道ゆく先々での、木々草々花々などさまざまの出会いとその後を、一筆箋に綴るつもりで。
From the Wayside: about my acquaintances of trees, flowers, weeds and others (written in Japanese)
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※ 現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)
2020年3月8日
道の記
行く手に菜の花がいっぱい咲いている花壇が見える。その手前で、ノボロギクがやや傾きながら花を咲かせていた。
その少し先では、街路樹の下で、何本ものノボロギクが、だいたい同じ方向に傾げながら花を咲かせていた。
ヒメウズが、ここではいっぱい出ていた。ここも道端だけれど、ここのヒメウズはきっと無くならずに生き継いでいけるだろう。花が1つだけ咲いていた。
美容室だったか、その跡地が更地になっていたのだが、今度は深く掘り返されていた。その敷地内には緑は見えなかった。1枚、街路樹のクロガネモチのものらしき落ち葉が、隅に落ちていた。
小さな石橋のたもとにふと目が行った。スゲの仲間のような葉が出ていた。ここも人が多くて立ち止まれない。次にここを通るときに思い出すかどうかわからないけれど、このことを書いておこうと思った。
道の記
スーパーマーケット跡地の空き地はセイタカハハコグサらしき草が増えてきた。ノボロギク、それからたぶんイヌコハコベだと思う草も茂ってきた。ヒロハホウキギクはだいぶ綿毛が多くなったが、花も少し咲いている。そして枯れたと思っていた株も、低い位置で花を咲かせていた。アキノノゲシはつぼみが残っていたはずが綿毛になっていた。やはり低い位置で、つぼみが閉じたまま、中からはみ出ている花弁がしおれていた※。このまま綿毛になることがあるのかわからないが、つぼみも茎もつややかにしていた。
※ この状態は下部がふくれた花瓶のようなかたちをしているが、調べたところ、つぼみではなく花が咲いた後の状態(総苞が閉じている)らしい。これまでつぼみとこの状態を区別していたか自信がなくなった。過去の投稿でアキノノゲシの「つぼみ」と書いていたもののうちどのくらいかは、この花後のかたちだったように思う。わかる範囲で過去投稿に補注をつけることにする。
道の記
さっきカモジグサの穂を見かけたけれど今度はイヌムギの穂。寄って確かめた。後ろの、小さな自転車にまたがって止まっているこどもさんから見られている感じがした。
小さなエノキの切り株にいつもと違う様子が見えたので、立ち止まってしゃがんで見た。薬の注入穴に苔が生えてきたのか、緑色になっていた。切り株の脇にきのこが出ていた。その反対側の脇でフラサバソウが芽生えていた。
ロウバイの花が残っていた。花に自分の鼻を寄せて香りを嗅いだ。今季ロウバイの香りを嗅ぐのはこれが最後になるかもしれない。はっきりした香りだった。ロウバイの花は強い逆光に透き通っていた。春だと思った。
道の記
ああ、ここにはナズナがいたのか、と思った。市街地の大通りの道沿い。歩道が狭く人が多くて立ち止まれない。一目見て過ぎ去った。
この道はふだんは信号で止められたらそのときに対岸に渡ることにしているが、対岸の2つ信号のオニタビラコの様子を見ようと思って横の信号を待った。しかし対岸に渡らないでそのまま歩いたら歩いたで、見えるものがあるかもしれない。思い直して信号を渡らずに先へ歩いた。街路樹の根元の低いところで、あざやかな紫の花が咲いていた。ハナダイコンだった。
2つ信号のオニタビラコもやはり見たくて、けっきょくもとの信号に戻った。戻る途中、ナガミヒナゲシのロゼットや、ツメクサの葉を見た。2つ信号のオニタビラコは花をいっぱいつけていた。
水を飲もうと思ってひこばえくすのきの小公園に立ち寄った。こどもたちと親御さんでいっぱい。ベンチも物が置いてあり、親御さんから警戒の雰囲気を感じながら、立ったまま水を飲む。飲んでいるあいだ、くすのきを見た。1度切られた後、ひこばえが育てられている。だいぶ大きくなった。丈も大きいが幹も太くなった。その手前に、細い新しいひこばえが出ていた。明るい気持ちになって公園を後にした。坂の通りには日が差していた。
ラベル:
2つ信号のオニタビラコ,
オニタビラコ,
クスノキ,
ツメクサ,
ナガミヒナゲシ,
ナズナ,
ハナダイコン,
小公園の伐り株クスノキ
2020年3月7日
道の記
先日立ち寄った公園で今年初めてヒメウズの花を見たと思い、ここでもそのように書いたが、今年の過去投稿を読み返していてヒメウズが咲いているのを見たと書いていたのを見つけた。場所はそのときは忘れていたようだが、たしかあの道沿いだったと思い、その場所に寄ってみた。どこにもヒメウズは見当たらなかった。
大きな木々に囲まれたお屋敷の敷地を、歩道からのぞき込んでいる親御さんとこどもさん。「たしか1つ咲いていたと…」と親御さんがおっしゃっている。私もちょっと横目で見てみたが、どの木のことかわからなかった。親御さんと目が合っておたがい少し笑って会釈した。私だけ歩き出して、お屋敷の敷地の端で振り返ると、大きな梅の木の枝先に数輪、薄紅の花が咲いていた。
小公園のコブシは先日近くを通ったときには咲いていなかった。きょうも咲いていないようだ。公園に小さなこどもさんと親御さんがいらっしゃったが、きょうはコブシの様子を見に公園に入った。コブシはどうも花芽の枝を剪定されたらしく、花芽自体が数少なかった。そして開花はまだ先のようだった。公園を出るときにこどもさんと目が合った。少し笑顔で公園を出た。
お家の跡地はどこかから土砂が入れられた。ホトケノザやフキの出ているあたりは入れられた土砂の小山の裾野でそのままになっていた。ホトケノザがたくさん咲いていた。
このまえ梅の香りがした更地は掲示によるとそろそろ工事が始まる。奥のほうでオオキバナカタバミがちらほらと咲いている。オシロイバナのように見える大きな丈の草が色褪せながら立っている。ねぎのような葉も見えた。すぐ手前にすいせんのような葉が出ていた。葉に少し触れた。隣地の建物の際で、ホトケノザが合図をしているように花を放射状に掲げていた。
2020年3月2日
道の記
水路が埋められた歩道はスズメノカタビラがたくさん出ていた。キュウリグサのロゼットも。水路だった位置ではノゲシなどの草がまばらに出ていた。
その少し先で、ヒメムカシヨモギが傾げていた。茎や葉は緑で、他の場所で見る秋の草たちと同じく、冬を越したのだろう。花も綿毛もたくさんつけている。この春の景色がどう見えているだろう。
あそこの木蓮はどうだろう、いやさすがにまだ咲いていないだろうな、と思いながらそちらへと歩きかけて、昨年その木蓮が切られていたことを思い出した。そばのベンチに人が見えたので少し待って、あとから木蓮の様子を見に行った。木蓮の小さな切り株はスズメノカタビラに囲まれていた。動きはまだ見えなかった。
お家の塀を越えて唐実桜の枝が迫り出している。せっかくだからとここでもマスクを外して香りを嗅いだ。甘い香り。私がいくつかの場所で毎年見てきた唐実桜はみななくなってしまった。ここの唐実桜は遠い親戚だろうかと、よるべなく思った。満開の花が春の開始を告げていた。
道の記
こどもたちの歌声が聞こえてきた。電子オルガンのような音に合わせて、私が知らない童謡のような歌を大きく歌いあげている。春の声だと思った。
ナガミヒナゲシのロゼットが出ているな、と思いながら歩いていて、その先で今度は大きく育ったナガミヒナゲシがつぼみをつけているのを見つけた。まだ花の茎は伸びていず、つぼみは自分の細かな毛にうずまるようにして時を待っている様子だった。
ホウキギクの三叉路にはチチコグサモドキが1株出ていた。ひょろ長く伸びて、すでに花をつけていた。そばには丈の低い緑がぽつぽつ出ていたが、伸び上がっているのはチチコグサモドキだけだった。茎にそっと触れて、信号を渡った。
2020年2月29日
道の記
お店のシャッター前のノゲシは花が増えていた。
中心街交差点のこぶしが咲いていた。この一日二日くらいに咲き始めた感じで、いくつかの花がきれいに開き、たくさんのつぼみが開きかかっていた。雨の街はふだんより少ない人通りで、傘をさしていてもあまり気兼ねせずにこぶしを見ていられた。
チャンチンのひこばえが今年の新芽を出していた。すでに紅から白っぽく色変わりしていた。
振り返って道路脇のノボロギクを見たのを覚えているのだがなぜ振り返ったのか忘れてしまった。その先に見えていた色あざやかな花壇に目移りしたのが申し訳なかったのだったか。ノボロギクは雨に打たれてまっすぐ立っていた。
きょうはお休みらしい小さなお店。角に沈丁花の鉢植えが置いてある。香りを嗅ぎたいと思ってマスクを外して顔を寄せてみたが、香りはわからなかった。後ろをいささかけげんそうに若い方が通り過ぎていった。
ラベル:
コブシ,
ジンチョウゲ,
チャンチン,
ノゲシ,
ノボロギク,
ひこばえ,
花壇の花,
交差点のコブシ,
天神交差点のチャンチン,
閉店したお店の前のノゲシ
2020年2月26日
道の記
魚を捕る簗が立てられている。その上の橋を行く。欄干の下にはすみれが並んで、ぽつぽつと咲いていた。
