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現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)

2020年6月25日

道の記


クサギのトンネルは、クサギの枝に絡んだクズが伸びてきて、それでトンネルになってきた。クサギも成長中だが、しばらくはクサギとクズのトンネルと呼ぶのがよいのだろう。


道のこちら側はところどころでチシャノキの幼木が出ていた。向こう側ではイヌビワが多く出ているのでイヌビワ通りと呼んでいたのだった。こちら側をチシャノキ通りと呼ぶかどうか考えようと思う。


道路拡幅が着工される様子。街路樹のクロガネモチが1本残っているが、その位置も車道になりそうだ。クロガネモチのそばに寄ってみた。若い芽が出ていた。近くにはアカメガシワの幼木もいた。ねこじゃらしも生えていた。


道端のヒメウズは茎の上半分ほどが枯れているようだった。緑の葉も見えた。夕方になって人通りが増え、立ち止まれない。視線を送った。


2020年6月22日

道の記


路地のマンホールを少し色の褪せたツメクサが縁取っていた。そばではランタナの仲間のような黄色の花が鉢で咲いていた。


2020年6月20日

道の記


ムラサキカタバミと何かほかの草が出ていた角は、どうも草ではなさそうな葉が出ていた。まだ小さい。


2020年6月18日

道の記


オオキンケイギクを見た場所がもう1か所あったのだった。きょうはオオキンケイギクのほうではなくユッカの花が見えていたほうへ橋を渡った。ユッカの花は散り終えていた。花びらが葉の間に積もっていた。こちらでもオオキンケイギクがいくらか咲いていた。学校帰りのこどもたちが楽しそうに通り過ぎた。


その先は梅の木ややまももの木が並んでいた。梅の実もやまももの実も落ちていた。


保育園の隣の公園。サツキも花を終えようとしているようだった。


花1つだけ咲かせていた角の小さなアメリカフウロは、枯れ色をした茎だけになっていた。そっと声を掛けた。


道の記


売り地の桐の木は背丈をはるかに超える高さになっていた。近くに寄ると葉もとても大きい。あまりの成長ぶりに、私のことを覚えているだろうかという気持ちになった。


丁字路は小さな草が3株出ていた。


すみれのプランターに再度出てきたすみれは、前に見たときから成長していないように見えた。乾燥をやり過ごそうとしているのだろうか。


電柱ランタナのランタナが出てこなくなってしばらく経つ。その場所から少し離れた所の道沿いに、かなり大きく育ったランタナがいた。このランタナが親だったのだろうか。こちらのランタナはのびのびとしていて、花をたくさん咲かせていた。


2020年6月11日

道の記


ノゲシの道と呼ぶことにしようと思っている大通り。その道沿いのある場所でノゲシが1本抜かれていた。コマツヨイグサとノゲシが一緒に生えている場所で、コマツヨイグサと他のノゲシが残っている。抜かれたのは誰かの気まぐれのようなことだったのだろう。抜かれたノゲシはすでに色を変えていた。


道沿いに出ていた小さなくすのきは、切り株の脇に新しい芽が出ていた。切られて長く動きがなく、もう枯れたと思っていた。その芽の横で、どうもケヤキらしい芽と、もみじの仲間のように見える芽が出ていた。とても狭い一角だけれど、にぎやかになりそうだ。


畑の横を夜に通ったとき、作物はなさそうだったけれどたくさんの草が生えているように見えた。もう枯れているようだったけれど、ちらりとホトケノザのような形が見えた。その場所をこの前明るいうちに通ったら、ナズナがたくさん生えて枯れていた。そのなかにところどころ、ホトケノザが同じく枯れていた。その先にイヌビユの仲間の草が生えていた。タチイヌノフグリも緑のまま立っていた。1株だけ、ホトケノザが花を咲かせていた。畑の端から夕日を見た。春の終わりが過ぎていた。


道の記(喫茶店の前の松の木)


ある喫茶店の前の歩道の、その縁石の脇に松の木の幼木がいた。

まだその木がだいぶ小さな頃から気に掛けて見ていたが、縁石より大きくなった頃から、松の木はひもで支持されるようになった。たぶんその喫茶店の方か、近くの方がなさっていたのだろうと思う。

少し前、その喫茶店が無くなった。道路拡張で立ち退きとなったらしい。松の木はお店が閉じられた後もひもで結わえられたままそこにいた。

その喫茶店の建物が取り壊されて、更地になった。松の木がいた場所のあたりは、その取り壊しに伴ってか、縁石が撤去されて舗装し直されていた。松の木はいなくなった。

道にはたくさんの車が行き交うけれど、その場所はがらんとしてしまった。喫茶店もさまざまな方に親しまれていたお店だった。松の木も、歩道の脇で、どなたかの心に宿りながらたしかに、ひとときを生きた。


