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現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)

2018年11月7日

道の記


クサギのトンネルの伐られたクサギはさかんに芽を出しつつあった。


花壇にボランティアの方々が新しい花の苗を植えておられる隣で申し訳ない気もしたのだが、この街でなかなか見かけないクワクサを見つけて喜んだ。その隣でホトケノザが閉鎖花を付けていた。

道の記


数十年ぶりに訪ねた公園は自分の記憶とかなり違っていた。丘に昇る石段にかすかな覚えがあった。昇ると頂上に歌碑があった。大きなクスノキの向こうに平野が広がっていた。足元でイヌコウジュが小さく咲いていた。

2018年11月3日

道の記


病気になったときに車に乗せられて通った道を歩いた。街路樹のホルトノキの実が落ちていた。ランタナのような花、里芋のような葉。伐り株があった。ホルトノキの葉のひこばえが出ていた。


いろいろな植物に取り囲まれたアパートは植物ともども健在だった。アメリカアサガオがアパートの主のようにたくさんの花をあざやかに咲かせていた。


電線に掛かりそうな枝を伐り落とされていた大きなくすのきは、この前訪ねたときは新しい枝をたくさん出していたが、きょうはその枝がたくさんの葉を茂らせていた。樹冠がしっかり出来ていた。くすのきは青空に大きな歌を歌っているようだった。

2018年11月2日

道の記


キカラスウリは上のほうのつるは切れているようだったが、下のほうは枯れていなかった。工事の手が及ぶのは時間の問題のように見えた。


排水溝から出ていたくすのきは網の高さで切られていた。また芽を出すだろう。


神社境内の伐られたくすのきは白っぽくなっていた。


橋の脇にイヌビワの木が生えている。ときどき伐られているが、最近は伐られていない。実がたくさんなっていた。大木になる気いっぱいのようだった。


道沿いの伐られた小さなくすのきは動きがなかった。


公園の伐られたくすのきはひこばえが見事に生長していた。もう人の背丈より高くなっていて、幹が緑色になっていた。木というよりは小さな森に生まれ変わっていた。

2018年10月31日

道の記


山里へ向かうバスから見える山も空も美しかった。道沿いのポケットパークに桜が5本並んでいる。紅葉していた。その桜の上に、底が平らな雲が山のほうからこちらへと並んでいた。


きょうはいつもより切なくならないでいると思っていたが、遠くの山を見ていると切なくなってきた。自分は誰を探しているのだろう。


棚田が見える直売所はみなさん変わらずお元気だった。先週刈り取ったとおっしゃる稲が棚田の下のほうに干されていた。清掃の寄り合いから降りてこられた方々が新米の銘柄を尋ねておられた。


林に囲まれた広場の樺の木も元気だった。来たときには山のほうにだけ陽が当たっていた。降りる頃には空はうすむらさきになって、樺の木やそのまわりの木々やその奥の深い林といっしょになって、暮れ色を見せてくれていた。


帰り道には火星が見えていた。バスを待つ間、夏の大三角やそのあたりの星々を眺めた。イリジウム衛星だと思う明るい人工衛星が、ヴェガのそばをすっと通って消えていった。

2018年10月30日

道の記


小さな川の河原にはオギのように見える白穂や高い草が立ち並んでいた。その1か所が赤かった。どうもケイトウがそこだけで咲いているようだった。こどもたちが自転車で川の向こうからやってきた。


何年ぶりかでこの街のこの道を歩く。そういえばここにガザニアが咲いていた、と、咲いているガザニアを見て思い出す。建物も空き地もあまり大きく変わっていないようで、以前歩いていた頃と同じように歩くことができた。


いちょうがとりたいの、おかあさん、と、男の子がいちょうの木の下でわざと甘えた感じの声をあげていた。男の子が走り去った後、そのいちょうの木を見上げた。実を取りたいのかと思っていたが、実は見当たらなかった。いちょうは色づき始めていた。

道の記


駅の旧出口の解体が進んで、以前キュウリグサなどが出ていた花壇が取り壊されていた。キカラスウリのつるが少しだけ鉄柱に絡まっているのが見えた。

2018年10月27日

道の記


カラスが空の駐車場に集まっていた。そこで食事をしている様子。何を食べているか見えなかったが、少しぎんなんの香りがした。道の対岸に渡ると、ぎんなんの香りが強くした。スダジイの実がたくさん路面に散らばっていた。


ランタナ電柱のねこじゃらしと新しく芽を出し始めていたランタナはどちらも姿がなくなっていた。


けっきょく、人間とは生えてくる草をなくすだけのための存在なのかもしれない、と悲観的なことを思いながら、植え込みにたくさん生えているコメヒシバの穂を1本、手に取った。すでに実が実って散ってもいる。軸をさすって、ああたしかにコメヒシバだと指先で思った。こうしていることが人間として何であるのか私は知らない。知らないままでじゅうぶんしあわせだ。


植え込みの木はクロガネモチだった。離れて見ると、小さな世界の傘のようだった。


2018年10月26日

道の記


夕刊を配達する方のバイクの後をホタルガがついていった。


空き地のまんなかあたりのセイタカアワダチソウの花のところだけ陽が当たっていた。


ホタルガが歩道に伏せていた。踏まれた様子がある。近くの土の上に移そうと思って取り上げたが、近くに土が見当たらない。少し歩いて、ふつう私有地には虫を置いたりしないのだが、教会の敷地の隅の植え込みの土にホタルガを安置した。ホタルガにも救いを与えてあげてほしい。

2018年10月24日

道の記


すっかり日が暮れた。東の空に大きな月が昇っていた。大きな道から小さな道へ入り、たしかこの角の右はお家の大きな木が道へ迫り出している場所だと思いながらその角に差し掛かった。右を見ると、大きな月が大きな木を影にしていた。そこだけ別の時代の景色のようだった。


2018年10月23日

道の記


まもなく閉店と伝えられている少し変わった形の食事の店。自分は前を通るだけだったが、この場所のちょっとした特徴のように感じていた。2階入口へ昇る階段のふもとに、ヒメクグが少し大きめに茂っていた。帰りに通ったときには駐車場がいっぱいになっていた。


青空にそびえるイチョウを見て、ああそう言えばこの美術館が市に移管されてからきょう初めて訪ねるのだったと気付いた。前の美術館が閉じられたあの日もこのイチョウを見たのだった。イチョウの上の空が奇跡のように晴れたのだった。

(そのときには、奇跡でなくふつうのことのようだったと書いていた。)

その美術館の館内から裏手の丘が見える。木々が茂って散策コースになっている。その丘の上で、こどもさんと大人の方々が何か下のほうをのぞき込んでいるのがこちらから見えた。木の実を拾っている様子にも見えた。この景色が変わらず残っていることがありがたかった。


***

コスモスの道へ出る小さな坂で、以前訪ねていたお家の方とたまたま出会った。手仕事をなさる方で、その展示を拝見しに毎年のようにお訪ねしていたのだった。すぐわかったとおっしゃってくださった。お元気そうでなによりだった。すぐ上でコスモスがいつものように陽を浴びて咲いていた。


この夏、浸水した様子がテレビに映し出された公園。たくさんのこどもたちが遊んでいた。川では何か生き物を探している親子連れの方々も見かけた。芝生広場に出ると、向こうの連山の上に、上がってきたばかりの十三夜の月が雲の遠い仲間のように空に浮かんでいた。


***


その道の先では、川に小さな橋が掛かっている。だいぶ前にその橋の上で、欄干に腰掛けてゆっくりしておられたお歳の方と出会った。むかしの大水の話をゆっくりとしてくださった。その橋が遠くに見えた。その方の優しいお姿が橋の景色に重なって見えた。夕日はその先の山々を照らしていた。

2018年10月20日

道の記


クサギのトンネルだった場所では、木や草が伐られてなくなった斜面から少しずつ芽が出始めていた。ツワブキの葉が多かった。


林に囲まれていた旧家の跡地は全面何メートルぐらいか深く掘り下げてあった。もう猫も烏もいない。隣の敷地ではセイタカアワダチソウが1本、その跡地のほうへ傾げて咲いていた。



