道ゆく先々での、木々草々花々などさまざまの出会いとその後を、一筆箋に綴るつもりで。
From the Wayside: about my acquaintances of trees, flowers, weeds and others (written in Japanese)
※ ページの下のほうにこのブログの説明・過去記事カレンダー・タグクラウドなどがあります
※ 現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)
2018年6月10日
道の記
クスノキが伐られた神社に少しひさしぶりに立ち寄ったが、どうも境内が明るい気がするので歩いてみると、大きなクスノキの伐り株があった。前回伐られたクスノキと変わらないぐらいの大きさ。新しく伐られた様子。少し高めの位置で伐ってあり、なぜか、切断面に木の板が打ち付けられて平らにしてあった。板と断面との隙間から薬剤注入の跡が見えた。
その少し先の歩道で、むしられた草が道の真ん中に放置されていた。すぐ隣のアパート駐車場にアイドリングを掛けている車がいたけれど、草を拾い上げて横の土がある所に移した。
町内施設の塀際の草もむしられていた。すみれの葉が散っていた。
道の脇の小さな復活中のクスノキも伐られていた。遠目でわかった。近寄ると、ひこばえを伐られて小さなこぶのような伐り株になっていた。数センチだけ残った枝が1本、緑色をしていた。
街路樹のクロガネモチが伐られている途中だった場所はアスファルトが敷き詰められていた。何もなかったかのようだけれど、そのように舗装されていることがかえって、ここに何かがあったことを示しているとも思った。
2018年6月7日
2018年6月3日
道の記
ランタナの電柱とねこじゃらしの電柱は同じ通りに面している。ランタナ電柱の場所にもねこじゃらしが1本穂を出していた。その隣ではアカカタバミが実を待機させていた。
からん、からんと鐘の音がした。公共施設だが鐘はあっただろうか。鐘にしては軽い音なので、たぶんあの音ではないか。そう思いながら音のほうを見ると、思ったとおりに旗を掲揚するアルミポールが見えた。音が止んだ。
お墓が作ってあった。拳ほどの石がぐるりと並べられていて、それぞれラベンダーとカーネーションに似ている花が手向けられていた。鳩たちが誰かを待っている様子だった。
2018年5月30日
道の記
中心街の大通りに面していた桜が撤去されて今年は花が見られなかった。建物も撤去されて広くがらんとしているその場所の端に、桜の枝が出ていた。大人の腰の高さくらいまで伸びて葉を茂らせていた。桜はもう1度ここで生き始めたいにちがいない。跡地では何かの掘削作業が行われているようすだった。
2018年5月27日
道の記
道の脇の空地に、少しだけ幹を残したクロガネモチの伐り株が2つ、やや無造作な感じで横たえてあった。そのうちのひとつの根元の土に、ムラサキカタバミの株が付いていた。花がひとつ咲いていて、つぼみがひとつあった。
街路樹のクロガネモチはその道の各所で点々と撤去されていた。根も掘り上げられてなくなっていた。撤去された区画のひとつの、その隣のクロガネモチのふもとに、伐り屑がうっすらと積もっていた。
道の記
どちらかというとビジネス街の印象があるこの街に、ずいぶん清楚なお召し物のお嬢さんがと思っていたら、道の少し先で同じ白のガザニアがにこにこ咲いていた。
2つ続けて信号がある道のオニタビラコは、風が同じ方向から吹きがちなのか、きょうは全体が片方へ傾いていた。茎はたくさん立っていた。花もつぼみもたくさんあった。その1メートル四方だけ取ったなら、ちょっとした林のようだった。
小径のその一角だけ緑ゆたかに見えていた。種類がわからない洋物の感じの木々が洋風のお店のファサードを森の中のお店の感じに仕立てていた。お店の入り口の真横で、よく育ったオニタビラコがたくさん花を咲かせていた。
ラベル:
2つ信号のオニタビラコ,
オニタビラコ,
ガザニア
2018年5月26日
道の記
マンションの正面脇にイヌビワの幼木が出ていた。もう少し先の、新しく出来た花壇の脇にもイヌビワがいる。ここはイヌビワ通りだったのだと気付いた。幼木は丈は低いながらも立派な葉を広げていた。
しばらく前に街路樹のクロガネモチが伐られた。そのときは建設工事で車両の出入りの邪魔になるからだったようなのだが、いまそのときの場所の隣で伐採工事が行われていて、それは理由がわからない。クロガネモチが大人の胸の丈ほどで伐られていて、私が通ったときは地中の根を伐っているところだった。
そこに差し掛かる前に見たクロガネモチは、ふもとにエノキの幼木やナガミヒナゲシを従えて、樹冠をやや道路に傾けながらもすこやかに立っていた。
亀が歩いていた。人に踏まれそうに思えたので気を付けるように言うと、私を嫌そうにして、すたすた歩いて近くの茂みにたどりついた。近くの水際でもう一頭の亀が関係なさげに陽を浴びていた。
道の記
あじさいの小径にあじさいが咲き始めた。ペロペロネもにぎやかに咲いていた。
セイヨウタンポポ電柱のそばに出ていたイヌムギが枯れてきた。そのとなりにネズミムギが出ているのに気が付いた。タチイヌノフグリは少し色褪せているがよく伸びている。
2018年5月24日
2018年5月22日
道の記
飲食店跡地は更地になっていた。木のちぎれ根が地面から少し出ていた。アスファルト舗装が一部残っていた。その土地の以前を思わせるものはほかに何も見当たらなかった。歩道との境界にヨモギが小さく生えていた。
2018年5月21日
道の記
公園の入り口にハハコグサが咲いて並んでいた。
電柱ねこじゃらしは早くも穂をのぞかせていた。
タイル舗装の隙間から、となりのツメクサとあまり変わらないくらいの丈で、キュウリグサが短く伸びていた。1度刈られたのかもしれない。その少し先で、そのキュウリグサより少しだけ高いほどの丈のヒメジョオンが花を咲かせていた。
大きな飲食店の建物が解体工事を受けている。手前の植え込みでサツキが咲いていた。植え込みはもっとにぎやかだったはずで、そのサツキは植え込みに残されるのかもしれないと思った。敷地の横が見える位置まで来ると、その植え込みも壊されている途中だった。
道の記
縁石を縁取ってツメクサの緑が並木のように続いていた。
工事現場フェンスの地面際に草の絵が印刷されている。その草の絵を仲間のようにして、ノゲシやオッタチカタバミやオニタビラコが生えていた。その上に大きなてんとうむしが描かれていた。
高架の下に以前は駐輪場があった。そこに発泡スチロールの箱を使ったプランターがあって、アロエの仲間だと思う多肉植物が植えられていた。駐輪場が他所へ移転したが、プランターがなぜかそのまま残された。横を通るたびに気にしていたけれど、金網の向こうだったこともあって、何もしなかった。
しばらくそこを通ることがなく、しばらくぶりに通ったときには、そのアロエは枯れていた。アロエはきょうもそのままでそこにいた。
道の記
セイヨウタンポポの電柱下はスズメノカタビラが枯れ、タチイヌノフグリが伸びている。タチイヌノフグリは花を咲かせるよりは付けた実を育てることのほうに力を注いでいるようだった。
