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現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)

2017年4月30日

道の記


道端の縁石下に1株だけいた在来イヌノフグリは、吹き流されてきたたくさんの桜蕊に埋もれていた。

2017年4月29日

道の記


道端でナガミヒナゲシと他の種類の草が同居しているのを見かけたら根元を見てみるシリーズその2。舗装の隙間でアメリカフウロ、スズメノカタビラ、ノミノツヅリ、オッタチカタバミと同居。前3者とは根元同士の間隔が目測2センチ、オッタチとは1センチ未満のほぼ密着状態。

同居しているのは頻繁に見る。根元観察をするかどうかは状況しだい。

花壇の縁石の下でホトケノザと一緒にいるのも見かけた。間隔は1センチ弱。

道端では枯れかかったホトケノザを見ることが多くなってきた。去年の秋や今年の早春に元気よく茎を伸ばしていた姿を思い出すと、いまの黄色く横になびいて弓なりになっている景色が切ないけれど、最後の最後まで、しっかりと生きている。

ナガミヒナゲシも下のほうの葉が退色したり枯れたりしているのを見るようになった。草々のからだを春が駆け足で通り越していく。

2017年4月24日

道の記(続き)


別の道端で、1つの隙間からナガミヒナゲシ、ヘラオオバコ、オランダミミナグサ、スズメノカタビラ、ツメクサ、タチイヌノフグリ、ヒメコバンソウ、オッタチカタバミ、イヌコハコベが一緒に出ていた。道端の花束。

コンクリートの割れ目やアスファルトとコンクリートとの隙間は、根元の様子を見るのによいと思った。

道の記


道端のわずかなコンクリートの隙間から、ナガミヒナゲシとノゲシが一緒に出ていた。根元を見てみると1センチの間もなくぴったりくっつき合って伸び出ている。ナガミヒナゲシは花が散った直後、ノゲシは蕾を付けていた。

2017年4月23日

道の記


毎年(毎シーズン)イヌノフグリの記録を取っている場所が数か所あり、そのうちの1か所に今シーズンまだ行けてなかったので、行ってきた。例年数10株は出てくるのだけれど、どうも最近草刈りが入った様子で、7株だけ見つけられた。

残っていた茎に実が鈴生りになっていて、たぶん今シーズンの種子はこれまでにしっかり作れていることと思う。2月や3月に草刈りが入るよりはよかったとも思う。それでも、いまの時期は枯れる前に最後のがんばりをしている時期で、刈られなければもう少し子孫を残せただろう。


唐実桜の場所も行ってみた。やはり近くには寄れず、年輪が部分的にしか読めなかったが、30年前後ではないかと思う。以前近くに別の唐実桜が生えていたが、その木はだいぶ若かった。ひょっとしてその木の親なのではなかろうかと思う。

2017年4月22日

道の記


ごみ袋に草を詰め込んで表に置いてあるお家の正面道際に、トウバナがひとやま並んでいた。これから取られるのか、それとも残されているのか、そろそろと花の穂が出始めていた。

トウバナはどこにでも生えている、と書いてあったのを何で読んだかよく覚えていない。街中を歩いていてトウバナがいたら、私はちょっと幸せがある。この前は今年初めて花を見つけて喜んだ。いるところにはいるのだけれど、どこにでもはいない。このまちではトウバナはそういう草である。

チチコグサやスズメノヤリも場所によってはたくさんいるけれど、概して言うとトウバナと同じくらいの頻度でしか見かけない感じ。ヒメウズはそれよりも見かけることが少ない。コナスビは見つけたらけっこう嬉しくなる。


線路際の唐実桜が伐られた。今年これまでに何度か訪ねて、花も見た。香りが高くて、あたりが春の兆しに満ちていた。そんな何事も起きていなかったかのように、線路際の一帯ががらんとなっていた。桜の場所を見ると、切り株がみずみずしくしていた。

抜根の工事が行われる日までは桜はそこにいる。ひょっとしたら、抜根された後も、そこにいるのかもしれない。

2017年4月20日

道の記


柳絮(柳の綿毛)が舞っているところに行き合わせた。あたり一面というか四方八方というか白い綿毛がふわふわと漂っていて、道行く人も気付いて綿毛を目で追ったり柳を見上げたり虫を払うように手を振ったりしていた。

柳絮が舞っているのは以前別の場所で見たことがあるが、そのときはこんなにたくさんではなかった。漂い流れるたくさんの綿は、ひとつひとつそれぞれに何か思うところあるかのように漂い、流れていた。そんなそれぞれのたくさんの綿々で、その場所の空気が埋め尽くされていた。

いや、的確に書けないけれど、あの景色は柳がものを思う物思いそのものだったようにも思う。

2017年4月16日

道の記(五ヶ山・小川内)


