道ゆく先々での、木々草々花々などさまざまの出会いとその後を、一筆箋に綴るつもりで。
From the Wayside: about my acquaintances of trees, flowers, weeds and others (written in Japanese)
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2016年8月18日
思うこと
小学校のメタセコイアや桜は最新の記事によると昨日伐られたらしい。ネットで何人かの方が木々のことを書いておられたのを拝読した。親しまれていたのがひしと伝わってきた。
挿し木で後継樹を残すということらしい。最近は自分の知っている木々でもそのような方策が採られることが増えてきた。それはそれでありがたいことだと思ういっぽうで、その方策が平常化すると、もとの木を手を尽くして残すという方向性が検討されにくくなってくるのではないかという懸念も若干ある。
この前一度ちらっと書いたけれど、木を植えるとき、木に自分(たち)の人生を見届けてもらいたい、看取ってもらいたいという思いがあることもあるだろう。自分(たち)より長く生きていってほしい、と願って、植えることもあるだろう。
木が老いてきたときには労りたいと思いもするだろうし、病めば手当をしたいしてほしいとも思うだろうし、木を看取らなければならなくなったときには、その最後まで見届けたい、看取りたい、と思うこともまたあるだろうと思う。