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現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)

2020年6月3日

道の記


オオキンケイギクが生えている所は私の行動範囲の中では1か所しか知らない。以前はもう1か所、1株だけ、歩道の脇に出ていた。しばらく前に駆除されたようで姿が無くなった。どうなっているかその場所に立ち寄ってみた。ノゲシとコメツブツメクサがその位置を占めていた。


メリケンカルカヤが取り払われた後、その茂みの中にいたオランダミミナグサが倒れ込んでいたのだった。そのオランダミミナグサが、背丈をずいぶん低くして残っていた。生きているのかどうかは確かめなかった。


小さな神社の角の石の向こうからオニタビラコの花茎が伸び出ていた。なぜか気に留まって、顔を寄せて見た。蜘蛛の糸が絡んでいた。


公園の階段を下りるところだったか、たくさん咲いているサツキの下に、ドクダミの花が一輪いた。


路地の中ほどでしゃがんで何かをご覧になっている様子の方を見かけた。私がそちらのほうへ歩いているとお立ち去りになった。猫だったのかなと思っていたがわからなかった。のぞいておられたあたりに、マリーゴールドの花が並んでいた。


2020年6月1日

道の記


自動販売機裏の柿の木が小さな実を付けていた。


三叉路のベニバナトチノキに花の穂の跡が残っていた。実があるかまでは見えなかった。そのベニバナトチノキが見えるか見えないかくらいの位置の道端で、小さなハハコグサが黄色い花を街灯に差し出していた。


大きな芭蕉の葉が、少し離れた所から見えていた。近くまで来るととても大きい。大きいなあと思いながら立ち止まってしばし見ていた。後ろをどなたかがすーっと通り過ぎていった。


何か白い花が垣根一面に咲いている。香りが立っている。名札でもないだろうかとぐるりと回ったら、札があった。駐車場の契約社名だった。


道の記


イヌビワの植木鉢のお店の跡地で、オオアレチノギクとヒメムカシヨモギがどちらも出ていたので、見比べた。むかし取り違えて覚えてしまったようで、いまもときどき要所要所を見ていないとどちらがどちらか忘れてしまう。そうしたこちらの都合と関係なく、オオアレチノギクとヒメムカシヨモギは隣り合って、どちらがどちらとつかないくらいに似て、立ち並んでいた。


道の記


2つ信号のオニタビラコのそばに、ねこじゃらしの穂が見えた。


スーパーマーケット跡地では、街路樹の植え枡に生えていた草が抜かれて置かれていた。カモジグサやセイタカハハコグサや、オオアレチノギクだろうと思うまだ茎葉だけの草。跡地に生えているセイタカハハコグサやヒエガエリはそのままのよう。跡地の端で、ペラペラヨメナが地を這うようにして咲いていた。


クサギのトンネルの場所ではツワブキの葉がちぎられていた。ツワブキは植えられているのだとばかり思っていた。何かを収穫したその取り残しのように、街路樹のふもとに積まれていた。


2020年5月31日

道の記


先日自動車を避けて取り付いた角の草はムラサキカタバミしかわからなかった。


この前ここで南天の花を見た。きょうはモチノキの仲間らしき花が咲いていた。


2020年5月30日

道の記


裏通り。古くからのお家の前にタツナミソウが生えていた。お家の周囲にいろいろな草が生えている。残してあるような気がなんとなくした。いちばん端にハゼランが大きく育っていた。花はまだのようだった。


ひさしぶりに川の道を通る。カワヂシャがいる道。見回して、かろうじて数株出ているのを見つけた。もう花はなく、小さなからだに実をたくさんつけていた。


しだれざくらも陽光桜もちょっと調子がよくないようだった。どちらもひこばえを多く出していた。ひこばえを育ててくれたらと思う。


広い施設の跡地。側溝でエノキがふたたび育っていた。工事は夏から始まる予定だと書いてある。敷地の中ではたくさんのチガヤの穂が夕暮れの風に揺れていた。


道の記


猫に餌をやらないでと書いてあったその少し先で猫たちがものうげに待機していた。


どこかの道端で、たぶん1株だと思うけれど、すみれがたくさん葉を茂らせていて、こんなに茂るものなのかと驚いた。あまりに驚いたためか、場所をまったく覚えていない。


以前は小さな町工場のような建物があったが、しゃれたレストランみたいな建物に変わっていた。犬走りが造ってあって、アオイゴケのような草が一面に生えていた。グラウンドカバーの草なのかもしれない。その中からオッタチカタバミがちらっと見えた。


公園の道にたんぽぽの花が落ちていた。おそらくあのたんぽぽだろうと思って花をそこへ持っていった。花がちぎられた跡が残っていた。


2020年5月29日

道の記


スーパーマーケット跡地はヒエガエリがたくさん出てきた。よく見ると、アキノノゲシも葉を広げている。いまの時点ではヒロハホウキギクか他の草かわからないけれどそのような草も伸びつつあった。


いつもとは一筋違う道に入る。診療所の前に差し掛かる。閉鎖されているようだ。入口の植え込みに、オッタチカタバミやキキョウソウが立ち並んでいた。何かを検知しようとするアンテナのように見えた。


以前、街灯の下で見たノゲシはやはりどこだったかわからない。その道に沿ってところどころにいるノゲシを見て行く。ある所ではノゲシはコマツヨイグサの花に囲まれて街灯に照らされていた。ある所では照らされずに建物の陰で、あちこちへ伸びたそうにしていた。


数年前にナガミヒナゲシがたくさん並んでいた狭い土の場所は、1株だけ大きく育ったナガミヒナゲシが見えた。ほかは暗くてわからなかった。


おぼえがき


道の記はそのときにメモするのではなくあとで思い出しながら書いているが、だんだん、見た草をあとから思い出すことが難しくなってきた。ひとつの場所で3種類を超えるともう思い出すのが難しい。ひとつの草を思い出してその草のことを書いていくだけなら引き続きやっていけそうな気がする。


2020年5月28日

道の記


この前は気づかなかったが、ねこじゃらしの穂が並んでいた。


広い駐車場に車がいない。契約車がまだないのだろうか。おとうさんとこどもさんが、各種のボードに乗って遊んでいた。その端でナギナタガヤがゆったり揺れていた。


長く感じる道だけれど、脇の草を見ながらだと長さを少し忘れる。チガヤが揺れる。ブタナがけっこう出ている。そうこうしていると、行く手に枇杷の実が落ちていた。


この歩道でいつかのとき、倒れたヒメジョオンを見たのだった。そのあたりの位置で、ヒメジョオンが高く伸びて、咲いていた。


道の記


壁のムラサキカタバミはこのまえ見たときよりさらに明るく日差しを受けていた。


車を避けて急いで取り付いた角に何か大きめの草がいた。種類はぱっと見ただけでわからなかった。その脇でムラサキカタバミが、このまえ別の場所で見た菜の花の脇のムラサキカタバミと同じように、花を1輪咲かせていた。


2020年5月27日

道の記


公園の縁の金網の向こう側に花が植えてある、そこをゆっくりと、お歳の方が歩いておられた。金網から出ている花を触っておいでのようにも見えた。


菜の花だろう。歩道のない道の路側帯の横から、実のさやを道に向かってたくさんかざしている。その小脇でムラサキカタバミが1つだけ花を咲かせていた。


土手の道に自転車の若い人が停まって、なにか携帯的なものを操作していた。その人の隣を通り過ぎ、その少し先で、あまり見た覚えがないとても小さな花を見つけた。しゃがんでよく見てみるとスイバのよう。こんなに小さくてもスイバは咲くのか、と感心して見ていると、自転車の人が隣を通り過ぎていった。


植え込みの陰で横倒しになっていたチャンチンがなくなっていた。撤去されたのだろう。プランター類が少しかしげたままになっていた。


2020年5月26日

道の記


ここも以前はいちょうが立ち並んでいたが、いまは路面になった。道の脇からシナダレスズメガヤが手を差し伸べるように穂を垂らしていた。


行きかけたお店への道をあきらめて別の道から戻る。公園で若い人たちがボール遊びをしている。公園の向かい側の駐車場の際で、ノゲシが夕日に照らされていた。


川の向こう側にユッカが咲いているのが見える。以前見た施設のユッカの花を思い出した。


さつきの花だけが見えた公園。草を見ればスズメノカタビラも穂を付けていて、よく見て歩くとコナスビも花を咲かせていた。


ノミノツヅリを見た建物の裏。ノミノツヅリはきのう見たときより色が褪せているように見えた。いろいろな草が生えていた場所は丈の高い草が切られて放置されていた。ハゼランやイヌムギが横になっていた。


線路脇は薬が撒かれたようだった。ナズナはナズナとわかるだけのかたちを残して枯れていた。


道の記


大くすのきの林だった場所はマンションの工事がかなり進んでいた。道の対岸を歩いた。以前見たと思ったくすのきの幼木はあのあと見つからない。幼木を見たと思った位置に、すみれの葉が茂っていた。


たしかここに何かの木の切り株があったと思っていた建物の隅が、舗装されていた。草の双葉らしきものが舗装面の所々から生えていた。


少し遠回りになるが公園の横を通る道を選んだ。チチコグサやヒメコバンソウがたくさん出ている。長い公園の端に近づくと、地面がなにか霞のようにぼおっと明るい。近づいて見てみた。ヌカススキの仲間の草が群生していた。


