道ゆく先々での、木々草々花々などさまざまの出会いとその後を、一筆箋に綴るつもりで。
From the Wayside: about my acquaintances of trees, flowers, weeds and others (written in Japanese)
2019年12月31日
2019年12月27日
notes on the way
Himejoon (Erigeron annuus, "daisy fleabane") at the intersection still has many flowers, looks fine. The flowers seem to be going into the new year.
***
I'm aware that, though I write the articles on this blog only in Japanese, they have many international access. I don't know why, but now try to write something in English this time.
2019年12月24日
道の記
大きな桑の木の場所を教えていただいた。きょうも近くを通ったのだが時間の都合でそちらへ回れなかった。来年訪ねてみよう。来年の楽しみがあると来年が楽しみだ。
お家の門の前にナキリスゲが大きく育っていたそのお家の方が、門のすぐ奥で何かの花を手入れなさっていた。やっぱり草木がお好きな方だったのだ。ナキリスゲも少し葉が色褪せていたが、そこにいた。
ハハコグサの空地は重機が造成をしていた。ハハコグサが生えていたあたりの地面は断面を見せていて、細い木の根や芝の仲間の草の茎が見えていた。
聖夜の木は今年も、細く交じり合う枝に花芽を少し付けていた。この近くの同じ仲間の木とくらべるといつも花が少ないが、次の春もきっと、その木なりの花を咲かせることだろう。
2019年12月23日
2019年12月22日
2019年12月19日
道の記
ひさしぶりの公園はまだ秋の風情だった。林に入ると、木の実が落ちて落葉に当たるぱさぱさという音がひっきりなしに聞こえていた。鳥たちの声もいっぱいだった。
大きないちょうがちょうど色あざやかになっていた。平野は遠く霞んでいた。
池のほとりで、スズメノカタビラが穂を掲げていた。あちこちでいろいろな春の草を見るが、スズメノカタビラの穂はしばらくぶりだ。スズメノカタビラはそこの一帯にかたまって出ている。寄り集まって小さく春をかくまっている様子だった。
その向こうからはなぜか大きな音で演歌が流れていた。こどもたちが帰り始めていた。赤茶に色づいた高いメタセコイアの木の向こうに、日が傾きつつあった。
2019年12月18日
2019年12月9日
道の記
丘の上の小さな雑木林だった場所はどうも一軒家になるような様子だった。建物はすでに建ち、まわりの工事が進められていた。何かのセンダングサが1本、様子を見つめるように立って咲いていた。
この道を行くのもひさしぶりだったし、この方向から行くのはほんとうにひさしぶりだ。向こうの山が夕日にあざやかに照っていた。緑だけでなく冬の紫も見えていた。
クリスマスの小さな飾り付けがされていたお家の納屋が無くなっていた。こどもさんの家を新築するようだ。お家をのぞきこんではいけないので足早に去ったが、敷地の端に古い小さなこいのぼり飾りを巻き付けた、たしかそこにクリスマス飾りも付けていたと思う木組みの枠が立てかけてあった。
蝋梅がきれいに咲く幹線道路沿いのお家が無くなっていた。更地だった。木のちぎれ根が地面のところどころから出ていた。しゃがんで、その1つに触った。何の木かはわからなかった。しなやかだった。
以前大きな木が立っていた駐車場は、大きなマンションに変わっていた。エントランスには数本の木が植栽されていた。あの木のように大きくなれるかどうか考えかけて、やめた。彼らにはきっと彼らの未来があるだろう。
2019年12月4日
道の記
犬のお散歩をなさってよくお目にかかっていた方のお住まいの跡地。いろいろな草が出ていた。いちばん向こうには花が集まっているのが見える。ハナカタバミのような色だった。その手前にオレンジ色のカンナが見えた。
キャンパス跡地は建物の解体が更に進んだ。木々も少なくなっていた。他所に移植されると聞いていた松の木も伐られていた。敷地をのぞき込むと、切り株が残っていた。その上に手鎌のようなものが見えた。雨はもう止みそうになかった。
メタセコイアも、桜も、姿はなかった。
キャンパス外周を歩いた。フェンスの向こう側から小さな菊の種類の花が咲いていた。カンナらしき葉も出ていた。フェンスの向こうはシートで隠されていた。
やはり移植される予定だったのがその前に立ち枯れてしまったカイノキが、その枯れた姿のまま残っていた。
いつも通っていた門の脇になぜか以前からプランターが残されていた。そのプランターの下から、何かの種類の菊が伸び出て、一輪咲いていた。
道の記
いちょう並木が市道の歩道と公開の私有地緑道に挟まれている。市道のほうは落ち葉がそこここに集められていた。公開緑道のほうは路面に葉が散らばったままだった。おかあさんとこどもさんが公開緑道を向こうからやってきた。こどもさんは落ち葉が積もっているところを選ぶようにして歩いてきた。
小学校跡地のエノキはボーリングか何かのような大きな重機を背後にしていた。枝はだいぶ落とされたが、すぐに撤去されるという様子には見えなかった。暗がりの中でしずかに立っていた。
街の大通りに面して、クリスマスマーケット風の小さな出店が出ていて、その前で、特にイベントのようでもなかったのだが、サックスを吹いている方がおられた。信号待ちの人たちが後ろを振り返って見ていた。演奏が終わると、出店の前の立ち飲みのテーブルに1人ついていた御年配の方が、大きな拍手をなさった。サックスは続いて聖者の行進を奏で始めた。信号が変わった。
道の記
中心市街地の交差点の柿の木はみごとに紅葉していた。実もなっていた。今年も元気に過ごしたのだろう。実と葉との違いは日の当たるほうでないとわからないほどだった。
更地にハハコグサが生えていたそのあたりの位置が掘削された。歩道が拡幅されることになる様子。その奥の更地になっている所にハハコグサが生えていた。
街中のクワクサはだいぶ色が褪せていた。葉も少なくなったようだった。人が近くにいたけれど、小さくクワクサに声を掛けてから先を行った。
各所のキツネノマゴも花をほぼ見なくなってきた。三叉路のキツネノマゴも花が終わったかと思って見ていたら、1つだけ穂のてっぺんに花が咲いていた。あいさつをして立ち去った。
2019年11月29日
2019年11月27日
道の記
モミジバフウの色とりどりの落ち葉が歩道を埋めていた。西日に光ってきれいだ。私はしあわせに歩いたが、こちら側でも向こう側でも、ご近所の方々だろう、箒で無言で掃き集めておられた。
だからと言って、つらく思いながら掃いておられたともかぎらない。そこはこちらで勝手に考えすぎないことにした。
この前ここに来たときにヒイラギの花が咲いていた。香りが強く、その香りで上を見上げてわかったのだった。きょうもよく香っていた。そしてこの前は気づかなかったが、何本も並んでいる。全部見てみようと思って行きかけて、ふと、ここが公衆トイレの裏だと気づいて、それ以上進むのをやめた。公衆トイレにあわせて植栽したのでは、と思ったが、これも考えすぎないことにしよう。美しく香っていた。
ベンチに掛けようとやってきたが、ここに生えていた小さな木がなくなっているのに気づいた。切り株があった。見ると、これまでに何度も何度も伐られた跡がある。私がこれまで見ていたのもその何度も何度も伐られた後に伸びていた幹だったのだろう。細かった。木蓮の木だった。切り株に芽らしきものは見えなかった。次の春の花は無理かもしれない。でも春を待とう。
けやきの葉もたくさん散って路面に積もっていた。きょうはこどもたちはいない。道の先では、この前からいっぱい咲いているさざんかの花が、街灯の灯りだけで照らされていた。
2019年11月25日
道の記
よく通る道で、歩道が狭くなっている箇所がある。街路樹のクロガネモチと電柱と建物とのあいだを抜けるようにして通る。すれちがうのは難しい。そこのクロガネモチの枝を落とす工事をやっていた。剪定ではなく伐採のようだった。次にここを通るときにはこのクロガネモチは撤去されているかもしれない。木には近づけない。通り過ぎてから1度振り返った。クロガネモチは思っていたよりも傾いて立っていた。
イヌビワの植木鉢があったお店の跡地のひとつ奥の駐車場の隅で、イヌビワが茂っていた。
こちらの方向へはむかしの思い出があり、あまり行かないようにしていた。そういえば最後にここを訪ねたときも、紅葉だったのではなかったか。少し傾いた日差しに、神社の高台の紅葉があざやかに見えていた。あたたかそうな御家族の声が聞こえていた。
小径を行くと、こんどは小さなイヌビワが敷地の端で、でもしっかりと茂っていた。敷地の先の端では小さなホトケノザの葉が出ていた。
ここからはいつもの道を行こう。そっちの草から呼ばれている気がする。そう思って高架をくぐって向こう側の歩道へ移った。ヒナギキョウがたくさん咲いていた。
地図で見ていてどういう公園だろうと思っていた。時間の合間に登ってみた。思いのほか山道で、ツワブキがいっぱい咲いている。ツワブキは植えられたのではないかとも思うが、よく知らないシソ科の花や、たぶんノコンギクだと思う野菊が、土の階段道を彩っていた。西日。こどもたちの声。しあわせな場所だった。
帰りも、思い出が巡り寄せる道を通った。もうはるかなむかしだけれど、忘れてはいない。忘れたほうがよいのかもしれないが、忘れきってしまうのではだめだという気がした。細い夜道はまっすぐ続いていた。
クロガネモチは下から幹の途中までが残っていた。幹に小さな葉がいくつか出ていた。生きていれば、ここから始め直すことができる。幹に手を当てた。たがいに言葉はない。振り返って、また、とだけ声を掛けてその場を去った。
2019年11月20日
道の記
草が刈られた空き地ではアキノノゲシが復活していた。アキノノゲシとしてはとても低い丈で、花を咲かせ、つぼみをたくさん付けていた※。
※ このアキノノゲシの「つぼみ」は花が咲き終わった後の状態だったかもしれない(つぼみだったかもしれない)。次の記事に注を書いている。
https://michinohata.blogspot.com/2020/03/blog-post_43.html
交差点角に以前ヒメツルソバが出ていたのが、舗装工事でその位置が埋められてしまった。しばらくぶりに通ったが、ヒメツルソバは出ていない。しかしすぐそばの植木鉢の中に、1株小さく生えていた。
オナモミらしい。とてもひさしぶりに見た。背丈が小さい。たびたび刈られるのだろう。実はしっかりと付けていた。
工場近くのくすのき切り株は、ひこばえが最近切られたように見えた。そこから新しい芽が出始めていた。
このエノキだったか覚えていない。でもこのあたりの位置だったような記憶がある。水路脇の小さな切り株から横方向に枝を短く伸ばしていた。解体された施設の敷地は手つかずのまま広がっていた。
道の記
