道ゆく先々での、木々草々花々などさまざまの出会いとその後を、一筆箋に綴るつもりで。
From the Wayside: about my acquaintances of trees, flowers, weeds and others (written in Japanese)
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※ 現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)
2020年9月13日
道の記
マンション建設予定地の桜の切り株はひこばえを出していた。
お店の前の植え込みにいろいろなマスコットが置いてあるのだが、きょうは幟の重しの上にキャラクターの小さなぬいぐるみが置かれていた。落とし物をそうして置いてあるようだった。
丁字路のエノコログサはなくなっていた。
草刈りに遭ったキツネノマゴは花を咲かせていた。
細い道の端を下校中のこどもたちが大声を上げながら通って行く。その手前の駐車場の塀沿いにセイタカアワダチソウが立ち並んでいる。どの茎も頂があおあおしていた。
2020年8月28日
道の記
ひこばえが出ている桜の切り株の一帯が草刈りされていた。ひこばえは残されていた。今回はかろうじて残ったというより、残された、という感じがただよっていた。切り株の空洞に出ているくすのきの幼木も切られずにいた。
マンションの看板が立てられている桜の切り株の敷地では、切り株の上にパイロンコーンが載せられていた。
丁字路のねこじゃらしには穂が4つついていた。行き交う人と車とをここでずっと見送っているのだと思った。
2020年8月15日
道の記
丁字路には1本だけエノコログサが立っていた。
すみれのプランターの並びの、以前はたしかすみれが出ていなかったのではと思うプランターにすみれが出ていた。花が咲いた跡があった。
少しやせている感じの猫が、飲食店の前のほうからやってきた。餌がほしかったのだろうかと思って通り過ぎながら様子を見ていたら、お店の前の砂利敷に座り込もうとしていた。
枯れていた桜の木が伐られて切り株が残っていた。公園には誰もいず、街灯が切り株をとてもしずかに照らしていた。
満開だったオニタビラコが枯れた場所で、オニタビラコが少し花をつけていた。満開だったオニタビラコの位置なのかどうかは暗くてわからなかった。
2020年7月29日
道の記
丁字路は草が抜かれたようで、おそらくエノコログサだと思う小さな葉と、まだよくわからない小さな葉とが出ていた。
キツネノマゴも抜かれたようだった。人目にもつかない位置の草をわざわざ抜く意味は、抜く人の人生のなかでいったいどういうものなのだろう。
ヤナギバルイラソウの花が一輪、排水溝の網にさかさに引っ掛かっていた。
芋虫が路側の暗渠の穴のそばをうろうろしていた。手に乗せて、何か食べ物になりそうな草がある場所を探した。見つからなかった。もとの場所近くに戻した。
塀の下ではエノキグサが、大きく育ちつつあった。
2020年7月10日
道の記
丁字路はねこじゃらしが2本、穂を立てていた。もう1か所草が出ているがそちらは種類がまだわからない。
すみれのプランターのすみれは成長していなかった。
大きなみみずを、もう動いていなかったけれど、林のなかに逃がした。
このマンションの前の歩道の縁石に、すみれが以前たくさん出ていた。その後草取りに遭ったりしていたが、たぶん出ているだろうと思って通った。たくさんの株が縁石の車道側に立ち並んでいた。これだけ多ければツマグロヒョウモンの幼虫もいそうだと思ったが、わずかに食害があったほかにはそのような痕跡はわからなかった。
アリを連れてきてしまったので、そのアリをビニール袋に入れてとって返した。公園のベンチのところでアリを放した。もう暗くてあたりはよくわからなかった。
2020年6月18日
道の記
売り地の桐の木は背丈をはるかに超える高さになっていた。近くに寄ると葉もとても大きい。あまりの成長ぶりに、私のことを覚えているだろうかという気持ちになった。
丁字路は小さな草が3株出ていた。
すみれのプランターに再度出てきたすみれは、前に見たときから成長していないように見えた。乾燥をやり過ごそうとしているのだろうか。
電柱ランタナのランタナが出てこなくなってしばらく経つ。その場所から少し離れた所の道沿いに、かなり大きく育ったランタナがいた。このランタナが親だったのだろうか。こちらのランタナはのびのびとしていて、花をたくさん咲かせていた。
2020年5月22日
2020年3月23日
道の記
売り地の桐の木は葉を落としてそのままだった。芽が出ていた。
丁字路はチチコグサモドキがなくなっていた。根元の苔がめくれていて、おそらく抜かれたのだろう。隣のスズメノカタビラも抜かれかけた様子がある。苔をもとの隙間に埋めた。
ナガミヒナゲシは小さな花を咲かせていた。咲きそうにしていたつぼみはまだ開いていなかった。
コブシの小公園ではきょうはコブシの下で犬を連れた方が犬を遊ばせているようだった。遠くから、コブシの花が残っているのが見えた。
2020年3月16日
道の記
ホウキギクが出ていた丁字路の角、1本ぽつんと伸びていたチチコグサモドキの横に、スズメノカタビラの穂が出てきていた。
建物の裏側で生け垣のようにいろいろな植物が植えてある場所。何桜かわからないけれど細い幹で何本も立ち、紅色の花が満開になっていた。若い方がひとり、スマートフォンらしき物を花に向けてじっと立ち止まっておられた。