ヒナギキョウは枯れた花茎をたくさん立てていた。しゃがんでみると、茎の根元に小さな葉がびっしり茂っている。そして、つぼみを見つけた。
ひさしぶりの公園。ヒメオドリコソウ、ヒメウズ、ムラサキケマン、コナスビ、そしてノアザミの花。いずれも今年初めて花を見る。去年見たツワブキの花茎が、綿毛をところどころ残して斜面一面に立ち並んで夕日を浴びていた。知らない鳥のさえずりが聞こえていた。
道の記
カンヒザクラは満開になった。隣の建物が暗い色で、透き通った空とのあいだで明るく明るく咲いている。
道路を広い空き地の側に渡った。最近空き地になったのか、草が少ない。土留め代わりに残されているらしい低いブロック積みに沿って歩いていると、ブロックの向こう側にスノードロップが咲いていた。ちょうど隠れるようにして。
同じ空き地でトキワハゼが少し咲いていた。今年初めて花を見る。
その少し先の小さな空き地では今度はノースポールらしき花が一輪咲いていた。株も小さい。ここが空き地になる前のお家で育てていたのだろう、と思って歩き出すと、隣の区画の建物の前のプランターでノースポールが咲いていた。
道の記
外に出て、景色が強く見えることに驚いた。快晴。この光は冬の光だろうか、春が来たあかしだろうか。
2つ信号のオニタビラコは花が開きかかっていた。4株が計8つの花茎を立てていた。
エノキの切り株の脇にキュウリグサが出ているが、そのもうひとつ脇にムラサキカタバミの葉が出ていた。
空き地のヒロハホウキギクは花がだいぶ少なくなってきたけれど咲いている。この季節を、ふたたび来た秋として生きているのかもしれない。
ラベル:
2つ信号のオニタビラコ,
エノキ,
オニタビラコ,
スーパーマーケット跡地,
ヒロハホウキギク,
ムラサキカタバミ
2020年2月25日
道の記
人通りの多い小径を、小さな猫が渡って行った。あまりあせっているふうでもない。その猫が出てきた建物の隙間のところに、餌やりは迷惑ですという大きな立て札が立ててあった。
朽ちたチャンチンの木が安置してある植え込みを見てみた。さっきの猫にとてもよく似たおとなの猫が、横たえられているチャンチンの脇でゆっくりしていた。
濃い紫の葉だけれどオニタビラコの葉の形をしている。新しい葉は緑でオニタビラコだ。こういう色になって冬を越えたのか。オニタビラコの知らない姿を知った気がした。長い植え込みのその先へ歩くと、濃い紫の葉をしたアカカタバミらしきカタバミがいっぱい葉を茂らせていた。
工事現場のフェンス下ではイタドリが大きな葉を並べていた。少し先ではイヌビワの幼木がすっかり葉を落として、いくつかの実を残して日差しを浴びていた。芽もしっかり用意しているようだった。
道の記
オニタビラコが満開だった。そう書きたくなるくらい、1株でたくさんの花を咲かせていた。
この前に見た十月桜は引き続き咲いていた。開きかけているつぼみもあった。少し離れたベンチでお休みになっている御年配の方が、桜に近づく私をちらっと見ておられるのが横目に見えた。
オオキバナカタバミが出ていたアパートが無くなっていた。更地に重機のタイヤの跡がいちめん残っていた。
柿の木や唐実桜や梅の木がいた工事中の線路際はとても背の高いナズナが咲いていた。ノボロギクも大きい。そこが日陰になっているせいもあるだろう。少し歩くと、小さなナズナがぽつぽつと咲いていた。
歩いていて風になにかの綿毛が乗ってやってきた。私のブルゾンにまとわりつき、また風で離れていった。なんの綿毛だろう、と考えて、ここはシャッターの前にノゲシがいる閉じたお店の近くだと気づいた。この近くにほかに綿毛を作る草は思い当たらなかった。お店の前に行ってみると、ノゲシは咲いていた。綿毛が少し残っていた。
2020年2月19日
道の記
道路の再整備で街路樹のケヤキが植え替えられてしばらく経つ。しばらく経つけれどもケヤキは以前この街路の上に茂っていた大きなケヤキのようにはまだまだならない。冬姿のケヤキの下にさらに小さなケヤキらしき幼木が出ていた。実から生えてきたのだろうか、と思ってしゃがんで見ていると、そのそばにエノキグサがいた。エノキグサはもう他所では見なくなっている。冬を生き延びているのだ。エノキグサは数株いたが、どの株も小さく、新しい芽は無く、葉は緑を濃くして、こころなしか固くなっているように見えた。
Y字路の右のほうの道が狭くてしあわせそうだったが、行く方向のどのあたりに出るかわからず、左の大きな道を行った。工事中で道端には草もなかった。しばらく歩くと右のほうへ抜ける小径があった。ビルの脇で、立派なプランターにコニファーのような木が小さく立っていた。でももうすぐ信号だった。
その信号手前、工事詰所の脇に、私の腰くらいまで伸びている何かの木がいた。葉があるが種類がわからない。この丈になっているということは、見逃されてきたのだろう。信号が変わる。葉に触れて、そこを立ち去った。日差しがあたたかかった。
再整備された公園の再整備後にまだ行っていないと思い出し、公園に回った。木々が減らされ、がらんとしていた。残されたいくらかの木々のまわりは裸地で、そこに芝生を張ると告知が出ていた。地面にはオランダミミナグサやハコベや、スズメノカタビラだと思う小さな細い葉がところどころに出ていた。以前はそうした草たちが地面に茂っていたのだった。振り返っていまいる草をもういちど見て、公園を後にした。
2020年2月18日
道の記
カンヒザクラが咲いていた。咲くには咲いたものの、この急な冷え込みで咲きかけて止まっているようにも見えた。
古いお屋敷を無くして建てられた低層の高級マンションの外周に、クスノキが植えられていた。ひょっとして以前に敷地内にいた木なのだろうかと思った。クスノキはそこそこ高いけれどもそう太くはなく、まっすぐしていて、幹の中途に忍草が生えていた。クスノキのほかに、樫の木が外周を囲んでいる。そういえばお屋敷の外周も樫の木だった。
切られる予告が出ているイヌマキの木々。切られるというのが信じがたいほど太くそびえ立っている。同じく大きく育ったツバキが高い所で花を咲かせている。イヌマキもツバキも、私の手が届くあたりに枝を下ろしていた。イヌマキの葉に触れた。その感触にイヌマキの全身が籠っている気がした。
道の記
建物の脇の、切られてその切り株に薬の注入痕があった小さなエノキはそれから芽を出さない。そのエノキの切り株のそばに、キュウリグサが出てきた。とても狭い地面に切り株と並んで、切り株に緑のいのちを添えるようにしている。
スーパーマーケット跡地の空き地に細い葉で少し丈がある草がたくさん出ていることに気づいた。あおあおしている。見ていて、昨年秋に切られたヒロハホウキギクだろうと思い至った。花を付けるほどには伸びなかったけれど、いまこうして復活して時を待っているのだろう。ずっと見てきているヒロハホウキギクは咲いている株もあったが、ひとつ、小さな株が枯れていた。この前は生きていたのだった。
そしてアキノノゲシのつぼみはさらに固く閉じているようだった※。
※ このアキノノゲシの「つぼみ」は花が咲き終わった後の状態だった。次の記事に注を書いている。
https://michinohata.blogspot.com/2020/03/blog-post_43.html
ラベル:
アキノノゲシ,
エノキ,
キュウリグサ,
スーパーマーケット跡地,
ヒロハホウキギク
道の記
ビル前の植え込みにいろいろな草花が植えてあり、小さな木も多少植えてある。そのなかに1本、クスノキの幼木がいた。クスノキを植えて育てているようには見えなかった。おそらくほかの草や木にまぎれてここまで生長したのだろう。このくらいの丈のまま、ほかの草や木と同じように世話を受けて生きていくのかもしれない。
2つ信号のオニタビラコは花の茎を高く伸ばしていた。咲く準備はできている様子に見えた。
その2つ信号の手前にすみれがたくさん出ている場所があるが、これまでそこの場所のことをあまり書いていない気がする。バス停があって待つ人が多く、立ち止まりづらいのだ。なので通るときにはたいてい歩きながら横目で様子を見る。すみれはいまは葉だけで過ごしている。たぶんバスを待つ人のなかに、すみれを見ている人もいることだろう。
ラベル:
2つ信号のオニタビラコ,
クスノキ,
スミレ,
バス停
2020年2月13日
道の記
煉瓦塀のお家は塀も完全に撤去されていた。一帯は広い空き地になっていた。礫が地面に散らばる中、ホトケノザがところどころぽつんぽつんと葉を広げていた。向こうに見える敷地界の隣地の塀の下は緑に見える。きっとそのあたりに、以前からここにいた草たちが、以前とは変わってしまった土地でどのようにか、暮らしを続けているのだろう。
階段のある元飲食店の建物は何かの事務所が入っていた。階段の下はオニタビラコらしきロゼットがいくつか開いていた。
橋から見下ろす川は、空を映しているのかそれともいくらか濁っているのか、にぶい色をしていた。空を見上げると、ほんの1か所だけ、雲が夕焼け色に染まっていた。
神社は梅が香っていた。梅をご覧になりに来られた様子の御夫婦がゆっくりと境内を回っておられる。私も同じようにして別のルートで境内を回る。ひとつひとつの木の花の香りを嗅ぐ。甘い香り、きつい香り、遠い香り。