道の記


柿の木や唐実桜が植えてあった線路際の小さな緑地跡の真向かいのお家に柿の木があったのを先日見た。柿の木の緑地ではもっと以前にどなたかお近くの方のように見える方が手入れをしておられて、きっとその方のお宅なのだとひらめいたのだった。しかしそのお家は何か工事を始める様子に見えた。きょう通ったら、駐車場になっていた。一面アスファルトが敷かれていた。柿の木の緑地跡はすでに掘削されて鋼板が入れてあった。

2018年10月15日

道の記(五ヶ山・小川内)


五ヶ山・小川内を訪ねた。試験湛水中の五ケ山ダムの水位はこの夏に常時満水位に達していて、それ以降初めて訪ねた。

東小河内の桜は上部の数メートルを残して水没していた。水面上に残っている枝は遠目にはほのかに紅色に見えたが、双眼鏡では冬枯れのような白さにも見えた。隣のモッコクは梢の小枝が水面上に出ているだけだった。モッコクの小枝は上を向くと聞いているが、ちょうどそのようにたくさんの細かな枝がまっすぐに上を指していた。

小川内の側の、もともと小川内の杉がいた神社境内まわりだと思われるあたりで、杉の梢が湖面の上に残っていた。いちばん高さがあった木だろう。赤色をしていた。また、東小河内のより上流のほうの湖面に、あざやかな緑色の木の梢が見えた。若い木のように見えた。そして湖岸近くの下部が水没した木々は、ことごとく葉が落ち、もしくは変色していた。

ダムの試験湛水はまだ途中で、水位はこれからさらに数メートル上昇するらしい。

移設された小川内の杉は大過なく過ごしているようだった。短い間だけしかいなかったのでこの日全体のことはわからないが、訪れる人はまばらだった。

水面上にわずかだけ見えている桜は、冷たく眠っているようにも見えた。この眠りを来年覚ますのかどうか、いま私にはわからない。


道の記


ランタナ電柱のふもとに出てきたねこじゃらしは1株に穂を7つ付けていた。それから、ランタナが復活を始めたようで、枯れた小さな切り株の根元から新しい葉が出ていた。


小さな川を見下ろす道の端に、フジバカマの仲間の花が咲いていた。そこへアサギマダラがやってきた。2匹いる。近くへ寄っていったら、2匹とも去っていった。取り残されてそのフジバカマの仲間の花をひとり見た。花にも悪いことをした。

2018年10月13日

道の記


交差点の辛夷の実が赤くなっていた。しばらく前に元のように復帰したお地蔵さんは、今日ははっきりとした色合いに装っておられた。


ツクシオオガヤツリは秋に入ってからも新しく穂を付けていたようだ。まだ緑色が見える。だいぶ傾いた日差しに、そのいくらかが照らされていた。岸に立つ方々は鳥をご覧になっているようだった。


道の記


クサギのトンネルだった場所の舗道の上にクサギの花を一輪見つけた。すでに乾いているようだったが、咲いていた。


道の記


古木の金木犀が今年も花を咲かせたが、きょうはもう香りがしなくなっていた。おつかれさまと声を掛けた。花の時が過ぎていくのを感じながら、少し離れたところの柊木犀に近づくと、こちらは花が開き始めたところだった。香りはどうだろう、と、自分の鼻を花に近づけながら木の周りをぐるりと回った。香りはまだみたいだと思ったとき、ふわっと、鼻の中に甘い香りがした。


こどもさんを周りに従えた街角のクスノキの、そのこどもさんの周りで、イモカタバミがたくさん花を咲かせていた。


道の記


きのう見た田んぼはコスモスがたくさん生えていた。きのうは一輪二輪しか咲いていなかったけれども、あ、咲いている、と思った。きょう通ったらその三倍くらい咲いていた。田んぼの端ではハナイバナがたくさん咲いていた。

すでに一度刈られた稲がたくさん穂を実らせていた。空が深く青かった。


道の記


今日は、みみず、種類を知らない芋虫、小さなカメムシのような虫、こおろぎ、そして小さな哺乳類の動物を舗道の上から土の上に移した。生きていたのはそのうちの半数ほどだった。


切り開かれた大クスノキ林では、ボタンクサギの花がまた咲いていた。そのうちの1つの株が高く伸び上がっていた。その向こう、掘削された丘の手前に、複葉のように見える幼木と、フヨウのような葉をした幼木が伸びていた。工事はあれからあまり進んでいないように見えた。そのあいだに土地が林に戻ろうとしているようだった。


カンナは倒れたまま咲いていた。


少し前に、クサギのトンネルのクサギが伐採されてなくなっていたのをバスの車窓から見た。そこを歩いた。斜面に伐り株がぽつんぽつんと見えていた。台風が来ていたのに、切り落とされたクサギの枝が歩道の隅に残っていた。


2018年10月7日

ブログ開設1周年を迎えました

このブログを開設して1年経ちました。読んでくださってありがとうございます。

道の草や木やさまざまな物々とこのように関わっている者もいるのだと思っていただけましたらしあわせです。また、道の草や木やさまざまな物々がこのように「暮らして」いることを知っていただけましたら本望です。

海外でこのブログを読んでいる方々もいらっしゃるようで、とてもありがたいことです。海外の方々の多くはおそらく自動翻訳をご使用になられていることと思います。自動翻訳を使用した場合、主語が変わってしまったり(たとえば私が木になったり)、形容詞が他の名詞に係ってしまったり、同一の固有名詞が異なって訳されたりする現象が起きるようです。もともとの日本語文とは意味が変わっている可能性があることをご理解ください。

もうしばらく「道の記」を書いていきたいと思っています。ときどき読んでいただけたらうれしく思います。


※ あろうことか、開設年を勘違いして、「2周年」と書いていました。正しくは1周年です。お詫びして訂正します。なお、1年以上前の日付がある投稿は、ツイッターで書いていたものを遡ってここに投稿し直したものです。2018年10月8日

道の記


たまにしか通らない道に面した駐車場の柿の木。以前にだいぶ強い剪定を受けたが、葉が茂って木の形が戻ってきた。夏をもういちど振り返っているかのような空に、その緑をいのちの旗印のようにして立っていた。


道の記


排水溝にジュズダマが生えていた場所はその一帯の工事であとかたもなくなっていた。


マンションショールームになったアキノノゲシの空き地の場所に差し掛かった。やはり目でアキノノゲシを探してしまう。どこの隅にもまったく見当たらなかった。道路際でアキノエノコログサが少し小さめの姿で穂を垂れていた。


山のふもと側から山を越していく雲を見た。この暑さを目のあたりにした気がした。


道の記


小さな道路の白線の上で、イチモンジセセリ(蝶)が2羽とまって寄り合っていた。近くで見ていたら車がやってきて、私が立ち退いてもその場を徐行して通っていった。イチモンジセセリに、車に気をつけてと言って私もその場を立ち去った。

帰りに通ったときにはイチモンジセセリはいなくなっていたので、だいじょうぶだったのだろう。


オヒシバの出ていた道路脇にオヒシバが復活してしばらく経った。そのそばにも電柱があるので、オヒシバ電柱と呼ぶのがよいかもしれないと思い始めた。近くにイヌマキの実が落ちていた。


倒れて横たえられたままになっているチャンチンの幹周りを、イノコヅチが囲んでいた。そのチャンチンがいた植え枡にはいまは彼岸花が咲いていた。彼岸花は花の盛りを過ぎた様子だった。地面からたくさんの小さな葉が芽生えていた。となりで、買い物途中らしきご婦人方が楽しそうな話をなさっていた。


2018年10月6日

道の記


何にも使われていない土地がたくさんある場所を歩いた。多くの区画では芝が植えられていたが、木が生い茂っている区画もあった。セイバンモロコシやタチスズメノヒエなど背の高い草が優占している区画もあった。その隅で、けっこう高いアキノノゲシが1株、ぽつんと花を咲かせていた。


