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現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)

2016年9月29日

道の記


まちなかの公園にキツネノマゴが咲いていた。しゃがんで見ていると鳩が来た。私の顔を覗き込むので、餌はないよと断った。少し残念そうだった。キツネノマゴの葉に落ちる雨音は、消え入るようにかすかな、白っぽい音だった。


別の公園では、メヒシバやタチスズメノヒエが茂る中に種類がわからないひざ丈ぐらいの草が数多く生えていた。花が雨で閉じている。その閉じた花の1つに、ヤマトシジミ(蝶)がとまっていた。よく見るとあちこちでその同じ種類の花に同じようにヤマトシジミがとまって、雨の中じっとしていた。


別の草にはバッタがしがみついていた。

2016年9月27日

思うこと(テレビを見て)


朝のテレビで、賑わってないまちを訪ねてそのまちの魅力を見つけるみたいなコーナーをちらっと見た。商店街の昔からのお店で、レポーターの若者が陳列品のこども用自転車が色褪せていると言ったきり言葉をなくしたり、置物のビクター犬に向かってウェルカムムードぜんぜん出してないとか言っていた。

ビクター犬の首には、どなたかの手仕事に見える、バラの絵とWelcomeの文字とお店の名前が描かれた小さなボードが掛かっていた。ウェルカムムードがなんとかという話は、そのボードが目に入ってのことだったろう。

自転車もビクター犬も、長い時間そこにい続けてきたのだろう。それだからこそ色褪せてくたびれて見えたのだろう。西日を浴びたり、雨や土埃を浴びたりしながらそこにい続け、だれかを待ち続けているのだったかもしれない。

まちかどのものものは、いったんそこに設置されたときから、作った人設置した人があずかり知らない時間を生き始める。誰かに見られ知られてその人の世界を生き、誰が見なくともそれ自身から広がる1つの世界を抱えている。そこにい続けるものにはその世界を朽ちながら堪えながら生きてきた歴史がある。


こういう語り口とは違う書き方話し方がいつかできるようになりたい。

2016年9月26日

道の記


川の向こうからキンモクセイの香りが漂ってきた。橋の上から見渡したが、どこからかわからなかった。もうそんな季節になったのか。


新しい大きな道路に囲まれた古い町で、路地とも言えなさそうなほどの小道にタツナミソウが並んでいた。これからその道を呼ぶときはタツナミソウの小径。


福岡のこのあたりでは、辻の神様はほとんどが猿田彦さま。今日歩いた道の猿田彦さまの前に、目立たない感じの花が供えてあった。野辺の花を供える、だろうかと思って立ち止まって見たら、アレチハナガサの花の穂が1本、瓶に活けてあった。ほんとうに野辺の花。暑い日差しの下で心あたたかくなった。


ビルの谷間の小さな公園で日差しに並び咲く彼岸花を見ていたら、どこからかラーメンの香りが漂ってきた。

道の記


草も苔も生えていない民家の石垣の手前にぽつんとひとつだけ、アゼナの仲間のように見える小さな草が花を咲かせていた。


町内一斉清掃の時期にあわせて庭木の剪定をされるお家がけっこうある。実がついた椿の枝がごみ集積所に積んであった。別の通りではきのうきょう伐られたように見える柿の枝にやはり実がいくつもなっていた。


あちこちの塀の下できのうきょう草を抜いたと見える土の荒れ方をしていた。どこかでは草を燃す匂いもしていた。


いまこのまちなかで生き継いでいる草は、長年にわたる3月と9月の町内清掃のサイクルを生き延びてきているものと思う。でもこの時期が自分のライフサイクルの中で重要な時期に当たるような種類の草は、長年のうちになくなったかもしれない。そのようにしてこのまちで見られなくなった草もあるのかも。

※ 定期的な草刈りによって、その時点まで旺盛に茂っていた草に圧されていた草がのびのび育つようになる、という面もある。それは書いておかないと。
(ただそれは、「いいわるい両面がある」という話に落ち着くものではなかろうと思う)


一度倒れたと見える土手のセンダンの切り株から、ひこばえが伸びてたくさんの葉が茂っていた。これからもう一度伸びていこうとする木の力と、それを見守ろうというどなたかの思いが感じられた。


2016年9月22日

道の記


町内一斉清掃のシーズン。秋咲きの在来形状タンポポ(最近モウコタンポポと呼ばれている種類と思う)が自生している場所を訪ねたら、やはり刈られていた。ちぎれた花茎がいくつか散らばっていて、なかには花を開いているものもあった。草刈り機の刃にかからず残ったつぼみが、次の花を用意していた。

その場所では、いつかの春だったと思うがやはりタンポポの花の時期に、Love Earthと印刷されたごみ袋が山のように並んでいたことがあった。刈られた草がいっぱいに詰め込んであった。