ラベル:
スズメノカタビラ,
セイヨウタンポポの電柱,
タチイヌノフグリ
2018年5月9日
道の記
どこかで伐られた木の伐り株や裁断後の幹がいつも放置気味に積んである場所がある。木はおりおり入れ替わるが、いまは輪切りになったイチョウが置いてある。このあいだ通ったら、横倒しになっている伐り株からところどころ葉が出ていた。根が土に埋まっているわけではない。水が吸えているのかどうかわからない。それでも葉はみずみずしい緑だった。
わたしは生きている。その一念が伝わってくるようだった。
道の記
ノアザミが、わたしも花守の1人ですよと言いたげに大きく育って花を咲かせていた。
大くすのきの林だった場所は、地面の一部に穴が掘られ、ところどころブルーシートが掛けられていた。伐り株は道路から3株見え、2つは勢いよく芽を吹き上げ、もう1つは小さなひこばえを生やしていた。
クスダマツメクサをひさしぶりに見た。よく見ているコメツブツメクサよりたしかに花の穂が大きい。その向こうの小さな土手に、ムラサキツメクサ、そしてシロツメクサと花畑が続いていた。どこもたしかに春だった。
道の記
住宅地の中の空き地の一角。そこに、そこそこ大きなソテツの木がいる。何年か前に初めて見て、忘れがたい印象を持った。ふと思い立って、訪ねてみた。
どうしているだろうかと半ば心配しながら行ったのだけれど、ソテツは変わらずにそこにいた。いちばん上の段の新しい葉だけが残されていて、おりおり手が入っているように見えた。ふもとから新芽も広げていた。
その残されて立っている姿が、どこか神々しく感じられた。頭を下げて立ち去った。
2018年5月5日
道の記(五ヶ山・小川内)
五ヶ山、東小河内の神社の木々はダム湖の水に浸かり始めていた。双眼鏡で見ると、桜やモッコクのいちばん下の枝の少し下まで水が来ていた。地面が水没したため、小さな動物が木に登っていないかと思って枝を細かく見てみたが、わからなかった。
そのすぐ近くの水面間際で、つつじが咲いていた。民家の跡なのだろう。その少し上に、なにか薄紅の花が咲いていた。
東小河内の側から東小河内の木々を見ていると、湖面を風が渡るときにさざ波が立って、日光を反射した白い細かな光がまるで吹雪のように木々に押し寄せてくるのが見えた。悲しいほどに明るかった。
道の記
道端の土に差した木の小枝はもうわからなくなっていた。
もう開いていないお店の前のプランターにいろいろな草が出ていたのが、プランターもなくなった。その位置に、なごりのようにノゲシが育っていた。
丁字路のホウキギクは草取りに遭っていた。まわりの草も高い草はなくなっていて、短い丈の草だけが目こぼしされたように残っていた。ホウキギクはおそらく地下では生きているだろうと思うが、すぐに葉が出てくるのかわからない。秋はまだ遠い。
2018年4月30日
道の記
大きな林だった場所はビルになるのだと書いてあった。赤土がうずたかく積まれ、木の根が横倒しになっていた。
電車から見える小さな公園の桜が、長らく大きく枝を張り出していたのだが、最近になって枝が落とされた。公園の近くをたまたま通ったので、落とされてから初めて立ち寄ってみた。桜はところどころの枝がなくなっていたが、じゅうぶん元気にしていた。休日の昼下がりに公園は誰もいず、となりの建物のほうからこどもたちの遊ぶ声が聞こえていた。
広々とした草地が工事されていた公園は、けっきょく芝生と砂地の公園になった。ただ、そのまわりにも草地だった部分があり、そこはそのまま残されていた。キランソウやコナスビがしずかに咲いていた。
道の記
大きな道に面したアパートか社員寮だったような建物が空になっていて、その建物の下にヒルザキツキミソウがたくさん咲いていた。
坂の上が開けているように見えたので上がってみた。小さな公園があった。できたばかりのように見える。木は小さくてまだ陰がない。誰もいない。となりは造成工事の途中だった。一帯が再開発かなにかでフェンスに囲われたり更地になっていたりして、それで開けて見えたのだった。そこに人がふたたび住むようになるというのは、いまの景色からはずいぶん遠いことのように感じられた。
フェンスに開いている窓の向こうに、あまり高くないポプラの木が細々と立っていた。1度伐られてそれからふたたび伸びたようにも見えた。次の建物が建つときにはどうしているだろう。
道の記
春に通っていた公園。再整備工事の際にカンサイタンポポをプランターに移植して土手に再移植した公園。毎年カンサイタンポポがかなりの数咲き、土手やその下でこどもたちが草や虫と遊んでいた場所だった。その土手が杭とロープで囲われていた。カンサイタンポポは咲いてはいたが、草遊びをしているようなこどもはいなかった。ボールがロープを越えて土手を転げ落ちていき、男の子が1人、ロープを越えて土手を駆け下りてボールを取って駆け上がってきた。
その公園に次に行くのは3年ぐらい経ってからにしようと思った。
イヌノフグリをときどき見に行っていた場所、道路の両側に薬が使われた形跡があり、イヌノフグリも何ももうわからないほど枯れていた。フラサバソウがいくらか形を残していた。1株、タツナミソウのように見える草がかろうじて生きていて、その姿が、何かを証言してくれているかのようだった。
2018年4月23日
道の記
坂はウマノアシガタらしき黄色の花に埋め尽くされていた。
開発中のくすのき林は丘の掘削が進んでいた。もう斜面には伐り株はなく、平らになった手前の地面に木の根が山積みになっていた。くすのきの、葉の香りではなく伐られたときの匂いがしていた。斜面の最上部にはちらちらと緑色が見えたが、伐り株のひこばえかどうかは私の目ではわからなかった。置かれた木の根のひとつが、こちらへ向かって大きく曲がりながら伸び出して、途中で切れていた。
その丘の道を降りると、道の片側だけ薬が使われたのか、草がことごとく枯れていた。ただアメリカフウロだけが、葉を紅葉させてわずかに緑味を残して横たわっていた。
何の種類の木かわからないけれど枝の先だけが歩道の路面に落ちていた。まだ初々しかったので、道端の土に差した。覚えておかなければと思う。
道の記
丘の上へと建て並ぶむかしながらの団地の坂道を見上げて、団地に住んだことがないのになにか胸をかきむしられるような懐かしさがわき上がった。私はこの景色のどこにいついたのだろう。
遠い山が霞んで美しいうすみどりをしていた。どこか帰る所をずっと探して歩いている気がしてきた。いや、帰りたい所はこの景色の中だ。この景色をここに立ち止まって座っていつまでも見ていたい。しかし人間社会がそれを許さない。日も暮れてこの景色も変わってしまう。なにか食べたくもなる。私はここにいつまでもいるわけにいかず、また歩き出すしかない。
そしてその先でまた、帰りたかった景色に出会う。立ち止まる。また歩き出す。そうやってきっとずっと歩いているのだろう。
道の記
イヌノフグリがいる場所をいくつか訪ねてまわった。うち1か所の道端では花が咲いていた。他の各所で見るイヌノフグリはもう花の季節が終わりかけている様子だったので、花が見られてうれしかった。
