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※ 現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)

2018年3月26日

道の記


宅地になると聞いていたくすのき林だが工事の札には違うことが書いてあった。手前の丘はしだいに削られてきて、すぐ前の斜面に見えていたくすのきの伐り株はまったくなくなった。丘の上に小さな伐り株があるようにも見えるが、よくわからない。遠くの山はきょうは霞んでかすかに見えるだけだった。


その山のほうに向かって歩きながら、なにかよくわからないせつない心持ちがずっとしていた。あたりにただよう花の香りのせいかもしれず、その花の香りと結びついたむかしの思い出のせいかもしれず、その山のふもとに結びついたもっとむかしの思い出のせいかもしれない。山まで歩いてもその答えにはならなさそうだった。


道の記


交差点のこぶしはすでに満開をすぎたようだった。さっきまで観望会で見ていた月が、枝にかかっていた。通りかかった方がスマートフォンをこぶしの花に向けて、ひととき写しておられた。

道の記


高熱を出し、ひさしぶりに車で送られるという体験をした。いつだったかの夏に歩いた道、街路樹の根元のすみれ、大通りに出る手前の草むら、そういえばそこのお家の道側は小さな畑だった…、と、見ていて涙が出てきた。今度は歩いてここを通ろうと思った。

道の記


造成された雑木林で敷地内移植された木のうちの1本、枯れ葉を落としていなかった。調子が優れないのかもしれない。


畑のその畝ひとつだけを見るとホトケノザ畑だった。その先の畦はナズナ畑になっていた。


帰りに通った道では畝がナズナ畑になっていた。


もと大くすのき林は少しずつ重機が作業を進めている様子だった。丘の端にはくすのきの伐り株のシルエットが変わらずにあった。



2018年3月14日

道の記


旧い建物が解体されてねこじゃらし畑になり、そのあとマンションになった土地。敷地の隅に残っていたヒメウズが今年は出ていなかった。植え込みの端にカタバミの葉が見えていた。


電柱ランタナの伐り株は動きがない。その横から、ナガミヒナゲシのロゼットとアカカタバミが出ていた。


早めに咲くソメイヨシノの木は、つぼみが出ていたがまだ花の柄があまり伸びていなかった。それでもこの暖かさなので、明日明後日にも咲き始めておかしくない。その咲き始めには立ち会えなさそうだ。


数日前にはじめて水星を見た。日没後の西の低い空、金星がいくらか明るく輝いているその右上に、金星よりはやや暗く輝いている。きょう公園で双眼鏡で見てみた。金星と同じ金色に見えた。


公園のケヤキの樹冠の向こうを、さっきまで飛行機雲だっただろう長い雲がななめに横切っていた。

2018年3月12日

道の記


ホルトノキの植樹帯がなくなっていた。ところどころにほかの植物が植えられたり鉢が置かれたりもしていたのだった。横のお店に小さな鉢植えがいくつか置かれていた。


路地に面した大きなお屋敷が更地になっていた。地面から抜かれた木々が山積みにされていた。山茶花の花が見えた。敷地の端に槙の木の伐り株があった。まだ若く、根元から出ているのか伐られたのが落ちているのかわからなかったが根元で青々とした小枝が開いていた。


四つ角のひとつの角のお店の前に以前からヒメツルソバが出ていた。わずかな隙間からいきおいよく茂っていて、ある冬に寒さでやられてしまっていたのだが復活してまた茂っていた。その一帯が、舗装し直されていた。近くに来てみると隙間無く舗装されていて、ヒメツルソバが出てくる余地はなさそうに見えた。心惜しく立ち去ろうとしたとき、敷地の隅の隅にヒメツルソバの葉が少しだけ出ているのが見えた。


そのときが震災の時刻だった。遠くに雲の頂が見えていた。

道の記


唐実桜がなくなった線路脇には、柿の木の線路脇と同じように砂利が敷かれていた。大きなちぎれ根が1本、地面からうねり出ていた。そのまわりでオオイヌノフグリとフラサバソウがこまかな花を咲かせていた。


そこからあまり遠くない小さな場所で実桜が咲いていた。小さな木で、近くに寄ってみると若い頃にいちど伐られた跡があった。たぶん意図して植えられたものではなかったのだろう。いまの幹はその伐られ跡と同じくらいの太さになっている。花はなつかしく香っていた。


境内の再度伐られたくすのきは伐り株の断面がすっかり黒ずんでいた。芽が動き出している様子は見えなかった。


公園のヒマラヤスギは中程から上がなくなってしまったが、中程から下は変わらず葉を元気に茂らせていた。公園いっぱいにこどもたちが遊んでいた。

2018年3月11日

道の記



ずっと開いていないお店の前の放置されているプランターにいろいろな草がおりおり出ていたのだけれど、そのプランターがなくなった。お店の看板もなくなっていた。プランターの陰だったあたりから、ノゲシが伸び出て咲いていた。


ヒロハホウキギクが咲いていた大通りの中央分離帯をひさしぶりに渡った。ヒロハホウキギクは茎だけになって乾いて立っていた。となりのセイタカアワダチソウはかすかに緑味を残しているようだった。


坂を降りる途中、ソメイヨシノの枝が私の頭のすぐ上に伸び出していた。花芽の殻が割れていた。今年はどこで最初に花を見ることになるだろう。


宅地になることになったくすのきの林は、造成が始まっていた。手前に見えていたいくつかの大きな伐り株はどれもなくなっていた。丘の頂のあたりにいくつかの伐り株が残っているように見えたが、そこを残すという様子には見えなかった。色が変わった地面のところどころからちぎれ根が見えていた。

立ち去り際に立ち止まって振り返ると、遠くの山がくすのき林の丘と並んで見えた。山は青空の下で夕日に照らされて染まっていた。ふと、山が悲しんでいる、と思った。立ち去るとき、後ろからなにか鳥の鳴き声のような音がふたつ、きん、きん、と聞こえた。もう一度振り返ったけれど鳥は見えなかった。

2018年3月9日

道の記


もとセイヨウタンポポの電柱下は、スズメノカタビラの脇からホトケノザが出てきた。少し離れたところにセイヨウタンポポがいたのだけれど、そこもホトケノザが出ている。


柿の木の線路脇は砂利が入れられていた。すぐ隣には鋼板が立てられていて、遠からず大きな工事が始まりそうだった。

2018年3月7日

道の記


アキノノゲシがいた空き地はマンションショールームになっていた。地面は見えなくなっていた。


町は梅の香りが漂っていた。


遊歩道でご年配の方がベンチに腰掛けておられた。すぐ前のコンクリートにルリタテハがとまっていた。今年ルリタテハを見るのは初めてで、しゃがみこんで見ていたら、こどもさんが見つけて寄って来た。ときどき翅を開いて瑠璃色の模様が見えて、きれい、と言っていた。お母さんもやってきてひとしきり話した。そのあいだにご年配の方が立ち去っていかれた。みな立ち去ってルリタテハが最後までいた。


飛行機雲は雨になるよ、と、遊歩道を歩いていた方から教わった。



2018年2月26日

道の記


中心街の一角にぽつんと都市化から取り残されたように草だけが生えている小さな植え込みがある。そこを通るたびにちょっとのぞき込んで行く。きょうは、オランダミミナグサの葉がたくさん生えていた。ねこじゃらしの枯れた茎が1本、穂を立てていた。街はまだ雨に濡れていた。


セイヨウタンポポから現在スズメノカタビラへと場所の主が替わっている電柱下では、スズメノカタビラが穂をつけていた。


ああ、冬を越したんだ、と思った。

2018年2月22日

道の記


もう何年も歩いている大通りの歩道の脇に、気付かなかった伐り株があった。はこべの花に囲まれていた。


やはりよく通る道から見える公共施設の小さな倉庫の裏側から、いぬびわの木が大きく伸び出しているのに初めて気付いた。枝先にぱらぱらと実が見えた。


駐輪場の柵に赤いマフラーが結んであった。けやきの木がぜんぶ見ていたみたいにそびえていた。


交差点のこぶしの木にはたくさんの花芽がついていた。風が冷たくなっていて、ふかふかの花芽が少し暖かそうにも見えた。満ち始めたばかりの月が梢の向こうに見えた。

2018年2月20日

道の記



治療を受けている古木いちょうがいる屋敷跡は、いまマンションの建設工事をしている。対岸から見たらすでに高い建物ができていて、正面横のいちょうが建物の下で小さく見えた。絵本『ちいさいおうち』の絵のようだった。