高架橋の下ががらんとした砂場のようになっていて、ジャングルジムのような遊具と、鉄棒とがぽつんとあった。そことは違うところから、少し大人びたこどもさんの声がしていた。通勤電車が高架橋の下をくぐって走り去っていった。


団地の裏が、どこまで続いているか見えない長い直線の遊歩道になっていた。緑はいくらか放置気味に見えた。ここを選んで通っている感じの人とときどきすれ違った。この町ではほかにあまり見ないコゴメガヤツリがこの道の時の深さを証していた。


広い公園。さっき遠くをどなたかが歩いていったきり、誰も人がいなくなった。いろいろな木々が高くそびえて茂る中で、モミジバスズカケノキがどれも伐られていた。そのかわり、ひこばえがよく伸びて株立ちになっていた。この形で生きていくように命じられたように見えた。命じたほうの思いもあったことだろう。モミジバスズカケノキもほかの木々たちと同じく元気に午後の陽を浴びていた。もう1人どなたか公園にやってきた。


道の記


教えていただいた崖の階段を下りると、大きなクスノキが斜面にたくさんそびえていた。その向こうにマンションのような建物が見える。林を残しながら建てたもののようだ。歩き去りながら見ているとその一帯はだんだんと小さな山の姿に変わっていった。


つくつくぼうしの声がした。ああまだつくつくぼうしがいたんだ、どこだろう、と見上げて探したら、グラウンドのネットにとまっていた。私に気付いて一度鳴き止んだが、止めている暇はないと思ったか、すぐにまた鳴き始めた。ひととおり鳴き終えると、さっと向こうの木のほうへ飛んでいった。


さっきの公園は子どもとお母さんが遊んでいたが、こんどの公園は人が誰もいない。こちらのほうが草が茂っている。チチコグサ、イヌクグ、少し落ち着いた感じの草景色。スズメノヒエを見つけた。ああここにいたのか、と思った。つやつやした小穂が並んでいた。ここの草たちがこれからも変わらずに暮らしていってほしいと思った。


帰りにもその公園の横を通った。公園の横は花壇だった。マリーゴールドの花があざやかに並んでいた。


2018年9月30日

道の記(箱崎)


まもなく閉鎖される大学キャンパスを訪ねた。解体工事の方々や学生の方々のほかに、少しお歳の方の姿をちらちら見かけた。古い木々が残っている一帯にツルボがたくさん咲いていた。キャンパスの外では見かけない。残されてほしいと思った。花の穂が風にふわっと揺れた。

私がいつも通っていた廊下の窓から見えていた、大きな木のところへ行った。完全に枯れていて、治療のためだったのか枝もかなり落とされていて、樹種はわからなかった。樹皮に触れると熱かった。この暑さや寒さをずっと耐えていたのだと思った。高い所に残された枝の先に、とんぼがとまっていた。

火事の現場一帯は立入禁止のテープが貼られたままになっていた。その立入禁止範囲の外の一所に、手向け花と缶の飲み物がたくさん置かれていた。テープに囲まれた中に噴水の池があり、現役の学生らしき若い方々がやってきて、テープの外から、亀はどうしただろうと池のほうを見ておられた。

建物の屋上からよくまわりの景色を眺めていた。思えばそういうときはたいていひとりだった。建物の端から真下の桜の花姿を見下ろしたりもした。きょうその桜を下から見上げて、はじめてはっきりと悲しさを感じた。桜はいつもどおりの秋を迎えていた。


***

その木々草々をもういちど訪ねて挨拶をした。別れといってもひとときのことのような気がした。



道の記


以前、ある町の桜を訪ねてたびたび通っていた。通い始めた頃のある日、犬の散歩をなさっていた高齢の女性の方に出会った。すぐ近くにお住まいで、その後も花の季節など私が桜を訪ねたときに何年も続けてお会いできていたが、しばらく前にお元気のないご様子をなさっていて、それからお目にかかることがなかった。きょう桜のところまで行ったら、その方のお宅が取り壊し工事の最中だった。まわり数軒がすでになくなっていて、何か新しい建物が建ちそうな様子だった。

桜の下のベンチには新しい人が腰掛けてスマートフォンか何かを操作しておられた。


道の記


ねこじゃらし電柱もランタナ電柱も私ひとりでそう呼んでいるのだけれど、どちらも場所の主がいなくなった。ランタナ電柱に新しく出てきたねこじゃらしは今しっかりと穂を立てていて、それぞれの場所の主の代わりを一身に引き受けているかのようだった。


2018年9月28日

道の記


クワクサが石塀の下に並んでいた。私が住む町ではクワクサをあまり見ないが、この町はクワクサ人口が多いようだ。うれしくなって写真を撮った。クワクサは終始しずかにしていた。

町は祭りの日だった。演舞台のまわりは人と屋台とでにぎわっていた。広場の隅でこどもたちがエノコログサやメヒシバとじゃれあっていた。

その町を訪ねたのはたぶん10年ぶりぐらい。以前立ち寄った場所に行ってみた。清水が流れる水路のそばが遊歩道になっていて、そのところどころに河童の像がいる。河童はそれぞれ思い思いの格好でそのときを楽しんでいた。祭りから帰ってくるこどもたちとすれ違い、これから祭りへ向かうこどもたちが向こう岸の道を駆けていった。

* * *

水路の辺の古いお宅が取り壊されている途中だった。まだ形が残っている裏手にまわると、土壁が半ば崩れて穴が開いていた。その壁を蔦が昇っていた。いろいろ思いながらその場を後にして水路の橋に差し掛かると、その家の敷地の枇杷の木が枝を水路へと迫り出していた。

雨になったが、めったに来ない町にせっかく来たので隣りの駅まで歩くことにした。道は長かった。なにか食べておけばよかった。日暮れも近づき、帰りはその隣り駅から列車に乗ろうと思った。小さな駅はご近所の方が管理している様子だったがもう窓口のカーテンが閉まっていた。時刻表を見ると私が思っていた時刻に列車がなく、1時間ほど間が空いていた。これはだめだ、と声が出た。窓口のカーテンの向こうに灯りが点いているのにその後で気付いた。

帰り道も長かった。向こうのほうだけ雲が薄くなったようで、地平線の上が赤く染まっていた。

* * *

その町へ通う最後の日に、道を変えて川沿いを歩いた。大水のときには恐ろしかったことだろうが、朝の小川は美しかった。曲がらなければいけない角を忘れて1つ先まで歩いてしまった。

初日に来たときに、駅前の道沿いで大きなクスノキを見かけた。むかしながらの工場の敷地ぎりぎりに立っている。その景色に見覚えがあって、ああこの町に自分はむかしたしかに来たのだと思ったのだった。最終日の空はこれまでになく晴れていて、クスノキもいっそうりんと立っていた。あいさつをして駅へ向かった。




2018年9月27日

道の記


遠くに山が見えるほうの大くすのきの林だった場所では、ボタンクサギの花が少しだけ残っていた。香りを嗅いだ。切り開かれた丘はビニルシートで覆われていた。くすのきの香りはしなかった。


交差点のケイトウのそばに白い彼岸花が咲いていた。モデルルームの看板を掲げた人が手元のスマートフォンか何かを操作していた。


ときどき通る道沿いのお家の前のカンナが、咲いているのに草刈りに遭ったようで倒れ気味になっていた。花はだいじょうぶそうに見えたが、もうしばらく咲いていてくれるとうれしい。


クサギのトンネルは花が少なくなってきた。落ちている花を拾って香りを嗅ごうかと思ったが、大くすのきの林のボタンクサギを思い出して、ここの香りを嗅ぐのは今日はやめた。


道の記


桜の伐り株のひこばえはしばらく前にまた、草刈りとあわせて切られたのだけれど、1つだけ芽が出てきた。

伐られてじき5年になる。伐り株に期すところがあるかどうかわからないが、その1つの芽が、期すところのあらわれというより期すところそのものだと感じる。

道の記


列車に乗っていて、雨の中、畑が広がる中の1本道を傘をさして向こうからどなたか歩いているのが見えた。むかしの水墨画かなにかでそのような景色を見た気がした。ほどなく、立ち並ぶキバナコスモスが車窓に現れ、そのそばで1羽のカラスが休んでいるみたいにして地面にいるのが見えた。