草刈りはいまに始まったことではなく、これまでも同様の時期に同程度の頻度でなされてきていることだろう。タンポポもその草刈りペースのなかでこれまで生き続けてきていることと思う。なのでことさら心配はしていない。ただ、ラブアースのごみ袋を見たときは少しばかり思うところもあった。

道の記


そのハクモクレンが実をつけているのをまだ見たことがなかった。コブシのように赤くふくれるようにしていた。葉に当たる雨の音は少し深みある音だった。

2016年9月21日

道の記(五ヶ山・小川内)


五ケ山ダムの湖底予定地の木のことをときどき考える。4月に見た桜やその横のもみじと大きな広葉樹。そのまわりはすでに広々としていて、たぶんその木々は残されたのだろうと思う。民家の庭木だったのか寺社だったのか。いまどうしているだろう。

4月の見学時にはその近くでシロバナタンポポやいろんな草花が咲いていた。10月から試験湛水が始まると聞いているが、10月のいつからかは細かく知らない。その前に、道からあらためて一帯の様子を見たいと思っているが、行けるかどうか。

道の記


しばらく前にオヒシバが生えていて刈られた、その前にセイヨウタンポポが生えていた電柱のふもと、なにかの葉が生えていた。イネ科のような葉と、なんともわからない小さな葉。秋がこれからしばらく続くあいだ、(また)伸びてくることだろう。

思うこと(テレビを見て)


そういえば先日、地元テレビの環境特集みたいな番組で大木(巨樹)が好きな方が出演されていて、私も知っている大きな木が何か所か取り上げられていた。保存樹の話につなげられていて、環境番組らしいまとめ方だった。

いまの時点で樹齢が100年何百年千何百年の木は手厚く保護されたり見守られたりすることも多かろうと思う。いっぽうで身近な木々がけっこうな大木も含めて伐られていくのを幾度も見てきた。草を見ているときに幼木を見つけることも多いのだが、その木々が草と同じに刈られていくのもたびたび見る。

いまから100年後に、樹齢100年の木、150年の木が、このまちにどのくらい残っているだろう。

道の記


カリンではないかと思うのだが、最近までお家があったように見える空地の隅で、たくさんの実をつけていた。その下で、ムクゲの花がその木を守るようにかその木から守られるようにかして咲いていた。


小雨の中を歩いていたら、エノキグサがまとまって生えていた。ああこのあたりはエノキグサ天国だな、と思いながら歩いていたら、その先がキツネノマゴ天国、そしてイヌコウジュ天国だった。

イヌコウジュ天国は以前から知っていたのだが、一昨年だったか徹底的に刈り尽くされてそれからふた秋ほどまったく出ていなかった。今年も出ていないかなと思いながら通ったのだった。花を見ることができて喜んでいる。

2016年9月17日

道の記


春の終わりにナガミヒナゲシレポートを書いていた頃ナガミヒナゲシを見た土手が重機で崩されていた。崩していたのが以前お世話になった方だったので、あいさつをして通った。


通りから木々が茂った中庭のようなところが見えるお家のその中庭から、つくつくぼうしの鳴き声がたくさん聞こえてきた。ほかではもう聞かない。以前もこのくらいの時期につくつくぼうしが1か所に集まって鳴いていたのを聞いた。


最後のひと鳴きまでは夏


ずぶぬれになって草を見た。今年もツルボが咲いていた。公園への移植後にふつうに草刈りされることが続いて、1か所では出なくなってしまった。もう1か所のほうで咲いていた。咲き始めたばかりのようで、まだつぼみだけの小さな穂がまわりにいくつか控えていた。

2016年9月15日

道の記


この木は何だったのだろう、また芽を出すだろうか、と思いながら、たまに通る道のお店の脇の小さな切り株を見ていたのだが、この春に芽が出た。クスノキだった。おお生きてたか、と思った。先頃その道を通ったら、腰ほどの高さまで枝を伸ばして茂っていた。時間を取り返そうとしているかのようだった。


駐車場端のアレチノギクは今年も枯れていた。今年は道端の草にはとりわけ厳しい夏だったと思う。


自分の文章力のなさもあるとは思うが、どの木どの草のことを書いても同じような文面になってしまう。でも無理して書き分けることなく、しばらく書き連ねていきたい。

2016年9月12日

道の記


今年はコミカンソウをあちこちでたくさん見かける。これまでもこんなにたくさん出ていたかなあと思いながら見ている。この仲間の見分けがいまひとつ自信がなかったので、帰化植物図鑑などの記述を頭に入れて(でも忘れる)歩く先々で見ている。


病院の小さな植え込みがブラジルコミカンソウでいっぱいだった。さすがに植えておられるわけではないのだろうけれど、生えてきたものを残して育てておられるような感じには見えた。コミカンソウもだけれど葉の並びが整って見えて、空き地ならぬ空き植え込みの緑にちょうどよかったのかもしれない。