別の場所のイヌノフグリは、昨年この時期は桜蕊に埋もれていたのだったが、今年は草取りが入ったようだった。ひっくり返された土の上に桜蕊が積もっていた。屈んでよく見てみると、ほぼ枯れきった短い草の茎が1本あった。手に取って見るとイヌノフグリの茎だった。種子が入っているさやが割れていた。枯れる前に種子を撒くことができたのだろう。
丁字路のホウキギクは花が咲いていた。それも2つ。冬を越すことができたのだ。強い日差しが、まわりの若い草ともども、ホウキギクを照らし返していた。
2018年4月22日
道の記
神社の伐られたくすのきは、根元の樹皮が剥がれ始めていた。
よく歩いて通りかかる三叉路の木、ベニバナトチノキだなと思っていたが、花のときに通ったのは初めてだった。やっと来ましたね、と言われた気持ちになった。
よく歩いて通る道から丘の上にこんもりした林が見えていたのだが、その林がなくなっていた。そばへ行ってみた。赤土の丘のところどころから木々のちぎれ根が出ていた。種類がよくわからないいろいろな幼木が敷地の端のフェンス際に残っていた。
先日、まちなかに残っていた、森のような林に囲まれていたお家の敷地が空になって建設工事が始まっているのを見た。まちのむかしの風情を垣間見せてくれていた一角だった。敷地の中にきっといろんな木、いろんな草、いろんな生き物がいたことだろう。
フェンスの下のわずかな隙間の地面でアカカタバミが花を咲かせていた。
2018年4月18日
道の記
若い草が出て来ている丁字路の角に、茶色の小さな茎が見えた。近寄って見ると、ホウキギクが枯れているのだった。そういえば去年の秋にここでホウキギクを見た覚えがある。よく見ると、綿毛や綿毛を放った跡のほかに、花弁が白いまま縮まった花があった。冬のたびたび寒かった頃に最後の力で咲いていたのだろうか。いま、春の草に並んで花のままでいる。
そのホウキギクのことを思いながらまたその丁字路に来た。ホウキギクの茎を手に取ると、しなやかだった。生きているかもしれない。そう思ってあらためて見ると、茶色の茎の一端が小さな芽を宿しているようにも見えてきた。また来て見てみようと思う。
道の記
もともと何のお店だったかわからないが古い感じのお店の跡に閉店告知の貼り紙が残っていた。見ようと立ち止まると、横にいた猫が後ずさりし始めた。猫に悪いので立ち去った。猫がお店の後を守っていたような気もした。
公園の山の道で次々と猫たちに話しかけられた。道の最後のほうで出会った猫たちはもうただの通行人などどうでもいいという超然とした風情だった。
2018年4月15日
道の記
少し前、電車を駅のホームで待っていたときに、ちょうど正面のレールのあいだにイヌコハコベらしき草が見えた。ほかの位置には草は生えていず、なんだか待たれていたような気も一瞬した。
その同じ駅のホームで別の位置で電車を待っていたときに、こんどはレールのあいだにイヌコハコベとノゲシが見えた。ああここにもいたんだ、と思って前回のことを思い出した。駅の広場でイベントが行われているらしく、ギターの弾き語りの人の「イマジン」を歌う声が聞こえてきた。
Imagine all the people..、そのpeopleに草は入っているのだろうか。そう思ったとき、イヌコハコベがさっと風に揺れた。
2018年4月14日
道の記
電柱下のイヌムギは引き抜かれていたのだけれど、その1mほど横に小さなイヌムギがいた。丈20cmほどだったか。小さいながら穂を付けていた。
その電柱近くのホトケノザは、1度むしられたのだが茎が1本だけ残っていた。その茎もこのごろは枯れ色になってきたのだけれど、こんど新しい葉が出てきた。
見ている路傍のナガミヒナゲシ、冬場からロゼットを小さく広げていたけれども春になっても生長しない。あまり根を伸ばせないのだろう。この様子だとこのさき大きくならずに短い柄の小さな花を付けるだけになるのではないかと思う。
芝が植え込まれている細い隙間に、スズメノカタビラが芝の仲間みたいな顔つきをして1株生えていた。
そういえば電柱下のスズメノカタビラは少し疲れた様子だった。いまごろは雨で一息ついているのではないかと思う。
ラベル:
イヌムギ,
スズメノカタビラ,
セイヨウタンポポの電柱,
ナガミヒナゲシ,
ホトケノザ
2018年4月11日
道の記
削られた土手のわずかな地面。まだ土手だった一昨年のときたくさん出ていたナガミヒナゲシは、もう出ていなかった。かわりにノゲシが出ていた。土手の端まで歩くと、もとのままの地面が残っている所にナガミヒナゲシが寄り集まったようにして花を咲かせていた。
カラスノエンドウ、フラサバソウ、アメリカフウロ、ヤエムグラ、いろんな草がその一所から競って伸びて広がっていた。
道の記
線路脇の伐られた柿の木はもう根も生きていないのか、芽吹いていない。ちょうどそのあたりに工事のお仕事の方が向こうを向いて立っておられた。
セイヨウタンポポがいた電柱の下は最近はスズメノカタビラやタチイヌノフグリが生えているのだが、このごろイヌムギが大きく伸び出していた。そうしたらイヌムギだけが引き抜かれたようで、なくなっていた。電柱下はイヌムギが出ていなかった頃に戻ったような草景色になった。
2018年4月10日
道の記
しゃがんで草を見ていたら鳩が1羽やってきた。ずいぶん近づいてくる。食べ物はないよと手を広げてみせたら1度ぱっと飛び下がったが、もっと近づいてきて、私の指をつついた。食べ物がないのに手をつついたらいかんよと軽く叱った。そのあとも鳩は私のそばにずっととどまっていた。
鳩は顔に傷があった。ほかの鳩たちが群れていたのだが、その鳩は群れには入っていかなかった。その意味では私も仲間だった。
電柱下のランタナはもう出てくるようには見えなくなった。同じ隙間から、ナガミヒナゲシとかたばみが出てそれぞれに花を咲かせていた。
道の記
東小河内の桜はほぼ満開だった。そのとなりで別の種類の桜のように見える白い花も咲いていた。ダムの水は根元から高さで数メートルはもうないように見えた。
ダム湖の別の場所で、水面から少しだけ出ている枝、おそらくこずえの部分だと思うが、そこに山桜の花が咲いているのが見えた。この数日で水位が急に上がったということはないはずで、水に浸かっていながら咲き始めたのだと思う。
その山桜の少し上のまだ水が来ていない所で山桜が咲いていた。
帰り際になかなか立ち去ることができなかった。いまは駐車場になっている旧工事現場入り口から振り返って桜を見た。手を挙げて振った。桜が大きく揺れた。きょう見ていてそこまで揺れた時間はなかった。私も大きく手を振った。また来ると伝えた。
道の記
五ヶ山へ登ろうとしていたが平地にいる時点で大風で、さらに雨が霰になった。翌日バスの運転手さんが、上では雪だったとおっしゃっていた。
疲れて歩いて帰る途中でハナダイコンの群れに出会った。その花の下にも小さな花が咲いていて、すみれかと思って目を近づけたら、それらも小さなハナダイコンだった。
道の記
大くすのき林の丘はさらに切り開かれていた。手前の大くすのきの伐り株はこちら側の根がむき出しになり、ところどころ削れていた。その伐り株から若葉の枝が勢いよく伸び上がっていた。奥の伐り株には芽は見えず、いつかのときのように、なにかの建造物のように立っていた。