中心街の大通りに面していた桜がなくなっていた。いま一帯が造り替えられようとしているところで、隣の建物も解体されて広々としていた。春、花の散る頃に通ると、人通りの多い歩道の上を花が舞っていた。その景色が、いま目の前にあるがらんとした広がりよりも自分の手前にあるように思えた。


咲きかけのさざんかの木が置かれていた更地は駐車場になるようだった。工事が進められているその奥に、色の褪せたさざんかの木とほかの木々がまとめて横たえられていた。

2018年2月13日

道の記


10年ぐらい前にこの橋を歩いたときもやっぱり冬の最中で、手すりの下にすみれがいた。きょうもすみれはいた。たもとに雪を溜めていた。河原では鴨たちがじっとしていた。


夜の道で、雪があられになった。あられは路面に降りても留まるところがなく、荒波のように、いや荒波でさえこんなに荒れてはいないと思うほど荒々しく路面の上を吹き流れていた。


吹き荒れる夜の大くすのき林を横に歩き過ぎながら、自分は明るくにぎやかな場所にいるよりもここで吹雪を受けながらずっと伐り株の木々を見ていたいと思った。手前の伐り株から伸び出ている短いひこばえがほの暗い雲にそびえ立っていた。

2018年2月12日

道の記


高い建物の上の給水塔のようなところから、からすが飛び立った。あとに何か鳥のようにも見える黒いものが残っている。からすだろうかと思ってしばらく見ていたが、遠くて、動いているのかどうかもよくわからなかった。幼木かもしれない。さっきのからすはそこで何をしていたのだろう。気が付くと、給水塔の真下に別のからすが1羽、ずっと留まっていた。


震える寒さになった。自動販売機でココアを買って飲んでいて、そこの庇の上からスズメノカタビラが出ているのが見えた。穂も出ていた。


公園で草探しをしていてこどもたちから声を掛けられた。近くの草を差して、こっちはアメリカフウロ、そっちはオランダミミナグサ…と話したら、すかさず、こんなにいろいろ名前を知っているなんてすごい、と言われた。ひさしぶりにこどもさんから誉められてうれしかった。


この前ここを訪ねたのは何年前だったか、そのときには伐られてまもなかったように覚えている大きな伐り株。時が経って、すっかりしずかになっていた。あちらの伐り株には小さな荷物が置かれて、おとうさんと女の子がゆっくりとおにごっこをしていた。


小学校は広々とした空き地になっていた。真ん中あたりに地面をそのまま活かした花壇が造られているほかは、あまり手を入れられていないように見えた。菜の花のように見える小さな葉が1列2列並んでいた。いろいろないろいろな春の草がところどころで同じく小さな葉を広げていた。さっきまでちらついていた小雪は、日差しにかわっていた。

2018年2月7日

道の記


広い敷地がコンビニエンスストアと大きな駐車場に変わってからだいぶ経つ。その駐車場が広がっている向こうで、灰色の低い雲が、上辺を吹き上げられたように細かく立ちのぼらせて空へ消えていた。


蝋梅は少し花を減らしたように見えたけれどもよく香っていた。近くで、似た色合いのガザニアが花を半開きにしていた。

2018年2月5日

道の記


雪ひらが次々と道路に当たってひとつひとつ砕けた。


車のいない大通りに横殴りに吹き荒れながら降りてくる雪ひらの中をなにか小さなビニール袋のようなものが翔け上がっていった。吹き荒れていても上がってゆくのはそのビニール袋だけのようだった。


耕作地が広がるその彼方の山を見ていたら、西の谷から吹雪がやってくるのが見えた。とんでもなく大きなものが襲ってきたように見えた。みるみるうちに山の景色は吹雪の煙に埋められた。それからほどなくここも吹雪になった。


道端でオニノゲシが花を開こうとしていた。春はここからはずいぶん遠くに思えた。

道の記


いまが寒さの底だろうと思う。あるところではイノコヅチが枯れて穂を高く差し上げているのを見た。あるところではイノコヅチはしおれながらもなお緑を残していた。となりの皇帝ダリアもそうしていた。


切り開かれた竹林の向かい側の同じく重機が入っていた小さな雑木林も造成が終わっていた。その区画の端に木々が並んでいた。手前の木は工事中のときに根元が掘削されていた木のように見えた。敷地内移植されたのだろう。木々の向こうから吹き上げてくる風はまだ冷たかった。


大くすのき林にはさらにいくらか工事の手が入ったように見えた。丘の奥のほうで、芽のない伐り株がなにかの建造物のように厳かに空に立っていた。

2018年1月29日

道の記


以前はお家があったのか駐車場だったかはっきり思い出せない、ある場所が掘削されていた。その敷地の端に山茶花の木が横たえられていた。根は切り詰めてあった。いくらかの花が咲いていていくらかのつぼみが見えた。敷地界に沿うようにそっと置かれたような感じだった。手向けられているようにも思った。


道沿いの花壇のあざやかな花をかがみ込んで写している方がおられた。ほかのところでは夕月を見上げて写している方もおられた。

2018年1月28日

道の記


駅舎が新しくなった。これまでの入り口は閉鎖され、その前で、たぶん案内を兼ねておられたのだろう警備員の方がたぶん通りかかったのだろう方と立ち話をしておられた。


巻雲がきれいで信号待ちのあいだ空を眺めていたら、隣の女の子がきょうだいらしき男の子とお母さんに「あそこにくろがいるよ」とさかんに教えている。正面のマンションの上にからすがいて、そのからすのことを言っているらしい。色が黒だからか…と思っていて、ふと、crowだと気が付いた。とまっているからすの上方に円を描くようにからすたちが舞っていた。


傾き始めた日差しを受けて、古いブロック塀の下でチドメグサが数枚の葉を広げて、てかてかと光っていた。

2018年1月27日

道の記


バスの窓から街路樹のクロガネモチに赤い実が見えた。


少しひさしぶりに都市高速にバスで上がった。ゆりかもめは1か所の倉庫屋根に集まっていた。海の向こうを少し遠い気持ちで眺めた。


まもなく使われなくなる駅の階段。行きのときは私ひとりだった。振り返って写真を撮った。帰りは最後の踊り場から下を一段一段ゆっくり踏んで降りた。1度振り返って頭を下げてその場を離れた。

道の記


新しくなった歩道の端で、学校帰りの小さな男の子がちょうど端をなぞるようにして歩いていた。その後から女の子が、その歩道端にある幅の狭い排水溝のふたを傘の先でつつきながら歩いていた。男の子は排水溝のふたの上を歩いていたのだと気が付いた。

2018年1月21日

道の記


道を間違えてしまい、行くつもりだった道へ抜けるために、またまったく知らない細道を歩いた。むかしながらの住宅が並ぶ中をくねくね行く。アパートの道際にいろいろな菊が咲いていたりするけれどじろじろ見ないで歩く。急に片側が開けた感じがした。小さな公園で男の子とお父さんがボールで遊んでいた。冬姿のけやきが晴れ空にそびえていた。


夜に通ったときは気付かなかったが、小さな畑のはじっこになずながたくさん咲いていた。


切り開かれた大くすのきの林には水仙が咲いていた。裸になった斜面のところどころに花が咲き、咲いていないところにもたくさんの葉が見えていた。大くすのきは赤い芽をたくさん出して次の暮らしに備えていた。