いつも電車から見ていた境内の公園では、若い人がひとりボールで遊んでいた。大きな大きなくすのきが彼の守護をしているようだった。
しばらく前にスケッチを描いた河川敷の1本の木。そのときは近くに寄らずじまいだった。近くに寄った。小枝に丸い実が残っていた。ふもとはナズナの畑になっていた。ホトケノザ、オオイヌノフグリ。寒く見える日暮れの河川敷だったが、きっともう春だったのだ。
道の記
イヌコウジュは株ごと無くなっていた。根が土から抜けた跡があり、引き抜かれたのだろう。この前に見たときの様子からして、そのあと寒い日が続いたので、引き抜かれたときにはおそらく草のほぼ全体が枯れたようになっていただろうと想像されるけれど、それでも生きていたのではないかと思う。
そして、別の場所では、おそらく昨年花を咲かせることがなかっただろう小さな丈のイヌコウジュが、すべての葉を枯らして細い茎だけになって立っていた。
道の記
スーパーマーケット跡地の空き地は暖かな日差しだった。ノボロギクが躍進した。ヒロハホウキギクは全体がすっかり紫色になって、いくらかの花を咲かせていた。アキノノゲシは花こそ咲かせていなかったが、ヒロハホウキギクと同じく紫になって、暖かな冬を生き延びていた。
この冬は、秋の草たちにこれまでの秋の草たちが体験しなかったような気候を体験させているのかもしれない。そうだとしても、いまを生きているそれぞれの秋の草にとっては、その暮らしがただひとつの暮らしで、ただこの気候を暮らしていく。私はそうした自身の人生の突端を生きていく彼らを道の端から見ているほかない。
自身の人生の突端を生きていく、その事情は誰もがそうなのだろう。
クサギのトンネルのクサギは細い枝の姿になっていた。実を差し上げていた株はその格好で、なおいくらかの実をその枝に残していた。
いろいろな草が壁面に小さく生えている、そのなかに、ヒメウズを見つけた。つい最近どこかでヒメウズが咲いているのを見かけたが、ここでは咲いてはいない。つぼみもできていない。やがて茎を伸ばして、花を咲かせるのだろう。
見守っているのではなく見守られている。そう思った。
2020年2月11日
道の記
このあたりは工事が多い。ときどき立ち寄っていたスーパーマーケットも工事のフェンスに囲われていた。このマーケットの裏手にはスノーフレークだったか何かの花が植えてある小さな植え込みがあった。そこに通りかかると、植え込みは半分ほどがフェンスの中だった。フェンスの外では、おそらくトゲミノキツネノボタンだと思う小さな葉が土を覆っていた。
畑の中の畝と畝とのあいだで猫がこちらをうかがっている。ちょっと目が合ったけれど、見ていないふりをして行くことにした。
この道にも小さなノゲシがぽつんと出ている。きょうも咲いていた。お家の垣根から伸び出た花木や植えられた花々が美しい道だけれど、小さなすみれもいる。草たちが暮らしている、そのとなりを通って行く道。
道の記
バスから見たくぬぎ坂の場所では何か大きな柑橘の実が成っていた。
畑に敷かれたマルチというのか、黒いシートに雨がばさばさ落ちる音がする。畑は作物はなく、いまはマルチが覆っていない所でナズナが作物のように生えて咲いていた。
いつも通る道と一筋だけ違う道に入るとお家の梅が見えた。見事に仕立ててある。その向こうに知らない公園が広がっていた。雨で誰もいなかったが、こどもたちが遊ぶ声が聞こえてきそうな公園だった。公園を横に知らない道を歩いた。知っている道が目の前に見えていた。
2020年2月6日
道の記
陥没から復旧した道路は植樹帯が少なくなった。以前からの植樹帯はヤブランの実がいくらか残っていた。ヤエムグラらしき草も見えた。伐採されたケヤキも切り株のまま残っていた。
お店に入る前、お店の向かいの小公園には猫がいた。人は誰もいず、猫はあくびをしているようだった。お店から出たとき、公園は遊ぶこどもたちでいっぱいだった。猫は見当たらなかった。
舗装し直された歩道のヒメツルソバは見当たらなかった。でもどこか隅のあたりにいるのではないかと思う。
排水溝のくすのきは大過なく過ごしているようだった。もう暗かったので姿だけ見た。
道端に見たことのない葉が見えたので立ち止まってよく見たらノゲシだった。葉がちぢれたようになっていたのだった。ああなんだノゲシか、と思ったのだが、そう思うのでは失礼な気がした。ノゲシは何も言わずに街灯に照らされていた。
2020年2月4日
道の記
ランタナの交差点はオオキバナカタバミがいっぱいだった。フラサバソウも咲いている。ランタナは小さく枝を伸ばし始めていた。
以前田んぼだった駐車場の脇にある花壇は、プリムラが咲いていた。パンジーは少しつかれている様子だった。下のマンネングサは葉がとても小さくなっていた。その姿であと少し、冬をやりすごすのだろう。
伐採木置き場の、横倒しになっているいちょうの切り株から伸びている枝はかなりしっかりしているように見えた。タチスズメノヒエがだいぶ色褪せながら、それでも穂を掲げて立っていた。
行く人の動きにつられて後ろを振り向いた。夕日が山の少し上で大きく光っていた。
道の記
むかしであれば峠だっただろう丘の上の畑の脇にオオイヌノフグリがたくさん咲いていた。丘から眺めると道の先は薄く日が差していた。
また別の畑ではホトケノザとナズナが咲いていた。カラスノエンドウもだいぶ茂っていた。
柿の木と樫の木の跡地はホトケノザなど春の草にまじってイヌホオズキが咲いていた。敷地を出たところではノミノツヅリが花をちらほらと咲かせていた。
アキノノゲシが出ていた小さな駐車場の端の空き地。アキノノゲシはやつれていた。綿毛が残っていて、このごろまで咲いていたのだろう。アキノノゲシのふもとではカラスノエンドウが咲いていた。トゲミノキツネノボタンも明るい花をたくさん咲かせていた。
道の記
建物が取り壊された跡地のほうから、梅の花の香りのような匂いがした。信号を渡るつもりだったがあの跡地に梅が残っていたのかと気になって、渡らずに跡地のほうへ歩いた。跡地に梅はなかった。近くにも見当たらなかった。ホトケノザが咲いていた。
交差点のヒメジョオンは咲いていた。つかれた様子だったが枯れてはいない。すぐとなりにノゲシが出ているのに気づいた。ノゲシはだいぶ傷んでいたが、ノゲシも枯れてはいなかった。
大くすのきの林だった場所は建物が建ちつつある。以前の場所の面影は見つからない。ふと後ろを向くと梅が咲いていた。道を挟んだこちら側の丘にはくすのきはいないようだが、小さなお社があり、桜の木々が植えられている。梅の花は私の背が届かない高さで、大くすのきの林の丘を見つめるように咲いていた。
2020年2月3日
道の記
スーパーマーケット跡地の空き地は、ノボロギクが咲き、ハハコグサらしき葉があちこちから出始めて、春を感じさせるようになってきた。ヒロハホウキギクは全体がすっかり赤みを増して咲き続けていた。アキノノゲシは綿毛をいっぱい作ったようだった。残ったつぼみは固く閉じているように見えた※。
※ このアキノノゲシの「つぼみ」は花が咲き終わった後の状態だったと思う。次の記事に注を書いている。
https://michinohata.blogspot.com/2020/03/blog-post_43.html
イヌコウジュは小さな花を数輪残していた。
民芸風の飲食店の跡地は更地になった。以前は草がいろいろ生えていたけれど、いまは端のあたりでノボロギクやハコベが少し出ていた。ノゲシが咲いていた。ホトケノザに見送られて立ち去った。
建物の工事にあわせて街路樹のクロガネモチが幹の途中で切られていた場所では、歩道部分の舗装が直され、クロガネモチの切り株が撤去されたらしく無くなっていた。ちょうどそこの工事の人たちが集まって帰っていくところだった。私はその後ろになった。舗装面だけになっているクロガネモチのいた場所に頭を下げて、私も帰り道を歩いた。
道の記
草を気に掛けて見るようになって今年20年になる。その20年前に草を見始めた頃、ムラサキカタバミが出ていた小さな石垣の場所は、いまもムラサキカタバミがいる。ひさしぶりに通った。この季節なので花は出ていなかったが、葉は石垣の隙間を埋めるように広げていた。
キツネノマゴがいる中心街の公園に立ち寄った。キツネノマゴはもう去年の株が枯れてしまっている時季だが、2株、穂を見つけた。ひとつは色褪せて、もうひとつは赤みを帯びて冬を耐えていた。1株のすぐそばに、ヒナギキョウの小さな株がよれて立っていた。よれてはいたが緑だった。ここに立ち寄ってよかったと思った。
街路樹の切り株の上に工事のコーンが載せてあり、その脇でひこばえが数本伸びていた。ひこばえは芽を付けていて元気そうだった。何の木だろうと思いながら少し歩くと、路面にモミジバフウの葉が落ちていた。
ラベル:
キツネノマゴ,
ひこばえ,
ヒナギキョウ,
ムラサキカタバミ,
ムラサキカタバミの石垣,
モミジバフウ,
街中公園のキツネノマゴ
2020年1月31日
道の記
たしかむかしクラスメイトが住んでいたと思う古いお家が無くなっていた。大きな桜が残されていた。徒長枝がたくさん、空に向かって伸びている。敷地の中はセイタカアワダチソウが枯れて並んで白い穂を掲げていた。残っている門柱の表札には、知らない苗字が書いてあった。
アパートの階段入口で、ひとかたまりのオオキバナカタバミが花の茎だけを高く伸ばしてしゅんとしていた。少し歩くとアカカタバミが路傍の隙間を葉だけで彩っていた。