体調が思わしくなくなって公園の池のほとりのベンチで休んだ。ふと顔を上げたら目の前の水面に鴨がたくさん来ていた。餌をもらえると思って来たのかと思ったけれど、私がそのままにしていてもなかなか去らない。ほかのベンチにも人がいるのにそちらのほうには行かない。心配して来てくれたのだと思うことにした。
公園ではいくつか楽器の音が聞こえていた。去り際にはWhat a wonderful worldが聞こえていた。地平線の際がまだ赤く、金星と木星と土星と少し離れてもうひとつ星が並んで見えていた。
別の公園ではストリートミュージシャンの方たちが並んで、各々の楽器と一緒に歌っていた。少し離れて、以前お見かけしたアンプを担いで歌う方が、縁石に腰掛けて、マイクをこどもたちに持たせて好きなようにしゃべってもらっていた。こどもたちが楽しんだ後、時間が来たようにしてお立ち去りになった。
2019年11月16日
道の記
ひさしぶりに降りた駅は建て替えられて駅前も大きく変わっていた。むかし立ち寄った駅前食堂は看板を下ろしていた。
そして初めて来た駅は小ぢんまりとしていた。入口のロータリーにくすのきが大きく立っていた。これから少し遠くまで行くらしき方々が地元の方らしき方に見送られていた。
大きな公園を歩いた。空も地面も広かった。公園を通り抜けて川に出ると、オギが穂を立てて並んでいる川岸の向こうの、くすのきの林の向こうに、日が降りていくところだった。山は斜めから陽を浴びて、その光と稜線とで、ひかりとかげを作り出していた。自転車に乗ったこどもたちが、残りわずかな一日を遊ぶのだろう、土手を公園のほうへと走っていった。
春の小径はこの前通ったときは暗くなっていて草花がわからなかった。きょうはすぐにキツネノマゴが咲いているのがわかった。丈が低く、1度刈られたのだろう。かたまって咲いている。イヌタデ、コツブキンエノコロ、チカラシバ。そしてホトケノザもナズナも咲いている。にぎやかだった。春を湛えた秋の小径。少し暮れ始めていた。
2019年11月13日
道の記
バス待合所前の切り株は変わらずそこにいた。
桜が並ぶ高台のポケットパーク。きょうはベンチに掛けている人がいた。景色に向かって何かお弁当みたいなものを食べている。眼前は大きなショッピングセンターだが、その向こうには遠い山並みが見えていた。
ここを通るときにはたびたび、山から呼ばれている気がしたのだった。きょうはそこまでせつなくない。淡々と向かおう。
バス路線は途中から不通だった。車止めの向こうの道は川に向かってまるごと崩落していた。その手前でなごりのコスモスがけなげに咲いていた。
春の花も秋の花も咲いていた。ここではクワクサをよく見る。かと思うとヒメウズも花を咲かせていた。
棚田は一部だけ作付けされたらしい。畦に草の緑があざやかだった。今年も日曜市のお米と野菜を買った。みなさんにお目にかかれて今年も訪ねた甲斐があった。
通り過ぎたばかりのお寺の、鐘の音が響いてきた。この谷のいつもの景色なのだろう。雲は少し紅に染まり始めていた。道路を直そうとしている重機が、いまはしずかに休んで、明日からに備えていた。
2019年11月10日
道の記
以前スダジイの実を拾う方に出会った、そのスダジイの木の下でどんぐりを拾い集めた。マテバシイの実はけっこう落ちているが、スダジイは思ったほど落ちていない。今年も拾いに来られたのだろう。
サザンカの花の下で、幼稚園帰りらしいこどもたちが腹這いになって地面で何かをしていた。興味があったけれど、サザンカの花のほうを見て行き過ぎた。
伐採撤去された桜の代わりに新しい桜が植えられてこの冬で5年になる。新しい木は思いのほか大きくなっていた。そこにはもう新しい時間があった。
いちょうの並木が立っていた場所に寄った。いまは別の構造物がそびえている。あの秋はたくさんの葉が風に舞っていたのだった。いま思うと、自分の種子のように風に放ったのかもしれない。いま砂利が敷かれているこの場所の土は、あのいちょうたちを覚えているだろうと思った。
2019年11月6日
道の記
幹が枯れた桜はひこばえをいくつか出していた。まわりの桜はあざやかに色づいていたが、ひこばえはやっと伸び出した様子で、あおあおしていた。
道端で御高齢の方が立ち止まって、何か草を手に取っている。それを手折って去って行く。その場所に通りかかる。アレチハナガサの茎の上のほうが無くなっていた。その方の手にはきっと花があるのだろう。
畑だった場所が幼稚園のようなものになるようだ。重機が整地に入っていた。ここではトゲミノキツネノボタンがよく咲いていた。わずかに草が残っている敷地の端で、それらしき葉が地面を覆っていた。ホトケノザがぴょんと伸びて花を咲かせていた。
***
帰りに振り返ると、山はあざやかに陽を浴びていた。でも山の呼び声は聞こえなかった。景色をしばらく眺めて、行こうと山を背にしたとき、山の声が聞こえた気がした。いまは来なくていい、そこですべきことをしなさい、と言っているようだった。
1度だけ振り返って、山を見た。帰り道は行き道になった。
ジュズダマの空き地はジュズダマがだいぶ刈られていた。端のあたりに残っていた。ジュズダマの実が歩道の路面に落ちていた。七転び八起き、と思いながら、実を八つだけ拾って、手に握った。路面に残るジュズダマの実はまた誰かが拾うだろうか。
道の記
いつもススキやキツネノマゴが出ていた街路樹の植え枡、どうも薬が使われたようで、枯れた草が少し残っていた。
中央分離帯を通る長い横断歩道。一昨年そこでヒロハホウキギクを見た。去年は出ていなかったと思う。今年も出ていないだろうと思って急ぎ足で通っていたら、ヒロハホウキギクが咲いていた。2株出ていた。
キツネノマゴが出る斜面は今年は草刈りがあって、今季はもう難しいのではと思っていたが、キツネノマゴが小さく咲いていた。来年もまた出てくることだろう。
***
山が見えるほうの大くすのきの林だった場所は、大きな建物が完成していた。以前ボタンクサギがいた位置にかろうじて地面を残していたファサードの隙間は、セメントで埋められていた。その建物の手前、残る半分の敷地では、以前から咲いていたアレチハナガサやヤナギハナガサにくわえて、アキノノゲシも咲いていた。
くすのきの若木が、刈り込まれた歩道の植え込みで、植えられた木々と同じようにして居続けていた。彼らが、大くすのきの林を継いでいくだろう。
頭を下げて立ち去った。
2019年11月5日
道の記
大くすのきの林だった場所は、くすのきの切り株はなくなって、フェンスの向こうに鉄筋が並んでいた。
柿の木や樫の木の残っていた切り株が撤去された場所は、以前から出ていたヤブガラシが地表を覆っていた。ひこばえらしきものは見えなかった。敷地を越えて出ていた柿の木の芽もなかった。
田んぼだった場所の横の花壇は、ルピナスに似たあざやかな花が穂を立てて咲いていた。ポーチュラカがその下を彩っていた。
桃が1つ花を咲かせていた。その下ではホトケノザがいっぱい咲いていた。
大くすのきの林だった場所の横を帰りにも通った。鉄筋群はそこに新しく生えてきた植物のようにも見えた。彼らもあと50年くらい経ったら、くすのきたちと同じようにここを取り払われるのだろう。人の営みも人の力によって壊されていく。
鉄筋たちがめざす天は曇っていた。ただ土が積まれただけの、以前のものとは違う小高い丘の、その上ではなくはるか離れたところで、満ち始めた月が雲の向こうから照っていた。
2019年10月31日
道の記
2つ信号のオニタビラコの場所に、ヒメムカシヨモギが低く出ていた。低いけれどもつぼみをたくさんつけている。秋がしだいに深まってきて、急いだのだろう。
旧クサギのトンネルではクサギの花が少しだけ咲き残っていた。前にぐるっと輪のように咲いていた株は、ぐるっと輪のように実を高く差し上げていた。
思いがけない所でキツネノマゴとイヌコウジュを見て、おかげで少し元気に歩けた。しかし休憩のつもりでベンチや石に座るとそこから動けない。立ち上がると右のほうへからだが動いていく。以前そんなふうにからだが自然と動いたときはそちらのほうに何かあるのかもと思ってそのまま歩いた。きょうもそうしてみたら、からだが右へ右へと旋回して同じ場所をぐるぐる回り始める。広い場所でよかった。もう帰ると決めて帰るしかなかった。
街は仮装の人たちでにぎわい始めていた。いま思うと自分の格好も、その街からしてみたら仮装みたいなものだった。西日は高いビルの窓に跳ね返されて、そちらも太陽と同じくらいまぶしく輝いて道を照らしていた。
2019年10月28日
道の記
遠目に見た学校の榎の木は、枝が落とされていた。校庭の工事はさらに進められているようで、土が掘り返されている地点もあった。
ヒイラギモクセイが香る。見ている中でいちばん花が遅かった木もだいぶ咲き始めてきた。その場所を後にして少し歩くと、また香りが。風でここまで流れてくるのか、それにしても…と思い、ひょっとして近くに別の木が?と思って見回すと、見回すまでもなく隣の木がヒイラギモクセイだった。
カゼクサの場所は草刈りがあったようだ。草の丈がずいぶん低くなった。斜めになっているカゼクサの穂を見つけた。少し歩くと、そのあたりまでは手が回らなかったのか、カゼクサの穂が立ち並んでいた。
十月桜の季節にこの十月桜の場所に来ると、ここの桜を教えてくださった方のことを思い出す。桜は香りなく白く咲いていた。大きく広がる夕暮れの空に桜の色を探した。
帰りに学校の榎を近くで見られる場所へ立ち寄った。すっかり暮れて、榎は影になって立っていた。校舎に寄り掛かるように伸びた榎を支えている大きな支柱。守られながら、守られながらも、榎はいまこのときを高くそびえて生きていた。
2019年10月26日
2019年10月24日
道の記
同じ道を同じ方向へずっと歩いてらっしゃる前の方が、ときどき振り返ってこちらをご覧になる。少しずつ距離が詰まってきた。追いついた。小声で歌ってらっしゃった。
いつも列車から見ていて気になっていた大きな木。ここも自分の足で来るとは思っていなかった。クスノキ。根元近くで二股にほぼ等分に分かれていて、ちょうど北海道豊頃のハルニレのように枝が張り出して垂れ下がっていた。そしてまわりは草原。セイバンモロコシやススキやタチスズメノヒエが穂をなびかせていた。
もともとここの敷地には何か工場のようなものがあった記憶がある。工場が無くなってクスノキが残ったのだと思う。敷地をぐるっと回る。キンモクセイが咲いていた。敷地の角に来るまでクスノキを遠く見て歩いた。
道の記
少しひさしぶりの緑道は、ずいぶん背の高いアキノノゲシが花をいっぱい咲かせていた。
以前ここに来たときは古い木造の小さな建物があって、その向こうに大きな木がいたはずだったが、建物はなくがらんとしていて、木は切り株になっていた。木に近づくと、クスノキだった。ひこばえが出ていたようだがそれも伐られていた。少しだけ葉が残っていた。まわりは舗装のないがらんとした駐車場。切り株の横にはいろいろな草が生えていた。ホトケノザの葉も出ていた。
コスモスは今年は種まきができなかったそうだ。コスモス畑になるはずだった敷地の隅で、ヨメナが明るく咲いていた。
どこかの道ではホトケノザが咲いているのを見た。ああここでは咲いているのかと思った。今季初めて見る花。しかしもうどこだったかが思い出せない。
2019年10月21日
2019年10月18日
2019年10月17日
道の記