道の記


お家の塀の上にペットボトルの風車が顔を出していた。ちょうど日に向かって歩いているときで、風車は光を浴びてひときわ輝いていた。

刈られた稲がその田んぼ一面に伸び上がっていた。いくらかの株は穂を実らせてそのまま枯れていた。

道の記


ひさしぶりにまったく知らない道を歩いた。思いのほか細道で、地図ではわからなかった坂や林があって、ほんとうはどこへ行くのか不安になりながら、新鮮な景色のなかを歩いた。

山の上に幻日が出ていた。西へ向かった飛行機雲が何本も残っていた。あと少しで幻日も太陽も沈みそうだった。

道の記


公園跡地は道路予定部分の工事が進んでいた。排水管や、歩道の縁石が敷かれていた。少し前に来たときには地面から木の根が見えていたが、もうわからなくなっていた。


工事中の踏切はアスファルトが一面隙間なく敷かれていた。ツメクサなどの草たちはもう見えなかった。

2018年1月15日

道の記


工事が進む踏切のそば、地面が再度掘削されて元の舗装路面との段差ができているその断面から、ツメクサが生えていた。今年初めて見るツメクサは泥にまみれて花をつけていた。その横に、わりと大きく生長している同じく泥まみれのニシキソウがいた。その先にアメリカフウロの葉、オランダミミナグサの葉、そしてなにかキク科のように見える草のロゼットが見えた。

以前、そこにだけ春が来たようだと書いたわずかな場所の、たぶんわずかに残されているだけのこの時間に、春も秋もなにもかも凝縮して、草々のいのちが生きている。

2018年1月14日

道の記


いただいた野菜から出てきた青虫(モンシロチョウと思われる)を逃がすことに。人に迷惑がかからなさそうな場所で菜の花の類いの草が生えている場所ということで川の土手へ行き、ハナダイコンのふもとに青虫を放った。さっそく若葉にとりついていた。時期など含めてよい選択だったかどうかわからないが、いくらかでもよい暮らしが待っていることを願おうと思う。


むかしながらの町の一角に小さな空地があり、そこの梅の木の下でたくさんのむくどりが地面をあさっていた。すずめも混じっていた。私が近づくとほとんどのむくどりは逃げたけれども、1羽だけそのまま地面をつついていた。その横ですずめも1羽同じようにしていた。


信号が思っている方向と違う方向を青にし続けているので青信号を渡ってみた。その先で、ひっくりかえっているカメムシを見つけた。足を弱く動かしている。指に掴まったので、近くの植え込みに移した。小枝をしっかり掴んだ。寒い日がまだまだありそうだけれど、今日もうひとときのあいだは日差しが届いていそうだった。

道の記


柿の木の線路脇はしばらく前に彼岸花が出ていた箇所が掘削されたあと、いまはホトケノザのように見える草など草の芽が地表に見える。柿の芽は見当たらない。時期的にも芽が出るにはまだ早いのだろう。


空気が冷たく、日が落ちた西空は青暗く光っていた。むかしからそのお家にあったけやきの木が、いまとつぜん現れたかのようにその西空にそびえていた。梢の枝々は光の薄まった高い夜空に届こうとしていた。

2018年1月7日

道の記


喫茶店はやはりなくなっている。更地になっている場所は見た目その喫茶店があった場所より狭い感じがするが、木々がなくなっているためかもしれない。地面にはフラサバソウの双葉がかたまって出ていた。


排水溝からくすのきが出ているのをまた見つけた。こちらもこんもりと茂っている。くすのきのふもとには、くすのきではなさそうな落ち葉が積もっていて、道の真中でそこだけ小さな林の風情を見せていた。


向こうから歩いてこられた方が、歩きながらちらっとさざんかの花を仰ぎ見ておられた。直後にその方と目が合った。「こんにちは」と声を掛けてくださった。私もさざんかを仰ぎ見て、その先を歩いた。

2018年1月6日

道の記


桜並木の下にはタチスズメノヒエが並んでいた。伸び上がった茎のほとんどは実を落としていたが、いくつかは緑味を残していて、その1つを手に取って見たら新しい穂ができていた。桜とタチスズメノヒエが立ち並ぶその先から、日が差していた。


木々に囲まれた喫茶店があったはずなのになかったと、通り過ぎて気が付いた。途中に更地になっていた場所があったがそこだったろうか。正確な場所を思い出せない。お店の前の小さな広場にときどき猫がいて、その猫のいる景色だけが思い出された。


さっきまで空にくっきりと色あざやかに立っていた山が、もう薄暗くなっていた。西の空にはふしぎな形の雲が並んでいて、日の沈んだあたりがまだあざやかに光っていた。


ここからが冬なのだろう。

2018年1月4日

道の記


信号が青になるのを待っているあいだに正面の路面がきらきらと光っていた。人は少なく、空気は冷たく、正月とはこのことなのだと思った。


マンション敷地隅のカタバミには実がついているように見えた。


道沿いのお家で蝋梅の花がたくさん咲いていた。並ぶ車を横に、逆光に透きとおりながら光っていた。

2018年1月2日

道の記


行きにはときどき通るけれども帰りにはめったに歩かない道を帰った。正面に大きな月が出ていた。今夜は少し薄雲がかかっていた。月は右上の隅がわずかに欠けていた。その欠けていることにしずかに怒っているようにも見えた。歩道の脇でだいぶ前から枯れ色をしているメリケンカルカヤの穂が、すすきの代わりのように月の手前で傾いていた。

2018年1月1日

道の記



今年初めて見る太陽は高いところで青く輝いていた。

その太陽が沈むのを芝生広場で見送った。遊ぶひとたちも少なくなかったけれど、おだやかだった。

その帰りには、山の上に大きな月が出ていた。わずかに欠けているのがわかるくらいに大きかった。


香りに気が付いて道から振り仰ぐと蝋梅の花がちらほらを少し超えて咲いていた。

2017年12月31日

道の記


ときどき横を通る公園がどうも明るいような気がして、入ってみた。記念碑に1人1本植樹をしたと30年ほど前の日付が記してあり、その碑の横の大きな木が伐られてなくなっていた。ほかにもところどころに伐り株があった。鋸屑が残っていた。

残された桜の枝が宙に絡まりながら伸び上がっていた。何かに届こうとしているかのようだった。


道の脇のポールのようなものの中からイヌホオズキが生えていたのだが、そのイヌホオズキも切られていた。よく見るとポールの中に小さな葉が芽吹いていた。


橋のたもとにイヌビワが大きく育っていたのが、先日から遠目に見ていて見えなくなっていた。それで今日はそばまで行ってみた。枝を少し切り詰められたようで、葉はすっかり落としていたが、たくさんの実を枝に残していた。川面に大晦日の午後の日差しがちらちら揺れていた。


もう長く手入れされていないように見える小さな飲食店の前の植木鉢に以前からいろいろな草が住んでいる。オニタビラコが今年最後の綿毛を付けていた。


大晦日の日の入りを見送ることは今年もできなかった。太陽は雲の向こうからたくさんの光条を雲に空に地上に投げかけていた。


2017年12月30日

道の記


春に薬が使われてナガミヒナゲシなどの草が枯らされた場所、ホトケノザなどの草に混じってナガミヒナゲシも出ていた。ロゼットを小さく広げていた。風は冷たかったけれども日がほのかに差していた。


エノキグサの次にカタバミが出ていた新しいマンションの敷地の隅、その近くに細かくちぎられた草が散乱していた。しかしカタバミはどうもなっていなかった。まだ種類がよくわからない草の葉も隣に見えた。