ハルジオンとヒメジョオンが同時に花を咲かせていたと覚えていた場所。ヒメジョオンだけが咲いていた。


ここの街路樹いちょうも切られたのだった。残っている切り株をしゃがんで見た。芽がないようだったが、よく見ると、切られたひこばえの脇に小さな緑色が見えた。そっと触れて立ち去った。


2020年5月22日

道の記


モウコタンポポが出ていた場所は他の園芸の草花が植えられていた。端のほうにたんぽぽのロゼットがいくらか見えた。

***

満開だったオニタビラコはいまも少し花をつけているようだった。開いてはいなかった。


道の記


昨年見た場所でキツネノマゴが出ていた。種子をこの場所に残していたのだ。


すみれのプランターだったガザニアのプランターにすみれが復活していた。小さな葉を土から立ち上げていた。葉は少し赤みを帯びているように見えた。これから緑になっていくのだろうか。


公園の木蓮はひこばえがだいぶ大きくなっていた。


風が渡る。柳と楓とくすのきの下に立って、葉のざわめきを聴く。柳がさらさらとした音、くすのきがもう少し芯のあるはらはらという音、楓はざらざらというリップル音が聞こえた。地上に目を戻すと、近くのベンチに掛けている方々が私のほうを見ていたらしく、ちょっと目を外された。


保育園の近くの公園。誰もいない。1株のサツキだけがみごとに咲いていた。


道の記


電柱のふもとのランタナはもう芽を出すことはないようだった。切り株は少し小さくなったようだった。


丁字路の角はヒエガエリが出ていた。斜めに穂を掲げている。そのそばにはヒメジョオンのように見える葉。茎を伸ばし始めたところのようだった。


道の記


桜の切り株はひこばえを数本伸ばして葉を茂らせていた。


立ち寄った公園の地面が白かった。近づいて見てみると、キヌゲチチコグサの綿毛。それがマンテマの茎や葉に絡み付いて、マンテマまで綿毛をまとった格好になっている。マンテマもたいへんそうだった。すぐとなりで、小さな丈でオオニワゼキショウが咲いていた。私のあとを歩いていた小さなこどもさんの御家族が公園に懐かしそうに入ってきた。


空き地の桜はふもとにナガミヒナゲシを従えて茂っていた。掲示には今年の夏に着工すると書いてあった。


売り地の桐の木は大きな葉を傘のように茂らせていた。売り地の看板の隣で、こちらもこの場所の看板のようだった。




道の記


角に見慣れない小さな花が見えて立ち止まった。しゃがんで見ると、アメリカフウロの花だった。全体が赤黒く枯れたようになっていて、葉はかたちがない。ただ花だけが咲いていた。この花にすべてを懸けて咲いているのだと思った。


工事フェンスの向こうのノゲシは私の背丈をはるかに超えていた。下のほうはもう葉が枯れ落ちて、高い所に花を付けていた。


建物裏手の道。いろいろな草がまとまって生えている。端の道沿いにノミノツヅリが小さく茂っていた。立ち止まってしゃがんで指先で少し触れる。そしてまた歩き出す。ふと、もし草を見ていなかったらいまごろ私はどうしていただろう、と思った。


草を見ていたからここまで生きて来れた気がする。


植え込みのイヌノフグリは思いのほか大きく育ったようで、長い茎に実をいっぱいつけて枯れていた。今季はここでは数が少なかったけれど、きっと来季はたくさん芽が出てくることだろう。おつかれさま、と声を掛けた。


2020年5月20日

道の記


道沿いのオオキンケイギクが雨に傾げていた。


きょうもいちょうのひこばえを見た。ひこばえを育てているその気持ちを思った。少し歩くとこんどは、切り株の上にパイロンコーンが乗せてあった。ひこばえがその脇に見えていた。


以前はヒメオドリコソウをこの壁で見かけた。でも雨が激しくなり靴に水が溜まって石も入って歩きづらく、草がなんだか目に入ってこなくなってきた。ムラサキカタバミが少ししおれた様子で、ヒメオドリコソウが出ていたのと同じような排水口から姿を見せていた。


イヌノフグリが出ている場所。今年はイヌノフグリはちらほらだった。ナガミヒナゲシがイヌノフグリと同じようにしてブロック塀の中途から伸び出ていた。この雨はどちらの草にとっても、きっといい雨だろう。


道の記


タンポポが雨に濡れて花を閉じてそれでも上を向いていた。


右の小さな道に入ってもよさそうだったが、信号がついたのでこのまま正面方向へ行くことにした。右の道から出てきた方はつっかけだった。そのつっかけが、何に引っ掛かったのか路面に取り残されて、その方があわてて立ち戻った。


令和になった日に富士山の初日を黒板に描いていたお店。黒板はお店の新型コロナ対策が描いてあった。


大雨の中をほうほうのていで歩く。だいぶ前に通った商店街の道。花屋さんの花が目に入るが、名前があたまに入ってこない。さいごに目に入ったサルビアだけ覚えられた気がする。


誰もいない公園。無人のベンチ。ベニバナトチノキが咲いていた。


いつかの夏に、葉を枯れ色にして立っていた公園の大きないちょう。雨の中であおあおと葉を茂らせていた。


(1話削除しました 2020年5月21日)

2020年5月18日

道の記


ホタルブクロが白くまちを彩っていた。


ビルの横の犬走りがいろいろな草の集会場になっていた。ハルジオンがやさしくたくさん咲いていた。


路地のバラも明るく咲いていた。


以前、この植え込みではたしか小さな木を囲っていた。木は見当たらず、オレンジ色の花がいちめんに植えられていた。


ヒメツルソバは道と建物とのあいだでわずかながら復活していた。


神社と緑地のあいだの細い道にさしかかる。マスクを外してみた。緑の香りがいっぱいだった。


踏まれそうな位置に出ている歩道のすみれも、もう暗くて花はわからなかったが、元気そうだった。


街路樹いちょうの切り株から出たひこばえ。植え込みの他の低木と丈を揃えて剪定されていた。これからは植え込みの木として暮らしていくのだろう。カットされてできた角がなにか新しい髪型のようだった。


道の記


公園のイヌノフグリは1株生きていた。わずかな茎で横向きの土に繋がっていた。


道の記


気が変わって別の方向へ歩くことにした。細い道を行く。以前通ったときこの道にはいろいろな草がいた。きょうも草に囲まれて行く。さいごに、枇杷の木がいくらか色づいた実をたくわえていた。


スーパーマーケット跡地の空き地では、ヒエガエリとセイタカハハコグサが多く出ていた。ナズナが枯れていた。春が遠ざかっていく。


クサギのトンネルの場所は、木の種類がよくわからないけれど白い花でいっぱいだった。クサギは若葉がしおれていたが、それ以前の葉がすでに大きく茂っていた。


接ぎ木の桜は花を少し残していた。ありがたかった。


道の記


ノゲシが出ていた閉店中のお店の前はコミカンソウの仲間のように見える草が出ていた。次のお店が何になるのかはまだわからない。ノゲシやコミカンソウの位置がどうなるのかもわからない感じを受けた。


2020年5月16日

道の記


神社の桜はみずみずしい緑。その下で、ヒメジョオンのように見える草がゆっくりと伸び始めていた。


神社の境内に立ち入った。くすのきの花がひさしぶりの青空にちらちらしている。境内の奥は踏み入る人も少ないらしく、たくさんの草が茂る。その草むらの少し脇で、クサイチゴが実をつけていた。


メリケンカルカヤの枯れた茎は1本だけ残っていた。以前メリケンカルカヤが茂っていたときにその中にいたオランダミミナグサは、支えを失ってなかば倒れながら残り続けていた。


見た覚えがあまりない草が、街路樹のふもとに少しまとまった感じで生えていた。写真を撮りたかったが車道の側で、次々にくるまが来る。目で収めた。


まちは少しずつ動きを取り戻そうとしているようだった。


今年は花のときに通らなかった、坂道の梅。若葉をたくさん茂らせていた。そのひとつ向こうで、柿の木がさらに大きな葉をいっぱい、空のほうまで茂らせていた。


道の記


むかし、草を見始めた頃に最初に写真を撮った場所。そのときもムラサキカタバミが咲いていた。きょうもムラサキカタバミは明るく照らされて咲いていた。

***

アパートの入口に、お住まいの方かお近くの方らしき方が腰を下ろしている。お食事をなさっている様子。少し離れた所で、猫がコンクリートの上に横にねそべって手足を伸ばしていた。


角のノボロギクは姿が無くなっていた。取り払われたのだろう。すぐそばのコンクリートとアスファルトの隙間にツメクサがいた。花はなく、カップの中に種子をたくさん用意していた。


ホトケノザの向こうでヒメオドリコソウが出ていた場所は、草が茶色に枯れて倒れていた。


お家の跡地の桜はあおあおと茂っていた。桜にとってはいまがいちばん羽を伸ばせるときかもしれない、と思った。


道の記


道端のイヌノフグリは姿がなくなっていた。頭を下げて立ち去った。


2020年5月8日

道の記


キャンパス跡地はこの前来たときには残っていた木々がさらに無くなっていた。松の木は残っていたが、その隣の桑の木は伐られていた。高かったポプラの木も無くされた。カイノキのあたりも完全に更地になって、そのまわりに伐採されて細かく伐られた木々が積まれていた。