ラベル:
アカカタバミ,
オオキバナカタバミ,
サクラ,
セイタカアワダチソウ
道の記
通りかかった道沿いにイヌノフグリが出ていた。むかしからのお家が多い場所。おそらく古いお庭の隅などでイヌノフグリが生き延びているのだろう。花は見えなかったが、大きめに育っていたので暖かい日には咲くことだろう。
道の記
更地になったお家の土にホトケノザやフキの葉が出ているのを、以前通ったときに見た。その土地に工事が入っていた。敷地の外周に塀が造られる様子。まだ土は手が付けられていず、ホトケノザもフキも葉を広げていた。
小さな公園。若いお母さんがひとり、赤ちゃんを抱いてあやしている。公園の外を行くことにした。いちょうが冬空にぽつぽつと冬芽を並べていた。
梅とは枝振りが違う、桜だろうか、と思いながら近づくと、十月桜と書いてあった。花は赤みがかっている。すでにだいぶ散っていた。ふつうだと真冬までは咲かないのかもしれない。花を見ていると春が遠くに感じられた。見ている花の向こうだけ空が青かった。
2020年1月25日
道の記
クサギのトンネルだった場所ではツワブキが綿毛を空に掲げていた。
お濠まわりは今日はのんびりしている人が多い。自転車を止めて横になっている人たち、自転車で数人で乗り付けて階段に腰掛けて話をする人たち、鳥に餌をやっている人。たんぽぽが一輪、歩道の電柱の下からそちらのほうへ、明るい花を差し向けていた。
ビルの谷間のヨウシュヤマゴボウはすっかり枯れていた。おそらく根は生きている。谷間を成す片方のビルは取り壊されるらしいが、どうあれヨウシュヤマゴボウはきっと、次の夏を目指しているにちがいない。
道の記
2つ信号の場所ではオニタビラコのロゼットがいくつも出ていた。1つは花茎の芽を用意していた。まわりにハコベの仲間の葉がちらほら出ていた。
花壇の脇になったイヌビワの幼木は、枝が切られたというか手でちぎられたように見えた。
スーパーマーケット跡地の空き地は陽に照らされて地面があたたかそうだった。この前たくさん花を咲かせていたヒロハホウキギクは綿毛を作っていた。アキノノゲシは花を1つ咲かせようとしていた。しゃがんで見ているとまわりの小さな草もいろいろ見えてきた。スズメノカタビラがもう穂を立てていた。ハハコグサらしき葉が地面から優しく立ちのぼっていた。
ラベル:
2つ信号のオニタビラコ,
アキノノゲシ,
イヌビワ,
オニタビラコ,
スーパーマーケット跡地,
スズメノカタビラ,
ハコベ,
ハハコグサ,
ヒロハホウキギク
2020年1月23日
道の記
春が来たからこの道を行くのではない。そう思っていても春を探している。
沿線の椿は咲いていた。つぼみをたくさん用意していた。となりではヨモギが茂り、そのなかでヤブランがいくらか実を残していた。工事はすぐ隣で続いているが、この場所がどうなるのかはまだわからなかった。
公園があった場所に立った。いま立っている場所は公園内にあたるはずだと高架橋の位置を見ながら思う。工事途上の道の横に積まれた土のうの下から、ミズヒキが出ていた。つぼみがあった。
以前ナガミヒナゲシが出ていたわずかばかりの土手では、コセンダングサが花を付けていた。
振り返ってもういちど、公園だったあたりを見た。むかしはここになかった踏切の音が響いていた。
2020年1月16日
道の記
よく通る道に沿って高いビルが建っているのだが、その中腹というか中程のところに、さざんかの木が植えられているのに気づいた。ぱらぱらと咲いている。咲いていたので気づけたのだろう。
空き地のアキノノゲシは綿毛が散った跡があった。ヒロハホウキギクはさらにたくさんの花を咲かせていた。
イヌビワの植木鉢があったお店の跡地の奥の駐車場が、舗装が剥がされて更地になっていた。その隅に出ていたイヌビワの幼木は見当たらなかった。
中心街へ出向くのをあきらめて進路を変えた。古い町中の小径。道が暗い。小公園のところだけ少し明るくなっていた。自転車が1台停まっていたが、誰もいないようだった。どこかのお家からなのだろう、何かのおいしそうな香りがした。
2020年1月11日
2020年1月6日
道の記
クサギのトンネルだった場所はクサギがすっかり落葉していた。実を輪のようにして差し上げていたクサギも、わずかに実を残して冬姿をしていた。ふもとのツワブキは花をひとまず終えて綿毛を作っているところのようだった。
スーパーマーケット跡地の空き地はノボロギクが咲いていた。ヒロハホウキギクもたくさん花を咲かせている。丈の低いアキノノゲシがつぼみをたくさんつけていた※。いや咲かずに残しているのかもしれない。つぼみははっきりとした紫色を帯びていた。
※ このアキノノゲシの「つぼみ」は花が咲き終わった後の状態だったと思う。次の記事に注を書いている。
https://michinohata.blogspot.com/2020/03/blog-post_43.html
このごろ本をほとんど読んでいなかった。そのことをふと思い出して歩いていて、こうして歩く先々で草や木を見るのが、いまの自分にとっては本を読むのと同じことなのだ、本を読むように草や木からたくさんのことを学んでいるのだ、という気がした。
マンションの前の桜の植え込みにイヌビワの幼木が出ていたのだが、見当たらなくなっていた。抜かれたのでなければまた生えてくることだろう。
イヌビワの植木鉢がいたお店の跡地では、オニタビラコが高く伸びて花をいっぱい咲かせていた。その向こうの駐車場のイヌビワは、落葉を終えたようだった。
道の記
このごろところどころでバラの花を見かける。バラに詳しくないのだが季節なのだろうか。繁華街の路地を歩いていて、道沿いのお家の犬走りにホトケノザなどの草が出ていて、ああこういうところでも春の草がいきづいているのだなと思って、その先を行こうとするとバラが咲いていた。花は目の高さくらいのところで、路地の隅に路地の主が居るかのようだった。
切られてからかなり経つはずの街路樹の切り株の中心付近から、見慣れない葉が開いていた。この木の葉とは違うようだがと思いながら全体を見ていると、切り株のあちこちから同じ種類の葉が出ていた。喜んでいいのかどうかわからなくなった。
道を変えて歩いているうち、教えていただいた桑の木の方向へ行く道に出くわした。後日と考えていたが、せっかくなので行こうと考え直した。坂を上ると少し広い緑地。こどもさんがお父さんらしき人と緑地を出てきた。帰っていくようだった。
少し歩いて、たくさんの住宅に囲まれた桑の木の小さな場所に着く。桑の木は大きかった。何度か根元近くで切られたのか、幹が錯綜していたが、上ではほうき上に樹冠が広がり、どうどうとしていた。葉がかなり残っている。幹を見ているとすぐに頭にぱさっと葉が落ちてきた。あいさつしてくれたのだろう。
カンサイタンポポも咲いていた。イヌコウジュも花を開いていた。あたたかな年初め。
2020年1月4日
道の記
閉まっているお店の前のノゲシは変わらず元気にしていた。
ガザニアが一面に植えてある花壇の中から、水仙が花の茎をひとつだけ立てていた。
病み上がりというのか、歩いていてからだが安定しない。あまり人に近づきたくない。踏切待ちでも隅のほうで待った。エノコログサがいっぱいだった。緑の穂をたくさん立てていた。電車が通過し、穂がいっせいにめいめいに揺れた。
線路際の工事中の場所へ回った。足元に白い小さな花が見えた。しゃがんで見るとナズナだった。隣でオランダミミナグサも花を用意していた。もう唐実桜や梅や柿の木がいた頃とはすっかり景色が変わってしまったが、草たちは今年もそれぞれの暮らしを続けて継いでいくだろう。
2019年12月31日
道の記
閉じたお店のシャッターの前に、ノゲシが1株出ていた。花が咲いていたがこの寒さのためかうつむいていた。それでもノゲシの株そのものは、しゃんとして立っていた。
以前セイヨウタンポポが出ていた電柱の跡は長くスズメノカタビラが1株出ていたが、冬が進んでしだいに枯れてきた。きょうはもう緑味が無くなっていた。地下では生きているのではないかと思う。これからしばらくは寒さが続くだろう。その次の季節を、地下で待つ草もたくさんいることだろう。
私も次の季節をしずかに待っていよう。
ラベル:
スズメノカタビラ,
セイヨウタンポポの電柱,
ノゲシ
道の記
市街地のイヌノフグリは今年も芽を出していた。街を行き交う人の波から少し離れて、イヌノフグリは春がそっと来るのを待っているようだった。
サーカスのテントが建った。ほぼ裏口に当たるここからは動物の気配がする。フェンスの隙間を家族連れのこどもさんがのぞき込んでいた。何か見える、と声があがった。
小学校跡地のエノキはさらに枝を落とされていたように見えたが、もう暗く、そして工事の方がそこで着替えておられたのでよくは見えなかった。エノキの姿を目に映してその場を離れた。
2019年12月27日
notes on the way
Himejoon (Erigeron annuus, "daisy fleabane") at the intersection still has many flowers, looks fine. The flowers seem to be going into the new year.
