道ゆく先々での、木々草々花々などさまざまの出会いとその後を、一筆箋に綴るつもりで。
From the Wayside: about my acquaintances of trees, flowers, weeds and others (written in Japanese)
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2017年4月16日
道の記(五ヶ山・小川内)
五ヶ山・小川内に行ってきた。山腹のあちこちに山桜が咲いていた。古くから言われていたとおり。
東小河内の桜もやはり山桜のようだ。すでに満開を過ぎていた。昨年はほんとうにたまたま満開のときに巡りあえたということなのだろう。
ダムの水位が少し上がって、こぶしは樹冠の上のほうだけが水面上に出ている状態だった。葉が出てきて、昨年見たときのように緑と白の色合いになっていた。今日はよく晴れて光が鮮やかで、双眼鏡で細かく見ることができた。こぶしでまちがいないと思う。
前回こぶしを見たときはショックが大きく、見ていてとてもつらかった。しかし今日は明るい光に囲まれて、こぶしも桜ものどかに咲いているようにさえ見えた。
花木が咲いているのを見ると、歌っているように感じることがある。今日のこぶしは、歌っているようだった。沈んでいくことなど関係ないかのように。
水没予定の一帯のところどころに、白や紅の花木が見えた。東小河内の山桜のとなりに白い花の木があった。その木もなにかの桜のようだった。離れたところには、ハナズオウのような色合いの花が見えた。小川内の杉の元の場所の奥手にも山桜の花が見えた。山里の春景色だった。
もう人がいず、家も建物も耕地もなく、ダムの水がすぐそこに迫ってきているのであっても。
桜は先週のどこかで満開だったことだろう。佐賀大橋の上り車線から、東小河内の上を走る県道から、桜に気付いた人がいたことだろう。今日も、車を停めて谷間を見下ろす人が何人も見えた。桜が見えていただろうし、こぶしに気付いた人もいたのではないかと思う。
その人たちが桜をこぶしを見たなら、それは、たまたま花の時に巡りあったから、ではないのだと思う。