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ラベル 境内のクスノキ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
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2019年4月3日

道の記


くすのきが伐られた神社では境内の木々が枝をばっさりと落とされていた。


記念植樹の桜の木が伐られてしまった公園では、その桜の切り株がひこばえを伸ばしていた。伐られていない桜たちはみごとに咲いていて、向かいのお家の方がその景色を眺めておいでだった。


跡地の春。大きなビル群の下でたんぽぽも桜も菜の花も咲いていた。そのそれぞれの由来をたぶん知らないだろう新しい人たちが、新しい街を明るく行き交っていた。


2018年11月2日

道の記


キカラスウリは上のほうのつるは切れているようだったが、下のほうは枯れていなかった。工事の手が及ぶのは時間の問題のように見えた。


排水溝から出ていたくすのきは網の高さで切られていた。また芽を出すだろう。


神社境内の伐られたくすのきは白っぽくなっていた。


橋の脇にイヌビワの木が生えている。ときどき伐られているが、最近は伐られていない。実がたくさんなっていた。大木になる気いっぱいのようだった。


道沿いの伐られた小さなくすのきは動きがなかった。


公園の伐られたくすのきはひこばえが見事に生長していた。もう人の背丈より高くなっていて、幹が緑色になっていた。木というよりは小さな森に生まれ変わっていた。

2018年6月10日

道の記


クスノキが伐られた神社に少しひさしぶりに立ち寄ったが、どうも境内が明るい気がするので歩いてみると、大きなクスノキの伐り株があった。前回伐られたクスノキと変わらないぐらいの大きさ。新しく伐られた様子。少し高めの位置で伐ってあり、なぜか、切断面に木の板が打ち付けられて平らにしてあった。板と断面との隙間から薬剤注入の跡が見えた。


その少し先の歩道で、むしられた草が道の真ん中に放置されていた。すぐ隣のアパート駐車場にアイドリングを掛けている車がいたけれど、草を拾い上げて横の土がある所に移した。


町内施設の塀際の草もむしられていた。すみれの葉が散っていた。


道の脇の小さな復活中のクスノキも伐られていた。遠目でわかった。近寄ると、ひこばえを伐られて小さなこぶのような伐り株になっていた。数センチだけ残った枝が1本、緑色をしていた。


街路樹のクロガネモチが伐られている途中だった場所はアスファルトが敷き詰められていた。何もなかったかのようだけれど、そのように舗装されていることがかえって、ここに何かがあったことを示しているとも思った。


2018年4月22日

道の記


神社の伐られたくすのきは、根元の樹皮が剥がれ始めていた。


よく歩いて通りかかる三叉路の木、ベニバナトチノキだなと思っていたが、花のときに通ったのは初めてだった。やっと来ましたね、と言われた気持ちになった。


よく歩いて通る道から丘の上にこんもりした林が見えていたのだが、その林がなくなっていた。そばへ行ってみた。赤土の丘のところどころから木々のちぎれ根が出ていた。種類がよくわからないいろいろな幼木が敷地の端のフェンス際に残っていた。


先日、まちなかに残っていた、森のような林に囲まれていたお家の敷地が空になって建設工事が始まっているのを見た。まちのむかしの風情を垣間見せてくれていた一角だった。敷地の中にきっといろんな木、いろんな草、いろんな生き物がいたことだろう。

フェンスの下のわずかな隙間の地面でアカカタバミが花を咲かせていた。

2018年3月12日

道の記


唐実桜がなくなった線路脇には、柿の木の線路脇と同じように砂利が敷かれていた。大きなちぎれ根が1本、地面からうねり出ていた。そのまわりでオオイヌノフグリとフラサバソウがこまかな花を咲かせていた。


そこからあまり遠くない小さな場所で実桜が咲いていた。小さな木で、近くに寄ってみると若い頃にいちど伐られた跡があった。たぶん意図して植えられたものではなかったのだろう。いまの幹はその伐られ跡と同じくらいの太さになっている。花はなつかしく香っていた。


