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現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)
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2020年10月9日

道の記


緑に囲まれた喫茶店はなくなったのだった。それを忘れてこの道に入った。喫茶店の場所もよく覚えていなかった。ここではないかと思う場所は駐車場だったが、しかし舗装が少し古い。奥のほうでヒメムカシヨモギらしき草が1本、高く伸びていた。
 

すみれのプランターに復活したすみれは、つぼみと花のあとがあった。ガザニアやなでしこの仲間かと思う花やハハコグサの園芸種みたいな草(シロタエギク?)やメヒシバに囲まれていた。
 

覚えられないくらいいろいろな種類の草が生えている。文字どおり建物の裏道で歩く人もほとんどいない。何年か後にはこの一帯も工事が入るだろう。ここに生えている草たちがその工事を体験するかどうかはわからないが、草たちはいまこのときをにぎやかに生きていた。
 

2020 10/9
喫茶店 ヒメムカシヨモギ すみれのプランター スミレ ガザニア シロタエギク メヒシバ ナデシコ

2020年7月27日

道の記


街中の公園でおとなさんとこどもさんと集まってけん玉を楽しんでいた。公園の端でアレチノギクが大きく育っていた。


スズメノコビエだと思う草が生えていた一帯は芝生に変わった。残された木のふもとに以前からの草が出てくるかもしれない。


街路樹ケヤキのふもとのエノキは元気だった。高い草に囲まれていた。


公園の撤去工事の最中だった。以前はオフィス街の森のような場所だった。端に大きないちょうの木が残されていた。公園の札が隣り合っていた。


くすのきのポケットパークは以前はくすのきのこどもたちがたくさん出ていたが、すっかり花壇になっていた。保育園の札が小さく立っていた。パンジーやナデシコや、紫蘇やなすのような葉も見えた。


2019年9月10日

道の記


すみれのプランターが植え替えられていた。近くにはキツネノマゴもプランター内に出ていたのだが、一斉に植え替えられたようだ。ガザニア、なでしこの仲間のような花、まだ緑だけの花。すみれはまったく見つけられなかった。

その近くに1株だけキツネノマゴが生えている。この場所で生き残ったのはこの株だけになったかもしれない。花が咲いていた。このキツネノマゴがひとりになったことは、キツネノマゴには知られないほうがいいと思った。しかしわかっているかもしれなかった。


ナガミヒナゲシやノミノツヅリが出ていた信号のふもとも、草が無くなっていた。ここも花のプランターが新しく並んでいた。



ヤナギハナガサが出ていたお店の跡地の横を通った。もう草も花もいない敷地をもういちど目にして、どこに向かってでもなく声を上げた。


2019年5月31日

道の記


昨日歩いた道をまた歩く。交差点の向こうの角にカラムシなどの草が茂っていて、そちらへ渡ろうかと思ったが、信号が点いているほうを渡った。正面ではコンクリート擁壁の高い位置から、イヌビワの幼木が待っていたかのように迫り出していた。


この方向へ行くと近道ではないかと、小さな路地に入った。どこへ出るか出ないか歩いてみないとわからない。道はくねってさらに狭くなった。古い煉瓦塀のあいだを歩いていくと、中庭のありそうな大きなお宅の門構えがあり、その脇にナデシコの仲間の花がずらりと並んでいた。道はほどなく知っている場所へ出そうだった。


だいぶ前に訪ねた、小さな川のほとりに立ち寄った。そこは大きなセンダンの木がいたのだが、川岸を歩道にする工事で伐採されたのだった。前に訪ねたときにその向かいのお店に寄って、センダンの話を伺った。お店には在りし日のセンダンの姿が飾られていた。そのお店は閉じられているようだった。川岸の歩道の柵に、センダンの写真札が前の時と変わらず掛けてあった。


2016年11月12日

道の記(五ヶ山・小川内 新聞を読んで)


五ケ山ダム 元住民ら、水没前に見学|佐賀新聞LiVE http://www.saga-s.co.jp/news/saga/10105/375947 … を読んだ。11月3日のときのことだろうか。

11月3日のとき、ダムサイト(というのか)から、旧倉谷のあたりのコンクリートが広く敷き詰められた場所にバスが長く停まっているのが見えた。記事の写真はその場所で撮られたもののように見える。

まだ小川内を通ることができていた頃、もう家が無くなった敷地の石垣まわりに、なでしこのような花が咲いていた。お家で育てておられた花の名残りなのだろうと思った。その後立入禁止になってから、草が刈られたり木が切られたり土が掘り返されたりしていた。いまもあの花はいるだろうか。

九千部山に歩いて登ったことがまだ1度しかない。その1度が倉谷からだった。何十年前だろう。佐賀橋までバスで行き、倉谷を通って行った。祖父と一緒だった。祖父に山登りを教えてもらい、やがて祖父とは別に自分の行きたい山に行くようになったが、いま思えばもっと祖父と一緒に山に行きたかった。


祖父があのダムの光景を見たらなんと思っただろう。怒るよりは泣く人だった。

見に行くことはしなかったかもしれない。