ふと、門のすぐ向こうに、キョウチクトウらしき幼木が出ているのに気づいた。ホソムギの仲間のような草が並ぶ中、1本だけ。壊されていくキャンパスの中で、新しく生き始めた木。右と左の大きなクスノキが、夕方の青空にあざやかだった。


道の記


むかし歩いていた道。新しいマンションの犬走りにすみれの葉が見えた。以前この道で出会った方が、この道ですみれをごらんになったことをお話しになっていたのを思い出した。道は拡幅されて以前の道ではなくなったが、すみれがこうして生き延びている。すみれの姿にその方の姿が浮かんだ。


立ち寄った小公園のオオシマザクラはわずかに花を残していた。おとうさんとこどもさんがブランコで遊び、若い人たちが藤の下で語らっていた。


道の記


イヌノフグリが今年も出ていた。道の向こう側は草が取られたようで、イヌノフグリが出ていたかどうかわからない。こちら側では、日差しをまともに浴びながら、それでもまあまあ元気そうに、茎を伸ばして実を下げていた。


2020年4月30日

道の記


前に街灯に照らされたノゲシを見たのはやはりどこだったか定かに思い出せない。ここではなかったかと思う場所は、工事が始まっていた。ノゲシのような大きな草はもう生えていなかった。その先を歩くと、同じような景色の場所で、それぞれの場所の街灯に、いろいろなノゲシが照らされていた。


建物の脇の小さなくすのきの切り株は、動きがなかった。


先日夜桜を見た公園の桜も葉桜になっていた。この桜も数輪、花が残っていた。手を振って別れた。


陸橋をめずらしく人が降りてくる。おとうさんらしき方とこどもさん2人。年上に見えるこどもさんはすたすたと降りてきた。降りるのを遊んでいる様子。もう1人のこどもさんが上で慎重に動かずにいた。おとうさんが少し下で見守っている。私が昇っていくと、入れ替わりに降りていった。


隅の電柱のふもとにアレチノギクが出ていた駐車場は、マンションになっていた。アレチノギクが出ていたあたりは、オタフクらしき低木の植え込みになっていた。マンションの前を通り過ぎると道は暗かった。その先も駐車場だが、そこではアレチノギクを見たことはまだない。


そしてどこかの道端で、小さくこんもりとしたオランダミミナグサがやはり街灯に照らされているのを一瞬見た。ちらちらと美しかったが、そこもどこだったかもう思い出せない。


道の記


猫がやってきたけれど餌をやらないのでほどなく去っていった。去る前に私の脚にからだを寄せていった。


公園のトランぺッターは音を出すのにだいぶ苦労している様子だった。でも苦しい苦労ではなさそうだった。


接ぎ木の桜は花が思いのほか残っていた。しあわせが続いているみたいだった。


ひょっとしたらあの桜も、あの桜も、まだ少し花があるかもしれない。そう思って、帰り道を寄り道して桜を回った。桜はそれぞれに数輪を残していた。あいさつをしながら桜のあいだを歩いた。


くるみの木に花が咲いていた。


白木蓮や蝋梅が雑木林のように茂っていた角地が切り開かれていた。白木蓮が1本、つつじが1本、種類がわからない木が1本、残されてテープが幹に巻かれていた。


道の記


訪ねたイヌノフグリの場所ではイヌノフグリを見つけることがほとんどできなかった。ただ1か所、大きな木の根元にやや大きな株が生えていた。花は見当たらず、茎の下に実の房をいくつかつけていた。ここだけで生き繋いでいるのか。次は秋のうちに来てみないといけない。


道の記


藤棚の藤の花が刈り取られた報道を聞いたのだった。ここの藤棚では、たくさんの房が下がっていた。いまが盛りのよう。手入れなさっているらしき方が、建物の向こうへと回り込んで行った。


やはり藤棚がある高台のシロバナタンポポの場所は草刈りの後だった。シロバナタンポポらしきロゼットがぽつぽつと地面に残っていた。


目の前に、何か細々した花が咲いている木の枝が伸びていた。葉を見ると楡の仲間のようで、ムクノキかと思って振り返ってみたら、道の脇に大きく朽ちた木の幹が立っていた。掛けられた札にムクノキとあった。花を見ると小さな手のひらというか星のように、5つに開いている。花をよく見たいと触っていたら数個まとめて取れてしまった。しばらく花を見て、その花を枝に返した。明るい日差しのなかだった。


おおむね毎年訪ねていると思う、ひと気のない土の道沿いにいる山桜。花はないけれど春に来れてよかった。葉が空の光を通してあざやかだった。ぽつんぽつんと、実ができつつあった。


道の記


交差点のチャンチンは赤と緑がそれぞれ薄く交じり合ういちばん不思議な色合いの時だった。私がそこに着く前に若い方が木のほうを見ておられた。


ビルの谷間のヨウシュヤマゴボウは去年の茎葉が枯れたまま残っている。その向こうで大きな葉が低くみずみずしく茂り始めていた。


道を歩いているとおたがいに避け合うこともある。


坂道を降りたところの角のシロバナタンポポは咲いていた。


1株だけ出ていたイヌノフグリは枯れてわからなくなっていた。わからないことが申し訳なかった。イヌノフグリとおぼしい茎をひとつひとつ見た。しかしイヌノフグリだけが生えていたのでも枯れたのでもなかったのだった。


道の記


キャンパス跡地は建物もほとんどがなくなり、立ち木がところどころだけ残っていた。私が通っていた道沿いでは、松の木が1本残っていた。その脇に、あまり高くない桑の木がいた。花がたくさん咲いている。実ができるだろうか。


以前通ったとき、柵の向こう側のカンナの葉に触れた覚えがあった。カンナの葉にもういちど触れた。カンナは少し狭そうにしていたけれど、葉をまっすぐ上に立てていた。


移植されるはずだったカイノキが枯れたまま残されていた。


門のところのプランターは時を越えて残り続けていくようだった。何かの菊の仲間だったと思う葉も、幼木も、生きていた。


道の記


以前、ここの擁壁から何か出ていたのだったと思いながら差し掛かり、振り返ると、何かの幼木が大きく枝をこちらへ差し出していた。いちど折られたような様子だった。


川沿いを行くと小さな神社があった。その手前で1株、コスモスが咲いている。うれしくも不思議な気持ちになった。もう日がだいぶ傾いていた。コスモスも横から陽を受けていた。


その先では道の川の側にルピナスがぽつぽつ咲いていた。植えられたというより、以前植えられていたその子孫のように見えた。


モウコタンポポは1か所ではやはり今年も出ていなかった。もう1か所では綿毛をだいぶ放ったようだった。いまも作っている。


残された桜はあおあおと茂っていた。上のほうにちらほら花が残っている。よく見ると、歩道側に伸びた枝の下に、ちょうど頭の上になるあたりに、3輪、花が咲いていた。花が照らしてくれていると感じた。幹に触れた。きょうのあたたかさを蓄えていた。


その桜の下でお話しした方のお宅はもうない。空き地にいろいろな草がぱらぱらと茂っていた。手前で、ヒメジョオンが咲いていた。


ヒトツバタゴは花を咲かせていた。街灯に薄く花が照らされていた。白とは違う、少し紫を含んだ色合いで、暗い空に細かく咲いていた。ちょっとだけマスクを外した。香りはわからなかった。

道の記


お家の跡地は家ではなさそうな建造物が造られつつあった。隅のホトケノザたちは数を減らしていた。


横断歩道が中央分離帯を横切るところに以前ヒロハホウキギクなどの秋の草を見た。そこを急いで渡っていると、アキノノゲシを見つけた。緑で、つぼみがついている。この株はきっと冬を越えたのだろう。花がいつか見られるだろうか。


シロバナタンポポが出ている小さな場所に立ち寄った。シロバナタンポポは花が終わっていた。これから綿毛を開きそうな株がいた。近くですみれが大きな花を咲かせていた。


俯いて歩いていたら、目の前に桜の花びらがひらひら降りてきた。見上げると八重桜が立ち並んでいた。いまが満開のようだった。俯いて歩かないでいようと思った。


土手のシロバナタンポポは花が少し咲いていた。他の丈の高い草たちに囲まれながら、花の茎を高く伸ばしていた。


少し向こうの原っぱが一面むらさきに見える。何が咲いているのかここからではわからない。少し先へ行くと、セイヨウヒキヨモギの黄色の花が一面に咲いていた。


シロバナタンポポが出てくる小さな公園の入口で、ここでもアキノノゲシを見つけた。ひとつ、花が咲いたあとがあった。そっと触った。


2020年4月24日

道の記


神社の桜はひとつひとつの木にそれぞれ数輪ずつ、花が残っていた。短い時間、ありがたく眺めた。


とうとう立ち飲み酒屋さんもお休みになった。脇で、今年初めて見る気がするマメカミツレが茂っていた。すでに種子を作っている様子だった。


保育園のこどもたちが帰るところらしい。この角に以前、このあたりではそんなに見なかったオヒシバが出ていたのだった。いまはかわって、ツメクサが小さくぺたっと路面に這うようにして茂っていた。


