※ ページの下のほうにこのブログの説明・過去記事カレンダー・タグクラウドなどがあります

現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)

2017年7月31日

道の記


ポプラのひこばえの森のそばまで盛り土が来ていた。桜の新芽はいくらか地表に見えているほかは埋められているように見えた。


今日までに撤去するようにという札が掛けられている道ばたの柑橘の木は今日も変わらずに立っていた。ところどころの黄緑の新葉がみずみずしかった。あちこちに蝉の抜け殻が付いていた。私の頭上をぶんっとクマゼミが飛んで逃げて行こうとしたが、すぐに旋回してこの木に戻ってきた。

やっぱりこの木がいいのだな、と思った。


柳絮の木を確かめに行った。写真を探したら、いまカメラに入れているカードのいちばん最初にその木の柳絮の写真を撮っていたのだった。カメラで画像を見ながら探していくと、やはり今月撤去の札が掛けられている木だった。春のときにくらべてこころもち枝が短くなっているように見えた。

日の暮れかけで、アブラゼミの鳴き声が上から降っていた。しゃがんで幹に手を当てた。立ち上がると頭に何かさわった。幹から伸びた若い枝葉だった。しなやかというよりとてもやわらかかった。見上げると、アブラゼミの声はどこからするのかわからないぐらい高かった。

2017年7月30日

道の記


バス停の後ろのブロック塀の手前に舗装の隙間があるようで、小さな草がいろいろ、一列にずらっと並んでいた。列が続いていく向こうから日が射していた。


伐採予定の期日が今月末だと掲示されている柳の木々のうちのどれかが、この春に柳絮を飛ばしていた木ではないかと思うのだけれど、その場で見ても思い出せなかった。札が掛けられているどの木も大きく、すこやかに枝葉を風に揺らしていた。

2017年7月29日

道の記



とりいそぎやってきた草の手当ては来週あたりでひと息つくことになりそう。あくまでも応急で、その先は別の考え方が必要になる。


にぎわう街中で道ばたの草を触りながら歩いていたら、後ろで「ここにもねこじゃらしがある」「そんなの採って帰らんと!」という御家族らしきやりとりが聞こえた。


道がクサギのトンネルになっていた。花も咲いていて、香りをくぐり抜けるトンネルにもなっていた。

2017年7月28日

道の記


草の手当てをしていて、小さなこどもさんがやってきた。親御さんといっしょにちょっと草の話をした。こどもさんはどちらかというと虫探しが楽しそうだったけれど、ちょくちょく戻ってきた。きれいに開いていたたんぽぽの綿毛を吹いて、何かそこに見つけたか、茎に残った綿毛を見つめていた。

2017年7月26日

道の記



河原に流れ着いていた被災木のことを思い出す。


大きな道の歩道を歩いていると、黄色いとんぼが下にいた。平たくなっていた。拾い上げることができたので(平たくなっている虫は舗装面にへばりついて拾い上げることができないことも多い)、土のある所へ移した。道の対岸を、虫取り網を持ったこどもたちが私が来た方向へ走っていった。


とんぼを安置したのは道の脇の小さな草の茂みだった。そこから少し歩いたところの草地で、同じ種類に見えるとんぼがたくさん舞っていた。ここに運んだほうがよかったかもしれないと一瞬思ったけれど、そうでもないかもしれないと思い直した。たんぽぽが綿毛を高く差し上げていた。

2017年7月24日

道の記


モウコタンポポとイヌノフグリが出ていた場所が舗装されていた。どちらも舗装の隙間から生えることがある草だけれども、新規に舗装された所ではさすがに見かけない。すぐ近くに土が表に出ている地点があり、そこから出てくることを期待するほかなさそう。

2017年7月18日

道の記(九州北部豪雨の後・片の瀬)


