲いていた。


少し前に、クサギのトンネルのクサギが伐採されてなくなっていたのをバスの車窓から見た。そこを歩いた。斜面に伐り株がぽつんぽつんと見えていた。台風が来ていたのに、切り落とされたクサギの枝が歩道の隅に残っていた。


2018年10月7日

ブログ開設1周年を迎えました

このブログを開設して1年経ちました。読んでくださってありがとうございます。

道の草や木やさまざまな物々とこのように関わっている者もいるのだと思っていただけましたらしあわせです。また、道の草や木やさまざまな物々がこのように「暮らして」いることを知っていただけましたら本望です。

海外でこのブログを読んでいる方々もいらっしゃるようで、とてもありがたいことです。海外の方々の多くはおそらく自動翻訳をご使用になられていることと思います。自動翻訳を使用した場合、主語が変わってしまったり(たとえば私が木になったり)、形容詞が他の名詞に係ってしまったり、同一の固有名詞が異なって訳されたりする現象が起きるようです。もともとの日本語文とは意味が変わっている可能性があることをご理解ください。

もうしばらく「道の記」を書いていきたいと思っています。ときどき読んでいただけたらうれしく思います。


※ あろうことか、開設年を勘違いして、「2周年」と書いていました。正しくは1周年です。お詫びして訂正します。なお、1年以上前の日付がある投稿は、ツイッターで書いていたものを遡ってここに投稿し直したものです。2018年10月8日

道の記


たまにしか通らない道に面した駐車場の柿の木。以前にだいぶ強い剪定を受けたが、葉が茂って木の形が戻ってきた。夏をもういちど振り返っているかのような空に、その緑をいのちの旗印のようにして立っていた。


道の記


排水溝にジュズダマが生えていた場所はその一帯の工事であとかたもなくなっていた。


マンションショールームになったアキノノゲシの空き地の場所に差し掛かった。やはり目でアキノノゲシを探してしまう。どこの隅にもまったく見当たらなかった。道路際でアキノエノコログサが少し小さめの姿で穂を垂れていた。


山のふもと側から山を越していく雲を見た。この暑さを目のあたりにした気がした。


道の記


小さな道路の白線の上で、イチモンジセセリ(蝶)が2羽とまって寄り合っていた。近くで見ていたら車がやってきて、私が立ち退いてもその場を徐行して通っていった。イチモンジセセリに、車に気をつけてと言って私もその場を立ち去った。

帰りに通ったときにはイチモンジセセリはいなくなっていたので、だいじょうぶだったのだろう。


オヒシバの出ていた道路脇にオヒシバが復活してしばらく経った。そのそばにも電柱があるので、オヒシバ電柱と呼ぶのがよいかもしれないと思い始めた。近くにイヌマキの実が落ちていた。


倒れて横たえられたままになっているチャンチンの幹周りを、イノコヅチが囲んでいた。そのチャンチンがいた植え枡にはいまは彼岸花が咲いていた。彼岸花は花の盛りを過ぎた様子だった。地面からたくさんの小さな葉が芽生えていた。となりで、買い物途中らしきご婦人方が楽しそうな話をなさっていた。


2018年10月6日

道の記


何にも使われていない土地がたくさんある場所を歩いた。多くの区画では芝が植えられていたが、木が生い茂っている区画もあった。セイバンモロコシやタチスズメノヒエなど背の高い草が優占している区画もあった。その隅で、けっこう高いアキノノゲシが1株、ぽつんと花を咲かせていた。


高架橋の下ががらんとした砂場のようになっていて、ジャングルジムのような遊具と、鉄棒とがぽつんとあった。そことは違うところから、少し大人びたこどもさんの声がしていた。通勤電車が高架橋の下をくぐって走り去っていった。


団地の裏が、どこまで続いているか見えない長い直線の遊歩道になっていた。緑はいくらか放置気味に見えた。ここを選んで通っている感じの人とときどきすれ違った。この町ではほかにあまり見ないコゴメガヤツリがこの道の時の深さを証していた。


広い公園。さっき遠くをどなたかが歩いていったきり、誰も人がいなくなった。いろいろな木々が高くそびえて茂る中で、モミジバスズカケノキがどれも伐られていた。そのかわり、ひこばえがよく伸びて株立ちになっていた。この形で生きていくように命じられたように見えた。命じたほうの思いもあったことだろう。モミジバスズカケノキもほかの木々たちと同じく元気に午後の陽を浴びていた。もう1人どなたか公園にやってきた。


道の記


教えていただいた崖の階段を下りると、大きなクスノキが斜面にたくさんそびえていた。その向こうにマンションのような建物が見える。林を残しながら建てたもののようだ。歩き去りながら見ているとその一帯はだんだんと小さな山の姿に変わっていった。


つくつくぼうしの声がした。ああまだつくつくぼうしがいたんだ、どこだろう、と見上げて探したら、グラウンドのネットにとまっていた。私に気付いて一度鳴き止んだが、止めている暇はないと思ったか、すぐにまた鳴き始めた。ひととおり鳴き終えると、さっと向こうの木のほうへ飛んでいった。


さっきの公園は子どもとお母さんが遊んでいたが、こんどの公園は人が誰もいない。こちらのほうが草が茂っている。チチコグサ、イヌクグ、少し落ち着いた感じの草景色。スズメノヒエを見つけた。ああここにいたのか、と思った。つやつやした小穂が並んでいた。ここの草たちがこれからも変わらずに暮らしていってほしいと思った。


帰りにもその公園の横を通った。公園の横は花壇だった。マリーゴールドの花があざやかに並んでいた。