自分は、亡くなったひとのかわりにこの世界を見ている、と思ったことが何度かあった。この景色をあのひとは見たかったに違いない、それなのにあのひとではなく自分が見ている、そんなふうに思って。
いまではそういう「かわりに」はできない、と思っている。自分は自分しか体験していないしかたで「この世界」を生きている、ほかのひとはそのひとの「この世界」を。そして、
もし死んだあとにすでに亡くなったひとたちと会うということがあるなら、私が体験した「この世界」を、私が見た「この世界」のさまざま、出会ったいろんなひとやものやものごとを、そのひとたちに話したり聞いてもらったりできるだろうか、と思っている。
そういう意味で言えば会いたい木も会いたい草もいる。