以前立ち寄ったうどん屋さんが取り壊し工事のさなかだった。
この道もしばらく通らないだろう、と思いながら、以前モウコタンポポを見た遊歩道に入った。モウコタンポポは少し咲いていた。いつものように手を振った。
キツネノマゴの公園は、キツネノマゴでいっぱいだった。おかげで少し元気をもらえた。すでにここまでにかなり歩いたが、もう少し歩ける気がした。
とても高いワシントンパームだった。だいぶむかし1度立ち寄った公園。この公園で何か大きな木を見たことがあるような気がしていたのだった。夕方になっていたが、こどもたちと親御さんたちが連休最後の日を惜しむように遊んでいた。
道の記
サクラタデという名前は知っていたが、こんなに桜だとは思っていなかった。
山が見えるほうの大くすのきの林だった場所は、片側は事業所の建物の工事が終わりに近づいていた。ボタンクサギが出ていた場所は塀が建っていた。塀にスリットがあり、そのスリットの所は地面があるようだった。砂利が見えていた。
山の呼び声は聞こえなかった。
交差点の角では鶏頭が1株、赤く咲いていた。彼岸花は花を終えた茎がしんと立っていた。
お家の前の道端のカンナは葉が出ていた。カンナを育てているのかどうかはわからなくなってしまったが、葉はあおあおとして元気そうだった。
田んぼを望む道端のコスモスはなくなっていた。田んぼは半分ほどがコスモスの葉でいっぱいになっていた。残る半分では刈られた稲が次の穂を実らせていた。
2019年10月16日
道の記
エノキグサがひさしぶりの街の道で迎えてくれた。
古いお家が建っていた場所が、ほぼ更地になっていた。敷地内はまだ取り壊し工事が続いているようで、外の煉瓦塀が残っていた。この煉瓦塀だけが残される可能性もあるのかもしれないが、ここに何か新しく建つなら大きなマンションだ。煉瓦塀は時の流れを従えてしずかに居残っていた。
閉店した飲食店の階段手前には、スゲの仲間らしき葉が少し出ていた。しばし見ていたが種類が分からず、歩き出すと、すぐ近くにヒメクグが小さく生えて穂をつけていた。
水際で白鳥が何か地面あたりをつついて食べていた。こどもたちが寄っている。白鳥はこどもたちからえさをもらっているようだが、近づきすぎると首をしゃっと突き出して攻撃していた。えさをくれるなら攻撃しなければいいのに、と思ったが、何か別の考え方なのだろう。さらにこどもたちがやってきた。
商店街の中の空き店舗が取り壊されていろいろな花が植えられたり草が生えたりしていた小さな緑の場所があったのだが、砂利が敷かれて駐車場みたいになっていた。敷地の向こうに、大通りのベンチに掛けて何か食べているようすの方々が見えていた。
道の記
ビルの谷間のヨウシュヤマゴボウはだいぶ実が熟してきたようだった。
大きな道路の交差点の監視カメラの上に、カラスがとまっていた。交差点の車を見下ろしていた。
いつもと違う道で帰ろうと思っていたが、そちらへ行く信号が2つ続けて直前で赤になり、これはいつもの道に何かあるのかと思って、いつもの道に戻った。
ヒロハホウキギクやアキノノゲシの空き地に土砂が入れられていた。草は少しだけ土からのぞいていた。
しばらく使われていなかった、民芸酒場風の空き店舗が取り壊されている途中だった。敷地の端のほうにたしかイノコヅチなどの草が茂っていたのだった。夜なので重機がそのまま置いてあり、壊れかけの建物が瓦礫になりながら半分残っていた。草の姿は見えなかった。
2019年9月30日
道の記
ある神社を訪ねた。境内の木が台風で倒れたという話を聞いて。神社は無人で木は倒れたままになっていた。撤去・修復の段取りにまだ入れていないのだろう。倒れて数日経つことになるが、破断面はまだみずみずしい感じを残していた。
神社の境内に入ってすぐ、香りを感じた。ああもうそういう季節になるのか、と思った。どこの枝に咲いた花があるのかわからないほど大きな、金木犀の木。手前の枝にはたくさんのつぼみを用意していた。
そういえばきょうも、母がむかし通った学校の地に来ている、と思った。もう学校そのものは遠く山の裾野に見えるか見えないかになっていたが、母も見ただろう山は青く、そのふもとに町並みと田畑が広がり、この川土手には彼岸花が赤く一心に並んでいる。1株、白彼岸花が咲いている。
その川土手のベンチに掛けてお店で買ったラスクの袋を開けようとすると、猫がやってきた。猫はすぐに何か判断したようで、鳴きもしないでそのまま立ち去って行った。行ったほうではほかの猫たちがのんびりしていた。
この街にひところ住んでいた、亡くなった友人のことを思い出していた。あの丘の上に見える住宅地のような所に住んでいたらしい。とても高いマンションが1棟立っていた。この街は私にはなじみのない遠い街だが、ここに暮らして私の街と日々行き来する人もたくさんおられる。そして自分もこの街にいまひとり居るのだった。犬の散歩の方々がすれちがっていった。犬ともども挨拶してくださった。
道の記
排水溝のクスノキは排水溝の網から外へ伸び出ていた。元気そうだった。すぐ下にイヌビワらしき葉も見えた。
道の向こう側のほうが緑豊かに見える。ここでは道路は横断できない。さっきの信号を渡っておけばよかった。でも、こちらの道にも、数は少ないけれどいろいろと草が生えている。こちらはこちらで見て歩こう。チチコグサがのんびりと生えていた。
少し歩いているうちにキツネノマゴが咲いていた。この道中、キツネノマゴを見たのはあとから思えばここだけだった。
列車で少し遠出するときにいつも眺める、開けた風景。いつかそこに立ってみたいという気持ちもあったけれど、実際にそこを歩く日が来るとは思っていなかった。田んぼと畑の中に小川が流れ、その脇に小径が通っていた。彼岸花がどこまでも並んでいた。白いサギがこちらを見て、ゆっくり去っていった。もっと遠い所にいるサギたちはそのままでいた。
以前、この町の病院に入院した親戚の方をお見舞いに、この道を通った。少し先にポケットパークがあるはずだった。ポケットパークはそのままだった。その方にはピアノを弾いたテープをお送りする約束をしていたが、お送りしたのはその方が亡くなる直前だった。そのことを苦く思い出しながら、病院の建物のほうを見た。このさきは行ったことのない道を行く。
2019年9月28日
道の記
以前ホウキギクが出ていた丁字路の角。今年はねこじゃらしが穂を小さく立てていた。
元すみれのプランターの近くで生き延びたキツネノマゴは花の穂をずいぶん大きく伸ばした。種子をたくさん作れただろう。
その近くで、胴があざやかな緑色のとんぼが路面にいた。尾が丸まっていたが、拾い上げると弱く動き始めた。どこか涼しい場所に移したいと思い、とんぼを手に持って歩いた。
公園の水辺は台風の後片付けでたくさんの職員の方が落葉回収作業をしていた。とんぼをそのあたりに置くわけにはいかないと思った。けっきょく、いちばん扱われなさそうな花壇にとんぼを据え置いた。とんぼはどう思ったかわからないが、ゆっくりと尾を動かしていた。
やま、と、近くの幼稚園の子らしきこどもさんがぽつんと言った。お母さんが、「坂」ね、と言って、こどもさんと坂道を登っていった。こどもさんはきっと、どこかの山の道を歩いたのだろう。とてもいい覚え方をしたのだと思った。坂を「やま」と思っていたことを、おとなになったいつか思い出してほしい、そんな気がふっとした。
その短い坂道のすぐ上に大きなケヤキとクスノキが立っていることを、書いているいま思い出した。
2019年9月26日
2019年9月23日
道の記
畜魂碑というものを初めて見た気がする。どこかできっと見ていただろうと思うのだが。すぐ近くではたくさんの方が畑作業をしていた。オクラらしき花が咲いていた。
歩く予定のなかった町の道を歩く。クワクサがところどころに生えていた。去年もここから遠くない町でたくさんのクワクサに出会って喜んだのだった。
母が通っていたという学校は木々の向こうで静かだった。その木々のふもとにもクワクサがいた。
ひさしぶりに歩く春の小径。トキワハゼが咲いていた。ほかの花はあまり見えない。キツネノマゴが出ていないと思いながら歩く。小径が終わるころにようやく見つけた。去年とは違う場所に出ている。稲穂は刈られるまでもう少しのようだった。
キバナコスモスは出ていなかった。その近くに赤白の彼岸花がたくさん並んで咲いていた。
ふと横を見たら、建物と建物のあいだでボタンクサギが咲いていた。大くすのきの林のボタンクサギを思い出した。ここのボタンクサギにしあわせが続きますように。
道の記
山の向こうから雲がやってきて、山肌に影を落としながら去って行く。山村暮鳥の詩を読んでいる気持ちになってきた。
オキザリスの花が咲いていた敷地は新築の住宅が並んでいた。
種類が定かでないたんぽぽが下に出ていたブロック塀は取り替えられていた。道路との隙間はコンクリートが完全に埋めていた。
民家を横に見下ろしながら下っていく坂道。以前ここを通ったときにはセイバンモロコシが並んでいた。同じ季節のきょうもセイバンモロコシが並んでいた。近くの穂を手に取った。穂は実りの色だった。
むかしからの生活雑貨のお店でラムネを買って飲む。お店のテーブルにもラムネの空き瓶が置いてあった。
道の記
いろいろな道で道端の木や草がなくされているのを見てきて、ひさしぶりに通るこの道も何かなくされているのではないかと不安に思いながら歩いた。道端に小さな蘇鉄がいるはずの場所に差し掛かった。蘇鉄は元気にしていた。まわりには、柿やアカメガシワの幼木もいて、タチスズメノヒエが穂を高く伸ばしていた。
山の方向へ向かって歩く。空はとても青く、日差しは強いが、風が涼しい。ようやく夏が来た、という錯覚に見舞われた。
休憩のため公園に立ち寄った。向こうのほうでお姉さんと妹さんのように見えるこどもさんが遊んでいた。私がベンチで休んでいると、やや近くまで来てそこで遊び始めた。となりの集会所で声がするので、そこに居るどなたかを待っているのだろう。そろそろ行かないとと思って立ち上がる。少し公園を歩くと、さっきこどもさんたちが遊んでいた所のそばに花壇があった。コスモスが少し咲いていた。
道端のお家の畑の端にイヌコウジュが出ていたのをだいぶ前に見た。そのあと、季節なのにイヌコウジュが出ていなかったのも見た。そこを通ったけれどイヌコウジュは出ていなかった。立ち去りながら、見つけられなかったのかと思って後戻りしてもう一度見てみたけれど、出ていなかった。
このお家の向こうには大きな木があったような記憶があるが、空だった。その隣のやや大きな木と勘違いしていたのかもしれない。立ち去る前に、その空に向かって、記憶にある大きな木を思い浮かべた。
2019年9月18日
道の記
大きな道の横に小さな畑があっていろいろな作物が育てられていたのだが、その畑がなくなっていた。これから何か建てられるか駐車場になりそうな様子だった。
橋のたもとから出ていたイヌビワがなくなっていた。
小さな道へ入る角の縁石まわりにスミレが出ていたのだが、舗装し直されたようだった。草はまったく出ていなかった。
私の前から歩いてきた人が、横のビルとビルの間の隙間をちょっとのあいだ立ち止まって見ていた。その方が立ち去ったあとにその隙間を見てみた。ごみバケツとイヌビワの幼木が見えた。その方がどちらをごらんになっていたのか、どちらでもあるのかないのか、わからなかった。
道端のくすのきの幼木は切り株のまま動きがなかった。