教会入口の植え込みでクリスマスローズが、少しうつむき加減に咲いていた。
2020年3月2日
道の記
こどもたちの歌声が聞こえてきた。電子オルガンのような音に合わせて、私が知らない童謡のような歌を大きく歌いあげている。春の声だと思った。
ナガミヒナゲシのロゼットが出ているな、と思いながら歩いていて、その先で今度は大きく育ったナガミヒナゲシがつぼみをつけているのを見つけた。まだ花の茎は伸びていず、つぼみは自分の細かな毛にうずまるようにして時を待っている様子だった。
ホウキギクの三叉路にはチチコグサモドキが1株出ていた。ひょろ長く伸びて、すでに花をつけていた。そばには丈の低い緑がぽつぽつ出ていたが、伸び上がっているのはチチコグサモドキだけだった。茎にそっと触れて、信号を渡った。
2019年10月26日
道の記
ホウキギクとねこじゃらしの丁字路は緑が無くなったわけではなく、苔が生えている。緑が無くなったと書いたのは不覚だった。
旧すみれのプランターにこの前は小さな靴が片方置いてあったのだが、靴はそのままで、その横に今度はカボチャのお化けのヘアピンが添えられていた。
スダジイの実が路面にたくさん落ちている。去年はここで、実を拾っている方に出会った。今年も会えるだろうか。そのときまでに自分も少し拾っていようか。
2019年10月18日
道の記
以前ホウキギクが出ていて今年はねこじゃらしが出ていた丁字路の角。ねこじゃらしの穂が2つになっていたのを先日見た。まだ出来たばかりの穂も1つ見えていた。そのねこじゃらしが、無くなっていた。その角に緑は無くなった。
すみれがいなくなったプランターの縁に、小さな靴が片方、置いてあった。
弾き語りの方のギターの音が向こうの大きなけやきの色づき始めた樹冠とあいまって秋の景色だった。ベビーカーのこどもさんを連れた若い方々が少し離れた所から拍手を送っていた。
2019年9月28日
道の記
以前ホウキギクが出ていた丁字路の角。今年はねこじゃらしが穂を小さく立てていた。
元すみれのプランターの近くで生き延びたキツネノマゴは花の穂をずいぶん大きく伸ばした。種子をたくさん作れただろう。
その近くで、胴があざやかな緑色のとんぼが路面にいた。尾が丸まっていたが、拾い上げると弱く動き始めた。どこか涼しい場所に移したいと思い、とんぼを手に持って歩いた。
公園の水辺は台風の後片付けでたくさんの職員の方が落葉回収作業をしていた。とんぼをそのあたりに置くわけにはいかないと思った。けっきょく、いちばん扱われなさそうな花壇にとんぼを据え置いた。とんぼはどう思ったかわからないが、ゆっくりと尾を動かしていた。
やま、と、近くの幼稚園の子らしきこどもさんがぽつんと言った。お母さんが、「坂」ね、と言って、こどもさんと坂道を登っていった。こどもさんはきっと、どこかの山の道を歩いたのだろう。とてもいい覚え方をしたのだと思った。坂を「やま」と思っていたことを、おとなになったいつか思い出してほしい、そんな気がふっとした。
その短い坂道のすぐ上に大きなケヤキとクスノキが立っていることを、書いているいま思い出した。
2019年2月23日
2018年12月31日
2018年5月5日
道の記
道端の土に差した木の小枝はもうわからなくなっていた。
もう開いていないお店の前のプランターにいろいろな草が出ていたのが、プランターもなくなった。その位置に、なごりのようにノゲシが育っていた。
丁字路のホウキギクは草取りに遭っていた。まわりの草も高い草はなくなっていて、短い丈の草だけが目こぼしされたように残っていた。ホウキギクはおそらく地下では生きているだろうと思うが、すぐに葉が出てくるのかわからない。秋はまだ遠い。
2018年4月23日
道の記
イヌノフグリがいる場所をいくつか訪ねてまわった。うち1か所の道端では花が咲いていた。他の各所で見るイヌノフグリはもう花の季節が終わりかけている様子だったので、花が見られてうれしかった。
別の場所のイヌノフグリは、昨年この時期は桜蕊に埋もれていたのだったが、今年は草取りが入ったようだった。ひっくり返された土の上に桜蕊が積もっていた。屈んでよく見てみると、ほぼ枯れきった短い草の茎が1本あった。手に取って見るとイヌノフグリの茎だった。種子が入っているさやが割れていた。枯れる前に種子を撒くことができたのだろう。
丁字路のホウキギクは花が咲いていた。それも2つ。冬を越すことができたのだ。強い日差しが、まわりの若い草ともども、ホウキギクを照らし返していた。
2018年4月18日
道の記
若い草が出て来ている丁字路の角に、茶色の小さな茎が見えた。近寄って見ると、ホウキギクが枯れているのだった。そういえば去年の秋にここでホウキギクを見た覚えがある。よく見ると、綿毛や綿毛を放った跡のほかに、花弁が白いまま縮まった花があった。冬のたびたび寒かった頃に最後の力で咲いていたのだろうか。いま、春の草に並んで花のままでいる。
そのホウキギクのことを思いながらまたその丁字路に来た。ホウキギクの茎を手に取ると、しなやかだった。生きているかもしれない。そう思ってあらためて見ると、茶色の茎の一端が小さな芽を宿しているようにも見えてきた。また来て見てみようと思う。
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