道ゆく先々での、木々草々花々などさまざまの出会いとその後を、一筆箋に綴るつもりで。
From the Wayside: about my acquaintances of trees, flowers, weeds and others (written in Japanese)
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※ 現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)
2020年1月31日
道の記
たしかむかしクラスメイトが住んでいたと思う古いお家が無くなっていた。大きな桜が残されていた。徒長枝がたくさん、空に向かって伸びている。敷地の中はセイタカアワダチソウが枯れて並んで白い穂を掲げていた。残っている門柱の表札には、知らない苗字が書いてあった。
アパートの階段入口で、ひとかたまりのオオキバナカタバミが花の茎だけを高く伸ばしてしゅんとしていた。少し歩くとアカカタバミが路傍の隙間を葉だけで彩っていた。
ラベル:
アカカタバミ,
オオキバナカタバミ,
サクラ,
セイタカアワダチソウ
道の記
通りかかった道沿いにイヌノフグリが出ていた。むかしからのお家が多い場所。おそらく古いお庭の隅などでイヌノフグリが生き延びているのだろう。花は見えなかったが、大きめに育っていたので暖かい日には咲くことだろう。
道の記
更地になったお家の土にホトケノザやフキの葉が出ているのを、以前通ったときに見た。その土地に工事が入っていた。敷地の外周に塀が造られる様子。まだ土は手が付けられていず、ホトケノザもフキも葉を広げていた。
小さな公園。若いお母さんがひとり、赤ちゃんを抱いてあやしている。公園の外を行くことにした。いちょうが冬空にぽつぽつと冬芽を並べていた。
梅とは枝振りが違う、桜だろうか、と思いながら近づくと、十月桜と書いてあった。花は赤みがかっている。すでにだいぶ散っていた。ふつうだと真冬までは咲かないのかもしれない。花を見ていると春が遠くに感じられた。見ている花の向こうだけ空が青かった。
2020年1月25日
道の記
クサギのトンネルだった場所ではツワブキが綿毛を空に掲げていた。
お濠まわりは今日はのんびりしている人が多い。自転車を止めて横になっている人たち、自転車で数人で乗り付けて階段に腰掛けて話をする人たち、鳥に餌をやっている人。たんぽぽが一輪、歩道の電柱の下からそちらのほうへ、明るい花を差し向けていた。
ビルの谷間のヨウシュヤマゴボウはすっかり枯れていた。おそらく根は生きている。谷間を成す片方のビルは取り壊されるらしいが、どうあれヨウシュヤマゴボウはきっと、次の夏を目指しているにちがいない。
道の記
2つ信号の場所ではオニタビラコのロゼットがいくつも出ていた。1つは花茎の芽を用意していた。まわりにハコベの仲間の葉がちらほら出ていた。
花壇の脇になったイヌビワの幼木は、枝が切られたというか手でちぎられたように見えた。
スーパーマーケット跡地の空き地は陽に照らされて地面があたたかそうだった。この前たくさん花を咲かせていたヒロハホウキギクは綿毛を作っていた。アキノノゲシは花を1つ咲かせようとしていた。しゃがんで見ているとまわりの小さな草もいろいろ見えてきた。スズメノカタビラがもう穂を立てていた。ハハコグサらしき葉が地面から優しく立ちのぼっていた。
ラベル:
2つ信号のオニタビラコ,
アキノノゲシ,
イヌビワ,
オニタビラコ,
スーパーマーケット跡地,
スズメノカタビラ,
ハコベ,
ハハコグサ,
ヒロハホウキギク
2020年1月23日
道の記
春が来たからこの道を行くのではない。そう思っていても春を探している。
沿線の椿は咲いていた。つぼみをたくさん用意していた。となりではヨモギが茂り、そのなかでヤブランがいくらか実を残していた。工事はすぐ隣で続いているが、この場所がどうなるのかはまだわからなかった。
公園があった場所に立った。いま立っている場所は公園内にあたるはずだと高架橋の位置を見ながら思う。工事途上の道の横に積まれた土のうの下から、ミズヒキが出ていた。つぼみがあった。
以前ナガミヒナゲシが出ていたわずかばかりの土手では、コセンダングサが花を付けていた。
振り返ってもういちど、公園だったあたりを見た。むかしはここになかった踏切の音が響いていた。
2020年1月16日
