道ゆく先々での、木々草々花々などさまざまの出会いとその後を、一筆箋に綴るつもりで。
From the Wayside: about my acquaintances of trees, flowers, weeds and others (written in Japanese)
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※ 現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)
2019年5月31日
道の記
いま横を追い抜いていったこどもさんが、角を曲がったらはるか彼方に見えた。もし追いつこうと思って走ったとしても、もう追いつかない。その彼方までのあいだの舗道の上に、何本ものケヤキの影が斜めに差していた。
水路が埋められてしまったのだと、その場所に差し掛かって思い出した。舗装を免れたマンテマは花を終えていた。ヒメジョオンがたくさん花をつけていた。しゃがんでヒメジョオンの花を見ているあいだに横を通り過ぎていった人が、立ち上がったときにははるか彼方にいた。
桜の切り株の場所は草刈りが入った様子だった。切り株が1本伸ばしていた小枝が切られて地面に横になっていた。その小枝が出ていた切り株の脇のところに、葉が1枚、切られずに残っていた。
ここからまた、始めるだろう。
道の記
昨日歩いた道をまた歩く。交差点の向こうの角にカラムシなどの草が茂っていて、そちらへ渡ろうかと思ったが、信号が点いているほうを渡った。正面ではコンクリート擁壁の高い位置から、イヌビワの幼木が待っていたかのように迫り出していた。
この方向へ行くと近道ではないかと、小さな路地に入った。どこへ出るか出ないか歩いてみないとわからない。道はくねってさらに狭くなった。古い煉瓦塀のあいだを歩いていくと、中庭のありそうな大きなお宅の門構えがあり、その脇にナデシコの仲間の花がずらりと並んでいた。道はほどなく知っている場所へ出そうだった。
だいぶ前に訪ねた、小さな川のほとりに立ち寄った。そこは大きなセンダンの木がいたのだが、川岸を歩道にする工事で伐採されたのだった。前に訪ねたときにその向かいのお店に寄って、センダンの話を伺った。お店には在りし日のセンダンの姿が飾られていた。そのお店は閉じられているようだった。川岸の歩道の柵に、センダンの写真札が前の時と変わらず掛けてあった。
道の記
排水溝の中にくすのきが生えている場所を数か所知っている。そのうちの1か所が、しばらく前に通ったときに敷地の工事を始めていてどうなるのかと思っていたが、排水溝も工事されたようで、中にはただ水が溜まっていた。
高台の竹林の向かいの雑木林だった場所は、そこに残されていた木もなくなって、しばらくそのままになっていたが、今日は造成のような工事が行われていた。敷地の中には緑味は見えなかった。敷地の外の歩道の隅に、短く、竹の茎が伸び出ていた。
ラベル:
竹林の向かいの雑木林,
排水溝のクスノキ2
2019年5月29日
道の記
大くすのき林だった場所の大くすのきの切り株は、動かされたのか丘の形状が変えられたのか、丘の向こう側の脇に移動していた。丘の上は重機が陣取っていた。
切り株は遠目では乾いているようにも見えたが、小さなひこばえを従えていた。もう大くすのきはそびえ立ってはいなかった。ただ、ひこばえは空を目指していた。
伐採木置き場のいちょうの切り株は、この前のときよりさらにたくさんのひこばえを出していた。ひこばえは林とか森というより、密林のようだった。切り株は傾いたまま置かれているが、ひこばえはここでも、空を目指してまっすぐだった。
幹を伐られた柿の木も、つややかな若葉をたくさん茂らせていた。隣の樫の木の切り株も、ヤブガラシに囲まれながら、色の薄い若葉を広げていた。
2019年5月28日
道の記
