道ゆく先々での、木々草々花々などさまざまの出会いとその後を、一筆箋に綴るつもりで。
From the Wayside: about my acquaintances of trees, flowers, weeds and others (written in Japanese)
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※ 現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)
2019年5月11日
道の記
夕空では雲が段々畑になっていた。
歩道を歩いていて、どこかからカネタタキの鳴き声がした。もう鳴き始めたのか、と思った。高いところから、チッ、チッと声がする。街路樹の背の高いモミジバフウか、隣のアパートのどこかだろう。アパートをじろじろ見回すわけにはいかないので、モミジバフウを少し仰いで、先へと歩いた。
唐実桜や柿の木がいた線路際の一帯は新しい土砂が入れられ、以前の様子はほとんどなくなった。敷地の端にぱらぱらと、花を終えたナガミヒナゲシが頭を並べていた。
2019年5月6日
道の記
たまには、脇目も振らずに歩くというのもいいかもしれない。と思いながら早足で歩いていたら、横からヤブガラシの蔓が目の前に思いっきり伸び出ていた。
何年ぶりかに歩いた道は、思っていたのと違う所へ出た。よく歩いた町の隣町だがこのあたりまではあまり来なかった。スーパーマーケットの横のはじめて通る小道を抜けて、知っている通りに出た。途中、ネズミムギのように見える草が遠目に日に輝いていた。
残された桜の木はすっかり緑になっていた。敷地を歩行器で周回なさっている方がおられた。うつむいて黙々と歩いておられる。話し掛けづらかったのでそのままあおあおとした桜を仰いでいると、桜の研究をしてるんですか、と話し掛けられた。少しお話しした。歩けなかったけれどここに来ると歩ける、緑はいいですよ、とおっしゃっていた。日暮れまでもう少し時間があった。その方はまた歩き始められた。桜も一身に初夏の光を浴びていた。
道の記
春の小径は草が刈られていた。次の春が来る前にきっと別の季節が来るのだろう。
こんなにまっすぐ続く道をひさしぶりに見た。あの果てまでこの暑さの中、歩けるのだろうか、とにかく一歩一歩だ、と思って歩いて、15分で果てにたどり着いた。麦の穂がさらさら音をたてて揺れていた。
この小径を歩くのもたぶん10年ぶりだ、と思いながら、むかしながらの家々に囲まれた小径を歩く。途中、イチイガシの大木がいる。よく茂っていて元気そうだった。この道を歩かなかったこの10年のことを思った。
絵を見た帰り、川土手を歩いた。広々と景色が広がる。向こうの山のふもとまで歩く。風がだいぶ涼しくなっていた。風に吹かれて、むかしこんなふうに見晴らしのよい丘を風に吹かれながら通ったのを思い出した。河川敷でこどもたちが遊び、おとなたちが走っていた。山と空はさっき見た絵に似て淡い色あいになっていた。
2019年5月5日
2019年5月4日
道の記
公園のカンサイタンポポの土手にロープが張られて立ち入れなくなって何年目かになる。ロープの向こうの下り斜面ではハルジオンやシロツメクサやいろいろな草が茂っていた。そのあいまあいまでカンサイタンポポが咲いていた。以前は斜面やその下でこどもたちが遊び回っていた。ロープを小さなこどもさんがくぐって、ロープをつかみながらお母さんに何か言っていた。お母さんが、そこに入っちゃだめでしょ、とこどもさんを叱った。草たちの景色がにぎやかだった。
ケヤキの道路は拡幅工事が進んでいた。ケヤキの切り株も、造り付けの花壇も、すでに撤去されて地面が出ていた。花壇のあった場所で、植えられていた何かの植物らしきちぎれ根が地表に顔を出していた。私を呼び止めたケヤキの場所にもちぎれ根が見えていた。いまもそこに、あのときの木の魂が居るようだった。こちらへ歩いて来る人もいたが、その場所に頭を下げて立ち去った。
ラベル:
カンサイタンポポ,
カンサイタンポポの土手,
ケヤキ,
シロツメクサ,
ハルジオン,
花壇の花,
新聞に載った街路樹ケヤキ
2019年5月3日
道の記
ビルの谷間のヨウシュヤマゴボウが枯れたまま残っているのだが、その前を通ったら、その枯れているヨウシュヤマゴボウを一眼レフで撮っている人がいた。ああこの人もここを見つけたのか、と思った。その人がカメラを向けている先を見ると、枯れて傾げているたくさんの茎の向こう側で、新しいヨウシュヤマゴボウの茎が高く伸びていた。