2018年3月31日
道の記
土手のヒメオドリコソウは今年も出ていた。ここでもホトケノザと並んで咲いていた。
むかし通っていた桜を訪ねた。散り始めだったがみごとだった。若い桜の木の下でおかあさんたちが花見をしておられた。若い女性の方々もやってこられた。あのころお会いしていた方々にはこの数年はお目にかかれていないが、この桜をごらんになりながらつつがなくお過ごしのことと信じている。
母校の桜もみごとに咲いていた。キャンパスの移転が迫っていて、花姿を見ることができるのは今年が最後になるのではないかと思う。春休みで学生が少ないキャンパスを花がしずかににぎわわせていた。
2018年3月30日
道の記
中心街の放置されていた植え込みは花が植えられていた。
花壇の下に、なにかトウダイグサの仲間のように見える花の茎が切られたかちぎられたかして落ちていた。花壇にはそれらしき花はなかった。花壇の隅に差してその場を立ち去った。
あまり見ないヒメオドリコソウ、今年もこれまでの場所に出ていた。ホトケノザと並んで咲いていた。
桜並木の下に、手押し車の女性の方がやってこられた。オオシマザクラの下で、鳥がつついて落ちた花をひとつひとつ拾い上げて手押し車の中に入れておられた。
公園の端の桜の伐り株は芯が腐朽して穴があいていたのだったが、そこになにか球根が植えられていた。球根は短い葉を伸ばし始めていた。
2018年3月26日
道の記
お家の横の小さな犬走りに季節おりおりにいろいろなものが植えてある。きょうはハナダイコンがいっぱい咲いていた。そこに差し掛かって小さく手を振ると、ちょうど風が吹いたのか、ハナダイコンもいっせいに揺れた。私に手を振ってくれたと思ってにわかにうれしくなった。私が優勝パレードしていて沿道へ手を振ってハナダイコンが応えてくれたり、ハナダイコンが優勝パレードしていて私が沿道から手を振ったりしている絵を思い浮かべた。
遠く夕日を撮影している人が見えた。飛行機雲はめいめいの方向へ伸びていた。
道の記
宅地になると聞いていたくすのき林だが工事の札には違うことが書いてあった。手前の丘はしだいに削られてきて、すぐ前の斜面に見えていたくすのきの伐り株はまったくなくなった。丘の上に小さな伐り株があるようにも見えるが、よくわからない。遠くの山はきょうは霞んでかすかに見えるだけだった。
その山のほうに向かって歩きながら、なにかよくわからないせつない心持ちがずっとしていた。あたりにただよう花の香りのせいかもしれず、その花の香りと結びついたむかしの思い出のせいかもしれず、その山のふもとに結びついたもっとむかしの思い出のせいかもしれない。山まで歩いてもその答えにはならなさそうだった。
道の記
高熱を出し、ひさしぶりに車で送られるという体験をした。いつだったかの夏に歩いた道、街路樹の根元のすみれ、大通りに出る手前の草むら、そういえばそこのお家の道側は小さな畑だった…、と、見ていて涙が出てきた。今度は歩いてここを通ろうと思った。
2018年3月14日
道の記
旧い建物が解体されてねこじゃらし畑になり、そのあとマンションになった土地。敷地の隅に残っていたヒメウズが今年は出ていなかった。植え込みの端にカタバミの葉が見えていた。
電柱ランタナの伐り株は動きがない。その横から、ナガミヒナゲシのロゼットとアカカタバミが出ていた。
早めに咲くソメイヨシノの木は、つぼみが出ていたがまだ花の柄があまり伸びていなかった。それでもこの暖かさなので、明日明後日にも咲き始めておかしくない。その咲き始めには立ち会えなさそうだ。
数日前にはじめて水星を見た。日没後の西の低い空、金星がいくらか明るく輝いているその右上に、金星よりはやや暗く輝いている。きょう公園で双眼鏡で見てみた。金星と同じ金色に見えた。
公園のケヤキの樹冠の向こうを、さっきまで飛行機雲だっただろう長い雲がななめに横切っていた。
2018年3月12日
道の記
ホルトノキの植樹帯がなくなっていた。ところどころにほかの植物が植えられたり鉢が置かれたりもしていたのだった。横のお店に小さな鉢植えがいくつか置かれていた。
路地に面した大きなお屋敷が更地になっていた。地面から抜かれた木々が山積みにされていた。山茶花の花が見えた。敷地の端に槙の木の伐り株があった。まだ若く、根元から出ているのか伐られたのが落ちているのかわからなかったが根元で青々とした小枝が開いていた。
四つ角のひとつの角のお店の前に以前からヒメツルソバが出ていた。わずかな隙間からいきおいよく茂っていて、ある冬に寒さでやられてしまっていたのだが復活してまた茂っていた。その一帯が、舗装し直されていた。近くに来てみると隙間無く舗装されていて、ヒメツルソバが出てくる余地はなさそうに見えた。心惜しく立ち去ろうとしたとき、敷地の隅の隅にヒメツルソバの葉が少しだけ出ているのが見えた。
そのときが震災の時刻だった。遠くに雲の頂が見えていた。
道の記
唐実桜がなくなった線路脇には、柿の木の線路脇と同じように砂利が敷かれていた。大きなちぎれ根が1本、地面からうねり出ていた。そのまわりでオオイヌノフグリとフラサバソウがこまかな花を咲かせていた。
そこからあまり遠くない小さな場所で実桜が咲いていた。小さな木で、近くに寄ってみると若い頃にいちど伐られた跡があった。たぶん意図して植えられたものではなかったのだろう。いまの幹はその伐られ跡と同じくらいの太さになっている。花はなつかしく香っていた。
境内の再度伐られたくすのきは伐り株の断面がすっかり黒ずんでいた。芽が動き出している様子は見えなかった。
公園のヒマラヤスギは中程から上がなくなってしまったが、中程から下は変わらず葉を元気に茂らせていた。公園いっぱいにこどもたちが遊んでいた。
2018年3月11日
道の記
ずっと開いていないお店の前の放置されているプランターにいろいろな草がおりおり出ていたのだけれど、そのプランターがなくなった。お店の看板もなくなっていた。プランターの陰だったあたりから、ノゲシが伸び出て咲いていた。
ヒロハホウキギクが咲いていた大通りの中央分離帯をひさしぶりに渡った。ヒロハホウキギクは茎だけになって乾いて立っていた。となりのセイタカアワダチソウはかすかに緑味を残しているようだった。
坂を降りる途中、ソメイヨシノの枝が私の頭のすぐ上に伸び出していた。花芽の殻が割れていた。今年はどこで最初に花を見ることになるだろう。
宅地になることになったくすのきの林は、造成が始まっていた。手前に見えていたいくつかの大きな伐り株はどれもなくなっていた。丘の頂のあたりにいくつかの伐り株が残っているように見えたが、そこを残すという様子には見えなかった。色が変わった地面のところどころからちぎれ根が見えていた。
立ち去り際に立ち止まって振り返ると、遠くの山がくすのき林の丘と並んで見えた。山は青空の下で夕日に照らされて染まっていた。ふと、山が悲しんでいる、と思った。立ち去るとき、後ろからなにか鳥の鳴き声のような音がふたつ、きん、きん、と聞こえた。もう一度振り返ったけれど鳥は見えなかった。
ラベル:
クスノキ,
セイタカアワダチソウ,
ソメイヨシノ,
ノゲシ,
ヒロハホウキギク,
プランター,