着いた駅では雨は大降りだった。古くからのまちを歩くと、家々の前にたくさんの鉢植えが並んでいた。鉢から出ているのではないハゼランも大きく育っていた。雨のためか、少し傾げていた。


道の記


道の脇に立ち止まって、ざくろかしらと椿の木の実を見上げているご婦人方がおられた。椿ですよと教えて差し上げたが、その場所のすぐそばに以前はざくろの大木がいたのだった。


2018年9月22日

道の記


新しく出来た緑道の先のほうで、なにか植え込みの植物をご覧になっているようすの人たちが見えた。その人たちが去っていった後に自分もそこに来たけれど、何を見ておられたのかわからなかった。


道の記


再整備計画が報道された公園を訪ねた。計画の一帯は木々が多く、その計画では木々が取り払われて広場風になり建物も新設される。たしかに木陰が少し深い印象が以前からあったのだが、訪ねたときには日が明るく、木陰は適度のように見えた。絵を描く人がたくさんいた。

木はエノキやクスノキやクロガネモチなどで、かなり高い木も多く、都市部の林としての貫禄のようなものも感じた。絵を描いている人が木陰で談笑していた。これはこれでこの街の景色だ。


道の記


ねこじゃらし電柱にはねこじゃらしは出ていなかった。いまの時期に出ていなければもう今季は出てこないだろう。ランタナ電柱のランタナも枯れてしまったようだが、ランタナの伐り株の横からねこじゃらしが1本小さく伸びていた。


道の記


クサギのトンネルはクズの花が積もっていた。少しだけクサギの花も落ちていた。


2018年9月13日

道の記


新聞記事で読んだ、街路樹ケヤキの伐採工事が始まったという場所を訪ねた。すでにいくつかの木が伐り株になっていて、残る木々には赤い紐が巻いてあった。伐り株の年輪は20数本のように見えた。切り口は少し前までの雨のためもあってか、濡れていた。セイヨウジュウニヒトエのように見える草の葉が伐り株をかくまうように囲んでいた。

街路花壇も撤去されるらしい。花壇には種類がわからないいろいろな花がまばらな感じで植えてあった。リコリスがそろそろ咲き始めそうだった。

残るケヤキを見ながら歩いていくと、1本のケヤキから強く呼び止められたような気がした。ことばではない。見上げると、そう大きな木ではないけれど、箒よりはもっと枝を広げた感じの枝振りで、何か私を抱きとめようとするような、ずしんとした力を感じた。少しのあいだ立ち止まってその力といっしょにいた。ケヤキはそれ以上何も付け加えなかった。

道行く人が誰か何か言うわけでもなく、木々も草花もそこにじっとしていた。思えばいつでも、彼ら道の草たち木たちにはただ待つことだけが待っていた。

また来るよ、と、来るつもりをまだ決めていなかったのに口に出た。


道の記


もうこのベンチに掛けることもないのかな、と思いながらコンクリートのベンチに腰掛けた。最初に腰掛けたのは数十年前になる。目の前の池の景色も変わらない。ふと、ベンチの下にキツネノマゴがいるのに気が付いた。花を咲かせている。

そのベンチがテレビニュースの画面に映っていた。奥の燃える建物をめがけて消防車が放水していた。その横で、立ち枯れたカイノキが静かにその光景を見つめていた。


2018年9月5日

道の記


オヒシバがいたけれど舗装し直されて草がいなくなった道路際に、オヒシバが1本出ていた。


2018年9月2日

道の記


林に囲まれた旧家の跡地は新しい建物の建築工事が始まっていた。泥の地面にアゲハチョウが降りてきて水を飲もうとしている様子だったが、飲めないのか、ひとところに留まらずにあちこちを渡っていた。


国際団体さんの寄付のお願いに応えられずにその場を通り過ぎて、花がたくさん植えてあるポケットパークで信号を待った。後ろを向いて見上げたら、さるすべりの花が深い青空にあざやかだった。人通りが途切れて団体の方が1人、ひと休みされる様子でこちらへやってきた。


道の記


まちかどに数メートルの丈のクスノキがいて、そのまわりをコンクリート造りの植え込み兼ベンチが弧になって囲んでいた。その植え込みにたくさんのクスノキの幼木が生えていた。こどもさんに囲まれた若い親御さんのようだった。


2018年8月31日

道の記

以前は歩道に大きく育ったケヤキが木陰を作っている緑の道路だったが、あるときケヤキが伐採された。そのスペースで何かまちづくり的なことをするのだと言われていた。そのあと道路が陥没したのだった。ひさしぶりにその道を歩いたら、植え枡が出来ていて細長く仕立てられたケヤキが植えてあった。陰は作れそうにないけれど青い実をつけていた。


2018年8月29日

道の記


ホリホックが切られて丈が低くなっていた。こんどはケイトウが花の用意をしていた。ホリホック今年も花を見せてくれてありがとう。ケイトウ今年もよろしく。


稲穂の香りがした。昨年この香りがしていた頃は自分にはたいへんな時期だった。1年が経って、今年もいくらかたいへんだったけれどもなんとか乗り越えられそうだと感じた。稲穂はすでに色づいていた。


遠くに山が見えるほうの大クスノキ林だった場所は、このまえ横を通ったときからさらに丘が削られていた。ボタンクサギの花は終わりつつあった。横を歩いていて一瞬だけ1か所で、樟の香りがかすかにした。あいさつをもらったと思った。


道の記


むかしよく歩いていた道の、アレチハナガサが出ていたあたりからだいぶ手前の場所で、アレチハナガサの低い株を見つけた。歩道の車道寄りに、アレチハナガサとわからない感じでひっそりといた。あの場所にいたアレチハナガサと関係があるだろうかとちらっと考えたけれど、こちらはこちらで暮らしているのだろう。


この道を通ることもさらに少なくなりそうだ。むかし自分のクリスマスツリーだと思ってヨモギを見ていた駐車場は、変わらずヨモギが出ていた。どんどん姿を変えてきた街だけれど、私がここを通らなくなってもヨモギはきっと代替わりしながら暮らしていくだろう。そう思えた。


2018年8月25日

道の記


蝉を拾い上げるのはその日3度目だった。最初は駅のホームの点字ブロックの上にいた。手に掴まらせたものの近くに緑がなく、駅を出て木々を探しているうちに自分から飛び立って行った。その次は歩道の上だった。蝉はもう乾いていた。すぐ近くに街路樹が立っていたがそのふもとは裸の地面だった。暑そうだったがそこに安置した。3度目は、歩道の排水溝の網に挟まっていた。自分から入れるような隙間ではなく、力で押し込まれたようでもあった。そこから取り上げて近くの草の茂みに移した。

そのようすを横で御婦人がご覧になっていたようで、声を掛けてこられた。その方は、私も虫を見つけたらそうしている、とおっしゃった。中にはわざわざ踏んでいったりする人もいるけれど、あなたが蝉を移してくれてうれしい、そうおっしゃってくださった。私からはあまり言葉が出てこず、失礼してしまった。


街路樹のクロガネモチがいた植え枡は、かわりにアキノエノコログサとオヒシバが小さな緑をつくっていた。一帯の工事は止まっているように見えた。


2018年8月16日

道の記


オヒシバが生えていた道路際は舗装し直されて草がまったくいなくなった。少し離れた所にノゲシがいて、ひとつだけ花を付けていた。


道の記


クサギのトンネルでは花が咲いていた。香りで気が付いた。


そのトンネルを抜けたところの斜面でツワブキが咲いていた。綿毛になっている花もあり、しばらく続けて咲いたのだろう。そうこうして見ていると、斜面をすうっとハンミョウが降りてきた。