モウコタンポポが少し咲いていた。綿毛をほぼ放ち終えた茎が、その手をまだ空に広げていた。


日が暮れてうつむいて歩いていてふと顔を上げると、さざんかの花がいっぱいに咲いていた。


道の記


人通りの多い道に迫り出している大きなけやきの木の下で、たんぽぽの茎が綿毛を放ち終えて同じように空にそびえていた。


イルミネーションが輝いている道路の向こう側を眺めるような位置で、多くの穂を実らせ終えて色褪せかかったタチスズメノヒエが新しい穂を出そうとしていた。


放置気味に見える小さな緑地のローズマリーの香りに元気をもらってもうひといき歩く。


柳絮の木が撤去されてからその道を何度か歩いたが、きょうは、最後の晩にその木のそばで見たときと同じように、月が空に昇ってゆくところだった。


2017年12月26日

道の記


工事が進められている線路脇の柿の木の場所にかろうじて残っていた彼岸花のあたりが、大きく掘削されていた。ノゲシなどいろいろな草が入れ替わり立ち替わり出ていたあたりも砂利が敷かれていた。

2017年12月24日

道の記



唐実桜の場所は鋼板が敷いてあるなどかなり手が入っていた。その隅から桜と思われる根が何本か地上に出ていた。水仙の葉が泥にまみれながら伸びていた。


排水溝のくすのきは元気にしていた。最初に見たときのように網から伸び出てしっかり茂っていた。


神社の伐られたくすのきは、この前あらたに伐られた(か、薬を注入する穴が新規に開けられていたので、この前見た木の粉はそのときに出たのかもしれない)ときにはだいじょうぶだった脇の芽が、どうも枯れているように見えた。確かめたかったが、私が近くで見て調べていると周囲の家からその様子を見て、生きている芽も摘みにくるのではないかと思い、近づくのをやめた。


まもなく取り壊されるのではないかと思われる、ついこのあいだまでお店があった旧商店街のひさしの柱の下で、ツタバウンランが地面に小さな緑色を広げていた。


いつもクリスマスの前に街角のある木を見に行く。今年も、クリスマスツリーの明るく大きなイルミネーションを背景に、葉を落としてしずかにしていた。雨滴が小枝のところどころに残っていて、街灯の光で輝いていた。


その幹の、通る人からは見えない側に、うっすらと苔を宿していた。苔も照らされていた。

2017年12月23日

道の記


通り過ぎようとしていたのを、ここは蝋梅があるのだったと思って様子を見てみた。いくらかのつぼみがふくらんで、そのうちのいくらかが開きかけていた。咲いているとまでは言えなさそうに思った。立ち去るときにかすかに香りがしたような気がした。


宅地開発中のくすのき林では、くすのきの伐り株から伸びた芽が赤っぽく色づいていた。1羽のからすがブロックの上にとまっていた。見張りをしているようだった。


トイレのある公園を探して、思っていたのと違う道を通り、歩いていくうちに、むかしながらの長屋や木造アパートの裏にむかし風情の団地が並んでいる曲がりくねった路地に入った。ふと、なにかとても懐かしい感じがした。でも心当たりはない。雰囲気を心に尋ねながら歩いていると、道はほどなく知っている大通りにつながった。


ヒロハホウキギクが分離帯のまんなかに立って咲いていた。小さなセイタカアワダチソウと隣り合っていた。横断歩道を渡りきれず、次の青信号まで花を眺めた。


帰り道にもくすのき林の横を通った。日が暮れて景色はよく見えなかった。行きは気付かなかったけれど、かすかにくすのきの幹の香りがした。

2017年12月20日

道の記


セイヨウタンポポの電柱、いまはスズメノカタビラと思われる葉が出ている。オヒシバの枯れた葉が残っている。


モミジバフウの街路樹の下は粉になった葉が積もっていた。近くで年配の男性の方がほうきを動かしておられた。


幼稚園に通っていた頃、園庭に「もみのき」があった。樅の木だと教えてもらったのかどうか覚えていないが「もみのき」だと思っていた。キリスト教系の幼稚園だったためか、私はクリスマスツリーとはこの木なのだと思っていた。葉をつむいで何かを作るのだと女の子から聞いた覚えがある。ほかの木の葉とぜんぜん違うふしぎな葉だった。いま思えばカイヅカイブキだったのだろう。


カイヅカイブキがクリスマスツリーであっても何の問題もないのでは、と思いながらカイヅカイブキの横を通り過ぎた。今度はコニファーがお家の前に1本すっと立っていた。

2017年12月16日

道の記


以前シロバナタンポポが咲いていた、半分駐車場みたいに使われていたけれども全体として用途がよくわからなかった広い土地の、駐車場として使われていなかった半分がきれいに舗装されて駐車場になっていた。残る半分は以前のままで、草もいくらか残っていた。


ときどき書いているイチョウやモミジバフウの街路樹が撤去された道路、いまは片側だけヒトツバタゴの若木が植えられている。きょう通りかかったけれど、ぱっと見た道の景色に寒さを感じた。

以前ならいまごろの季節は落葉が終わり、高い木々の寒々とした姿が並んでいた。寒々しく見える冬の木々でも、なくなってしまうよりは立っていたときのほうがまだ道はあたたかかったのだと、きょうの景色を見てわかった。

ヒトツバタゴの若木はおおむね葉を落とし、若いなりに風にまっすぐ立っていた。

2017年12月6日

道の記


1年か2年か前にその道を通ったとき、排水溝の金網に石がはさまっているのを見つけた。通り過ぎたのだけれどなぜか気になって、そこに戻って石を取り出そうとしてみたが、しっかりはさまっていて取れなかった。その道をときどき通るたびにそこを見ている。きょう通ったら相変わらず石ははさまったままだった。


以前、道沿いで一眼レフを草むらの中に向けておられる方に出会った。ナンバンギセルが生えているとのことで、その場で教えていただいた。それから花の時期にそこを通ると自分で見ていた。今年は花の時期にそこを通ることがなく、思い出してそこを通って探してみたが、まったくわからなかった。12月に入ったがススキがあおあおとしていて穂が白く揺れていた。


月が、広い畑の上で明るく広がっていた。


大くすのき林の場所をもう1度通ったが夜になってしまって花はわからなかった。残されたくすのきの伐り株が影になって見えていた。このようになった頃には丘の上にアークトゥルスが輝いていたが、いまはヴェガが輝いていた。

道の記


伐採された大くすのきの林には黄色い花がたくさん見えた。ツワブキではと思うのだが道の対岸からでよく見えなかった。


先日、路上に落ちていた花の穂を拾い上げて道の脇に安置したそのすぐ横の事業所の花壇に、同じ種類の花が咲いていた。どなたかが花屋さんから帰る途中で落としたものと思っていたのだが、そうではなく折り取られたものだったのだろう。拾い上げた花が冷たかったのを思い出した。


ひさしぶりに通りかかった竹林は完全に整地されていた。道の対岸の雑木林も重機が切り開いている最中だった。根を痛めたのか、木が立ったまま枯れかかっていた。


赤信号で立ち止まった交差点の脇に、比較的最近伐られたように見える街路樹の伐り株があった。いちょうが多く植えられている道で、伐り株もいちょうのようだった。歩道の路面には葉が落ちていて、横断歩道の上に葉が踏まれて色だけが残った跡があった。正面にあざやかに色づいたいちょうの木がそびえていた。

2017年12月2日

道の記


ムラサキカタバミの花盛りを見た。


ナガミヒナゲシとクワクサとホトケノザの場所をあらためて見てみた。生えている小さな草はつぼみをつけていて、キク科の頭花のように見えた。ホトケノザはたしかに本葉が出始めた幼苗もいたが、きのう目に留まったのは幼苗のほうではなく、ちぎられた茎から葉が出てきたところだった。クワクサもちぎられた様子で葉がほぼなくなっていたが、小さな桑の実のような実が茎に少し残っていた。


ひいらぎもくせいの花に似た香りがどこかからした。すぐ横の垣根がひいらぎだった。


エノキグサがいたマンション敷地のはじっこに、カタバミの花がひとつ咲いていた。


2017年11月30日

道の記


ナガミヒナゲシとクワクサとホトケノザが出ていた道の脇は草が取られていた。上の花壇も花がすっかり抜き取られて裸になっていた。上の花壇から種子が落ちた何かの花のように見える小さな草と、本葉が出始めたばかりのホトケノザがいた。