五ヶ山・小川内に行ってきた。山腹のあちこちに山桜が咲いていた。古くから言われていたとおり。

東小河内の桜もやはり山桜のようだ。すでに満開を過ぎていた。昨年はほんとうにたまたま満開のときに巡りあえたということなのだろう。

ダムの水位が少し上がって、こぶしは樹冠の上のほうだけが水面上に出ている状態だった。葉が出てきて、昨年見たときのように緑と白の色合いになっていた。今日はよく晴れて光が鮮やかで、双眼鏡で細かく見ることができた。こぶしでまちがいないと思う。

前回こぶしを見たときはショックが大きく、見ていてとてもつらかった。しかし今日は明るい光に囲まれて、こぶしも桜ものどかに咲いているようにさえ見えた。

花木が咲いているのを見ると、歌っているように感じることがある。今日のこぶしは、歌っているようだった。沈んでいくことなど関係ないかのように。

水没予定の一帯のところどころに、白や紅の花木が見えた。東小河内の山桜のとなりに白い花の木があった。その木もなにかの桜のようだった。離れたところには、ハナズオウのような色合いの花が見えた。小川内の杉の元の場所の奥手にも山桜の花が見えた。山里の春景色だった。

もう人がいず、家も建物も耕地もなく、ダムの水がすぐそこに迫ってきているのであっても。

桜は先週のどこかで満開だったことだろう。佐賀大橋の上り車線から、東小河内の上を走る県道から、桜に気付いた人がいたことだろう。今日も、車を停めて谷間を見下ろす人が何人も見えた。桜が見えていただろうし、こぶしに気付いた人もいたのではないかと思う。

その人たちが桜をこぶしを見たなら、それは、たまたま花の時に巡りあったから、ではないのだと思う。

2017年4月15日

道の記


中庭の大桜の2世、昨年は数輪咲いたのだったが、今年は花(ほとんどが軸だけになっていた)を数えたら百数十あった。花の盛りに来れなかったのが残念だけれど、この桜には来年がある。


十数年続けて見てきた街角の桜、なんとか今年も花に間に合った。区画整理のときに残された木で、以前は更地のまんなかで静かだった。今日は桜吹雪の下でこどもたちが飛び回ったり、ベンチに掛けて降る花々に囲まれたりしていた。

むかし桜の下でお話をした方々はお見かけしなくなった。年々、知らない街へと変わってきた。桜も大枝を落とされて以前の姿から変わったけれど、かわりに小枝をたくさん出して変わらず頑張っている。


地元の方々の声で残された桜、今年も無事に咲いた。しばらく見上げて、おつかれさまと声を掛けて後ずさりしながらその場を離れようとしたら、風が来て、花がいっせいに吹き付けた。


天神のチャンチン(3代目)も、一時は心配したけれど、新芽をそこそこ出していた。長居できなかったのですばやく写真を撮った。初代、2代目のような映える姿になるにはもうしばらく掛かりそう。身体を壊さずに育っていってほしい。

2017年4月14日

道の記


ポプラはひこばえが芽吹いていた。ちいさな葉がしっかりとポプラの葉の形をしていた。桜のちぎれ根からも新芽が伸び出ていた。

幹がなくなっても木々のいのちが続いていく。

2017年4月13日

道の記(五ヶ山備考)


五ケ山ダムに沈みながら咲いている白い花の木、昨年の写真で見ると川の中州ではなく岸のように見える。岸は耕地だったようにも見え、植えられていた木かもしれない。であれば白木蓮かもしれない。ただ、花の時期を考えると、やはりこぶしだろうとは思う。

昨年の杉移動の日は、桜が満開で、こぶしの木は白と緑に見えていた。こぶしはまだ水没してしまってはいないだろうと思う。桜はそろそろ見頃を迎えるのではなかろうか。


五ケ山ダムの試験湛水と関係があるのかないのかわからないが、南畑ダムの水位が下がっている。対岸近くの水面に木の梢が見えていて、その位置が、水没した「垂乳根の大銀杏」のあった場所に近く、その大銀杏なのだろうかと考えている。

ただ、垂乳根の大銀杏は高さ37.5mと記録されている。対岸からの距離を考えるとそこまで高い木ではないように見え、よくわからない。もしこのあとさらに水位が下がるなら、いくらか見当がついてくるかもしれない。

その、いま現れ出ている木の梢も、空に向かって枝を伸ばしていたように見える。

※ のちに「垂乳根の大銀杏」はこの日見た木とは別の木だとわかる。https://michinohata.blogspot.jp/2017/06/blog-post_21.html