ビルの前のやや傾いていたケヤキがいつのまにか他の木に植え替えられていた。木の植え枡にはたくさんの草が茂っていて、だいぶ前に植え替えられたのだろう。よく通る道なのに自分がそれに気付かなかったことが残念だった。新しい木は種類がわからない。私にはまだ以前の木の景色が見えるようだった。



2018年8月10日

道の記


昔、春の浅い頃、木を見上げながら、欅の細枝が好きというつぶやきを聞いた。十何年ぶりにその木に近寄って見上げた。榎の木だった。解き放たれた気がした。


道の先に、シャボン玉を吹きながら歩いている人が見えた。シャボン玉がここまで流れてくる。同じ方向へ歩いていてその人はときどき立ち止まってシャボン玉を吹くのだけれども私は追いつけず、だんだんとその人が遠くなり、シャボン玉もここまで届かなくなった。その人は突き当たりを右へ曲がっていった。私はいちど立ち止まって左へ曲がった。


大きなショッピングモールが立ち並ぶ郊外型道路の真似をしようとしている昔からの道路。信号待ちをしていたら、横のほうのアキノエノコログサの茂みにすずめが一羽とりついて穂を引き下ろしていた。その様子を見ながら歩き出そうとしたら、足元にエノコログサが小さく生えていた。車が止まって待っていた。


この景色は私が死んだ後も残っていそうだと思いながら、都市高速の大きな高架の下を歩いた。川を見下ろして比較的大きなセンダンの木が生えている。そのセンダンの木までヨモギやエノコログサが立ち並んでいて、その手前に若いセンダンの木が小振りに茂っていた。夕日は見えなくなっていた。

2018年8月5日

道の記


街路樹いちょうの伐り株の場所は、いちょうのひこばえと立ち並んでいたオオアレチノギクが立ち姿のまま枯れていた。いちょうのひこばえもしおれていた。その横を車がぎらぎらと走っていった。


大くすのき林だった場所では残っていたくすのきの伐り株のひとつが掘り出されて土むき出しの斜面に置かれていた。ひこばえがまだあおあおとしていた。


帰りにもその横を通った。飛行機雲が短くちぎれて夕焼け雲になっていた。



道の記


ビルの谷間に山のように育ったヨウシュヤマゴボウを見つけた。剪定の跡があった。


街路樹が並ぶ道路の植え枡に1か所夾竹桃が植えてあるが、そこから少し離れた花壇の下から夾竹桃の若い枝が伸び出ていた。


ひまわりが踏み倒されたと聞いたひまわり畑を訪ねた。倒れたひまわりはすでに撤去されていた。根が抜かれてぼこぼこになっている地面を蟻や小さな黒い虫がいそがしく這っていた。残ったひまわりは夕日にうなだれて種子を育てていた。


取り壊されつつある建物の工事防音幕に、以前からそこにいたキカラスウリが登っていた。白い花のいくつかはちょうど咲いたばかりに見えた。夜間灯がその花を向こうから照らしていた。

2018年8月3日

道の記


セイヨウタンポポ電柱のネズミムギは緑味を残していた最後の茎も色褪せていた。


大通り沿いの伐られた桜の根から出ている枝は変わらず茂っていた。イノコヅチも元気にしていた。


ランタナの電柱は緑のものはいなかった。ねこじゃらし電柱も、以前自分が置いていた抜かれたねこじゃらしがそのまま横たわっているだけだった。


カヤツリグサの仲間の草をしゃがんで見て立ち上がってくらくらっとした。夕方の空は薄く煙って、遠くの山には紫色の雨が降っているように見えた。


2018年7月30日

道の記


アキノノゲシの空き地のところまでやってきて、そういえば工事をしていたのだったと思い出した。現在はマンションショールームになっている。種類がわからなかった小さな花も出ていたのだったが、そのあたりはショールームの中になっていた。歩道との隙間にアキノエノコログサが少しだけ居着いていた。


1号札のいちょう若木は葉の端から茶色になっていた。ほかのいちょうは緑のまま。今年の夏もそうやって越えていくのだろう。


比較的新しく更地になったように見える空き地の歩道際で、いろいろの草と同じほどの丈のさるすべりが花を咲かせていた。

2018年7月28日

道の記


この春に公園再整備工事は終わったはずだが、昨年秋を最後にその公園にまったく行っていなかった。もとは大きな木々があった公園だったが、トウカエデ1本を残して細い新樹がところどころ植えてある、広く見渡しのよい公園になっていた。誰もいなかった。とても暑かった。

以前ポプラがそびえていたあたりはもとは斜面だったが、高さが変えられて歩道になっていた。ポプラが地中から出ているのではないかとほんのわずかに思っていたのだけれど、草刈りが入ったばかりのようで、新しく植えてあるもの以外には何も伸びていなかった。ポプラの木の香りがかすかにするような気がしたが、植え込みに敷いてある木材チップの香りかもしれなかった。

残されたトウカエデもだいぶ枝を落とされたように見えた。以前の公園には大きなクスノキがまんなかに鎮座していて、こどもたちがその木陰で遊んでいた。あのときの景色のほうが、いまの無人の光景よりも自分の近くにあるように思えた。


2018年7月25日

道の記


隙間から出てきたヨウシュヤマゴボウを大きく育てているお店があるのだが、この暑さのためか枯れていた。根元に新しい葉が出ているようだった。


ばら色の雲と青白い月。引き返す頃には雲の形は無くなって月だけが青白く輝いていた。

2018年7月24日

道の記


たまに訪ねる、むかし風の欄干の橋を訪ねた。来てみてそういえば欄干が最近新しくなったのだったと思い出した。橋のたもとの大きなセンダンの木も伐られてだいぶ経つ。低い樹冠が出来ていた。近くに寄ると樹冠にキカラスウリやヤブガラシが少し絡み付いていた。どちらも花が咲いていた。


十何年ぶりかに通る小道。強い西日に向かって歩いていてほとんど景色がわからない。林だったあたりに新しい家が建っていたが、林はその先に残っていた。夏休みの格好のこどもたちが追い越していった。

2018年7月21日

道の記(久留米)


久留米の筑後川を訪ねた。昨年の水害の後も行ったけれど今年も河川敷が水没したようで、粒子の細かい土が積もり、竹や材木やあまり大きくない生木が流れのよどみだったらしき場所に溜まっていた。


以前ときどき河川敷の公園に寄り、けやきの下で少し時間を過ごしていた。けやきはその後調子が悪くなっていたが、ひさしぶりに行ってみたら葉が出ていなかった。根元に川草が土塊ごと絡んで枯れていた。その土から何かの草の双葉と何かの草の一枚子葉が芽生えていた。


河川敷の遊歩道を歩いていると、手のひらを広げたぐらいの大きさの丸い物が乾いた泥の路面にあった。そっとつつくとゴムボールだった。青地で土にまみれて少し空気が抜けていた。どこのこどもさんと遊んでいたボールだろう。ボールはそれ以上何も語らなかった。そこにあったままにした。


水害の前に薬品流入か何かで魚が死んだと聞いた池町川も訪ねた。まちは夜市でにぎわっていた。そのまちのあまりにぎやかではない側を池町川は流れる。川をのぞきながら歩いた。ハヤがちらっと見えた。その先に鯉がいた。魚はだいぶ少ない印象を受けた。川を見ながら歩く大人の方やこどもさんを見かけた。


公園にある昭和28年水害の碑も訪ねた。近くの水場ではこどもたちの歓声がしていた。やがて日が傾いて公園が静かになった。いろいろな種類の雲がいかにも夏色な空にそれぞれに陣取っていた。碑はいつもと変わらずに、そのときの水位の高さを自分の丈で示しながら空にそびえていた。

2018年7月19日

道の記


開発中の大くすのき林の場所は多くの重機が出て丘の掘削が進められていた。以前手前に見えていたくすのきの伐り株のあたりはすでに平らになっていた。丘の最上部だけが残っていてそこに伐り株や草がわずかに見えた。