遠く火山が噴火したと聞いた。この青空はいつまで続くだろう。

道の記


たぶん樺の木だと思う。最初の年に見たときは横の2本の木々といっしょに大きく傾いていた。その後、横の木々は伐られ、その木だけが残された。傾きはいくらか戻され、添え木をあてられた。その状態で年を経ている。今年もおだやかに1年を送れたようだった。こずえのあたりにわずかに今年の葉を残していた。奥の深い森の木々といっしょに、静かにしていた。


伐り株には苔が生え、皮が剥がれ始めていた。それでも伐り株であることはやめないだろう。

2017年11月29日

道の記


まだ若い桜の木々が、川の土手へ向かってゆるやかに登っていく坂道に並んでいた。根元にいろんな小さな花が植えてあり、そのなかで1か所ぽつんとヤナギハナガサが花を咲かせて夕暮れを近づけていた。

2017年11月24日

道の記


この長い歩道を往く人はなにか心に抱えているものがあるのではなかろうかと思うほど長く続く歩道を歩いていて、スポーツのユニフォームを着た男の子とすれちがった。「こんにちは」と挨拶され、私も「こんにちは」と挨拶した。ほどなく歩道が途切れて小道と交わった。


坂道からはヤコブのはしごがきょうも見えていた。きょうは草地には誰もいなかった。クヌギの木が色づいていた。


伐り株になった柑橘の木は低い草に囲まれていた。


ふとなにかの甘い香りがした。道際の少し広い場所にあまり高くない枇杷の木があり、花が咲いていた。入って差し支えない場所のようだったので、近くまで寄って香りを嗅いだ。その花の香りだった。


山がきれいだった。夕日を正面に受けていながら色が淡く、背後の雲に溶け込みそうで、それでいて大きく広がり、はっきりとそびえていた。その山のほうに向かって自分が歩いているのがうれしかった。

道の記


鉢植えの木が枝ごと幹ごとテープでぐるぐる巻きにされていた。どういう意味があるのかよくわからなかったが、寒い中暗くなる中を歩いていたので、そのほうが少し暖かいのだろうかと思った。

2017年11月21日

道の記(2017年11月16日 五ヶ山・小川内)


東小河内の木々の丘には水が迫っていた。柿の木は樹冠の頂だけをダム湖の水面上に残して水没していた。枝に実が残る木のほうの梢に、1羽、大きな鳥がとまっていた。目は見開いていた。


桜は咲いていなかった。少しだけ残った葉が、色づいていた。となりのもみじは赤く染まっていた。丘の下のほうにひときわ赤い葉の木が見えた。その下が水だった。しゅろの木のそばにやや大きな木があり、枝にわずかに緑味を残した葉が見えた。その下の水面から、赤い葉の枝が伸び出ていた。


小川内の旧山祇神社境内上に位置する高い杉の木が、赤く染まっていた。


私が去るまで、鳥はずっととまっていた。

2017年11月15日

道の記


出かけていくとき、門の手前の足元にむかでがいた。用事を思い出して戻ってきたら同じ所にまだむかでがいた。何かを守っているのだろうか、と、ちらっと思った。さっき近くでかたつむりを見たのだが、そのかたつむりを私が踏まないように守っているのでは、ともちらっと思った。その思った直後に足で何かを踏んだ。かたつむりだった。

かたつむりを誰も踏まない所に安置して、出かけていこうとすると、むかではいなくなっていた。


工事現場に、そこに車が入って来るのか大きな鋼板が敷いてあって、その下からノゲシとアメリカフウロが葉を出していた。そこだけ春が早めに来たかのようだった。


キツネノマゴが生えていて抜かれたすみれのプランターから少し離れて、キツネノマゴがぱらぱらと咲いていた。


山はほのかに色づいて見えた。

2017年11月9日

道の記



バス営業所の入り口横で、ベビーカーに乗ったこどもさんが、出て行くバスに手を振っていた。バスの運転手さんが気付いて手を振っていた。


去って行くなにかだれかに手を振ることをとおして、人はそのときなにを学んでいるのだろう。私もそのようにしてなにか学んだのだろうか。


よく列車の旅をしていたころ、沿線や、線路と並行している道路を行く車の中から、こどもさんがこちらに向けて手を振っているのがしばしば見えた。あるとき、そのようにして並走している車からこどもさんが手を振っているのが見えて、手を振り返した。すると、車のこどもさんが見つけたらしく、ずっと並走しながらずっと手を振っていた。こちらもずっと手を振った。列車がしだいに先へ行くようになり、車を見失った。それから少しして、さっきの車が追いついてきた。こどもさんはいっしょうけんめいにこちらへ手を振り続けていた。

そのとき列車から手を振っていたのはきっとわたしだけではなかっただろう。

道の記


同じ歩道で、カマキリが踏まれているのとバッタが踏まれているのとに相次いで行き合わせた。どちらもあまり時間が経っていないようで、その場から動かせなかった。バッタは雌と雄がともに踏まれていた。いっしょにいたのだろう。


マンション敷地の隅に出ていたエノキグサは幻だったかのようにいなくなった。


ナガミヒナゲシとほかの草とがいっしょに出ていた隙間に、ナガミヒナゲシの葉が出ていた。すぐとなりにクワクサとホトケノザがいた。クワクサは色褪せかけていた。ホトケノザは花を咲かせていた。次の春にはナガミヒナゲシが咲き出すのだろう。


歩道のすみれのプランターにいたキツネノマゴがいなくなっていた。キツネノマゴが生えていたあたりが土が軽く荒れていて、抜かれたのだと思った。下に、引き抜かれたキツネノマゴが1本放置されていた。だいぶ時間が経っていたようだった。土の上に安置した。


どこもみんな秋の陽に照らされていた。

2017年11月8日

道の記


柑橘の木の伐り株、ひこばえがなくなっていた。伐り株はほかの木々の落ち葉になかば埋もれかけていた。


雨が少し激しくなったバスの窓からすすきの土手とその向こうのわずかな青空を眺めていて、どこか遠くのなつかしい場所にいたときの気持ちが沸き起こった。しばらくその気持ちに尋ねてみたけれども、どこだったか思い出すことができなかった。


帰りは別の道を歩いた。大きな草地を横に見て下る坂道の先に、ヤコブのはしごが降りていた。草地の向こうのほうで、こどもさんが2人で遊んでいるのが小さく見えた。

2017年11月6日

道の記


以前伐られた境内のクスノキの伐り株が、なぜかさらに伐られたようで、木紛が散ってあたりに残っていた。以前の伐採時に、伐り株の上面に薬が注入された跡があったのだが、注入跡も新しくなっていた。伸び出ていた小さなひこばえは、葉はもうなかったけれども茎は緑色をしていた。


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小さな植樹帯に、もとからそこに植えられていたと見える灌木のほかに、ケヤキの幼木やナンキンハゼの幼木やいろんな草が生えていた。ナンキンハゼ幼木は手を入れた形跡があった。この植樹帯はこういう緑がいいのだと、だれかが主張しているようだった。

大きな通りの交差点の、むかしからのお店がそこだけ並んでいる一角を、その斜向いの角に座り込んだお年の男性の方がスケッチしておられた。このまちはいいまちだと思った。

以前いつも見ていた道の脇の小さなクスノキは元気にしていた。

しばらくぶりに通った道はしかしいろいろと変わっていた。お店がなくなったりしていた。事務所の軒先の鉢植え沈丁花は鉢ごと事務所ごとなくなっていた。事務所が廃止されたのか廃業になったのかわからないが、鉢はいっしょにいなくなったのだろう。新しい場所で来年、また花を咲かせて香ることだろう。


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クサギのトンネルの下を、落ちたクサギの葉を大事そうに持った男の子とお母さんが通っていた。

2017年11月4日

道の記


ホウキギクが生えていた場所のあたりに少し太めの草の伐り株があった。一年草のホウキギクがこの秋のうちに芽を出せるのかどうかわからないが、伐り株は力を秘めているようにも見えた。そこにいたクワクサやメヒシバやたくさんの草も、もういちど芽を出そうとしているかもしれない。