道の記


道端のイヌノフグリは残った株がしっかり生きている。しゃがんで見ることが難しい位置に残っているが、花のような色も見えた。


道の記


以前セイヨウタンポポが出ていた電柱跡。現在はスズメノカタビラが居着いている。あまり大きく伸びないけれどいまも出ている。セイヨウタンポポのこどもらしき株がいたすぐ近くのブロック塀の下では、タチイヌノフグリが昨年も出ていたが、今年は加えてムシクサが出ている。どちらでもタンポポはもういないようだ。


道の記


公園の桜も椿も木蓮も、以前赤テープが巻かれていたけれど、無事のようだった。木蓮がいくらか花を残していた。


小さな切り株の木蓮は芽をいくつか出していた。何度目の再生かわからないけれど、しっかり、と、声を掛けた。


ひさしぶりに飛行機雲を見た気がする。西へ伸びていくところ。ちょうど低い山辺に夕日が降りていく。飛行機はほんのひととききらりと光って、そのまま飛行機雲を伸ばしていった。


工事のフェンスが一部透明になっていて、その向こうがとても狭そうなのだが、先日そこでノゲシが私の背丈近くに伸びているのを見た。きょうもノゲシはそこで街灯に照らされていた。


小公園のコブシはやはり咲いているのだった。あおあおとした葉の合間合間に、ここでも街灯に照らされて白い花が開いている。足元にはここでもウラジロチチコグサが、穂を長く立てていた。


道の記


桜の花が残っているのはやはりうれしい。お家の跡地の桜はもうしばらく咲いていてくれそうだ。


蝋梅のお家は駐車場になっていた。


小さな神社の境内入口にとても小さなナガミヒナゲシがぽつぽつと並んでいた。それぞれとても小さなつぼみをつけていた。


くすのきの公園に立ち寄った。小さな公園だけれどいつものように遊ぶ人でにぎわっていた。山桜だと思う桜はほぼ花を終えていた。若い人たちがボールでサッカーともバスケットボールともつかないゲームを楽しんでいた。


そこまでの道のどこかで何かのわけでチチコグサモドキを見たような覚えがあるが、なぜそのチチコグサモドキが目に留まったのか思い出せない。場所もわからない。


踏切を渡ろうとして脇のみどりに目が行った。くぬぎの幼木。近くの公園から誰かがどんぐりを持ち出して、ここに落としたのだろうか。そのそばでウラジロチチコグサが穂を長く伸ばしていた。


2020年4月17日

道の記


事業所の前のいちごが植えてある小さなプランターに、ハハコグサが出ていた。プランターの中でいちばん丈が高い。そのまわりを、ツメクサが囲んでいた。ツメクサはもう種子をたくわえているようだった。


道の記


昨秋はエノキグサが並んでいたブロック塀の道。いまはノボロギクが並んで、頭を垂れている。夕日はいまぐらいの時間ならまだ、ここに日差しを届けてくれるようだった。


線路際ではナズナが枯れていた。少し傾いていたけれどナズナの姿をしっかりとどめて立っていた。


小公園のこぶしはあおあおとしていたが、ところどころに白が見えた。いま花が残っているとは思わなかった。その手前でお母さんとこどもさんがふたりきりで遊んでいた。こぶしを見遣って、そのまま道を行った。


町はいつものように見えた。お店の1つ1つは閉じているところも多かったが、それでも人は行き交っていた。帰り道の人も多かったのだろう。


道の記


坂道の歩道にはマンテマが咲き並んでいた。ヒメコバンソウも穂を掲げて立っていた。


草が抜かれて路面に放置してあった。いちょうの切り株からひこばえがたくさん直立して林を作っていた。


枇杷の木がここにいたとは知らないでいた。上から見下ろす枝々に青い実が見えた。


ここの桜はたくさん花が残っている。ここでも梢のあたりはまだ花だけだ。空が薄く青かった。桜となじんでいるようだった。


池のほとりではイヌガラシの仲間の草が立ち並んでいた。桜の花びらがこちら岸へ流れ着いていた。湿地になっているだろうに、ハハコグサが1本、イヌガラシたちのなかに交じって立っていた。すっと立っていた。


道の記


お家の跡地の工事は日中だったが誰もいなかった。敷地の端にはホトケノザがいまも線状に残っていた。


角のノボロギクは枯れていた。綿毛を残したまま頭を垂らしていた。


お家の跡地の桜は花が多く残っていた。残っていてありがたかった。


今年一番に咲き始めたソメイヨシノはだいぶ葉桜になった。梢というか、上のほうの枝では花がいっぱい咲いていた。


枯れたメリケンカルカヤに囲まれたオランダミミナグサはあおあおしていた。他の場所ではオランダミミナグサは色褪せてきている。メリケンカルカヤがずっと守ってくれていたのかもしれない。


ヒメオドリコソウは色褪せていた。咲いているのかどうか道からではわからなかった。


小学校の桜もだいぶ葉桜になっていた。グラウンドの向こうからこどもたちのにぎやかな声が聞こえる。集まっているようだった。グラウンドのこちら側にあるブランコが誰もいないまま4つみんな揺れていた。


道の記


道端のイヌノフグリは残った株が花を咲かせていた。葉の色が薄くなっていたが、暑さのせいなのか、泥汚れなのかはわからなかった。


道の記


柿の木の駐車場がどの駐車場だったかわからなくなってしまった。少なくともここの駐車場には、奥に木が居る。若葉が出ていた。


マスクをして歩くと集中ができないのか、草木が目に入りづらい。この前の夜にノゲシを見た場所を通り過ぎたかもしれない。それでも歩いていくとたびたび、あのときのノゲシのようなノゲシを道端に見る。このノゲシも同じく生きているのだ。


この時間にこの道を通るのもこの方向へ通るのも初めてかもしれない。公園を突っ切って、ふと気がつくと夜桜だった。葉桜気味だけれど、夜桜。ありがとうと口にしていた。


排水溝のくすのきは無事。


桜の公園が廃止されて5年。残っていたならいまごろは落花さかんだろう。立ち止まって公園のあったあたりを眺めた。いまも桜が見える。夜桜だった。


道の記


中心街の公園は人影がまばら。草を見ていると鳩がやってきた。次々来る。たぶん餌をやる人が来ないのだろう。申し訳ないけれど、両手を広げて何もないのを見せる。続いてすずめがやってきた。


交差点のチャンチンは紅からほんのりと緑に色変わりしつつあるところだった。近年はまわりに人が多くて写真を撮るのも難しかったが、いくらか落ち着いて撮ることができた。


小学校跡は工事がさかんに進められていた。もう桜の位置を思い出すことが難しかった。


坂道のシロバナタンポポはこのごろまで咲いていた様子があった。曇っているためか、花を終えたのか、くしゃっと花を閉じていた。


2世桜は今年はぱらぱらと咲いている。まだつぼみもいくらか残していた。このつぼみが咲くのは見られないだろう。次に来るときには青葉の姿を見せてくれることだろう。


2020年4月10日

道の記


※ 当分のあいだ、数日〜十数日分をまとめて投稿しようと思います。最新の(いちばん上の)投稿でも少し前のことを載せている場合がありえます。


***

スーパーマーケット跡地はノボロギクやオランダミミナグサなど春の草が枯れていた。冬を越えた秋の草たちと並んで。この春になって気づいたヒロハホウキギクに少しだけ緑味が残っていた。手を触れて立ち去った。


クサギのトンネルもさまざまな若葉が。実を空へ差し上げていた株も新しい芽を吹いていた。


挿し木の桜も、残された桜も、この春を咲いていた。ところどころだけ、ビルのはざまから差す日に照らされて。


まだ新しい街路樹のふもとで、とても小さな丈で、菜の花が咲いていた。すぐそばの大通りは歩く人も走る車もたくさん行き交っていた。


道の記


すみれがたくさん咲いていた。声がするようだった。


2つ信号のオニタビラコはよく咲いていた。花がすこし穫られたようなあとがあった。


花壇の脇のイヌビワも、桜の下のイヌビワも、新しい葉を広げつつあった。


道の記


公園の十月桜は細かな葉をたくさん出していた。ソメイヨシノも咲きそろった。そして今年いちばん早く花を見せてくれたソメイヨシノは、幹のまわりで若葉を茂らせつつあった。


枯れたメリケンカルカヤの茂りのなかでオランダミミナグサがまっすぐに茎を立てていた。


桜並木は少しばかり人々が行き交っていた。ご親戚一同のように見えるこどもさんを含んだ一団の方々が、桜の1本1本で立ち止まっては枝に触れ、花を横に後ろに写真を撮っておられた。


線路際の工事現場は夜で静かになっていた。もう草の種類が見分けられないが、ナズナのいるあたりに少し疲れたような丈の高い草が見えていた。


閉じたお店はシャッターが新しくなっていた。正面にいたノゲシはなくなっていた。ノゲシが出ていたあたりは隙間があったが、そこにいまも根がいるのかどうかはわからなかった。