境内の再度伐られたくすのきは伐り株の断面がすっかり黒ずんでいた。芽が動き出している様子は見えなかった。


公園のヒマラヤスギは中程から上がなくなってしまったが、中程から下は変わらず葉を元気に茂らせていた。公園いっぱいにこどもたちが遊んでいた。

2017年12月24日

道の記



唐実桜の場所は鋼板が敷いてあるなどかなり手が入っていた。その隅から桜と思われる根が何本か地上に出ていた。水仙の葉が泥にまみれながら伸びていた。


排水溝のくすのきは元気にしていた。最初に見たときのように網から伸び出てしっかり茂っていた。


神社の伐られたくすのきは、この前あらたに伐られた(か、薬を注入する穴が新規に開けられていたので、この前見た木の粉はそのときに出たのかもしれない)ときにはだいじょうぶだった脇の芽が、どうも枯れているように見えた。確かめたかったが、私が近くで見て調べていると周囲の家からその様子を見て、生きている芽も摘みにくるのではないかと思い、近づくのをやめた。


まもなく取り壊されるのではないかと思われる、ついこのあいだまでお店があった旧商店街のひさしの柱の下で、ツタバウンランが地面に小さな緑色を広げていた。


いつもクリスマスの前に街角のある木を見に行く。今年も、クリスマスツリーの明るく大きなイルミネーションを背景に、葉を落としてしずかにしていた。雨滴が小枝のところどころに残っていて、街灯の光で輝いていた。


その幹の、通る人からは見えない側に、うっすらと苔を宿していた。苔も照らされていた。

2017年11月6日

道の記


以前伐られた境内のクスノキの伐り株が、なぜかさらに伐られたようで、木紛が散ってあたりに残っていた。以前の伐採時に、伐り株の上面に薬が注入された跡があったのだが、注入跡も新しくなっていた。伸び出ていた小さなひこばえは、葉はもうなかったけれども茎は緑色をしていた。


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小さな植樹帯に、もとからそこに植えられていたと見える灌木のほかに、ケヤキの幼木やナンキンハゼの幼木やいろんな草が生えていた。ナンキンハゼ幼木は手を入れた形跡があった。この植樹帯はこういう緑がいいのだと、だれかが主張しているようだった。

大きな通りの交差点の、むかしからのお店がそこだけ並んでいる一角を、その斜向いの角に座り込んだお年の男性の方がスケッチしておられた。このまちはいいまちだと思った。

以前いつも見ていた道の脇の小さなクスノキは元気にしていた。

しばらくぶりに通った道はしかしいろいろと変わっていた。お店がなくなったりしていた。事務所の軒先の鉢植え沈丁花は鉢ごと事務所ごとなくなっていた。事務所が廃止されたのか廃業になったのかわからないが、鉢はいっしょにいなくなったのだろう。新しい場所で来年、また花を咲かせて香ることだろう。


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クサギのトンネルの下を、落ちたクサギの葉を大事そうに持った男の子とお母さんが通っていた。

2016年7月24日

道の記


道路脇の排水溝のようなところからクスノキの若木が伸びているのを昨年見つけた。ときどき通る道なのでときどき寄って見て挨拶していた。いつも元気だった。1か月ぶりぐらいだと思うが、きょう通ったら枯れていた。底に溜まっている土が乾いていた。その土から何か草が小さく生えつつあった。


伐られて切り株だけ残っている神社のクスノキはまた芽を出していた。これで何度目になるだろう。芽を出すたびに摘まれているがあきらめない。しばらく動きがなかった隣のムクノキ(だと思う)の切り株も、そっと芽を伸ばしていた。


比較的最近知ったまちの小径の道端にタツナミソウやトウバナがいる。タツナミソウは植えてあるものが増えたような雰囲気もあるが、トウバナはそうではなさそうで、ほかのいろいろな草が生えているふもとでしっかり花を咲かせている。たびたび通る道ではないが、通ると少し元気が出る。


道端の木が大切にされている小径や、草々に寛容な小径を歩いていると、しあわせな気持ちになってくる。