道ゆく先々での、木々草々花々などさまざまの出会いとその後を、一筆箋に綴るつもりで。
From the Wayside: about my acquaintances of trees, flowers, weeds and others (written in Japanese)
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2019年11月6日
道の記
幹が枯れた桜はひこばえをいくつか出していた。まわりの桜はあざやかに色づいていたが、ひこばえはやっと伸び出した様子で、あおあおしていた。
道端で御高齢の方が立ち止まって、何か草を手に取っている。それを手折って去って行く。その場所に通りかかる。アレチハナガサの茎の上のほうが無くなっていた。その方の手にはきっと花があるのだろう。
畑だった場所が幼稚園のようなものになるようだ。重機が整地に入っていた。ここではトゲミノキツネノボタンがよく咲いていた。わずかに草が残っている敷地の端で、それらしき葉が地面を覆っていた。ホトケノザがぴょんと伸びて花を咲かせていた。
***
帰りに振り返ると、山はあざやかに陽を浴びていた。でも山の呼び声は聞こえなかった。景色をしばらく眺めて、行こうと山を背にしたとき、山の声が聞こえた気がした。いまは来なくていい、そこですべきことをしなさい、と言っているようだった。
1度だけ振り返って、山を見た。帰り道は行き道になった。
ジュズダマの空き地はジュズダマがだいぶ刈られていた。端のあたりに残っていた。ジュズダマの実が歩道の路面に落ちていた。七転び八起き、と思いながら、実を八つだけ拾って、手に握った。路面に残るジュズダマの実はまた誰かが拾うだろうか。
2019年9月9日
道の記
山の向こうに入道雲。夏が山の向こうに去って行くよう。
道端のかんなは無くなっていた。かんなだけでなく、まわりの草が枯れたようにしていた。この前はかんなが咲いていた。このかんなはやっぱり育てられていたのだと思って安心したばかりだった。
田んぼは刈り取りが済んでいた。鳩や雀が集まっていた。道端のコスモスはさすがに花はなく、いまは他の草たちと並んで秋の深まりを待っているようだった。
ひこばえが伐られた桜の木は、もう枝からは芽は出てこないようすに見えた。わずかに残った数枚のひこばえの葉がこの木のいのちをつないでいるようだった。
2019年6月17日
道の記
建物の基礎工事らしきものが進められていた大くすのきの林は、思いのほか大きな構造物が建てられつつあった。脇の歩道の植え込みは剪定されていた。先日見た、くすのきやえのきの幼木も切られていた。ひざ丈くらいになったえのきのそばに、同じ丈のマメグンバイナズナが寄り添っていた。
通りかかった公園に桜の木が並んでいた。1本、葉をつけていない木がいた。冬芽のまま止まっている。幹の表面に白い斑が出ていた。頭を下げて立ち去ろうとすると、幹の反対側のふもとから、たくさんのひこばえが伸びていた。私は元気だ、と、訴えかけてくるように感じた。
山は呼んでいるようだった。苦しかったらこちらへおいで、と、こちら側にいるすべてのいのちに優しく呼びかけているような気がした。登ろうとすれば険しいはずなのに、そこで生きていけるのもすべてのいのちがそうではないはずなのに、そう聞こえたのはどうしてだったろう。
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