ご両親とこどもさんが歩道の車道際で後ろのほうを見ている。なんだろう、何か来るのだろうか、と思った。祭りの花自動車が後ろのほうからゆっくりやってきた。その道の先でも何人ものこどもさんが花自動車を待っていた。私と変わらない年代の男性の人たちも、ところどころで車道際に立っていた。
学校の煉瓦塀が付け替えられていた。塀は低くなり、塀の向こう側の植栽も替えられていた。ここにはこの付近では見かけないウマノスズクサがいて、そろそろ伸び始める時季だが、その位置でも土が入れ替えられ、新しい木が植えられていた。休日の夕刻の学校から、生徒さんたちが出てきてにぎやかに帰って行った。
2019年4月30日
道の記
以前ここで音楽祭が開かれたのがこの時期だった。そのときに会場そばでヒトツバタゴの花が咲いていた。思い出して、道を外れて立ち寄った。ヒトツバタゴはまっしろに咲いていた。寄贈なさった方のお名前が札にあった。その札に平成4年とあった。ヒトツバタゴの幹には忍草が着生していた。植えられたそのときからここまで過ごしてきた証しのようだった。札とヒトツバタゴに頭を下げて立ち去った。
春の小径はシロツメクサが咲いていた。ところどころ、ムラサキカタバミのように見える花が、雨に濡れて花を閉じていた。道の向かい側は麦畑で、穂があおく実りつつあった。ノビルがかたまって白い頭を高く伸ばしていた。浅い春はすでに眠りについたようだった。
道の記
以前陥没した道路はすでに復旧してしばらく経つ。ひさしぶりに通ったが、車もふつうに通り、歩道はたくさんの人が歩いていた。一部の植え込みが陥没に伴って無くなった。残っている植え込みの横を歩き過ぎていく。いろいろな草がいる。セイタカアワダチソウやアレチノギク、ハハコグサも生えている。一輪だけぽつんと、シャガが咲いていた。
建て替えられるビルの正面にいたクロガネモチの木が、無くされていた。一帯は安全棒で囲われていて、地下街入口を造ると書いてあった。ここには以前は靴を磨く方がおられた。犬もいた。でもだいぶ前にお見かけしなくなった。ならされた地面に何かコンクリートのようなものが敷かれ、その上に重機が置かれたままになっていた。重機の横に大きな袋が3つほど置いてあったが、何が入っているのかは見えなかった。
2019年4月29日
道の記
大くすのきの林だった場所は重機が作業をしていた。祭壇か祭司のように空にそびえている丘の上の大くすのきの切り株の脇に、芽が出ているのが見えた。作業はその切り株のふもとの土を掘削搬出している様子だった。大きな根株が斜めに置かれていた。振り返って大くすのきの切り株を見た。その上の空がとても青かった。
数年ぶりに歩く道では工場近くの道端の小さな空地のくすのきが伐られていた。けっこう大きな木だった。この地域のシンボルだと思っていた。切り株が残っていた。伐られたのはだいぶ前のようで断面はもう色がくすんでいたが、この切り株も小さく芽を出していた。まだ葉の形をしていない、ういういしい芽だった。
2019年4月24日
道の記
街路樹のモミジバフウがヒトツバタゴに植え替えられた道路では、そのヒトツバタゴが咲いていた。細長い花弁を捻ったようなつぼみがたくさん出来ていた。低い木になったので日陰は少なくなった。1本のヒトツバタゴの陰にぴったりとおさまって携帯電話を操作している人がいた。
残された桜の木には花がいくらか残っていた。近くの宗教施設に来られた方々が花の下でひと休みなさっていた。赤ちゃんを抱いたお父さんが敷地の隅で長く赤ちゃんをあやしていた。
閉鎖されたキャンパスの桜は伐られ始めていた。すでに姿が見えない木もあった。まだ工事が手つかずの、長く放置された風情の場所で、遅咲きの桜がいまこのときを咲いていた。
2019年4月21日
道の記
2つ信号のところでは今年もオニタビラコが咲いていた。寄って見ると、上部が切られた茎がいくつかあった。オニタビラコの花を摘んでいくというのはめずらしいことだと思った。切られた茎を囲むように、たくさんの花を咲かせていた。
ぽつんとヒメオドリコソウが固まって出てくる場所では、ヒメオドリコソウが今年も咲いていた。こどもたちが走り回って遊んでいるその隅のほうで、少し色褪せながら花を咲かせていた。どこからどう来たのかわからないけれど、これからもここで肩を寄せあいながら世代を継いで暮らしていくことだろう。
