道ゆく先々での、木々草々花々などさまざまの出会いとその後を、一筆箋に綴るつもりで。
From the Wayside: about my acquaintances of trees, flowers, weeds and others (written in Japanese)
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※ 現在、機器の問題でブログの更新がやや難しくなっています。最新の記事はツイッターのほうに投稿し、このブログには可能なときに後追いで掲載するようにします。1日の記事が多いときにはブログに一気に投稿する場合があります。2020年9月18日(2021年6月1日修正)
2018年11月29日
道の記
線路を挟んで向かい合っている上りホームと下りホームに分かれて、鳩が路面をつつきながら下り方向へ歩いていた。道は果てしなく続くようだった。
ひさしぶりに訪ねる街の初めて訪ねる公園は大きな池だった。中の島に1本のアオギリが生えていた。一度幹の途中で切られた様子があり、そこから枝が放射状に出ていた。足元にはキュウリグサが同じように放射状のロゼットを作って春待ちをしていた。
その池のまわりの土手を歩いていて、水際に茂っているランタナを上からのぞいて見ようとしたら、ひぴいっと言ってその下からカワセミが飛び出した。ランタナの下にもう1羽いるようで、しばらくその2羽で鳴き交わしていた。申し訳ないのでその場を離れた。そのもう1羽がランタナの下に居続けているのが見えた。
ナガミヒナゲシとトウバナが共存していたお家の裏手の小さな空地はどうやら車の駐車スペースだったようだ。いまは車のそばにチドメグサの仲間の草が生えていた。
2018年11月24日
道の記
ジョロウグモを路上から街路樹の根元に移した。土が入れ替えられたばかりで草が生えていない。少し歩いたら草が生えている所もあった。そこのほうがよかったのか、わからない。
いまは空いている田んぼの向こうに、満月が出ていた。満月はまっすぐこちらを向いていた。
道の端の黄色のコスモスをつい先日写真に撮った、その場所に差し掛かる橋の上で、満月に向かって国際宇宙ステーションの点光が飛んでいくのを見た。コスモスがこの光景を見せてくれたような気がして、ありがとうと伝えた。
2018年11月21日
2018年11月17日
道の記
2つ信号の以前オニタビラコが出ていた場所にはかわりにエノコログサが出ていたが、きょう通ったらオニタビラコのロゼットが出ていた。エノコログサは色が少し薄くなっていた。
足を伸ばして、以前何度か歩いた、大きな保存樹クスノキのいる小道を通った。クスノキのふもとに昔ながらの喫茶店があったのだが、シャッターが下ろされていた。クスノキは樹冠の道側を少し伐られたような様子があったが、あおく大きく茂っていた。喫茶店の隣の並びには新しそうに見えるお店が入っていた。
公園はいつもとかわらない秋の日差しだった。水面に向かって誰かが遠吠えのように歌っていた。
ラベル:
2つ信号のオニタビラコ,
エノコログサ,
オニタビラコ,
クスノキ,
まちに流れる音楽,
喫茶店,
小道の保存樹クスノキ,
水面
2018年11月14日
道の記
すみれのプランターの近くに出ていたキツネノマゴがおそらく草取りに遭っていなくなり、このあたりではキツネノマゴはもう見られないのかと気になって、信号待ちの間に探してみた。すみれのプランターから少し離れた別のプランターで、キツネノマゴが少し出ていた。花を終えた穂が立ち並んでいた。
クワクサもいた。葉が色褪せていた。おつかれさまと声を掛けた。その言葉でよかったのか今もわからないでいる。
道でなにかを拾っている様子の方をお見かけした。以前からスダジイの実が落ちている場所なので尋ねたらやはりそうだった。かんたんな調理方法を教えてくださった。もうすぐ100歳になりますよと、つやつやのお肌の笑顔でおっしゃった。
空は青かった。高い雲が形を崩しながら空に並んでいた。
2018年11月13日
道の記
ランタナ電柱のねこじゃらしはいなくなったが、ランタナの芽は残っていた。
タンポポ電柱はここしばらく何も草が出ていなかったが、イネ科のなにかの草のように見える小さな葉が出ていた。
ラベル:
セイヨウタンポポの電柱,
ランタナ,
何かの草,
電柱ランタナ
2018年11月7日
2018年11月3日
道の記
病気になったときに車に乗せられて通った道を歩いた。街路樹のホルトノキの実が落ちていた。ランタナのような花、里芋のような葉。伐り株があった。ホルトノキの葉のひこばえが出ていた。
いろいろな植物に取り囲まれたアパートは植物ともども健在だった。アメリカアサガオがアパートの主のようにたくさんの花をあざやかに咲かせていた。
電線に掛かりそうな枝を伐り落とされていた大きなくすのきは、この前訪ねたときは新しい枝をたくさん出していたが、きょうはその枝がたくさんの葉を茂らせていた。樹冠がしっかり出来ていた。くすのきは青空に大きな歌を歌っているようだった。
2018年11月2日
道の記
キカラスウリは上のほうのつるは切れているようだったが、下のほうは枯れていなかった。工事の手が及ぶのは時間の問題のように見えた。
排水溝から出ていたくすのきは網の高さで切られていた。また芽を出すだろう。
神社境内の伐られたくすのきは白っぽくなっていた。
橋の脇にイヌビワの木が生えている。ときどき伐られているが、最近は伐られていない。実がたくさんなっていた。大木になる気いっぱいのようだった。
道沿いの伐られた小さなくすのきは動きがなかった。
公園の伐られたくすのきはひこばえが見事に生長していた。もう人の背丈より高くなっていて、幹が緑色になっていた。木というよりは小さな森に生まれ変わっていた。
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