向こうに柿の木がいた駐車場の柿の木がなくなったと思っていたが、そこより手前の駐車場の向こうに柿の木らしき木が見えた。なくなったと思ったのが自分の勘違いだったのか、だとするとこの木が私には見えていなかったのか。
大きなくすのきが1度切られた後、ひこばえが残されて育てられている小さな公園。草は取られているようで、土が新しく入れてあった。ベンチで休みたかったが若い人とやや若い人で埋まっていた。先へ歩くことにした。
2019年9月10日
道の記
すみれのプランターが植え替えられていた。近くにはキツネノマゴもプランター内に出ていたのだが、一斉に植え替えられたようだ。ガザニア、なでしこの仲間のような花、まだ緑だけの花。すみれはまったく見つけられなかった。
その近くに1株だけキツネノマゴが生えている。この場所で生き残ったのはこの株だけになったかもしれない。花が咲いていた。このキツネノマゴがひとりになったことは、キツネノマゴには知られないほうがいいと思った。しかしわかっているかもしれなかった。
ナガミヒナゲシやノミノツヅリが出ていた信号のふもとも、草が無くなっていた。ここも花のプランターが新しく並んでいた。
ヤナギハナガサが出ていたお店の跡地の横を通った。もう草も花もいない敷地をもういちど目にして、どこに向かってでもなく声を上げた。
2019年9月9日
道の記
もうひとつの大くすのきの林だった場所は、どうも2つの敷地で運命が異なったようだ。片方は管理地の札が立ち、手つかずになっている。横の歩道を歩いているとヤナギハナガサの花が歩道に出てきていた。敷地内にはアレチハナガサとヤナギハナガサがめずらしく並んで咲いていた。もう一方の敷地は建造物の工事が進んでいる。その隅っこに、以前ここで咲いていたボタンクサギのように見える大きな葉の幼木が出ていた。キカラスウリのつるが下を這っていた。
その先のお家が取り壊されていた場所は土地が掘り下げられていた。崖はほぼなくなっていた。以前は崖の上から何かの実が落ちていて、しかし何の実だったか思い出せずにいた。歩道の植え込みから柿の葉が伸び出ていたのを見つけた。
交差点のホリホックは葉だけになった。となりで白彼岸花と鶏頭が咲き始めていた。草取りをしている途中らしく、取られた草がひとつかみになって歩道に放ってあった。
2019年8月31日
道の記
長い雨が上がった。
空き地の草はのきなみ高くなっていた。ヒロハホウキギクだけが咲いていた。むしろ花を終えて綿毛になっていた。それもまた花のようだった。
道のこちら側を通ることがこのごろなかった。大きなヒメムカシヨモギが並んでいた。かと思うと、クロガネモチの木のふもとにハゼランが大きく伸びて咲いていた。待ってましたと声が聞こえた気もした。
草の世話をしている場所で、ヤブガラシをちぎって手に持っていたら、小さなこどもさんがやってきた。手にヤブランの花を持っている。どこかで摘んできたのだろう。仲間だと思ってくれたようだ。
マンションの上のほうの階に陽が当たっていた。雨が明けてまだ太陽を見かけていない。振り向いたが、建物の上に赤みがかった入道雲が見えるだけだった。
道の記
お地蔵さんは変わりなかった。いや、お社が新しくなっているような気がした。大きな木々が小さな森をなしている、その崖の真下。頭を下げて立ち去る。おとなりのお家の方が車の中からこちらを見ていたように思い、車にも小さく会釈して。
この道は帰りには通らないだろうと思いながら、切り立った崖の中を通る小さな国道を歩く。思いがけず、沿道の草はペラペラヨメナだった。ヨモギもとうを立てていた。
雨がひどくなる。列車の出る時刻までだいぶある。川土手のあずまやに入って腰掛けるとすぐ、猫がやってきた。猫が食べそうな食べ物はない。さかんに声を掛けてくるが食べ物はないと返事をするだけ。そのうち、なかばあきらめたように私のそばで座り込んで、それでもときどきにゃあと声を上げる。もう、何かねだっているのとは違うようだった。
雨の中、記念碑の場所にたどりつく。もう夜で足元もよく見えない。それでもそこに生えている草が気になってしゃがむ。ヒエガエリだと思う穂の草と、あまり見た覚えがないへら状の葉をした草。ここでも草はいつも歩く街と違うようだった。そこを離れて駅へ向かう繁華街の花壇で、同じへら状の葉の草を見た。花として育てられているようだった。
道の記
いつもの生活範囲や、1年に1度くらい来る範囲をさらに離れると、街の中の草がもう違う。見たことがない種類の草がふつうに生えている。この途中下車した駅前の植え込みも、むぐらの仲間のような知らない種類の草がぽつぽつ生えている。少し見ていたかったが、乗り継ぎの旅なので時間がわずか。心で手を振ってその場を離れる。
バスの休憩で降り立った場所も、知らない種類の草がいっぱいだった。そちらを見るのにいそがしくしてしまって、ブタナが咲いていたけれどさっと見るだけだった。
おおよそ6年ぶりの道。たしかこの道だったような…と、先を進むとどうも違う。振り返るとあざやかな花が敷地の角に見える。あ、あの角を入るのだったかもしれない。戻ってみるとたしかにそのようだった。
岩穴に立ち入れるようになっている。つっかけに履き替えて岩の上を歩くと、足元はトキワハゼの花だった。洞穴に入れるのは入れたが足がつるつるすべって怖い。ひっくり返らないようにおそるおそる脱した。大きなゆりの花が待っていた。
2019年8月29日
道の記
切り株の桜の芽はまた刈られていた。株の根元が刈りにくかったようで、数枚の葉が残っていた。今回、桜が枝を横に伸ばしていたのは正しかったということだろう。
大くすのきの林には大きな重機が来ていた。建設工事がこれから始まるのだろう。小さな緑は重機の陰で見えなくなった。切り株は置かれたまましずかだった。
柿の木や樫の木が切り株になっていた場所は、土が重機で掘り返された様子だった。切り株は根から無くなっていた。ちぎれ根が地面から出ていた。以前から敷地の中には廃棄物のような物々が放置されていたが、切り株らしき姿は見えなかった。
このあいださわった柿の葉も樫の葉もその感触をおぼえている。
前を見ずに歩いていて、ふと、田んぼだった場所の花壇の花が目に入った。私は咲いてるよ、と、呼びかけてきたように感じた。
造花が供えてある手向け花のプランターに、少し長めのねこじゃらしの穂が1本、立てかけてあった。よく見るとプランターの中からも穂が1本伸びていた。プランターの中にねこじゃらしが生えていてそれを1本抜いて立てかけたのか、2本持ってきて1本をプランターに差したのか。いま考えるとプランターに土が入れてあるとは思えない。どこかからどなたかが持ってきてお供えしたのだろう。ねこじゃらしはそれぞれに、そこに緑を添えていた。
2019年8月28日
道の記
チャンチンの木が植えてあったのになくなった交差点。その植え込みにさしかかったとき、あまり背の高くないチャンチンの木が、数本生えているのに気づいた。もとの木かどうかわからない。チャンチンは小さな傘のように枝を広げていた。
キツネノマゴの公園はまだキツネノマゴは咲いていなかった。この公園を初めて通ったときに見た、ヒナギキョウの花が少しだけ咲いていた。
さっき入れなかった店にもう1度向かう。繁華街の裏の知らない道で、ここを通って行けるのかどうかわからない。お家の前に大きなランタナ。花が咲き、いくらかのつぼみをつけていた。
このあたりは客引きに遭うかもしれない。そう思いながらも、もう少し歩いてみる。ふつうの暮らしのお店があるのでだいじょうぶかと思う。ほどなく、知っている大きな道に出る。車も人もたくさんに行き交っていた。ひょっとしたら、ここまでの道のほうがしあわせだったのかもしれなかった。
2019年8月21日
道の記
大くすのきの林だった場所の、丘の上に置かれていたくすのきの切り株は、丘の脇に移されていた。丘の向こう側に、小さくこんもりした一点の緑があった。木なのか草なのかわからない。小さなくすのきの樹冠のようにも見える。その緑がいまこの場所でいちばんの高みにいた。
先日夜に通ったとき小さな緑の馬に見えた道の脇のヒメムカシヨモギは、きょうは馬の形をしていなかった。今年の茎はしおれかかっていて、去年の茎は今年の茎とは分かれて立っていた。今年の茎にもたれていた部分が枯れ落ちたのかもしれない。
歩く途中、蝉を拾っては土のある所に置いて行った。生きている蝉は木を探して幹に移した。しかし次第に私も歩き疲れて、人が踏まなさそうな位置に落ちている蝉はもうそのままにして先を歩いた。最後に見た蝉は、学校のグラウンドの網の下に逆さに挟まっていた。動いてはいなかった。
2019年8月15日
道の記
交差点の電柱の影にヒメジョオンの花が見えた。のぞき込むと、オヒシバと並んでいた。きょうも日差しはすさまじかった。
大くすのきの林だった場所は、この前通ったときには土が積まれて上が平らにならされていたが、その上に、くすのきらしき切り株が置かれていた。ここはやっぱり、くすのきの場所なのだ。切り株は切り株の形をしていなかったが、空に向かっていた。
丘のはずれの切り株は小さな緑を従えていた。その切り株の芽も出ているのかもしれなかった。
柿の木の切り株から少しだけ離れた位置に、柿の芽が出ていた。切り株の芽なのか、切り株の柿の木のこどもなのかはわからなかった。
道の記
低い山の裾野に広がる田んぼの中を行く県道。歩道はセイバンモロコシが立ち並んでいる。その中で1か所、キツネノマゴがかたまって生えていた。今年初めてキツネノマゴの花を見た。農家のお家の影が掛かる位置だった。その先はまたセイバンモロコシの続く道だった。
お店も自動販売機もない道だった。あらかじめ飲み物を調達しておくべきだった。ふらふらしてきた頃にようやく自動販売機があった。食堂だったようだが閉店してしばらく経つ感じだった。飲み物をありがたくいただいた。お店の入口の横にキンモクセイの木がいた。クモが巣を張っていた。木の葉に触れると、触れたところに私の汗が水滴になって付いた。
以前は畑だったのかもしれないいろいろな高い草が生えた土地の手前に人の後ろ姿が見えた。立ったままじっとしておられる。何をご覧になっているのだろうとこちらも少し立ち止まりかけたが、その立っておられる姿勢で私も気づいて、先へ歩くことにした。
この道を再び歩くことはないかもしれないと思いながら歩いた。いくらかの雲と、とんでもなく青い空。何かのつる植物が何か煙突のようなものを全面緑の柱に変えていた。農作物の無人販売スタンドが何も置かれず放置されていた。道向こうには小川が流れているようだった。この小径の景色がこの夏の思い出になる予感がした。
道の記
クサギのトンネルだった場所でもクサギの花が咲き始めた。しかし香りはわからなかった。通る人の香水のにおいのほうが強かった。
その先のクサギの花がたくさん咲いている場所では香りが立っていた。クサギとは言うが臭いというよりは香ばしい。でもそれは私がここを通り過ぎる人間だからだろう。近くに住む人や働く人はつらいかもしれない。そう思ってあたりを見回したが、クサギよりはるかに高い所にそびえ立つマンション群へは、香りはいつもいつも届かないだろうと思い直した。
空き地はヒロハホウキギクが高くなり始めた。アキノエノコログサも多い。このごろは草を見ると反射的に手を小さく振っている。その振っているところを向こうから歩いてきた人に見られた。見られたと言ってもすぐに視線を外されたようだった。すれちがうまでは私も手を振らないでいたが、すれちがった後には気がついたらもう手を振っていた。