クサギのトンネルにはツワブキの花が咲いていた。クサギの葉には枯れ色が入り始めていた。

2017年10月31日

道の記


マンションというか複合施設というか、大きな建物の犬走りにねこじゃらしがずらっと並んでいた。壮観だった。ねこじゃらしを植えてあるか、育てているかのように見えた。そのまま道を歩いて犬走りの端のほうに来ると、あるところからねこじゃらしの列が途切れて何の草もなくなった。隅に、抜き取られたねこじゃらしがたくさん、横倒しに置かれていた。


交差点の手向け花がいつからかあざやかな造り花に替わっていた。そのとなりで1株のねこじゃらしが、担った役目をひっそり終えようとしていた。

2017年10月30日

道の記


草刈りが始まった。この前見つけたホウキギクにお別れを言ってきた。綿毛の出発準備がととのっていた。

2017年10月29日

道の記


ふだん歩いていて気付かず自転車に乗っていて気付いた道の脇のヒメムカシヨモギは、もうあとかたも見あたらない。生えていた舗装とブロックの隙間には苔も生えていて、その苔からなにかの草が芽生え始めていた。双葉と本葉とで十字を作っていた。


夕日に向かって歩くのはすがすがしかった。タイル歩道の脇に立ち並ぶメリケンカルカヤの穂に夕日の光が輝いていた。


道沿いの、伐採された大くすのきの林はあまり様子が変わっていなかった。残されている伐り株からは、別の場所の宅地開発中のくすのき林が以前そうだったように、空に向かって小さな枝が伸び上がり始めていた。となりで、同じくらいの高さのすすきが揺れていた。


千日紅というのか、いくつもの赤い花をつけた長い茎が、路上で平らになっていた。誰かが花屋さんで買って帰る途中で落としたのだろう。土のあるところに移そうかと思ったが、落とした人が探しに戻ってくるのではと思い、そのままにしてそこを離れた。でも気になって、帰りに同じ道を通った。花の茎は日暮れた路面に変わらずに張り付いていた。今度は拾い上げて路側に移した。花も茎もひんやりとしていた。

2017年10月28日

道の記


乗っていた電車から、沿線の唐実桜の伐り株が掘り起こされているのが見えた。回り道をして現場に行った。撤去作業の最中だった。重機を操作しているのが以前お世話になった方で、私に気付いたか気付かなかったかわからなかったが、険しい顔つきで作業を続けておられた。


通学路で通っていたころから林だった道沿いの土地に、しばらく前に大きく手が入った。そのあと、枝がほぼすべて落とされた高木の幹が何本か立ったまま残されていた。幹は伐られる様子がなく、やがて幹の上や横から芽吹き始めて、このごろはふたたび木らしい姿に戻りつつあった。その木々がなくなっていた。土地は広く明るくなっていた。


工事が進む踏切のそばで、セイタカアワダチソウがこまやかに咲いていた。その向こうの遠くに、山並みが見えていた。帰りはいつもあの山並みに向かって帰ってきたのだった。山は、そろそろこっちへ戻ってこいと言っているような気がした。

道の記(五ヶ山・東小河内)


五ヶ山・東小河内の桜の下に見えていた小さな木々は柿の木だった。1本の木は樹冠のすぐ下までダム湖の水に浸かりながら、枝いっぱいにあざやかな柿色の実をつけていた。もう1本の木は枝に残った実を水に浸していた。

道の記


排水溝のクスノキが復活していた。たくさんの葉を茂らせた枝が、金網から勢いよく伸び出ていた。


建設工事が始まったアキノノゲシの空き地のとなりの空き地のアキノノゲシはいなくなっていた。建設工事の関係か、一部が砂利敷きになっていた。その空き地に去年出ていた、まだ種類がわからない小さな花は、出ていないようだった。この秋はもう出ないのかもしれない。


マンション前の電柱下の朝顔は、遠目には出ていないように見えた。刈られたのだろう、と思いながら近づいて見ると、小さな葉が2枚出ていた。


秋はもう少し続いてくれるだろう。

道の記


ポプラの公園は工事が進んで再整備後の姿がうかがわれるようになってきた。ポプラの場所も桜の場所も柳の場所も掘削され、新しい土が入っていた。公園と歩道との隙間にいくらかの草が残っていた。ポプラの根がおそらくその歩道の舗装の下に残っているはずだが、ポプラをうかがわせるものは何も見えなかった。公園の木々のうちでただ1本残されたトウカエデが公園の向こうの隅に見えていた。

2017年10月26日

道の記


母と歩く道はいつもの道よりゆっくりと長かった。ハナカタバミがにこにこ咲いていた。

2017年10月22日

道の記


クサギのトンネルの下でツワブキがつぼみを用意していた。クサギの実が小枝の先ごと落ちていた。手に取って路側に移した。そこからどこへゆくだろう。


近く取り壊されるだろうと思っていた建物が取り壊されていた。建物のかたわらにいたイヌビワの幼木がいなくなっていた。敷地には街路樹のクロガネモチらしき葉がいくつか落ちていた。イヌビワは葉もなにもわからなかった。


風はしだいに荒れ始めた。地上から人がいなくなり、かわりに街路樹のクロガネモチの葉がタイル舗装の歩道を埋めていた。


暗い雲の下、こどもたちが風に惑うボールを遊んでいた。ヒロハホウキギクにまぎれてホウキギクが1本、綿毛の準備に入っていた。

2017年10月19日

道の記


すみれのプランターにカメラを構えて写真を撮っておられる方がおいでだった。プランターの中のキツネノマゴにヤマトシジミがとまっていた。

ヤマトシジミと思って近づいてみるとクロマダラソテツシジミだったということがこのごろ多くなった。


大きなキンモクセイの下を通っていて、ばらばらと音がした。雨かと思ったら、キンモクセイの花が降ってきた。枝先から細くて小さな青虫が糸で垂れていて、その糸に花がいくつか引っ掛かっていた。1匹の青虫が花をつかまえたみたいにして花とくっついていた。

その少し先では、ヒイラギモクセイの木からたくさんの花が垂れ下がっていた。飾り物のようだった。

2017年10月18日

道の記



歩いていると、道沿いのお家の玄関の前で、水を張ったバケツにミズヒキが入れられて置いてあった。持っていってくださいの意味らしい。ミズヒキは根ごと採られていて、生けるのも植えるのもできそうだった。花盛りだった。


そうかと思うと少し先のお家では、門のすぐ下で紫蘇が1本、花を咲かせていた。

2017年10月17日

道の記


線路横の柿の木の芽はしばらく前に草刈りとあわせて伐られた。いま地上には木の跡は見えず、草の芽が少し出始めている。何かの柱があるそのすぐ横に、草刈機の歯がそこまで当てられなかったのか、彼岸花の茎が残っている。花姿のころにはここを通らなかったので、花は見なかった。でも花が咲いたということがここに残っている。

2017年10月16日

このブログについて

10月1日から試験運用していましたが、同16日から(いちおう)本運用に入ります。

いちばん下にブログの説明・月別アーカイブ・タグクラウドなどを置いています。
以前ツイッターに投稿した分も、さかのぼりながら掲載していきます。掲載時に日付や内容を改めることがあります。

2017年10月15日

道の記



セイヨウタンポポの電柱のふもとで場所の主を現在ニシキソウと分かち合っているオヒシバ。少し元気が落ちている。少し前にご近所の草取りが行われたようで、近くでは草が見た目かなり減ってしまったが、そのオヒシバは見逃されたようす。

いま雨を受けているだろう。


思うこと

このごろ、草を見ていて草の種類を勘違いすることが多くなってきた。あとからわかったり、あとで気になって図鑑に当たると違うことが書いてあったりする。以前は「体得」していた草の違いが、細部にいちいち当たらないと(そうやってもいまひとつ)わからないということが多くなってきた。