***
I'm aware that, though I write the articles on this blog only in Japanese, they have many international access. I don't know why, but now try to write something in English this time.
2019年12月24日
道の記
大きな桑の木の場所を教えていただいた。きょうも近くを通ったのだが時間の都合でそちらへ回れなかった。来年訪ねてみよう。来年の楽しみがあると来年が楽しみだ。
お家の門の前にナキリスゲが大きく育っていたそのお家の方が、門のすぐ奥で何かの花を手入れなさっていた。やっぱり草木がお好きな方だったのだ。ナキリスゲも少し葉が色褪せていたが、そこにいた。
ハハコグサの空地は重機が造成をしていた。ハハコグサが生えていたあたりの地面は断面を見せていて、細い木の根や芝の仲間の草の茎が見えていた。
聖夜の木は今年も、細く交じり合う枝に花芽を少し付けていた。この近くの同じ仲間の木とくらべるといつも花が少ないが、次の春もきっと、その木なりの花を咲かせることだろう。
2019年12月23日
2019年12月22日
道の記
先日、日差しであたたまった幹に触って暖をもらった街路樹のモミジバフウが、枝を落とされていた。葉が残っていた時分に剪定されたのだろうか。夜に立つモミジバフウはすでに冬の覚悟を決めているようだった。
2019年12月19日
道の記
ひさしぶりの公園はまだ秋の風情だった。林に入ると、木の実が落ちて落葉に当たるぱさぱさという音がひっきりなしに聞こえていた。鳥たちの声もいっぱいだった。
大きないちょうがちょうど色あざやかになっていた。平野は遠く霞んでいた。
池のほとりで、スズメノカタビラが穂を掲げていた。あちこちでいろいろな春の草を見るが、スズメノカタビラの穂はしばらくぶりだ。スズメノカタビラはそこの一帯にかたまって出ている。寄り集まって小さく春をかくまっている様子だった。
その向こうからはなぜか大きな音で演歌が流れていた。こどもたちが帰り始めていた。赤茶に色づいた高いメタセコイアの木の向こうに、日が傾きつつあった。
2019年12月18日
道の記
クロガネモチが伐られていた歩道は植え枡が無くされて舗装されていた。歩道は広くなった。もとの歩道の幅だったところを通った。
秋に草が刈られた空き地はノゲシが咲いていた。ヒロハホウキギクも小さな丈で咲いていた。
クサギのトンネルだった場所はツワブキがたくさん咲いた。空に実を差し上げているクサギは葉を落としてなお実を差し上げていた。
ここに白いさざんかが咲く、と教えてくださったのはどなただったろうか。どなたであってもだいぶむかしのことになる。さざんかは暗がりを白で埋めるほどに咲いていた。
2019年12月9日
道の記
丘の上の小さな雑木林だった場所はどうも一軒家になるような様子だった。建物はすでに建ち、まわりの工事が進められていた。何かのセンダングサが1本、様子を見つめるように立って咲いていた。
この道を行くのもひさしぶりだったし、この方向から行くのはほんとうにひさしぶりだ。向こうの山が夕日にあざやかに照っていた。緑だけでなく冬の紫も見えていた。
クリスマスの小さな飾り付けがされていたお家の納屋が無くなっていた。こどもさんの家を新築するようだ。お家をのぞきこんではいけないので足早に去ったが、敷地の端に古い小さなこいのぼり飾りを巻き付けた、たしかそこにクリスマス飾りも付けていたと思う木組みの枠が立てかけてあった。
蝋梅がきれいに咲く幹線道路沿いのお家が無くなっていた。更地だった。木のちぎれ根が地面のところどころから出ていた。しゃがんで、その1つに触った。何の木かはわからなかった。しなやかだった。
以前大きな木が立っていた駐車場は、大きなマンションに変わっていた。エントランスには数本の木が植栽されていた。あの木のように大きくなれるかどうか考えかけて、やめた。彼らにはきっと彼らの未来があるだろう。
道の記
いつもと一筋だけ違う道を行く。タチスズメノヒエが並んでいた。もう少し歩くと、今度はすみれが並んでいた。
ここの交差点の角にはヒメジョオンが咲いていた、と思って渡りながら振り返った。ヒメジョオンは少ししおれながら咲いていた。
田んぼだった場所の横の花壇は花がパンジーに変わっていた。下のマンネングサはそのまま、苔のようになって冬越しをしようとしていた。
伐採木置き場のイチョウも色づいてきた。すぐとなりでセイタカアワダチソウの花が白い泡に変わりつつあった。
ラベル:
イチョウ,
コモチマンネングサ,
スミレ,
セイタカアワダチソウ,
タチスズメノヒエ,
パンジー,
ヒメジョオン,
樹木置き場のイチョウ,
田んぼの脇の花壇
2019年12月4日
道の記
寒くなった。信号待ちのときに、横の街路樹のモミジバフウを見上げた。まだらに紅葉している。幹が陽に照らされてあたたかそうで、手を当ててみた。あたたかかった。
その信号を帰りにも渡った。あたたかかったお礼を伝えたいつもりで、もう一度モミジバフウの幹にそっと手を当てた。私の頭あたりにかさっと当たる音がして、モミジバフウの赤い葉が1枚、路上に降りてきた。
道の記
犬のお散歩をなさってよくお目にかかっていた方のお住まいの跡地。いろいろな草が出ていた。いちばん向こうには花が集まっているのが見える。ハナカタバミのような色だった。その手前にオレンジ色のカンナが見えた。
キャンパス跡地は建物の解体が更に進んだ。木々も少なくなっていた。他所に移植されると聞いていた松の木も伐られていた。敷地をのぞき込むと、切り株が残っていた。その上に手鎌のようなものが見えた。雨はもう止みそうになかった。
メタセコイアも、桜も、姿はなかった。
キャンパス外周を歩いた。フェンスの向こう側から小さな菊の種類の花が咲いていた。カンナらしき葉も出ていた。フェンスの向こうはシートで隠されていた。
やはり移植される予定だったのがその前に立ち枯れてしまったカイノキが、その枯れた姿のまま残っていた。
いつも通っていた門の脇になぜか以前からプランターが残されていた。そのプランターの下から、何かの種類の菊が伸び出て、一輪咲いていた。
道の記
いちょう並木が市道の歩道と公開の私有地緑道に挟まれている。市道のほうは落ち葉がそこここに集められていた。公開緑道のほうは路面に葉が散らばったままだった。おかあさんとこどもさんが公開緑道を向こうからやってきた。こどもさんは落ち葉が積もっているところを選ぶようにして歩いてきた。
小学校跡地のエノキはボーリングか何かのような大きな重機を背後にしていた。枝はだいぶ落とされたが、すぐに撤去されるという様子には見えなかった。暗がりの中でしずかに立っていた。
街の大通りに面して、クリスマスマーケット風の小さな出店が出ていて、その前で、特にイベントのようでもなかったのだが、サックスを吹いている方がおられた。信号待ちの人たちが後ろを振り返って見ていた。演奏が終わると、出店の前の立ち飲みのテーブルに1人ついていた御年配の方が、大きな拍手をなさった。サックスは続いて聖者の行進を奏で始めた。信号が変わった。
道の記
中心市街地の交差点の柿の木はみごとに紅葉していた。実もなっていた。今年も元気に過ごしたのだろう。実と葉との違いは日の当たるほうでないとわからないほどだった。
更地にハハコグサが生えていたそのあたりの位置が掘削された。歩道が拡幅されることになる様子。その奥の更地になっている所にハハコグサが生えていた。
街中のクワクサはだいぶ色が褪せていた。葉も少なくなったようだった。人が近くにいたけれど、小さくクワクサに声を掛けてから先を行った。
各所のキツネノマゴも花をほぼ見なくなってきた。三叉路のキツネノマゴも花が終わったかと思って見ていたら、1つだけ穂のてっぺんに花が咲いていた。あいさつをして立ち去った。
2019年11月29日
2019年11月27日
道の記
モミジバフウの色とりどりの落ち葉が歩道を埋めていた。西日に光ってきれいだ。私はしあわせに歩いたが、こちら側でも向こう側でも、ご近所の方々だろう、箒で無言で掃き集めておられた。
だからと言って、つらく思いながら掃いておられたともかぎらない。そこはこちらで勝手に考えすぎないことにした。