道の記


神社の桜は盛りを少し過ぎていた。マスクを外すとほのかに桜の花の香りがした。後ろを行く方々も私のことを放っておいてくれた。


角のノボロギクは少しやつれているように見えた。


満開だったオニタビラコは綿毛のほうが目立つようになっていた。


お家の跡に残されている桜が美しく咲いていた。マスクを外すとはっきりと、桜の香りがした。


道の記


道端のイヌノフグリはいちばん大きかった株が他の草とともに引き抜かれていた。少し時間が経っていたようだが、実が一房青かった。


道の記


わずかな時間の必要外出。路地のカタバミが陽を浴びていた。帰り道には別の場所でアカカタバミが陽を浴びていた。


2020年3月26日

道の記


お店の前のノゲシの位置に建材が置かれていたのを先日見たが、きょうは建材が無くなっていた。ノゲシは丈が低くなってしまったが、そこにいた。


こんなところからスギナが出ている、と、駐車場の角の舗装の割れ目に目が留まった。つくしも出たのだろうか。隣でアカカタバミが仲間のように茂っていた。


そして以前教えていただいたつくしが出てくる植え込みは、スギナが1本だけ見えた。


ユキヤナギとムラサキカタバミが出ているブロック塀。ムラサキカタバミの花は閉じていた。道の向こうは橙の雲。きれいだった。ブロック塀からヤブガラシの若い芽がひょんと伸び出ていた。


道の記


道端のイヌノフグリは枯れ始めていた。雨が降らないせいもあるだろうけれど、もう暑くなってきたのだ。様子を見続けようと思う。


2020年3月25日

道の記(この春)


私が草の世話をしている場所で、いろいろな方がやってきて声を掛けてくださった。こうしてお話しできるような日がこの春この先いつまで続くのか、それどころかまたもう一日あるのか、わからない。

でも、わからないことはわからない。ここでも桜がぽつぽつと咲き出した。こぶしが木いっぱいに咲いていた。



道の記


スーパーマーケット跡地の空き地は草が抜かれたような跡があちこちにあった。アキノノゲシは枯れていた。ヒロハホウキギクも枯れていた。綿毛がいくらか残っていた。枯れてからも綿毛を空へ差し出していた。


斜面のヒメウズはつぼみをつけていた。その下に別のヒメウズが花を咲かせていた。


イヌビワの植木鉢のお店跡地はオランダミミナグサやキュウリグサやノゲシやオオキバナカタバミなど、いろいろな草が出てきている。隣の駐車場は建物が建ちつつある。お店跡地のほうに先に何か建つと思っていたが、しばらくは草たちが息づく場所でいられそうだ。


道の記


お家の跡地は手が入り始めた。ホトケノザやフキが出ていた位置の土も取り崩されていた。敷地の端にホトケノザが咲いているのが見えた。


公園の桜はちらほら。どの木にも咲いている花が見える。いちばん初めに咲き出した木では、花が赤みを帯びていた。上のほうですずめらしき声がさかんにする。見上げたが鳥の姿は見えなかった。


ヒメオドリコソウが以前出ていて、去年はたしか見つけられなかった場所。今年もホトケノザは出ているがヒメオドリコソウは見当たらない。もう出てこないのかもしれない。そう思いながら目を動かすと、一段奥にヒメオドリコソウが小さく出ていた。


ノゲシが正面に出ているお店が工事中だった。ノゲシの位置に建材が置いてある。ノゲシがどうなっているかはわからなかった。


2020年3月24日

道の記


菜の花よりは大根の花のほうが多く咲いていた。遠くの土手の木々は冬姿だが、芽がたくさんあるのか、うっすらと紫色を帯びて見えた。土手の小径をときどき人が通って行く。日が傾いてきた空では、そちらのほうから筋雲が放射状に伸びていた。


河川敷の木はまだ芽吹いていない。ふもとにムラサキサギゴケがたくさん咲いていた。遠くから犬を連れた人がやってくるのが見えた。何かの大きな鳥が勢いよく、陸地のほうへと飛んで行った。


道の記


パン屋さんの前にトゲミノキツネノボタンがぴかぴか咲いて並んでいた。


古い煉瓦塀のお家の跡地では、敷地の中心近くに菜の花が1株出て咲いていた。ところどころホトケノザが放射状に広がって咲いていた。道際に、煉瓦の欠片が落ちていた。そっと触った。


事務所になった階段の建物。階段の昇り口にはオニタビラコのほかに数種類の草が出ていた。でもいま思い出そうとしても種類をはっきり思い出せない。


丘を立ち去るとき、どこかから桜の花の香りがした。どこだろうと香りのするほうをなんとなく探す。ほどなく、木立のなかに咲いているのを見つけた。山桜だった。


そして丘を降りると、植樹されたばかりに見える若い桜がそれぞれに咲いていた。


2020年3月23日

道の記


売り地の桐の木は葉を落としてそのままだった。芽が出ていた。


丁字路はチチコグサモドキがなくなっていた。根元の苔がめくれていて、おそらく抜かれたのだろう。隣のスズメノカタビラも抜かれかけた様子がある。苔をもとの隙間に埋めた。


ナガミヒナゲシは小さな花を咲かせていた。咲きそうにしていたつぼみはまだ開いていなかった。


コブシの小公園ではきょうはコブシの下で犬を連れた方が犬を遊ばせているようだった。遠くから、コブシの花が残っているのが見えた。


道の記


お家の跡地は土砂が均された。ホトケノザやフキは敷地の端に線状に残っていた。


公園の香りは十月桜の香りのようだ。ソメイヨシノはぽつぽつとだけ咲いている。


まだ咲いていない桜の下はスズメノヤリがたくさん出ていた。イチゴツナギの仲間の草も。後ろのほうではお母さんとこどもさんらしき方々が草を抜いていた。もういちどイチゴツナギを見て立ち去った。


歩いて行く御高齢の方と追い越し追い越されしながら桜の下を歩く。ちらほらと咲いているヤマザクラやオオシマザクラを見ているあいだにその方は道を越えてお家へ戻って行かれた。


振り返ると遠くで、さっきすれ違った方がそこにおられた方といっしょに、小さなこどもさんを抱きかかえて、さっき1つだけ咲いていたさくらの所で写真を撮っておられるご様子が見えた。


※ サクラの種名を訂正しました。2020年3月26日

2020年3月16日

道の記


ホウキギクが出ていた丁字路の角、1本ぽつんと伸びていたチチコグサモドキの横に、スズメノカタビラの穂が出てきていた。


建物の裏側で生け垣のようにいろいろな植物が植えてある場所。何桜かわからないけれど細い幹で何本も立ち、紅色の花が満開になっていた。若い方がひとり、スマートフォンらしき物を花に向けてじっと立ち止まっておられた。


教会入口の植え込みでクリスマスローズが、少しうつむき加減に咲いていた。


2020年3月15日

道の記


日の当たる道端にナズナが咲いて並んでいた。


歩いていてふと横を向くと、ここではノゲシが立ち並んでいた。駐車場の塀の際が花畑のようだった。


ナガミヒナゲシはつぼみを立ち上げていた。うっすらと橙色が見える。暖かい日が来るのを待っているだろう。


逆光の冬姿の高い木々のなか、1本の木にちらほらと小さなみどりが見えた。近くに寄ってみた。葉を見るとフウの木だった。まだ小さな葉。隣の柳もぽつぽつみどりが見える。この景色はいまだけだ。もういちど立ち止まって眺めた。空がほんとうにあおかった。


小公園のコブシは咲いていた。行きがけに見たときはまわりに誰もいなかった。花はすでに散り始めていて、砂場にいくつかの花びらが降りていた。帰りに通ったときは夜だった。コブシの下でお母さんとこどもさんが遊んでいた。


道の記


植え込みのイヌノフグリは今季も出ていた。数は少ない。どこか近くに仲間がたくさんいるのかもしれないが、そうであればここのイヌノフグリはその突端でいのちを継いでいるのだろう。イヌノフグリの小さな株が、植え込みの端から広い道路を見るみたいにして、少しだけ伸び出していた。



2020年3月12日

道の記


桜が咲いていると聞き、公園に立ち寄った。少し離れた所からすぐにわかった。数十輪咲いている。かなり古くからのように見える2本の木。いっぽうの木の、菌がとりついている枝にたくさんの花が咲き、それに呼応するように、隣のもういっぽうの木から伸びてきた枝に花が咲いている。

見ていて涙と元気と出てきた。こどもたちのにぎやかな声が背後でずっとしていた。


むかしながらのお店の脇のプランターの隣で、メリケンカルカヤが枯れて立っていた。秋を残しながら春が進んでいく。


道の記


ユキヤナギの枝がブロック塀から飛び出しているお家。先日夜に通ったときにユキヤナギが咲いていた。同じようにムラサキカタバミも飛び出ているが、そちらは花はあったけれど夜のためしぼんでいた。きょうはムラサキカタバミのほうも咲いていた。


やはり先日夜通ったときに、角の大きなケヤキが金星に向かってそびえて、その下の道端にノボロギクが同じような逆さ箒の形で生えているのを見た。ノボロギクとしてはけっこう大きく育っている。ここのノボロギクもきょうまた見た。葉を茂らせて花もたくさん咲かせていた。1株だけれど、ノボロギクの森みたいだった。