イヌビワのいたお店の跡地は整地が始まっていた。重機がすみずみまで手を入れていた。
2019年8月14日
道の記
スーパーマーケットの跡地は更地になり、一部だけが駐車場として使われている。歩道際のあたりには、ヒロハホウキギクらしき草、アキノノゲシらしき草、アキノエノコログサ、オオアレチノギク、なにかのセンダン草など、高い草が立ち並んでいる。そこだけ広い空に、木星とアークトゥルスがそれぞれぽつんと輝いていた。他の星はわからなかった。
たしか古いお家だったと思うが、もう思い出せない。そのことに茫然としながら、重機が止まっているほぼ更地になった後の敷地の横を通った。歩道のクロガネモチが1本、膝丈ほどの高さで伐られていた。赤いテープが巻いてあった。そっと触れた。切断面が街灯に白く照らされて、年輪までわからなかった。
道の記
跡地の外周を巡る緑道の、まだ工事中だった箇所が開通していた。そこを歩くのは10年ぶりになる。気になっていたニッケイの木に近づく。見上げても緑の葉は見当たらない。樹皮が剥がれかけていた。それでも会えてうれしかった。でも、うれしいだけではまったくなかった。
ニッケイの木は多くの方々に人気だった。こどものころ根をかじっていたとか、根を掘り上げて売ってこづかいにしたとか、むかしの思い出をたくさんの方からうかがった。そのときの光景が目の奥に浮かんだ。どなたもしあわせそうにお話しになっていた。
ニッケイの木は暮れた空に枯れた葉をいくらか残しただけの小枝を広げていた。私は、樹皮の浮いた幹に触れて、おつかれさま、としか声を掛けてやれなかった。思いはそれだけしか言葉にできなかった。
2019年7月30日
道の記
クサギのトンネルだった場所に差し掛かる直前に、クサギの香りがした。もう夜だったので灯りを付けていたが、その灯りでクサギの花が歩道の路面脇に落ちているのが見えた。見上げると、高いコンクリート擁壁の上に、伐採を免れたクサギらしき木々が並んでいて、花を付けているのが暗がりの中ぼんやりと見えた。その視野の中で、空を明るい点光がかすめた。イリジウム人工衛星のようだった。
猫が有料駐車場のまんなかで向こうを向いてべたっとしていた。茶色の猫で、白色の灯りに照らされて、駐車場の黄色の線とほとんど区別がつかなかった。
ほかの場所ではオニタビラコを見かけたが、2つ信号のオニタビラコの場所ではオニタビラコは出ていないようだった。エノコログサが車のライトや街の灯りを受けていた。
道の記
ホリホックは花が終わっていた。ありがとう、と言いながら花を咲かせていた茎にさわった。そうしていたら、低い茎にひとつ花が咲いていた。電柱のアース線というのか、その陰になっていて気づくのが遅れた。花は陰に向かって咲いていた。
山はやっぱり呼んでいるようだった。あの懐かしく見える山はしかしまだ3回しか登ったことがないと、思い出を数えて思った。思い出はぜんぶこどものころの遠い思い出だったが、きょうもあのころの自分のような誰かがその山に登っているという気がした。
道の脇のカンナは咲いていた。もうこのお家はカンナを咲かせるつもりがないのかと心配していた。カンナの花を見られて、ここまで歩いた甲斐があったと感じた。
ときどき花畑になる田んぼは今年は田んぼになっている。その田んぼの手前の歩道脇に、低い丈のコスモスが2輪咲いていた。田んぼの稲はまだこれからだった。
道の記
旧国道沿いの大きなお店の駐車場の端で、女性の方が何か言っておられた。歩いているうちに、こどもさんが見えてきた。そのこどもさんに、ばったもおらんね、と話しかけておられる。アキノエノコログサらしき草が敷地の隅にちいさな野原を作っていた。
アキノエノコログサはその先で株立ちになってたくさんの穂を放射状に付けていた。このかたちのアキノノゲシはちょっとめずらしいな、と思っていたら、すぐとなりに、タチスズメノヒエがまるっきり同じ角度でたくさんの穂を放射状に広げていた。
山が見えるほうの大くすのきの林だった場所は構造物が大きくなった。歩道植え込みのくすのきはまた少し伸びてきた。敷地界にヨウシュヤマゴボウが生えていた。花を咲かせ始めたばかりのようだった。キカラスウリやセイバンモロコシもいた。わずかの隙間に草たちが茂みを作り始めていた。
その様子を見ながら先へ行こうとすると、隣の大きなお家があとかたもなくなっていた。高いコンクリート擁壁の上にいろいろな木々が植えてあって、下によく実が落ちていたのだった。しかし木々もまったくなくなってしまったように見えた。そして、落ちていたのも何の実だったかもう思い出せなかった。
2019年7月29日
2019年7月26日
道の記
以前マンションの植え込みにたくさんのすみれを見つけたその通りは、歩いていると道端のあちこちにすみれが出ていて、すみれ通りだったのだとだんだんわかってきた。きょうもすみれをたくさん見た。花は咲いていない。それからヨツバハコベも少し出ていた。
以前ポプラが並んでいた再整備公園の外れに残っているエノキとセンダンの小さな木の下で、芙蓉が花を咲かせていた。
疲れていたが、少し遠回りをして、マンション前の電柱のところを通った。あさがおがいるはずだった。以前あさがおを見た電柱のふもとには出ていなかった。そのすぐそばの、ガードレール支柱の脇から、つるが伸び出ていた。つるは短くて花はしぼんでいたが、元気そうだった。
小さな交差点の角に、手向け花を見つけたのは何年前だったか。名前がひらがなで書かれた小さな石と、小さな花瓶が置かれていて、そこに花があげてあった。通るたびに新しい花があげてあるのを見ていた。この1年ほど、花を見なくなった。何かの周年が過ぎたのだろう。きょうも花瓶は空いていた。交差点を渡ると、そこの電柱のふもとで、すみれが花を終えていた。
2019年7月25日
道の記
木造の昔ながらのお家が無くなって更地になっていた。駐車場になる様子。塀や垣根がなく、つわぶきが道の脇で咲いていたのだった。砂利が一面に敷かれた敷地の隅にいくらかの草が生き残っていた。
しばらくぶりに通った電柱ランタナはあれからまた伐られたのか、近づくまで何の緑も見えなかった。そばに来てみると、とても小さな葉が数枚出ていた。
電柱ねこじゃらしは絶えたままだった。その近くのマンションの表玄関の植え込みの陰に、ねこじゃらしがちらっと見えていた。
草が生えている街のほうがいい。そう思いながら歩道を歩いていると、すぐ先の駐車場の入口のブロック塀の脇から、ハゼランが花をそっと出していた。その入口に差し掛かって横を見ると、ハゼランが塀沿いに並んで細い花畑をつくっていた。
2019年7月22日
道の記
柿の木や唐実桜のいた線路脇は構造物と砂利とでほぼ占められていた。その脇にノゲシらしき葉がいくらか出ていた。
桜が撤去されて新しい木が植えられて5年。地面から、ひざの丈ほどの桜の芽がすっくと伸びていた。近くの桜の木の根から出てきたのだと思うが、一瞬、あのむかしの木のことを思った。
ヒメオドリコソウの場所に差し掛かったが、そこのヒメオドリコソウを今年見た記憶がない。今年はその時期にここを通らなかったのか、通ったときに忘れていたのか。もう生え残っている時期ではない。ヒメオドリコソウではなくエノコログサが明るく並んでいた。
かろうじて彩雲になった青白いさざなみの雲。その手前の、大きく伸び上がってかすかに橙に照らされている積乱雲。先へと続く道。梅雨も終わりそうだ。
2019年7月16日
道の記
作業着の方が自動販売機で飲み物を買っていた。このあたりで新築工事があったかなと思いながら道を行くと、駐車場になっている空き地の草が刈り倒されていた。駐車場の入口にひさかきだと思う小さな木がいて、きのう見たときはなぜか葉が無くなってしまっていて下のほうだけ新芽が出ていた。その木のところは何も刈られていなかった。駐車場の端でエノコログサが少しだけ残って、穂を掲げていた。
交差点のランタナも刈られていた。育てられているのではないようだ。でも新芽がたくさん出ていた。じき、茂り始めることだろう。
ここでかがみ込むと後ろに並ぶお家のどこかから見られているかもしれないと思いつつ、工場のフェンスの下のトウバナをかがんで見る。花穂がけっこう高い。このあたりのトウバナとしてはよく伸びている。見終えて立ち去るときには後ろのことはすっかり忘れていた。
2019年7月14日
道の記
柿の木や樫の木の切り株は元気に葉を茂らせていた。まわりの草がばっさり刈り取られたようだが、切り株そのものには手を出していないように見えた。柿の木は若い芽を付けていた。
足元にイヌビワの実がたくさん落ちていた。上は擁壁になっていて、その上にいろいろな木がこぢんまりと生えている。見上げたがそのときはイヌビワの木を見つけられなかった。帰りにふたたび見上げたら、すぐ上にやや大きめのイヌビワの木がいた。さっきいなかったはずはないので、私がやはり植物を見分けづらくなってきているのだろう。イヌビワは毅然とも平然とも言えそうな風情で樹冠を張り出していた。
2019年7月10日
2019年7月8日
2019年7月4日
2019年6月30日
道の記
目が疲れていたので、眼鏡を外して歩いた。足元の草は種類が見て取れるものもわからないものもある。でも、草のほうでは自分の「種類」をいちいち気にしていないにちがいなく、そうであれば私のほうでも過度に気遣う必要はないのだろう。
そう思いながら眼鏡無しで歩いていて、植木鉢のイヌビワが枯れていたお店の前を通りかかった。鉢がどうなっているか見たかったので眼鏡を掛けたが、鉢は無くなっていた。引き取られたのだろう。よく見るとそのお店の壁に、解体工事の告知札が掛けてあった。
まだ新しい道のまだ新しい街路樹に、細かな白い花がたくさん咲いていた。歩いていると雨のように花が落ちてきた。すでにたくさん降り積もっていた。工事中の道の対岸には、同じ種類のように見えるさらに新しい木々が植えられていた。
よく通る道のクロガネモチの街路樹が並んでいるなかに、空いている植え枡があった。土が掘り返されて均された後のように見えた。1本1本の木を見ていなかったのだと気づかされた。
以前手入れをしている人を見かけた歩道の植え込みのヤナギバルイラソウは、すでに花が咲き始めていたようだった。いまはしぼんでいるが、この雨が上がったら、花もまた開くことだろう。
2019年6月28日
2019年6月23日
道の記
小さな入口のお店の前の小さな植木鉢に以前からイヌビワが育っていた。たぶん、自然と生えてきたものをそのまま育てていたのではと思う。そのお店がしばらく前に閉店した。イヌビワの鉢はそのままになっていたが、先日その前を通ったとき、イヌビワが枯れていた。まだ生きているかもと思って水を遣りたかったが、自分のものでも公共のものでもなく、まだだれかの持ち物かもしれず、何もせずにその場を去った。きょう通ったら、枯れた枝が切られて無くなっていた。鉢に水を遣った跡があった。
そのすぐ近くの、道端から生え出ているイヌビワに、先日だれかが水を掛けた跡があったのだった。
同じ道のその先の、花壇の脇から出ているイヌビワは、伐られていた。そのイヌビワは過去に何度も伐られた。また伸び出てくることだろう。
道の記