しばらく前に、小径でポプラの幼木を見た。それが、そのあとあらためて見たらナンキンハゼだった。そばまで寄って見ていたのにまちがえていた。

説明するときには図鑑で示すようにしようと思う。また、わかっているつもりの草でもときどき現地で図鑑に当たって区別点を確認するようにした。ただ、なにかそういう話の前に、(草や木の)「種類」という事柄自体が自分にはぼんやりしてきたような気がする。

ふだんナンキンハゼよりはポプラを気にしているので、小径の木もナンキンハゼだったら記憶に残らなかったのではと思う。最初ポプラと思って目を留めたのでも、そのことでそのナンキンハゼの木を自分は知っていま覚えている。もしナンキンハゼですらなかったとしても、その木をしばらくは忘れないだろう。

現実に「種類」に依拠して進めないといけない諸々の事々のいっぽうで、「種類」にとらわれながら草を木を見ているその見方は絶対か、ということを、自分の認知能力の側から問いかけられている気もなんとなくする。

それも「種類」から始まった話ではある。

草を見るのを始めたときにはたんぽぽだと思ってノースポールを見ていた。それをただの「まちがい」として正して通り過ぎてきたのだったけれども、いまはそこからいろいろと考えてみたくなる。

2017年10月14日

道の記


芝生みたいに芝が植えられている植え込みがあった。そこの隅にキツネノマゴがいた。キツネノマゴだけは生えるのを認められたようでもあった。どうあれキツネノマゴは生えてくるつもりだったにちがいない。


今季はじめてホトケノザの花を見た。伐られてしばらく経つ街路樹イチョウの横で、イチョウのひこばえと並んで元気よく伸び出していた。


道の記


伐採されたくすのき林に残っていた高い伐株がさらに伐られて目の前に横たわっていた。年輪が数えられそうだった。あたりには樟の香りがたちこめていた。低くなった伐株にはひこばえはなく、その脇に出ていた根からひとつだけ芽が伸びていた。ハナカタバミがこの前と同じように咲き、空も同じように青かった。


土手のイヌコウジュは今年は1本だけ見つけられた。さびしいと思っている場合ではなかった。


2017年10月13日

道の記



くすのきの林になっている小山の裾野で宅地開発が進んでいて、そこをひさしぶりに通りかかった。くすのき林が全部伐採されていた。この前見た別の場所のくすのき林と同じように、大きなくすのきの高い伐株がところどころ残っていた。伐採されてしばらく経つらしく、伐株からは一様に芽が出て小さく茂っていた。ひこばえというより、短くなった幹からあらためて枝をやり直そうとしているように見えた。



あたらしい枝を伸ばそうとしているその姿を見ていて、ふと、人間の開発行為もこの木々たちにとってはひとつの「自然災害」でしかない、と思った。風で折れた木や落雷した木が別の幹や枝を伸ばして復活するように、被害を受けた痛手をそのままに、そこからやり直そうとしている。その開発が人間社会でどういう価値や意義を持つかにかかわらず、木々はそれを「自然災害」と同じに受け止めて、同じにやり直そうとしている。



撤去予告が出ていた柑橘の木は伐株になっていた。ひこばえが1本、低く伸び出ていた。まだ少ない葉のひとつにチョウの幼虫がしっかりくっついていた。

道の記



自動車ばかりが走る夜道を疲れて歩いていて、廃止された施設の敷地に咲くユッカの花に慰められた。1年か2年か前だったと思う。その敷地が更地になっていた。明るい空の下で、白くなった地面から草の芽がいくらか伸び始めていた。ユッカは見えなかった。



歩く人も自転車の人も見かけない長い歩道の街路樹の根元に、ツルボが1本ぽつんと咲いていた。穂の先だけ花が残っていて、今年の花はこれで終わりそうだった。その咲き終えようとしている花の穂のかたちが、しあわせのかたちのように見えた。横をいろんな車が次々と走って行った。

道の記



ポプラのひこばえの森はなくなっていた。薄く掘削された地面に残り根がいくつか見えていた。



空が高かった。



ぎんなんを拾う人を見かけるようになった。きょうの方は自転車で乗り付けてさっと拾い集めておられた。



アキノノゲシの空き地は建設工事が始まっていた。その隣の空き地に出てきたアキノノゲシがひときわ大きく育っていた。てんとう虫がとまっていた。



街中公園のキツネノマゴは今年も咲いていた。近くではヒナギキョウが風に揺られていた。屈んで写真を撮る私を見ていたらしく、私が立ち上がるとまわりの人たちがさっと視線をそらした。

2017年10月6日

道の記



ナガミヒナゲシが薬で枯らされた植え込みに、ヒメクグやコゴメガヤツリが出てきた。



すみれがいるプランターに、ツマグロヒョウモンが舞っていた。それにつられて近づいてみると、プランターの隅にキツネノマゴが咲いていた。今季初めて見るキツネノマゴの花だった。ツマグロヒョウモンは、たまごを産みつける格好をしながらすみれのあたりを行き来していた。



以前ヒメウズがいた、そして更地になってからはねこじゃらしがたくさん出ていた古い建物の跡地に、マンションが出来上がった。きれいな植え込みが作られ、呼び名をよく知らない木々草花が並んでいた。敷地のはじっこのはじっこに、エノキグサが1本生えていた。その1本がこの土地のむかしを語っているようだった。

2017年10月3日

道の記



モウコタンポポの花の季節がやってきていた。種類がわからない小さな羽虫が頭花の上をもつれ歩いていた。

2017年10月1日

道の記



しばらく前に蛾の幼虫を安置したマンション植え込みの、大きな桜の木の上のほうから、つくつくぼうしの声がしていた。



クサギのトンネルはクサギの花がまだ咲いていた。高い所だったが、嗅ぐとほのかに香っていた。



ざくろの木が伐られてしまった、と、その木が伐られたときにある方が深く落胆しておられた。伐られてもう何年か経つ。きょう、すぐ近くにざくろの幼木を見つけた。幼木といっても膝丈までもない。たびたびの草刈りをしのいできたのだろう。いつか、あの方のお目にも留まることだろう。



そして別の所の桜からも、つくつくぼうしの声がしていた。ゆっくりと鳴いていた。

2017年9月25日

道の記


ツルボが咲き始めた。今月に入ってから葉が復活し出して、1か月足らずで花までこぎ着けた。その咲き始めた1本の花茎は1度踏まれたようで、途中で折れて、花の穂だけ上を向いている。


伐られた桑の木の伐株に、小さく茶色いひげのようなものがまとまって着いていた。とても小さな木々みたいにして各々のひげがまっすぐに立っていた。指で触れると茶色の粉がくっついた。帰って調べたら、どうも粘菌の一種らしい。むかしそこにあった小さな林の、なごりのような気がする。


2017年9月18日

道の記


あまり丈の高くない風草が水辺の風に吹かれていた。


手当てしたり手入れしたりしていた草は復活してきた。これからはどうやって手放していくかという局面に入っていく。


2017年9月14日

道の記



桜の切り株のひこばえ、今回の草刈りでは刈られなかったようで、残っていた。切り株になってこの次の冬で4年。ひこばえが最初から刈られずにいたら、いまごろどこまで伸びていただろう。


2017年9月13日

道の記



東の空の夕焼け雲。あの山のところまで誰もいないような気がする。


2017年9月11日

道の記


歩いてでなく自転車に乗っていてはじめて気付いた道の脇のヒメムカシヨモギ、なくなっていた。その代わりのように、小さなノゲシが伸び出てつぼみを付けていた。


セイヨウタンポポからオヒシバやスズメノカタビラに場所の主が移り変わってきた電柱下、先頃からニシキソウが広がっていたが、そこから1本だけ、オヒシバが出てきた。まだおずおずとしているが、じき、しっかりと穂を開くことだろう。


