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2018年7月21日

道の記(久留米)


久留米の筑後川を訪ねた。昨年の水害の後も行ったけれど今年も河川敷が水没したようで、粒子の細かい土が積もり、竹や材木やあまり大きくない生木が流れのよどみだったらしき場所に溜まっていた。


以前ときどき河川敷の公園に寄り、けやきの下で少し時間を過ごしていた。けやきはその後調子が悪くなっていたが、ひさしぶりに行ってみたら葉が出ていなかった。根元に川草が土塊ごと絡んで枯れていた。その土から何かの草の双葉と何かの草の一枚子葉が芽生えていた。


河川敷の遊歩道を歩いていると、手のひらを広げたぐらいの大きさの丸い物が乾いた泥の路面にあった。そっとつつくとゴムボールだった。青地で土にまみれて少し空気が抜けていた。どこのこどもさんと遊んでいたボールだろう。ボールはそれ以上何も語らなかった。そこにあったままにした。


水害の前に薬品流入か何かで魚が死んだと聞いた池町川も訪ねた。まちは夜市でにぎわっていた。そのまちのあまりにぎやかではない側を池町川は流れる。川をのぞきながら歩いた。ハヤがちらっと見えた。その先に鯉がいた。魚はだいぶ少ない印象を受けた。川を見ながら歩く大人の方やこどもさんを見かけた。


公園にある昭和28年水害の碑も訪ねた。近くの水場ではこどもたちの歓声がしていた。やがて日が傾いて公園が静かになった。いろいろな種類の雲がいかにも夏色な空にそれぞれに陣取っていた。碑はいつもと変わらずに、そのときの水位の高さを自分の丈で示しながら空にそびえていた。