歩道との境に、以前大きく茂っていたボタンクサギが小さくなって花を咲かせていた。離れたところにくすのきだと思う枝や根が少し集められていた。そこからなのかわからなかったがかすかに、くすのきの香りがした。呼ばれたのだと思った。


田んぼで稲が風にさやさや鳴っていた。それを聞いて先へ歩くと、隣のお家の前になぜか稲が1本、根から抜かれて横たわっていて、そのお家の車がその稲を踏んで出かけていった。抜かれた理由があったのかもしれないがと思いつつ、田んぼの畦に稲を安置した。


行きも帰りも行く手の信号が次々赤になるので、道のあちら側から何かが呼んでいるのか、と思い、道の反対側へ渡った。何か見られるのだろうかと思いながら歩道を歩き出してすぐ、路面にアゲハを見つけた。乾いて路面に張り付いていた。ていねいに剥がして植え込みの下へ移した。


(この日はほかにも歩道を横断中の芋虫や、乾いたミミズ、そして最後にはアブラゼミを場所移しした。アブラゼミは生きていて、近くの公園の桜に移した)


帰りにも大くすのき林の横を通った。ボタンクサギとアレチハナガサとヤナギハナガサの花々が同じ色合いの夕空に並んでいた。くすのきの香りはもうしなかった。

2018年7月15日

道の記


オフィス街にあった公園が再整備されたという話を聞いていた。以前通ったときはたくさんの木が茂っていて、街の中の森だった。たまたま近くまで来たので、再整備後を見てみようと思い、足を向けた。がらんとしたグラウンド状の空間になっていた。どうも観光バスの駐車場みたいなものになったらしい。その周囲に、ぱらぱらと若い木々が植えられ、片隅に以前からの木らしきケヤキが樹冠を広げていた。

グラウンドは陽に照らしつけられていた。アレチノギクやチチコグサモドキがぽつぽつと生えていた。


草を見始めた道をひさしぶりに歩いた。当時のなごりはほんとうに少なくなった。ツイッターのアイコンに使っている広い空き地の草を写した写真の場所は、その後しばらく空き地が続き、アレチハナガサが咲いていたが、やがて駐車場になり、いまはマンションが建っている。写真に写っている草も、アレチハナガサも、その子孫は近くに見当たらない。

ちょうどその場所でむかし、写真を撮っていて通りがかりのご高齢の方から声を掛けていただいた。楽しく話をしてくださり、パンまでいただいた。その方とはそこで二三度お会いした。そこに長く立ち止まっていたらいつかまたお目にかかれるのではとも思うが、いまでは立ち止まっていたら通報されそうな場所になってしまった。

ほんのすこし立ち止まって、アイコン写真のように空を見上げた。マンションの黒っぽい壁が一面に広がっていた。

道の記


砂利敷の広い空き地にヒメヒオウギズイセンがぽつんと咲いていた。


この前取り壊された旧家の跡地の横を通りかかったとき、その敷地の向こうのほうに猫が入ってきたのが見えた。この前はここにカラスがいたのだった。猫はここで何をするのだろうと思っていたら、すぐに腹を上に向けてごろごろと寝転がり始めた。


公園の入口で蝉の幼虫が踏まれたらしく路面で動かなくなっていた。そのそばにも同じように動かない幼虫がいた。近くに、木の幹を見ているこどもさんとお母さんの姿が見えた。蝉の幼虫を探しているのではと思った。路面の幼虫を植え込みの茂みの下に移してさっと立ち去った。


繁華街の狭い通りはいつものように人が行き交っていた。あかあかと店の照明や看板が光る中、小さな植え込みで丈の低いサルスベリがほの赤く咲いていた。

2018年7月14日

道の記


学校の隅に大きな桐の木が立っていた。そこから少し離れた道のそばに、どこから出ているのかよくわからない若い桐の木が張り出していた。そこから見える学校の桐の木と呼び交っているようだった。


この雲はうろこ雲だろうかそれともひつじ雲だろうか…と思いながら歩いていて、作業姿の方々が塀に絵を描いているところに行き合わせた。こどもたちがいろいろな乗り物に乗っている絵。幼稚園の塀だった。園のこどもたちがきょう帰るとき、わあ、と声を上げて通っていくだろうなと思った。


あちこちでオオアレチノギクやセイタカアワダチソウなどの草たちがしおれていた。しばらく前から街路樹のいちょうの伐採が進められている道で、いちょうの伐り株の脇から伸び出たひこばえとそのまわりのオオアレチノギクが、同じように丸まっていっしょに雨を待っていた。

2018年7月13日

道の記


セイヨウタンポポがいた電柱のふもとには、いまは春の草が枯れて残っているけれども新しい草は出てきていない。少し離れた位置にしばらく前からネズミムギが1株いて、穂をいくつか立ち上げている。その穂も少し枯れ色が見えてきた。

2018年7月10日

道の記


ルリタテハが路面にとまっていたので写真に撮った。広い歩道も多少の人通りがあり、人が来るたびに逃げるけれど、戻ってくる。何度目かのときに戻ってこなかった。あたりを見回したら自分の肩にとまっていた。


その先の路面に泥が流れた跡があった。酸えた匂いがした。種類がわからない蝶の翅が落ちていた。

※ 蝶の翅を写真に撮って後で図鑑と照らし合わせたところ、ゴマダラチョウの右側の後翅のようだった。


空に夕焼け光線の赤い跡があった。見つけてすぐに見えなくなった。


道の脇にキツネノマゴの幼苗を見つけた。本葉が一対出ていた。花が咲くのはずいぶん先のことのようにいまは思える。

2018年7月9日

道の記


長かった雨が終わったと思った。歩くとあたりをまだ細かい雨粒が満たしていた。


中心街の交差点で信号を待っているあいだ、横にある花壇とその下を見ていた。花壇と路面との隙間にクワクサのような草やカタバミなどが出ていたが、その中のいくらかが引き抜かれて散らばっていた。背後で何人も信号を待っている様子で、さすがにここで屈み込むのはおかしいかと思ったが、気が付くと屈み込んで、抜かれた草を拾っていた。もともとその草たちが生えていただろう隙間のところにひとつひとつ寄せた。花壇の中にもクワクサのような草がいて、小さな花を付けていた。


また降り出した雨のしぶきの下で、カンサイタンポポが花を開いていた。春の夢を見ているようだった。


そして雨が終わった。

2018年7月4日

道の記


台風一過。道の脇に木の葉が吹き溜まっていた。


七夕飾りのすいかの絵と短冊が付けられた笹の枝が1本、歩道の脇のマンションの脇に置いてあった。どこからか飛ばされてきたのだろう。少し高い位置にあったので、路面に落ちていたのをどなたかがそこへ置いたのだろう。もとの持ち主や飾り主のところへ戻れますように。戻れなかったら、ここで願いが叶いますように。


2つ信号のオニタビラコは昨日と同じように傾いていた。むしろ傾きが少し減ったように見えた。

2018年7月3日

道の記



クサギのトンネルではつぼみらしきものが付き始めていた。咲き出しているかどうかまでは高くてわからなかった。


これから風が強くなるという。2つ信号のオニタビラコはこの前と同じ方向に揃って傾いていた。

2018年7月1日

道の記


いろいろとよくしてくださる方が、道の脇のざくろの木が伐られたのを悲しんでおられた。もう何年も前のことになる。その後、伐り株からひこばえが何度か出ては伐られ、2、3年前からひこばえも出なくなった。その後、もとの木の近くにざくろの芽が出ているのを見つけた。その芽もときどき伐られるのだが、いまのところ小さいながらも育っている。きょう、そのいくらか近くで、大人の背丈ほどに育ったざくろの木を見つけた。実が実りつつあった。


その道から仰ぐと入道雲が出ていた。あまり遠くはないように見えた。

道の記


水が通ってもいないし溜まってもいない側溝のタイル隙間からいろいろな草が出ている。水はだいじょうぶなのだろうか、道路の隙間に生えている草と同じことだろうかと思いながら歩いていたのだが、先日、雨の後で側溝に水が溜まっているのを見た。草たちは浅い水を従えていた。水を得た草、というのもあるのだと思った。