光化学オキシダント注意報が発令されている中での外出。空がぜんたい薄白く照っていた。遠くの山が見えているからだいじょうぶ、と自分に言い聞かせて歩いた。歩いているうち、だんだんと空の青が戻ってきた。橋の上は風が流れていた。川をのぞき込みながら歩く人とすれ違った。
高速道路のガード下の植え込みにはどうも何も植えられていないようで、かわりにチガヤがたくさん穂を立てていた。あるところからチガヤの穂がさらに増えて、一面チガヤの穂の白になっていた。私の頭の中もチガヤの穂の姿でいっぱいになりかけていたところ、アレチハナガサが1株、大きく育って紫の花の穂を掲げていた。
2019年5月24日
道の記
ビル前の保護されている大銀杏は今年も若葉を出していた。いずれ融合するようにと内部空洞や周りに接するように若木が植栽されていて、その木々に囲まれ、古い幹から小枝を伸ばして、そこに葉を茂らせていた。道を急いでいたのでそれだけを見届けて去って行こうとしたら、何か白いものが見えた気がした。振り返って木のそばに戻ると、隣のヤマボウシの木が少しだけ花を残していたのだった。
ラベル:
イチョウ,
ヤマボウシ,
飯田屋敷跡のイチョウ
2019年5月17日
道の記
アキノノゲシなどの草が生えていた空き地にマンションのショールームが造られていたが、そのショールームがなくなっていた。空き地は一部の舗装を除いて更地になっていた。敷地のまわりにコマツヨイグサなどの草が小さく生えていたが、アキノノゲシは出ていないようだった。
幹を半分伐られた公園のヒマラヤスギは、樹冠が茂っていた。ちょっと見たところではそういう木だと見えるようになった。たくさんのこどもたちが遊んでいた。公園の端でおとなの方がひとり、鳩と話しておられた。
クサギが伐られたクサギのトンネルは、クサギが復活しつつあった。伐られたところから枝を数十センチ程度伸ばして葉を付けていた。トンネルにはまだまだならなさそうだ。トンネルだった一帯の端で、同じく枝を数十センチ伸ばした種類のよくわからない木が、小さな白い花を咲かせていた。
2019年5月11日
道の記
施設の休憩所から外の公園を見ていたら、小さなこどもさんが虫取り網を振り回していた。網の柄で道の隅にたまっている落ち葉をかなり荒っぽくかき回していた。もうすぐ帰りにそこを通るけれど、何か声を掛けるか迷った。帰りにもこどもさんがいた。そのまま行こうとしたら、こどもさんのほうから「こんにちは」と声を掛けてきた。優しい声だった。「おかあさんそこにおる…」と階段を上がっていった。そちらが夕日のほうだった。
大くすのきの林だった場所は、大くすのきの切り株がほぼ掘り上げられたようで斜めに傾いていた。脇にひこばえを従えたままだった。丘の脇の芽を出していない切り株は、傷をたくさん負っていた。この前通ったときに放置してあった抜かれた切り株は、驚くほどたくさんの葉を茂らせていた。丘はだいぶ削られた。この先さらに削られるのだろう。
道を渡って大くすのきの林の場所を見た。夕日が、削られた丘の向こうに沈むところだった。風向きは横からだったが、道のこちら側までくすのきの香りがしていた。空は淡く明るかった。くすのきの切り株たちは私には、なおいっそうしっかりと、空にそびえ立っているように見えた。
道の記
夕空では雲が段々畑になっていた。
歩道を歩いていて、どこかからカネタタキの鳴き声がした。もう鳴き始めたのか、と思った。高いところから、チッ、チッと声がする。街路樹の背の高いモミジバフウか、隣のアパートのどこかだろう。アパートをじろじろ見回すわけにはいかないので、モミジバフウを少し仰いで、先へと歩いた。
唐実桜や柿の木がいた線路際の一帯は新しい土砂が入れられ、以前の様子はほとんどなくなった。敷地の端にぱらぱらと、花を終えたナガミヒナゲシが頭を並べていた。
2019年5月6日
道の記
たまには、脇目も振らずに歩くというのもいいかもしれない。と思いながら早足で歩いていたら、横からヤブガラシの蔓が目の前に思いっきり伸び出ていた。