山,
宅地開発中のくすのき林,
中央分離帯
2018年3月9日
道の記
もとセイヨウタンポポの電柱下は、スズメノカタビラの脇からホトケノザが出てきた。少し離れたところにセイヨウタンポポがいたのだけれど、そこもホトケノザが出ている。
柿の木の線路脇は砂利が入れられていた。すぐ隣には鋼板が立てられていて、遠からず大きな工事が始まりそうだった。
ラベル:
スズメノカタビラ,
セイヨウタンポポの電柱,
ホトケノザ,
線路横の柿の木
2018年3月7日
道の記
アキノノゲシがいた空き地はマンションショールームになっていた。地面は見えなくなっていた。
町は梅の香りが漂っていた。
遊歩道でご年配の方がベンチに腰掛けておられた。すぐ前のコンクリートにルリタテハがとまっていた。今年ルリタテハを見るのは初めてで、しゃがみこんで見ていたら、こどもさんが見つけて寄って来た。ときどき翅を開いて瑠璃色の模様が見えて、きれい、と言っていた。お母さんもやってきてひとしきり話した。そのあいだにご年配の方が立ち去っていかれた。みな立ち去ってルリタテハが最後までいた。
飛行機雲は雨になるよ、と、遊歩道を歩いていた方から教わった。
2018年2月26日
2018年2月22日
道の記
もう何年も歩いている大通りの歩道の脇に、気付かなかった伐り株があった。はこべの花に囲まれていた。
やはりよく通る道から見える公共施設の小さな倉庫の裏側から、いぬびわの木が大きく伸び出しているのに初めて気付いた。枝先にぱらぱらと実が見えた。
駐輪場の柵に赤いマフラーが結んであった。けやきの木がぜんぶ見ていたみたいにそびえていた。
交差点のこぶしの木にはたくさんの花芽がついていた。風が冷たくなっていて、ふかふかの花芽が少し暖かそうにも見えた。満ち始めたばかりの月が梢の向こうに見えた。
2018年2月20日
道の記
治療を受けている古木いちょうがいる屋敷跡は、いまマンションの建設工事をしている。対岸から見たらすでに高い建物ができていて、正面横のいちょうが建物の下で小さく見えた。絵本『ちいさいおうち』の絵のようだった。
中心街の大通りに面していた桜がなくなっていた。いま一帯が造り替えられようとしているところで、隣の建物も解体されて広々としていた。春、花の散る頃に通ると、人通りの多い歩道の上を花が舞っていた。その景色が、いま目の前にあるがらんとした広がりよりも自分の手前にあるように思えた。
咲きかけのさざんかの木が置かれていた更地は駐車場になるようだった。工事が進められているその奥に、色の褪せたさざんかの木とほかの木々がまとめて横たえられていた。
ラベル:
イチョウ,
サクラ,
サザンカ,
旧小学校の桜,
飯田屋敷跡のイチョウ
2018年2月13日
道の記
10年ぐらい前にこの橋を歩いたときもやっぱり冬の最中で、手すりの下にすみれがいた。きょうもすみれはいた。たもとに雪を溜めていた。河原では鴨たちがじっとしていた。
夜の道で、雪があられになった。あられは路面に降りても留まるところがなく、荒波のように、いや荒波でさえこんなに荒れてはいないと思うほど荒々しく路面の上を吹き流れていた。
吹き荒れる夜の大くすのき林を横に歩き過ぎながら、自分は明るくにぎやかな場所にいるよりもここで吹雪を受けながらずっと伐り株の木々を見ていたいと思った。手前の伐り株から伸び出ている短いひこばえがほの暗い雲にそびえ立っていた。
2018年2月12日
道の記
高い建物の上の給水塔のようなところから、からすが飛び立った。あとに何か鳥のようにも見える黒いものが残っている。からすだろうかと思ってしばらく見ていたが、遠くて、動いているのかどうかもよくわからなかった。幼木かもしれない。さっきのからすはそこで何をしていたのだろう。気が付くと、給水塔の真下に別のからすが1羽、ずっと留まっていた。
震える寒さになった。自動販売機でココアを買って飲んでいて、そこの庇の上からスズメノカタビラが出ているのが見えた。穂も出ていた。
公園で草探しをしていてこどもたちから声を掛けられた。近くの草を差して、こっちはアメリカフウロ、そっちはオランダミミナグサ…と話したら、すかさず、こんなにいろいろ名前を知っているなんてすごい、と言われた。ひさしぶりにこどもさんから誉められてうれしかった。
この前ここを訪ねたのは何年前だったか、そのときには伐られてまもなかったように覚えている大きな伐り株。時が経って、すっかりしずかになっていた。あちらの伐り株には小さな荷物が置かれて、おとうさんと女の子がゆっくりとおにごっこをしていた。
小学校は広々とした空き地になっていた。真ん中あたりに地面をそのまま活かした花壇が造られているほかは、あまり手を入れられていないように見えた。菜の花のように見える小さな葉が1列2列並んでいた。いろいろないろいろな春の草がところどころで同じく小さな葉を広げていた。さっきまでちらついていた小雪は、日差しにかわっていた。
2018年2月7日
2018年2月5日
道の記
雪ひらが次々と道路に当たってひとつひとつ砕けた。
車のいない大通りに横殴りに吹き荒れながら降りてくる雪ひらの中をなにか小さなビニール袋のようなものが翔け上がっていった。吹き荒れていても上がってゆくのはそのビニール袋だけのようだった。
耕作地が広がるその彼方の山を見ていたら、西の谷から吹雪がやってくるのが見えた。とんでもなく大きなものが襲ってきたように見えた。みるみるうちに山の景色は吹雪の煙に埋められた。それからほどなくここも吹雪になった。
道端でオニノゲシが花を開こうとしていた。春はここからはずいぶん遠くに思えた。
道の記
いまが寒さの底だろうと思う。あるところではイノコヅチが枯れて穂を高く差し上げているのを見た。あるところではイノコヅチはしおれながらもなお緑を残していた。となりの皇帝ダリアもそうしていた。
切り開かれた竹林の向かい側の同じく重機が入っていた小さな雑木林も造成が終わっていた。その区画の端に木々が並んでいた。手前の木は工事中のときに根元が掘削されていた木のように見えた。敷地内移植されたのだろう。木々の向こうから吹き上げてくる風はまだ冷たかった。
大くすのき林にはさらにいくらか工事の手が入ったように見えた。丘の奥のほうで、芽のない伐り株がなにかの建造物のように厳かに空に立っていた。
2018年1月29日
2018年1月28日
道の記
駅舎が新しくなった。これまでの入り口は閉鎖され、その前で、たぶん案内を兼ねておられたのだろう警備員の方がたぶん通りかかったのだろう方と立ち話をしておられた。
巻雲がきれいで信号待ちのあいだ空を眺めていたら、隣の女の子がきょうだいらしき男の子とお母さんに「あそこにくろがいるよ」とさかんに教えている。正面のマンションの上にからすがいて、そのからすのことを言っているらしい。色が黒だからか…と思っていて、ふと、crowだと気が付いた。とまっているからすの上方に円を描くようにからすたちが舞っていた。
傾き始めた日差しを受けて、古いブロック塀の下でチドメグサが数枚の葉を広げて、てかてかと光っていた。
2018年1月27日
道の記