2018年6月30日

道の記


たまたま腰掛けたベンチの下に花が咲いていた。さっきまで雨だったためか半開きだったが、写真に撮って立ち去った。そうしたら、その様子を見ていたのか男の子がベンチのところにやってきて下を覗いて、それからおかあさんと妹さんを呼んで一緒に花を見ていた。アカバナユウゲショウっていう花ですよと教えてさしあげた。


また雨が降り出しそうな中、草を見ている私の近くで、カメラを持ったこどもさんがしゃがみこんで地面の近くをしきりに写していた。シロツメクサが濡れて咲き、カンサイタンポポがこの時期ながら花を用意して天気の様子をうかがっていた。

2018年6月27日

道の記


何年か前に、道のガードレール脇にセンダンの木の伐り株を見つけた。ひこばえが出ていてわかったのだった。その後、ひこばえも伐られたけれど、その後にまたひこばえが出ていたのも見た。しばらくぶりにその道を通った。ひこばえはたぶんあの後にも何度か伐られたのだろう。小さく葉を茂らせていた。

2018年6月25日

道の記


和風住宅跡地の木々は伐採されていた。樫の木のひこばえが少し残っていた。何かの園芸植物の大きな葉が斜めに茂っていた。夾竹桃の木は姿がまったくなくなっていた。敷地の隅のほうの、重機が入りきれなかった様子に見える位置に、あまり大きくない樫の木が1本、まっすぐに立っていた。


中心街の大通りに面した桜が撤去された後にいま桜の枝葉が出ているが、きょう見たらその脇にイノコヅチも出ていた。砂利を入れられた更地の隅で並び合っている。このまま平穏に過ごしてほしい。

2018年6月24日

道の記


大きなクスノキの林だった工事現場に残っているクスノキの伐り株が、葉をこんもり茂らせて、新しい樹冠を作っていた。


撤去樹木置き場に積み置かれたまま芽を出していたイチョウの伐り株は、幾本もの芽を高く伸ばしていた。


その姿をいま思い出すと自分の胸に満ちてくるものがある。

2018年6月23日

道の記


抜かれて放置されていたねこじゃらしの束を、電柱のふもとに置いた。最初はわずかに土が見えているところに置いて立ち去ったのだが、そこから新しい芽が出てくるのではと気になって、帰りに少しずらして置き直した。


昨日も少しそうしたのだが、公園の歩道にみみずが出て舗装の上で乾いていたのを、動かして木の根元や土がある位置に移した。きょうはたくさんの数だった。自然は自然のままにしておくべきだ、という声がちらっと心に聞こえてきたけれど、それを言うなら、すでに舗装が自然を逸していたのだった。


舗装の小さな石が剥がれていたのも拾って置き直した。しかし石がちょうどおさまる窪みは見当たらず、縁石がほんの少し舗装の高さから飛び出ている、その脇に置き直した。

石さえも帰る所がなかった。

2018年6月22日

道の記


蝉が泣いていた。少しの時間だったが、ニイニイゼミだったと思う。高いモミジバフウの木が暑い空にそびえていて、その木のどこかからの声だった。


ねこじゃらし電柱のねこじゃらしはまとめて抜かれていた。乾いていた。停車している車がすぐ近くだったので手は出せなかった。


緑の山の向こうに青い山があって、その少し向こうに夏の雲がそびえていた。

道の記



住宅街の一角のむかしながらの和風住宅が取り壊されていた。まわりの樫の木々が残されていた。立て札によるとマンションが建つという。木々はどうなるだろう。中のほうでは大きな夾竹桃の木があざやかに花を咲かせていた。

2018年6月20日

道の記


街路樹の伐り株の隣に、種類がわからない丸い葉の木の芽が出ていた。近くの街路樹はどれもケヤキだった。木の芽はここに新しい時代を拓いていくのだろう。


市街地にあった古い建物が工事現場になっていた。たしか道沿いに植木鉢がいろいろ並べてあったのだった。縁石の隙間にカタバミなどの草が残っていた。工事の邪魔になりそうで急ぎ足で通り過ぎたのでよくわからなかったが、何かの木の芽も小さく出ていた。


少し雨が降っていた。

2018年6月13日

道の記


短い丈のキュウリグサやヒメジョオンが生えていた場所で、今度は短い丈のナズナが咲いているのが見えた。顔を近づけてよく見ると、手が円かった。マメグンバイナズナだった。


ランタナ電柱にはねこじゃらしが葉だけ復活していた。アカカタバミも少しだけ葉が残っていた。


タイル舗装の上でミミズがのたうっていた。鳥がくわえてきたのではないかと思う。このまま人に踏まれてもかわいそうに思い、近くの植え込みの土に移した。ミミズは少し傷を負っていて、なかなかうまく這うことができないように見えたが、積もっている落ち葉のところまで頭がたどり着くと、突然這い方を思い出したようにまっすぐになって、少しずつ落ち葉の下へ潜っていった。

このミミズはこのように何者かにじっと見られていたのは生まれて初めてになるのではないかと、ちらっと思った。

2018年6月10日

道の記


宵の駅前はその場所その時間帯らしい感じの人々がいくらか行き交っていた。植え込みからセイタカアワダチソウが1本思い切って高く伸び出していた。

道の記


クスノキが伐られた神社に少しひさしぶりに立ち寄ったが、どうも境内が明るい気がするので歩いてみると、大きなクスノキの伐り株があった。前回伐られたクスノキと変わらないぐらいの大きさ。新しく伐られた様子。少し高めの位置で伐ってあり、なぜか、切断面に木の板が打ち付けられて平らにしてあった。板と断面との隙間から薬剤注入の跡が見えた。


その少し先の歩道で、むしられた草が道の真ん中に放置されていた。すぐ隣のアパート駐車場にアイドリングを掛けている車がいたけれど、草を拾い上げて横の土がある所に移した。


町内施設の塀際の草もむしられていた。すみれの葉が散っていた。


道の脇の小さな復活中のクスノキも伐られていた。遠目でわかった。近寄ると、ひこばえを伐られて小さなこぶのような伐り株になっていた。数センチだけ残った枝が1本、緑色をしていた。


街路樹のクロガネモチが伐られている途中だった場所はアスファルトが敷き詰められていた。何もなかったかのようだけれど、そのように舗装されていることがかえって、ここに何かがあったことを示しているとも思った。


2018年6月7日

道の記


昨年撤去されたチャンチンの幹はいまも植え込みの中に横たわっている。きょうはイノコヅチの新しい葉に囲まれていた。雨を乾かしているところのようだった。

2018年6月3日

道の記


クロガネモチの伐り株は向きが変えられていた。ムラサキカタバミは下のほうになって、枯れていた。


この前見たばかりの、ランタナ電柱のところに出ていたねこじゃらしがむしり取られていた。もう乾いていた。アカカタバミも同じように放置されていた。生えていた電柱のふもとに土が積もっていたので、そこに移した。

道の記


ランタナの電柱とねこじゃらしの電柱は同じ通りに面している。ランタナ電柱の場所にもねこじゃらしが1本穂を出していた。その隣ではアカカタバミが実を待機させていた。


からん、からんと鐘の音がした。公共施設だが鐘はあっただろうか。鐘にしては軽い音なので、たぶんあの音ではないか。そう思いながら音のほうを見ると、思ったとおりに旗を掲揚するアルミポールが見えた。音が止んだ。


お墓が作ってあった。拳ほどの石がぐるりと並べられていて、それぞれラベンダーとカーネーションに似ている花が手向けられていた。鳩たちが誰かを待っている様子だった。

2018年5月30日

道の記


中心街の大通りに面していた桜が撤去されて今年は花が見られなかった。建物も撤去されて広くがらんとしているその場所の端に、桜の枝が出ていた。大人の腰の高さくらいまで伸びて葉を茂らせていた。桜はもう1度ここで生き始めたいにちがいない。跡地では何かの掘削作業が行われているようすだった。