古くからの町のとても小さな公園の隅で、オオニシキソウが1本だけ茎を立てていた。いま思うと、草取りを1本だけ生き延びたような様子だった。実が熟しつつあるように見えた。お母さんと小さなこどもさんが公園を通り道にしてそのそばを抜けていった。

2016年9月10日

思うこと(旅ノートから)


旅ノートを読み返すと、帰りの列車の車窓から見える山肌のゴルフコースの芝生を、それも「自然」だと思うようになった、と書いていた。旅先で見た畑の景色が人の営為で作られていて、そのなりゆきを含めて「自然(なこと)」なのだと思った、そのことの反映なのだろう。

そのことから連想して思い出したのだが、だいぶ前に集中豪雨があって、そのあと家から見える山脈がところどころ山崩れで削られているのを見た母が、山が痛がっていると言ったことがある。そのことをいま少し考えている。

怪我をしたのが何のせいだろうと、それを「自然(ななりゆき)」と考えるのであろうと、痛いのは痛い。

そして、人の営為や社会的な経緯まで含めて「自然(なこと)」と捉えるなら、削れた山を見て「痛い」と感じることは少なくともそうしたことよりもっと「自然(なこと)」に思える。

というより、山が痛がっているというのは「ほんとう」なのではと思う。

それを「そのようにその人が感じた」ことだとして、あれやこれやの知識や理論で説明し、別の事柄に変換し、ときに抹消しようとしたりすることがあるとしても、その感じが起きた事実は揺るがない。そしてその事実が指し示しているのは山が痛がっていたその痛さ。

その「感じ」を、いやそれは違いますと言って是正を求めることができるのは、山それ自身だろうし、そのほかにはいなさそうに思う。

(山が痛がっている、だからどうしよう、こうしよう、という問題はその先のことだと思う。いや痛がったりしませんよ、と言って諭すのも同様に「その先のこと」でしかない)

(痛さがあるときに、それが「誰の」痛さかを見極めたり決定したりする作業がなされる、ということについて考える)

思うこと(旅ノートから)


20年前の旅で夕張に行った。廃校を転用した宿の窓から炭住が見えていた。高い所に上がりたくて歩いていた道で、近くのおばあさんや炭住にお住まいの元坑夫さんと出会って立ち話をした。いつまでもその方々が暮らしていける夕張であってほしい、と、そのときの旅ノートに書いていた。

その後10年ぐらい経ってからだろうか、たまたま父がスポーツの大会で夕張に行くことがあり、帰ってきてからそのときの街の様子を尋ねた。炭住は見なかったと聞いた。調べたらどうもなくなった様子だった。父は炭住に住んでいたので、そのときに炭住がまだあったなら、懐かしく見たことだろう。

この前書いた花巻や渋民や美馬牛や、いろんな場所のことをときどき思い出す。夕張も。そこからの照り返しでいまの暮らしを振り返り見ていたりもする。

2016年9月9日

思うこと(渋民マップ)


いつも目にしている冊子類の山積みの中から、十数年前にいただいた渋民の啄木マップが出てきた。渋民公園の売店でいろいろお話を聞かせてくださったお店の方が送ってくださったもの。これを持ってまた渋民を歩いてくださいとお手紙に書かれてあった。雪の岩手山の写真が載っている。

呼ばれているのだろうか。

2016年9月7日

道の記


たまに行く公共施設にチャンチンの木が植えてあって、春は若葉がきれいだった。警備員の方と話をしながら見たのを覚えている。この前見たらキノコが出ていて、調子がよくなさげだった。今日は切り株になっていた。

ひこばえを出そうとしているにちがいない。

思うこと(旅ノートから)


20年前の今日、美馬牛から美瑛へと歩いた。丘のあいだを巡り、広い道や細い道をてくてく歩いた。哲学の木を見たのもこのときだった。そのときのノートに、畑の中なので近くまでは行けなかったと書いてある。


やはり北海道のことだけれど、なにげなく見た道沿いの木に何か惹かれてちょっと立ち止まった。観光地図には載っていない目立つところのない木だったが、もしかしたら自分はこの木を探していたのかもしれない、と、ちらっと思った。ここにまた来ることがあるかなと思いながら立ち去ったような覚えがある。


あの頃、私は写真をあまり撮らなかった。その木も、撮ろうかとかなり考えたのだけれど、けっきょく撮らなかった。大事に感じたものは撮らない、というか撮れなかったりした。いまでは場所も立ち姿もおぼろげにしか覚えていないけれど、元気にしてるかな、と、その木のことをときどき思い出す。

2016年9月5日

道の記


街角の駐車場の隅にアケビが生えていた(植えてあったのだろう)のだけれど、久しぶりに通ったら隅々まで舗装されていた。最後に花を見たのがいつだっただろう。