この前ここに来たときにヒイラギの花が咲いていた。香りが強く、その香りで上を見上げてわかったのだった。きょうもよく香っていた。そしてこの前は気づかなかったが、何本も並んでいる。全部見てみようと思って行きかけて、ふと、ここが公衆トイレの裏だと気づいて、それ以上進むのをやめた。公衆トイレにあわせて植栽したのでは、と思ったが、これも考えすぎないことにしよう。美しく香っていた。
ベンチに掛けようとやってきたが、ここに生えていた小さな木がなくなっているのに気づいた。切り株があった。見ると、これまでに何度も何度も伐られた跡がある。私がこれまで見ていたのもその何度も何度も伐られた後に伸びていた幹だったのだろう。細かった。木蓮の木だった。切り株に芽らしきものは見えなかった。次の春の花は無理かもしれない。でも春を待とう。
けやきの葉もたくさん散って路面に積もっていた。きょうはこどもたちはいない。道の先では、この前からいっぱい咲いているさざんかの花が、街灯の灯りだけで照らされていた。
2019年11月25日
道の記
よく通る道で、歩道が狭くなっている箇所がある。街路樹のクロガネモチと電柱と建物とのあいだを抜けるようにして通る。すれちがうのは難しい。そこのクロガネモチの枝を落とす工事をやっていた。剪定ではなく伐採のようだった。次にここを通るときにはこのクロガネモチは撤去されているかもしれない。木には近づけない。通り過ぎてから1度振り返った。クロガネモチは思っていたよりも傾いて立っていた。
イヌビワの植木鉢があったお店の跡地のひとつ奥の駐車場の隅で、イヌビワが茂っていた。
こちらの方向へはむかしの思い出があり、あまり行かないようにしていた。そういえば最後にここを訪ねたときも、紅葉だったのではなかったか。少し傾いた日差しに、神社の高台の紅葉があざやかに見えていた。あたたかそうな御家族の声が聞こえていた。
小径を行くと、こんどは小さなイヌビワが敷地の端で、でもしっかりと茂っていた。敷地の先の端では小さなホトケノザの葉が出ていた。
ここからはいつもの道を行こう。そっちの草から呼ばれている気がする。そう思って高架をくぐって向こう側の歩道へ移った。ヒナギキョウがたくさん咲いていた。
地図で見ていてどういう公園だろうと思っていた。時間の合間に登ってみた。思いのほか山道で、ツワブキがいっぱい咲いている。ツワブキは植えられたのではないかとも思うが、よく知らないシソ科の花や、たぶんノコンギクだと思う野菊が、土の階段道を彩っていた。西日。こどもたちの声。しあわせな場所だった。
帰りも、思い出が巡り寄せる道を通った。もうはるかなむかしだけれど、忘れてはいない。忘れたほうがよいのかもしれないが、忘れきってしまうのではだめだという気がした。細い夜道はまっすぐ続いていた。
クロガネモチは下から幹の途中までが残っていた。幹に小さな葉がいくつか出ていた。生きていれば、ここから始め直すことができる。幹に手を当てた。たがいに言葉はない。振り返って、また、とだけ声を掛けてその場を去った。
道の記
塀の下にいろいろな草が並んでいる場所。今年はエノキグサが多く出ていたが、だいぶ疲れたようで、色褪せてきた。きっと次の世代を残していることだろう。
ついこのごろどこかで、やはり塀のような場所の間際で、とても高く伸びたエノキグサを見たのを思い出した。一瞬エノキグサと思わなかった。ふだん歩く道ではなかった。もうどこだったか思い出せない。そのエノキグサたちも疲れた姿だったが、最後の力を振り絞るなどということではなく、みな、すっとその場に立っていた。
街路樹のいちょうもほぼ黄色になった。日が沈んだ西空が、よく似た色に変わっていた。
道の記
ときどき歩いている小さな道だけれど反対方向から歩くことがあまりなかった。その道から入っていくさらに小さな路地に、被爆した柿の木の三世だという貼り紙が見えた。近くに寄ると、ほぼ落葉した1本の木が立っていた。まだ若い感じの木で、残っている葉は赤かった。愛称もつけられて親しまれている様子だった。次に通るときには明るい緑が見られるだろう。いつか明るい赤い実も見られるだろう。
ラベル:
カキノキ,
被爆した木の子孫の木,
路地
2019年11月20日
道の記
草が刈られた空き地ではアキノノゲシが復活していた。アキノノゲシとしてはとても低い丈で、花を咲かせ、つぼみをたくさん付けていた※。
※ このアキノノゲシの「つぼみ」は花が咲き終わった後の状態だったかもしれない(つぼみだったかもしれない)。次の記事に注を書いている。
https://michinohata.blogspot.com/2020/03/blog-post_43.html
交差点角に以前ヒメツルソバが出ていたのが、舗装工事でその位置が埋められてしまった。しばらくぶりに通ったが、ヒメツルソバは出ていない。しかしすぐそばの植木鉢の中に、1株小さく生えていた。
オナモミらしい。とてもひさしぶりに見た。背丈が小さい。たびたび刈られるのだろう。実はしっかりと付けていた。
工場近くのくすのき切り株は、ひこばえが最近切られたように見えた。そこから新しい芽が出始めていた。
このエノキだったか覚えていない。でもこのあたりの位置だったような記憶がある。水路脇の小さな切り株から横方向に枝を短く伸ばしていた。解体された施設の敷地は手つかずのまま広がっていた。
道の記
田んぼの景色が自分のいつも歩いている範囲の景色と違う。田んぼと家々との境がゆるやかな感じがする。刈り穫られた稲は今年のものではないようだった。ホトケノザが一面に生えていた。
街路樹に1本1本オーナーの方の名前の札が付けられている。その街路樹の1本が切り株になっていた。切られてしばらく経つように見えた。支え木がそのまま残されていた。
先日初めて来た小さな駅。きょうは日暮れになった。駅前のくすのきが道路の明かりを後ろに、シルエットになっていた。
道の記
体調が思わしくなくなって公園の池のほとりのベンチで休んだ。ふと顔を上げたら目の前の水面に鴨がたくさん来ていた。餌をもらえると思って来たのかと思ったけれど、私がそのままにしていてもなかなか去らない。ほかのベンチにも人がいるのにそちらのほうには行かない。心配して来てくれたのだと思うことにした。
公園ではいくつか楽器の音が聞こえていた。去り際にはWhat a wonderful worldが聞こえていた。地平線の際がまだ赤く、金星と木星と土星と少し離れてもうひとつ星が並んで見えていた。
別の公園ではストリートミュージシャンの方たちが並んで、各々の楽器と一緒に歌っていた。少し離れて、以前お見かけしたアンプを担いで歌う方が、縁石に腰掛けて、マイクをこどもたちに持たせて好きなようにしゃべってもらっていた。こどもたちが楽しんだ後、時間が来たようにしてお立ち去りになった。
2019年11月16日
道の記
ひさしぶりに降りた駅は建て替えられて駅前も大きく変わっていた。むかし立ち寄った駅前食堂は看板を下ろしていた。
そして初めて来た駅は小ぢんまりとしていた。入口のロータリーにくすのきが大きく立っていた。これから少し遠くまで行くらしき方々が地元の方らしき方に見送られていた。
大きな公園を歩いた。空も地面も広かった。公園を通り抜けて川に出ると、オギが穂を立てて並んでいる川岸の向こうの、くすのきの林の向こうに、日が降りていくところだった。山は斜めから陽を浴びて、その光と稜線とで、ひかりとかげを作り出していた。自転車に乗ったこどもたちが、残りわずかな一日を遊ぶのだろう、土手を公園のほうへと走っていった。
春の小径はこの前通ったときは暗くなっていて草花がわからなかった。きょうはすぐにキツネノマゴが咲いているのがわかった。丈が低く、1度刈られたのだろう。かたまって咲いている。イヌタデ、コツブキンエノコロ、チカラシバ。そしてホトケノザもナズナも咲いている。にぎやかだった。春を湛えた秋の小径。少し暮れ始めていた。
2019年11月13日
道の記
バス待合所前の切り株は変わらずそこにいた。
桜が並ぶ高台のポケットパーク。きょうはベンチに掛けている人がいた。景色に向かって何かお弁当みたいなものを食べている。眼前は大きなショッピングセンターだが、その向こうには遠い山並みが見えていた。
ここを通るときにはたびたび、山から呼ばれている気がしたのだった。きょうはそこまでせつなくない。淡々と向かおう。
バス路線は途中から不通だった。車止めの向こうの道は川に向かってまるごと崩落していた。その手前でなごりのコスモスがけなげに咲いていた。
春の花も秋の花も咲いていた。ここではクワクサをよく見る。かと思うとヒメウズも花を咲かせていた。
