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現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)

2017年10月31日

道の記


マンションというか複合施設というか、大きな建物の犬走りにねこじゃらしがずらっと並んでいた。壮観だった。ねこじゃらしを植えてあるか、育てているかのように見えた。そのまま道を歩いて犬走りの端のほうに来ると、あるところからねこじゃらしの列が途切れて何の草もなくなった。隅に、抜き取られたねこじゃらしがたくさん、横倒しに置かれていた。


交差点の手向け花がいつからかあざやかな造り花に替わっていた。そのとなりで1株のねこじゃらしが、担った役目をひっそり終えようとしていた。

2017年10月30日

道の記


草刈りが始まった。この前見つけたホウキギクにお別れを言ってきた。綿毛の出発準備がととのっていた。

2017年10月29日

道の記


ふだん歩いていて気付かず自転車に乗っていて気付いた道の脇のヒメムカシヨモギは、もうあとかたも見あたらない。生えていた舗装とブロックの隙間には苔も生えていて、その苔からなにかの草が芽生え始めていた。双葉と本葉とで十字を作っていた。


夕日に向かって歩くのはすがすがしかった。タイル歩道の脇に立ち並ぶメリケンカルカヤの穂に夕日の光が輝いていた。


道沿いの、伐採された大くすのきの林はあまり様子が変わっていなかった。残されている伐り株からは、別の場所の宅地開発中のくすのき林が以前そうだったように、空に向かって小さな枝が伸び上がり始めていた。となりで、同じくらいの高さのすすきが揺れていた。


千日紅というのか、いくつもの赤い花をつけた長い茎が、路上で平らになっていた。誰かが花屋さんで買って帰る途中で落としたのだろう。土のあるところに移そうかと思ったが、落とした人が探しに戻ってくるのではと思い、そのままにしてそこを離れた。でも気になって、帰りに同じ道を通った。花の茎は日暮れた路面に変わらずに張り付いていた。今度は拾い上げて路側に移した。花も茎もひんやりとしていた。

2017年10月28日

道の記


乗っていた電車から、沿線の唐実桜の伐り株が掘り起こされているのが見えた。回り道をして現場に行った。撤去作業の最中だった。重機を操作しているのが以前お世話になった方で、私に気付いたか気付かなかったかわからなかったが、険しい顔つきで作業を続けておられた。


通学路で通っていたころから林だった道沿いの土地に、しばらく前に大きく手が入った。そのあと、枝がほぼすべて落とされた高木の幹が何本か立ったまま残されていた。幹は伐られる様子がなく、やがて幹の上や横から芽吹き始めて、このごろはふたたび木らしい姿に戻りつつあった。その木々がなくなっていた。土地は広く明るくなっていた。


工事が進む踏切のそばで、セイタカアワダチソウがこまやかに咲いていた。その向こうの遠くに、山並みが見えていた。帰りはいつもあの山並みに向かって帰ってきたのだった。山は、そろそろこっちへ戻ってこいと言っているような気がした。

道の記(五ヶ山・東小河内)


五ヶ山・東小河内の桜の下に見えていた小さな木々は柿の木だった。1本の木は樹冠のすぐ下までダム湖の水に浸かりながら、枝いっぱいにあざやかな柿色の実をつけていた。もう1本の木は枝に残った実を水に浸していた。

道の記


排水溝のクスノキが復活していた。たくさんの葉を茂らせた枝が、金網から勢いよく伸び出ていた。


建設工事が始まったアキノノゲシの空き地のとなりの空き地のアキノノゲシはいなくなっていた。建設工事の関係か、一部が砂利敷きになっていた。その空き地に去年出ていた、まだ種類がわからない小さな花は、出ていないようだった。この秋はもう出ないのかもしれない。


マンション前の電柱下の朝顔は、遠目には出ていないように見えた。刈られたのだろう、と思いながら近づいて見ると、小さな葉が2枚出ていた。


秋はもう少し続いてくれるだろう。

道の記


ポプラの公園は工事が進んで再整備後の姿がうかがわれるようになってきた。ポプラの場所も桜の場所も柳の場所も掘削され、新しい土が入っていた。公園と歩道との隙間にいくらかの草が残っていた。ポプラの根がおそらくその歩道の舗装の下に残っているはずだが、ポプラをうかがわせるものは何も見えなかった。公園の木々のうちでただ1本残されたトウカエデが公園の向こうの隅に見えていた。