2017年4月12日

道の記


今年はその梅が咲いているときにそこを通らなかった。青い実をたくさんつけていた。


バス停そばの車止めの間際に、すみれが2株並んで、花を咲かせていた。人に踏まれそうで踏まれないぎりぎりの位置で、しかしやっぱり踏まれそうでもあった。たぶんこれまで、踏みそうになってあわてて避けた人が何人もいたのだろう。


別の場所の道端では、チューリップとすみれとヒメツルソバが並んで咲いていた。

2017年4月10日

道の記(五ヶ山・小川内)


五ヶ山・小川内に行ってきた。去年の4月9日に小川内の杉の斜面移動が行われてからちょうど1年。ちょうど1年だからというのもあるけれど、対岸の東小河内の桜を見たいと思っていて、1週間前に続いて出向いた。

先に小川内の杉のことを。このところは大きな変化がないような気がする。そのうち、以前の写真と見比べてみようと思っている。

東小河内の桜は咲いているように見えなかったが、双眼鏡ではちらほらと白い点が見えた。ただそれも咲いているのかつぼみがふくらんでいるのかわからない。いずれにしても、去年の9日に見た見事な花景色は少し先に思えた。それでも今週のうちには満開になるだろうか。

桜を見ようとして目に飛び込んできたのが、桜の下、試験湛水中のダム湖面から樹冠の上半分ほどが出て咲いている、こぶしの花だった。小川内の杉の元の場所の近く、川の中州にある木々のうちの1本で、たしかに去年も咲いているのを見た。

肉眼では何の花かよくわからず、双眼鏡もかんたんな物なので細かく見えない。双眼鏡では花弁がやや厚ぼったく見え、白木蓮みたいにも見えるけれど、川の中州だった場所なので白木蓮ではなくこぶしだろうと思う。

樹冠の下半分までダムの水に浸かりながら、こぶしはあざやかに咲いていた。隣り合う中州の木々もなかば沈みつつ常緑の緑を水面上に見せていた。近くに、細かな木切れとともに、白い花弁がぽつぽつとゆるやかに並んで浮かんでいるのが見えた。

その景色のことをそれ以上どう言ったらいいか私はわからない。

なぜこうしたことをツイッターに書くのかもわからなくなってきた。

2017年4月9日

道の記


今季初めてナガミヒナゲシの花を見た。ナガミヒナゲシの花を見たというお電話もいただいた。


先日書いた、ナガミヒナゲシとホトケノザが薬で枯らされた場所を通った。ホトケノザがすっかり茶色になって、それでも仏の座の形をとどめて小さく宙にそびえていた。


死んだ蝿は天を仰ぎ手を合わせている、という話のことを思い出している。


私の手元というか枕元に置いている本の中に『草木成仏の思想』という本がある。いま読み返すつもりはないけれど、ひととき手に取りたくなった。

2017年4月5日

道の記


まだ今年はナガミヒナゲシの花を見ていないが、きのう通った道では、立ち並ぶナガミヒナゲシのつぼみがいまにも咲き出しそうになっていた。いまはきっと咲いていることだろう。


いちど書いたような気もするけれど、イヌノフグリは花の盛りを過ぎた様子。場所によっては少し傷み始めている。

今年は、ふだんからよく見ている場所のイヌノフグリはどこも数が少なく、株も小さめのことが多かったが、場所によってはむしろ例年よりたくさん出ていたり、ちょっと違う場所で元気に生えているのを見つけたりもした。

しだいに、咲く花が小さくなっていくことと思う。引き続き見ていきたい。

2017年4月1日

道の記(五ヶ山・小川内)


五ヶ山・小川内に行ってきた。水位はまたいくらか上がっていた。旧小川内小学校の対岸の木々が完全に水没して見えなくなっていた。

東小河内の桜はまだ咲いていなかった。今日見た様子だと、水が上がってくる前に咲くだろう。隣のもみじが芽吹いているようで、ほんのり赤く色付いていた。

桜やもみじの場所は神社の境内だったのだと思うが、その神社の移転先を見つけて訪ねてみた。ちょうど、地元の方々が近くにお出でになっていて、神社を案内していただき、昔のお話も聞かせてくださった。

移転先の神社の境内には、あまり大きくない桜やもみじの木があった。いま思うと、樹種を元の神社と同じに揃えてあるのかもしれない。春の草の花々が境内をほがらかに彩っていた。

小川内の杉は、木々そのものに大きな変化はないように見える。周囲は来るたびに少しずつどこかが変わっている。

ダムの試験湛水では直線的に貯水量を増やしていくのか途中で水を減らしたりするのか知らないが、直線的であれば、いま見えている木々が水に浸かるのはあまり遠い日のことではないだろうと思う。いまは、見えている景色を精一杯受け止めたい。