棚田は一部だけ作付けされたらしい。畦に草の緑があざやかだった。今年も日曜市のお米と野菜を買った。みなさんにお目にかかれて今年も訪ねた甲斐があった。
通り過ぎたばかりのお寺の、鐘の音が響いてきた。この谷のいつもの景色なのだろう。雲は少し紅に染まり始めていた。道路を直そうとしている重機が、いまはしずかに休んで、明日からに備えていた。
2019年11月10日
道の記
以前スダジイの実を拾う方に出会った、そのスダジイの木の下でどんぐりを拾い集めた。マテバシイの実はけっこう落ちているが、スダジイは思ったほど落ちていない。今年も拾いに来られたのだろう。
サザンカの花の下で、幼稚園帰りらしいこどもたちが腹這いになって地面で何かをしていた。興味があったけれど、サザンカの花のほうを見て行き過ぎた。
伐採撤去された桜の代わりに新しい桜が植えられてこの冬で5年になる。新しい木は思いのほか大きくなっていた。そこにはもう新しい時間があった。
いちょうの並木が立っていた場所に寄った。いまは別の構造物がそびえている。あの秋はたくさんの葉が風に舞っていたのだった。いま思うと、自分の種子のように風に放ったのかもしれない。いま砂利が敷かれているこの場所の土は、あのいちょうたちを覚えているだろうと思った。
道の記
街路樹モミジバフウの葉が路面に粉々になりながら積もっていた。道は明るかった。
見た覚えがない種類の草を見つけてしゃがみこんだ。となりのネズミノオの穂が私のバッグやブルゾンに実をたくさんこぼした。それを落としていると、今度は別のとなりのタチスズメノヒエが実をこぼした。
線路と線路のあいだのまんなかに小さな木が生えていた。踏切から見たときはなにかそこだけが小さな森のように緑だった。線路に沿って道を歩いて近くまで来ると、葉はきらきら日に照っていた。すぐ脇に、イヌタデらしき小さな紅が見えた。
2019年11月6日
道の記
幹が枯れた桜はひこばえをいくつか出していた。まわりの桜はあざやかに色づいていたが、ひこばえはやっと伸び出した様子で、あおあおしていた。
道端で御高齢の方が立ち止まって、何か草を手に取っている。それを手折って去って行く。その場所に通りかかる。アレチハナガサの茎の上のほうが無くなっていた。その方の手にはきっと花があるのだろう。
畑だった場所が幼稚園のようなものになるようだ。重機が整地に入っていた。ここではトゲミノキツネノボタンがよく咲いていた。わずかに草が残っている敷地の端で、それらしき葉が地面を覆っていた。ホトケノザがぴょんと伸びて花を咲かせていた。
***
帰りに振り返ると、山はあざやかに陽を浴びていた。でも山の呼び声は聞こえなかった。景色をしばらく眺めて、行こうと山を背にしたとき、山の声が聞こえた気がした。いまは来なくていい、そこですべきことをしなさい、と言っているようだった。
1度だけ振り返って、山を見た。帰り道は行き道になった。
ジュズダマの空き地はジュズダマがだいぶ刈られていた。端のあたりに残っていた。ジュズダマの実が歩道の路面に落ちていた。七転び八起き、と思いながら、実を八つだけ拾って、手に握った。路面に残るジュズダマの実はまた誰かが拾うだろうか。
道の記
遠くの山にだけ陽が当たっていた。遠くを目指せ、ということなのかと思った。
交差点の鶏頭は、新しく植えられたらしいビオラの花々に囲まれていた。
道端のカンナは丈は小さくなったが元気なようだった。
田んぼはコスモス畑になっていた。まだつぼみが多い。畦にはたくさんのヨメナが咲いていた。歩道脇に逸出したコスモスは出てきていなかった。
いつも通るときに山を眺める橋。山は今度は陽を浴びつつあった。谷と尾根の陰影。美しかった。橋を渡ると、川の土手の道を向こうから自転車の人がやってくるところだった。かごに犬がいるのが見えた。
道の記
いつもススキやキツネノマゴが出ていた街路樹の植え枡、どうも薬が使われたようで、枯れた草が少し残っていた。
中央分離帯を通る長い横断歩道。一昨年そこでヒロハホウキギクを見た。去年は出ていなかったと思う。今年も出ていないだろうと思って急ぎ足で通っていたら、ヒロハホウキギクが咲いていた。2株出ていた。
キツネノマゴが出る斜面は今年は草刈りがあって、今季はもう難しいのではと思っていたが、キツネノマゴが小さく咲いていた。来年もまた出てくることだろう。
***
山が見えるほうの大くすのきの林だった場所は、大きな建物が完成していた。以前ボタンクサギがいた位置にかろうじて地面を残していたファサードの隙間は、セメントで埋められていた。その建物の手前、残る半分の敷地では、以前から咲いていたアレチハナガサやヤナギハナガサにくわえて、アキノノゲシも咲いていた。
くすのきの若木が、刈り込まれた歩道の植え込みで、植えられた木々と同じようにして居続けていた。彼らが、大くすのきの林を継いでいくだろう。
頭を下げて立ち去った。
2019年11月5日
道の記
大くすのきの林だった場所は、くすのきの切り株はなくなって、フェンスの向こうに鉄筋が並んでいた。
柿の木や樫の木の残っていた切り株が撤去された場所は、以前から出ていたヤブガラシが地表を覆っていた。ひこばえらしきものは見えなかった。敷地を越えて出ていた柿の木の芽もなかった。
田んぼだった場所の横の花壇は、ルピナスに似たあざやかな花が穂を立てて咲いていた。ポーチュラカがその下を彩っていた。
桃が1つ花を咲かせていた。その下ではホトケノザがいっぱい咲いていた。
大くすのきの林だった場所の横を帰りにも通った。鉄筋群はそこに新しく生えてきた植物のようにも見えた。彼らもあと50年くらい経ったら、くすのきたちと同じようにここを取り払われるのだろう。人の営みも人の力によって壊されていく。
鉄筋たちがめざす天は曇っていた。ただ土が積まれただけの、以前のものとは違う小高い丘の、その上ではなくはるか離れたところで、満ち始めた月が雲の向こうから照っていた。
2019年10月31日
道の記
2つ信号のオニタビラコの場所に、ヒメムカシヨモギが低く出ていた。低いけれどもつぼみをたくさんつけている。秋がしだいに深まってきて、急いだのだろう。
旧クサギのトンネルではクサギの花が少しだけ咲き残っていた。前にぐるっと輪のように咲いていた株は、ぐるっと輪のように実を高く差し上げていた。
思いがけない所でキツネノマゴとイヌコウジュを見て、おかげで少し元気に歩けた。しかし休憩のつもりでベンチや石に座るとそこから動けない。立ち上がると右のほうへからだが動いていく。以前そんなふうにからだが自然と動いたときはそちらのほうに何かあるのかもと思ってそのまま歩いた。きょうもそうしてみたら、からだが右へ右へと旋回して同じ場所をぐるぐる回り始める。広い場所でよかった。もう帰ると決めて帰るしかなかった。
街は仮装の人たちでにぎわい始めていた。いま思うと自分の格好も、その街からしてみたら仮装みたいなものだった。西日は高いビルの窓に跳ね返されて、そちらも太陽と同じくらいまぶしく輝いて道を照らしていた。
道の記
カラスがこの前も集まっていたが今日もだ。なにかさかんに食べている。そういえばスダジイがすぐそこだ。案の定、スダジイのふもとで何羽ものカラスが地面をつついている。人が近づいても車が近づいてもなかなか逃げ出さない。ごちそうなのだろう。
夕暮れ公園はボサノヴァらしきギターのソロを奏でる人がいた。優しい響きだった。
西の低い空に細い月と木星が見え、その右下に何か明るい星が見えた。たぶん金星だろう。もうスカイラインすれすれで、遠い山の灯りのようだった。
2019年10月28日
道の記
遠目に見た学校の榎の木は、枝が落とされていた。校庭の工事はさらに進められているようで、土が掘り返されている地点もあった。
ヒイラギモクセイが香る。見ている中でいちばん花が遅かった木もだいぶ咲き始めてきた。その場所を後にして少し歩くと、また香りが。風でここまで流れてくるのか、それにしても…と思い、ひょっとして近くに別の木が?と思って見回すと、見回すまでもなく隣の木がヒイラギモクセイだった。
カゼクサの場所は草刈りがあったようだ。草の丈がずいぶん低くなった。斜めになっているカゼクサの穂を見つけた。少し歩くと、そのあたりまでは手が回らなかったのか、カゼクサの穂が立ち並んでいた。
十月桜の季節にこの十月桜の場所に来ると、ここの桜を教えてくださった方のことを思い出す。桜は香りなく白く咲いていた。大きく広がる夕暮れの空に桜の色を探した。