新しくなった歩道の端で、学校帰りの小さな男の子がちょうど端をなぞるようにして歩いていた。その後から女の子が、その歩道端にある幅の狭い排水溝のふたを傘の先でつつきながら歩いていた。男の子は排水溝のふたの上を歩いていたのだと気が付いた。
2018年1月21日
道の記
道を間違えてしまい、行くつもりだった道へ抜けるために、またまったく知らない細道を歩いた。むかしながらの住宅が並ぶ中をくねくね行く。アパートの道際にいろいろな菊が咲いていたりするけれどじろじろ見ないで歩く。急に片側が開けた感じがした。小さな公園で男の子とお父さんがボールで遊んでいた。冬姿のけやきが晴れ空にそびえていた。
夜に通ったときは気付かなかったが、小さな畑のはじっこになずながたくさん咲いていた。
切り開かれた大くすのきの林には水仙が咲いていた。裸になった斜面のところどころに花が咲き、咲いていないところにもたくさんの葉が見えていた。大くすのきは赤い芽をたくさん出して次の暮らしに備えていた。
道の記
お家の塀の上にペットボトルの風車が顔を出していた。ちょうど日に向かって歩いているときで、風車は光を浴びてひときわ輝いていた。
刈られた稲がその田んぼ一面に伸び上がっていた。いくらかの株は穂を実らせてそのまま枯れていた。
2018年1月15日
道の記
工事が進む踏切のそば、地面が再度掘削されて元の舗装路面との段差ができているその断面から、ツメクサが生えていた。今年初めて見るツメクサは泥にまみれて花をつけていた。その横に、わりと大きく生長している同じく泥まみれのニシキソウがいた。その先にアメリカフウロの葉、オランダミミナグサの葉、そしてなにかキク科のように見える草のロゼットが見えた。
以前、そこにだけ春が来たようだと書いたわずかな場所の、たぶんわずかに残されているだけのこの時間に、春も秋もなにもかも凝縮して、草々のいのちが生きている。
2018年1月14日
道の記
いただいた野菜から出てきた青虫(モンシロチョウと思われる)を逃がすことに。人に迷惑がかからなさそうな場所で菜の花の類いの草が生えている場所ということで川の土手へ行き、ハナダイコンのふもとに青虫を放った。さっそく若葉にとりついていた。時期など含めてよい選択だったかどうかわからないが、いくらかでもよい暮らしが待っていることを願おうと思う。
むかしながらの町の一角に小さな空地があり、そこの梅の木の下でたくさんのむくどりが地面をあさっていた。すずめも混じっていた。私が近づくとほとんどのむくどりは逃げたけれども、1羽だけそのまま地面をつついていた。その横ですずめも1羽同じようにしていた。
信号が思っている方向と違う方向を青にし続けているので青信号を渡ってみた。その先で、ひっくりかえっているカメムシを見つけた。足を弱く動かしている。指に掴まったので、近くの植え込みに移した。小枝をしっかり掴んだ。寒い日がまだまだありそうだけれど、今日もうひとときのあいだは日差しが届いていそうだった。
2018年1月7日
道の記
喫茶店はやはりなくなっている。更地になっている場所は見た目その喫茶店があった場所より狭い感じがするが、木々がなくなっているためかもしれない。地面にはフラサバソウの双葉がかたまって出ていた。
排水溝からくすのきが出ているのをまた見つけた。こちらもこんもりと茂っている。くすのきのふもとには、くすのきではなさそうな落ち葉が積もっていて、道の真中でそこだけ小さな林の風情を見せていた。
向こうから歩いてこられた方が、歩きながらちらっとさざんかの花を仰ぎ見ておられた。直後にその方と目が合った。「こんにちは」と声を掛けてくださった。私もさざんかを仰ぎ見て、その先を歩いた。
2018年1月6日
道の記
桜並木の下にはタチスズメノヒエが並んでいた。伸び上がった茎のほとんどは実を落としていたが、いくつかは緑味を残していて、その1つを手に取って見たら新しい穂ができていた。桜とタチスズメノヒエが立ち並ぶその先から、日が差していた。
木々に囲まれた喫茶店があったはずなのになかったと、通り過ぎて気が付いた。途中に更地になっていた場所があったがそこだったろうか。正確な場所を思い出せない。お店の前の小さな広場にときどき猫がいて、その猫のいる景色だけが思い出された。
さっきまで空にくっきりと色あざやかに立っていた山が、もう薄暗くなっていた。西の空にはふしぎな形の雲が並んでいて、日の沈んだあたりがまだあざやかに光っていた。
ここからが冬なのだろう。
2018年1月4日
2018年1月2日
道の記
行きにはときどき通るけれども帰りにはめったに歩かない道を帰った。正面に大きな月が出ていた。今夜は少し薄雲がかかっていた。月は右上の隅がわずかに欠けていた。その欠けていることにしずかに怒っているようにも見えた。歩道の脇でだいぶ前から枯れ色をしているメリケンカルカヤの穂が、すすきの代わりのように月の手前で傾いていた。
2018年1月1日
2017年12月31日
道の記
ときどき横を通る公園がどうも明るいような気がして、入ってみた。記念碑に1人1本植樹をしたと30年ほど前の日付が記してあり、その碑の横の大きな木が伐られてなくなっていた。ほかにもところどころに伐り株があった。鋸屑が残っていた。
残された桜の枝が宙に絡まりながら伸び上がっていた。何かに届こうとしているかのようだった。
道の脇のポールのようなものの中からイヌホオズキが生えていたのだが、そのイヌホオズキも切られていた。よく見るとポールの中に小さな葉が芽吹いていた。
橋のたもとにイヌビワが大きく育っていたのが、先日から遠目に見ていて見えなくなっていた。それで今日はそばまで行ってみた。枝を少し切り詰められたようで、葉はすっかり落としていたが、たくさんの実を枝に残していた。川面に大晦日の午後の日差しがちらちら揺れていた。
もう長く手入れされていないように見える小さな飲食店の前の植木鉢に以前からいろいろな草が住んでいる。オニタビラコが今年最後の綿毛を付けていた。
大晦日の日の入りを見送ることは今年もできなかった。太陽は雲の向こうからたくさんの光条を雲に空に地上に投げかけていた。
2017年12月30日
道の記
春に薬が使われてナガミヒナゲシなどの草が枯らされた場所、ホトケノザなどの草に混じってナガミヒナゲシも出ていた。ロゼットを小さく広げていた。風は冷たかったけれども日がほのかに差していた。
エノキグサの次にカタバミが出ていた新しいマンションの敷地の隅、その近くに細かくちぎられた草が散乱していた。しかしカタバミはどうもなっていなかった。まだ種類がよくわからない草の葉も隣に見えた。
モウコタンポポが少し咲いていた。綿毛をほぼ放ち終えた茎が、その手をまだ空に広げていた。
日が暮れてうつむいて歩いていてふと顔を上げると、さざんかの花がいっぱいに咲いていた。
道の記
人通りの多い道に迫り出している大きなけやきの木の下で、たんぽぽの茎が綿毛を放ち終えて同じように空にそびえていた。
イルミネーションが輝いている道路の向こう側を眺めるような位置で、多くの穂を実らせ終えて色褪せかかったタチスズメノヒエが新しい穂を出そうとしていた。
放置気味に見える小さな緑地のローズマリーの香りに元気をもらってもうひといき歩く。