2017年10月26日

道の記


母と歩く道はいつもの道よりゆっくりと長かった。ハナカタバミがにこにこ咲いていた。

2017年10月22日

道の記


クサギのトンネルの下でツワブキがつぼみを用意していた。クサギの実が小枝の先ごと落ちていた。手に取って路側に移した。そこからどこへゆくだろう。


近く取り壊されるだろうと思っていた建物が取り壊されていた。建物のかたわらにいたイヌビワの幼木がいなくなっていた。敷地には街路樹のクロガネモチらしき葉がいくつか落ちていた。イヌビワは葉もなにもわからなかった。


風はしだいに荒れ始めた。地上から人がいなくなり、かわりに街路樹のクロガネモチの葉がタイル舗装の歩道を埋めていた。


暗い雲の下、こどもたちが風に惑うボールを遊んでいた。ヒロハホウキギクにまぎれてホウキギクが1本、綿毛の準備に入っていた。

2017年10月19日

道の記


すみれのプランターにカメラを構えて写真を撮っておられる方がおいでだった。プランターの中のキツネノマゴにヤマトシジミがとまっていた。

ヤマトシジミと思って近づいてみるとクロマダラソテツシジミだったということがこのごろ多くなった。


大きなキンモクセイの下を通っていて、ばらばらと音がした。雨かと思ったら、キンモクセイの花が降ってきた。枝先から細くて小さな青虫が糸で垂れていて、その糸に花がいくつか引っ掛かっていた。1匹の青虫が花をつかまえたみたいにして花とくっついていた。

その少し先では、ヒイラギモクセイの木からたくさんの花が垂れ下がっていた。飾り物のようだった。

2017年10月18日

道の記



歩いていると、道沿いのお家の玄関の前で、水を張ったバケツにミズヒキが入れられて置いてあった。持っていってくださいの意味らしい。ミズヒキは根ごと採られていて、生けるのも植えるのもできそうだった。花盛りだった。


そうかと思うと少し先のお家では、門のすぐ下で紫蘇が1本、花を咲かせていた。

2017年10月17日

道の記


線路横の柿の木の芽はしばらく前に草刈りとあわせて伐られた。いま地上には木の跡は見えず、草の芽が少し出始めている。何かの柱があるそのすぐ横に、草刈機の歯がそこまで当てられなかったのか、彼岸花の茎が残っている。花姿のころにはここを通らなかったので、花は見なかった。でも花が咲いたということがここに残っている。

2017年10月16日

このブログについて

10月1日から試験運用していましたが、同16日から(いちおう)本運用に入ります。

いちばん下にブログの説明・月別アーカイブ・タグクラウドなどを置いています。
以前ツイッターに投稿した分も、さかのぼりながら掲載していきます。掲載時に日付や内容を改めることがあります。

2017年10月15日

道の記



セイヨウタンポポの電柱のふもとで場所の主を現在ニシキソウと分かち合っているオヒシバ。少し元気が落ちている。少し前にご近所の草取りが行われたようで、近くでは草が見た目かなり減ってしまったが、そのオヒシバは見逃されたようす。

いま雨を受けているだろう。


思うこと

このごろ、草を見ていて草の種類を勘違いすることが多くなってきた。あとからわかったり、あとで気になって図鑑に当たると違うことが書いてあったりする。以前は「体得」していた草の違いが、細部にいちいち当たらないと(そうやってもいまひとつ)わからないということが多くなってきた。

しばらく前に、小径でポプラの幼木を見た。それが、そのあとあらためて見たらナンキンハゼだった。そばまで寄って見ていたのにまちがえていた。

説明するときには図鑑で示すようにしようと思う。また、わかっているつもりの草でもときどき現地で図鑑に当たって区別点を確認するようにした。ただ、なにかそういう話の前に、(草や木の)「種類」という事柄自体が自分にはぼんやりしてきたような気がする。

ふだんナンキンハゼよりはポプラを気にしているので、小径の木もナンキンハゼだったら記憶に残らなかったのではと思う。最初ポプラと思って目を留めたのでも、そのことでそのナンキンハゼの木を自分は知っていま覚えている。もしナンキンハゼですらなかったとしても、その木をしばらくは忘れないだろう。

現実に「種類」に依拠して進めないといけない諸々の事々のいっぽうで、「種類」にとらわれながら草を木を見ているその見方は絶対か、ということを、自分の認知能力の側から問いかけられている気もなんとなくする。

それも「種類」から始まった話ではある。

草を見るのを始めたときにはたんぽぽだと思ってノースポールを見ていた。それをただの「まちがい」として正して通り過ぎてきたのだったけれども、いまはそこからいろいろと考えてみたくなる。

2017年10月14日

道の記


芝生みたいに芝が植えられている植え込みがあった。そこの隅にキツネノマゴがいた。キツネノマゴだけは生えるのを認められたようでもあった。どうあれキツネノマゴは生えてくるつもりだったにちがいない。