そしてこのまえ満開だったオニタビラコはきょうも満開だった。少し綿毛ができていた。


2020年3月8日

道の記


行く手に菜の花がいっぱい咲いている花壇が見える。その手前で、ノボロギクがやや傾きながら花を咲かせていた。


その少し先では、街路樹の下で、何本ものノボロギクが、だいたい同じ方向に傾げながら花を咲かせていた。


ヒメウズが、ここではいっぱい出ていた。ここも道端だけれど、ここのヒメウズはきっと無くならずに生き継いでいけるだろう。花が1つだけ咲いていた。


美容室だったか、その跡地が更地になっていたのだが、今度は深く掘り返されていた。その敷地内には緑は見えなかった。1枚、街路樹のクロガネモチのものらしき落ち葉が、隅に落ちていた。


小さな石橋のたもとにふと目が行った。スゲの仲間のような葉が出ていた。ここも人が多くて立ち止まれない。次にここを通るときに思い出すかどうかわからないけれど、このことを書いておこうと思った。


道の記


スーパーマーケット跡地の空き地はセイタカハハコグサらしき草が増えてきた。ノボロギク、それからたぶんイヌコハコベだと思う草も茂ってきた。ヒロハホウキギクはだいぶ綿毛が多くなったが、花も少し咲いている。そして枯れたと思っていた株も、低い位置で花を咲かせていた。アキノノゲシはつぼみが残っていたはずが綿毛になっていた。やはり低い位置で、つぼみが閉じたまま、中からはみ出ている花弁がしおれていた※。このまま綿毛になることがあるのかわからないが、つぼみも茎もつややかにしていた。

※ この状態は下部がふくれた花瓶のようなかたちをしているが、調べたところ、つぼみではなく花が咲いた後の状態(総苞が閉じている)らしい。これまでつぼみとこの状態を区別していたか自信がなくなった。過去の投稿でアキノノゲシの「つぼみ」と書いていたもののうちどのくらいかは、この花後のかたちだったように思う。わかる範囲で過去投稿に補注をつけることにする。


道の記


さっきカモジグサの穂を見かけたけれど今度はイヌムギの穂。寄って確かめた。後ろの、小さな自転車にまたがって止まっているこどもさんから見られている感じがした。


小さなエノキの切り株にいつもと違う様子が見えたので、立ち止まってしゃがんで見た。薬の注入穴に苔が生えてきたのか、緑色になっていた。切り株の脇にきのこが出ていた。その反対側の脇でフラサバソウが芽生えていた。


ロウバイの花が残っていた。花に自分の鼻を寄せて香りを嗅いだ。今季ロウバイの香りを嗅ぐのはこれが最後になるかもしれない。はっきりした香りだった。ロウバイの花は強い逆光に透き通っていた。春だと思った。


道の記


ああ、ここにはナズナがいたのか、と思った。市街地の大通りの道沿い。歩道が狭く人が多くて立ち止まれない。一目見て過ぎ去った。


この道はふだんは信号で止められたらそのときに対岸に渡ることにしているが、対岸の2つ信号のオニタビラコの様子を見ようと思って横の信号を待った。しかし対岸に渡らないでそのまま歩いたら歩いたで、見えるものがあるかもしれない。思い直して信号を渡らずに先へ歩いた。街路樹の根元の低いところで、あざやかな紫の花が咲いていた。ハナダイコンだった。


2つ信号のオニタビラコもやはり見たくて、けっきょくもとの信号に戻った。戻る途中、ナガミヒナゲシのロゼットや、ツメクサの葉を見た。2つ信号のオニタビラコは花をいっぱいつけていた。


水を飲もうと思ってひこばえくすのきの小公園に立ち寄った。こどもたちと親御さんでいっぱい。ベンチも物が置いてあり、親御さんから警戒の雰囲気を感じながら、立ったまま水を飲む。飲んでいるあいだ、くすのきを見た。1度切られた後、ひこばえが育てられている。だいぶ大きくなった。丈も大きいが幹も太くなった。その手前に、細い新しいひこばえが出ていた。明るい気持ちになって公園を後にした。坂の通りには日が差していた。


2020年3月7日

道の記


先日立ち寄った公園で今年初めてヒメウズの花を見たと思い、ここでもそのように書いたが、今年の過去投稿を読み返していてヒメウズが咲いているのを見たと書いていたのを見つけた。場所はそのときは忘れていたようだが、たしかあの道沿いだったと思い、その場所に寄ってみた。どこにもヒメウズは見当たらなかった。


大きな木々に囲まれたお屋敷の敷地を、歩道からのぞき込んでいる親御さんとこどもさん。「たしか1つ咲いていたと…」と親御さんがおっしゃっている。私もちょっと横目で見てみたが、どの木のことかわからなかった。親御さんと目が合っておたがい少し笑って会釈した。私だけ歩き出して、お屋敷の敷地の端で振り返ると、大きな梅の木の枝先に数輪、薄紅の花が咲いていた。


小公園のコブシは先日近くを通ったときには咲いていなかった。きょうも咲いていないようだ。公園に小さなこどもさんと親御さんがいらっしゃったが、きょうはコブシの様子を見に公園に入った。コブシはどうも花芽の枝を剪定されたらしく、花芽自体が数少なかった。そして開花はまだ先のようだった。公園を出るときにこどもさんと目が合った。少し笑顔で公園を出た。


お家の跡地はどこかから土砂が入れられた。ホトケノザやフキの出ているあたりは入れられた土砂の小山の裾野でそのままになっていた。ホトケノザがたくさん咲いていた。


このまえ梅の香りがした更地は掲示によるとそろそろ工事が始まる。奥のほうでオオキバナカタバミがちらほらと咲いている。オシロイバナのように見える大きな丈の草が色褪せながら立っている。ねぎのような葉も見えた。すぐ手前にすいせんのような葉が出ていた。葉に少し触れた。隣地の建物の際で、ホトケノザが合図をしているように花を放射状に掲げていた。


2020年3月2日

道の記


水路が埋められた歩道はスズメノカタビラがたくさん出ていた。キュウリグサのロゼットも。水路だった位置ではノゲシなどの草がまばらに出ていた。


その少し先で、ヒメムカシヨモギが傾げていた。茎や葉は緑で、他の場所で見る秋の草たちと同じく、冬を越したのだろう。花も綿毛もたくさんつけている。この春の景色がどう見えているだろう。


あそこの木蓮はどうだろう、いやさすがにまだ咲いていないだろうな、と思いながらそちらへと歩きかけて、昨年その木蓮が切られていたことを思い出した。そばのベンチに人が見えたので少し待って、あとから木蓮の様子を見に行った。木蓮の小さな切り株はスズメノカタビラに囲まれていた。動きはまだ見えなかった。


お家の塀を越えて唐実桜の枝が迫り出している。せっかくだからとここでもマスクを外して香りを嗅いだ。甘い香り。私がいくつかの場所で毎年見てきた唐実桜はみななくなってしまった。ここの唐実桜は遠い親戚だろうかと、よるべなく思った。満開の花が春の開始を告げていた。


道の記


こどもたちの歌声が聞こえてきた。電子オルガンのような音に合わせて、私が知らない童謡のような歌を大きく歌いあげている。春の声だと思った。


ナガミヒナゲシのロゼットが出ているな、と思いながら歩いていて、その先で今度は大きく育ったナガミヒナゲシがつぼみをつけているのを見つけた。まだ花の茎は伸びていず、つぼみは自分の細かな毛にうずまるようにして時を待っている様子だった。


ホウキギクの三叉路にはチチコグサモドキが1株出ていた。ひょろ長く伸びて、すでに花をつけていた。そばには丈の低い緑がぽつぽつ出ていたが、伸び上がっているのはチチコグサモドキだけだった。茎にそっと触れて、信号を渡った。


2020年2月29日

道の記


お店のシャッター前のノゲシは花が増えていた。


中心街交差点のこぶしが咲いていた。この一日二日くらいに咲き始めた感じで、いくつかの花がきれいに開き、たくさんのつぼみが開きかかっていた。雨の街はふだんより少ない人通りで、傘をさしていてもあまり気兼ねせずにこぶしを見ていられた。


チャンチンのひこばえが今年の新芽を出していた。すでに紅から白っぽく色変わりしていた。


振り返って道路脇のノボロギクを見たのを覚えているのだがなぜ振り返ったのか忘れてしまった。その先に見えていた色あざやかな花壇に目移りしたのが申し訳なかったのだったか。ノボロギクは雨に打たれてまっすぐ立っていた。


きょうはお休みらしい小さなお店。角に沈丁花の鉢植えが置いてある。香りを嗅ぎたいと思ってマスクを外して顔を寄せてみたが、香りはわからなかった。後ろをいささかけげんそうに若い方が通り過ぎていった。