先日久留米市に避難指示が出されたときに、ネットで筑後川各所の水位変化を見ていた。片ノ瀬では氾濫危険水位を超えた時間帯があり、自分もこれは危ないのではと思って避難指示に関連したツイートをしたのだけれど、久留米市内で筑後川の氾濫めいたことは起きなかったようで、また先日見た久留米の百年公園付近では(積もっていた泥の様子から見て)そこまで水位は高くなっていなかった様子だった。それで、片の瀬ではどうだったのだろうと、きょう(7月17日)見てきた。

筑後川橋の田主丸側の直下に小さな公園があり、そこは一時水没していた様子があった。桜の木の根もとに泥が溜まっていた。堤防の上までは百年公園のときほどの高低差はないように見え、現在の水位(おそらく平常)からここまで水が上がってきたというのはかなり危ういところだったのではと感じた。

河川敷の立ち木には流されてきたさまざまなものがたくさん絡んでいて、重みのためか倒れている立ち木もあった。片の瀬では流木はあまり見なかった。河川敷に重機が入った跡があり、おそらく片付けられたのだろうと思う。片の瀬から離れた所では、流木が流れ着いたままになっているのも見た。

ただ、こうした状況はここでは程度の違いはあってもこれまでしばしば見られてきたのかもしれないと思った。堤防下のまちは落ち着いた様子だった。公園では散歩の方をお見かけした。河原には釣りの方の姿が見えた。離れた所で、流木を裁断してトラックに積み込む作業が数人の方で進められていた。

川のそばには砂や泥が堆積していた。重機か何かで道を開けたその断面からセイバンモロコシの葉が横に飛び出ていた。そのあたり(そこより下)がもとの地表面だったのだろう。

コンクリートの岸に、小石や小枝に混じって、かたつむり、たにし、そしてよくわからない貝がたくさん打ち上げられていた。ことごとく空だった。黒い甲虫も打ち上げられていて、その虫は草地に移した。

流れ着いたままになっている流木の1本に近づいて見た。すべすべしていた。根のところだけ樹皮が残っていた。あたりはほかの流木や家の部材だと思われる木の端切れなどが絡み重なって山になっていた。


百年公園から見たときの山並みは青かった。きょう片の瀬から見ても山は青かった。ただ、被災している地区の山々にたくさんの山崩れの跡が見えた。青と白と黒を混ぜ込んだような雨雲が大きく迫り出していた。

2017年7月17日

道の記


カンナが倒されたまま低く咲いている。

2017年7月15日

道の記



歩き疲れた。1年前はまだ歩けていたのだが。


再整備工事の公園は整地中のようだった。ポプラや桜の場所はフェンスが立てられて近づけなくなっていた。一度草刈りされたようで、ポプラも桜も短い芽をところどころから伸ばしていた。


今年1号の札が付けられている新木の街路樹いちょう、具合がよくないように見える。新しい葉が大きくなっていない。とある公園のいちょうの大木も葉が茶色くなりかかっていた。今年も木々に厳しい夏になるのだろうか。


歩道の上でみみずがどうも踏まれたらしく、下半身がややこしい形で固まって上半身だけで動こうとしていたが動けていなかった。拾い上げて植え込みに移した。後ろから「こんにちは」と言われたので振り返ると、通りかかったこどもさんが声を掛けてくれたのだった。


トウバナやトキワハゼに混ざって何かシソ科の小さな草が足元で小さな花を咲かせていた。向かい側の園芸の木や草がいろいろ植えてある植え込みから出てきたのか、それとも私が知らない野草なのか。少し離れた所で公園清掃の方がていねいにごみを拾っておられた。

2017年7月12日

道の記


百年公園の土手ではネジバナやブタナやシロツメクサが咲いていた。たぶんアメリカスズメノヒエだと思うピースサインの草の穂もたくさん出ていた。


昭和28年水害のときに日田から流されてきたと言われているクスノキの幹の洞から、しばらく前にクスノキの若い芽が出てそのまま育っていたのだが、この前見たときにはその枝が枯れていた。風に吹かれてかたかた揺れていた。その様子からすると、やはり鳥が運んできた実が芽吹いたものだったのだろう。