今季はじめてホトケノザの花を見た。伐られてしばらく経つ街路樹イチョウの横で、イチョウのひこばえと並んで元気よく伸び出していた。


道の記


伐採されたくすのき林に残っていた高い伐株がさらに伐られて目の前に横たわっていた。年輪が数えられそうだった。あたりには樟の香りがたちこめていた。低くなった伐株にはひこばえはなく、その脇に出ていた根からひとつだけ芽が伸びていた。ハナカタバミがこの前と同じように咲き、空も同じように青かった。


土手のイヌコウジュは今年は1本だけ見つけられた。さびしいと思っている場合ではなかった。


2017年10月13日

道の記



くすのきの林になっている小山の裾野で宅地開発が進んでいて、そこをひさしぶりに通りかかった。くすのき林が全部伐採されていた。この前見た別の場所のくすのき林と同じように、大きなくすのきの高い伐株がところどころ残っていた。伐採されてしばらく経つらしく、伐株からは一様に芽が出て小さく茂っていた。ひこばえというより、短くなった幹からあらためて枝をやり直そうとしているように見えた。



あたらしい枝を伸ばそうとしているその姿を見ていて、ふと、人間の開発行為もこの木々たちにとってはひとつの「自然災害」でしかない、と思った。風で折れた木や落雷した木が別の幹や枝を伸ばして復活するように、被害を受けた痛手をそのままに、そこからやり直そうとしている。その開発が人間社会でどういう価値や意義を持つかにかかわらず、木々はそれを「自然災害」と同じに受け止めて、同じにやり直そうとしている。



撤去予告が出ていた柑橘の木は伐株になっていた。ひこばえが1本、低く伸び出ていた。まだ少ない葉のひとつにチョウの幼虫がしっかりくっついていた。

道の記



自動車ばかりが走る夜道を疲れて歩いていて、廃止された施設の敷地に咲くユッカの花に慰められた。1年か2年か前だったと思う。その敷地が更地になっていた。明るい空の下で、白くなった地面から草の芽がいくらか伸び始めていた。ユッカは見えなかった。



歩く人も自転車の人も見かけない長い歩道の街路樹の根元に、ツルボが1本ぽつんと咲いていた。穂の先だけ花が残っていて、今年の花はこれで終わりそうだった。その咲き終えようとしている花の穂のかたちが、しあわせのかたちのように見えた。横をいろんな車が次々と走って行った。

道の記



ポプラのひこばえの森はなくなっていた。薄く掘削された地面に残り根がいくつか見えていた。



空が高かった。



ぎんなんを拾う人を見かけるようになった。きょうの方は自転車で乗り付けてさっと拾い集めておられた。



アキノノゲシの空き地は建設工事が始まっていた。その隣の空き地に出てきたアキノノゲシがひときわ大きく育っていた。てんとう虫がとまっていた。



街中公園のキツネノマゴは今年も咲いていた。近くではヒナギキョウが風に揺られていた。屈んで写真を撮る私を見ていたらしく、私が立ち上がるとまわりの人たちがさっと視線をそらした。

2017年10月6日

道の記



ナガミヒナゲシが薬で枯らされた植え込みに、ヒメクグやコゴメガヤツリが出てきた。



すみれがいるプランターに、ツマグロヒョウモンが舞っていた。それにつられて近づいてみると、プランターの隅にキツネノマゴが咲いていた。今季初めて見るキツネノマゴの花だった。ツマグロヒョウモンは、たまごを産みつける格好をしながらすみれのあたりを行き来していた。



以前ヒメウズがいた、そして更地になってからはねこじゃらしがたくさん出ていた古い建物の跡地に、マンションが出来上がった。きれいな植え込みが作られ、呼び名をよく知らない木々草花が並んでいた。敷地のはじっこのはじっこに、エノキグサが1本生えていた。その1本がこの土地のむかしを語っているようだった。

2017年10月3日

道の記



モウコタンポポの花の季節がやってきていた。種類がわからない小さな羽虫が頭花の上をもつれ歩いていた。

2017年10月1日

道の記



しばらく前に蛾の幼虫を安置したマンション植え込みの、大きな桜の木の上のほうから、つくつくぼうしの声がしていた。



クサギのトンネルはクサギの花がまだ咲いていた。高い所だったが、嗅ぐとほのかに香っていた。



ざくろの木が伐られてしまった、と、その木が伐られたときにある方が深く落胆しておられた。伐られてもう何年か経つ。きょう、すぐ近くにざくろの幼木を見つけた。幼木といっても膝丈までもない。たびたびの草刈りをしのいできたのだろう。いつか、あの方のお目にも留まることだろう。



そして別の所の桜からも、つくつくぼうしの声がしていた。ゆっくりと鳴いていた。