道ゆく先々での、木々草々花々などさまざまの出会いとその後を、一筆箋に綴るつもりで。
From the Wayside: about my acquaintances of trees, flowers, weeds and others (written in Japanese)
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※ 現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)
2016年10月27日
2016年10月26日
道の記
去年は軒下で何かもろこしの仲間のような草を育てておられるお家があったが、今年はジュズダマをひと株育てておられるお家があった。じゃらじゃら実っていた。
排水溝からジュズダマが伸び出ていた場所は道路工事ですっかり様子が変わった。この前に通ったときは道の対岸にひと株だけジュズダマが残っていた。なかなか大きく育っていた。そこに暮らしていたたくさんのジュズダマの影が、そのひと株の向こうに見えていた気がする。
その道では以前、どういういきさつでかそこで出会ったご年配の方と立ち話になり、隣の公園の桜はむかしある方が植えられた木だと伺った。更地になる前にその桜を植えた方の御子息と連絡がとれ、桜の伐採前に花を見ていただくことができた、とお話しになっていた。
ああ。その道沿いにいろいろな木が植えてあるお家があったのだが、解体されて、更地になった土地からいろいろな木や草の芽が出ていたのだった。たぶんそれを写真に撮っていたときに声を掛けられたのだと思う。その出ている芽を指してこれは何々これは何々とお話しした覚えがある。
そういう立ち話をたくさんさせていただき、いろんなお話を聞かせていただいた。その思い出が、あちこちの道端、あちこちの木や草にある。
五ヶ山・小川内の桜のこと
『筑前国続風土記』巻之六に、五ヶ山各所のことが書かれているのを知った。大野・東小河内・西小河内(小川内:「西小河内」という表記は筑前の側からの表記だろうか)には桜が多いという話が書いてある。
いまは杉林が山を広く覆っているが、ところどころに山桜が咲いているのを見かける。小川内の杉が移設された場所の近くにも山桜の木が何本か生えている。東小河内の桜はそうした昔からの山の桜の子孫だろうか。
しばらく前に、少し関心があって『風土記』(の現代語訳)を少し読んだところだった。『筑前国続風土記』は時代がぜんぜん違うが、こうしたものを読むと、いまの土地のありさまやあり方について考えさせられる。
※ 大野は「櫻有」だった。網取にも桜が多いと書いてある。
2016年10月24日
2016年10月22日
思うこと(マスコット・守り神)
少し前にたまたま見ていたテレビで、沖縄のどこか道際の塀からパパイヤが出てきて実がなっているという話題が取り上げられていた。近くの方が、見ていて拝みたくなるとおっしゃっていた。その言葉を聞いて、自分が思ってきたことが自分で腑に落ちた気がした。
まちなかの植物を見始める少し前、私は「マスコット(守り神)」的なものに関心を持っていた。暮らしのそばにそうしたマスコット的な存在の何かがいて(何かをそのように思って)、人は日々そうした存在と(あまり意識しないままに)関わりを持って暮らしているのでは、ということを考えていた。
別に顕著なご加護があるのでなくとも、人とは違う何か(しかし「ただのモノ」ではない何か)を身近に見出だしたり思いなしたりして、そうしたものものとの関わりを持ちながら暮らしている、そういうことへの関心があった。研究テーマになるかなと考えたこともある。
まちの植物をことさらそうした関心から見るようになったわけではないけれど、しばらく経って振り返ったとき、自分はまちの植物をある意味「マスコット」のように思いながら見ていた気がした。道端から道を行く人々を見守っているのではないとしても、そこに鎮座して日々の道行きに隣り合う「誰か」。
道の辺のパパイヤを拝む、と聞いて、そんなふうに考えたり思ったり感じたりしてきたことごとがさっと一列に並んだように思った。
東小河内の桜に花が咲いているのを見て、思わず手を合わせた。そうせずにいられなかった。
調べたら、桜の場所はやはり神社の境内だった。神社はどうも近くに移転しているらしく、おそらく地元の方々がお世話を続けていらっしゃることと思う。その行き帰りに桜もきっと見えていることだろう。
2016年10月17日
道の記
市街中心近く、初めて通る細道の細い犬走りにいろいろな幼木が生えていた。けっこう丈が伸びていて、生えてきたのを育てているように見えた。塀の中からはイチジクが枝を伸ばして実をみのらせていた。
毎年クリスマスにまちなかのある辛夷の木の写真を撮っている。近くに派手なツリー形イルミネーションがあって名物になっているのだが、辛夷の木のほうも街灯に照らされてほのかに輝いている。花がぱらぱらしか咲かない。きょう近くまで来たので見てみたら、粒のような小さな実がいくつかみのっていた。
ある公園がクリスマスイルミネーションを始めたとき、クリスマスはほのかな明かりを灯せばいい、と旧アカウントで書いた覚えがある。ぎらぎらしてにぎにぎしいクリスマスよりほのかに照らされるおだやかなクリスマスのほうがクリスマスらしく感じる。
公園の中の島から、宵の明星が見えた。湖面に明るい星が映っていて、それに気付いて木陰を出て空を見たら、金星だった。ああ宵の空にやってきていたのか、と思った。そのすぐ近くにアンタレスが見えていた。いて座の星々もかすかに。ここでは夏は終わっていなかった。
2016年10月15日
道の記(五ヶ山・小川内)