2018年5月27日

道の記


道の脇の空地に、少しだけ幹を残したクロガネモチの伐り株が2つ、やや無造作な感じで横たえてあった。そのうちのひとつの根元の土に、ムラサキカタバミの株が付いていた。花がひとつ咲いていて、つぼみがひとつあった。


街路樹のクロガネモチはその道の各所で点々と撤去されていた。根も掘り上げられてなくなっていた。撤去された区画のひとつの、その隣のクロガネモチのふもとに、伐り屑がうっすらと積もっていた。

道の記


どちらかというとビジネス街の印象があるこの街に、ずいぶん清楚なお召し物のお嬢さんがと思っていたら、道の少し先で同じ白のガザニアがにこにこ咲いていた。


2つ続けて信号がある道のオニタビラコは、風が同じ方向から吹きがちなのか、きょうは全体が片方へ傾いていた。茎はたくさん立っていた。花もつぼみもたくさんあった。その1メートル四方だけ取ったなら、ちょっとした林のようだった。


小径のその一角だけ緑ゆたかに見えていた。種類がわからない洋物の感じの木々が洋風のお店のファサードを森の中のお店の感じに仕立てていた。お店の入り口の真横で、よく育ったオニタビラコがたくさん花を咲かせていた。

2018年5月26日

道の記


マンションの正面脇にイヌビワの幼木が出ていた。もう少し先の、新しく出来た花壇の脇にもイヌビワがいる。ここはイヌビワ通りだったのだと気付いた。幼木は丈は低いながらも立派な葉を広げていた。


しばらく前に街路樹のクロガネモチが伐られた。そのときは建設工事で車両の出入りの邪魔になるからだったようなのだが、いまそのときの場所の隣で伐採工事が行われていて、それは理由がわからない。クロガネモチが大人の胸の丈ほどで伐られていて、私が通ったときは地中の根を伐っているところだった。

そこに差し掛かる前に見たクロガネモチは、ふもとにエノキの幼木やナガミヒナゲシを従えて、樹冠をやや道路に傾けながらもすこやかに立っていた。


亀が歩いていた。人に踏まれそうに思えたので気を付けるように言うと、私を嫌そうにして、すたすた歩いて近くの茂みにたどりついた。近くの水際でもう一頭の亀が関係なさげに陽を浴びていた。

道の記


あじさいの小径にあじさいが咲き始めた。ペロペロネもにぎやかに咲いていた。


セイヨウタンポポ電柱のそばに出ていたイヌムギが枯れてきた。そのとなりにネズミムギが出ているのに気が付いた。タチイヌノフグリは少し色褪せているがよく伸びている。

2018年5月24日

道の記


桜の伐り株から伸びているひこばえが、また切られていた。短くされた枝には葉が2枚ほど残っていて、なんとか小さな芽も付いていた。


少し離れたところの別の伐り株にひこばえが出ていた。そちらは横に伸びていて、それで刈られるのを免れたようだった。


すみれのプランターはすみれでいっぱいになっていた。花は咲いていない。1株だけ、ハナヌカススキが白くきれいに枯れていた。

道の記


遠くの山がみどりに見えていた。いつもはあおい。空は低くまであおく、空の高みの暗がりもあおむらさきの光に満ちていた。

2018年5月22日

道の記


飲食店跡地は更地になっていた。木のちぎれ根が地面から少し出ていた。アスファルト舗装が一部残っていた。その土地の以前を思わせるものはほかに何も見当たらなかった。歩道との境界にヨモギが小さく生えていた。

2018年5月21日

道の記


公園の入り口にハハコグサが咲いて並んでいた。


電柱ねこじゃらしは早くも穂をのぞかせていた。


タイル舗装の隙間から、となりのツメクサとあまり変わらないくらいの丈で、キュウリグサが短く伸びていた。1度刈られたのかもしれない。その少し先で、そのキュウリグサより少しだけ高いほどの丈のヒメジョオンが花を咲かせていた。


大きな飲食店の建物が解体工事を受けている。手前の植え込みでサツキが咲いていた。植え込みはもっとにぎやかだったはずで、そのサツキは植え込みに残されるのかもしれないと思った。敷地の横が見える位置まで来ると、その植え込みも壊されている途中だった。

道の記



縁石を縁取ってツメクサの緑が並木のように続いていた。


工事現場フェンスの地面際に草の絵が印刷されている。その草の絵を仲間のようにして、ノゲシやオッタチカタバミやオニタビラコが生えていた。その上に大きなてんとうむしが描かれていた。


高架の下に以前は駐輪場があった。そこに発泡スチロールの箱を使ったプランターがあって、アロエの仲間だと思う多肉植物が植えられていた。駐輪場が他所へ移転したが、プランターがなぜかそのまま残された。横を通るたびに気にしていたけれど、金網の向こうだったこともあって、何もしなかった。

しばらくそこを通ることがなく、しばらくぶりに通ったときには、そのアロエは枯れていた。アロエはきょうもそのままでそこにいた。

道の記


セイヨウタンポポの電柱下はスズメノカタビラが枯れ、タチイヌノフグリが伸びている。タチイヌノフグリは花を咲かせるよりは付けた実を育てることのほうに力を注いでいるようだった。

道の記


ここにみかんの木がいたことを示すものがもう何もないことに気付いた。土さえ見えない。

2018年5月9日

道の記


どこかで伐られた木の伐り株や裁断後の幹がいつも放置気味に積んである場所がある。木はおりおり入れ替わるが、いまは輪切りになったイチョウが置いてある。このあいだ通ったら、横倒しになっている伐り株からところどころ葉が出ていた。根が土に埋まっているわけではない。水が吸えているのかどうかわからない。それでも葉はみずみずしい緑だった。

わたしは生きている。その一念が伝わってくるようだった。

道の記


ノアザミが、わたしも花守の1人ですよと言いたげに大きく育って花を咲かせていた。


大くすのきの林だった場所は、地面の一部に穴が掘られ、ところどころブルーシートが掛けられていた。伐り株は道路から3株見え、2つは勢いよく芽を吹き上げ、もう1つは小さなひこばえを生やしていた。


クスダマツメクサをひさしぶりに見た。よく見ているコメツブツメクサよりたしかに花の穂が大きい。その向こうの小さな土手に、ムラサキツメクサ、そしてシロツメクサと花畑が続いていた。どこもたしかに春だった。

道の記


住宅地の中の空き地の一角。そこに、そこそこ大きなソテツの木がいる。何年か前に初めて見て、忘れがたい印象を持った。ふと思い立って、訪ねてみた。

どうしているだろうかと半ば心配しながら行ったのだけれど、ソテツは変わらずにそこにいた。いちばん上の段の新しい葉だけが残されていて、おりおり手が入っているように見えた。ふもとから新芽も広げていた。

その残されて立っている姿が、どこか神々しく感じられた。頭を下げて立ち去った。

2018年5月5日

道の記(五ヶ山・小川内)


五ヶ山、東小河内の神社の木々はダム湖の水に浸かり始めていた。双眼鏡で見ると、桜やモッコクのいちばん下の枝の少し下まで水が来ていた。地面が水没したため、小さな動物が木に登っていないかと思って枝を細かく見てみたが、わからなかった。

そのすぐ近くの水面間際で、つつじが咲いていた。民家の跡なのだろう。その少し上に、なにか薄紅の花が咲いていた。

東小河内の側から東小河内の木々を見ていると、湖面を風が渡るときにさざ波が立って、日光を反射した白い細かな光がまるで吹雪のように木々に押し寄せてくるのが見えた。悲しいほどに明るかった。

道の記


道端の土に差した木の小枝はもうわからなくなっていた。


もう開いていないお店の前のプランターにいろいろな草が出ていたのが、プランターもなくなった。その位置に、なごりのようにノゲシが育っていた。


丁字路のホウキギクは草取りに遭っていた。まわりの草も高い草はなくなっていて、短い丈の草だけが目こぼしされたように残っていた。ホウキギクはおそらく地下では生きているだろうと思うが、すぐに葉が出てくるのかわからない。秋はまだ遠い。