2020年2月26日

道の記


魚を捕る簗が立てられている。その上の橋を行く。欄干の下にはすみれが並んで、ぽつぽつと咲いていた。


ヒナギキョウは枯れた花茎をたくさん立てていた。しゃがんでみると、茎の根元に小さな葉がびっしり茂っている。そして、つぼみを見つけた。


ひさしぶりの公園。ヒメオドリコソウ、ヒメウズ、ムラサキケマン、コナスビ、そしてノアザミの花。いずれも今年初めて花を見る。去年見たツワブキの花茎が、綿毛をところどころ残して斜面一面に立ち並んで夕日を浴びていた。知らない鳥のさえずりが聞こえていた。


道の記


カンヒザクラは満開になった。隣の建物が暗い色で、透き通った空とのあいだで明るく明るく咲いている。


道路を広い空き地の側に渡った。最近空き地になったのか、草が少ない。土留め代わりに残されているらしい低いブロック積みに沿って歩いていると、ブロックの向こう側にスノードロップが咲いていた。ちょうど隠れるようにして。


同じ空き地でトキワハゼが少し咲いていた。今年初めて花を見る。


その少し先の小さな空き地では今度はノースポールらしき花が一輪咲いていた。株も小さい。ここが空き地になる前のお家で育てていたのだろう、と思って歩き出すと、隣の区画の建物の前のプランターでノースポールが咲いていた。


道の記


外に出て、景色が強く見えることに驚いた。快晴。この光は冬の光だろうか、春が来たあかしだろうか。


2つ信号のオニタビラコは花が開きかかっていた。4株が計8つの花茎を立てていた。


エノキの切り株の脇にキュウリグサが出ているが、そのもうひとつ脇にムラサキカタバミの葉が出ていた。


空き地のヒロハホウキギクは花がだいぶ少なくなってきたけれど咲いている。この季節を、ふたたび来た秋として生きているのかもしれない。


2020年2月25日

道の記


人通りの多い小径を、小さな猫が渡って行った。あまりあせっているふうでもない。その猫が出てきた建物の隙間のところに、餌やりは迷惑ですという大きな立て札が立ててあった。


朽ちたチャンチンの木が安置してある植え込みを見てみた。さっきの猫にとてもよく似たおとなの猫が、横たえられているチャンチンの脇でゆっくりしていた。


濃い紫の葉だけれどオニタビラコの葉の形をしている。新しい葉は緑でオニタビラコだ。こういう色になって冬を越えたのか。オニタビラコの知らない姿を知った気がした。長い植え込みのその先へ歩くと、濃い紫の葉をしたアカカタバミらしきカタバミがいっぱい葉を茂らせていた。


工事現場のフェンス下ではイタドリが大きな葉を並べていた。少し先ではイヌビワの幼木がすっかり葉を落として、いくつかの実を残して日差しを浴びていた。芽もしっかり用意しているようだった。


道の記


オニタビラコが満開だった。そう書きたくなるくらい、1株でたくさんの花を咲かせていた。


この前に見た十月桜は引き続き咲いていた。開きかけているつぼみもあった。少し離れたベンチでお休みになっている御年配の方が、桜に近づく私をちらっと見ておられるのが横目に見えた。


オオキバナカタバミが出ていたアパートが無くなっていた。更地に重機のタイヤの跡がいちめん残っていた。


柿の木や唐実桜や梅の木がいた工事中の線路際はとても背の高いナズナが咲いていた。ノボロギクも大きい。そこが日陰になっているせいもあるだろう。少し歩くと、小さなナズナがぽつぽつと咲いていた。


歩いていて風になにかの綿毛が乗ってやってきた。私のブルゾンにまとわりつき、また風で離れていった。なんの綿毛だろう、と考えて、ここはシャッターの前にノゲシがいる閉じたお店の近くだと気づいた。この近くにほかに綿毛を作る草は思い当たらなかった。お店の前に行ってみると、ノゲシは咲いていた。綿毛が少し残っていた。


2020年2月19日

道の記


道路の再整備で街路樹のケヤキが植え替えられてしばらく経つ。しばらく経つけれどもケヤキは以前この街路の上に茂っていた大きなケヤキのようにはまだまだならない。冬姿のケヤキの下にさらに小さなケヤキらしき幼木が出ていた。実から生えてきたのだろうか、と思ってしゃがんで見ていると、そのそばにエノキグサがいた。エノキグサはもう他所では見なくなっている。冬を生き延びているのだ。エノキグサは数株いたが、どの株も小さく、新しい芽は無く、葉は緑を濃くして、こころなしか固くなっているように見えた。


Y字路の右のほうの道が狭くてしあわせそうだったが、行く方向のどのあたりに出るかわからず、左の大きな道を行った。工事中で道端には草もなかった。しばらく歩くと右のほうへ抜ける小径があった。ビルの脇で、立派なプランターにコニファーのような木が小さく立っていた。でももうすぐ信号だった。


その信号手前、工事詰所の脇に、私の腰くらいまで伸びている何かの木がいた。葉があるが種類がわからない。この丈になっているということは、見逃されてきたのだろう。信号が変わる。葉に触れて、そこを立ち去った。日差しがあたたかかった。


再整備された公園の再整備後にまだ行っていないと思い出し、公園に回った。木々が減らされ、がらんとしていた。残されたいくらかの木々のまわりは裸地で、そこに芝生を張ると告知が出ていた。地面にはオランダミミナグサやハコベや、スズメノカタビラだと思う小さな細い葉がところどころに出ていた。以前はそうした草たちが地面に茂っていたのだった。振り返っていまいる草をもういちど見て、公園を後にした。


2020年2月18日

道の記


カンヒザクラが咲いていた。咲くには咲いたものの、この急な冷え込みで咲きかけて止まっているようにも見えた。


古いお屋敷を無くして建てられた低層の高級マンションの外周に、クスノキが植えられていた。ひょっとして以前に敷地内にいた木なのだろうかと思った。クスノキはそこそこ高いけれどもそう太くはなく、まっすぐしていて、幹の中途に忍草が生えていた。クスノキのほかに、樫の木が外周を囲んでいる。そういえばお屋敷の外周も樫の木だった。


切られる予告が出ているイヌマキの木々。切られるというのが信じがたいほど太くそびえ立っている。同じく大きく育ったツバキが高い所で花を咲かせている。イヌマキもツバキも、私の手が届くあたりに枝を下ろしていた。イヌマキの葉に触れた。その感触にイヌマキの全身が籠っている気がした。


道の記


建物の脇の、切られてその切り株に薬の注入痕があった小さなエノキはそれから芽を出さない。そのエノキの切り株のそばに、キュウリグサが出てきた。とても狭い地面に切り株と並んで、切り株に緑のいのちを添えるようにしている。


スーパーマーケット跡地の空き地に細い葉で少し丈がある草がたくさん出ていることに気づいた。あおあおしている。見ていて、昨年秋に切られたヒロハホウキギクだろうと思い至った。花を付けるほどには伸びなかったけれど、いまこうして復活して時を待っているのだろう。ずっと見てきているヒロハホウキギクは咲いている株もあったが、ひとつ、小さな株が枯れていた。この前は生きていたのだった。


そしてアキノノゲシのつぼみはさらに固く閉じているようだった※。


※ このアキノノゲシの「つぼみ」は花が咲き終わった後の状態だった。次の記事に注を書いている。
https://michinohata.blogspot.com/2020/03/blog-post_43.html


道の記


ビル前の植え込みにいろいろな草花が植えてあり、小さな木も多少植えてある。そのなかに1本、クスノキの幼木がいた。クスノキを植えて育てているようには見えなかった。おそらくほかの草や木にまぎれてここまで生長したのだろう。このくらいの丈のまま、ほかの草や木と同じように世話を受けて生きていくのかもしれない。


2つ信号のオニタビラコは花の茎を高く伸ばしていた。咲く準備はできている様子に見えた。


その2つ信号の手前にすみれがたくさん出ている場所があるが、これまでそこの場所のことをあまり書いていない気がする。バス停があって待つ人が多く、立ち止まりづらいのだ。なので通るときにはたいてい歩きながら横目で様子を見る。すみれはいまは葉だけで過ごしている。たぶんバスを待つ人のなかに、すみれを見ている人もいることだろう。


2020年2月13日

道の記


煉瓦塀のお家は塀も完全に撤去されていた。一帯は広い空き地になっていた。礫が地面に散らばる中、ホトケノザがところどころぽつんぽつんと葉を広げていた。向こうに見える敷地界の隣地の塀の下は緑に見える。きっとそのあたりに、以前からここにいた草たちが、以前とは変わってしまった土地でどのようにか、暮らしを続けているのだろう。


階段のある元飲食店の建物は何かの事務所が入っていた。階段の下はオニタビラコらしきロゼットがいくつか開いていた。


橋から見下ろす川は、空を映しているのかそれともいくらか濁っているのか、にぶい色をしていた。空を見上げると、ほんの1か所だけ、雲が夕焼け色に染まっていた。


神社は梅が香っていた。梅をご覧になりに来られた様子の御夫婦がゆっくりと境内を回っておられる。私も同じようにして別のルートで境内を回る。ひとつひとつの木の花の香りを嗅ぐ。甘い香り、きつい香り、遠い香り。


いつも電車から見ていた境内の公園では、若い人がひとりボールで遊んでいた。大きな大きなくすのきが彼の守護をしているようだった。


しばらく前にスケッチを描いた河川敷の1本の木。そのときは近くに寄らずじまいだった。近くに寄った。小枝に丸い実が残っていた。ふもとはナズナの畑になっていた。ホトケノザ、オオイヌノフグリ。寒く見える日暮れの河川敷だったが、きっともう春だったのだ。