何年ぶりかに歩いた道は、思っていたのと違う所へ出た。よく歩いた町の隣町だがこのあたりまではあまり来なかった。スーパーマーケットの横のはじめて通る小道を抜けて、知っている通りに出た。途中、ネズミムギのように見える草が遠目に日に輝いていた。
残された桜の木はすっかり緑になっていた。敷地を歩行器で周回なさっている方がおられた。うつむいて黙々と歩いておられる。話し掛けづらかったのでそのままあおあおとした桜を仰いでいると、桜の研究をしてるんですか、と話し掛けられた。少しお話しした。歩けなかったけれどここに来ると歩ける、緑はいいですよ、とおっしゃっていた。日暮れまでもう少し時間があった。その方はまた歩き始められた。桜も一身に初夏の光を浴びていた。
道の記
春の小径は草が刈られていた。次の春が来る前にきっと別の季節が来るのだろう。
こんなにまっすぐ続く道をひさしぶりに見た。あの果てまでこの暑さの中、歩けるのだろうか、とにかく一歩一歩だ、と思って歩いて、15分で果てにたどり着いた。麦の穂がさらさら音をたてて揺れていた。
この小径を歩くのもたぶん10年ぶりだ、と思いながら、むかしながらの家々に囲まれた小径を歩く。途中、イチイガシの大木がいる。よく茂っていて元気そうだった。この道を歩かなかったこの10年のことを思った。
絵を見た帰り、川土手を歩いた。広々と景色が広がる。向こうの山のふもとまで歩く。風がだいぶ涼しくなっていた。風に吹かれて、むかしこんなふうに見晴らしのよい丘を風に吹かれながら通ったのを思い出した。河川敷でこどもたちが遊び、おとなたちが走っていた。山と空はさっき見た絵に似て淡い色あいになっていた。
2019年5月5日
2019年5月4日
道の記
公園のカンサイタンポポの土手にロープが張られて立ち入れなくなって何年目かになる。ロープの向こうの下り斜面ではハルジオンやシロツメクサやいろいろな草が茂っていた。そのあいまあいまでカンサイタンポポが咲いていた。以前は斜面やその下でこどもたちが遊び回っていた。ロープを小さなこどもさんがくぐって、ロープをつかみながらお母さんに何か言っていた。お母さんが、そこに入っちゃだめでしょ、とこどもさんを叱った。草たちの景色がにぎやかだった。
ケヤキの道路は拡幅工事が進んでいた。ケヤキの切り株も、造り付けの花壇も、すでに撤去されて地面が出ていた。花壇のあった場所で、植えられていた何かの植物らしきちぎれ根が地表に顔を出していた。私を呼び止めたケヤキの場所にもちぎれ根が見えていた。いまもそこに、あのときの木の魂が居るようだった。こちらへ歩いて来る人もいたが、その場所に頭を下げて立ち去った。
ラベル:
カンサイタンポポ,
カンサイタンポポの土手,
ケヤキ,
シロツメクサ,
ハルジオン,
花壇の花,
新聞に載った街路樹ケヤキ
2019年5月3日
道の記
ビルの谷間のヨウシュヤマゴボウが枯れたまま残っているのだが、その前を通ったら、その枯れているヨウシュヤマゴボウを一眼レフで撮っている人がいた。ああこの人もここを見つけたのか、と思った。その人がカメラを向けている先を見ると、枯れて傾げているたくさんの茎の向こう側で、新しいヨウシュヤマゴボウの茎が高く伸びていた。
ご両親とこどもさんが歩道の車道際で後ろのほうを見ている。なんだろう、何か来るのだろうか、と思った。祭りの花自動車が後ろのほうからゆっくりやってきた。その道の先でも何人ものこどもさんが花自動車を待っていた。私と変わらない年代の男性の人たちも、ところどころで車道際に立っていた。
学校の煉瓦塀が付け替えられていた。塀は低くなり、塀の向こう側の植栽も替えられていた。ここにはこの付近では見かけないウマノスズクサがいて、そろそろ伸び始める時季だが、その位置でも土が入れ替えられ、新しい木が植えられていた。休日の夕刻の学校から、生徒さんたちが出てきてにぎやかに帰って行った。
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