大くすのきの林だった場所は、土がもとの丘の高さよりもさらに高く盛り上げられていた。その土の向こうに、木の太い根が宙へ向かって伸びているのが見えた。くすのきの切り株が横になっているのだろう。ショベルカーが作業を続けていた。くすのきの香りはわからなかった。
1本だけ出ていたひこばえが刈られた桜の切り株は、新しい葉を1か所からたくさん出していた。枝を高く伸ばすより横に広げる様子だった。
ポプラの木が並んでいた公園にひさしぶりに立ち寄った。再整備されて、以前の姿はトウカエデ1本だけがとどめている。ポプラがいたあたりでまわりを眺めた。おたふくがたくさん植えられている。ポプラの姿はまったくなかった。公園はこどもたちや家族連れの方々でにぎわっていた。ボールが飛んできたので、投げて渡した。
公園を出た所に以前から小さなエノキとセンダンがいる。彼らは元気でいる様子だった。挨拶をして立ち去った。
ビル街のただなかの小さな野草ガーデン。ホタルブクロの白い花が細々と咲いていた。きょうはこれ以上歩けなさそうだった。ホタルブクロのつぼみにそっと触って、街を離れた。
2019年6月17日
道の記
建物の基礎工事らしきものが進められていた大くすのきの林は、思いのほか大きな構造物が建てられつつあった。脇の歩道の植え込みは剪定されていた。先日見た、くすのきやえのきの幼木も切られていた。ひざ丈くらいになったえのきのそばに、同じ丈のマメグンバイナズナが寄り添っていた。
通りかかった公園に桜の木が並んでいた。1本、葉をつけていない木がいた。冬芽のまま止まっている。幹の表面に白い斑が出ていた。頭を下げて立ち去ろうとすると、幹の反対側のふもとから、たくさんのひこばえが伸びていた。私は元気だ、と、訴えかけてくるように感じた。
山は呼んでいるようだった。苦しかったらこちらへおいで、と、こちら側にいるすべてのいのちに優しく呼びかけているような気がした。登ろうとすれば険しいはずなのに、そこで生きていけるのもすべてのいのちがそうではないはずなのに、そう聞こえたのはどうしてだったろう。
2019年6月10日
道の記
オオキンケイギクのような草が交差点の隅に1株出ていたのを知っていたが、たしか昨年に無くなった。抜かれたのではないかと思う。思い出してそちらの道を行ってみた。オオキンケイギクは出ていず、その位置にコメツブツメクサが小さく陣取って花を咲かせていた。
***
春の小径を通った。ホトケノザなどが出ていた場所は苗代になっていた。水が少し入れられ、まだ細かな稲が密にかたまって立っていた。トキワハゼの花が水に浸かっているのが見えた。
その少し先では、梅の木がたくさんの実を落としていた。通り過ぎたときに、梅のあまい香りがさっとした。
この小径を知ってまだ1年にならない。いまの季節のこの小径の姿を知って、またすこし、この小径に近しくなれた気がする。
2019年6月9日
道の記
宅地になるほうの大くすのきの林だった場所は工事が進められていた。きょうは道の対岸のほうを歩いた。対岸には濃い緑が残り、足元にはキカラスウリらしき花が咲いていた。以前はひとつにつながっていた林なのだろう。しかし向こう側にいたボタンクサギはこちらでは見つけられなかった。
事業所の前の植え込みの淵に、まだだいぶ小さな猫のこどもがいた。こちらをおびえて見ている。寄って見ることはせず、そのまま歩いた。頭だけを動かして私のほうをさいごまで見やっていた。道の行く手にはいつものホリホックが静かな花を咲かせていた。
夕日を真っ向から受けている山並みを背に、反対方向の山並みを見ながら帰り道を歩く。飛行機雲が何本も流れて、いくつかはもうただの雲になっていた。ヒメジョオンや、たぶんヒメムカシヨモギだと思う草や、ヘラオオバコの大きな株が、歩道の脇にめいめい暮らしていた。
疲れてこの景色のなかに座りたいと思い、疲れたけれどこの景色をどこまでも歩きたいと思った。山も空も遠いままここにあった。
2019年6月8日
道の記
高速道路下の歩道から緑地帯を抜けるけもの道ができていて、その脇に椿などの木々が茂った小さな一角があったのだが、先頃通ったときにそこが切り開かれて防水シートのようなものが敷かれていた。きょう、歩道を逸れてそのけもの道を通ってみた。ネズミムギやチガヤやヘラオオバコが両側に茂っている。防水シートの隙間からもいろいろな草が葉をのぞかせている。しかし木の芽はわからなかった。けもの道は鉄工所の前に出た。
かかちぃ、かかちぃ、と鳴き声が聞こえる水際の鳥を声だけで知っていたが、葦のような高い草が茂る一帯の1本の草の茎の頂に、鳥が1羽留まってそのように鳴いていた。遠目ではすずめに似ていて、頭から背がまだらの茶色、腹が白に見える。初めて声の主を見た気がする。きょうの運はこれで使い果たした気がした。
2019年6月7日
道の記
戸建て住宅地の脇に原生林のような林が広がっていた。公園だと地図には書いてあるが、どこかから入れるようには思えなかった。しばらく歩いて、小さな入口があった。山道だった。展望台への道があったので寄ってみた。木製のアスレチックのような展望台だった。下から犬の散歩の方が上がってこられて、犬が率先して展望台へと向かっていった。
少し遠回りをしたら、思いのほか道が長く、しだいに歩けなくなった。電車で帰ることにした。高架駅の下の崖の下を歩いているときに、横から何かの草がたくさん伸び出ていたのを覚えているが、何の草だったか思い出せない。それだけ疲れていたのだろう。
2019年6月6日
2019年6月3日
道の記
大くすのきの林だった場所は、重機でさかんに丘が切り崩されていた。大くすのきの切り株は見えなくなっていた。ただ、くすのきの香りだけがしていた。
ふと足元を見たら、排水溝の網からくすのきの幼木が葉を出していた。若葉を広げつつあった。大くすのきの林のどれかのくすのきの、こどもにちがいないと直観した。そっと手を触れた。
***
もう1か所の大くすのきの林は、宅地の基礎を造っていた。敷地の中のほうはもう緑色はなく、敷地の端にいたボタンクサギなどの植物も見当たらなかった。しかし歩道の植え込みに、くすのきや、えのきの幼木が育っていた。かれらも、林の木々のこどもにちがいなかった。
すべてを見てきたはずの山々が、遠く、ただただ青かった。
2019年6月1日
道の記
この前に立ち寄ったとき下校中のこどもさんから警戒のまなざしで見られた公園は、時間が早いためか人は誰もいなかった。ひと休みした。鳩たちが休んでいた。餌をねだることもねだられることもなく、めいめいゆっくりした。
お店の小さな植え込みのクスノキは、切られた後なかなか動きがない。少しひさしぶりにその道を通ったのだが、芽は出ていなかった。
自動販売機裏側の柿の木は元気にしているようだ。つややかに葉を茂らせていた。
ここで休もうと思っていた路地の途中の小さな公園は、こどもさんとお母さんでいっぱいになっていた。紫陽花が美しく咲いていた。通り過ぎることにした。
道に大きく迫り出した木々があるお家の、その木陰を通ると一瞬涼しかった。ああ涼しい、と思わず声が出た。横を向くと木の下でお家の方が何か木の手入れのようなことをしておられた。
大通りでテレビ局の方にインタビューを申し込まれたが、そのテーマでいま思いつくことがなかった。残念そうにしていらっしゃったが別れた。まだ日は高かった。その先の道もおたがいに長そうだった。
2019年5月31日
道の記
いま横を追い抜いていったこどもさんが、角を曲がったらはるか彼方に見えた。もし追いつこうと思って走ったとしても、もう追いつかない。その彼方までのあいだの舗道の上に、何本ものケヤキの影が斜めに差していた。
水路が埋められてしまったのだと、その場所に差し掛かって思い出した。舗装を免れたマンテマは花を終えていた。ヒメジョオンがたくさん花をつけていた。しゃがんでヒメジョオンの花を見ているあいだに横を通り過ぎていった人が、立ち上がったときにははるか彼方にいた。
桜の切り株の場所は草刈りが入った様子だった。切り株が1本伸ばしていた小枝が切られて地面に横になっていた。その小枝が出ていた切り株の脇のところに、葉が1枚、切られずに残っていた。
ここからまた、始めるだろう。
道の記
昨日歩いた道をまた歩く。交差点の向こうの角にカラムシなどの草が茂っていて、そちらへ渡ろうかと思ったが、信号が点いているほうを渡った。正面ではコンクリート擁壁の高い位置から、イヌビワの幼木が待っていたかのように迫り出していた。
この方向へ行くと近道ではないかと、小さな路地に入った。どこへ出るか出ないか歩いてみないとわからない。道はくねってさらに狭くなった。古い煉瓦塀のあいだを歩いていくと、中庭のありそうな大きなお宅の門構えがあり、その脇にナデシコの仲間の花がずらりと並んでいた。道はほどなく知っている場所へ出そうだった。
だいぶ前に訪ねた、小さな川のほとりに立ち寄った。そこは大きなセンダンの木がいたのだが、川岸を歩道にする工事で伐採されたのだった。前に訪ねたときにその向かいのお店に寄って、センダンの話を伺った。お店には在りし日のセンダンの姿が飾られていた。そのお店は閉じられているようだった。川岸の歩道の柵に、センダンの写真札が前の時と変わらず掛けてあった。
2019年5月29日
道の記
大くすのき林だった場所の大くすのきの切り株は、動かされたのか丘の形状が変えられたのか、丘の向こう側の脇に移動していた。丘の上は重機が陣取っていた。
切り株は遠目では乾いているようにも見えたが、小さなひこばえを従えていた。もう大くすのきはそびえ立ってはいなかった。ただ、ひこばえは空を目指していた。
伐採木置き場のいちょうの切り株は、この前のときよりさらにたくさんのひこばえを出していた。ひこばえは林とか森というより、密林のようだった。切り株は傾いたまま置かれているが、ひこばえはここでも、空を目指してまっすぐだった。
幹を伐られた柿の木も、つややかな若葉をたくさん茂らせていた。隣の樫の木の切り株も、ヤブガラシに囲まれながら、色の薄い若葉を広げていた。
2019年5月28日
道の記
光化学オキシダント注意報が発令されている中での外出。空がぜんたい薄白く照っていた。遠くの山が見えているからだいじょうぶ、と自分に言い聞かせて歩いた。歩いているうち、だんだんと空の青が戻ってきた。橋の上は風が流れていた。川をのぞき込みながら歩く人とすれ違った。
高速道路のガード下の植え込みにはどうも何も植えられていないようで、かわりにチガヤがたくさん穂を立てていた。あるところからチガヤの穂がさらに増えて、一面チガヤの穂の白になっていた。私の頭の中もチガヤの穂の姿でいっぱいになりかけていたところ、アレチハナガサが1株、大きく育って紫の花の穂を掲げていた。
2019年5月24日
2019年5月17日
道の記
アキノノゲシなどの草が生えていた空き地にマンションのショールームが造られていたが、そのショールームがなくなっていた。空き地は一部の舗装を除いて更地になっていた。敷地のまわりにコマツヨイグサなどの草が小さく生えていたが、アキノノゲシは出ていないようだった。
幹を半分伐られた公園のヒマラヤスギは、樹冠が茂っていた。ちょっと見たところではそういう木だと見えるようになった。たくさんのこどもたちが遊んでいた。公園の端でおとなの方がひとり、鳩と話しておられた。