道の記


イヌコウジュは株ごと無くなっていた。根が土から抜けた跡があり、引き抜かれたのだろう。この前に見たときの様子からして、そのあと寒い日が続いたので、引き抜かれたときにはおそらく草のほぼ全体が枯れたようになっていただろうと想像されるけれど、それでも生きていたのではないかと思う。


そして、別の場所では、おそらく昨年花を咲かせることがなかっただろう小さな丈のイヌコウジュが、すべての葉を枯らして細い茎だけになって立っていた。


道の記


スーパーマーケット跡地の空き地は暖かな日差しだった。ノボロギクが躍進した。ヒロハホウキギクは全体がすっかり紫色になって、いくらかの花を咲かせていた。アキノノゲシは花こそ咲かせていなかったが、ヒロハホウキギクと同じく紫になって、暖かな冬を生き延びていた。


この冬は、秋の草たちにこれまでの秋の草たちが体験しなかったような気候を体験させているのかもしれない。そうだとしても、いまを生きているそれぞれの秋の草にとっては、その暮らしがただひとつの暮らしで、ただこの気候を暮らしていく。私はそうした自身の人生の突端を生きていく彼らを道の端から見ているほかない。


自身の人生の突端を生きていく、その事情は誰もがそうなのだろう。


クサギのトンネルのクサギは細い枝の姿になっていた。実を差し上げていた株はその格好で、なおいくらかの実をその枝に残していた。


いろいろな草が壁面に小さく生えている、そのなかに、ヒメウズを見つけた。つい最近どこかでヒメウズが咲いているのを見かけたが、ここでは咲いてはいない。つぼみもできていない。やがて茎を伸ばして、花を咲かせるのだろう。


見守っているのではなく見守られている。そう思った。


2020年2月11日

道の記


きょうは人につられてではなく振り返りながら歩いた。傾いた日が明るくまぶしく照っている。雲がたなびく冬の空だけれど、この冬初めて青い冬空を見た気がした。


その夕日をまぶしそうに、目の上に手をかざして通る方とすれちがった。街路樹のやまぼうしが手のひらを空に差し上げるようにして、小さな丸い芽を空に並べていた。


道の記


このあたりは工事が多い。ときどき立ち寄っていたスーパーマーケットも工事のフェンスに囲われていた。このマーケットの裏手にはスノーフレークだったか何かの花が植えてある小さな植え込みがあった。そこに通りかかると、植え込みは半分ほどがフェンスの中だった。フェンスの外では、おそらくトゲミノキツネノボタンだと思う小さな葉が土を覆っていた。


畑の中の畝と畝とのあいだで猫がこちらをうかがっている。ちょっと目が合ったけれど、見ていないふりをして行くことにした。


この道にも小さなノゲシがぽつんと出ている。きょうも咲いていた。お家の垣根から伸び出た花木や植えられた花々が美しい道だけれど、小さなすみれもいる。草たちが暮らしている、そのとなりを通って行く道。


道の記


バスから見たくぬぎ坂の場所では何か大きな柑橘の実が成っていた。


畑に敷かれたマルチというのか、黒いシートに雨がばさばさ落ちる音がする。畑は作物はなく、いまはマルチが覆っていない所でナズナが作物のように生えて咲いていた。


いつも通る道と一筋だけ違う道に入るとお家の梅が見えた。見事に仕立ててある。その向こうに知らない公園が広がっていた。雨で誰もいなかったが、こどもたちが遊ぶ声が聞こえてきそうな公園だった。公園を横に知らない道を歩いた。知っている道が目の前に見えていた。


2020年2月6日

道の記


陥没から復旧した道路は植樹帯が少なくなった。以前からの植樹帯はヤブランの実がいくらか残っていた。ヤエムグラらしき草も見えた。伐採されたケヤキも切り株のまま残っていた。


お店に入る前、お店の向かいの小公園には猫がいた。人は誰もいず、猫はあくびをしているようだった。お店から出たとき、公園は遊ぶこどもたちでいっぱいだった。猫は見当たらなかった。


舗装し直された歩道のヒメツルソバは見当たらなかった。でもどこか隅のあたりにいるのではないかと思う。


排水溝のくすのきは大過なく過ごしているようだった。もう暗かったので姿だけ見た。


道端に見たことのない葉が見えたので立ち止まってよく見たらノゲシだった。葉がちぢれたようになっていたのだった。ああなんだノゲシか、と思ったのだが、そう思うのでは失礼な気がした。ノゲシは何も言わずに街灯に照らされていた。


2020年2月4日

道の記


ランタナの交差点はオオキバナカタバミがいっぱいだった。フラサバソウも咲いている。ランタナは小さく枝を伸ばし始めていた。


以前田んぼだった駐車場の脇にある花壇は、プリムラが咲いていた。パンジーは少しつかれている様子だった。下のマンネングサは葉がとても小さくなっていた。その姿であと少し、冬をやりすごすのだろう。


伐採木置き場の、横倒しになっているいちょうの切り株から伸びている枝はかなりしっかりしているように見えた。タチスズメノヒエがだいぶ色褪せながら、それでも穂を掲げて立っていた。


行く人の動きにつられて後ろを振り向いた。夕日が山の少し上で大きく光っていた。


道の記


むかしであれば峠だっただろう丘の上の畑の脇にオオイヌノフグリがたくさん咲いていた。丘から眺めると道の先は薄く日が差していた。


また別の畑ではホトケノザとナズナが咲いていた。カラスノエンドウもだいぶ茂っていた。


柿の木と樫の木の跡地はホトケノザなど春の草にまじってイヌホオズキが咲いていた。敷地を出たところではノミノツヅリが花をちらほらと咲かせていた。


アキノノゲシが出ていた小さな駐車場の端の空き地。アキノノゲシはやつれていた。綿毛が残っていて、このごろまで咲いていたのだろう。アキノノゲシのふもとではカラスノエンドウが咲いていた。トゲミノキツネノボタンも明るい花をたくさん咲かせていた。


道の記


建物が取り壊された跡地のほうから、梅の花の香りのような匂いがした。信号を渡るつもりだったがあの跡地に梅が残っていたのかと気になって、渡らずに跡地のほうへ歩いた。跡地に梅はなかった。近くにも見当たらなかった。ホトケノザが咲いていた。


交差点のヒメジョオンは咲いていた。つかれた様子だったが枯れてはいない。すぐとなりにノゲシが出ているのに気づいた。ノゲシはだいぶ傷んでいたが、ノゲシも枯れてはいなかった。


大くすのきの林だった場所は建物が建ちつつある。以前の場所の面影は見つからない。ふと後ろを向くと梅が咲いていた。道を挟んだこちら側の丘にはくすのきはいないようだが、小さなお社があり、桜の木々が植えられている。梅の花は私の背が届かない高さで、大くすのきの林の丘を見つめるように咲いていた。


2020年2月3日

道の記


スーパーマーケット跡地の空き地は、ノボロギクが咲き、ハハコグサらしき葉があちこちから出始めて、春を感じさせるようになってきた。ヒロハホウキギクは全体がすっかり赤みを増して咲き続けていた。アキノノゲシは綿毛をいっぱい作ったようだった。残ったつぼみは固く閉じているように見えた※。

※ このアキノノゲシの「つぼみ」は花が咲き終わった後の状態だったと思う。次の記事に注を書いている。
https://michinohata.blogspot.com/2020/03/blog-post_43.html


イヌコウジュは小さな花を数輪残していた。


民芸風の飲食店の跡地は更地になった。以前は草がいろいろ生えていたけれど、いまは端のあたりでノボロギクやハコベが少し出ていた。ノゲシが咲いていた。ホトケノザに見送られて立ち去った。


建物の工事にあわせて街路樹のクロガネモチが幹の途中で切られていた場所では、歩道部分の舗装が直され、クロガネモチの切り株が撤去されたらしく無くなっていた。ちょうどそこの工事の人たちが集まって帰っていくところだった。私はその後ろになった。舗装面だけになっているクロガネモチのいた場所に頭を下げて、私も帰り道を歩いた。


道の記


草を気に掛けて見るようになって今年20年になる。その20年前に草を見始めた頃、ムラサキカタバミが出ていた小さな石垣の場所は、いまもムラサキカタバミがいる。ひさしぶりに通った。この季節なので花は出ていなかったが、葉は石垣の隙間を埋めるように広げていた。


キツネノマゴがいる中心街の公園に立ち寄った。キツネノマゴはもう去年の株が枯れてしまっている時季だが、2株、穂を見つけた。ひとつは色褪せて、もうひとつは赤みを帯びて冬を耐えていた。1株のすぐそばに、ヒナギキョウの小さな株がよれて立っていた。よれてはいたが緑だった。ここに立ち寄ってよかったと思った。


街路樹の切り株の上に工事のコーンが載せてあり、その脇でひこばえが数本伸びていた。ひこばえは芽を付けていて元気そうだった。何の木だろうと思いながら少し歩くと、路面にモミジバフウの葉が落ちていた。