帰りに学校の榎を近くで見られる場所へ立ち寄った。すっかり暮れて、榎は影になって立っていた。校舎に寄り掛かるように伸びた榎を支えている大きな支柱。守られながら、守られながらも、榎はいまこのときを高くそびえて生きていた。
2019年10月26日
道の記
ホウキギクとねこじゃらしの丁字路は緑が無くなったわけではなく、苔が生えている。緑が無くなったと書いたのは不覚だった。
旧すみれのプランターにこの前は小さな靴が片方置いてあったのだが、靴はそのままで、その横に今度はカボチャのお化けのヘアピンが添えられていた。
スダジイの実が路面にたくさん落ちている。去年はここで、実を拾っている方に出会った。今年も会えるだろうか。そのときまでに自分も少し拾っていようか。
2019年10月24日
道の記
同じ道を同じ方向へずっと歩いてらっしゃる前の方が、ときどき振り返ってこちらをご覧になる。少しずつ距離が詰まってきた。追いついた。小声で歌ってらっしゃった。
いつも列車から見ていて気になっていた大きな木。ここも自分の足で来るとは思っていなかった。クスノキ。根元近くで二股にほぼ等分に分かれていて、ちょうど北海道豊頃のハルニレのように枝が張り出して垂れ下がっていた。そしてまわりは草原。セイバンモロコシやススキやタチスズメノヒエが穂をなびかせていた。
もともとここの敷地には何か工場のようなものがあった記憶がある。工場が無くなってクスノキが残ったのだと思う。敷地をぐるっと回る。キンモクセイが咲いていた。敷地の角に来るまでクスノキを遠く見て歩いた。
道の記
少しひさしぶりの緑道は、ずいぶん背の高いアキノノゲシが花をいっぱい咲かせていた。
以前ここに来たときは古い木造の小さな建物があって、その向こうに大きな木がいたはずだったが、建物はなくがらんとしていて、木は切り株になっていた。木に近づくと、クスノキだった。ひこばえが出ていたようだがそれも伐られていた。少しだけ葉が残っていた。まわりは舗装のないがらんとした駐車場。切り株の横にはいろいろな草が生えていた。ホトケノザの葉も出ていた。
コスモスは今年は種まきができなかったそうだ。コスモス畑になるはずだった敷地の隅で、ヨメナが明るく咲いていた。
どこかの道ではホトケノザが咲いているのを見た。ああここでは咲いているのかと思った。今季初めて見る花。しかしもうどこだったかが思い出せない。
道の記
出先の町のバス停でむかし知っていた人に横顔がとてもよく似た人を見かけた。その知っていたほうの人はこどもの頃この町に住んでいたと聞いていた。いまこの町に住んでいるとは思えないので別の人だろう。でも、むかしのあのころに一気に戻った気がした。
2019年10月21日
2019年10月18日
道の記
以前ホウキギクが出ていて今年はねこじゃらしが出ていた丁字路の角。ねこじゃらしの穂が2つになっていたのを先日見た。まだ出来たばかりの穂も1つ見えていた。そのねこじゃらしが、無くなっていた。その角に緑は無くなった。
すみれがいなくなったプランターの縁に、小さな靴が片方、置いてあった。
弾き語りの方のギターの音が向こうの大きなけやきの色づき始めた樹冠とあいまって秋の景色だった。ベビーカーのこどもさんを連れた若い方々が少し離れた所から拍手を送っていた。
2019年10月17日
道の記
以前立ち寄ったうどん屋さんが取り壊し工事のさなかだった。
この道もしばらく通らないだろう、と思いながら、以前モウコタンポポを見た遊歩道に入った。モウコタンポポは少し咲いていた。いつものように手を振った。
キツネノマゴの公園は、キツネノマゴでいっぱいだった。おかげで少し元気をもらえた。すでにここまでにかなり歩いたが、もう少し歩ける気がした。
とても高いワシントンパームだった。だいぶむかし1度立ち寄った公園。この公園で何か大きな木を見たことがあるような気がしていたのだった。夕方になっていたが、こどもたちと親御さんたちが連休最後の日を惜しむように遊んでいた。
ラベル:
うどん屋,
キツネノマゴ,
モウコタンポポ,
ワシントンパーム,
街中公園のキツネノマゴ
道の記
サクラタデという名前は知っていたが、こんなに桜だとは思っていなかった。
山が見えるほうの大くすのきの林だった場所は、片側は事業所の建物の工事が終わりに近づいていた。ボタンクサギが出ていた場所は塀が建っていた。塀にスリットがあり、そのスリットの所は地面があるようだった。砂利が見えていた。
山の呼び声は聞こえなかった。
交差点の角では鶏頭が1株、赤く咲いていた。彼岸花は花を終えた茎がしんと立っていた。
お家の前の道端のカンナは葉が出ていた。カンナを育てているのかどうかはわからなくなってしまったが、葉はあおあおとして元気そうだった。
田んぼを望む道端のコスモスはなくなっていた。田んぼは半分ほどがコスモスの葉でいっぱいになっていた。残る半分では刈られた稲が次の穂を実らせていた。
2019年10月16日
道の記
メガルカヤが今年も出ていた。少し離れてメリケンカルカヤが、ここでは少しおとなしく生えていた。
裏通りの感じがある小さな道の街路樹のふもとで、ヒナギキョウが咲いていた。ああ、いまも咲いているのだと思った。
満月のようだ。歩くほどにしだいに高くなってきた。
その月に後ろから照らされながら、公園へ繋がる橋の上でハーモニカを吹く方。童謡に続いて、むかし流行した演歌。月夜はまだまだこれからだ。
道の記
治療を受けている大銀杏が先日の新聞記事に登場した。新聞にはひこばえを育てているとだけ書いてあったが、いくつかの手法が使われている。いまどんなだろうと、通りすがりに様子を見た。高い所に残されている本体の枝に、ぎんなんが生っていた。
三叉路の脇に小さな草地がある。この時期キツネノマゴがときどき出ている。今年も咲いていた。場所一帯はコツブキンエノコロがたくさん出ていて、そのところどころに他の草がいる感じになっていた。エノキグサも、クワクサもいた。ツユクサも小さく咲いていた。
2019年10月9日
道の記
エノキグサがひさしぶりの街の道で迎えてくれた。
古いお家が建っていた場所が、ほぼ更地になっていた。敷地内はまだ取り壊し工事が続いているようで、外の煉瓦塀が残っていた。この煉瓦塀だけが残される可能性もあるのかもしれないが、ここに何か新しく建つなら大きなマンションだ。煉瓦塀は時の流れを従えてしずかに居残っていた。
閉店した飲食店の階段手前には、スゲの仲間らしき葉が少し出ていた。しばし見ていたが種類が分からず、歩き出すと、すぐ近くにヒメクグが小さく生えて穂をつけていた。
水際で白鳥が何か地面あたりをつついて食べていた。こどもたちが寄っている。白鳥はこどもたちからえさをもらっているようだが、近づきすぎると首をしゃっと突き出して攻撃していた。えさをくれるなら攻撃しなければいいのに、と思ったが、何か別の考え方なのだろう。さらにこどもたちがやってきた。
商店街の中の空き店舗が取り壊されていろいろな花が植えられたり草が生えたりしていた小さな緑の場所があったのだが、砂利が敷かれて駐車場みたいになっていた。敷地の向こうに、大通りのベンチに掛けて何か食べているようすの方々が見えていた。
道の記
ビルの谷間のヨウシュヤマゴボウはだいぶ実が熟してきたようだった。
大きな道路の交差点の監視カメラの上に、カラスがとまっていた。交差点の車を見下ろしていた。
いつもと違う道で帰ろうと思っていたが、そちらへ行く信号が2つ続けて直前で赤になり、これはいつもの道に何かあるのかと思って、いつもの道に戻った。
ヒロハホウキギクやアキノノゲシの空き地に土砂が入れられていた。草は少しだけ土からのぞいていた。
しばらく使われていなかった、民芸酒場風の空き店舗が取り壊されている途中だった。敷地の端のほうにたしかイノコヅチなどの草が茂っていたのだった。夜なので重機がそのまま置いてあり、壊れかけの建物が瓦礫になりながら半分残っていた。草の姿は見えなかった。
道の記
交差点の大きなナンキンハゼに、忍草がたくさんついているのに気がついた。年季が入ってきたな、と声を掛けた。
お家の道路に面した入口に、コメヒシバらしき草が穂を立てて並んでいた。このお家はきっといいお家だ、と、常識的ではなさそうなことを思いながら歩いていると、そのお家の敷地角のブロック塀の隙間から、大きく育ったイノコヅチが伸び出していた。
ラベル:
イノコヅチ,
コメヒシバ,
ナンキンハゼ,
交差点のナンキンハゼ
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