クサギが伐られたクサギのトンネルは、クサギが復活しつつあった。伐られたところから枝を数十センチ程度伸ばして葉を付けていた。トンネルにはまだまだならなさそうだ。トンネルだった一帯の端で、同じく枝を数十センチ伸ばした種類のよくわからない木が、小さな白い花を咲かせていた。
2019年5月11日
道の記
施設の休憩所から外の公園を見ていたら、小さなこどもさんが虫取り網を振り回していた。網の柄で道の隅にたまっている落ち葉をかなり荒っぽくかき回していた。もうすぐ帰りにそこを通るけれど、何か声を掛けるか迷った。帰りにもこどもさんがいた。そのまま行こうとしたら、こどもさんのほうから「こんにちは」と声を掛けてきた。優しい声だった。「おかあさんそこにおる…」と階段を上がっていった。そちらが夕日のほうだった。
大くすのきの林だった場所は、大くすのきの切り株がほぼ掘り上げられたようで斜めに傾いていた。脇にひこばえを従えたままだった。丘の脇の芽を出していない切り株は、傷をたくさん負っていた。この前通ったときに放置してあった抜かれた切り株は、驚くほどたくさんの葉を茂らせていた。丘はだいぶ削られた。この先さらに削られるのだろう。
道を渡って大くすのきの林の場所を見た。夕日が、削られた丘の向こうに沈むところだった。風向きは横からだったが、道のこちら側までくすのきの香りがしていた。空は淡く明るかった。くすのきの切り株たちは私には、なおいっそうしっかりと、空にそびえ立っているように見えた。
2019年5月6日
道の記
たまには、脇目も振らずに歩くというのもいいかもしれない。と思いながら早足で歩いていたら、横からヤブガラシの蔓が目の前に思いっきり伸び出ていた。
何年ぶりかに歩いた道は、思っていたのと違う所へ出た。よく歩いた町の隣町だがこのあたりまではあまり来なかった。スーパーマーケットの横のはじめて通る小道を抜けて、知っている通りに出た。途中、ネズミムギのように見える草が遠目に日に輝いていた。
残された桜の木はすっかり緑になっていた。敷地を歩行器で周回なさっている方がおられた。うつむいて黙々と歩いておられる。話し掛けづらかったのでそのままあおあおとした桜を仰いでいると、桜の研究をしてるんですか、と話し掛けられた。少しお話しした。歩けなかったけれどここに来ると歩ける、緑はいいですよ、とおっしゃっていた。日暮れまでもう少し時間があった。その方はまた歩き始められた。桜も一身に初夏の光を浴びていた。
道の記
春の小径は草が刈られていた。次の春が来る前にきっと別の季節が来るのだろう。
こんなにまっすぐ続く道をひさしぶりに見た。あの果てまでこの暑さの中、歩けるのだろうか、とにかく一歩一歩だ、と思って歩いて、15分で果てにたどり着いた。麦の穂がさらさら音をたてて揺れていた。
この小径を歩くのもたぶん10年ぶりだ、と思いながら、むかしながらの家々に囲まれた小径を歩く。途中、イチイガシの大木がいる。よく茂っていて元気そうだった。この道を歩かなかったこの10年のことを思った。
絵を見た帰り、川土手を歩いた。広々と景色が広がる。向こうの山のふもとまで歩く。風がだいぶ涼しくなっていた。風に吹かれて、むかしこんなふうに見晴らしのよい丘を風に吹かれながら通ったのを思い出した。河川敷でこどもたちが遊び、おとなたちが走っていた。山と空はさっき見た絵に似て淡い色あいになっていた。
2019年5月5日
2019年5月4日
道の記
公園のカンサイタンポポの土手にロープが張られて立ち入れなくなって何年目かになる。ロープの向こうの下り斜面ではハルジオンやシロツメクサやいろいろな草が茂っていた。そのあいまあいまでカンサイタンポポが咲いていた。以前は斜面やその下でこどもたちが遊び回っていた。ロープを小さなこどもさんがくぐって、ロープをつかみながらお母さんに何か言っていた。お母さんが、そこに入っちゃだめでしょ、とこどもさんを叱った。草たちの景色がにぎやかだった。
ケヤキの道路は拡幅工事が進んでいた。ケヤキの切り株も、造り付けの花壇も、すでに撤去されて地面が出ていた。花壇のあった場所で、植えられていた何かの植物らしきちぎれ根が地表に顔を出していた。私を呼び止めたケヤキの場所にもちぎれ根が見えていた。いまもそこに、あのときの木の魂が居るようだった。こちらへ歩いて来る人もいたが、その場所に頭を下げて立ち去った。
2019年5月3日
道の記
ビルの谷間のヨウシュヤマゴボウが枯れたまま残っているのだが、その前を通ったら、その枯れているヨウシュヤマゴボウを一眼レフで撮っている人がいた。ああこの人もここを見つけたのか、と思った。その人がカメラを向けている先を見ると、枯れて傾げているたくさんの茎の向こう側で、新しいヨウシュヤマゴボウの茎が高く伸びていた。
ご両親とこどもさんが歩道の車道際で後ろのほうを見ている。なんだろう、何か来るのだろうか、と思った。祭りの花自動車が後ろのほうからゆっくりやってきた。その道の先でも何人ものこどもさんが花自動車を待っていた。私と変わらない年代の男性の人たちも、ところどころで車道際に立っていた。
学校の煉瓦塀が付け替えられていた。塀は低くなり、塀の向こう側の植栽も替えられていた。ここにはこの付近では見かけないウマノスズクサがいて、そろそろ伸び始める時季だが、その位置でも土が入れ替えられ、新しい木が植えられていた。休日の夕刻の学校から、生徒さんたちが出てきてにぎやかに帰って行った。
2019年4月30日
道の記
以前ここで音楽祭が開かれたのがこの時期だった。そのときに会場そばでヒトツバタゴの花が咲いていた。思い出して、道を外れて立ち寄った。ヒトツバタゴはまっしろに咲いていた。寄贈なさった方のお名前が札にあった。その札に平成4年とあった。ヒトツバタゴの幹には忍草が着生していた。植えられたそのときからここまで過ごしてきた証しのようだった。札とヒトツバタゴに頭を下げて立ち去った。
春の小径はシロツメクサが咲いていた。ところどころ、ムラサキカタバミのように見える花が、雨に濡れて花を閉じていた。道の向かい側は麦畑で、穂があおく実りつつあった。ノビルがかたまって白い頭を高く伸ばしていた。浅い春はすでに眠りについたようだった。
道の記
以前陥没した道路はすでに復旧してしばらく経つ。ひさしぶりに通ったが、車もふつうに通り、歩道はたくさんの人が歩いていた。一部の植え込みが陥没に伴って無くなった。残っている植え込みの横を歩き過ぎていく。いろいろな草がいる。セイタカアワダチソウやアレチノギク、ハハコグサも生えている。一輪だけぽつんと、シャガが咲いていた。
建て替えられるビルの正面にいたクロガネモチの木が、無くされていた。一帯は安全棒で囲われていて、地下街入口を造ると書いてあった。ここには以前は靴を磨く方がおられた。犬もいた。でもだいぶ前にお見かけしなくなった。ならされた地面に何かコンクリートのようなものが敷かれ、その上に重機が置かれたままになっていた。重機の横に大きな袋が3つほど置いてあったが、何が入っているのかは見えなかった。
2019年4月29日
道の記
大くすのきの林だった場所は重機が作業をしていた。祭壇か祭司のように空にそびえている丘の上の大くすのきの切り株の脇に、芽が出ているのが見えた。作業はその切り株のふもとの土を掘削搬出している様子だった。大きな根株が斜めに置かれていた。振り返って大くすのきの切り株を見た。その上の空がとても青かった。
数年ぶりに歩く道では工場近くの道端の小さな空地のくすのきが伐られていた。けっこう大きな木だった。この地域のシンボルだと思っていた。切り株が残っていた。伐られたのはだいぶ前のようで断面はもう色がくすんでいたが、この切り株も小さく芽を出していた。まだ葉の形をしていない、ういういしい芽だった。
2019年4月24日
道の記
街路樹のモミジバフウがヒトツバタゴに植え替えられた道路では、そのヒトツバタゴが咲いていた。細長い花弁を捻ったようなつぼみがたくさん出来ていた。低い木になったので日陰は少なくなった。1本のヒトツバタゴの陰にぴったりとおさまって携帯電話を操作している人がいた。
残された桜の木には花がいくらか残っていた。近くの宗教施設に来られた方々が花の下でひと休みなさっていた。赤ちゃんを抱いたお父さんが敷地の隅で長く赤ちゃんをあやしていた。
閉鎖されたキャンパスの桜は伐られ始めていた。すでに姿が見えない木もあった。まだ工事が手つかずの、長く放置された風情の場所で、遅咲きの桜がいまこのときを咲いていた。
2019年4月21日
道の記
2つ信号のところでは今年もオニタビラコが咲いていた。寄って見ると、上部が切られた茎がいくつかあった。オニタビラコの花を摘んでいくというのはめずらしいことだと思った。切られた茎を囲むように、たくさんの花を咲かせていた。
ぽつんとヒメオドリコソウが固まって出てくる場所では、ヒメオドリコソウが今年も咲いていた。こどもたちが走り回って遊んでいるその隅のほうで、少し色褪せながら花を咲かせていた。どこからどう来たのかわからないけれど、これからもここで肩を寄せあいながら世代を継いで暮らしていくことだろう。
枯れたと思っていた坂の下のシロバナタンポポが生きていた。いやひょっとしたら代が変わったのかもしれない。閉じている花にそっと触れた。次の花の用意もあった。次の花が咲いている小さな景色をちらっと想った。
2019年4月20日
道の記
山はまだ景色のところどころで山桜が咲いていた。ダム湖の中の山桜も、この景色の中のどこかにこどもを残しているだろう。そう思いながら、ダムへ続く道を登った。
桜は完全に水没したわけではなく、これまでに最も水位が上がった時点でも梢のところが水面上に残っていた。その後水位が下げられ、この日は樹冠の全体が水面の上に出ていた。双眼鏡で見たけれど花や葉は見当たらなかった。
小学校の校庭の桜は沈んで2度目の春になる。水面は静かだった。近くにいろいろな観光施設ができて、車の通りはやや多くなったようだが、橋から見下ろす水面は静かだった。
移設された杉は、枯れ枝を落とされていたほかは元気なようだった。休憩らしく、大きな車がふもとにずっと停まっていた。
杉の横の崖では山桜が散り始めていた。崖沿いの道に上がり、桜の木の近くに来ると、香りがただよった。この山里は古い時代の書物にも記された山桜の里だった。里は無くなった。山桜はこれから何を伝えていくだろう。
(4月13日)
2019年4月16日
2019年4月8日
道の記
たんぽぽのロゼットの写真を撮り忘れたと気づいて、さっきまでいた小公園に戻った。ブランコに若いお母さんと小さなこどもさんが掛けていた。私が地面にうずくまってたんぽぽの写真を撮っていると、お母さんとこどもさんは帰り始めた。お母さんと目が合って会釈をしたけれども即座に目を離された。こどもさんは私を少しのあいだ見ていた。
桜の花びらが風に吹かれて、私を追い抜いていく。車も追い抜いていった。駆けていく花びらを踏まないように歩いたが、1枚を踏んでしまった。その1枚と並んで駆けていたもう1枚の花びらが、さっと飛んでいって道の外れに降りた。
イヌノフグリはやはり桜の花びらに埋もれていて見つけられなかった。そういえばこの前は花びらに埋もれていて乾燥を免れていたのだったと思い出し、花びらを掘り返すのをやめた。今季はもうこの道は通らないと思う。元気で、と心で声を掛けて、先へ歩いた。
山は霞んでほの青かった。ほぼ、空の色だった。何かむしょうに懐かしい気持ちになったが、何が懐かしいのか思い出せなかった。
2019年4月7日
2019年4月6日