道の記
よく通る道に沿って高いビルが建っているのだが、その中腹というか中程のところに、さざんかの木が植えられているのに気づいた。ぱらぱらと咲いている。咲いていたので気づけたのだろう。
空き地のアキノノゲシは綿毛が散った跡があった。ヒロハホウキギクはさらにたくさんの花を咲かせていた。
イヌビワの植木鉢があったお店の跡地の奥の駐車場が、舗装が剥がされて更地になっていた。その隅に出ていたイヌビワの幼木は見当たらなかった。
中心街へ出向くのをあきらめて進路を変えた。古い町中の小径。道が暗い。小公園のところだけ少し明るくなっていた。自転車が1台停まっていたが、誰もいないようだった。どこかのお家からなのだろう、何かのおいしそうな香りがした。
2020年1月11日
2020年1月6日
道の記
クサギのトンネルだった場所はクサギがすっかり落葉していた。実を輪のようにして差し上げていたクサギも、わずかに実を残して冬姿をしていた。ふもとのツワブキは花をひとまず終えて綿毛を作っているところのようだった。
スーパーマーケット跡地の空き地はノボロギクが咲いていた。ヒロハホウキギクもたくさん花を咲かせている。丈の低いアキノノゲシがつぼみをたくさんつけていた※。いや咲かずに残しているのかもしれない。つぼみははっきりとした紫色を帯びていた。
※ このアキノノゲシの「つぼみ」は花が咲き終わった後の状態だったと思う。次の記事に注を書いている。
https://michinohata.blogspot.com/2020/03/blog-post_43.html
このごろ本をほとんど読んでいなかった。そのことをふと思い出して歩いていて、こうして歩く先々で草や木を見るのが、いまの自分にとっては本を読むのと同じことなのだ、本を読むように草や木からたくさんのことを学んでいるのだ、という気がした。
マンションの前の桜の植え込みにイヌビワの幼木が出ていたのだが、見当たらなくなっていた。抜かれたのでなければまた生えてくることだろう。
イヌビワの植木鉢がいたお店の跡地では、オニタビラコが高く伸びて花をいっぱい咲かせていた。その向こうの駐車場のイヌビワは、落葉を終えたようだった。
道の記
このごろところどころでバラの花を見かける。バラに詳しくないのだが季節なのだろうか。繁華街の路地を歩いていて、道沿いのお家の犬走りにホトケノザなどの草が出ていて、ああこういうところでも春の草がいきづいているのだなと思って、その先を行こうとするとバラが咲いていた。花は目の高さくらいのところで、路地の隅に路地の主が居るかのようだった。
切られてからかなり経つはずの街路樹の切り株の中心付近から、見慣れない葉が開いていた。この木の葉とは違うようだがと思いながら全体を見ていると、切り株のあちこちから同じ種類の葉が出ていた。喜んでいいのかどうかわからなくなった。
道を変えて歩いているうち、教えていただいた桑の木の方向へ行く道に出くわした。後日と考えていたが、せっかくなので行こうと考え直した。坂を上ると少し広い緑地。こどもさんがお父さんらしき人と緑地を出てきた。帰っていくようだった。
少し歩いて、たくさんの住宅に囲まれた桑の木の小さな場所に着く。桑の木は大きかった。何度か根元近くで切られたのか、幹が錯綜していたが、上ではほうき上に樹冠が広がり、どうどうとしていた。葉がかなり残っている。幹を見ているとすぐに頭にぱさっと葉が落ちてきた。あいさつしてくれたのだろう。
カンサイタンポポも咲いていた。イヌコウジュも花を開いていた。あたたかな年初め。
2020年1月4日
道の記
閉まっているお店の前のノゲシは変わらず元気にしていた。
ガザニアが一面に植えてある花壇の中から、水仙が花の茎をひとつだけ立てていた。
病み上がりというのか、歩いていてからだが安定しない。あまり人に近づきたくない。踏切待ちでも隅のほうで待った。エノコログサがいっぱいだった。緑の穂をたくさん立てていた。電車が通過し、穂がいっせいにめいめいに揺れた。
線路際の工事中の場所へ回った。足元に白い小さな花が見えた。しゃがんで見るとナズナだった。隣でオランダミミナグサも花を用意していた。もう唐実桜や梅や柿の木がいた頃とはすっかり景色が変わってしまったが、草たちは今年もそれぞれの暮らしを続けて継いでいくだろう。
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