道の記


閉じたお店の前のコミカンソウは抜かれてその場に放置されていた。抜かれて少し時間が経ったように見えた。


たしかこの木のふもとにナズナがいた、その街路樹の植え枡は、草がなくなっていた。


ヒメウズがいる道端ではヒメウズが咲いていた。小さな春が残っているようだった。


花壇の脇のイヌビワは切られていた。切られた枝葉が放置してあった。切り口はまだ新しかった。


スーパーマーケット跡地ではこんどはイヌホオズキらしき草が育ちつつあった。


クサギのトンネルのツワブキは小さな葉が出てきた。ツワブキたちはきっと何事もなく復活するだろう。


2020年6月7日

道の記


公園の桜の枝が折れかけて垂れ下がっている。こどもたちが触って揺らしていた。何かお化けのようなものになぞらえているらしく、こわがって歓声を上げていた。


ウメエダシャクが飛んでいた。梅の木が見当たらない。あちらだろうか、と、診療所の裏手のお家の庭をちらりと見る。少し歩いた先のお家にウメエダシャクが集まっていた。大きな梅の木が立っていた。


見たことがないような草が地下道の出口に生えていた。葉の縁が少し変色しているのか、もともとの形がわかりづらい。この近くの場所で以前ヨツバハコベを見たのを思い出し、たぶんヨツバハコベだろうと見当をつける。つぼみらしきものも見えたが、狭い道で自転車も来るので長くは見ていられなかった。気持ちにけりをつけて立ち去った。


菜の花とムラサキカタバミの角のあたりはあらためて見るともっといろいろな草が生えていた。種類を覚えられそうにないほど。煉瓦塀が古くからのもののようで、その塀と一緒にいろいろな草が入れ替わり立ち替わり、長いこと暮らしてきたのだろう。


ついこの前小さなスイバを見た土手の道が舗装されていた。舗装面は以前の路面より少し高く、その際の草が生えていた部分が舗装に埋まったようだった。スイバは残っていたが、道からは少し下になって、遠くなってしまった。そばのお家から広がっていた芝が削り取られて道の脇に積まれていた。


道の記


閉じたお店の前に出てきているコミカンソウは一段高くなったようだった。


雨がぽつぽつからぼたぼたになってきた。道沿いの小さな林地みたいなお庭から、あまがえるの声が響いた。すぐそこの木のほうから聞こえる。姿は見つけられない。道を挟んだ建物の向こう側のほうから、別のあまがえるの声が重なってきた。


桜の下でムラサキカタバミが雨にあざやかに咲いていた。


満開だったオニタビラコがだいぶ疲れたようで、花の茎が枯れ色になっていた。緑の時を過ぎた小さな森のようだった。


2020年6月3日

道の記


オオキンケイギクが生えている所は私の行動範囲の中では1か所しか知らない。以前はもう1か所、1株だけ、歩道の脇に出ていた。しばらく前に駆除されたようで姿が無くなった。どうなっているかその場所に立ち寄ってみた。ノゲシとコメツブツメクサがその位置を占めていた。


メリケンカルカヤが取り払われた後、その茂みの中にいたオランダミミナグサが倒れ込んでいたのだった。そのオランダミミナグサが、背丈をずいぶん低くして残っていた。生きているのかどうかは確かめなかった。


小さな神社の角の石の向こうからオニタビラコの花茎が伸び出ていた。なぜか気に留まって、顔を寄せて見た。蜘蛛の糸が絡んでいた。


公園の階段を下りるところだったか、たくさん咲いているサツキの下に、ドクダミの花が一輪いた。


路地の中ほどでしゃがんで何かをご覧になっている様子の方を見かけた。私がそちらのほうへ歩いているとお立ち去りになった。猫だったのかなと思っていたがわからなかった。のぞいておられたあたりに、マリーゴールドの花が並んでいた。


2020年6月1日

道の記


自動販売機裏の柿の木が小さな実を付けていた。


三叉路のベニバナトチノキに花の穂の跡が残っていた。実があるかまでは見えなかった。そのベニバナトチノキが見えるか見えないかくらいの位置の道端で、小さなハハコグサが黄色い花を街灯に差し出していた。


大きな芭蕉の葉が、少し離れた所から見えていた。近くまで来るととても大きい。大きいなあと思いながら立ち止まってしばし見ていた。後ろをどなたかがすーっと通り過ぎていった。


何か白い花が垣根一面に咲いている。香りが立っている。名札でもないだろうかとぐるりと回ったら、札があった。駐車場の契約社名だった。


道の記


イヌビワの植木鉢のお店の跡地で、オオアレチノギクとヒメムカシヨモギがどちらも出ていたので、見比べた。むかし取り違えて覚えてしまったようで、いまもときどき要所要所を見ていないとどちらがどちらか忘れてしまう。そうしたこちらの都合と関係なく、オオアレチノギクとヒメムカシヨモギは隣り合って、どちらがどちらとつかないくらいに似て、立ち並んでいた。


道の記


2つ信号のオニタビラコのそばに、ねこじゃらしの穂が見えた。


スーパーマーケット跡地では、街路樹の植え枡に生えていた草が抜かれて置かれていた。カモジグサやセイタカハハコグサや、オオアレチノギクだろうと思うまだ茎葉だけの草。跡地に生えているセイタカハハコグサやヒエガエリはそのままのよう。跡地の端で、ペラペラヨメナが地を這うようにして咲いていた。


クサギのトンネルの場所ではツワブキの葉がちぎられていた。ツワブキは植えられているのだとばかり思っていた。何かを収穫したその取り残しのように、街路樹のふもとに積まれていた。