道の記
交差点のホリホックが新しい葉を用意していた。たんぽぽが先に花を咲かせていた。
この道はしばらく通らないだろうと思いながら歩いているといろいろなものがいとおしく思えた。
もう長く開かないお店の前。以前はオニタビラコがいたのだが、プランターごといなくなってしまった。わずかな隙間からノゲシが咲いていた。
畑は一面、キツネノボタンの仲間だと思う黄色の花がぴかぴかしていた。自転車に乗った若い人が、狭い歩道をゆっくりと、ふらつきながら通って行った。
山際のバス停はポケットパークになっていて、通るといつも何かの花が咲いている。きょうはどなたかが枯れた草を抜いておられた。目が合うと、にこっとなさった。こんにちは、と挨拶を交わした。桜の次に木蓮が咲き始めていた。
春の小径は深まる夜に眠っているようだった。寒かったあいだ、春をくれてありがとう。
道の記
建て替えのためまもなく閉館になるビルの前で、コブシの木が緑になっていた。
公園緑地の工事が始まっていた。木が少なくなってしまった。緑地の端の草や低木が茂っていた場所に工事の人たちが入っていて、土を掘り返していた。
区画整理後に残された桜は今年も咲き始めていた。地域の方が敷地内の草を手で刈っていた。私が通い詰めていた頃から10数年経った。私もその方に覚えがなかったし、その方から声を掛けられることもなかった。桜はもっとむかしのことを知っているはずだが、何も言わずに明日の花を準備していた。
閉鎖されたキャンパスでは建物の取り壊し作業が続いているようだった。遠目に見える構内の桜はみごとに咲いていた。
2019年4月3日
2019年3月28日
2019年3月26日
道の記
閉店する前には入口にヒメクグが大きく育っていた飲食店。もう何の建物だったか見てもわからなくなっていた。入口には丈の大きな草はいず、オニタビラコらしきロゼットが低く生えていた。駐車場のまわりの木々は伐られていた。伐りくずが残っていた。
池の向こうには何かの種類の桜らしき花が咲いていた。こどもたちが遊んでまわり、おとなたちがベンチで休んでいた。池の向こう側から窓ガラスの中のこちらが見えるかわからないが、おとなの御一人がこちらのほうを見つめていた。
大水のあと荒れていた河川敷の児童遊園は、きれいになって再開していた。ここでもこどもたちが楽しく遊んで回っていた。私がたびたび腰を下ろしていたベンチは壊れたままで、そのそばのけやきの木は伐られて切り株になっていた。いろいろな草に囲まれていた。このこどもたちの景色を見てきた木がいなくなって、この景色が戻ってきた。景色は明るかった。
2019年3月22日
道の記
アレチノギクが毎年出ていた道の脇のすぐとなりが駐車場だったのだが、そこに何か建つ様子だった。道も舗装し直されていて、アレチノギクが出てきそうな隙間はなくなっていた。敷地の隅でキュウリグサが1株、花を付けていた。
人が造ったものがすべて解体された跡地の隅に立っている草を歩道からしゃがんで見ていて、角を曲がってこられた方から、暑いですねと声を掛けられた。暑いですねとお返事した。おっしゃりたかった意味はきっと別だったのだろうけれど、どちらのほうだったかはもうわからない。
ひさしぶりに立ち寄った公園では陽光桜が咲いていた。元気をなくしていた枝垂桜は、花芽はなさそうだったが葉の芽が動き始めていた。そのそばで、おかあさんが草を摘むこどもさんを見守っていた。
交差点のコブシは花をそろそろ終えそうだった。街の人の様子はようやく春らしくなってきた感じで、コブシはその少し先を生きているようだった。
2019年3月21日
2019年3月16日
2019年3月6日
2019年2月28日
2019年2月25日
2019年2月23日
2019年2月17日
道の記
セイヨウタンポポの電柱が撤去されてその跡が舗装され、その舗装の隙間でそこに以前から生えていたスズメノカタビラが穂をつけていたが、そのスズメノカタビラがいなくなった。抜かれたのか、さらに舗装されて隙間が埋められたのか。その脇の側溝蓋の隙間でスズメノカタビラが小さく葉を広げていた。
クサギのトンネルだった場所では、冬のあいだ咲いていたツワブキがすっかり花を終えていた。斜面からはツワブキの葉のほか、タネツケバナやハコベの葉が伸び出てきた。タネツケバナはそこかしこで小さな丈のまま、花を付けていた。
草の世話をしている場所で、やってきたこどもさんたちにいろいろ草を教えていたら、1人のこどもさんがあっというまにオランダミミナグサの葉を見つけられるようになった。手を引かれて広場の木のところへ連れて行かれた。この木はモチノキ、と伝えた。こどもさんが餅の話をし始めた。
梅の花の向こうに上弦を過ぎた月。風は冬の風だった。
2019年2月13日
道の記
桜の向かいのお家は空き地になっていた。工事予定の告知が立てられていた。敷地の奥には草が見えたが、路地を入っていくのは控えた。お話をさせていただいていた方を思い起こしながら、空き地に頭を下げた。
***
構内の建物が少なくなっていた。木々が伐採されて切り株が残っていた。
むかし自分たちがいろいろな行事で動き回っていたその傍らに蔦が生えていた。そこへ回り込んでみた。蔦は変わらず植え込みを埋めていた。その植え込みの木はいま見たらクスノキだった。幹は蔦の葉に覆われていた。
建物の裏側では、サザンカが咲いていた。その隣はフェンスで、いまここを通る人がどのくらいいるのかわからない雰囲気だった。それでも工事関係者の方々の何人かはこの花を目に留めておられるだろう。
私が生きているか、木々草々が生きているか。どちらも生きてさえいればいつかまた会える日があるだろう。
2019年2月5日
道の記
15年前にその土地を訪ねたときにたまたま見かけた大きな木を、その土地をあらためて訪ねる機会にできればまた訪ねたいと思っていた。時間を作って行くことにした。坂を下ったところにその木が見えるはずだが見えなかった。あたりを歩いて回ったが見つけられず、その木がいたはずの道を歩いていると、千年銀杏の碑と、大きな切り株があった。切り株は朽ちて白くなっていた。ひこばえが出た跡があった。まわりをナズナやホトケノザやキュウリグサなどの花が囲んでいた。
当時、こんなところにすみれが生えているのか、どこから種子が来たのだろう、と思っていた場所も訪ねてみた。すみれが咲いていた。15年のあいだに代替わりしたのだろうけれど、ずっとそこに生きていたようでもあった。そっと触れて立ち去った。空が青かった。
このあたりの小道に緑が豊かだった記憶があったが、その道へ入っていく入口がわからなかった。しばらく歩いていると、古いお家のトタンの壁が見えた。直観的にここだと思って入っていくと、あのときに見た辻に出た。少し放置加減なお家の緑が小道をなつかしく彩っていた。
その先には大きなサボテンがいた。駐車場の守護をしているようだった。横でサボテンより少し高く育った木が赤い実をたくさんつけていた。
むかし、ここで人を待ったことがあった。木々に囲まれていた記憶があったのだが、囲まれているというわけではなく、正面に大きな木々がいるのだった。その木の向こうの芝生の広場から、オカリナの音が聞こえてきた。吹いておられる曲は緑が豊かに出てくるアニメーションの主題歌だった。むかしのことがどうこうでなく、このごろがどうこうでもなく、いまのしあわせをだいじにしたらいい、と自分に思った。
2019年1月31日
道の記
この前その道を通ったときに、駐車場の奥の柿の木がなくなっているらしきことに気付いた。似たような駐車場が多い一帯なので私が駐車場を間違えているのかもしれないと思い、今回気をつけながらその道を通った。やはり柿の木はなくなっていた。切り株が残っているかどうかは車が手前に停まっていたためわからなかった。
昨年収穫されなかったいろいろな作物がそのまま残っている畑で、いま育てられているのはキャベツのようだった。ホトケノザが見た目キャベツと同じくらいの面積を占めてたくさん咲いていた。
また別の畑では、キツネノボタンの仲間に見える黄色の花が光っていた。やはり畑は春が早い。畑の端にはなぜかオーブントースターが放置してあり、そのまわりをオオキバナカタバミの花が明るく取り囲んでいた。
2019年1月27日
2019年1月15日
道の記
草を見ながら歩道を歩いていて、ナズナのように見える枯れた草を見つけた。しゃがんで見てみるが、ナズナではない。なんだろうと考えながら見ていて、オッタチカタバミだと気が付いた。葉が茎の上のほうに寄っているので、ナズナが実をつけて枯れた跡のように見えたのだ。あまり人通りが多くない歩道の端で、生きた証を掲げるように立っていた。
以前は何か植えられていたのかもしれない植え込みにスミレの葉がびっしりと生えていた。壮観だった。その中にぽつんと、ナズナが花を咲かせていた。ホトケノザもところどころに混じっていた。
大きなクスノキだった。全体をカメラに収めるのは難しい。少し離れて、まず梢のほうだけを写した。私の真後ろに停めてあった自転車が心配になったのか、神社の境内で遊んでいたこどもさんが自転車に駆け寄ってきた。
2019年1月14日
道の記
歩道の車止めのところでアレチハナガサが咲いていた。アキノエノコログサらしき草が、穂をこれから伸ばそうとしていた。その少し先ではヒメジョオンが咲いていた。春でも夏でも秋でもあるようだった。しかしほんとうはいまの季節を耐えて暮らしているのだろう。
宅地開発の大クスノキの林は完全に造成されて、建物が建つ前で工事が止まっている状態だった。クスノキを思わせる何物もなかった。道の際に何か輪生している葉があった。この葉がきっとこのあと、何かを伝えてくれると思った。
道に面しているお家の梅の木が伐られていた。庭木をすべて伐った様子だった。駐車スペースに蝋梅の幹や枝が、花を咲かせたまま横たわっていた。
鶏頭の花はしおれていた。風に、きっと音叉の棒が揺れるのはこんなふうにだという感じで、はじかれるように小さく揺れていた。
田んぼのコスモスが一輪だけ咲いていた。というより、花を残して枯れているようだった。田んぼには小さく穂を実らせた刈り跡の稲の株が白く並んでいた。
遠くの山を見ていると祖父を思う。山を教えてくれたのは祖父だった。何も変わらずに暮れ色をしている山並みを見ていて、山に行かないと、と思った。でもその前に、この果てなく変えられてゆく道を行かなければいけない。
2019年1月8日
道の記
むかし一度通ったことがある小山の山裾の道。そのときはシロバナタンポポが咲いていた。きょうはシロバナタンポポは見つけることができなかった。スイバやアザミのように見えるロゼットが広がり、ホトケノザが明るく咲いていた。
思い出のある遠い山並み、高架線路がなければ水平線が見えていただろう遠くまで広がる畑の平野。川には荻がたくさんの穂を立てたまま。秋を超えた何か知らない季節のようだった。
道の脇下の畑の端に、今年はじめて見る菜の花を見つけた。何か間違えたみたいに花がうなだれていた。大きなキャベツが葉を広げに広げていた。
むかしここから川が氾濫したと聞いた堤防の上を行く。何にも使われていない様子の土地のただなか。他に誰も見えない。セイタカアワダチソウと荻の穂が一面を覆って夕日に照っていた。堤防の道が大きく曲がってくるその向こうから犬の散歩の方々がやってきて、私が見えたとおぼしきあたりでなぜか引き返していった。