伐られた電柱ランタナのところからは、エノコログサが出てきた。


公園の隅とも都会の隅とも言えそうな小径の足もとで、イヌコウジュが3本4本並んで、小さな小さな花を咲かせていた。


そして空き地の隅ではコツブキンエノコロの穂が、めいめいの方向へ、それぞれすっくと伸びていた。


2017年9月10日

道の記


ところでクサギのトンネルは葛の花降るトンネルになっていた。


桜の下を通ると黒いつぶつぶが路面に転がっていたので、ああこれは虫がいるなと思って上を見上げて歩いていたら、その虫を踏んでしまった。路面にいるとは思わず申し訳なかった。桜のふもとに置いた。


数日前に、路面で乾いて粉々になりつつあるクマゼミを見つけた。粉々になれば遠からず風に吹かれてなくなるだろうと、拾わずに行こうとしたが、落ち蝉を拾うのはこの夏最後かとも思って、引き返して拾って草の茂みに移した。


しかし今日はニイニイゼミを拾った。いつから路上にいたのだろう。






2017年9月4日

道の記


まちなかでなくもっとたくさんの緑がふつうにある場所で草や木を見ていたら、こんなにまでひとつの草ひとつの木のことでつらい思いや悲しい思いをしなくて済んだのではという気持ちになることがある。

草も木もわたしが見ていようといまいと自分のいる場所自分のいる状況なりの命を生きて死ぬ。誰が見なくてもいいのだ。そう思うかたわらで、まるで呼び出されたかのように、たまたま通った道、たまたま曲がって入った道で、伐られたばかりの木、明日からの工事告知が出ている場所の草に出会ってきた。

そのことを意味付けなくてもいい。ただ自分はそうして草を木を見てきた。そんなことを今夜も考えながら歩いていた。

そのすぐ先で、道から見えていた大クスノキの林がなくなっていた。重機が何台も入っていて、丈の高い切り株もひとつ見えた。その向こうでアークトゥルスが低く輝いていた。



ほかの草が生えられるよう、茂りに茂ったメヒシバをはさみで刈り込んでいたら、指先を切った。それで刈るのををやめて手でむしっていたが、2本が根から抜けてしまった。抜くつもりはなかったが、植え直す手間をとらずに根を下にして置いてきた。

申し訳ないことだったと思う。

そしてそのメヒシバも誰かは見ていたかもしれない。


2017年8月27日

道の記


小径に入ると、待ってくれていたかのように隣に小さな木がいた。何度か伐られた様子があり、その最後の何度目かで伐るのをあきらめられた様子でもあった。地面近くで樹冠を横に広げていた。


メヒシバが茂るその道向かいはオヒシバの丘だった。


この草は種類がわからない、見たことがないようだけれど何の草だろう、と思いながら急いで通り過ぎた後、どこで見たのかもわからなくなった。


歩けるかぎりは歩きたい。

道の記


つくつくぼうしの声のかたまりのほうへ歩く。

2017年8月26日

道の記


歩いて通っていたときには気づかなかったのに自転車で走っていて道の脇にヒメムカシヨモギがいるのに気づいた。低いところで一度刈られたようで、そこから放射状にいくつも茎が伸びていた。それぞれの先で花が咲き始めていた。


幹周りと言うのかわからないが太さの割には丈の低いシュロも、道の脇に見つけた。そこは今回自転車で通っている以外ではそんなに通らない道。植えられたというよりひとりでに育ってきたのをどなたかお世話しておられる様子に見える。きりっとしていた。


月と木星に向かって飛行機雲が伸びていた。

2017年8月23日

道の記


何年かぶりに自転車に乗った。

と書いてそこまでではないような気がしてきた。それでも1年ぐらいは前と思う。

ゆっくり景色を見る余裕はなかったが、稲穂があたりいっぱいに香っていた。

よく見る山だけれど、ひときわあおかった。

2017年8月20日

道の記



アレチノギクが出ていた電柱のふもとはコマツヨイグサが茂っていた。咲いてはいなかった。


道路付け替えのため廃止された桜の公園の隣の隣が幼稚園だったのだが、ここも工事が入っていた。ここにも正面に大きな桜があったけれど、なくなっていた。重機が休んでいた。


アキノノゲシが出ていた空き地は建物が建つらしい。草が刈られ、工事の掲示とフェンスが立てられていた。隣の空き地でアキノノゲシが高く伸びてつぼみを付けていた※。

※ 文中のアキノノゲシの「つぼみ」は花が咲き終わった後の状態だったかもしれない。次の記事に注を書いている。
https://michinohata.blogspot.com/2020/03/blog-post_43.html

道の記


公園再整備工事はそれほど進んでいなかった。ポプラや桜のひこばえはあまり違わないぐらいの丈のアキノエノコログサに取り囲まれていた。


手当てしていた草は地上部がなくなった。これまでの経験から、しばらくは出ないのではないかと思う。まちがえて草刈りに遭うおそれは逆になくなった。これからは多少の実働をしながら、ほかのアプローチを考える。

2017年8月17日

道の記


電柱ランタナは伐られていた。電柱のふもとに細い幹が残っているが、枯れているようにも見え、ここから復活するのかどうかよくわからない。通るたびいつも花が咲いていた印象があり、花も枝もない景色がまぼろしのようだった。


電柱ねこじゃらしはたくさんの穂を立てていた。

2017年8月15日

道の記

手当てをしている草は、復活していた葉がやられてしまっていた。地下部分はだいじょうぶだと思うが様子見を続ける。

2017年8月13日

道の記


たんぽぽがいる道を歩いていて、たんぽぽにしてはずいぶん小さな花だと思って近づいてみたら、茎の丈が手の小指ぐらいしかないオニタビラコの花だった。真夏はオニタビラコの花をあまり見ない気がする。その道を行くとそんな小振りなオニタビラコがぽつぽつと花を咲かせていた。

その次の道にはやはり茎の丈が手の小指ぐらいの、小振りなヒメジョオンが咲いていた。

カニクサが、道の脇のコンクリートの隙間から、小さくまとまってぽつんぽつんと並んで出ていた。コンクリートの隙間を使って鉢植えにしているかのようだった。

そうしたことを見ながら歩いていられたのも道のりの半分ぐらいだった。暑さにやられて、ほうほうのていで戻ってきた。

道の記


むらさきの花咲くコミュニティバス停

2017年8月11日

道の記


台風が来るという前の日だったかと思うが、電車の床にとんぼが落ちていた。乗客の人たちに避けられていた。手に取ると生きていたので連れ出し、駅を出て近くの公園へ連れて行った。左側の翅が1枚しかなく、足も減っていて、飛ぶのも動くのも無理のようで、公園の隅のつわぶきの葉に置いて別れた。


きょうまたその駅で降りた。安置した虫のその後を見ることはふだんしないけれど、きょうは公園に立ち寄った。とんぼはつわぶきの葉の上にはいず、その下で、雨宿りか日よけをするように伏せていた。台風も大風もそこでやり過ごしたのだろう。声を掛けて指で触れたらかさっとした。瞑目して立ち去った。


クサギのトンネルはいちだんと香り立っていた。落ちていた花をひとつつまんだ。その花も香り立っていた。


柳絮の木はなくなっていた。根も取り払われたようで、新しい土が入れてあった。水辺の向こうではイベントが開かれているようで、そちらへ向かう浴衣姿の人たちが夕方の道を歩いていた。


入ったお店で歌が流れていた。ぼくたちの前にこれからもこの自然が変わらずにありますように、と聞こえた。

2017年8月9日

道の記


道の片側のイチョウとモミジバフウの街路樹が昨年撤去されて別の木に取り替えられた道路、今度はもう片側のモミジバフウが全部なくなっていた。おそらく同じことになるのだろう。以前あったお屋敷の豊かな緑もいまは駐車場で、道のイメージがすっかり変わった。

2017年8月6日

道の記


柳絮の木は丈が半分になっていた。撤去札が掛かっていたほかの木はすでになくなって根まで抜かれていて、その木とあと1本の柳の木だけが伐り残されていた。雲に隠れた月のまわりが彩雲のように色あざやかに光っていて、木を向こうから照らしていた。幹から伸びた若い枝葉だけが風に揺れていた。