いつかまた芽吹くだろう。

2017年7月9日

道の記(九州北部豪雨の後・久留米2)


今日は久留米で昭和28年水害の証言会に参加し、久留米とその近辺で水害を体験なさった登壇者の方々のお話を拝聴した。

昨日ツイートした、小森野橋に乗ったまま流されて後に有明海で見つかったこどもさん(小学6年生とのことだった)の同級生の方々も来られていて、そのときのことをお話しになられた。ときおり声を詰まらせながらお話しになられていた。


その前後で筑後川の様子を見た(久留米市百年公園・宮の陣付近)。夕方ツイートしたように、私が知っている過去の増水時とあまり違わないぐらいの高さに泥が上がっていた。2012年のときの写真とくらべると今回のほうが低い。

ふだんの増水時と違っていたのは、川岸に流木が漂着していたこと。数は多くはないが、ただ増水しただけのときには木がまるごと流れてくることはほぼない(と思う)。西鉄鉄橋の橋脚にも流木が数本絡んで斜めになっていた。

※ 橋脚が斜めになっていたのではなく流木が斜めになって絡んでいた。

西の空で雲が濃くなってきて、有明海の方向から強めの風が吹いていた。川と流木に頭を下げて堤防を離れた。


久留米のきょう出向いた場所からは、いま被災している地域は平野のかなたに見える山々のふもとや山あい、そしてそのもうひとつふたつ向こうの土地で、見える山なみは青々としていた。そのどこかから川岸に木々が流れ着き、そのどこかへ大きなヘリコプターが向かって飛んでいた。

道の記(九州北部豪雨の後・久留米1)


百年公園近くの筑後川はいま見た目で平常水位。河川敷には泥が積もっているけれども、それを見るかぎり、水位がいちばん上がった時でも過去に自分で見たことがあるぐらいの高さ。ほかの場所はわからないけれど、ここではそこまで特別上がったという感じではない。個人的な感想。


つばめやとんぼが飛んでいる。ときどきヘリコプターが飛んでゆく。


筑後川から帰着。テレビから「川の流れのように」の歌が聞こえてきた。

2017年7月6日

道の記


この前に書いた羽化した蝉、朝にはいなくなっていた。下に落ちた様子もなかった。よかったと思う。

そのときにはぱらぱら降っていた。

2017年7月5日

道の記


夜道で足下が見えず蝉の幼虫を蹴り飛ばしてしまった。家が近かったので、ひっくり返っているところを拾って持ち帰った。持ち帰る途中は身動きしなかったが、白木蓮の幹に近づけると何か察したのか前足をぐいぐい動かして、すぐに幹を登っていった。いまは葉の先で、自分の殻につかまって下がっている。

羽化直前に蹴ってしまったため羽化不良になるかもしれないが、いずれにしても何もできない。朝になってそこにいなければ(そして下に落ちていなければ)、よかったと思おうと思う。

2017年7月4日

道の記


昨年ナガミヒナゲシを見て歩いた場所を今年も見て歩いたらよかったのかもしれないが、生活パターンが変わって、そのときに歩いた道を通ることが少なくなった。いまでもときどき通る場所は薬が使われる場所で観察に不向き。今年もナガミヒナゲシの茎がたくさん、枯らされたまま立っている。

2017年7月3日

道の記


ときどき通る狭い道の脇。そこの木が柑橘の木だと気づいたのはついこのあいだだった。きょう通るとその木に札が掛かっていた。所有者が名乗り出なければ処分するとのこと。あらためて見上げると4メートルぐらい。それなりの時間そこで生きてきたのだと思う。いつものように静かに夕空に立っていた。


今年たぶん初めてさそり座を見た。夕空から夜空にかわって空はまだ青かった。

2017年7月1日

道の記


夕方の空に、彩雲になりそうな目の細かな雲が出ていた。歩いているうちに日が暮れて、その同じ種類の雲の向こうに半月と木星がちょうど入って、あざやかな暈を作っていた。