枯れたと思っていた坂の下のシロバナタンポポが生きていた。いやひょっとしたら代が変わったのかもしれない。閉じている花にそっと触れた。次の花の用意もあった。次の花が咲いている小さな景色をちらっと想った。
ラベル:
2つ信号のオニタビラコ,
オニタビラコ,
シロバナタンポポ,
ヒメオドリコソウ
道の記
イヌノフグリを継続観察している場所のうちの1か所では、イヌノフグリはすっかり枯れていた。もう枯れていく時期にはなっている。実のさやが割れていて、次の世代を送り出した後だった。おつかれさま、と声を掛けた。
もう1か所では、まわりにたくさん生えていたフラサバソウが枯れて、イヌノフグリがわずかに茎の先で生きていた。下のコンクリートに種子が撒かれていた。この場所でもきっと秋には、次の世代が芽を出すことだろう。フラサバソウたちも力を使い果たしたように伸びきって倒れていた。ここでは春は終わりを迎えようとしていた。
2019年4月20日
道の記
山はまだ景色のところどころで山桜が咲いていた。ダム湖の中の山桜も、この景色の中のどこかにこどもを残しているだろう。そう思いながら、ダムへ続く道を登った。
桜は完全に水没したわけではなく、これまでに最も水位が上がった時点でも梢のところが水面上に残っていた。その後水位が下げられ、この日は樹冠の全体が水面の上に出ていた。双眼鏡で見たけれど花や葉は見当たらなかった。
小学校の校庭の桜は沈んで2度目の春になる。水面は静かだった。近くにいろいろな観光施設ができて、車の通りはやや多くなったようだが、橋から見下ろす水面は静かだった。
移設された杉は、枯れ枝を落とされていたほかは元気なようだった。休憩らしく、大きな車がふもとにずっと停まっていた。
杉の横の崖では山桜が散り始めていた。崖沿いの道に上がり、桜の木の近くに来ると、香りがただよった。この山里は古い時代の書物にも記された山桜の里だった。里は無くなった。山桜はこれから何を伝えていくだろう。
(4月13日)
2019年4月16日
道の記
公園へ続く歩道の脇を通っている浅い水路が、アスファルトで埋められていた。ふだんは水が無く、たしかカヤツリグサの仲間などがいた。歩道ではマンテマやキュウリグサの花がいつもの春のとおりに咲いていた。
公園のベンチに掛けて茫然と広場の木々を眺めていた。桜が、いくらか残った花を風に落とし続けていた。自分にいま夢があるだろうかと考えながら、ふと、いま世話をしている幼い木々が大きくなった姿は見てみたいと思った。見られるのならば。意識なく軽く指だけ組んでいた手の中に、後ろから葉っぱが落ちてきた。
2019年4月8日
道の記
たんぽぽのロゼットの写真を撮り忘れたと気づいて、さっきまでいた小公園に戻った。ブランコに若いお母さんと小さなこどもさんが掛けていた。私が地面にうずくまってたんぽぽの写真を撮っていると、お母さんとこどもさんは帰り始めた。お母さんと目が合って会釈をしたけれども即座に目を離された。こどもさんは私を少しのあいだ見ていた。
桜の花びらが風に吹かれて、私を追い抜いていく。車も追い抜いていった。駆けていく花びらを踏まないように歩いたが、1枚を踏んでしまった。その1枚と並んで駆けていたもう1枚の花びらが、さっと飛んでいって道の外れに降りた。
イヌノフグリはやはり桜の花びらに埋もれていて見つけられなかった。そういえばこの前は花びらに埋もれていて乾燥を免れていたのだったと思い出し、花びらを掘り返すのをやめた。今季はもうこの道は通らないと思う。元気で、と心で声を掛けて、先へ歩いた。
山は霞んでほの青かった。ほぼ、空の色だった。何かむしょうに懐かしい気持ちになったが、何が懐かしいのか思い出せなかった。
2019年4月7日
道の記
同じ方向へ行くのにときどき違う道を歩いたりして、このあたりの小道もだいぶ歩いたと思っていたが、知らない道に入った。どのあたりに出るのだろうと思いながら歩いていると、正面に大きな桜の木が見えた。小さな公園だった。桜はちょうど満開。誰もいない。桜の下で水を飲んでひと休みした。いい花だったともう一度桜の木を眺め、先へ歩くとすぐ、見覚えのある道路に出た。あの公園だったのかとわかった。振り返った。桜は他の木々の向こうで、いまこのときとばかりに明るく咲いていた。
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