五ケ山ダム水没予定地の桜(やはり山桜だと思う)、さらに開花が進んでいた。遠目でしか見られないため何分咲きとも言えないけれど、樹冠全体が華やいでいる。双眼鏡では(花かつぼみか見分けられないが)たくさんの白い点が枝いっぱいに。
不時咲きでも満開になることがあるのだろうか。
秋にも咲く品種の桜なのだろうかとも考えている。十月桜は知っているけれど、春も秋も花がまばらな印象があり、違うように思う。秋から冬にかけて咲く品種がけっこういろいろあるようで、近くで花を見られたなら見分けができるのかもしれないが。
ともあれ花であるには違いない。
小川内の杉がもともといた場所の近くで別の木の移植作業(に見えた)が進められていた。以前、アカガシを移植するという工事予告が出ていたので、そのアカガシではなかろうか。
桑の河内の(新しい)お堂の横の大いちょうは1か所だけがあざやかに色付いていた。まだ調べていないけれど、このいちょうもたぶん、お堂と同じく現在地に移されてきたのだと思う。
五ケ山・小川内の杉の所へ行く途中に、南畑ダムに沈んだ集落、道十里の碑がある。「垂乳根の大銀杏」という木があったそうで、ウェブなどでその名を見る。いまもダム湖に沈んだままらしい。以前、地元の方からだいたいの場所を教わって行ってみたが、何のよすがもなかった。湖面が静かに広がっていた。
※ 後日、湖面に出ている枯れた大きな木が「垂乳根の大銀杏」だとわかった。https://michinohata.blogspot.jp/2017/06/blog-post_21.html
2016年10月13日
道の記(防災植物に思う)
どういう流れか忘れたが、公園の植物を採っていけないのだとなると、草笛もできないのか、ヨモギなど摘んで食べてもいけないのか…などと今朝ぼんやり考えていた。どうもちょうどその時間ごろにテレビで防災植物?の話をしていたらしい。
しばらく前に歩道でぎんなんを拾っていた方がおられたのを思い出した。私がそこに差し掛かる前にほかの通行人の方から何か言われていて、そのためか私が差し掛かったときにはちょっと御機嫌がよろしくなさげだったので、黙って通り過ぎた。しかし私も冷たい視線を向けていたと思われたなら残念。
きょうひさびさにツイート検索ができていて、防災植物の件もちょっと見てみたが、その結果にいろいろ思う前に、竹西寛子さんの「早蕨」という随筆を思い出した。むかし毎年春に、東京の家の近くの野原でツクシやヨメナなどを摘んでいて、そこでいろいろな人たちと出会ったという話。
また、多田智満子さんの「木の実をひろう」も思い出した。木の実を拾うとき人は大地を拝んで木々の恵みをいただいているのだ、と。農耕でなく(そして購入するのでもなく)、採集していただくことの心が書かれていたように覚えている。
2016年10月12日
2016年10月9日
道の記(五ヶ山・小川内)
まもなく試験湛水が始まると聞いている、五ケ山ダム水没予定地の桜(写真中央)。今日見てきた。携帯写真ではよくわからないけれど、咲いていた。
前に書いたことがあるけれど、旧東小河内の桜やその隣の木々は、何かわけがあって残されているのだろうと思う。寺社や民家の木で土地の人たちが伐らないでおいてほしいと要望したなどの経緯があったのでは。その残してくれた人たちを、桜が花を咲かせて待っているような気がする。
カメラで撮った写真はもうちょっとだけ写りがはっきりしている。載せ方がまだわからないができれば載せたい。
こちらは小川内の杉。水没予定地からもっと高い場所に移設された。いまはおだやかに養生している様子。
双眼鏡だと花が見えるので、一眼レフに望遠レンズ(と言うのか正しく知らない)だとはっきり写せるのではないかと思う。できれば花が見られるうちに再訪したいけれど、いつまで咲いているだろう。
手持ちの地図にはほぼその位置に「大山神社」の記載がある。いくつかのウェブページに神社のことが書かれていて、木々はおそらく境内の樹木だったのではと思う。
4月の満開のときもそうだったけれど、桜はいまこのときを咲いていた。水に沈む前にもう一度咲いたとも思えるし、いや何度でも咲くつもりだとも思う。見てほしいかもしれないし、静かに咲いていたいかもしれない。そうしたいろいろ思われる意味意味の向こうで、桜はいまこのときを咲いていた。
(この項、10月9日から10月12日にかけてツイッターに投稿したものをまとめました)
2016年10月8日
2016年10月5日
道の記
少し前に書いた、ある施設の切り株になったチャンチン、そばの植え込みの中に幹が横たえられていた。根元近くから折れていて、伐られたのではなく倒れた様子だった。根元近くは雨水を吸ったのか樹皮が湿っているように見えた。
台風がチェジュ島を直撃したと聞いて、チェジュに行ったのも秋だったと思い出した。9月だったかと思う。野菊が咲いていた。まだ草の種類をそんなに知らなかった頃だった。
2016年10月3日
2016年10月2日
道の記
ときどき夜に歩いて通るある道から、山の裾野に一軒の大きな建物の明かりが見える。高層マンションではないかと思う。暗がりの中にそこだけぽつんとたくさんの細かな明かりが並んで見えていて、そこを遠く眺めているとなぜだか胸に来るものがある。
夜、ほかにだれも歩いていない、横を車が次々飛ばしていく道をとぼとぼ歩いていると、ときどき自分が情けなくなる。そんなふうに道を歩いていて、いまは使われていない施設の前庭の茂みからユッカが花をあたま一つだけ高く差し上げているのが見えた。真っ暗な中で白い明かりのようだった。
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