柳絮の木が撤去されてからその道を何度か歩いたが、きょうは、最後の晩にその木のそばで見たときと同じように、月が空に昇ってゆくところだった。
2017年12月26日
2017年12月24日
道の記
唐実桜の場所は鋼板が敷いてあるなどかなり手が入っていた。その隅から桜と思われる根が何本か地上に出ていた。水仙の葉が泥にまみれながら伸びていた。
排水溝のくすのきは元気にしていた。最初に見たときのように網から伸び出てしっかり茂っていた。
神社の伐られたくすのきは、この前あらたに伐られた(か、薬を注入する穴が新規に開けられていたので、この前見た木の粉はそのときに出たのかもしれない)ときにはだいじょうぶだった脇の芽が、どうも枯れているように見えた。確かめたかったが、私が近くで見て調べていると周囲の家からその様子を見て、生きている芽も摘みにくるのではないかと思い、近づくのをやめた。
まもなく取り壊されるのではないかと思われる、ついこのあいだまでお店があった旧商店街のひさしの柱の下で、ツタバウンランが地面に小さな緑色を広げていた。
いつもクリスマスの前に街角のある木を見に行く。今年も、クリスマスツリーの明るく大きなイルミネーションを背景に、葉を落としてしずかにしていた。雨滴が小枝のところどころに残っていて、街灯の光で輝いていた。
その幹の、通る人からは見えない側に、うっすらと苔を宿していた。苔も照らされていた。
2017年12月23日
道の記
通り過ぎようとしていたのを、ここは蝋梅があるのだったと思って様子を見てみた。いくらかのつぼみがふくらんで、そのうちのいくらかが開きかけていた。咲いているとまでは言えなさそうに思った。立ち去るときにかすかに香りがしたような気がした。
宅地開発中のくすのき林では、くすのきの伐り株から伸びた芽が赤っぽく色づいていた。1羽のからすがブロックの上にとまっていた。見張りをしているようだった。
トイレのある公園を探して、思っていたのと違う道を通り、歩いていくうちに、むかしながらの長屋や木造アパートの裏にむかし風情の団地が並んでいる曲がりくねった路地に入った。ふと、なにかとても懐かしい感じがした。でも心当たりはない。雰囲気を心に尋ねながら歩いていると、道はほどなく知っている大通りにつながった。
ヒロハホウキギクが分離帯のまんなかに立って咲いていた。小さなセイタカアワダチソウと隣り合っていた。横断歩道を渡りきれず、次の青信号まで花を眺めた。
帰り道にもくすのき林の横を通った。日が暮れて景色はよく見えなかった。行きは気付かなかったけれど、かすかにくすのきの幹の香りがした。
ラベル:
カラス,
クスノキ,
セイタカアワダチソウ,
ヒロハホウキギク,
ロウバイ,
宅地開発中のくすのき林,
中央分離帯,
路地
2017年12月20日
道の記
セイヨウタンポポの電柱、いまはスズメノカタビラと思われる葉が出ている。オヒシバの枯れた葉が残っている。
モミジバフウの街路樹の下は粉になった葉が積もっていた。近くで年配の男性の方がほうきを動かしておられた。
幼稚園に通っていた頃、園庭に「もみのき」があった。樅の木だと教えてもらったのかどうか覚えていないが「もみのき」だと思っていた。キリスト教系の幼稚園だったためか、私はクリスマスツリーとはこの木なのだと思っていた。葉をつむいで何かを作るのだと女の子から聞いた覚えがある。ほかの木の葉とぜんぜん違うふしぎな葉だった。いま思えばカイヅカイブキだったのだろう。
カイヅカイブキがクリスマスツリーであっても何の問題もないのでは、と思いながらカイヅカイブキの横を通り過ぎた。今度はコニファーがお家の前に1本すっと立っていた。
ラベル:
カイヅカイブキ,
コニファー,
スズメノカタビラ,
セイヨウタンポポの電柱,
モミジバフウ
2017年12月16日
道の記
以前シロバナタンポポが咲いていた、半分駐車場みたいに使われていたけれども全体として用途がよくわからなかった広い土地の、駐車場として使われていなかった半分がきれいに舗装されて駐車場になっていた。残る半分は以前のままで、草もいくらか残っていた。
ときどき書いているイチョウやモミジバフウの街路樹が撤去された道路、いまは片側だけヒトツバタゴの若木が植えられている。きょう通りかかったけれど、ぱっと見た道の景色に寒さを感じた。
以前ならいまごろの季節は落葉が終わり、高い木々の寒々とした姿が並んでいた。寒々しく見える冬の木々でも、なくなってしまうよりは立っていたときのほうがまだ道はあたたかかったのだと、きょうの景色を見てわかった。
ヒトツバタゴの若木はおおむね葉を落とし、若いなりに風にまっすぐ立っていた。
2017年12月6日
道の記
1年か2年か前にその道を通ったとき、排水溝の金網に石がはさまっているのを見つけた。通り過ぎたのだけれどなぜか気になって、そこに戻って石を取り出そうとしてみたが、しっかりはさまっていて取れなかった。その道をときどき通るたびにそこを見ている。きょう通ったら相変わらず石ははさまったままだった。
以前、道沿いで一眼レフを草むらの中に向けておられる方に出会った。ナンバンギセルが生えているとのことで、その場で教えていただいた。それから花の時期にそこを通ると自分で見ていた。今年は花の時期にそこを通ることがなく、思い出してそこを通って探してみたが、まったくわからなかった。12月に入ったがススキがあおあおとしていて穂が白く揺れていた。
月が、広い畑の上で明るく広がっていた。
大くすのき林の場所をもう1度通ったが夜になってしまって花はわからなかった。残されたくすのきの伐り株が影になって見えていた。このようになった頃には丘の上にアークトゥルスが輝いていたが、いまはヴェガが輝いていた。
道の記
伐採された大くすのきの林には黄色い花がたくさん見えた。ツワブキではと思うのだが道の対岸からでよく見えなかった。
先日、路上に落ちていた花の穂を拾い上げて道の脇に安置したそのすぐ横の事業所の花壇に、同じ種類の花が咲いていた。どなたかが花屋さんから帰る途中で落としたものと思っていたのだが、そうではなく折り取られたものだったのだろう。拾い上げた花が冷たかったのを思い出した。
ひさしぶりに通りかかった竹林は完全に整地されていた。道の対岸の雑木林も重機が切り開いている最中だった。根を痛めたのか、木が立ったまま枯れかかっていた。
赤信号で立ち止まった交差点の脇に、比較的最近伐られたように見える街路樹の伐り株があった。いちょうが多く植えられている道で、伐り株もいちょうのようだった。歩道の路面には葉が落ちていて、横断歩道の上に葉が踏まれて色だけが残った跡があった。正面にあざやかに色づいたいちょうの木がそびえていた。
2017年12月2日
道の記
ムラサキカタバミの花盛りを見た。
ナガミヒナゲシとクワクサとホトケノザの場所をあらためて見てみた。生えている小さな草はつぼみをつけていて、キク科の頭花のように見えた。ホトケノザはたしかに本葉が出始めた幼苗もいたが、きのう目に留まったのは幼苗のほうではなく、ちぎられた茎から葉が出てきたところだった。クワクサもちぎられた様子で葉がほぼなくなっていたが、小さな桑の実のような実が茎に少し残っていた。
ひいらぎもくせいの花に似た香りがどこかからした。すぐ横の垣根がひいらぎだった。
エノキグサがいたマンション敷地のはじっこに、カタバミの花がひとつ咲いていた。
2017年11月30日
道の記
たぶん樺の木だと思う。最初の年に見たときは横の2本の木々といっしょに大きく傾いていた。その後、横の木々は伐られ、その木だけが残された。傾きはいくらか戻され、添え木をあてられた。その状態で年を経ている。今年もおだやかに1年を送れたようだった。こずえのあたりにわずかに今年の葉を残していた。奥の深い森の木々といっしょに、静かにしていた。
伐り株には苔が生え、皮が剥がれ始めていた。それでも伐り株であることはやめないだろう。
2017年11月29日
2017年11月24日
道の記
この長い歩道を往く人はなにか心に抱えているものがあるのではなかろうかと思うほど長く続く歩道を歩いていて、スポーツのユニフォームを着た男の子とすれちがった。「こんにちは」と挨拶され、私も「こんにちは」と挨拶した。ほどなく歩道が途切れて小道と交わった。
坂道からはヤコブのはしごがきょうも見えていた。きょうは草地には誰もいなかった。クヌギの木が色づいていた。
伐り株になった柑橘の木は低い草に囲まれていた。
ふとなにかの甘い香りがした。道際の少し広い場所にあまり高くない枇杷の木があり、花が咲いていた。入って差し支えない場所のようだったので、近くまで寄って香りを嗅いだ。その花の香りだった。
山がきれいだった。夕日を正面に受けていながら色が淡く、背後の雲に溶け込みそうで、それでいて大きく広がり、はっきりとそびえていた。その山のほうに向かって自分が歩いているのがうれしかった。
2017年11月21日
道の記(2017年11月16日 五ヶ山・小川内)
東小河内の木々の丘には水が迫っていた。柿の木は樹冠の頂だけをダム湖の水面上に残して水没していた。枝に実が残る木のほうの梢に、1羽、大きな鳥がとまっていた。目は見開いていた。
桜は咲いていなかった。少しだけ残った葉が、色づいていた。となりのもみじは赤く染まっていた。丘の下のほうにひときわ赤い葉の木が見えた。その下が水だった。しゅろの木のそばにやや大きな木があり、枝にわずかに緑味を残した葉が見えた。その下の水面から、赤い葉の枝が伸び出ていた。
小川内の旧山祇神社境内上に位置する高い杉の木が、赤く染まっていた。
私が去るまで、鳥はずっととまっていた。
2017年11月15日
道の記
出かけていくとき、門の手前の足元にむかでがいた。用事を思い出して戻ってきたら同じ所にまだむかでがいた。何かを守っているのだろうか、と、ちらっと思った。さっき近くでかたつむりを見たのだが、そのかたつむりを私が踏まないように守っているのでは、ともちらっと思った。その思った直後に足で何かを踏んだ。かたつむりだった。
かたつむりを誰も踏まない所に安置して、出かけていこうとすると、むかではいなくなっていた。
工事現場に、そこに車が入って来るのか大きな鋼板が敷いてあって、その下からノゲシとアメリカフウロが葉を出していた。そこだけ春が早めに来たかのようだった。
キツネノマゴが生えていて抜かれたすみれのプランターから少し離れて、キツネノマゴがぱらぱらと咲いていた。
山はほのかに色づいて見えた。
2017年11月9日
道の記
バス営業所の入り口横で、ベビーカーに乗ったこどもさんが、出て行くバスに手を振っていた。バスの運転手さんが気付いて手を振っていた。
去って行くなにかだれかに手を振ることをとおして、人はそのときなにを学んでいるのだろう。私もそのようにしてなにか学んだのだろうか。
よく列車の旅をしていたころ、沿線や、線路と並行している道路を行く車の中から、こどもさんがこちらに向けて手を振っているのがしばしば見えた。あるとき、そのようにして並走している車からこどもさんが手を振っているのが見えて、手を振り返した。すると、車のこどもさんが見つけたらしく、ずっと並走しながらずっと手を振っていた。こちらもずっと手を振った。列車がしだいに先へ行くようになり、車を見失った。それから少しして、さっきの車が追いついてきた。こどもさんはいっしょうけんめいにこちらへ手を振り続けていた。
そのとき列車から手を振っていたのはきっとわたしだけではなかっただろう。
道の記
同じ歩道で、カマキリが踏まれているのとバッタが踏まれているのとに相次いで行き合わせた。どちらもあまり時間が経っていないようで、その場から動かせなかった。バッタは雌と雄がともに踏まれていた。いっしょにいたのだろう。
マンション敷地の隅に出ていたエノキグサは幻だったかのようにいなくなった。
ナガミヒナゲシとほかの草とがいっしょに出ていた隙間に、ナガミヒナゲシの葉が出ていた。すぐとなりにクワクサとホトケノザがいた。クワクサは色褪せかけていた。ホトケノザは花を咲かせていた。次の春にはナガミヒナゲシが咲き出すのだろう。
歩道のすみれのプランターにいたキツネノマゴがいなくなっていた。キツネノマゴが生えていたあたりが土が軽く荒れていて、抜かれたのだと思った。下に、引き抜かれたキツネノマゴが1本放置されていた。だいぶ時間が経っていたようだった。土の上に安置した。
どこもみんな秋の陽に照らされていた。
2017年11月8日
道の記
柑橘の木の伐り株、ひこばえがなくなっていた。伐り株はほかの木々の落ち葉になかば埋もれかけていた。
雨が少し激しくなったバスの窓からすすきの土手とその向こうのわずかな青空を眺めていて、どこか遠くのなつかしい場所にいたときの気持ちが沸き起こった。しばらくその気持ちに尋ねてみたけれども、どこだったか思い出すことができなかった。
帰りは別の道を歩いた。大きな草地を横に見て下る坂道の先に、ヤコブのはしごが降りていた。草地の向こうのほうで、こどもさんが2人で遊んでいるのが小さく見えた。
2017年11月6日
道の記
以前伐られた境内のクスノキの伐り株が、なぜかさらに伐られたようで、木紛が散ってあたりに残っていた。以前の伐採時に、伐り株の上面に薬が注入された跡があったのだが、注入跡も新しくなっていた。伸び出ていた小さなひこばえは、葉はもうなかったけれども茎は緑色をしていた。
----
小さな植樹帯に、もとからそこに植えられていたと見える灌木のほかに、ケヤキの幼木やナンキンハゼの幼木やいろんな草が生えていた。ナンキンハゼ幼木は手を入れた形跡があった。この植樹帯はこういう緑がいいのだと、だれかが主張しているようだった。
大きな通りの交差点の、むかしからのお店がそこだけ並んでいる一角を、その斜向いの角に座り込んだお年の男性の方がスケッチしておられた。このまちはいいまちだと思った。
以前いつも見ていた道の脇の小さなクスノキは元気にしていた。
しばらくぶりに通った道はしかしいろいろと変わっていた。お店がなくなったりしていた。事務所の軒先の鉢植え沈丁花は鉢ごと事務所ごとなくなっていた。事務所が廃止されたのか廃業になったのかわからないが、鉢はいっしょにいなくなったのだろう。新しい場所で来年、また花を咲かせて香ることだろう。
----
クサギのトンネルの下を、落ちたクサギの葉を大事そうに持った男の子とお母さんが通っていた。
2017年11月4日
登録:
投稿 (Atom)